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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

一度きりの大泉の話

2024年10月20日 | 本の感想
一度きりの大泉の話(萩尾望都 河出書房新社)

1970年代前半、練馬区の大泉の長屋に著者や竹宮惠子ら少女マンガに革命をもたらしたといわれる同年代の作家が集い、アイディアを交換したり、描画のアシスタントを互いに行っていたりした。著者はある事をきっかけに竹宮惠子と袂を分かつことになり、長屋での同居もやめてしまう。以来、著者は竹宮惠子の作品は一切読んでいないそう。その経緯を振り返った回想記。

この大泉の長屋に集ったのは、二人のほか、山岸凉子、木原敏江などで、著者はちょくちょく大島弓子のアシスタントもしていたそうで、信じられないほどの豪華絢爛?な顔ぶれ。
西武池袋線はトキワ荘もあって、天才は天才を呼ぶ、とでもいうのか、惹かれ合って才能にますます磨きがかかるというのか、人材の(地理的)集積というのは産業に限らず重要なんだなあ、と思わされる。それにしても電鉄会社はこの超貴重な観光資源をなんとか掘り起こしてもらいたいものだなあ。

それでも天才中の天才を一人選ぶとしたら(私としては)萩尾さんになりそう。竹宮さんはちょっと売れすぎたこともあって、あんまり天才って感じじゃなくなってしまったような印象。「変奏曲」シリーズはすりきれるほど読んだけどね。

どうも、竹宮さんが離れていったのは萩尾さんに脅威を感じていた(大泉当時、竹宮さんがすでに売れっ子だったのに対して萩尾さんはまだ駆け出し扱いだったが)かららしい。
本書の21章の小題はそのものずばり「嫉妬」なのだが、その冒頭でこんな挿話が紹介されている。
※※※
ある時、「嫉妬という感情についてよくわからないのよ」と山岸先生に話したら、「ええ、萩尾さんにはわからないと思うわ」とあっさりと言われました。
※※※
これ、山岸凉子のような大天才から「あなたこそが天才。だから嫉妬をする機会がないのよ」と言われている、ということにしか思えないのだが・・・それを衒いもなく堂々と「嫉妬」の章で書けてしまうのは、あっけらかんというのか、天然というのか・・・

「トーマの心臓」は連載1回目で打ち切られそうになった(なんてことだ!危ない危ない。その後著者が粘って最終回まで連載したとのこと)、とか「ポーの一族」の単行本がすごい勢いで売れたのは編集者も本人もとても意外だった、とかのエピソードが面白かった。

楽園のカンヴァス

2024年10月20日 | 本の感想
楽園のカンヴァス(原田マハ 新潮社)

大原美術館の監視員である早川織絵は、かつてはソルボンヌ大学で首席を取ったほど優秀なアンリ・ルソーの研究者だった。彼女はかつてチューリッヒの富豪コレクターに招かれてMOAのスタッフであるティム・ブラウンと共にルソーのものと思われる作品の鑑定を依頼された。ルソーの晩年の物語と織絵&ティムの話が交互に語られる。

画家というと、ゴーギャンやゴッホとかルソーのように生前はほとんど作品が売れなくて、貧しく失意のうちに亡くなった・・・みたいな人ばかりのような気がしないでもない。

近代以前の絵画は美術品というより工芸品で、画家も工房で修行する技術職のような位置づけだったと思われるが、近代以降は、そういうスタイルが廃れて、絵画の金銭的評価を行うマーケットが発達したことで、ある日突然、それまで見向きもされなかった作品に(市場の気まぐれで)天文学的価値がつくことが起こるようになった。

ルソーの絵は素人目には稚拙に思えるが、本書で描かれているように、ピカソはそれを非常に高く評価し影響も受けたらしい。つまり絵の評価なんて人ぞれぞれなのである。

そうした評価を作りあげていくのは、かつては画商を中心としたパトロンたちだったのだろうけど、現代では美術館(のスタッフ)がそれを担っているのだ、ということが本書で描かれていた。

織絵とティムのパートは、話を作りすぎている感じだったが、ルソーの晩年の話の部分は面白く読めた。