唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 能変差別門 (21) 随境得名

2012-08-08 21:13:00 | 心の構造について

 第三、まとめ

 「故に六識の名は、相濫ずる失無し。」(『論』第五・十六左)

 (故に、六識の名は、相い濫じるという過失はない。)

 「斯の理に由るが故に、六識の名を得たること互に長ずる所有り、相濫ずる失無し」と『述記』は説明しています。

 六識の名は互に特徴を示し、その長ずるところを以て互に混乱することはないのである、と。そして随境得名は未自在位のみに限るといわれています。

 「六識というものを立てるについて、識というものは所依の根と所縁の境とをもったものであるが、その点から六識は一面は根により、一面は境によるから、六識の名は根による場合と、境による場合の二つが可能である。眼識乃至意識は根により、色識乃至法識は境による。根による場合に五義を具するということを理由にあげた。根は、増上なる作用である。眼根は見ること、意根は思量することである。そういう作用が六識というものを起こすのに増上なる力をもつ。五義を具することで増上なる力をあらわす。眼識というのは眼に依る識である。「依る」という中に、総じては「依る」であるが、その依ることの中に、発・属・助・如という義がある。これらの五義ということによって増上なる機能をあらわす。そういうところから根によって名を立てる。

 その次に境によって名を立てるという。六識の名を立てるについては、随根立名と随境立名ということがあって、五義を具するのは随根立名である。五義を具することによって根の意義を明らかにする。全く六識は六根によって起こされたものであるから、六根と一つである。ところが、境によって名を立てる方は、「識の義に順ずるが故に」といわれる。そうすると実はこの方がむしろ、識の独自の意義をあらわしていると考えられる。識は了別である。了別が作用であり、識自体をあらわしている。了別作用が識作用である。境によって名を立てるのは、識の識たる所以をあらわす。識そのものの本質的な意義をあらわしている。根は識の前提である。根によって了別するというが、根はむしろ識の前提であり、識そのものは境の了別作用である。根を前提とする識そのものの識たる所以をあらわすのは、むしろ境である。了別が識法といわれるものの法相である。識の了別という意義を、境において立てられた名はあらわすわけである。」(『安田理深選集』第三巻p234~235)

 「 論。故六識名無相濫失 述曰。由斯理故六識得名互有所長。無相濫失。倶舍云。雖色等境通皆名法。但法界名法。餘不名法。雖標總稱而即別名。意能了此故名法識 問六識得名依根依境。爲唯凡有。通在三乘。」(『述記』第五末・五十右。大正43・417a)

 (「述して曰く。斯の理に由るが故に、六識の名を得たること互に長ずる所有り、相濫ずる失無し。『倶舎』(巻第一)に云く、色等の境にも通じて皆法と名づくと雖も、但法界のみを法と名づけ、余を法と名づけざることは、総称を標すと雖も而も即ち別名なりと云えり。意は能く此れを了するが故に法識と名づく。

 問。六識の名を得たることは、根に依り境に依ってなり。唯だ凡にのみ有りと為んや、通じて三乗に在りや。」)