老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

目に余る安倍自民党のイメージ戦略

2019-06-12 21:59:58 | 自民党政治
このところ何がなんでも安倍首相の姿を人々の日常生活の中に入り込ませ、その潜在意識にプラスイメージを植え付けようという戦略が目立っている。

大相撲夏場所の千秋楽の日、国技館正面升席に大きな椅子を4脚据えさせて、昭恵夫人共々トランプ夫婦と並んで座り、優勝力士より目立ってみせたアベ総理。表彰式後、仕込みの「一般客」とトランプ大統領を握手させ、観客に手を振ってみせるその振る舞いは、主役は自分だといわんばかりだった。

その前後にも、TOKIOと談笑する姿(5/10)、映画「こんな夜更けにバナナかよ」の主役二人を官邸に招いて会食する姿(5/22)、吉本新喜劇の芸人の表敬訪問に相好を崩す姿(6/6)などの映像が、アベ首相本人のツイッターに次々に上がり、好感度アップに励む戦略が観てとれた。

そして、5月1日からは甘利氏をリーダーとした『「#自民党2019」プロジェクト』なるものが発足。新たに本格的なPR作戦が始まっているようだ。
https://www.jimin.jp/news/activities/139465.html

この中でまず話題になったのは、「♯自民党2019・新時代」とぃう自民党PR動画。

YouTubeに上がった当初から「侍の姿が安倍さんの姿と似てもにつかない」とか「世論誘導キャンペーンだ」などと、批判が噴出した代物だったが、ここにきて、その中の10代の若者5人とPoliticianアベが「未来を語る」60秒部分の動画が、(少なくとも)先週水曜日の夕方、土曜日の昼の、私たちが食事をしながらテレビを見ている時間帯に流された。
https://www.youtube.com/watch?v=ph_VWfjNA5c

更に、6月10日には講談社の女性誌ViViが、若い女性をターゲットに、#自民党2019 プロジェクトのコラボ企画と称して、自民党ロゴ入りTシャツプレゼントを発表した。
https://www.vivi.tv/post33579/

こうした広告宣伝費がどこから出ているか、というのも大いに問題だが(Tシャツプレゼントは公選221条の買収罪(物品の供与)に抵触するとの指摘もある)、更に、かねてから「改憲のための国民投票」の際の「広告」の打ち方に警鐘を鳴らしてきた本間龍さんは、『これは国民投票の予行演習。・・・自民党が、国民投票の際にカネでなびくメディアを選別して使い始めたということ』と指摘している。
https://twitter.com/desler/status/1138435217473933312

今のところ、政権与党のPR動画を番組に流し込むテレビ局や、自民党とのコラボ企画にためらいのない雑誌社等の姿勢に疑問や嫌悪を表明している人は少なくないし、若者グループの中には、もっとずっとセンスの良いメッセージTシャツをプレセントする企画を早々に打ち出して反撃する者がでるなど、市民の間には、やすやすと思惑どおりにはさせないぞ、という意識の高まりも生まれているように見える。

しかし、電通の肝いりで打ち出されていると思われる自民党のPR企画は、一定程度刷り込み効果を生み、少なからぬ人たちに「未来を切り開く」安倍自民党というイメージを植え付けてしまうのではないかとの危惧は拭えない。

こうした自民党のやり方を了としない市民や野党は、カネに物を言わせる露骨なイメージ作戦に対抗する、有効な手立てを早急に打ち立てる必要があるのではないだろうか。

そして何より、『#自民党2019」プロジェクト』に関わる皆さんには、寛いだ食事時間帯に唐突にアベさんの姿を流さないよう、強く求めたい・・・せっかくの食事がまずくなる!

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
笹井明子
コメント (1)

「幸福度ランキング」から日本の政治、社会を見る

2019-03-27 22:26:24 | 自民党政治
国連がまとめた「世界の幸福度ランキング-2019」が3月20日に発表され、日本の「幸福度」は世界156か国中58位、G7(主要7か国)の中で最も低いという結果でした。

「幸福度」は、『1人当たりのGDP』、『健康に生きられる年数』、『社会の自由度』、『他者への寛大さ』、『社会的支援』、『政府やビジネスにおける腐敗のなさ』、などを数値化したもので、今年度、日本は『健康に生きられる年数』がシンガポールに次いで2位、『1人当たりのGDP』が24位と比較的上位にある一方で、『政府やビジネスにおける腐敗のなさ』は39位と微妙な位置に、そして『社会的支援』は50位、『社会の自由度』は64位、『他者への寛大さ』は92位と低迷しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190321/k10011855631000.html

これ等数値が示す状況は、私たちが日々暮らしの中で実感している今の日本の政治・社会状況と齟齬はありません。

例えば、安倍政権は、「社会保障費はこの6年間で4兆円カット」「国民年金は年間4万円、厚生年金は年間14万円減額」「高齢者の医療負担費額引き上げ」「特養ホームの入所制限」など、消費税増税の根拠だったはずの『社会的支援(社会保障)』を縮小させる政策を採り続け、私たちの暮らしは年々苦しくなってきています。
http://news.livedoor.com/article/detail/16222388/

『社会の自由度』についても、大学入試や就職における女性差別、常態化する非正規雇用、政府の不誠実な答弁、嘘や改ざん、不祥事に対し堂々と批判できないメディアの状況など、自由の欠如の例は枚挙にいとまがありません。

そして、社会的支援の削減や、自由に生きられない社会が齎す息苦しさが、ヘイトクライムや、政党や特定個人に対するバッシングとして噴出し、テレビやSNSの煽りとあいまって、『他者への非寛容』が社会を覆い人々の心を蝕んでいるように見えます。

今はそれでも国民の忍耐強さによって何とか治安も維持されていますが、最近のアポ電強盗や多発するレイプ事件、子供への虐待、職の無い成人した子供による親殺しなど、社会の歪み、荒みを感じさせるニュースが後を絶ちません。事態の深刻化、治安の悪化が懸念されます。

27日午後、2019年度予算が参院本会議で自民、公明などの賛成多数で可決、成立。一般会計総額は7年連続で過去最大を更新し、今年度は100兆円を超えたといいます。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%EF%BC%91%EF%BC%99年度予算が成立%EF%BC%9D初の%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%90兆円超%EF%BC%8D与野党、選挙態勢に/ar-BBVhcWa?li=AA570j&ocid=spartandhp#page=2

予算増大の主な要因は、10月の消費税増税に伴う景気対策としての、キャッシュレス決済向けポイント還元やプレミアム付き商品券などに計2兆280億円、防衛費は「イージス・アショア」の配備などを盛り込み過去最大の計5兆2574億円。かろうじて社会保障費といえるのは幼児教育・保育の無償化ということですが、「国民の幸福度」への視点とは程遠い、何ともピントのずれた施策だと、今さらながら失望を深めずにはいられません。

折しも、間もなく統一地方選が行われ、夏には参議院選が続きます。私たちは、このチャンスを無にすることなく、政治の本来の使命はその国に暮らす人々の幸せを保証することだという大原則を明確にし、生活者に真に寄り添う政党や政治家を、大きく強く育て、国民の相互不信や、多様な国の人々への排他性を党利党略に利用するような政治に、きっぱりと別れを告げたいと思います。

「護憲+コラム」より
笹井明子
コメント (3)

慢心だらけの総理、安倍晋三

2018-10-29 16:58:54 | 自民党政治
昔から「企業の目的は利潤追求」「企業の質は、トップの質」といわれます。その利潤追求が権力追求に変わると、企業経営は暴走を始めます。ヨイショ社員がヒラメ幹部になり、ワンマン社長を長生きさせる経営組織。上司に、経営陣にモノを言えない企業体質。ジャンボ機墜落事故を引き起こした日本航空しかり、フクシマをいまだに垂れ流す東京電力しかり、昨今の検査データごまかし企業しかり。地面師に63億円をダマシとられた積水ハウスの経営体質は、どうなのでしょうか。

それでも、顧客・消費者を相手にする企業は不祥事を起こすと製品が売れなくなり株価は下がり、存続の危機に瀕すると“質の悪い”トップは交代を余儀なくされます。

ところが、“日本”という国家組織は違います!神輿に乗るだけで役割も責任も果たさず記者会見で悪態をつき、見ている国民をナメきっている副総理・麻生太郎。県知事選で沖縄の民意を足蹴にする謀略をめぐらせ、返り討ちにあってなお開き直る官房長官・菅義偉。果ては国際社会の笑い者、差別主義者で厚顔無恥な国会議員・杉田水脈。そして、昨今の各省庁が起こした無責任・不祥事の数々。

厚労省は障碍者雇用について企業へ罰則を伴う厳しい指導を行うのに、8割以上の省庁で雇用水増しが行われていました。しかし、その悪質性を調べた第三者委員会が「故意ではなかった」と言い放つ始末。

文科省ではモリカケ問題の疑惑が解明されていないのに、他人事のように息子の裏口入学を画策し、贈収賄事件に発展させた文科省前局長。その文科省は来春、中学校でも道徳教育を義務化すると胸を張ります。

防衛省では「独立国家の戦備増強」とばかり、年次防衛計画など形骸化したように刹那的な防衛費を膨張させる一方で「日米安保がないと国防が危うい」などと涼しい顔で言います。年次分割購入OKの防衛予算で、高額な兵器も買いたい放題。だから、米国のいいなり価格で性能も定まらない「イージスアショア」なる武器は数千億円で導入契約後、一兆円以上に値上っても気にしません。その高性能アンテナが放つ強力な電磁波が周辺住民・生活に及ぼす悪影響には知らん顔です。

そして、沖縄で危険かつルール無視の常態化したオスプレイが首都圏・横田基地で夜間運用をスタート。「エンジンのオーバーヒート」という致命的な欠点をひた隠し、オスプレイが基地以外で不時着・墜落することを、政府は「考えられない」「想定外」と言い続けるのでしょう。だって、自衛隊もオスプレイを買っちゃったんだから。

こんな傲慢で無責任なことが続いても、当事者たちは心の中でつぶやきます。「だって、“トップ”の3バカ政治家が都合のいいことだけ言ってるし、責任とってないし、罰せられないし。オレたちも、やったモン勝ちだよ!」

第4次安倍内閣の所信表明で日本の首相たる安倍晋三は、こう言い放ちました。
 「長さゆえの慢心はないか。そうした国民の懸念にもしっかりと向き合ってまいります」
 「身を引き締めて政権運営に当たります」
反省なし、無責任、二枚舌、厚顔無恥、私利私欲、オトモダチ政治、有言不実行。それでも顧客も売上も心配ない、安倍政権は国民の意思を無視して税金を使い放題できるから。

こんな国家・日本は、あり得ません!トランプ氏の代わりに言ってやりましょう。

安倍晋三、You’re fired!!!(お前はクビだ!!!)

「護憲+コラム」より
猫家五六助
コメント (3)

思想の違いを超えて

2018-08-29 10:23:03 | 自民党政治
総裁選が安倍の出馬表明(今頃とは姑息だ。それも「西郷どん」の鹿児島で)でいよいよ本格化する中で、実は自民党総裁選が日本社会の現在における「縮図」でもあることが明白になっている。

安倍首相と石破氏は思想的にも憲法改正論でほとんど変わらないタカ派である。いわば「同志」なのである。

しかし、共通点は多いが決定的に異なるのは、石破氏は人格的には尊敬に値する「政治家」であるということだ。

彼は森友・加計問題が終息することを憂いている。安倍首相の悪徳ぶりに我慢がならず、ほとんど「ただ一人」、官邸主導(ファシズム化する自民党)に反旗をひるがえしている。

そして、決定的な違いは、総裁選で候補同士の対話を望んでいるということだ。「公正さ」や「正直さ」を言っているのに党内で攻撃されている。自民党自体が腐食を強め、まっとうな議論でさえ抑え込む卑劣が支配しているのである。

その対話をひたすら拒否する安倍晋三。この人はもう自民党という政治集団でさえ全体主義と体制翼賛化(戦前の思考であり、軍部の進出時代と同じだという坂野先生の指摘もある)を完成させるファシスト以外の何ものでもない。一部のマスコミはそれに賛同し、石破氏さえ排除の対象にしているのである。

犯罪的な指導者(安倍の森友・加計事件は何ら「国政ではない」ことを肝に銘ずるべきだ)を再び総裁にしたい自民党には、「党内民主主義」さえもなくなっている。

これは残念ながら日本全体の政治傾向(特に一部の女性に根強い政治的な無関心;実際このことを年配女性から私自身が何度も指摘された経験もある)なのである。

自民党総裁選は日本の「縮図」でもあるのだ。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
コメント (1)

「真の保守主義」と「似非保守主義」(自民党の精神的・理論的堕落の産物)

2018-08-24 16:57:45 | 自民党政治
自民党総裁選のありようを見ていると、もはや自民党は民主主義国家の政党ではない、と断言せざるを得ない。

民主主義のイロハのイだが、異なる意見の持ち主が、侃々諤々の議論をし、それを聞いている人間が投票し、多数の支持を得たほうが勝利する。多くの人が、投票をする参考にするのだから、異なる意見の候補者が【議論】を戦わすのは、当然。その議論を避けたり、嫌がる人間は、そもそも立候補する資格がない。

ところが、今回の総裁選。安倍晋三は議論をしたくないそうだ。その為、正式の立候補をぎりぎりまでせず、時間切れで議論を最小限に抑えるのが選挙戦術だそうだ。そして、その後も東方経済フォーラムに出席するそうだ。外交を口実にした論戦回避。誰がどう考えても、議論をして、ボロを出すのが怖いとしか思えない。

自民党各派閥は、よくもまあ、こんなお粗末な候補を推薦したり、支持できるものだ。おまけに安倍晋三は、地元山口で「現職総裁に挑戦するのは、現職を否定する事だ」などと語り、総裁選挙に立候補する事自体を否定して見せた。「俺に逆らう奴は許さない」と言うわけだ。

森友問題・加計問題、財務省の公文書改竄問題、昭恵夫人の関与問題、文科省の汚職問題、北朝鮮問題で完全に蚊帳の外に置かれた外交の大失敗、米国との間の貿易摩擦問題、日銀の買い支えで株高と円安誘導を行い、実態より経済を良く見せる「粉飾経済」を行うアベノミクスの大失敗(日銀出口戦略はどうなるのか)、その後に襲うかもしれない経済の大失速。格差の拡大、働き方改革に名を借りた「働かせ方改革」による過労死の増加やブラック企業の増加問題。さらに、年金は減額の一途。医療費や税金、生活費は増加の一途。全国の老人は泣いている。

こんな国内外の政治状況、経済状況、社会状況の総括(議論以外にない)もせずに、自民党各派閥が、安倍首相の三選をもろ手を挙げて支持するなどという事態は、過去の自民党ではあり得なかった。

この自民党の惨状は、彼らが拠って立つ【保守主義】の歴史的・理論的理解ができていないのが原因である。少なくとも保守主義の旗を掲げるなら、現在の日本で進行している事態が【真の保守主義】と相いれないばかりか、相反するものだ、くらいの見識は持たなくてはならない。

安倍晋三は、「保守とはこの国に自信を持ち、今までの日本が紡いできた長い歴史をその時代に生きてきた人たちの視点で見直そうとする姿勢です」と国会で述べている。

この言葉に対して、政治学者中島岳志が、8月22日付け毎日新聞の「特集ワイド」で厳しく批判している。

彼は保守主義の祖とされる英国のエドモンド・バークの主張を引用して安倍を批判する。

「バークはフランス革命の指導者たちの人間観がおかしいと考えました。つまり、旧来の秩序を破壊して自分たちの設計図通りに社会を作ってゆけば必ずうまくいくという人間観です。しかし、歴史上、わたしたちは不完全であり、どんなに頭の良い人でも間違いを犯す。不完全な人間が理想社会を作ろうと無理をすれば、考え方の違う人間を徹底的に排除する暴力が生じる。案の定、フランス革命は粛清が長期間にわたって行われた」
↓ 
中島は、この指摘に続いて以下のように語る。

「本来の保守は、懐疑的な人間観を持っています。それは他者だけではなく、自分も間違えているかもしれないという人間観です。だから、自分とは異なる意見を聞き、合意形成を試み、着地点を見出していくことが重要なのです」※中島氏は、【迷い】が重要であると指摘している。

この視点から見ると、現在の安倍政権の力づくの国会運営や、党内議論や国会議論を軽視(嫌悪)し、合意軽形成を無視する政権運営のやり口は、「真の保守主義」とは相いれないと厳しく批判する。

「このような政権運営は、合意よりも自分の主義主張を押し付ける権力の使い方です。北朝鮮や中国共産党の指導者とよく似た権力の使い方です。保守にとって最も避けなければならない人間観が根底にあります。」

数を背景に少数者を排除する過激な民主主義は、必ずフランス革命のような専制政治を生み出す可能性が高い、と批判する。ナチスドイツの権力掌握も同様である。

中島氏によれば、上記のバークが代表する「真の保守思想」は、「立憲主義」にならざるを得ないという。

「権力を縛る国民とは、その大半が選挙で民意を示す生者ではなく、死者たちを意味します。つまり、過去の為政者たちが犯した失敗や、それに基づく経験知を集め、時の為政者がやってはいけないルールを示したのが憲法」

「多数決に代表される絶対民主制を重視し、合意形成や人間の英知を大切にする保守の理想や立憲的な歯止めを軽視してきた戦後日本の【あだ花】」だと安倍政権を批判している。

バークの言う保守主義とは、おおまかにいえば、下記のような考え方である。

1.人間の理性には限界があるため、是非善悪を全く客観的に判断することはできない。
2.不完全である以上、理性のみに基づいて既存の社会を改革することは、予期せぬ結果をももたらし得るため、危険である。
3.一方で、今の社会、習慣、価値観などは、先人たちが繰り返した試行錯誤の末に生まれてきたものであり、不完全で非合理的であったとしても、間違いが少ないがゆえに生き残ってきたものである。
4.ゆえに、完全な理性を望めない人間は、伝統という「偏見」のなかで生きていかざるを得ないし、それにのっとった生き方の方が正しい。

この考え方は大変良く理解できるし、納得できる。教師のような職業をしていると、「自分の指導が間違っているかもしれない」という怖れは日常的なものである。そう考えて、常に自分の指導を見直さなければ、教師などと言う職業はできない。そうでなければ、「人を指導する事」などできるはずがない。

ここには、以前指摘した、【公】【公共】【私】の基本的考え方が示されている。この思想の基本は、人間に対する【懐疑主義】にある。

◎人間は不完全な生き物(人間の理性に対する懐疑)⇒◎不完全な人間が理想を掲げ、それを絶対視して物事を行えば、悲劇が生まれる⇒◎一人一人が、不完全な人間なのだから、必ず間違うという認識が必要⇒◎その間違いを修正し、さらにそれを修正する。人間の営みは、永遠の「試行錯誤」の連続。⇒◎その中で社会に生き残っているものは、間違いが少なく、社会的に認知されたものだから、大切にしなければならない⇒◎だから、人間は、「歴史」や「伝統」を大切にしなければならない

つまり、【公共】=人々の営みが集積した「伝統」と考えれば良い。【公】はその基盤に立っているのである。つまり、【公共】=人々の営みが集積した【伝統】を無視して、【公】は存在しないのである。

ところが、安倍政権や日本会議や竹中平蔵のような取り巻き連中の口癖は、【改革】【改革】である。「改革」の名のもとに、上記の人間の営みの基本である【試行錯誤】の末に生き残ってきた「伝統」を破壊してしまう。これはどう見ても、「真の保守主義」ではなく、「似非保守主義」と言わざるを得ない。

もう一つどうしても指摘しておかねばならないのは、【構造改革】という言葉である。

日本では、【構造改革】と言う言葉は、まるで水戸黄門の印籠のような扱いを受けているが、これほど危うい話はない。よくよく考えなければならないのは、【構造】とは何かの議論が全くなく、貿易問題の改革程度の議論を全て【構造改革】に落とし込んでいるのが現状。

【構造】を論じるなら、日本と言う国家や社会の基本的ありように対する俯瞰的で全体的な議論が必要であり、その改革をいうなら、その構造の歴史的・時間的な位置をきちんと決めて何をどう改革するかを考えなければならない。つまり、ゼネラル的思考法が絶対に必要であり、それがない【構造改革】ほど危険なものはない。

ところが、日本で「構造改革」を叫ぶ連中の大半は、スペシャリスト(専門家)であり、ゼネラリストではない。そんな片肺的視点で行われる【構造改革】など、結局しなければ良かったという結果に終わるのがせいぜいである。

しかも、前の投稿で【日本の支配層の腐敗】を論じたが、彼らの大半は、【構造改革】論者のくせに、腐敗を行う心情は、江戸や明治と変わらない。しかも、わが身可愛さのため、権力者に忖度するのが当然だと考えているへなちょこ野郎が大半。つまり、彼らの人間の【構造改革】こそが、焦眉の急であると言う事には気づかない。こんな連中が叫ぶ【構造改革】など危ういものである。

だから、「真の保守主義」者は、常に60%の成功をねらって新しい試みを行う。しかし、竹中平蔵などは、常に100%の成功を語る。彼が「似非保守主義者」たる所以である。

自民党はこのような「似非保守主義」者たちに権力を保持させようとしている。わたしから言わせれば、彼らは、「似非保守主義者」などという穏健主義ではなく、日本や日本人が営々と築き上げてきた知的遺産(種子法改正)や社会的財産(水道)などを平気で売り渡す「急進的破壊者」であり、文字通りの「売国奴」である。

自民党が【保守主義】者などという幻想は、捨てるべきである。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
コメント (1)

森友問題の幕引きを許さないー民主主義国家存続のために

2018-06-11 13:55:16 | 自民党政治
森友問題において、総理(とその妻)による政治の私物化を許し、浅薄な言動を庇い立てするために、財務省が組織を挙げて嘘をつき、隠蔽し、改ざんをし続けてきたという異常な事実が明るみに出て、彼ら「公務員」が「一部(権力者)の奉仕者」の役割に奔走し、膨大な時間と労力を費やしてきたことが明らかになりました。

また、佐川理財局長(当時)らに対する私たち(*)の「背任容疑」「証拠隠滅容疑」の告発に対し、5月31日、大阪地検は「文書の効用を失ったとは認められない」「故意に国に損害を与えたとは認められない」などとして不起訴処分を下し、不正をただす司法の入り口までもが、不偏不党の立場を捨てて、「一部の奉仕者」の立場を選択するという事態が起きています。
(*森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会)

戦後、日本が近代国家、民主主義国家の一員として再生するために、新たな社会の仕組みが作られ、憲法に明記されました。そして、憲法は、その仕組みを支える公務員を、第15条の中で「全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と規定しています。

それにも拘わらず、今のように、法治国家、民主主義国家の前提を公務員が自ら否定して、愚かなくせに優れたリーダーぶる総理大臣にひれ伏し、率先して国民に虚像を示す作業を続けるようでは、今後日本は戦前の姿に後戻りし、民主主義を前提とする国際社会から孤立しかねません。

今回私たちは、現状を正すために、検察審査会に審査申立書を提出し6月6日に受理されました。こうして、検察審査会が良識の最後の砦として、公平・公正な審査をすることを期待していますが、一方で、財務省をはじめ、各省庁の職員一人ひとりも、官邸にひれ伏す今の姿勢について、求められる存在の原点に照らし、このままで良いのか、深く顧みて欲しいと思います。

昨日東京では「安倍政権退陣を求める6・10行動」が行われ、雨の中、12時からの「財務省前納税者一揆」では250人が集会とデモに参加し、2時からの「国会前大行動」では2万7千人の市民が集まりました。「大人しい日本人」と不思議がられる私たちですが、安倍政治への怒りは治まりようもなく、真っ当な政治実現への市民の意思が衰えることはあり得ません。

あきらめることは負けること。負けるわけにはいかない、民主主義をあきらめるわけにはいきません。法治国家のルールに則ったあらゆる手段を尽くして、一刻も早く民主主義を取り戻し、民主主義国家の存続を護る覚悟です。

「護憲+コラム」より
笹井明子
コメント

自民党は三権分立も理解できていないのか?

2018-05-23 09:50:40 | 自民党政治
国会が国政調査権で愛媛県に対して提出要求して、出てきた新文書に関し、
 A.県は公文書に「H27.2.25に安倍と加計が会った」と言い
 B.安倍は「同日に加計と会った事実はない」と明言し
 C.二階自民党幹事長は「自民党は自党総理の意見を信頼し支持するのは当たり前のこと」として国会でのAの証人喚問を拒否
としていることに驚きを禁じ得ない。

AとBは真向対立しており、CはBの言うことに何の疑問もなくBを信じるという構図である。

これでは国会は何のために多くの議員を国民が雇っているのか?最大与党といえども行政をチェックするのが議会の存在理由ではないのか?少なくとも政府とは離れた立場で行政の是非を検証するのが議会の存在根拠ではないのか?

安倍独裁も酷いが、ハナから政権与党として政府をチェックしないのでは国会の存在理由はないと考える。 

Cのような発言を公に堂々と述べ、いけしゃあしゃあと放送しているNHKに、日本という国の酷さを痛感する。せめて、国会はA、Bの白黒をつける議論をすべきではないか?

今朝(5/22)の某ラジオ放送(アベよいしょの民放コメンテータ)では「よしんば新文書の内容が事実であったとしても、安倍が<初めて加計学園獣医学部が今治市の国家戦略特区に申請していた>ことを知ったのがH28.1.20と矛盾するものではなく。問題にはならない」としていたが、詭弁でしょう。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
tetsujinn
コメント (1)

歴史の闇に埋められていく人と記憶と真実

2018-05-01 09:18:06 | 自民党政治
「永遠に失われるもの」

火葬場で焼けているのは老兵の屍だけではない
老兵の脳髄に刻まれていた
生々しい軍隊と戦場の記憶が
一枚のペーパーのように
青白い炎をあげて燃えているのだ。

八十代、九十代の高齢になるまで
秘かに抱いてきたのに
もはや誰にも伝えることがない
人それぞれの多彩で慚愧に堪えない軍隊と戦場の想いが
音もなく燃えているのだ。

井上俊夫氏の「燃えるペーパー」という詩の一部。
『詩と思想』5月号より

かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也) という書評ブログで紹介されていた。
https://blog.goo.ne.jp/hj_ondr/e/b2ee5f076d6939531f2a0cb3900c17f8

井上俊夫氏は、 初めて人を殺す―老日本兵の戦争論 (岩波現代文庫) などの戦争体験記を書かれており、戦争体験のない多くの日本人にとって貴重な本だと思う。

ポツダム宣言受諾の前後、多くの公文書が焼却された。歴史家保阪正康は以下のように書く。

・・・日本政府及びにその行政機構、軍事機構は、ポツダム宣言を受け入れると決定したあと、すぐに国家機密に関わる資料や文書の焼却を決めている。昭和20年8月14日の夜から15日の朝にかけて、東京永田町の中央官庁からは機密文書を焼却する煙が絶えなかったという。また外地に広がる軍事機構でも焼却を急いだ。そのため以後の昭和史研究は文書や資料で裏付けられた史実よりも、関係者の記憶や証言に頼る事が多くならざるを得なかった。それでもわずかに残された記憶文書と関係者の証言によって、大まかな「事実」は判明して来ている。・・・
 (保阪正康『検証・昭和史の焦点』p182)

何故焼却したか。理由は明白。ポツダム宣言の「十」にある「戦争犯罪者の追及、処罰」である。

「十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」

この追及から逃れ、証拠をなくすために、公文書を焼却したのである。井上俊夫氏の想像力、感性の欠片でもあれば、過去をないものにする公文書焼却などという悪行は到底できえない。

「老兵の脳髄に刻まれていた/生々しい軍隊と戦場の記憶が/一枚のペーパーのように/青白い炎をのあげて燃えているのだ。」

戦場の記憶は平和な日常の記憶とは全く違う。日常とかけ離れた記憶だからこそ、脳裏の奥深く刻み込まれていく。ベトナム戦争以降の帰還米兵のPTSD発症者の多さがその事を物語っている。イラク戦争に派遣された自衛隊の自殺者が50数名になると言われているが、戦場の過酷さがいかに人間の精神を蝕んでいくかを示している。

どのように悲惨な記憶であっても、どのように貴重な記憶であっても、人は死ぬ、その事によって、記憶全てが、失われる。老兵の脳裏に刻まれた戦場の悲惨な記憶は失われていく。この避けようのない冷厳な事実が、「正確な記録を書いた文書」が如何に重要なものであるかを証明している。

わたしたちは、死んだ人から話は聞けないが、死んだ人が残した文書は読むことができる。人間が他の動物と決定的に違うところは、「言葉」と「文字」を持つところである。文字による記録があるからこそ、人間は進歩した。過去の膨大な人類の歩みを蓄積でき、文書により知ることができ、追体験が可能になった。

ネアンデルタール人と現代の人間の違いは、現代の人間は過去の人類の歴史の集積を学び、咀嚼し、現代に生かしている点にある。それは決して特殊なエリートだけのものではない。様々な科学技術や文化などの発展により、その時代に生きる人間一人一人の身体や脳髄などに沁みついている。

その意味で、歴史は一人一人の人間の身体と脳裏に刻み込まれた「財産」なのだ。歴史というものは、人間の本質的営みそのものだと言っても過言ではない。

この観点から言うと、安倍政権下で行われている公文書改竄、公文書を作成しない、都合の悪い公文書は破棄するなどというありようは、人類の歴史の営みに対する挑戦である。人間の本質的営みに対する【冒涜】である。それ自体が、反人間的思想の表明である。

これが歴史修正主義者たちの歴史への向き合い方である。何千何万の井上俊夫氏のような記憶や思いを歴史の闇に埋め去って恬として恥じない。そして、そのような権力者が21世紀でも、連綿として存在している。その事自体が恥ずべき事である。

安倍首相の言う「美しい日本」とは、全ての犯罪や汚職などを覆い隠し、全てを無いものにする精神を指す。どんなに醜く、腐臭に満ちていても、【美しい】と言えば、それは「美しい」のだ、という 詐術を指す。

わたしたちは、21世紀になっても、こんな首相しか持てないことを恥じなければならない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント (2)

国家主義者の発想(安倍流政治の毒)

2018-03-21 17:17:52 | 自民党政治
文科省の前次官、前川喜平氏が行った名古屋市立中学での講演内容や実態について、文科省が問題視、市教育委員会に何度もメールを送っていた。この背後に、自民党文科部会会長の赤池誠章参院議員(比例)と部会長代理の池田佳隆衆院議員(比例東海)の2人の露骨な関与があった。自民党文科部会のトップ2人が、教育現場に露骨な“政治介入”した事になる。

この2人には、戦後教育の出発点がどこにあったか、という知識もなければ、戦前教育の反省点がどこにあったかという歴史的な問題意識もないのだろう。だから、平気で教育現場に対する“政治介入”ができる。2人は典型的な安倍チルドレンで典型的な「国家主義的思想」の持主らしい。

カーリング女子と裁量労働制法案」でも触れたが、欧州(特にオランダ)の民主主義的思想は、公(国家)・公共(PUBLIC)・私 とをきちんと分けて考える。間違っても、私≒国家などという思考は取らない。ところが、日本の民主的思考は、公(国家)・私はあるが、「公共」という考え方が弱い。特に西欧流の「PUBLIC」という思考が希薄である。

戦後民主主義は、昭和20年代は「PUBLIC」思想を構築するために、公立学校で積極的に子供たちの「自治活動」が奨励された。わたしたちの年代では、「生徒自治会」が盛んにおこなわれ、積極的に子供たちが参加した。

ここでのキーワードは「自治」。子供たち自身が「話し合い」、自分たちの手で自分たちの学校生活の秩序やルールを作り上げていく過程で、「西欧流PUBLIC」≒「日本流公共」を学び、自分たちの血肉と化していくことで、戦前の戦争を主導した「国家主義的思考」を克服するという願いが込められていた。(※ オランダ流民主主義の原点である洪水の防ぎをどうするかという話し合いのやり方の追体験)

ところが、戦後復興が進み、日本が経済大国に成長するにつれ、国内では戦前の深刻な戦争体験が風化。政治的に、自民党一党支配が固定化するにつれ、教育現場では「自治会」という言葉が消えていった。代わって使われたのが、「生徒会」。教育現場から、「自治」という言葉がじょじょに消え失せていった。

この傾向はじょじょに地域共同体にも浸透し、「各部落の自治体」だったものが、「部落会」という名称に代わっていった。それにつれ、「地方自治体」の力が減殺され、国の力が大きくなった。中央政府から補助金をもらい、何とか地方の行政をやりくりするいわゆる「補助金行政」が当たり前になった。戦前型、否戦前より強力な「中央集権国家」の成立である。

安倍政治は、戦後強力になった「中央集権型民主国家」を、「中央集権型独裁国家」に変貌させるのが目的である。

冒頭に述べた自民党代議士の教育現場への介入は、この文脈で行われている事を忘れてはならない。

「愛国無罪」という言葉がある。例えば、誰が見ても非道で、反国民的で、自らの利益のためなら平気で国益を売り渡す売国的政治家を暗殺したとする。暗殺者の動機は、国を愛するがゆえに、このような政治家を許せないと思った点にある。

近代的法治国家なら、たとえ動機が正しくても、暗殺者の行為は「殺人」である。「殺人罪」で起訴され、裁かれる。これが常識。ところが、法的には殺人でも、動機が「愛国心」に満ち溢れているのだから、暗殺者の行為は罪を減ぜられるべきである、という議論がある。

実はこの思考は意外に感覚的賛同者が多い。右派的思考に絡めたとられた人間にもこの傾向が強いと思う。

今回、教育現場に“政治介入”した自民党議員2人も同じだと思える。彼らの動機が何かは、議論があるようだが、彼らは平気で戦後教育のタブーを破った。自分は愛国者で、前川前文科事務次官は、自分たちに逆らう反逆者。少々のことをしても問題ない、と考えたに相違ない。

この思考法を見れば、彼らの脳裏に「PUBLIC≒公共」という視点が全くないことが良くわかる。彼らの脳裏にあるのは、「国家=自民党=私」と「前原前次官=国家に対する反逆者」という図式しかない。だから、平然と教育現場への“政治介入”ができる。

もし、彼らの頭に「PUBLIC≒公共」(皆で考え、話し合い、みなで決めた事柄を尊重し、政治はそれを法制化するのが仕事)という思考があれば、国が教育現場を支配し、国の思い通りに国民を扇動したことがあれだけ悲惨な戦争を招いたのだから、決して国が“教育現場”へ介入し、教育を一元的に支配するようなことをしてはならない、という戦後教育の出発点の真の意味を分かったはずである。

財務省の公文書改竄事件(森友問題)も根は同じ。財務官僚たちが、「PUBLIC≒公共」の視点を忘れているからである。

たとえ、総理大臣の妻が背後にいたとしても、国有財産を適正な価格で売買するというのは、「PUBLIC≒公共」の利益である。官僚はこの「公共の利益」に従わなければならない。「官僚は国民全体の奉仕者」というのは、そういう意味である。

わたしたちは、今こそ「PUBLIC≒公共」の意味と重要性を考え見直さなければならない。「公=公共」では決してないことを、安倍政権の暴政が可視化された今だからこそ、国民一人一人が考え直す好機である。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
コメント (1)

孤独の闘士 野中広務死す

2018-01-29 14:22:17 | 自民党政治
わたしが評価する自民党政治家が三人いた。田中角栄。小沢一郎。野中広務である。

小沢と野中は同じ経世会(田中派)に属していたが、政治的には相いれなかった。どちらも信念の人であり、決して安易な妥協はしなかった。しかし、お互いに相手の事はよく理解しており、尊敬もしていた。

小沢の追悼の言葉がその事を物語っている。

「私が政治改革を志して、その道を進み始めた時から、考え方や政治的な立場は異なったが、その政治的手腕と力量にはほかの追随を許さないものがあり、同じ政治家として、いつも感服していた。ご自身の体験と経験に裏打ちされた深い哲学と思想を持たれ、常にそれに基づいて果断に行動されてきた信念の政治家であり、存在そのものに大きく重い説得力があったように思う」

【存在そのものに大きく重い説得力があった】。野中広務という政治家を言いえて妙である。

野中広務という政治家を考えるとき、彼の出自の問題と戦争体験の問題を外して評価できない。

自分自身でも語っているように、野中広務は被差別部落の出身者だったが、部落解放同盟などの解放運動には批判的だった。解放運動参加者がともすれば陥りやすい「物取り運動」に批判的だったのである。野中の自らに対する誇りがそのような立場を取らせたのであろう。

だからと言って彼が差別問題や人権問題に鈍感なわけではなかった。それどころか、差別や人権問題に人一倍敏感だった。だからこそ、「物取り的発想」に傾斜することを嫌ったのであろう。

野中広務は、戦争中は自他ともに認める「愛国者」だった。戦後、敗戦に絶望した野中は、坂本竜馬の像の前で自殺を考えたそうである。上司に「死ぬことより、戦後日本の復興に尽力しろ」と諭されて、彼の戦後は始まったのである。

戦後、野中広務は京都府会議員や京都府の副知事を経て、自民党から衆議院議員に七回連続で当選。竹下派の一員として徐々に存在感を高め、竹下派分裂の際は、小沢一郎と鋭く対立。いわゆる【反小沢】の急先鋒として頭角を現した。

平成5年の細川内閣成立で野党に転落した自民党の中心として、細川内閣打倒に全力を尽くした。その結果、自民党・社会党・さきがけの三党連立による村山内閣成立の中心的役割を果たした。村山内閣では自治大臣・国家公安委員長として初入閣し、地下鉄サリン事件をはじめ、オウム真理教による一連の事件解明の陣頭指揮にあたった。

特に平成七年に起きた神戸大震災での対応の遅れを批判され苦境に陥った村山内閣だが、自治大臣だった野中広務を責任者に任命、彼の献身的で的確な仕事が村山内閣を救った。

野中広務の死去に際し、神戸新聞が掲載した記事が野中の人となりをよく伝えている。

・・・阪神・淡路大震災当時に自治相(現総務相)だった野中広務氏は、その後も被災地に寄り添った。自民党幹事長代理時代には、被災者生活再建支援法の成立に尽力。「事実上の個人補償」として猛反発する省庁を粘り強く説き伏せた。1998年発足の小渕内閣では官房長官として阪神・淡路の復興を担当した。
 同支援法を巡り野中氏と面会したこともある元兵庫県理事の和久克明さん(78)は「(法成立を求める)国民の声に真剣に向き合う、立派な政治家だった。自分の足で何度も被災地を歩いたからこそ、理解もあったのだと思う」と振り返った。
 「毎年1月17日には周囲に知らせずに1人で(神戸市中央区の)東遊園地と、人と防災未来センターに慰霊に訪れていた」。自治省職員として野中氏の下で働いたことがある井戸敏三兵庫県知事はそう明かし、「今年はお見えにならなかったようなので覚悟はしていたが…」と別れを惜しんだ。
・・・・・神戸新聞 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201801/0010932411.shtml

野中は平成十年に成立した小渕内閣では、官房長官を務め、内閣を支えた。内閣を支えるために「悪魔とでも手を組む」と語り、対立関係にあった小沢一郎の自由党や公明党とも連立を図った。

その後、森内閣時には、自民党幹事長としてその辣腕をふるい、加藤紘一の起こしたいわゆる「加藤の乱」では、あっという間に反乱を鎮圧し、その強面ぶりが際立った。

しかし、小渕内閣当時から沖縄問題に携わった野中は、沖縄に対して大変な情熱で尽くしてきた。

野中の死去に際して琉球新報が書いた追悼の記事が野中の沖縄に対する姿勢を物語っている。

・・・野中広務氏は1998年7月、小渕内閣の官房長官(沖縄問題担当)に就任して以来、沖縄に積極的に関わり、沖縄振興策や基地政策で主導的役割を果たした。99年1月の自民、自由両党の連立政権発足に伴う内閣改造では沖縄開発庁長官を兼任。99年10月に離任した後も、自民党の幹事長代理、幹事長、沖縄振興委員長などの立場で絶えず沖縄に関わり続けた。
 2001年に名桜大で講演した際には、沖縄戦で犠牲になった京都府関係者の慰霊碑「京都の塔」が建立されている宜野湾市の普天間飛行場近くの「嘉数の丘」に自らの遺骨の一部を埋めるよう遺言に記していることを明らかにしている。
・・・琉球新報 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-654231.html

その後、小泉内閣の新自由主義的政策に真っ向から反対し、政界を引退してもそれなりの影響力を持ち続けた人生だった。

一言でいうと、野中広務は信念の人だった。何よりも平和を愛し、弱者に寄り添う姿勢を崩さなかった。しかし、彼は自民党の政治家であり、権謀術数の只中で生きる宿命を背負っていた。自らの信念を単純に実現できる立場でも環境でもなかった。

彼のまた裂き的政治手法が象徴的に示されたのが、「加藤の乱」だった。野中は加藤紘一を誰よりも高く評価しており、将来の自民党を託す最高の人材だと認識していた。だから、彼の決起を最後まで思いとどまらせようとしていた。

しかし、加藤は止まらなかった。当時の野中広務は、自民党幹事長。党の規律を守るためには鎮圧以外に方法がなかった。鎮圧と決めたら野中広務は躊躇がなかった。あっという間に鎮圧し、加藤紘一の政治家人生はそこで断たれた。加藤などの多くの政治的怨恨を一身に浴びても自らの役割を見事に果たした。

わたしは、野中広務の覚悟が好きだった。思想信条の違いを超えて、見事な仕事師だったと思う。

小沢一郎との確執は、小沢の成育歴と野中の成育歴の違いと年齢による世代間格差の問題だと思う。本当の戦争を体験した世代は強い。小沢一郎は、鼻の差で本当の戦争を知らない。その意味で、小沢一郎は野中が恐ろしかったと思う。

野中広務のような「存在の持つ重さ」を感じさせる政治家が鬼籍に入るのを見るのは辛い。心から冥福を祈りたいと思う。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント (1)