蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

藝人春秋

2017年12月18日 | 本の感想
藝人春秋(水道橋博士 文春文庫)

ちょっと前に週刊文春の著者の連載を読んだら、なかなか面白く、最近刊行された本書の続編を読む前に買って読むことにした。

著者自ら接触した芸能人(主にバラエティ系)のエピソードを紹介するエッセイ。
事実がそうだったのか、著者の盛り上げ方?がうまいのか、紹介されている人物は皆、一般人の思考・行動とはかけ離れたモンスター的な人たちばかり。

特に面白かったのは草野仁さんの話。
生まれつきの運動神経とトレーニングで鍛え上げた肉体、それらを生かした学生時代の格闘技や短距離走に絡むエピソードは、とても面白いのだが、内容自体は(失礼ながら)田舎の学生のよくある自慢話程度。それがここまで興味深いものに仕上がっているのは、穏やかな良識をそなえたエリートアナウンサーにしか見えない外見とのコントラストがすごいことと、著者の構成力が優れているためだろう。

モンスター的という意味では、芸能人とは言いかねる人の方がむしろ凄みがあって、ホリエモン、湯浅卓さん、苫米地英人さんのほら吹きぶりは一種の才能というのか、天然というのか、著者の誇張がすぎるのではないかと疑いたくなる強烈さだった。
ただ、苫米地さんは(本書でもほんのちょっと触れられている大学生時代の)ディベートの試合をしているのを少しだけ見たことがあるのだが、(ロジックも英語も)それほどではなかったし、見た目はまあ普通の人だったけどなあ。
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幸福の「資本」論

2017年12月17日 | 本の感想
幸福の「資本」論(橘玲 ダイヤモンド)

人は誰しも3つの資本(もとで)を持っている。

それは人的資本(働いて稼ぐ)、金融資本(金融資産の運用で稼ぐ)、社会資本(人間関係から稼ぐ)で、3つをバランスよく保有し稼働させることが幸福への道だというのが本書の主旨。
しかし、3つの資本ともに保有量、稼働率を高く保つ(理想のポートフォリオ)は至難だともいう。例えば、若い頃に懸命に働き、よい友達をたくさん作って、その結果金持ちになると、友達は離れてしまって社会資本が損なわれてしまう例が多いことが挙げられている。
つまり、めざしていた幸福にたどり着いたとたんに、獲得したはずの幸福は必然的に崩壊し始めて幸福を永続させることはできないのだから、幸福そのものは逃げ水のように決して実現できない幻であり、幸福を追求しているプロセスにしか、幸せはない、というのが著者の主張かと思われる。(逆に不幸(による失意)も長続きせず、人間はある均衡点まで常に戻ろうとする、ともいう)

それじゃあ、この本を買う意味ないじゃん、となってしまうので、著者は3つの資本に絡むいろいろな学説などを引用しては煙に巻こうとしている。
それが悪いというのではなく、著者の作品の魅力は結論とかノウハウが書かれた部分にあるわけではなく、そこにたどり着くまでの余談的な部分(煙に巻こうとしている部分)にこそあると思っている。そういう意味で本書も楽しく読めた。

本書の冒頭で「いまの時代の日本に生まれたということが最大の幸福である」と述べられてる。私も常々そう思っているのだが、多くの人はそうではないようだ。
豊かになった日本社会では人的資本や金融資本に対する評価が(それらから得られる便益の獲得が容易になったので)非常に低くなっているように思う。その反面として社会資本の価値が高まっていて、家族や友人との良好な関係がないと、主観的にも客観的にも、とても不幸なんだと認識されているような気がする。
しかし、社会資本は(人的資本や金融資本とは異なり)単純な努力や工夫では獲得できないので、その価値が高まっている(のに自分にはそれがない)という思い込みが日本人を不幸に感じさせているのではなかろうか。
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ブラック オア ホワイト

2017年12月16日 | 本の感想
ブラック オア ホワイト(浅田次郎 新潮文庫)

大手商社の社員だった主人子は、赴任地のホテルで不思議な夢をみる。ホテルで勧められた白い枕で寝ると楽しい夢見で、黒い枕で寝ると悪夢に襲われる。
主人公は世界各地で見た夢を広壮な自宅マンションでかつての同級生に語り始める・・・という話。

主人公が昔話を独白する形式は著者が得意とするところで、陳腐この上ないともいえる筋の話が延々と続くのに、すらすら読めて、物語の世界に抵抗なく入り込めるようにしてくれるのはウデがいいとしかいいようがない。

そうした浅田ワールドにあって、多くの作品においては、主人公や周囲の人が命を賭してなにごとかを成し遂げようとする様を描いていた(そして大団円ではお涙ちょうだいが待っていて、本書ではそういった(登場人物にとっての)クリティカルな状況が全く出現せず、グッと迫ってくるものがなくて拍子抜けした。
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忍びの国

2017年12月10日 | 本の感想
忍びの国(和田竜 新潮社)

戦国末期、織田軍が二度にわたって伊賀へ攻め込んだ伊賀天正の乱を背景に伊賀随一の忍び:無門の活躍を描く。
無門は百地三太夫に拾われて苛酷な訓練に耐えてきた。無双の能力を誇る無門だが、気まぐれに怠け癖がある。しかし、岡山からさらってきた妻:お国に贅沢な生活をせがまれてカネを稼ぐために忍び稼業に励むようになっていたが・・・という話。

司馬さんの「伊賀者」など、ある程度史料に基づいたと思われる忍法モノを読むと、忍法というのはまんざらウソばかりとは言えず、死に直結するような厳しい鍛錬で淘汰された後に残った極く少数の「忍者」は、超人的な体術や心理誘導が使えるようになっていた、そんなような気がしてくる。(もっとも重力に逆らうようなワザはどんなに訓練してもできるわけがないので、大半の忍術は相手の錯覚や特殊な道具を利用しているとだと思うが)

それにしても無門はあまりに万能過ぎ、まるっきりコミックのスーパーマンみたいな感じだし、さほど(本書での描写上)魅力的とは思えないお国に振り回されているのもリアリティ不足感を助長しているように思えた。

なので、本書の本当の主人公は無門の敵役で弓の名手の猛将:日置(へき)大膳なのかもしれない。彼はもともと(伊勢の旧領主である)北畠氏方だったのだが、わけあって織田方武将として伊賀へ攻め入ることになる。
剛直な性格、義に殉じ、弱者を攻撃することを極端に嫌い、戦さでは先頭に立って突出すう・・・などと書くと、こちらの方がステレオタイプなのでは?と思えてしまうだろうが、それは私の表現力が不足しているだけで、本書の中では割合不自然さを感じさせることなく、ほぼ全編で活躍していた。
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夏の祈りは

2017年12月03日 | 本の感想
夏の祈りは(須賀しのぶ 新潮文庫)

埼玉県の公立校;北園高校は、進学校だが野球も強い。過去最高の成績は(はるか昔の)県大会準優勝で甲子園に出たことはない。
1980年代、1990年代、2000年代、2010年代の同校野球部を、それぞれキャプテン(プレーで引っ張るタイプ。後の監督)、キャッチャー、女子マネ、キャプテン(声掛けと取り組む姿勢で引っ張るタイプ)の視点で描く。

本書の中で埼玉の高校野球界は私学4校が中心となっていて、北園高校はその厚いカベに何度もはね返される。
現実もほぼ同様で、公立校が全国レベルの大会に出場できたのは相当昔の話。ところが面白いのは(平均的成績で言えば)県勢最強と言えるU学院は滅法公立校に弱いのである。ここ数年、何度も公立校に敗れる(あるいは大苦戦する)が見られた。油断しているとか、相手の研究が不足しているとか、いろいろ言われるが、何度か公立校に負けたりしているうち、監督の選手も「公立校はイヤだなあ」なんてメンタルに陥ってしまっているように見える。(著者も当然そのことを知っていそうで、結末ではU学院をモデルにしたと思われる高校が北園に負けてしまう筋になっている)

本書は野球部のゲームそのものを描いているシーンはほとんどなく、高校野球部員のいろいろな屈託を描いていることが多い。
野球的能力はイマイチなキャプテンがリーダーシップをどう表現するべきか苦悩する第4話、第5話が特によかった。

著者の作品で読んだことがるのは「神の棘」だけだったが、これが、日本ではあまり見かけないような西欧型大型歴史ロマンだったので、全くかけ離れたジャンルっぽい高校野球モノも多く手掛けているのには少々驚いたが、こちらも最後まで一気読みの巧みさであった。
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