唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 能変差別門 (28) 諸根互用・文献を引いて相違を会通

2012-08-18 23:39:46 | 心の構造について

 「論。佛地經説至無此能故 述曰。佛地論第六廣解此義 三業化合有十種。其四記等亦如彼説 決擇心行。即八萬四千法門意業化也。四記亦爾。佛地經説。身化有三。一現神通化。二現受生化。三現業果化 語化亦三。一慶慰語化。二方便語化。三辨揚語化 意化有四一決擇意化。二造作意化。三發起意化。四領受意化 此中所説決擇有情心行差別。初意化也 賢劫經第二卷説。最初修習法波羅蜜多。乃至最後分布佛體波羅蜜多。三百五十。 一一皆具六到彼岸。如是總有二千一百。對治貪・嗔・癡。及等分有情心行。八千四百。除四大種。及六無義所生過失。十轉合數八萬四千 領受化中作四記等。謂一向記・分別記・返問記・應置記。此中復有人法不同。如別抄中當廣分別 其身化中。佛地經説現業果化現根心等。然瑜伽説四事不可化。一根・二心・三心所・四業果。與彼相違癡准下第十説不化心。依二乘等説。業果等亦爾。故知在佛通能化之。又佛化之無實勝用故名不化。似化亦得。 由智境遍故有此能 問。此本頌文雖明唯識但説見分。然見依根起。相猶見生。何故本文不辨根・境。」(『述記』第五末・五十二右。大正43・417b~c)

 (「述して曰く。『仏地論』第六に広く此の義を解せり。三業の化に合して十種有り。其の四記等に亦、彼こに説くが如し。決択心行というは八万四千の法門、意業の化なり。四記も亦爾なり。

 『仏地経』に説かく、身化に三有り、一には神通を現じて化し、二には受生を現じて化す。三には業果を現じて化す。語化に亦三有り。一には慶慰(きょうい)語化、二に方便語化、三に辯揚語化なり。意化に四有り、一には決択意化、二には造作意化、三には発起意化、四には領受意化なり。

 此れが中に説く所の「決択有情心行」というは、初の意化なり。『賢劫経(けんごうきょう)』第二巻に説く、最初の修習法波羅蜜多より乃至最後の分布仏体波羅蜜に三百五十有り。一々に皆六の到彼岸(六波羅蜜)を具す。是の如く総じて二千一百有り。貪と瞋と癡と及び等分との有情の心行を対治するに八千四百あり。四大種と及び六無義とに生せざるる過失を除く。十転合して数うれば八万四千なり。」

 八万四千の法門の説明がされています。何を以て八万四千を数えるのかという問いに対して、修習法波羅蜜多から、分布仏体波羅蜜多までに三百五十の法門があり、その三百五十の法門の一つ一つに六波羅蜜を備える、合して二千百の法門となる。この二千百の法門が貪と瞋と癡と及び等分の有情の四つの心行を対治するので、掛け合わせ(2100×4)ると八千四百の法門となる。そこに四大種と六無義(有情が執着する六塵)の生じる過失を除いた十を、さらに掛け合わせる(8400×10)と八万四千の法門となると述べています。

 衆生の機根に応じて救済するために八万四千の法門が説かれることになります。これが決択意化をさしているのです。

            (つづく)