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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

1(ONE)

2024年10月22日 | 本の感想
1(ONE)(加納朋子 東京創元社)

玲奈は、高校時代に友人関係がうまくいかなかったことを引きずっていたが、ゼロと名付けた柴犬を飼い始めると気持ちが好転した。
玲奈は子どもの頃にはワンという名の犬を飼っていたことを思い出す。そのころは山中の別荘地の近くに住んでいて兄が拾ってきた犬だった・・・という話。

約20年ぶりに刊行された駒子シリーズ第4弾。シリーズの読者だと、玲奈の姓がわかるとタネ明かしになってしまうのだが、著者もあまりタネを隠そうとはしていない。その点もふくめてミステリ的要素はほとんどないが、3作目まで読んでいればより楽しめる内容になっている。

しかし、駒子はキャラ変していて、とても社交的な性格になっていた。大学生(短大生だったかな?)のころは親しい友だち以外とは積極的に接触しない人だったような気がしたが・・・
探偵役だった瀬尾さんがその素養を垣間見せるエピソードもいれてほしかったかな。

一度きりの大泉の話

2024年10月20日 | 本の感想
一度きりの大泉の話(萩尾望都 河出書房新社)

1970年代前半、練馬区の大泉の長屋に著者や竹宮惠子ら少女マンガに革命をもたらしたといわれる同年代の作家が集い、アイディアを交換したり、描画のアシスタントを互いに行っていたりした。著者はある事をきっかけに竹宮惠子と袂を分かつことになり、長屋での同居もやめてしまう。以来、著者は竹宮惠子の作品は一切読んでいないそう。その経緯を振り返った回想記。

この大泉の長屋に集ったのは、二人のほか、山岸凉子、木原敏江などで、著者はちょくちょく大島弓子のアシスタントもしていたそうで、信じられないほどの豪華絢爛?な顔ぶれ。
西武池袋線はトキワ荘もあって、天才は天才を呼ぶ、とでもいうのか、惹かれ合って才能にますます磨きがかかるというのか、人材の(地理的)集積というのは産業に限らず重要なんだなあ、と思わされる。それにしても電鉄会社はこの超貴重な観光資源をなんとか掘り起こしてもらいたいものだなあ。

それでも天才中の天才を一人選ぶとしたら(私としては)萩尾さんになりそう。竹宮さんはちょっと売れすぎたこともあって、あんまり天才って感じじゃなくなってしまったような印象。「変奏曲」シリーズはすりきれるほど読んだけどね。

どうも、竹宮さんが離れていったのは萩尾さんに脅威を感じていた(大泉当時、竹宮さんがすでに売れっ子だったのに対して萩尾さんはまだ駆け出し扱いだったが)かららしい。
本書の21章の小題はそのものずばり「嫉妬」なのだが、その冒頭でこんな挿話が紹介されている。
※※※
ある時、「嫉妬という感情についてよくわからないのよ」と山岸先生に話したら、「ええ、萩尾さんにはわからないと思うわ」とあっさりと言われました。
※※※
これ、山岸凉子のような大天才から「あなたこそが天才。だから嫉妬をする機会がないのよ」と言われている、ということにしか思えないのだが・・・それを衒いもなく堂々と「嫉妬」の章で書けてしまうのは、あっけらかんというのか、天然というのか・・・

「トーマの心臓」は連載1回目で打ち切られそうになった(なんてことだ!危ない危ない。その後著者が粘って最終回まで連載したとのこと)、とか「ポーの一族」の単行本がすごい勢いで売れたのは編集者も本人もとても意外だった、とかのエピソードが面白かった。

楽園のカンヴァス

2024年10月20日 | 本の感想
楽園のカンヴァス(原田マハ 新潮社)

大原美術館の監視員である早川織絵は、かつてはソルボンヌ大学で首席を取ったほど優秀なアンリ・ルソーの研究者だった。彼女はかつてチューリッヒの富豪コレクターに招かれてMOAのスタッフであるティム・ブラウンと共にルソーのものと思われる作品の鑑定を依頼された。ルソーの晩年の物語と織絵&ティムの話が交互に語られる。

画家というと、ゴーギャンやゴッホとかルソーのように生前はほとんど作品が売れなくて、貧しく失意のうちに亡くなった・・・みたいな人ばかりのような気がしないでもない。

近代以前の絵画は美術品というより工芸品で、画家も工房で修行する技術職のような位置づけだったと思われるが、近代以降は、そういうスタイルが廃れて、絵画の金銭的評価を行うマーケットが発達したことで、ある日突然、それまで見向きもされなかった作品に(市場の気まぐれで)天文学的価値がつくことが起こるようになった。

ルソーの絵は素人目には稚拙に思えるが、本書で描かれているように、ピカソはそれを非常に高く評価し影響も受けたらしい。つまり絵の評価なんて人ぞれぞれなのである。

そうした評価を作りあげていくのは、かつては画商を中心としたパトロンたちだったのだろうけど、現代では美術館(のスタッフ)がそれを担っているのだ、ということが本書で描かれていた。

織絵とティムのパートは、話を作りすぎている感じだったが、ルソーの晩年の話の部分は面白く読めた。

パイド・パイパー

2024年10月17日 | 本の感想
パイド・パイパー(ネビル・シュート 創元推理文庫)

1940年の夏、引退したイギリス人の弁護士ハワードは静養のためスイス近いフランスの田舎町にいた。ドイツ軍が攻勢を強めパリに迫り、ハワードは帰国しようとするが、知り合いの国際連盟職員夫妻に彼らの子どもをイギリスは連れ帰ってくれと頼まれ・・・という話。

訳者のあとがきによると、本書の初出は1942年というここで、当時としては、ほとんどリアルタイムの物語で、今でいうと戦火のガザに滞在していた外国人のエジプトへの脱出行みたいなものだったのだろうか。

いまから80年くらい前、人々の暮らしぶりは現在とあまり差がない。異なるのは、親切とか人情というものが生きていたことだろうか。

知り合いとはいえ他人にすぎない夫婦に、子ども(それも二人も)を海外に連れて行ってください、と頼まれたとしたら(それも戦火の中を)、現代人の頭に浮かぶのは、万一の賠償責任とか子どもはアレルギー持ってないか?とかだろうか。そして決して引き受けることはないだろう。しかし、ハワードはほとんど迷うことなく引き受けてしまうし、故国への困難を極めた旅路の途中でさらに何人かの子どもを連れ帰ることを決断する。
1940年ころには、このようなハワードの行動が不自然であるとは、多くの読者が思わなかったのである。社会に親切、他人の心配を共有しようという気分というのが、確かに存在していたのだと思う。
本書が現代においても読みつがれるのは、そんな親切心への憧れがあるのがその原因なのではないかと思った。

これまたあとがきによると、パイド・パイパーというのはハーメルンの笛吹き男のことだそうである。

冬期限定ボンボンショコラ事件

2024年10月16日 | 本の感想
冬期限定ボンボンショコラ事件(米澤穂信 創元推理文庫)

高3の小鳩君は学校帰りに堤防上の道路でひき逃げにあう。小鳩君に突き飛ばされて怪我を逃れた小佐内さんは「犯人をゆるさない」というメモを入院中の小鳩君に残して犯人探しを始める・・・という話。

春期と夏期は、日常の謎風ミステリだったのだが、秋で犯人さがし的ミステリになり、本作では謎がさらに強化され、その謎解きの伏線やロジックがかなり本格的になっていて、季節が進むごとに(あるいは著者の腕前が成熟するにつれ?)読み応えがどんどん増加する仕掛け?になっている。本格化したためか、本来のシリーズテーマであったはずの?小佐内さんのスイーツ談義部分は極小となってしまっているが・・・

それにしても、人間というよりも悪魔に近い小佐内さんに「ゆるさない」と宣言されて生き残ることができる犯人がいるはずもない。恐ろしい。

本作では、小鳩君と小佐内さんの馴れ初め?や「小市民」の由来も紹介されて、シリーズ読者をおおいに満足させてくれるのもいい。小佐内さんが、小鳩君の小市民的アイディアにある意味感心(本当は呆れていた)してしまうシーンはとても印象的だった。(実際、このベタなアイディアが小鳩君を窮地に追い込むことになるという仕掛けも心憎い)