已厭無用の難(第二難)
「又諸の異生の有色を厭離して無色界に生れたるは現に色身無し。預(アラカジ)め土を変為すると云うこと此れ復何の用かある。」(『論』第二・三十右)
また諸々の凡夫が有色界を厭離して無色界に生れたものは、無色界には現に色身がなく、色身を厭離するものであるから、土を変為するということに何の用があるのか、下界(有色界)を変為する用はない筈である。
「謂く、諸々の異生の無色界に生じて預め変ずるに無用になんぬ。現に身無きが故に。有頂天に生ぜざるは壽八万劫なり。欲界の数度(アマタタビ)成じ壊すことを防げず。之を変ずるに何の用かある。」(『述記』第三本・六十四左)
縦変無益の難(第三難)
「設ひ色身有りとも異地の器と麤・細懸隔(ケンカク)にして相依持(アイエジ)せず。此れが彼を変為するに亦何の益する処がある。」(『論』第二・三十左)
(大衆部の説)のように、無色界に細の色身があるとするならば、その色身は有色界の上地に生じて殊に細なるものであって、麤なるものではない。麤・細はかけ離れているもので相依持することはない。従って、彼の無色界の人が麤の器界を変ずることは無益のことである。
所以は
「然も所変の上は本(モト)色身を依持し受用せんが為なり。故に若し身に於て持し用すること有る可きを便ち彼を変為す。」(『論』第二・三十左) 土を変為する理由は、自己の身を依持し受用せんが為である。従って、上地の人が下地の土を持用することはないのであるから、これを変為しても無用のことである。
土を変為することは自己の身を保つことなのですね。つまり、無色界に生れた人は、無色界が自己の身を保つ処であって、有色界を変為することは無用のことである、というわけです。器世間を変為するのは、色身を依持する、保つ為であり、又身を受用する為である。依持し受用する。身は土に於て有り、身を保つために受用する、その必要がある場合に器世間を変為する。「異地の身は受用すること能はざるが故に変ずるに用無し」というのが第三難になります。
以上三つの難を挙げて、次科段より、護法正義を述べ、変為する必要がないということは誤りであることを論破していきます。
「又諸の異生の有色を厭離して無色界に生れたるは現に色身無し。預(アラカジ)め土を変為すると云うこと此れ復何の用かある。」(『論』第二・三十右)
また諸々の凡夫が有色界を厭離して無色界に生れたものは、無色界には現に色身がなく、色身を厭離するものであるから、土を変為するということに何の用があるのか、下界(有色界)を変為する用はない筈である。
「謂く、諸々の異生の無色界に生じて預め変ずるに無用になんぬ。現に身無きが故に。有頂天に生ぜざるは壽八万劫なり。欲界の数度(アマタタビ)成じ壊すことを防げず。之を変ずるに何の用かある。」(『述記』第三本・六十四左)
縦変無益の難(第三難)
「設ひ色身有りとも異地の器と麤・細懸隔(ケンカク)にして相依持(アイエジ)せず。此れが彼を変為するに亦何の益する処がある。」(『論』第二・三十左)
(大衆部の説)のように、無色界に細の色身があるとするならば、その色身は有色界の上地に生じて殊に細なるものであって、麤なるものではない。麤・細はかけ離れているもので相依持することはない。従って、彼の無色界の人が麤の器界を変ずることは無益のことである。
所以は
「然も所変の上は本(モト)色身を依持し受用せんが為なり。故に若し身に於て持し用すること有る可きを便ち彼を変為す。」(『論』第二・三十左) 土を変為する理由は、自己の身を依持し受用せんが為である。従って、上地の人が下地の土を持用することはないのであるから、これを変為しても無用のことである。
土を変為することは自己の身を保つことなのですね。つまり、無色界に生れた人は、無色界が自己の身を保つ処であって、有色界を変為することは無用のことである、というわけです。器世間を変為するのは、色身を依持する、保つ為であり、又身を受用する為である。依持し受用する。身は土に於て有り、身を保つために受用する、その必要がある場合に器世間を変為する。「異地の身は受用すること能はざるが故に変ずるに用無し」というのが第三難になります。
以上三つの難を挙げて、次科段より、護法正義を述べ、変為する必要がないということは誤りであることを論破していきます。