唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

『倶舎論』における大地法の記述

2010-08-03 23:07:09 | 心の構造について

『倶舎論』に於ける大地法の記述

 「心所に且く五有り、大地法等の意なり。(1)触と欲と慧と念と作意と勝解と三摩地とは一切の心に遍ず受と想と思と。(2)信と及び不放逸と軽安と捨と慚と愧と二根と及び不害と勤とは唯善心に遍ず。(3)癡と逸と怠と不信と惛と掉とは恆に唯染なり。(4)唯不善心に遍するは無慚と及び無愧となり。(5)忿と覆と慳と嫉と悩と害と恨と諂と誑と憍と、是の如き類を名づけて小煩悩地法と為す。

 心所に五有り、とは(一)に大地法、(二)に大善地法、(三)に大煩悩地法、(四)に大不善地法、(五)に小煩悩地法をいいます。どの心王にも必ず遍く倶生するので「大」という。反対に「小」はいつも倶生するに限らないことを示しています。地は心王を指し、心所は心王を自分の拠り所として、いつも心王について起こる故に、心王を地と名づける。『倶舎論』では一度心王が起これば此の十の心所はいつも必ずついて起こるといわれています。世親はこれに解釈を施しています。いわゆる、

  • (1) 受 - 感覚で、苦楽等を感ずること。「受領納随触」(受は随触を領納す)
  • (2) 想 - 想い考えること。「想取像為体」(想とは像を取るを体と為す)
  • (3) 思 - 心を造作すること。
  • (4) 触 - 根・境・識とが三和合してそこに触を生ずる。
  • (5) 欲 - 境に於いて希求する。
  • (6) 慧 - 簡択の義。道理を択び分ける。
  • (7) 念 - 明記して忘れず。(記憶)
  • (8) 作意 - 心を警覚せしめる義。(注意作用)
  • (9) 勝解 - 境に於いて印可し、判断すること。
  • (10) 三摩地(定) -Samadhiで等持と訳す。心を一境に集めることで、定とも訳する。

 (参照文献 『倶舎論』講義 舟橋水哉著 p114~117)

 これが有部が挙げている十地法ですが、十地法が説かれているのに、何故「五」のみが遍行というのであろうか、という問いに答えているわけです。昨日のブログで「由教及理為定量故」までを述べました。その後半が次の文章になります。五遍行について個別に答えています。その一が教を引いて答え、後半が理を以って答えています。 

                           (未完)