唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 別境 八識分別門 因位と果位の五識の有無について

2010-10-09 17:29:57 | 心の構造について
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第三の能変 別境 八識分別門
- 未自在位と自在位に於ける五識の有無について 
 「未自在位に位には此の五識、或るときには無し。自在を得る時には此の五は定めて有り」(『論』第五・三十四右)
 「述曰。因中の五識には或いは有り、或いは無し。此れ無き時は多く、此れ有る時は少なし。第六意識は此れ有る時は多く、此れ無き時は少なし」(『述記』第六本上二十六左)
 (意訳)未自在位と自在位の五識における五別境の有無について述べる。未自在位に位には、この別境の心所は、五識に存在しない時がある。(存在する時もある)しかし、自在を得た時には、この別境は必ず五識に存在する。
 未自在位について、因中の五識は第六意識に引かれる為に五別境と相応するが(何故なら、相応するのは五識そのものの働きではないからである)、相応しない時の方が多い。しかし、第六意識では、五別境と相応する時の方が多いと説かれています。
 自在位に於いては、この五の別境の心所は五識に必ず存在するといわれています。尚、自在位は八地以上、仏果未満の状態を指すものと思われます。初地から七地までは五識は善とは限らず、未自在位であり、仏果については次に説かれるので、仏果ではないことがわかります。
 - 果位(仏位)の五識に於ける五別境の有無 -
  • 諸境を観ぜんと楽(ねが)うを以て、欲無減(よくむげん)なるが故に、
  • 境を印するを以て、勝解常に無減なるが故に、
  • 境いい皆な曾受(ぞうじゅ)なるを以て、念無減なるが故に、
  • 又仏の五識は三世をも縁ずるが故に、如来は定心にあらずということ有ること無きが故に、
  • 五識には皆、作事智(さじち)有るべきが故に」(『論』第五・三十四右)

 作事智は成所作智のこと。

 「述曰。此れは仏地に欲無減等有りと云うことを釈す。・・・然るに仏の五識は凡夫に同じからず。仏は亦三世を縁じて起こると。故に知る。念有って曾受の境の体を縁ずることを。唯境の類のみを念ずるが如きに非ず。仏地の五識には作事智有り。故に知る、慧ある事を。・・・」(『述記』第六本上二十七右)

 (意訳) 仏は欲無減であり、仏の五識には欲が有る。仏は印可すること無減であるから、仏の五識には勝解がある。また、仏の境は曾習の境であり、念無減であることから、仏の五識には念がある。また、仏は三世を縁じて生起するので、常に定に入っているから、仏の五識には定が有る。また、仏は四智を有し、仏の五識には、成所作智が有る。つまり、仏の五識には、慧が有るのであって、果位に於いては五識における五別境は必ず存在するのである。 

 無減とは六無減のこと。悟りを得た後、永久に減ることが無い六種の功徳。『大智度論』巻第二十六に詳細されています。欲・精進・念・慧・解脱・解脱知無減の六種。(国訳大蔵経・大智度論p816~824参照)尚、六無減は十八不共法の中の無減についての六種になります。十八不共法については、後に述べます。

  • 欲減ずる無しとは、仏は善法の恩を知りたまふが故に、常に諸々の善法を集めんと欲したまふが故に、欲減ずること無く、諸々の善法を修習し、心に厭足(えんぞく)無きが故に、欲減ずること無し。・・・
  • 精進減ずる無しとは、欲の中に「欲の義は即ち是れ精進なり」と説くが如し。問うて曰く。『若し爾らば十八不共法有る無けん。復次に、欲と精進とは、心数法(しんじゅほう)の中には、各々別なり。云何が欲は即ち是れ精進なりと言う』答へて曰く、『欲と初行と為し、欲の増長するを精進と名づく。仏の説きたまふが如くんば、一切法は欲を根本と為す。・・・
  • 念減ずる無しとは、三世の諸法に於て、一切の智慧相応するが故に、念満足して減ずる無きなり。・・・仏は一切智無礙解脱を以て念を守護したまふ。是の故に減ずること無し。・・・
  • 慧減ずる無しとは、仏は一切の智慧を得たまふが故に、慧減ずる無し、三世の智慧無礙なるが故に、慧減ずる無し。復次に、十力・四無所畏(しむしょい)・四無礙智を成就したまふが故に、慧減ずる無し。
  • 解脱減ずる無しとは、解脱に二種有り、有為解脱と無為解脱となり。有為解脱は無漏の智慧に相応する解脱に名け、無為解脱は一切煩悩の習都(しゅうすべ)て盡して余無きに名く。仏は二解脱に於て減無きなり。・・・
  • 解脱知見減ずる無しとは、仏は諸々の解脱の中に於て、智慧無量無辺清浄なるが故に、解脱知見減ずること無しと名く。・・・(仏は)一切の自利他利の中に四事能く具足す、欲は一切の善法を求むるの根本なり、精進は能く行じ、念は能く守護すること、守門の人の善者は入るを聴(ゆる)し、悪者は遮るが如し。慧は一切の法門を照らして、一切の煩悩を断ず。是の四法を用て事を成辧(じょうべん)するを得。是の四法の果報に二種有り、一には解脱、二には解脱知見なり。・・・」

と、説かれています。欲無減についての記述に、譬えが出されてあります。「一長老比丘の如きは、目闇くして、自ら僧伽梨(そうぎゃり)を縫ひ、針の袵(いと)脱す。諸人に語りて言はく、「誰か福徳を楽欲(ぎょうよく)する者ぞ、我が為に針に袵(にん)ぜよ」と。爾の時、仏は其の前に現じて語(つげ)て言はく、「我は是れ福徳を楽欲して厭足無き人なり。汝が針を持ち来たれ」と。是比丘は、斐亹(ひみ)たる仏の光明を見、又仏の音聲を識りて、仏に白して言さく、「仏は無量の功徳海の、皆其辺底を盡したまへり、云何が厭足無きや」と。仏、比丘に告げたまはく、「功徳の果報は甚深にして、我如く恩分を知る者有る無し。我は復其の辺底を盡すと雖も、我本心に厭足無きを欲するを以ての故に仏を得たり。是故に今猶息まず、更に功徳の得べき無しと雖も、我は心に亦休まざらんと欲す」と。諸天世人驚悟すらく、「仏すら功徳に於て尚厭足無し、何に況や余人をや」と。仏は比丘の為に説法したまふに、是の時、肉眼即ち明らかにして慧眼成就せり」。と述べられています。

 僧伽梨 - 大衣・重衣という、三衣の一つ。九條の袈裟のこと。、比丘の三衣の中で最大のもの。説法や托鉢のために王宮や聚楽に入る時には、必ずこれを着ける。

 袵(にん・じん) - 衽と同字。おくみ、えり(襟)という意。衣+壬で、人体を包んで保温する、えり・しとねの意味を表す。

 斐(ひ) - あやがあって美しいさま。 亹(び) - 美しい、うるわしいという意。

 目のよく見えない長老の比丘が衣を縫うのに針に糸を通せずに困って、「誰か、福徳を願う者よ。私の為に糸を通して福徳を積んで下さい」。その時、仏陀釈尊が老比丘の前に来て語られた。「私は福徳を欲し、飽くことが無い。比丘よ、さあ針をもって来なさい」と。この比丘は麗しく、美しい仏陀のお姿に光明を見、また間近に仏の声を聞いて、比丘は問われた。「仏は無量の功徳海の、皆其辺底を盡したまへり。何故に福徳を欲せられるのでしょうか」と。仏陀は「功徳の果報は甚深である。無辺の生死海を尽くすということに於て仏陀の悟りを得た。しかし、まだまだ無辺の生死海を尽くしたとはいえない。だから功徳を求めること際限がないために休息することはない」と語られた、仏が比丘にこの法を説かれたとき、この比丘の肉眼は明らかになり、慧眼が成就したという。これが欲無減の記述です。善法欲の例として語られています。

 そういえば、親鸞聖人においても『教行信証』の結びに、道綽禅師の『安楽集』を引用され、自らのお言葉として「願わくば休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」と『教行信証』御製作の意趣を述べられています。経・論においても、誓願は何故に起こされているのかは、流通文において必ず衆生と共に生死海を度せん、と善法欲が顕れています。「会ず当に仏道を成ずべし、広く生死の流れを度せん」(東方偈・真聖p51)・「我論を作り、偈を説きて、願わくば弥陀仏を見たてまつり、普く諸々の衆生と共に、安楽国に往生せん」(『浄土論』真聖p138)と。また聖覚法印は『唯信抄』に「われおくれば人にみちびかれ、われさきだたば人をみちびかん。生生(しょうじょう)に善友となりて、たがいに仏道を修せしめ、世世(せせ)に知識として、ともに迷執をたたん」と仏道に立つものとしての願心を表白されています。(真聖p929)文意には、いなかのひとびとに『唯信抄』を読むように勧められた聖人の願心が私の身心に伝わってきます。できえるならば、私もその中の一人として加えられることを許して頂きたい。

 (参考)「十八不共法とは、一は諸仏の身に失(とが)無し、二は口に失無し、三は念に失無し、四は異想無し、五は不定心無し、六は知り已りて捨てざる無し、七は欲の減ずること無し、八は精進の減ずること無し、九は念の減ずること無し、十は慧の減ずること無し、十一は解脱の減ずること無し、十二は解脱知見の減ずること無し、十三は一切の身業は智慧に随うて行ず、十四は一切の口業は智慧に随うて行ず、十五は一切の意業は智慧に随うて行ず、十六は智慧の過去世を知ること無礙なり、十七は智慧の未来世を知ること無礙なり、十八は智慧の現在世を知ること無礙なり」(『大智度論』初品中十八不共法釈論第四十一・巻第二十六・十八不共法を釈し、独り此の法を不共法と名づくことを明かす文 ― 『国訳大蔵・大智度論下』p808~p846)

 尚、この項、『国訳解説・大智度論入門』を参照しました。インターネットで配信されています。   


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