所縁の境は了別する境の名であり、その所縁の境に対して了別の作用が各別であるので色識乃至法識と名づけられる。
「境に随って名を立てたるとは、識の義に順ぜるが故なり。謂く六の境の於に了別するを識と名くるをもってなり。」(『論』第五十六左)
(境に随って名を立てるのは、識の意味に順じるからである。つまり六つの境に対し了別するのを識と名づけるからである。)
「論。隨境立名至了別名識 述曰。謂了境名識。即隨境立名。順通・別名識之義故。謂於六境了別名識。釋順義也 問眼識所了色亦是法。意識所了亦有色等。何故眼識不名法識。第六意識不名色識。爲答此問故次論云。」(『述記』第五末・四十九右。大正43.417c)
(「述して曰く。謂く境を了するを識と名づく。即ち境に随って名を立てたるは通じても、別しても識と名くる義に順ずるが故に。謂く六境に於て了別するを識と名づくるは順の義を釈するなり。
問。眼識の所了の色も亦是れ法なり。意識の所了にも亦色等有り。何が故に眼識をば法識と名づけざる、第六意識を色識と名づけざるや。
答。此の問を答えるが為の故に次の論に云く。」)
- 通とは - 行別境識
- 別とは - 眼識乃至意識
問いが出されていますね。眼識の所了の色も法である、そして第六意識の所了も亦色等である。そうであるならば、眼識を法識と名づけ、法識を眼識と名づけてもいいのに、何故に眼識を法識と名づけず、また第六意識を色識と名づけられないのか、と。
この問いに対して答えられるのが次の科段になります。
前五識は各色等のみを了別し境界狭くして法識とは名づけられないのである。第六意識の法識は通じて一切の法を了別する。要するに了別する境界が寛いので、色等の識とは名づけないのである、と説明されます。