砂の栄冠(三田紀房 講談社)
埼玉の樫野高校(公立)の野球部はそこそこの強豪校。
軟式出身の七嶋(キャプテン)は、同野球部の個人的支援者の老人からこっそり資金援助を持ちかけられ1000万円を受け取る。
その金で臨時コーチを雇ったりして実力をつけ、ついに甲子園出場を勝ち取るが・・・という話。
高校野球の裏側(眉毛をそって(整えて)いる選手(あるいはそれを許している学校)は一流になれないとか、自分の将来を確保することしか考えていない選手・監督とか、監督の指示をガン無視する選手とか、甲子園では1日4試合を消化するために特異な進行が行われるので慣れていない学校はそれだけで不利とか)を描くことが当初のテーマだったのだが、七嶋が成長するに従って試合のシーンばかりになって普通の野球漫画に近くなっていった。
最後まで一貫していたのは、高校野球(特に甲子園で開催される大会)は日本最大規模のスポーツ興業であり、そこでは観客を味方にしたものが極めて有利である、という主張だと思う。
確かに2週間にもわたって複数のテレビ局が朝から晩まで全試合を完全中継するなんて、プロを含めた世界レベルでみても、飛びぬけた優遇ぶりだ。
そういわれてみると、何年か前に公立高校が全国優勝したことがあるが、同校が勝ち上がるにしたがって、マスコミや観客どころか審判まで同校寄りになっていったように見えたし、昨日(8/14)の東邦-光星学院の9回は観客の声援で異様な雰囲気になっていた。
普通の野球漫画として読むと、宿命のライバル(花形みたいなの)は登場しないし、試合中のあっと驚くような展開(ドカベン的なやつ)は皆無で、それはリアルさを追求したためなのだろうけど、その割に七嶋だけがスーパーマン的に成長してしまったのはちょっとどうだろうか、と思えた。何より(失礼ながら)絵が・・・。
それでも最後まで読んでしまったのは、著者の「主題を読者に伝えたい」という情熱みたいなものが感じられたからかなあ、と思った。
確か23巻だったかと思うが、付録に著者と大谷(翔)の対談が掲載されていて、この中で著者の漫画家としての矜持みたいなものが強調されていたのが印象的だった。
埼玉の樫野高校(公立)の野球部はそこそこの強豪校。
軟式出身の七嶋(キャプテン)は、同野球部の個人的支援者の老人からこっそり資金援助を持ちかけられ1000万円を受け取る。
その金で臨時コーチを雇ったりして実力をつけ、ついに甲子園出場を勝ち取るが・・・という話。
高校野球の裏側(眉毛をそって(整えて)いる選手(あるいはそれを許している学校)は一流になれないとか、自分の将来を確保することしか考えていない選手・監督とか、監督の指示をガン無視する選手とか、甲子園では1日4試合を消化するために特異な進行が行われるので慣れていない学校はそれだけで不利とか)を描くことが当初のテーマだったのだが、七嶋が成長するに従って試合のシーンばかりになって普通の野球漫画に近くなっていった。
最後まで一貫していたのは、高校野球(特に甲子園で開催される大会)は日本最大規模のスポーツ興業であり、そこでは観客を味方にしたものが極めて有利である、という主張だと思う。
確かに2週間にもわたって複数のテレビ局が朝から晩まで全試合を完全中継するなんて、プロを含めた世界レベルでみても、飛びぬけた優遇ぶりだ。
そういわれてみると、何年か前に公立高校が全国優勝したことがあるが、同校が勝ち上がるにしたがって、マスコミや観客どころか審判まで同校寄りになっていったように見えたし、昨日(8/14)の東邦-光星学院の9回は観客の声援で異様な雰囲気になっていた。
普通の野球漫画として読むと、宿命のライバル(花形みたいなの)は登場しないし、試合中のあっと驚くような展開(ドカベン的なやつ)は皆無で、それはリアルさを追求したためなのだろうけど、その割に七嶋だけがスーパーマン的に成長してしまったのはちょっとどうだろうか、と思えた。何より(失礼ながら)絵が・・・。
それでも最後まで読んでしまったのは、著者の「主題を読者に伝えたい」という情熱みたいなものが感じられたからかなあ、と思った。
確か23巻だったかと思うが、付録に著者と大谷(翔)の対談が掲載されていて、この中で著者の漫画家としての矜持みたいなものが強調されていたのが印象的だった。