唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

初能変 第二 所縁行相門 (8) 処 (8)

2015-01-13 22:06:03 | 初能変 第二 所縁行相門
 
 第三に之を破す。(論破する)
 (第三師の説)
 「有義は若し爾らば器の壊せんとする時には、既に現に居せる人及び當に生ずべき者なし。誰か異熟識が此の界を変為する。」(『論』第二・三十右)
第一難 
 「器将壊」というのは、此の世界が生成してから再び空になるまでの期間を四つに分けて説明しています。つまり、成劫・住劫・壊劫・空劫という期間です。まず器世間の生成です。これには二十成劫必要だといわれています。一劫は、芥子劫ですと、四十里山立方の城中に芥子の粒を満たし、天人が三年に一度、天から降りてきて一粒を取り去り、そのようにしてすべての芥子粒がなくなってしまうまでの期間を一劫いうと説明されていますから、とてつもなく長い期間ということになりますね。そしてスメール山(須弥山)が出来てくるんですね。これが成劫です。その期間が二十劫だ、と。ここで器世間が出来てくる。
 そして次に住劫。器世間が出来てから二十劫が続く。ここが安定した期間だとされています。その住劫がやがて五濁という濁りの世になり、火災と水災と風災とによあって器世間が壊れてくる。(詳細は『倶舎論』巻第十二。大正29・63aを参照のこと)器世間が壊れて誰もいなくなりますから須弥山も必要でなくなるわけです。すべてが壊れていく期間が壊劫。最後にすべてがなくなってしまうのが空劫。そうしますと、「器の壊する時には、既に現に居せる人及び生ずべき者なし」、誰もいなくなっていますし、まただれも生まれてくる者もいませんから変為する必要がなくなるではないか。そうすると、既に現居の人と、當生の者が無いわけであるから、即ち器の壊れる因がないことになるのではないか、と。これが第一難です。
 此れに対する論破は、下に正義が述べられます。
 生命の歴史については無知ですが、器世間は阿頼耶識の相分であることから考えますと、器世間が出来て生命の誕生があるということではなさそうですね。やはりここでも因果同時なのではないでしょうか。生命の誕生と器世間の誕生は同時だと思うのですが如何でしょうか。それが時代の変遷とともに命に陰りが見え、濁って、正しい見解も、正法・像法・末法・法滅という時代変遷を経て、邪見憍慢がはびこり、やがて滅亡という時期を迎えるのかもしれませんね。無常です。無常ですが、無常なる故に、何故濁世になるのかを見極める必要がありますね。そこに仏法の役割が有るんではないでしょうか。そして此の界だけと見る見方も辺見なのでしょう。他方世界も存在すると見た時には、此の界が滅亡しても、他方世界を変為することは有りえるわけです。すべてが無くなったら無に帰するという独断と辺見のニヒリズムを批判しています。