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とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

酒田祭り

2025年05月24日 | 日記

 5月20日に400年以上の歴史を重ねてきた酒田祭り本祭りが中町店街を中心に繰り広げられた。酒田祭りのそもそもの始まりは、山王祭として市内日枝神社の大祭だった。しかし、1976年の酒田大火後、神社の祭りに市が関与できないことから「酒田祭り」と改名し酒田市全体の祭りとした。市内の小中学校も休校となり、祭りに参加できるようになった。
 酒田大火後に復興のシンボルとして縦横2メートルの赤獅子と黒獅子2対の夫婦獅子を制作した。長さは10メートルもあり、祭りのダシのシンボルとしては迫力がある。口の中に子どもを入れるとご利益があるとして、怖がる沿道の子どもたちをパクリと口に入れながら練り歩き、2対の獅子頭が出会うと祭りは最高に盛り上がった。神輿のあとに続く時代行列は酒田を作ったと言われる「徳尼公」「酒田36人衆」「花魁道中」と練り歩いた。
 酒田祭りのもう一つの見どころは「屋台まつり」と言われる程屋台出店が並ぶ。1キロほどの中町商店街に400店ほどの屋台出店が並び東北一とも言われている。そこに溢れる様な人出で賑わっていた。日和山公園にはお化け屋敷もあって子供の頃を思い出させた。人込みの賑やかさが祭りの醍醐味でもある。祭りが終わればいつもの酒田市に戻る。

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白ツツジ満開

2025年05月17日 | 日記

  酒田市の本間美術館にある国指定名勝「本間氏別邸庭園(鶴舞園)」の白ツツジが見ごろを迎え、県内外から多くの来園者が愛でにきているとの報道があった。鶴舞園は本間家4代当主・光道が造った鳥海山を借景とする名園で150本の白ツツジが植栽され美しさを競っている。
 白ツツジは初夏を知らせる花である。我が家の庭の白ツツジも満開となった。たった一本だけで寂しい気もするが、子どもの頃からキレイな花を咲かせていたような気がする。白ツツジが咲くとワラビが最盛期だと言われており、ワラビ取りに出かけた記憶もある。これから本格的な夏本番を迎える。
 白ツツジの花言葉は「初恋」だそうで青春時代に戻れるかも知れない味わい深い花である。

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高額な農業機械

2025年05月10日 | 日記

 庄内地方の田植えが一斉に始まった。連日報道されコメへの関心の高さが分かる。この原因は農水省の見通しの甘さがこの結果を招いたと言える。
 数十年前まで田植えは人手だった。大勢の早乙女を確保しなければならない。日当が高くサービスの良い農家が選ばれるのは当然の流れである。連日気の休まる日はなかった。その方たちから稲刈りも頼まなければならない。サービス合戦は高まる一方だった。代掻きは耕運機の時代、田植えする土の良し悪しも早乙女の確保に影響があった。
 そうしてる間に2条の歩行型田植え機が登場した。それは日雇い作業員確保から解放される安堵感であった。やがて4条の歩行型も出始め、効率化が進み、それから間もなく乗用田植え機が普及してきた。今では8条型が主力で、田植えはあっという間に終わってしまう。
 田植え機と合わせる様に、稲刈りにも歩行型のバインダーが導入された。それはあっと言う間にコンバインに入れ替わった。今のコンバインは多条刈りのキャビン仕様になっている。トラクターと同じようにキャビン内は冷暖房機がついている。あっと言う間に作業は終わる。高額な農機機械の効率化が農業の存亡を決める。

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コメが足りない

2025年05月03日 | 日記

 米が足りないという。自給率100%と誇ってきた主食に暗雲が垂れ込めている。わずかしかない政府備蓄米を取り崩し放出しても、米価は下がらない。専門家の分析が連日報道されて、その深刻さが日々高まっているように見える。
 農家側に立っても倍以上もの値上がりは本意ではない。ただ混乱するだけで、その後の反動に怯えている。農水省が音頭を取って、米作農家は米作の半分を減反してきた。その見通しが甘かったとしか言いようがない。米価は物価の優等生で採算度外視の値段に耐えてきた。今の米価は20年前に戻っただけとの見方もある。
 テレビ番組で「儲かる農業」で農業法人ファームが紹介されていた。一辺1キロの圃場は10ヘクタールになる。そこにドロン装置や無人トラクターを使って労働生産性を上げて輸出も視野に入れて稲作は残っていける等と語っていた。農地の集約や設備投資は補助金なのかは触れてなかったが、農家のほとんどは兼業である。足りない賃金をわずかな農業収入で補足し、切り盛りしてきた。それでも離農の委託農家が増えて、受託農家がいない現状が続いてる。
 アメリカとの関税交渉が始まっている。コメもその道具に使われている。唯一自給率100%の主食を守れるのか政府の出方を固唾をのんで見守っている。

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山形県人口100万人割れ

2025年04月26日 | 日記

 山形県は本県人口が5月にも100万人を割り込むとの見通しを示した。これは105年振りの事である。全国的な人口減少のトレンドは理解していたつもりだが、ここまで身近に暗いニュースとの実感はなかった。資料をよく読むと東京都だけが増加しているものの多少の差はあれ、全国的に人口は減っている。
 特に東北は、ワースト5に4県が入り東北の衰退が顕著である事を示している。山形県の減少率はワースト5である。急激な人口減少が想定以上に進み山形県は大きな節目を迎えた。山形県の人口はベビーブームの終わった昭和の終りごろから停滞期に入り、平成時代には自然動態、社会動態ともに減少傾向が広まった。近年は子供出生数の減少が顕著となり減少率はさらに加速傾向に見える。小中学校の再編も県内各地区で始まっている。
 「どうすれば人口は増えるのか」その答えはない。吉村知事は「歴史的に考えればひとつの通過点。危機感を持ちながらマイナス思考に陥らないことが重要だ」と述べている。
 結婚しない若者も身近に多い。魅力ある産業の集積も大きな課題である。そのための交通インフラは最重要課題だ。

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水芭蕉の群生

2025年04月19日 | 日記

 鳥海山観光山岳道路「鳥海ブルーライン」の全線開通はまだとなっている。しかし、標高250メートル付近の沢水に沿ったミズバショウの群生が、約一キロメートルにわたって続いている。知る人ぞ知るミズバショウの群生は圧巻である。今が見ごろといえる。ミズバショウはサトイモ科の多年草で、冷たい水辺に咲く野生の可憐な花である。
 鳥海ブルーラインを管理する県は、花の咲く時期に間に合うように2018年から山形県側入口の小野曽ゲートから、3合目にある駒止ゲートまでの約6キロメートルほどを2週間も早く開通させてミズバショウやその自然の営みを味わえる様に粋な計らいをしている。今年は、今月7日に部分開通している。
 遊佐観光協会によると今年は4月上旬に咲き始め、今が満開と発信している。多くのがファンが清楚な花から癒されている。

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北国の春

2025年04月12日 | 日記

 酒田市は約北緯39度に位置する北国である。日本海から吹き降ろす北風は冷たく強い。海洋性気候なので、零下の気温は稀であるが、曇天が多く暗い毎日が続く。それに耐える辛抱強さが人を育て、独自の文化を生み出しているように見える。
 その北国に春が来た。酒田のソメイヨシノの開花宣言は4月7日に出され、山形県内で一番早い宣言だった。その後、温暖な日が続き今日あたりから満開と言える雰囲気である。桜の名所日和山公園は、駐車場が満杯で交通規制が実施されていた。春を愛でる桜は北国からの解放を宣言している。
 間もなく農繁期を迎え平野は一斉に緑色に変わる。自然のサイクルの始まりである。

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酒田市「いろは蔵」オープン

2025年04月05日 | 日記

 山形県酒田市中心部に伝統ある県立酒田商業高等学校は、平成24年の高校再編で移転を余儀なくされた。広大な跡地利用は酒田市の大きな課題となっていた。検討の結果、複合型商業施設「いろは蔵パーク」として、この程一部をオープンした。
 約2万1000平方メートルの敷地に、鉄骨平屋建てのA館とB館が建設されている。先日オープンしたA館は、売り場面積で東北最大級の雑貨を扱う「無印良品」がテナントで入り、いか恋食堂、カルディコーヒー、アイウェイブランド、薬局、近くの山居倉庫から移転した観光物産館「酒田夢の蔵」には、地元の菓子や酒などが所狭しと並んでPRしていた。まだオープンされてないB館には地元スーパー「ト一屋」が4月中には入ることになっている。
 何といっても存在感があるのは、商業高校、工業高校を見守ってきた「欅」の巨木の存在である。庄内園芸で手入れされた古木はどっしりと鎮座して、この商業施設を見守ってくれるだろうと思う。環境の変化に負けない古木であって欲しい。

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庄内の「うまいもの」ずらり

2025年03月29日 | 日記

 高速道路と高速鉄道に見放された庄内は、空港は一県一空港の原則を乗り越えて、庄内空港が1991年に開港となった。当初は大阪空港、千歳空港、羽田空港の3路線だったが、現在は羽田空港のみとなり1日4便、繁忙期は5便飛んでいる。観光目的の国外チャター便が増え、国際ターミナルの増築が始まろうとしている。
 庄内空港は「おいしい庄内空港」との別称もあり、「庄内にはおいしい特産物が豊富にあるよ」と宣伝している。そんな中、庄内地域の食品会社6社が「うまいものフェアーin庄内空港」を空港内で開催、大盛況となった。文字通りうまいもの限定品である。豚肉、イカなどの特産品を使った加工品や漬物、菓子などが、所狭しと並び賑わっていた。昨年の秋には北海道フェアに成功しており、今後の弾みになりそうな勢いだ。
 庄内空港は、車で酒田市から20分、鶴岡市から20分の身近なインフラである。

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楯野川酒造の「百光」

2025年03月22日 | 日記

 「楯野川酒造」は、私の近くを走る国道345線の沿線沿いにある普通の酒造会社である。いつも見慣れた場所であり特別の感傷はなかった。だいぶ前の話だが東京に住む長男が帰省の折「楯野川」は東京で人気がある酒だ。気になるらしく酒造会社を訪問した事があり少しは気に留めていた。
 先般、私の叙勲祝賀会の反省会があった。そこでプレゼントされたのが「楯野川百光」だった。せっかくだから家の晩酌にと思い試飲をした。そしたら、今まで味わった事のない洗練された優雅な味に度肝を抜かされた。早速パソコンで調べてみた。720mlで3万円もする酒で、酒米は「山形県産雪女神100%」を使用し、精米歩合が18%、アルコール度数15%に仕上げたものと分かった。
 楯野川酒造を調べると、天保3年(1832)に上杉藩の家臣が庄内を訪れた際、水質の良さに驚き酒造りを始めたと書いてある。現在まで6代も続く蔵元である。2010年からは、製造する全ての日本酒を純米大吟醸のみとし「全量純米大吟醸の蔵元」になったと記してある。
 日本文化を代表する「日本酒の進化」は世界に広がりを見せている。

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土人形雛展

2025年03月15日 | 日記

 先日、マイナンバーカードの書き換えで酒田市平田総合支所に足を運んだ。カウンター前の広いスペースに土人形のお雛様が飾ってあった。素朴な土人形の風合いになんとなく親近感が湧いてくる。3月いっぱい市内各地で開催される「酒田雛街道」に合わせての展示だった。
 酒田の土人形は、北前船で京都から伝わった伏見人形が原型と言われているが、酒田の土人形は鵜渡川原(うどがわら)人形と言われ独自の進化を続けてきた。農家の冬仕事として、明治の中頃から土人形は作られ、近隣に広がったものである。我が家にも、ひな人形ではないが、恵比寿様や犬、大黒様や侍などの鵜渡川原土人形がある。しかし、今は土蔵に眠っている。
 子供の頃ひな祭りには、ひな壇を作って鵜渡川原人形を飾ったものだ。なぜか我が家に、お雛様の人形がなかったのが不満で面白くはなかった。いつの頃からか、ひな壇に土人形を飾る事を止めた。土人形事などすっかり忘れていたが、改めて土人形の雛飾りに触れて、素朴でキラキラしない美しさを改めて発見した。 

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わが家のクロッカス

2025年03月13日 | 日記

 わが家の庭のクロッカスが咲いた。毎年一番に春を告げるかわいい花だ。このクロッカスは植えてから39年になるが、毎年春を告げる花として、みんなが愛でている。

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「止まってくれて、ありがとう」

2025年03月08日 | 日記

 郵便物を投函するために車で郵便局に向かった。郵便物を出すにも車が必需品とは情けない事情だが、これも仕方ない生活である。その道すがら感動の場面に遭遇した。
 少し遠くに園児が集団移動する様子があったので注意はしていた。私の車はそこ通る道筋なので交差点まで進んだ。信号機が赤だったので当然車は停止した。それを確認した上で園児が道路横断をはじめた。すかさず「止まってくれてありがとうございます」全員大きな声で私に礼を言ってくれたのだ。道路は車だけのものではないことは分かっている。大きな速い「車優先」が染みついてはいないか、車を運転するものとして一考された場面だった。
 以来、注意深く観察すると信号のない横断歩道で、止まって歩行者が渡るまで停車する車を良く目にする。歩行者が頭を下げて横断する姿が相互会話に見える。道路交通法はその通りなのだがこの行為が「弱者優先の兆し」の文化に昇華し始めた様にもみえる。
 道路を横断するにも「身の安全と礼儀」を教え込まれた園児達が大人になった時の社会が頼もしく思えた。

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県外留学卒業生が「この地に残り貢献したい」

2025年03月01日 | 日記

 山形県遊佐町は鳥海山麓の南側に広がる涌水の郷で、豊かな土壌と風光明媚な町である。鳥海山に降り積もった雪や雨が数十年かけてろ過された涌水が日本海にまで湧き出ている。
 そこに、山形県立遊佐高等学校がある。日本中が人口減少に伴う少子化の波は遊佐高校も例外ではない。山形県は県立高校再編整備基本計画で、同校の様な1学年1学級の小規模高校は、2年連続して新入生が定数の半分以下の場合、原則2年後に募集停止となる。同校は2019年度の新入生が定数の半分を下回った。もう1年、半数を下回れば募集停止で廃校となる。
 遊佐町は遊佐高校存続に向け、町自然体験型留学支援制度を設け、山形県で初めての県外出身の生徒募集に踏み切った。留学生は学費と食事は負担するが3年間の生活費、帰省費用は町が支給する事とした。結果として翌年の20年には5名の留学生が入学、取り合えず廃校は免れた。
 2020年から5年間での留学生は延べ29人を受け入れてきた。一期生の留学生卒業者は5名、その中に名古屋出身の2名が卒業後東北公益文科大学に進学し「この地に残り貢献したい」と語り、県外の若者の定着が実現した。遊佐高を存続させた遊佐町の関係者は喜んでいる。

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コメの値上がり

2025年02月22日 | 日記

 コメの値上がりが連日、新聞のトップページの記事になっている。冷静に分析すると、JAからの農家手取りはやっと30年前になっただけなのに、なぜそんなに目の敵にされるのか理解に苦しむ。
 農家といっても千差万別で、優良農地もあるが山岳地帯の農地が圧倒的に多い。コメのうわべだけの価格の報道に、違和感を覚えるし、掘り下げた議論を紙面に期待したい。キャベツや白菜が高いのも天候のせいだと報道されている。しかし、それだけでは無い。農家の高齢化が急速に進んで、農業者の平均年齢が70歳を超えている。特に、手間のかかる農業、重い作物の農業に赤信号が灯っている。その現実から目を背けてはならない。農業の近未来を考えると背筋が凍る思いである。価格競争のみの農業のあり方は、食料から日本の弱体化が始まり、その時、もう元には戻れない実態に気づく。
 価格だけではなく、農業や農村の実態を理解して共存共栄の道を進めなければ、もう5年で農業は崩壊すると肌感覚で感じている。少子化対策と同じく時間との闘いでもある。

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