老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

シンポジウム「検察と報道のあり方」(2/26)

2010-02-28 17:16:01 | イベント情報
2月26日文京区民センターで 開かれた、月刊「創」という雑誌社主催の「検察と報道のあり方」というシンポジウムに参加しました。時間の関係で最後まではいられなかったのですが、後ほどユーチューブで当日の模様が配信されるそうです。

http://opinion.infoseek.co.jp/article/766

当日は開催時間になる前から入り口には長蛇の列、皆予約された方達だというのでインターネットの裾野の広さと人々の関心の高さを感じました。

パネリストは、三井環、鈴木宗男、安田好弘、上杉隆、元木昌彦、青木理の各氏で司会は篠田博之氏。

三井氏の「検察は裏金問題が表沙汰になろうとしていた時、当時の政権与党に働きかけて検察組織を守った。その時から検察は弱みを握られ、内閣に借りをつくった。これを私は、けもの道と言っている」という言葉は衝撃的でした。

また上杉氏の「世界のジャーナリスト達は権力の不正を暴こうとして時には命を落とす時もある、こんな毎日同じ事件報道ばかり乗せて、記者クラブ出入り禁止を恐れる日本のメディアは何なんだ」という言葉には会場から大きな拍手が起きていました。

安田好弘氏によれば「検事と弁護人は対等ではない。検事が家宅捜索などで押収した物は、弁護人や被告は閲覧することすら出来ない。押収物の全面可視化を訴えても証拠隠滅の恐れがあるという理由で裁判官は取り上げない」そうで、この理由からも取り調べの全面可視化は早急に望まれる所ではあります。

青木氏は「リークそのものを良くないというのは市民社会のインフラである情報が行き渡らないから私は賛成出来ない。リークがなくても報道が検察側の目線に立ち、報道してしまうことがある。大手の新聞テレビなどのメディアが検察批判をしない方が問題」と冷静な意見を述べていました。

鈴木宗男氏の「検察は手足を持っていない。自分達の思うような風を吹かせるためにリーク情報を流し、世論をつくる。今の日本で最高権力者は検察だ。これに対抗するには私1人ではどうにもならない。やはり多くの国民の声が必要だ」と言う言葉は、逮捕された人の持つリアルなものを感じました。

こうしてみると今回の「検察と報道の有り様」を「小沢対検察の権力闘争」という面にのみ目を奪われては見誤ると思いました。私達国民がこれを対岸の火事のように思っていたら、それはやがて自らの首を絞める事になるでしょう。

なにより私が恐いと思ったのは、シンポジウムの中で上杉氏の発言にもあったように、石川智弘氏の女性秘書を検察が取り調べた時の過程や人権問題にまでつながることを、大手の新聞、テレビが1行も1秒たりとも報道してはいない、ということです。

まだまだ現在の日本では、テレビ、新聞を主な情報源としている人も多いのです。その時の権力者が検察の弱みを握ったら、検察はとうてい権力の側にいる人間を逮捕したり、取り調べたりは出来ないでしょう。そして街には検察と一体になったメディアが流す情報が溢れかえり、検察や権力者にとって都合の悪い人間や事態は葬り去られるかも知れません。自分は検察から取り調べを受ける事なんかしていないから関係ない、などと思っていたら本当に恐ろしい事態を招いてしまいます。

「検察刷新会議」を開くこと、取り調べの全面可視化を早急に実現する事も大切ですが、要は私達一人一人が今回の「検察と報道のあり方」について考え、決して忘れずに、何か事件や世間を騒がす報道が起きて、皆が同じ方向へ行こうとするとき、大きな組織の情報だけを鵜呑みにしないで、自らの頭で考える事も必要なのです。

そして今、私達が手に入れたインターネットというツールが、どのような働きをして、私達に何をもたらすか、まだまだ未知数な部分はありますが、それを賢く活用することも欠かせません。

私は最後までいなかったので直接聞いたわけではないのですが、上杉氏が当日述べていたという「最初に記者会見場をオープンにしなかった鳩山内閣が今の事態を招き、自らの首を絞めることになる」という言葉が印象に残りました。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
パンドラ
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海兵隊は日本には不要

2010-02-26 13:13:15 | 民主党政権
2月22日の日経ネットは、北沢俊美防衛相が21日、福岡県大野城市内で開いた会合で、『「沖縄における海兵隊のプレゼンスというのは極めて重要だ」と述べ、海兵隊が駐留する普天間基地の県内移設が望ましいとの考えをにじませた』と報じている。

http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=ATFS2100T%2021022010&g=P3&d=20100221

しかしその一方で、先日の名護市長選の民意に続き、24日の沖縄県議会で、これまで普天間の米軍海兵隊の辺野古移設を支持していたと言われる自民党県議団も、県外海外移転の意見書を全会一致で可決したと報じられている。

http://www.asahi.com/politics/update/0224/SEB201002240033.html

いよいよ鳩山内閣の選択肢は狭められた。県内は勿論、国内案では5月末までに自治体住民と首長を説得をすることは時間的に難しい。

これを機に、内閣は政府民主党のアジア外交指針を米国に示し、国民へは外交指針に基づく外交努力と自衛隊の戦力と日本に米軍基地が142カ所も存在することを知らせ、それで日本の防衛を担っていけることを伝えるべきである。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~sitahaku/infowave/humanrights/basemap.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A

そして海外で有事が発生した時に制圧に出かける任務を負う米軍海兵隊は、憲法9条の主旨(専守防衛)からも日本には不要と伝え、海兵隊は米国にお引き取り願うことが、今後の日米安保体制の新たな出発点のはずである。その際お引き取り願う海兵隊をどこに再配置するかは日本が関与する問題ではなく、あたふたと普天間の代替基地を探し回る必要はない。

今なお政治資金問題のくすぶる中、仮に鳩山内閣がガソリン暫定税率廃止の反故に続き、昨年の衆議員選挙で沖縄県民に公約してきた県外国外移転も反故にした場合、果たして国民の信頼が得られるのか。

メディアや野党自民党は民主党の度重なる公約違反を手ぐすね引いて待っている。そこを突かれれば夏の参議員選挙では地滑り的大敗も覚悟しておくべきである。そうなれば他の与党にとっては鳩山首相と小沢幹事長の退陣が連立政権の条件になってくることは必定であろう。

「護憲+BBS」「新政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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長崎県知事選の敗北を福となせ

2010-02-25 10:05:25 | 選挙
2月21日の選挙で選出された新長崎県知事の当選風景をテレビで見たが、意外にも笑顔が少なかった。ニュースの写真も当選祝いの花束を抱えながら無表情である。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10015753041000.html

早くも政府民主党のプレッシャーを感じてのことではなかろうか。当選のインタビューでも自分は無所属で当選したと述べていたので、政府民主党は民主党支持の候補が当選していた場合と同じく新知事にその政策をどんどん迫るべきである。要は自民党の政策ではなく政府民主党の政策を、新知事に実行して貰えば良いのである。

それには先ず政府が自民党時代の控訴を取り下げ、諫早湾の水門開放を意思決定して、知事にも同調を求めることからであろう。アサヒコムによれば、赤松農水相も23日に諌早湾開門に付いて早速言及しているようだ。

http://www.asahi.com/politics/update/0223/TKY201002230364.html

このように自公の支援を受けた無所属の新知事を政府民主党は取り込み、非自公の民主党政策をどんどん押し込み、連立政権の善政を敷いて、長崎県民の眼を覚まし、自公政権との違いを見せてやれば良い。出来ることは参議員選挙までに実施することだ。

ところで知事選の敗北原因を「政治と金」と民主党内でぼやいている議員が居るが、それは木を見て森を観ずである。選挙には敗れたが、県政の本番はこれからであり、長崎県政を自民党が仕切るか、民主党が仕切るのか、ここが選挙の本番勝負である。野党時代と違い民主党は政権与党であり、知事を取り込めば長崎県で民主党政治の「実」は十分採れる。それが政権与党の強みである。

小沢幹事長は選挙に負けて「名」を捨てることがあっても、「実」が採れるように、既に地方の陳情は幹事長室に一本化している。民主党政策を長崎県政に広く普及して、来年の統一地方選挙で県議会を逆転すること視野にいれているのではなかろうか。

選挙の勝敗のみに囚われ、政治の真の勝敗は何かを見ようとしないメディアは、今後の長崎県政が自民寄りか民主党寄りになるか良く見ておくべきである。

「護憲+BBS」「新政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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対話:「憲法リフォームの提言」について

2010-02-24 20:02:04 | 憲法
先の「憲法」に関するご意見、いちいちおっしゃるとおりなのですが、まだ「リフォーム」の時期ではないと私は思います。

現憲法が不完全であることは認めるにやぶさかではないのですが、現在変えるとして、どこがやるのですか?現政権でしょうか?

現首相の鳩山は改憲論者ですが、百山さんのご意見とは全く違います。今ははっきり言いませんが、小沢は国連に従うと言っていました。今の社民党にはその力はありません。

今改憲をいう人たちは、百山さんの「リフォーム」とは全く違う方向に持っていこうとする人たちだと思います。ですから今憲法をいじるということは、わたしたちの望むのとは全く違う変更になってしまうと思います。

「護憲+BBS」「 あらまほしの交差点」より
松林
====

ご意見有難うございます。「愚直に護憲」、なにかヒロイズム的雰囲気すら漂わせてこのように申される方は、<現憲法を護ろう>の旗の下に集う方々の多数派であるやも知れません。しかし、護るべきは一条一句ではないこと。皇大基に発した過誤の全払拭と国民主権の国に再生するの贖罪をこめた現憲法の理念、これこそが護り継ぐべきの全てである。
 
これが揺るいでいる何よりの証しが「国民投票法の成立・施行」でありましょう。日本が、日の丸を翻す自衛隊を海外に派遣し、それが、国際社会における責務の一端を担うことであるとしたことは、(これまた、「自虐的」と嘲笑されることになるのかも知れませんが)日本国は戦争の放棄を謳った憲法を持つというのに、その実態はこんな三百代言国家であったということを広く知らしめることになりはすれ、決して敬意を持って迎えられるようなことではないと思っています。
 
その国が、憲法改正の国民投票実施に不可欠な法整備、「国民投票法」の施行段階を迎えたということは、これまでの歩に照らしつつ見ればその志向する先は自明と受け取るのが客観的とするものでしょう。

物事の大義と言うものは、問はず語らずの日常の中に染み込み滲み出てそれぞれに共通する「地」となり、継承されていくもの。さあるべきは国の「憲法」も然り。しかし、この国におけるそれはいかなるレベルに置かれているのでしょう。

亀が甲羅の中に引っ込んで危難が過ぎるのを待つがごとき「護憲」は、甲羅から二度と頭を出すことなく化石となるのみ。

人類究極の願いを成文化した類まれなる憲法ではあるが、不備も一杯。「押し付け」の御旗に擦り寄って、「押し付けの不完全さ」を洗い直すためにも、よりよき憲法とそれが具現された社会をこの目で見たい。人全て、もう一代を繰り返すの夢は叶わぬことなれば、萌えいずる芽の青みぐらいは確かめての終焉といたしたいと念じおります。

「護憲+BBS」「あらまほしの交差点」より
百山
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映画『ディア・ドクター』(西川美和監督)

2010-02-23 21:18:25 | 暮らし
映画『ディア・ドクター』を観た。何とも不思議な感動の残る映画である。

物語は僻地の山村、診療所医師の失踪から始まる。この医師、伊能治実はニセ医者。全てを投げ捨て無責任にも失踪してしまうのだが、それを追う刑事の「伊能が戻ってきたら、村人はどうするのかな?案外袋叩きに合うのは俺たちなんじゃないか?」という自問自答も含めて、しかしこの村の住民達と伊能の心の内は、単純なお涙頂戴のお医者さんごっこではない。

そもそも、何故伊能がニセ医師になったのかがよく分からない。香川照之演じる薬品会社社員の斎門が言うように「私達は医師に薬を売りつけてなんぼという仕事をしていますが、そんな私でも医療だの、検査だのが日常の中にある生活をしていると、ごくたまーにですけど、人の命をこの手に握っている、と思える瞬間があるんですよ。伊能はそれを日々体験する内に抜け出せなくなったんじゃ…」という言葉が伊能の心情を語っているような気もする。伊能自身は斎門と同じ元は薬品会社の一社員だった。父は医師であったが本人は医師になれなかったというのも影響しているのだろうか。

笑福亭鶴瓶演じる伊能は本当に自然に村人達にとけ込んでいる。顔は笑っても目だけは笑っていない鶴瓶の演技がこれ以上ないほど伊能というニセ医者の可笑しさ、得体の知れなさ、そこはかとない哀しみのようなものを感じさせる。

伊能に関わる人々、三年半診療所で一緒に仕事をしていたベテラン看護士、余貴美子演じる大岳朱美はどうやら伊能の正体に気付いていたように見える。2ヶ月間一緒に診療所で仕事をしていた研修医の、瑛太演じる相馬啓介は、共に働いていたときは伊能の仕事ぶりと村での生活に共感し、研修が明けたらこの村で働きたい(最初はそんなつもりではなかった)ともらしたのに、一旦ニセ医者と分かると冷めた目で、刑事達に伊能の医者としては不自然に思えた所を告げる。

そして八千草薫演じる、ガン患者の老婦人鳥飼かづ子。伊能に自分がガンであることを東京の病院で働いている娘(医師)には告げてくれるなと頼むのに、一旦伊能がニセ医者だと分かると「はい、あの人は私に何もしてくれませんでした」ときっぱりと言い放つ。

ふと、この村の人々も何処か伊能がニセ医者である事に気付いていたのではないかと私には思えた。しかしそれは、伊能が相馬に向かって言った「この村の人々は足りないということを受け入れて生きている」という言葉に象徴されているような気がする。それにしても笹野高史演じる村長の「はいはい、皆私の責任です、私がちゃんと調べなかったし、監督しなかったのがいけないんです」という言葉の、ちっとも悪いと思っていないあの感じは可笑しさを誘う。

そして不可思議な人の気持ち。伊能がいなくなった村は無医村になるが、朱美も、相馬も、かづ子も、村人達も、刑事の前では冷たい言葉を吐きながら、伊能が戻って来たらまた何事もなかったように以前と同じ生活を送りそうな気もする。人の心の揺らぎとゆれ、それが不思議な不完全燃焼感と共に心に残る。

この映画は、人の言葉より風景、小物達が雄弁に物語っている。村のだれもいない診療所、医師のいない診察室、壊れた看板。運の良い偶然から、神のような医師に祭り上げられてしまった伊能の戸惑いと苦悩を、机の上でのたうち回る虫の動きに見る。母が、悪い病気かも知れないという不安に支配されそうになる娘の気持ちと、キッチンの流しに投げ出され溶けていくアイスクリーム。死にそうな舅を長年介護してきた嫁の、膝の上でエプロンをぎゅっと掴んで握られた両手。

淡々とした風景と村の暮らしの中で本当は異物であったニセ医者。しかし異物が異物らしくなく自然に治まってしまう面白さ。だから最後の展開もかづ子の微笑みと共に、あるわけないよと思いつつ、あるかも知れないと感じてしまう。

この映画は泣ける映画ではない、仰天するような結末もない。しかし、しみじみ観て良かった思える映画ではある。

「護憲+BBS」「 明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽」より
パンドラ
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メディアに負けた長崎知事選(2)

2010-02-22 20:19:44 | 民主党政権
鳩山首相は今朝のぶら下がり記者会見で、長崎知事選での民主党候補の敗北は「政治と金の問題が影響した」と述べたと報じられている。一応真摯な受け止めであろう。しかし最大の敗北原因はマニフェスト公約違反ではないだろうか。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100222ATFS2200322022010.html

反省すべきは、メディアに政治資金問題で十字砲火を浴びせられ、長崎県民にも政治資金規正法違反が極悪とイメージづけられた上、「国民生活第一」の政策面でそれをうち破れず、完全にメディアの世論操作とパッシングにやられたことである。

具体的にはガソリン税を廃止すると公約しながら、小沢幹事長と鳩山首相が内閣と党の公開協議の場で、世論調査を信用して、小沢氏は国民の要望としてガソリン税率廃止にはこだわらないと発言し、政府もそれを受け入れ、ガソリン税廃止を実質反故にした問題がある。ところが世論調査どおりガソリン税廃止を撤回したにもかかわらず、今回の選挙で長崎県民は世論調査と反対の行動をとり、民主党候補は破れた。結果的に民主党はメディアの世論調査にまんまと騙され載せられたということになる。

仮に公約通りガソリン税を廃止し今回の長崎知事選を闘っていれば勝敗は分からなかったであろう。子供手当などと違ってガソリン税廃止は決めた翌日からガソリンスタンドでその即効性を国民は実感できる。それを「ガソリン税廃止反対」というメディアの調査結果を信じて公約を反故にしたところを、政治資金問題でパッシングを浴びせられたのだから、選挙に負けるのは「当たり前田のクラッカー」と藤田まことでなくとも言いたくなる。

即ち長崎県民は、国民生活第一(ガソリン値下げ)の政治を実感できずに梯子をはずされた思いとメディアのマニフェスト違反と政治資金のパッシンングに染められたと言えるであろう。

国民にとって「国民生活第一」と「政治資金規正法問題」は体感シーソーゲームと化しているのであり、今回の長崎知事選ではガソリン税の廃止が実行されずに「政治資金規正法問題」の方の体感重力が勝ったと言うことである。今回の選挙から民主党が学ぶべきは一にも二にも「国民生活第一」のマニフェスト実行と選挙公約を愚直に実行することである。

次は「普天間基地問題と消費税値上げ問題」と「政治資金規正法問題」のシーソーゲームである。平野官房長官と菅財務大臣の言動を見ると、ガソリン税廃止問題と同様にメディアに翻弄されているように見えてならない。マニフェストと選挙公約にある「海兵隊の県外国外への移転」と「無駄を完全に排除するまでは4年間は消費税を上げないこと」を反故にすれば、次の参議員選挙も長崎知事選の二の舞となろう。メディアの世論調査に騙されるず公約の実行あるのみである。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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メディアのパッシングに負けた長崎知事選

2010-02-22 15:18:39 | 選挙
民主党は負けて兜の緒をしめよ。これからはマニフェストや選挙で公約してきたことを、参議院選挙まで愚直に実行して、国民の信頼回復に努めることが急務である。徳川家康が三方ヶ原の敗戦のときに描かせた「しかみ像」を参考に捲土重来を期せ。

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=18704

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「核不拡散」議論をしっかりと

2010-02-21 19:49:55 | 民主党政権
岡田外相が、オーストラリアのスミス外相と会談し、両国が核兵器の廃絶・核拡散の防止について連携して推進する、との共同宣言を発表したとのことである。

核兵器の最初で最後の被害国となるべき日本が、核兵器の不拡散条約提案主体国の一員にもならず、成立に当たって、核開発・利用の権利留保の視点を前面に置く談話で臨んだことに忸怩たる思いを抱いてきた一人として、言いっ放しで終らないことをの注文をつけつつも、やっとここまで言えるようになったかと素直に喜びたい。

普天間基地問題で「ベターでなくベストを」の首相の腹の内は依然として霧の中ではあるが、普通であれば着地点は県外がベター、国外がベストということであろう。

沖縄に限らず、米軍基地問題は、米国(軍?)の世界戦略なるもの抜きには論じられぬ。これに踏み込もうとすれば、そこには「軍事上の機密」なる壁に突き当たる。この「軍事上の機密」なるもの、純然たる「戦争ごっこ」の枠内では決して収まらない「背景」を包含していることを糊塗する、重宝な言葉だ。これは、軍備なるものに固執する国々に共通して存する「暗部」といってよい。この世界では、公金支出に付きまとう「費用対効果」の検証は、そもそもそういった観点になじまないか、あったとしも無いに等しかろう。

そういう現実を乗り越えて、鳩山首相はアメリカに対して「世界戦略」なるものについての腹蔵ない話し合いを、なしうるだろうか。このレベルの内容は、担当大臣レベルでの話し合いになじまぬ。ましてや、現防衛大臣のグァム基地視察時のテレビ映像を見たその瞬間、???に包まれた。
 
上空からヘリで基地の全容を俯瞰するのであろう。ヘルメットに風防メガネ、嬉々としているような表情。しかし、彼は「文民」である。スーツ姿で搭乗することを厭う必要は皆無である。物見遊山ではないのだ。またとない(?)経験にまるで有頂天の様子。
 
このような人物(小人!)では、全権を受任したとしても、世界の軍事バランスに関する大事の議論はできまい。(乗務員には服装等の規定はあろうが、要員以外に及ぶものではない。ブッシュ前大統領がイラクを電撃訪問した際も、スーツ姿でヘリから降り立った。私事ながら、小生の視察搭乗時も、スーツで否やはなかった。)

核不拡散の裾野に広がる軍備。これをしっかり視野に入れての「世界の中の日本」でありたいと、心から思う。

「護憲+BBS]「 あらまほしの交差点」より
百山
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「サロン・ド・朔」2月例会のお知らせ

2010-02-21 11:37:27 | イベント情報
2月26日(金)午後6時30分から「サロン・ド・朔」(*)2010年2月例会を開催します。

今回は「護憲+」メンバーの鈴木建三さんが「反軍少年の戦中・戦後~戦争体験と護憲~」のテーマでお話します。

政権交代とその後のドタバタ劇で忘れられている感がありますが、今年5月18日には「日本国憲法改正のための国民投票法」が施行されます。先の戦争から65年余りがたち、戦争体験が風化されようとしている今、戦中・戦後の体験と護憲にかける思いにじっくり耳を傾け、「戦争があったから、今の憲法がある」という現憲法の原点を共有、再確認したいと思います。どうぞ奮ってご参加ください。

興味のある方、参加ご希望の方は、「護憲+HP」上にあるメールにてご連絡ください。折り返し会場、ブログラム、参加費、その他詳細をご連絡します。

====
*「サロン・ド・朔」とは、「護憲+」メンバーを主軸に「SNSリアル版」のような形で運営するフリーな集まり(@東京)で、毎月テーマを決めてそれに相応しい講師をお招きし、勉強会・親睦会を行っています。

昨年以降に取り上げたテーマは以下のとおりです。
2009年
 2月: 「政局分析」
 3月: 「高齢者住宅の現状と課題」
 4月: 「食と農を自分自身のこととして考える」
 5月: 「ウィンター・ソルジャー(冬の兵士・良心の告発)」上映会
 6月: 「裁判員制度はいらない!これからが本番だ!」
 7月: 「ドイツから見た日本のKAMIKAZE特攻隊」
 8月: 「日本はアジアの友人になれるか」
 9月: 「政権交代の意味」
10月: 「元軍国少年、こんな国に住みたかった」
11月: 「鳩山民主党政権の成果と課題」
2010年
 1月: 「ベーシックインカムについて」
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「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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「憲法」リフォームの提言

2010-02-20 13:48:36 | 憲法
日本国憲法が世に出る契機は、大日本帝国憲法の全面的否定を必須とせざるを得ない事態の到来であった。大権は、国民へと移ったのである。これを革命と言わずして、何を「革命」と言うか。

しかし、穏便な権力移動を装うと言うか取り繕うと言うか、否定される憲法の規定(第73条)にその根拠を置くという珍妙な形式が執られ、よって、章・条の配列も改正前のそれに倣ったものとなったのであろう。

だが、物事を書き記すに先ず書くは、枝葉末梢ではない。最も重要なことから書く。この国・社会の根本を表す憲法においての最大事は、「主権に関する規定」である。第一章第一条には、主権の存する者についての規定を置くのが、理の当然である。

第二条以下には、国民要件や参政権をはじめとする権利・義務規定を盛り、章の最後に象徴天皇に関する規定を配する。ここには第一子による世襲等存続に関する規定も明定する。

第二章は、現行の戦争の放棄に関する規定に加え、国際関係に関する基本的立場を明示する。

第三章は国権の最高機関たる国会に関する規定を置き、第四章には国と地方の役割分担の基本とそれぞれの構成等の大綱を盛り、公財政に関する基本も配する。国の役割は限定的かつスリムに、地方所掌の各種水準に不均衡が生じないようにするための仕組み構築に最大配意すると共に、徴税の本質は所得の再配分機能であることも明示したら良い。

本文ももとよりの事ながら、前文も重要である。仄聞するに某氏試案には、情緒的にこの国を讃える文言がちりばめられているやに聞くが、そんなものは要らぬ。この憲法を確定するに至った歴史的反省と将来への建設的展望が、憲法全文を貫く理念として語られていれば足る。

そして何より大切なことは、「条文解釈」などという恣意の入り込む余地を残さないことだ。必要に応じた起草趣意書の付属文書化も考えられよう。

このような「リフォーム」に取り組んで然るべき時に来ているのではないだろうか。
 
老兵は貴重な経験・記憶と共に消えて行くのである。繰り返す歴史への道は、閉ざしておくに如くはない。そう思えてならない時の流れと見るのだが、如何でしょうか。

「護憲+BBS」「あらまほしの交差点」より
百山
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