唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

『下総たより』 第三号 『再会』  追加 Ⅱ (その3)

2012-08-05 18:19:51 | 『下総たより』 第三号 『再会』 安田理

 「凡て存在というものは存在の仕方が時間、願という時間に於て人間は実存となる。願生者、人間は人間をこえて無限になってゆく、無限になってゆくものに満足する、不満だから求めるのでない。不満でもとめるのは理想です。純粋未来は純粋未来の方が現前している。純粋未来を根にもったあらんとするところのある。それが実存というもの、あらんとするところにある願生の時間、願の時間というもの、人間がそこで人間に安んずる。それが安心、未来に理想を追うのでなくして、現在無限にあらんとするところに満足する。満足するような願をもったこと、こういうのが根元的時間、未だかってない時間、過去は宿業の時間、純粋未来の時間はそれが現在の根元、つまり純粋未来にふれて始めて現在に満足できる。願のままが成就、永遠に成就せね願がそこに成就する。それが現生、そういうところに永遠の今、純粋の未来は永遠の今にある。生産する時間、生産的時間、それは願、願という形で存在しているものが人間、願という存在の仕方をもって存在するのが人間実存、実存があるような時間、人間が人間になるような時間、人間というものはあるものでない。あるものを超えてあるものになろうとするのが、あるものに帰ろうとする。なるは帰る所以、往生というのはゆくこと、ゆくのが帰る所以、ゆかずに帰るというのが支弁、娑婆即寂光浄土、ゆかずに帰るというのが支弁でないか、娑婆即寂光浄土というのは無時間、そうかといって限定された描かれた時間でない。ゆくということは帰る所以、根元に帰るという形が未来という形をとる、純粋未来というものを現在の根底にもつ、それによって人間は人間となる。

 そういう時間から歴史をみれば仏教史観、仏教史観の他に史観をもってきてはいかん、正像末の史観というものも本願の史観にかえる契機である。理想主義的時間というのが過去現在未来、古代中世現代、正法像法末法、これは過去を基底にした時間で、未来のものに近づいてゆくのが理想主義的時間である。いつでも時間を破って時間を生産するような時間、過去的時間でも正像末の時間でもない、進化発展の時間でもないし、滅亡する時間でもない。滅亡することを転機として見出す時間。

 いつでも正法末法を通して、かえって正像末を統一するような、いつでも本願の展開、そいう原理が、あらゆる人間社会の曲折もあれば失敗も成功もあるが、堕落するのを喜ぶわけでないが恐れぬ。仏法が滅亡するということは悲しみであるがそれによって絶望せぬ。そういう本願の逆の時間がない限り人間はいつでも夢を追いかける、あきらめては又描く、それが失敗して現実に悲哀する、そいう求めて得られん、得られんけれども求めずにおられんという流転の時間、そこに終止符を打つのが正像末の時間。如何なる絶望にも立ち上がってくるのが本願の時間、永遠にあらんとする、あらんとするという時間は理想主義の時間でもないし、無時間でもない。

 仏法も時間を否定するような観念論に転落すると、今が永遠の中に消えてしまう。無限の今、永遠の今が今になってゆく、今が今から今へ、そういうところへ帰る、帰ることが出る所以、無時間では方向がない。帰るのは出る所以で往相還相の方向がある。過去から未来へではない、往還、ゆくことはかえること、根元にかえる意味もあるし、また現実にかえるのが往相、時間の根元にかえるのを法性のみやこにかえる、法性に都にかえるというのは、往相また還相という意味からもかえるのが二重の意味がある。往相というのはゆくとという形になっている、ゆくというと無時間無時間を包んで時間、無時間も時間の否定にならん。時間の否定にならんというところに時間の根元がある。そいうことは願というよりない。

 根元的時間は願、願に生きるということは、そういう無限にあらんという形で生きる。人間が自己の根元を自覚して生きる、それがあらんという時間、理想は化土、描かれるものは化土である。だから描けない未来に生きる、満足すればするほど願う、描けない未来に生きるが未来にも腰を落付けん、いつでも立上がってゆく、そういうものを根底に見出してこそ生きることに絶望せぬ。人類の社会に絶望せぬ、あらゆる史観は正像末の史観は、転換して本願史観にかえる。       (「追加 二」 完了)


『阿毘達磨倶舎論』に学ぶ。 序章 (2)

2012-08-05 17:19:26 | 『阿毘達磨倶舎論』

 阿毘達磨とは、辞書をひもとくと次のように解説がなされていました。

 「阿毘達磨(あびだつま、サンスクリット:abhidharma ???????) 音写:阿毘曇(あびどん)、毘曇(びどん)

  1. 対法と訳される。これは、原語を abhi-dharma と見て、「法(この場合、存在現象)に相対する」という意味になる。後述のように主に存在現象の分析により、それに対する執着を捨てようとしたことから名づけられた。
  2. 論と訳される。これは、原語を「教法の究明」と解釈して、こう呼ぶ。


釈迦の没後、その教説は経や律に集成されたが、次第に整理され、教説の解釈・注釈・理解などを通じていくつかの学説に発展したが、このような究明を阿毘達磨という。その特色は教説をあらゆる角度から分析的に説明することにある。

部派仏教時代には、とりわけ分析的煩雑な論書の作成が多く行われ、現在ではスリランカの南方上座部と文献がもっとも多く漢訳された説一切有部に属するものが多く伝わっている。

  • スリランカの上座部は、論蔵をもつが、それは『法集』などの7つの論書でできており、さらにこの論書の注釈書が作成された。
  • 説一切有部では、『六足論』と『発智論』の7つの論書を論蔵として、多くの注釈書が作成された。

いずれも、分析的研究がすすみ過ぎてしばしば煩雑になりすぎ、釈迦の真意から離れることもあった。 しかしながら、存在現象の分析とそれをどのように認識しているのかという研究は、後の大乗仏教の精神作用の分析にとって大きな影響を与えた。

この阿毘達磨論書の中で、現在最も著名なのが『阿毘達磨倶舎論』である。この書は、説一切有部の『発智論』とその注釈書の『大毘婆沙論』の内容を体系付けながらまとめ上げたものである。」

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阿毘達磨とは、釈尊没後の学僧達が一つの体系としてまとめあげたもので、正確的にはアビダルマ・シャーストラ(阿毘達磨論)と呼ぶべきものでありましょう。釈尊没後、その弟子たちが釈尊の生前の教説をまとめあげ、伝承されたものをアーガマ(教えの伝承)と呼んだんですね。音写して『阿含』あるいは『阿含経』という名で知られています。

 阿毘達磨とは対法と約されますが、「ダルマに対する研究」という意味のほうが解りやすいと思われます。この研究された論書が教義学文献群として成立され、その完成態が『阿毘達磨倶舎論』(アビダルマ・コーシャ)なのです(以後『倶舎論』とよびます)。そして『倶舎論』の構成については前回述べましたので参照してください。