唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

『阿毘達磨倶舎論』に学ぶ。 本頌 (2)  第一章第一節

2012-08-26 22:04:12 | 『阿毘達磨倶舎論』

 第一章は、諸法仮実論(原理論)・第一節 無為法の三種及びその他(有漏・無漏・有為・無為)を説明します。

 諸法論が述べられます。『倶舎論』における諸法論は七十五法の説明です。一に五位の分類と、二に蘊・処・界の分類になります。これが第一章の構成になりますが、第一頌から第四十八頌において説明されています。序説が終わった後、第二において、有漏・無漏・有為・無為の説明がされています。第四頌から第八頌に於て述べられています。

  1.  有漏と無漏との法なり。 道を除いて余の有為は、 彼に於て漏随増す。 故に説いて有漏と名づく。
  2.  無漏は謂く道諦と及び三種の無為となり。 謂く虚空と二滅となり、 此の中に空は無礙なり。
  3.  擇滅(ちゃくめつ)は謂く離繋(りけ)なり。 繋(け)の事に随って各別なり。 畢竟じて當生(とうしょう)を礙るに、 別に非擇滅を得。
  4.  又諸の有為法は、 謂く色等の五蘊なり。 亦は世路(せろ)と言依(ごんえ)と有離(うり)と有事(うじ)等となり。
  5.  有漏を取蘊(しゅうん)と名づく、亦は説いて有諍(うじょう)と、及び苦と集(じゅう)と世間と、見処(けんじょ)と三有(さんう)等と為す。

 これが第一段の五頌です。五位七十五法が述べられます。五位とは、色法(十一)・心王(一)・心所法(四十六)・心不相応行(十四)・無為法(三)の五で、蘊・処・界とは、五蘊・十二処・十八界の分類です。これは便宜上の説明になります。

 先ず、諸法を有漏と無漏に分けます。漏は、もれるもの・流れ出すものという意味で煩悩をさします。煩悩は有情の六根から流れ出すもので、漏というのです。世親菩薩は「有」を随増の義で説明しています。「有漏法は煩悩の対象になるばかりではなく、煩悩がその上にとどまって離れず、なお増大する、とするのは説一切有部アビダルマ独特の理解である。「随増」とはその意である。」(桜部 健著 『倶舎論』p60より。

 「道」とは四諦の中の道諦をいいます、「余の有為」とは苦・集の二諦を指します。苦・集二諦が有漏であるという。有為法とは因果関係の上に存在するもの、無常変化するもので、四種の有為法は、独自の本性をもち、三世に実有であるとする(三世実有法体恒有)、そして、刹那滅である、と。三世に実有であり、刹那滅である因果関係の上に成り立つのが諸法である、と説明しています。

 無漏は滅・道二諦の外に三無為の中の虚空と非択滅とをいいます。滅諦は択滅ですから、三無為とは虚空と択滅と非択滅です。ですから頌に「虚空と二滅」と述べています。

                     (つづく)