蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

幸福の「資本」論

2017年12月17日 | 本の感想
幸福の「資本」論(橘玲 ダイヤモンド)

人は誰しも3つの資本(もとで)を持っている。

それは人的資本(働いて稼ぐ)、金融資本(金融資産の運用で稼ぐ)、社会資本(人間関係から稼ぐ)で、3つをバランスよく保有し稼働させることが幸福への道だというのが本書の主旨。
しかし、3つの資本ともに保有量、稼働率を高く保つ(理想のポートフォリオ)は至難だともいう。例えば、若い頃に懸命に働き、よい友達をたくさん作って、その結果金持ちになると、友達は離れてしまって社会資本が損なわれてしまう例が多いことが挙げられている。
つまり、めざしていた幸福にたどり着いたとたんに、獲得したはずの幸福は必然的に崩壊し始めて幸福を永続させることはできないのだから、幸福そのものは逃げ水のように決して実現できない幻であり、幸福を追求しているプロセスにしか、幸せはない、というのが著者の主張かと思われる。(逆に不幸(による失意)も長続きせず、人間はある均衡点まで常に戻ろうとする、ともいう)

それじゃあ、この本を買う意味ないじゃん、となってしまうので、著者は3つの資本に絡むいろいろな学説などを引用しては煙に巻こうとしている。
それが悪いというのではなく、著者の作品の魅力は結論とかノウハウが書かれた部分にあるわけではなく、そこにたどり着くまでの余談的な部分(煙に巻こうとしている部分)にこそあると思っている。そういう意味で本書も楽しく読めた。

本書の冒頭で「いまの時代の日本に生まれたということが最大の幸福である」と述べられてる。私も常々そう思っているのだが、多くの人はそうではないようだ。
豊かになった日本社会では人的資本や金融資本に対する評価が(それらから得られる便益の獲得が容易になったので)非常に低くなっているように思う。その反面として社会資本の価値が高まっていて、家族や友人との良好な関係がないと、主観的にも客観的にも、とても不幸なんだと認識されているような気がする。
しかし、社会資本は(人的資本や金融資本とは異なり)単純な努力や工夫では獲得できないので、その価値が高まっている(のに自分にはそれがない)という思い込みが日本人を不幸に感じさせているのではなかろうか。
コメント
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