各地から開花のニュースが届いている。わたしの住んでいる団地の公園の桜(ソメイヨシノ)も咲き始めた。一年で一番心躍る季節の到来である。
日本人が桜を愛で始めたのはいつごろからであろうか。ものの本によれば、花見の起源は、奈良時代にさかのぼるらしい。ただ、奈良時代には、桜とともに梅も対象だった。
わたしの県で有名な後楽園(日本三名園の一つ)では、梅の花見が終わると桜の花見になるように梅も桜も植えてある。また、わたしの県は桃の産地。だから、桃の花も花見の対象になっている場所がある。わたしも赴任した学校(桃の産地)で桃の花見をした経験がある。ただ桃の花は背が低く作られているので、多少窮屈。しかし、匂いはかぐわしかった。
いわゆる花見の起源は、嵯峨天皇が812年3月28日(弘仁3年2月12日)に神泉苑で「花見の節」をしたという記録がある。(日本後記)これが記録に残る花見の始まり、と言われている。
神泉苑 ;二条城のすぐ近くにあり、現在でも京都の桜の名所の一つ
https://kyototravelnoosusume.hatenablog.com/entry/shinsenensakura
今では広く知られているが、染井吉野(ソメイヨシノ)は、江戸時代に染井村(東京都)で作られた品種。戦後、全国各地で盛んに植林された。だから、桜前線というほど全国ほぼ一斉に咲き始める。戦後、70年あまり。そろそろソメイヨシノの寿命がきつつある。
TVによれば、東京の国立でも、植え替えの議論が行われているそうだが、同じことが全国各地で出ている。わたしの県の桜の名所の一つ、後楽園周辺の桜もソメイヨシノ。もう何年も前から、寿命の尽きたソメイヨシノの植え替えが行われている。
植え替えが必要なのは、ソメイヨシノだけではない。戦後のシステム全てが植え替えが必要な時期に来ている。そのためには、国立市ではないが、植え替えのための慎重な議論が必要。新自由主義のような拙速でのやり方では、悔いを千載に残すことになる。
桜の品種は原種は9。変種を合わせると100種程度。人の手で交配した「園芸品種」と「野生種」(山桜ともいう)合計は、約600種ほどあるそうだ。興味のある方は、こちらをどうぞ。
http://flower-trivia.com/sakura-syurui/
わたしが見た桜の名所で、もつとも桜の品種が多く、素晴らしい花を咲かせているのは、京都の平野神社。「魁」とか「平野寝覚め」とか「胡蝶」とか「嵐山」とか「虎の尾」などという風雅な名前の付いた様々な桜が楽しめる。さらに平野神社では、桜の季節には、境内のお茶屋で花見が楽しめるようになっている。お酒も楽しめる。わたしが訪れた時はあいにくの雨模様だったが、境内のお茶屋は満員だった。聖俗併せのむ日本の神様の面目躍如たるものがある。
平野神社;http://www.hiranojinja.com/home/cherry
“願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ”
新古今和歌集に載っている西行法師の句である。望月のころとは、旧暦の2月15日。できうれば、満開の桜の下で死にたい、という西行法師の願いをうたっている。齢を重ねるほど、西行の願いが身に染みてくる。
もう一句。西行の歌を紹介しよう。
“身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ”
西行法師の俗名は、佐藤義清。武士である。この歌意は、仏門に帰依し、坊主になる事をあたかも世捨て人のように人はいうけれど、世捨て人にもなれないで、様々の人生上のしがらみに縛られて生きている人こそ、本当はわが身をすてているのではないか、というほどの意味であろう。
平安時代も忖度に苦しめられて生きていた人も多かったのであろう。一つ忖度の方向を誤ると、失脚だけではなく、命の危険すらあるのだから、大変である。西行は、そんな生き方を【身をすてている】と断じている。
お前さんたちは、たしかに生きてはいるけれど、自分を殺し、自分らしさを失っている。そんなお前さんたちこそ、真の意味での「世捨て人」ではないのか?と問いかけている。
千年以上たった今でもこの西行の問いは、色あせない。わたしも官僚やメディア従事者、御用評論家、御用学者、自民党の代議士、公明党の代議士たち、そして、何より日本国民に問いかけたい。【あなたたちは、本当の世捨て人なのですか】と。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
日本人が桜を愛で始めたのはいつごろからであろうか。ものの本によれば、花見の起源は、奈良時代にさかのぼるらしい。ただ、奈良時代には、桜とともに梅も対象だった。
わたしの県で有名な後楽園(日本三名園の一つ)では、梅の花見が終わると桜の花見になるように梅も桜も植えてある。また、わたしの県は桃の産地。だから、桃の花も花見の対象になっている場所がある。わたしも赴任した学校(桃の産地)で桃の花見をした経験がある。ただ桃の花は背が低く作られているので、多少窮屈。しかし、匂いはかぐわしかった。
いわゆる花見の起源は、嵯峨天皇が812年3月28日(弘仁3年2月12日)に神泉苑で「花見の節」をしたという記録がある。(日本後記)これが記録に残る花見の始まり、と言われている。
神泉苑 ;二条城のすぐ近くにあり、現在でも京都の桜の名所の一つ
https://kyototravelnoosusume.hatenablog.com/entry/shinsenensakura
今では広く知られているが、染井吉野(ソメイヨシノ)は、江戸時代に染井村(東京都)で作られた品種。戦後、全国各地で盛んに植林された。だから、桜前線というほど全国ほぼ一斉に咲き始める。戦後、70年あまり。そろそろソメイヨシノの寿命がきつつある。
TVによれば、東京の国立でも、植え替えの議論が行われているそうだが、同じことが全国各地で出ている。わたしの県の桜の名所の一つ、後楽園周辺の桜もソメイヨシノ。もう何年も前から、寿命の尽きたソメイヨシノの植え替えが行われている。
植え替えが必要なのは、ソメイヨシノだけではない。戦後のシステム全てが植え替えが必要な時期に来ている。そのためには、国立市ではないが、植え替えのための慎重な議論が必要。新自由主義のような拙速でのやり方では、悔いを千載に残すことになる。
桜の品種は原種は9。変種を合わせると100種程度。人の手で交配した「園芸品種」と「野生種」(山桜ともいう)合計は、約600種ほどあるそうだ。興味のある方は、こちらをどうぞ。
http://flower-trivia.com/sakura-syurui/
わたしが見た桜の名所で、もつとも桜の品種が多く、素晴らしい花を咲かせているのは、京都の平野神社。「魁」とか「平野寝覚め」とか「胡蝶」とか「嵐山」とか「虎の尾」などという風雅な名前の付いた様々な桜が楽しめる。さらに平野神社では、桜の季節には、境内のお茶屋で花見が楽しめるようになっている。お酒も楽しめる。わたしが訪れた時はあいにくの雨模様だったが、境内のお茶屋は満員だった。聖俗併せのむ日本の神様の面目躍如たるものがある。
平野神社;http://www.hiranojinja.com/home/cherry
“願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ”
新古今和歌集に載っている西行法師の句である。望月のころとは、旧暦の2月15日。できうれば、満開の桜の下で死にたい、という西行法師の願いをうたっている。齢を重ねるほど、西行の願いが身に染みてくる。
もう一句。西行の歌を紹介しよう。
“身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ”
西行法師の俗名は、佐藤義清。武士である。この歌意は、仏門に帰依し、坊主になる事をあたかも世捨て人のように人はいうけれど、世捨て人にもなれないで、様々の人生上のしがらみに縛られて生きている人こそ、本当はわが身をすてているのではないか、というほどの意味であろう。
平安時代も忖度に苦しめられて生きていた人も多かったのであろう。一つ忖度の方向を誤ると、失脚だけではなく、命の危険すらあるのだから、大変である。西行は、そんな生き方を【身をすてている】と断じている。
お前さんたちは、たしかに生きてはいるけれど、自分を殺し、自分らしさを失っている。そんなお前さんたちこそ、真の意味での「世捨て人」ではないのか?と問いかけている。
千年以上たった今でもこの西行の問いは、色あせない。わたしも官僚やメディア従事者、御用評論家、御用学者、自民党の代議士、公明党の代議士たち、そして、何より日本国民に問いかけたい。【あなたたちは、本当の世捨て人なのですか】と。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水