2月11日の朝日新聞(アサヒコム)に「裁判長、判決で少年法改正求める」との大阪地裁堺支部の判決が報じられている。
http://www.asahi.com/national/update/0210/OSK201102100190.html
判決は犯人が19歳(犯行時17歳)の少年であったことを重視し、一方で被害者感情を斟酌して、判決で下した刑の重さについて少年法の限界があったことを、『「少年法が狭い範囲の不定期刑しか認めておらず、十分でない刑を選択せざるを得なかった。判決を機に議論が高まり、適切に改正されることが望まれる」と求めた。』と報じている。
そして判決の論旨について、朝日は『裁判官が判決の中で少年法の厳罰化を求める意見を述べるのは極めて異例で、裁判員の市民としての考えが反映されたとみられる。』とコメントし、判決後の裁判員の所見について、『補充裁判員を務めた堺市の男性(47)は「一般の人は(判決が)軽いと感じると思う。我々としては苦渋の選択で、これが少年法の見直しの契機になってほしい」。裁判員だった会社員男性(48)は「遺族が納得するかどうか分かりませんが、一生懸命考えた結果です」と語った。』と、裁判員も少年法の刑の軽さに戸惑いがあったことを報じている。
ところが一方でこの犯人は少年のうえに、広汎(こうはん)性発達障害という先天的な障碍があったことが判決でも述べられ、「障害の影響や少年の更生可能性を考えると無期懲役を選択すべきだとまではいえない」と指摘し、さらに「刑期を全うして障害を克服し、遺族のために何ができるかを考えてほしい」と希望を判示し、「広汎(こうはん)性発達障害」についてはさらりと述べられているだけであ。
そして朝日は『判決は争点だった少年の刑事責任能力について、対人関係をうまく築けないなどの傾向がある広汎(こうはん)性発達障害の影響はあったが、被害者を呼び出す際に口止めをするなど合理的に行動しており、責任能力はあったと判断。そのうえで量刑について検討した。』と判旨を報じているが、「広汎(こうはん)性発達障害」者の障碍内容とその程度は百人が百人とも違うと言われており、判旨が示すようにそれだけで「合理的に行動しており、責任能力はあった」と結論づけられるほど単純なものではなく、短兵急過ぎると言わざるを得ない。
判決文の全体が分からないので断定はできないが、裁判官と裁判員に「広汎(こうはん)性発達障害」についてどれほどの「知識と理解」があったのであろうか。今回の判決でも「障碍の影響」や「障碍を克服し」と述べているが、いかにも表面的で、この障碍の特性について掘り下げた上での判決なのか疑問である。そして障碍を認めながら、今回の判決の刑の軽重に障碍をどのように位置付け、判決を下したのか今一つ不明である。
即ち今回の刑は少年法上は軽く成らざるを得なかったことは述べているが、「広汎(こうはん)性発達障害」上は量刑をどのように判断したか分からないのである。裁判官がその道の専門家からこの障碍についてのレクチャーを受け知識があり、また裁判員の中に特別支援学校(旧養護学校)の教諭が居たならば、今回のように単に「少年法」見直しの必要性に言及して済まされる判決とはならなかったのではないかと思われてならない。
仮に職業裁判官が専門医や教育大学等で、「広汎(こうはん)性発達障害の特性」についてのレクチャーを受けたことがないとすれば、職業裁判官という象牙の塔の閉鎖社会にこもって、正当な判決を下す必要十分な条件を満たしているとは思われない。
最後に老婆心ながら『広汎(こうはん)性発達障害の特性』について述べたサイトを紹介しておきたい。
http://www.hopstepclub.jp/archives/hf-pdd.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%B1%8E%E6%80%A7%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3
「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
http://www.asahi.com/national/update/0210/OSK201102100190.html
判決は犯人が19歳(犯行時17歳)の少年であったことを重視し、一方で被害者感情を斟酌して、判決で下した刑の重さについて少年法の限界があったことを、『「少年法が狭い範囲の不定期刑しか認めておらず、十分でない刑を選択せざるを得なかった。判決を機に議論が高まり、適切に改正されることが望まれる」と求めた。』と報じている。
そして判決の論旨について、朝日は『裁判官が判決の中で少年法の厳罰化を求める意見を述べるのは極めて異例で、裁判員の市民としての考えが反映されたとみられる。』とコメントし、判決後の裁判員の所見について、『補充裁判員を務めた堺市の男性(47)は「一般の人は(判決が)軽いと感じると思う。我々としては苦渋の選択で、これが少年法の見直しの契機になってほしい」。裁判員だった会社員男性(48)は「遺族が納得するかどうか分かりませんが、一生懸命考えた結果です」と語った。』と、裁判員も少年法の刑の軽さに戸惑いがあったことを報じている。
ところが一方でこの犯人は少年のうえに、広汎(こうはん)性発達障害という先天的な障碍があったことが判決でも述べられ、「障害の影響や少年の更生可能性を考えると無期懲役を選択すべきだとまではいえない」と指摘し、さらに「刑期を全うして障害を克服し、遺族のために何ができるかを考えてほしい」と希望を判示し、「広汎(こうはん)性発達障害」についてはさらりと述べられているだけであ。
そして朝日は『判決は争点だった少年の刑事責任能力について、対人関係をうまく築けないなどの傾向がある広汎(こうはん)性発達障害の影響はあったが、被害者を呼び出す際に口止めをするなど合理的に行動しており、責任能力はあったと判断。そのうえで量刑について検討した。』と判旨を報じているが、「広汎(こうはん)性発達障害」者の障碍内容とその程度は百人が百人とも違うと言われており、判旨が示すようにそれだけで「合理的に行動しており、責任能力はあった」と結論づけられるほど単純なものではなく、短兵急過ぎると言わざるを得ない。
判決文の全体が分からないので断定はできないが、裁判官と裁判員に「広汎(こうはん)性発達障害」についてどれほどの「知識と理解」があったのであろうか。今回の判決でも「障碍の影響」や「障碍を克服し」と述べているが、いかにも表面的で、この障碍の特性について掘り下げた上での判決なのか疑問である。そして障碍を認めながら、今回の判決の刑の軽重に障碍をどのように位置付け、判決を下したのか今一つ不明である。
即ち今回の刑は少年法上は軽く成らざるを得なかったことは述べているが、「広汎(こうはん)性発達障害」上は量刑をどのように判断したか分からないのである。裁判官がその道の専門家からこの障碍についてのレクチャーを受け知識があり、また裁判員の中に特別支援学校(旧養護学校)の教諭が居たならば、今回のように単に「少年法」見直しの必要性に言及して済まされる判決とはならなかったのではないかと思われてならない。
仮に職業裁判官が専門医や教育大学等で、「広汎(こうはん)性発達障害の特性」についてのレクチャーを受けたことがないとすれば、職業裁判官という象牙の塔の閉鎖社会にこもって、正当な判決を下す必要十分な条件を満たしているとは思われない。
最後に老婆心ながら『広汎(こうはん)性発達障害の特性』について述べたサイトを紹介しておきたい。
http://www.hopstepclub.jp/archives/hf-pdd.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%B1%8E%E6%80%A7%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3
「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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