唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 能変差別門 (17) 能縁彼彼境之識

2012-08-01 22:52:21 | 心の構造について

 第二釈を述べる。依士釈による名である。(第一釈は六識の各々の名は、識の所依である根によって名づけられることを説明した。)

 (1) 六識は、所縁の境に従っても名づけられることを説明し、(2)、その疑問点について答える。(3)は結ぶ。

 「或は色識乃至法識と名く。」(『論』第五・十六左)

 (あるいは、色識から乃至法識と名づけるのである。)

 第二釈は、六識の各々の名は、識の所縁の境によっても名づけられることを説明する。所縁の境である、色・声・香・味・触・法の境を縁じることから六識が色識乃至法識と名づけられるのである、と。

 「此下六識從境得名論。或名色識乃至法識 述曰。此亦依士釋。能縁彼彼境之識故。」(『述記』第五末・四十五右。大正43・416c)

 (「述して曰く。此れは亦依士釈なり。 能く彼彼の境を縁ずる識なるが故に。」)

 「論。惑名色識等者。有義疏説亦依主釋。今解通有財釋。以能有境名色識等。即有財釋 詳曰。若汎爾言非無此義。辨論所説但依主釋。故論斷云隨境立名。順識義故。謂於六境了別名識。不言有境而名爲識。」(『演秘』第四末・三十九右。大正43・905b)

 (「論に「或名色識」等とは、有義は疏の説は亦依主釈なり。今解すらく、有財釈(うざいしゃくー六合釈の一つ)にも通ず。能く境を有するを以て色識等と名く、即ち有財釈なり。

 有財釈 -六合釈(ろくがっしゃく、或いは、りくがっしゃくと読む。)の一つ。六合釈とは、持業釈・依主釈・有財釈・相違釈・ 隣近釈・帯数釈の六つをいう。複合語を構成する初めにある語と後にある語との関係を解釈する方法の分類。有財釈は、複合語全体が形容詞の作用をなし、「持つ」「有する」の意を表すもの。

 詳らかにして曰く、若し汎爾に言うときは此の義無きに非ず。論の所説を弁ずるときは但依主釈なり。故に論に断じて、今日に随いて名を立つるは識の義に順ずるが故なり。謂く、六の境に於て了別するを識と名づくるをもってといえり。境を有するを名づけて識と為すとは言わざるをもってなり。」)

 要するに、所縁の境に随って能縁の識を色識乃至法識と名づけるのである、と。その説明は次の科段において説明されます。