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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

三つの時代を生き抜けるように

2019-04-29 12:49:01 | 社会問題
今日は「昭和」の日で祝日であり、この文章は「平成」最後のコラムになるようだ。

平成という時代を振り返ると、犯罪や各地で相次ぐ災害などの暗く悲しい出来事にどうしても目が向いてしまう。また、市民の生活はこの三十年余りで豊かになったとは決して言い難く、停滞感、あるいは閉塞感という言葉を真っ先に連想する人も少なくないはずだ。

それでも、平成の時代に、私たちがかろうじて守りきることができた大切なものもあるのではないかと考えている。

ひとつの時代を通じて、対外的な戦争を主体となって一度も起こさなかったという事実は、世界中を見渡しても貴重であり、また、尊いことではないだろうか。あくまでも体裁だけなのかもしれないが、一人では小さい声の市民たちが過ちを繰り返さないために日々声を上げてきた成果であることは忘れてはならない。そして、次の時代になっても継続しなければいけないことである。

そして、平成の間にはインターネットが普及し、いわゆる一般人でも自分の声を発信し、多くの人に伝えるための環境が物理的にも整った。結果として、自分が日常生活している世間には、自分とは異なるバックグラウンドや困りごとなどを抱えている人がいることが、目に見える形で理解できるようになったことも、注目すべき現象である。

これからの時代は、平成の間に生まれた喜ばしいムーブメントをもとに、属性や立場、価値観の異なる人間たちが共存できるよう、私たちは行動することが求められる。

人間がバラエティーに富むだけではなく、気候も日々変動し、人間以外の生物も地球自体もあらゆる活動を続けていくだろう。こうした状況下では、人間が作る制度も柔軟で可変的なものにしていく必要がある。

フレキシブルに運用できる制度や法令などが存在する反面、根幹の部分を変えることなく保つべきものが、昭和・平成と二つの時代を生きてきた日本国憲法である。私たちの自由と平和を支えているこの大切な宝を、次の時代になって早々に、根底から覆す形で改変することは、絶対にあってはならないことだ。

「令和」の時代は、令「に」和するのではなく、令「を」人間の側に和することを目指す時代にしたい。間違っても、自国だけの成長を目標とし、成長戦略を進めるにあたり取るに足らないとみなした人間を切り捨てるような真似は繰り返したくない。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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「5.3憲法集会2019」@有明防災公園

2019-04-27 11:22:25 | イベント情報
「5・3憲法集会実行委員会」から下記の案内が出ています。

毎年憲法記念日に行われるこの集会は、現憲法の理念(平和・人権・国民主権)を大切に思う人々が集い、その意志を最大限示す場です。是非今年も参加して、「護憲」の意思を広く共有しましょう。皆さんの参加をお待ちしています。

**以下「実行委員会」案内から抜粋**
http://kaikenno.com/?p=1038

今年も、有明防災公園にて「5.3憲法集会」を行います。ぜひ、御参加願います。

●平和といのちと人権を!5.3憲法集会2019ー許すな!安倍改憲発議ー

■日時:2019年5月3日(金・休)11時~
■場所:有明防災公園(東京臨海広域防災公園)
■主催:平和といのちと人権を!5.3憲法集会実行委員会
■共催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
   安倍9条改憲NO!全国市民アクション

【イベントスケジュール】
11時~ 出展ブース、サブステージ開始
12時~ オープニングコンサート
 子供団(うじきつよしさん・内田勘太郎さん)
 獄友イノセンスバンド(谷川賢作さん・小室等さん・こむろゆいさん・河野俊二さん)
13時~ メイン集会
 司会:神田香織さん(講談師)
 湯川れい子さん(音楽評論・作詞家)
 元山仁士郎さん(「辺野古」県民投票の会)
 高山佳奈子さん(京都大教授)
 永田浩三さん(ジャーナリスト、武蔵大教授)
 政党あいさつ
 リレートーク
 市民連合からの訴え 広渡清吾さん(東京大名誉教授)
 合唱 ユキヒロさん・植田あゆみさん「HEIWAの鐘・翼をください」
15時~ パレード
 豊洲コース(公園東口~豊洲公園、最寄りは東京メトロ豊洲駅)
 台場コース(公園西口~ウェストプロブナード、最寄りはりんかい線東京テレポート駅)
 ※どちらのコースにご参加されても結構です

【サブステージ企画】
●自由に話そう!トークイベント(11時~)
憲法:高山佳奈子さん(京都大教授)
安倍政治:相澤冬樹さん(元NHK記者)
沖縄:元山仁士郎さん(「辺野古」県民投票の会)
日韓関係:矢野秀喜さん(日韓つながり直しキャンペーン)
外国人労働者:鳥井一平さん(移住者と連帯する全国ネットワーク)
●これってどうなの?それっておかしくない?#metoo #withyou (11時~)
弁護士の角田由紀子さん、白神優理子さんと考えよう!
●ライブステージ〈Human Rights × Human Lives〉(11時~12時50分)
●こども憲法ひろば(12時30分~14時30分、雨天中止)
ゲーム/ピース・ハット、顔出しパネル作り
●ミニ映画上映会
戦争、沖縄、貧困、差別――憲法にかかわるテーマの短編作品を、ビジョンカーを使って上映します。
●出展ブース(11時~)
憲法グッズ/食べ物/飲み物/一日暮らしの保健室(医療・介護なんでも相談コーナー) ほか
****************************************
☆詳細、チラシは、下記WEBサイトをご参照下さい。
http://kenpou2019.jp/

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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渋沢栄一 雑考

2019-04-25 15:24:46 | 社会問題
千葉の菊さんの書き込みに塩見鮮一郎という懐かしい名前があり、しばらくの間、青春時代の思い出にふけりました。

「貧民の帝都」の著者、塩見鮮一郎氏は、わたしの大学の先輩です。ドイツ文学専攻でしたが、大学時代より小説や評論を発表し、わたしの大学では有名人でした。

彼は野間宏に評価されていたようです。当時、野間宏は新日本文学を活躍の舞台にしており、のちに塩見氏もそこを活躍の舞台にしていました。

わたしとは年齢も学年も違っていたので、あまり詳しくは知らないのですが、学生時代、彼の友達に連れられて、下宿を訪ねたことがあります。強く印象に残ったのは、布団の敷いてある場所を除き、全て本で埋まっていたことです。文字通り、うず高く積まれた本の中で寝起きをしていました。本は重いので、家の床が持たないと、二度三度下宿を追い出されたようです。

話はとにかく難しかった。若いときはどうしても衒学的になりがちですが、彼の話は衒学的などと言うレベルではなく、古今東西の哲学者・文学者の話、映画・音楽・美術など多岐にわたっており、わたしは話の半分も理解できませんでした。とにもかくにも、知識の凄さと読書量に圧倒された記憶が鮮明に残っています。

卒業後、河出書房新社に就職。その後、作家として活躍しています。わたしの読んだ限りでは、「浅草弾左衛門」が彼の代表作ではないかと思います。

彼は、被差別民や被差別を題材として選び、芸能民・社会政策・江戸・東京の都市史を中心に書いていたようです。その表現などを巡って何度か解放同盟とも揉めています。

浅草弾左衛門も車善七もいわゆる「」の頭です。小説の題材としてそういう存在に目をつける、という点に、大学時代からの塩見先輩の反体制思考が色濃く表れています。

余談はこの程度にして、本題に入ります。

わたしは、渋沢栄一の経済思想については、それほど詳しくはないのですが、彼の経済行動の奥底には、人間に対する愛情と国家に対する真摯な思いがあったと評価しています。

近江商人に【三方よし】という教えがあります。「他人(ひと)によし 自分によし 世間によし」というものです。

商売するときには、まず物を買ってくれるお客(他人)様の満足を第一に考えなければならない。だから、売る商品の品質は最高のものにしなければならない。その為の努力を惜しんではならない。そして、商品の価格は、お客様が買い求めやすい価格でなければならない。その為の企業努力も惜しんではならない。

そうは言っても自分自身が損ばかりしては、長続きしない。だから、お客様が満足してくれた後、いくばくかの利が自分に入らなければならない。

そして、その利が大きくなると、自分を生かしてくれている世間様にお返しをしなければならない。そうする事によって、世間様も良くなり、人々も喜び、ひいては、それが自分に返ってくる。商売と言うものは、世間があっての商売であり、決して自分だけのものではない。

これが近江商人の教えです。倫理と言っても良いものです。

わたしは渋沢栄一の経済思想は、この近江商人の考え方に近いのではないか、と考えています。

彼は、埼玉県の豪農出身(養蚕農家)です。コメ農家と違い、養蚕農家は算勘(計算)ができなくてはいけません。彼は14歳ごろから一人で藍葉を仕入れる仕事をしていたそうで、後年、彼の経済への明るさ(合理主義)は、その出自にあると思います。

同時に、彼は四書五経などを学び、剣術の神道無念流を学んでいます。

田舎に住んでいると良く分かるのですが、当時の豪農層(庄屋など)は、世相に大変敏感で、向上心も旺盛。それなりの学問もあり、見識も優れた人物が多かったのです。

例えば、わたしの勤務した中学校に頼山陽の書がありました。頼山陽がその土地の庄屋屋敷に宿泊し、その時揮毫した書だと言われていました。その庄屋の子孫がPTA会長になり、寄贈したものだと言われていました。

この庄屋は大変な文化人だったようで、頼山陽をはじめ、幕末の知識人がよく宿泊していたそうです。瀬戸内海沿岸の町々には、この種の話が多く転がっています。

特に有名なのが広島県の鞆(とも)です。わたしも何度か訪れましたが、海運の街なのに、文化的遺産が溢れた素晴らしい街です。例えば、おひな様ひとつとっても、元禄享保雛から始まって各時代の有名なお雛様を飾っている商家がありました。とても庶民では手が出ない品物です。それだけ裕福でそれだけ文化的で目も肥えていたのでしょう。

彼らは、このように一流の知識人から多くの物事を学び、見識を広めたのです。だから、幕府政治の行き詰まりも肌で感じ取っていて、日本の将来を真剣に考えていたのです。

渋沢栄一も同じように豪農で文化的素養も十分あり、剣術もできたのですから、養蚕農家で一生を終えるのを潔しとしなかったのも頷けます。

特に江戸に出て神田お玉が池の千葉道場に入門してから大きく変わったと思います。幕末の千葉道場は、若者を刺激するには十分な環境だったのです。千葉道場は、坂本龍馬が学んだことで有名ですが、勤皇思想を信奉する若者が多く集まっていました。

江戸末期という時代は、そういう流動性に富んだ時代だったのです。

栄一は、そこで群馬の高崎城を乗っ取る計画を実行しようとして、説得され、断念していますが、類が親族に及ぶことを恐れた父親により、勘当されます。

その後、京都に出かけたのですが、8・18の政変以降、京都での攘夷派の活動が鈍くなっていました。そこで親交のあった一橋家の家臣平岡円四郎の紹介で一橋慶喜に仕えたのです。

新選組の土方歳三もそうでしたが、農民あがりの武士たちは、先祖以来の武士階級より武士らしく振る舞いました。理由は簡単です。彼らの頭の中の『武士像』に忠実であろうとしたからです。

渋沢栄一も例外ではありません。彼は最後まで徳川慶喜に忠節を尽くしました。それだけの能力もありました。特に慶喜が将軍になった時に、1867年パリ万博に行った事が、後の彼の人生に大きく影響しました。

巷間、薩長藩閥政治が明治維新政府を成功させたかのように言われていますが、詳細に見るとそうとばかりは言えません。国家を運営するには、実務を担当する有能な官僚が必要なのです。口で天下国家を叫べば事足りるものではないのです。大言壮語するだけで国が動けばそんな簡単な事はありません。国家経営というのは、実務であり、具体性そのものなのです。

当時、こういう能力の持ち主は、江戸幕府の家臣に勝る人間はいないと言っても良いのです。だから、徳川幕府の有能な人材の多くは、維新政府に仕えたのです。

渋沢栄一も彼の才能を高く評価していた大隈重信に推挙され、大蔵省に勤務したのです。

そういう幕臣の就職の世話を一手に引き受けていたのが、勝海舟です。政権を返上した幕府の家臣というのは、現在で言う失業者。できれば、新しい就職口を見つけたいというのは人情。当然ながら、幕府の政権返上を考えた勝海舟などには、その就職の斡旋をする義務があります。彼の日記には、その事が詳しく書かれています。

つまり、明治政府の国家統治の実務的側面を引き受けたのは、薩長ではなく、幕府やその他の藩の有能な官僚たちだったのです。そうでなければ、人材不足で、明治政府はうまく回らなかったのです。

歴史家磯田道央の『武士の家計簿』「加賀藩御算学者」の幕末維新(新潮新書)の主人公が明治維新政府に仕えたのも、如何に実務的力量のある人間を維新政府が必要としていたかを示しているのです。この場合の実務的能力とは、算勘の才なのです。武士の才能としては、それほど高く評価されなかった才能です。薩摩藩士の才能にはあまりないものなのです。

西郷隆盛の西南戦争も、このように官僚国家になりつつあった明治政府内で居場所を失いつつあった薩摩の武士層の不満のはけ口の側面が大きかったのです。

渋沢栄一の実業界での業績は様々な文献で紹介されているので省略しますが、一言で言えば、近代的契約社会のやり方を日本に根付かせた先駆的人物だったのだと思います。

名無しの探偵さんが、秩父困民党事件の研究成果を分かりやすくまとめてくださっていますので、それを引用させてもらいます。

・・・「明治維新後、民法の改正(こういう名称ではないが)で江戸時代の法慣習(実は慣習というのは現在も重要だと民法に規定されている)が変わり、土地(農地が多かった)を担保にして借金をした場合、すべて期限までに返却しないと土地を競売処分にされることになった。

「近代的所有権」などと進歩的な名称で官僚や学者は絶賛するが、江戸時代には期限を限らず、いくらでも待ってくれたというのが「慣習法」だったのである。
 
おそらく、このエポック(明治17年の裁判以後)がなければ秩父事件はなかったはずで、明治時代は国民が路頭に迷う時代の幕開けだったのである(明治中期)。」・・・
(明治維新=国民が路頭に迷う時代のはじまり)
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken

第一銀行を設立し、日本の銀行の父となった渋沢栄一には、名無しの探偵さんのような問題意識はなかったはずです。探偵さんの指摘される『慣習法』のあいまいさを非合理的として排除しなければ、世界標準に遅れるという発想ではなかったかと推察できます。

ただ、渋沢栄一は、金儲けするためだけの合理性一辺倒の人物ではなかったと思います。彼の思想の根幹には、「論語」をはじめとする儒教精神がありました。

同時に、養蚕農家を営んでいた実家の家業から見聞した『貧困』にあえぐ民衆たちの生活の実情も彼の脳裏にあったはずです。彼が直接見聞したかどうかは分かりませんが、明治時代の「野麦峠」の貧しさは、彼にも見えていたはずです。

江戸時代の豪農と水飲み百姓の関係は、ある意味、運命共同体的関係なのです。庄屋や地主階層には、弱者(小作人)に対する責任感が重くのしかかっていました。西欧風にいうならば、「ノーブレス・オブリージュ」の精神があったと思います。

※ノーブレス・オブリージュ⇒貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。
法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われることもある。
・・ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/ノブレス・オブリージュ

この精神や小作人に対する配慮の無い庄屋や地主などは、明治になって大変苦労しています。

千葉の菊さんが書かれている『渋沢は「実業による私利は公益に資するべきであるとの一貫した主張」をもって養育院を護り続けたのです』というのは、その発露だったと評価できます。これもまた江戸時代の庄屋、地主階級の良質な伝統ではなかったのか、と思います。

この精神は、先に紹介した近江商人の商道徳『三方よし』の中の【世間によし】の精神にも通じるものです。

それから、『当時の明治政府の考え方として「外国から要人が来日するのに極貧の浮浪者等が帝都でうろついているのはみっともないからこいつらを集めてどこかに押し込んでしまえ。」ということのようで、同じことが私が住んでいる千葉でも行われています。』という問題ですが、この時に真っ先にやり玉に挙がったのが、被差別の住民でした。

天皇の神格化を企図した維新政府は、天皇の行幸にかこつけて、被差別の移転や住民の移転を強行したりしています。わたしたちが問題を指導する時、常にぶつかる問題の一つでした。「天皇制と問題」は、日本と言う国のあり方を考えるとき、その根源に横たわる問題です。文部省が問題学習を徐々に「人権学習」という形態に変化させた最大の理由の一つです。

最後に渋沢栄一と教育の問題について、余談をもう一つ書いておきます。

渋沢の経済論を一口で言うと、「道徳と経済の合一論」とでもいうべきものでした。

『富をなす根源は仁義道徳。正しい富でなければ、その富は永続できない』
『事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。』 

この渋沢の経済論と同様の経済論を唱えていたのが、三島中州。幕末の備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷の一番弟子です。

山田方谷が説いたのが、理財論と言う考え方です。「義を明らかにして利を図らず」という考え方で、藩政改革を成し遂げたのです。

具体的に言うと以下のようになります。

「綱紀を整え、政令を明らかにするのが義であるが、その義をあきらかにせずに利である飢餓を逃れようと事の内に立った改革では成果はあげられない。その場しのぎの飢餓対策を進めるのではなく、事の外に立って義と利の分別をつけていけば、おのずと道は開け飢餓する者はいなくなることを説く」

幕末、松山藩主板倉勝静(松平定信の孫 養子として入り、松山藩主になる)は、幕府の老中になります。山田方谷も藩主とともに幕政に関与するようになりますが、早々に郷里へ引き上げます。

三島中州は、山田方谷について江戸へ赴任します。維新後も東京へ残り、二松学舎を作りました。

三島家は、倉敷の名家です。中州という号は、倉敷に中州という地名があり、そこから取ったと推察できます。岡山県の教育界で、三島家といえば、それこそ知らない人がいないくらいの教育界の重鎮でした。それも三島中州が山田方谷の一番弟子として名をはせ、二松学舎を設立したのが大きな要因だったと思います。岡山県が長野県と並んで教育県と言われたのにも三島家の功績は多かったと思います。

さらに付言すると、備中松山藩はわたしの生まれ故郷のすぐ隣の町です。松山藩、山田方谷、三島中州などの名前は、幼少の時からよく聞いていました。

この三島と渋沢が肝胆相照らす仲だったようで、そのため渋沢は二松学舎の経営にも深く関わったようです。

もう一人、松山藩ゆかりの人物を紹介しておきます。亡くなった鶴見俊輔です。鶴見家は、松山藩(当時水谷氏)の家老でした。鶴見内蔵助が家老だった時代、藩が取り潰しに合います。その時、城受け取りに来たのが、赤穂藩家老大石内蔵助でした。この話は、有名で、小説にもなったそうです。

※鶴見内蔵助 http://takahashi.jyoukamachi.com/name-tu.html

渋沢栄一の話から脱線が過ぎたようです。年寄りの繰り言と思ってご容赦ください。千葉の菊さんの書き込みで、多くの懐かしい思い出が蘇ってきました。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
流水
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「原発、テロ対処施設遅延なら運転停止」発言につながった国会詰問

2019-04-25 09:25:36 | 原発
今日(4/24)午後7時のNHKニュースで、「原発停止について」下記のニュースが放送された。これまで政府寄りの発言が多かった原子力規制委員会にしては画期的な発表である。その要因になったのは、めったにマスコミで放送されない山本太郎議員(れいわ新選組代表)の安倍首相や当時の原子力規制委員会委員長への厳しい国会質問(末尾のユーチューブ映像)ではないかと思われる内容である。

原発問題に関心のある方は、この具体的な詰問映像(ユーチューブ)他、山本議員の国会質問を是非ご覧戴きたいと思います。

(下記はNHKより)

原発 テロ対処施設遅延なら運転停止へ 川内は停止の可能性
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190424/k10011894371000.html?utm_int=news_contents_news-main_005
2019年4月24日

『再稼働している原子力発電所で、テロ対策の施設が期限までに設置できない見通しになっていることについて、原子力規制委員会は期限の延長は認めず、間に合わなかった原発は、原則として運転の停止を命じることを決めました。鹿児島県にある川内原発はすでに期限まで1年を切っていて、九州電力は施設の設置が間に合わないとしていることから運転が停止される可能性があります。「特定重大事故等対処施設」と呼ばれる施設は、航空機によるテロ対策などのため予備の制御室などを備えた施設で、再稼働に必要な原発の工事計画の認可から5年以内に設置することが義務づけられています。』

(下記はユーチューブ映像)

山本太郎 安倍晋三を問いつめる 原発が弾道ミサイルで狙われたらどうするんだ!!
https://www.youtube.com/watch?v=_NKqsZeZPrE



「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔
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明治維新=国民が路頭に迷う時代の幕開け

2019-04-23 17:30:34 | 暮らし
「明治以降の貧困へのアプローチ」に関連して。

6年前に取り組んだ「秩父事件」の研究によると、明治維新後、民法の改正(こういう名称ではないが)で江戸時代の法慣習(実は慣習というのは現在も重要だと民法に規定されている)が変わり、土地(農地が多かった)を担保にして借金をした場合、すべて期限までに返却しないと土地を競売処分にされることになった。

「近代的所有権」などと進歩的な名称で官僚や学者は絶賛するが、江戸時代には期限を限らず、いくらでも待ってくれたというのが「慣習法」だったのである。
 
おそらく、このエポック(明治17年の裁判以後)がなければ秩父事件はなかったはずで、明治時代は国民が路頭に迷う時代の幕開けだったのである(明治中期)。

石井寛二先生の「日本経済史」はこの事情を詳細に分析されている。そのとき、「寄生地主」制度が成立。また天皇制も絶対主義に傾いた。

現在の法律問題もこうした法制史を照射することは、重要な視点であろう。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
名無しの探偵
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暴走、妄想、安倍晋三

2019-04-22 14:25:16 | 安倍内閣
憲法改正を主張する輩は「自国を守るための戦力を持つのは悪いのか」「平和ボケの日本人は国際情勢を直視せよ」「自衛隊が悪いのではなく、日本国憲法が悪いんだ」と声高に叫びます。「自衛隊は昔の日本軍のように暴走しない」とも。

私が必要悪として違憲状態の自衛隊を黙認しているのは、その武力が「専守防衛」であり「シビリアンコントロール(文民統制)が効いている」状態があればこそ、です。その範囲内で自衛隊員は災害派遣を含めて命を懸けてきました。

防衛省は今まで苦労しながら防衛費の枠内で、〇次防(第〇次防衛力整備計画)を策定してきたはずです。現場では装備品や消耗品、実弾を節約しながら訓練を続けています。自衛隊員の皆さんに不平不満もあるでしょうが、それが「自衛のための戦力」に限定する足枷になっていると思うのです。

その文民統制を今、文民たる政治家がブチ壊していませんか?それも、政治のトップが・・・安倍晋三!アンタだよ。吉本新喜劇で大衆にコビ売ってる場合じゃないでしょうが!

全通甲板なのに「空母ではありません、ヘリコプターしか運用できません」と言い訳して造った、戦艦大和に匹敵する護衛艦「いずも」。それをV-22オスプレイやF-35A(B)を運用できるように空母化すると決めたよね、アンタ!

国産F-2の対艦攻撃能力は日本沿岸に襲来する艦船向けだったのに、F-35を空母「いずも」に載せるんですか?巡航ミサイルも研究するって、アンタ!

未完成のF-35AをFMS(相手の言い値)で大量購入するのは日米貿易摩擦を解消するためって、オモチャ買うんじゃないんだよ、アンタ!しかもF-35Aの一部国内組立で国産技術力がつくと言い訳して三菱重工関連に数千億円も設備投資したのに、それをムダにして米国から完成品を輸入するって何だよ、アンタ!

そのF-35A初号機が墜落したのに、以前から緊急トラブルがありました、軍事機密だから原因はわからないでしょう、導入計画は変えませんて・・・命がけのベテラン・パイロットや家族を何だと思ってるんだ、アンタ!

自衛隊のタガが緩むような施策を政治家が率先して行うなんて、真っ当な政治じゃないだろ?アンタ!

えっ、アンタ呼ばわりは失礼?わかりました・・・どんだけ他人に忖度させて犠牲にするんだよ、安倍晋三!

総理・安倍晋三と副総理・麻生太郎の地元を結ぶ一大土建事業を優先するのが当たり前、と忖度したのが麻生派の塚田某。あのねー、わかってます?「国土交通省」の「副大臣」で「麻生派」ですよ!忖度通りにコトが進んでウン千万円の調査費がついたんですよ?忖度したのは事実でしょ!

その塚田某は炭鉱利権でのし上がった財閥の御曹司、チンピラみたいな言行の麻生太郎を「おやじ」と呼びへつらう。アンタたち、親分子分のヤクザですか?国会議員の品格なんて、どこにもないでしょ。

「あの場所でしゃべったことは、ウソでした」で済むんだったら、ケーサツいりません。副大臣なんて即刻クビが当たり前、国会議員だって辞職すべき「事件」です。それがウソならば怒りなさいよ、何でかばい続けたの?安倍晋三!

その挙句、国民に対する善悪のケジメじゃなくて、自分の人気と選挙の都合で更迭したのか、安倍晋三!

「不倫は文化です」と言ったのは、某トレンディ俳優。「忖度は文化です。そもそも、私は『忖度しろ』なんて、言ってない。私の奥さんだって言ってない」と開き直って見える、安倍晋三。国会議員ならば、国家のトップに立つ男ならば、忖度させるような言動を慎み「李下に冠を正さず」利益誘導を疑われるような行動をしない、利害関係とは距離を置くのが当然だよね?アンタに政治家の矜持はないのか?「忖度罪」とか作らないとやめられないのか?安倍晋三!

「●●は絶対にない、断じてない」という、この男のセリフはただの方便です。だって、「今は」絶対にない、断じてない。後から(事実が)あっても「あれは、あの時点での話。終わった話」だから。「●●の責任は私にある」という、この男のセリフは聞き飽きた。だって、「責任はあるけど、『責任をとる』とは言っていない」のだから。

なんだろう、この小学生みたいな言い訳。日本の総理大臣なのに、恥ずかしすぎる!軽すぎる!私欲が透けて見えるほど、ペラッペラに軽薄な言葉を吐く、安倍晋三。

さて、私のような一介の国民に何回呼び捨てにされたでしょうか?なんで呼び捨てにされたか、わかっているの?安倍晋三。

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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渋沢栄一について

2019-04-22 10:46:49 | 民主主義・人権
浅学のため「実業家としての渋沢栄一」についてはほとんど知らないのですが、私が知っているのは「養育院院長」を半世紀あまり生涯を通じて務めた渋沢栄一です。塩見鮮一郎『貧民の帝都』(文春新書)に詳しいです。

私は佐幕派で明治維新を全くといってよいほど評価していません。実際に社会のシステムとして、江戸時代の方が明治時代よりも優れていると思います。(それもあって教科書では意図的に江戸時代をおとしめて、いかに維新が偉大であったかを強調していますね。)

養育院も「渋沢栄一伝記資料」によると
「是ヨリ先、明治五年十月十四日、東京府庁ハロシア皇子ノ来朝ニ備ヘ、府下ノ乞丐ヲ駆集メ、ソノ処置ヲ東京営繕会議所ニ諮ル。蓋シ東京営繕会議所ハ旧幕時代ニ於ケル市民共有金ノ管理ニ当リ、旧町会所ノ担当セル市街ノ営繕ト市民ノ賑恤救済事業等ヲ継承セルニ由ル。仍ツテ東京営繕会議所ハ翌十五日、右窮民ヲ本郷加州邸内ニ仮収容シ、更ニ同月十九日浅草溜ニ移ス。ナホ東京営繕会議所ハ同月、東京会議所ト改称セシモ、引続キ此収容所ヲ主管シ、明治六年二月四日、浅草溜ヨリ上野護国院ニ収容者ヲ移シ、爾来養育院ト称ス。
是月栄一、東京会議所共有金取締ニ嘱託サレ、同時ニ当院事務ヲ掌理ス。」

つまり、当時の明治政府の考え方として「外国から要人が来日するのに極貧の浮浪者等が帝都でうろついているのはみっともないからこいつらを集めてどこかに押し込んでしまえ。」ということのようで、同じことが私が住んでいる千葉でも行われています。

下総台地は農地として適さなかったようで、江戸時代は軍馬の放牧地となり「牧(まき)」と呼ばれていました。明治になって、ここを開墾させようと東京の浮浪者を集めて送り込んだのです。発想は同じです。

そんな中、渋沢は「実業による私利は公益に資するべきであるとの一貫した主張」をもって養育院を護り続けたのです。そして、その「養育院」は最近石原某により潰されてしまいました。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
千葉の菊
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新党「れいわ新選組」への提言

2019-04-21 21:32:58 | 政治
4月10日、小沢一郎議員と自由党の共同代表を務める山本太郎参議院議員が、「れいわ新選組」という政治組織を一人で立ち上げた。

昨年10月23日の投稿「日米安保条約に代わる日本の平和と安全保障への道(永世中立国)(2)」の下から2段目の文節の終行で、これから期待したい三人の政治家の一人に山本太郎議員を挙げていたので、「れいわ新選組」についてネットで検索したところ、ユーチューブ https://www.youtube.com/watch?v=XzDpAnbmuG0での記者会見ビデオと、「れいわ新選組」のホームページ https://www.reiwa-shinsengumi.com/ がみつかった。

記者会見では質問形式で記者の質問に政治信条や「新選組」立ち上げの理由や政策を真摯に語っている。また「れいわ新選組」という党名の由来と意味も詳しく述べられ、昨今○○民主党という政党が多いなか、党名はユニークで埋没することはないであろう。

問題は内政と外交と安全保障政策の中身である。ホームページで主な八政策を見ると、内政主導で他党よりユニークな内容ではあるが、今や内政はどの政党も予算バラマキのオンパレードで、自民党と野党間でも政策の違いの差は狭まっており、選挙になれば、他の政党に真似されたり、直ぐ対案を出されて、有権者には違いが分からなくなり埋没するであろう。

そこで提言したいのは、将来政党として確立して行くには日本の安全保障と外交政策は欠かせない、という点である。

現段階では、「れいわ新選組」はそれが不明確で、遅かれ早かれこの問題は有権者より他の政党やマスコミから厳しく問われるであろう。その場合、他党には簡単に真似のできない、現在の日米安保条約より優れた安全保障と外交政策の旗を提示して、論戦できることが必要である。また山本議員の弁舌であればそれは十分可能であろう。

特に安倍内閣で集団的自衛権が閣議決定され、米国の戦闘や戦争に巻きこまれる可能性が否定できなくなった今、これまで日米安保条約で戦後の日本の安全が保障されて来たという論理は通用しない。さらに集団的自衛権の閣議決定で実質的に憲法9条の戦争放棄すら反故にされたと言えよう。よってこれまでとこれからの、日米安保条約下での日本の安全保障の比較が重要である。

なぜなら冷戦後も米国が敵視しているのは、日本と地勢的に最寄りの中国・ロシア・北朝鮮であることは、トランプ政権でも明白である。いざ米国と中・露・北朝鮮間で戦争が勃発すれば、在日米軍がある以上、日本政府は集団的自衛権を行使せざるを得なくなり、日米安保条約は日本の安全保障に本当に役立つのか疑問であり、むしろ危険になったと言えよう。

中・露・北朝鮮は日本とは距離も近く、同時に何十発ものミサイル攻撃を受ければ、在日米軍やイージス艦や陸上用イージスアショアをもってしても、原発や大都市の被害を完全に抑止することはできないであろう。

かつて米国と近距離にある共産国キューバを武力で打倒したかった米国も、キューバのミサイル反撃を完全に抑止できないと見立てて、結局国交回復に至った経緯を見れば一目瞭然である。これからの日米安保条約は米国本土の安全には役だっても、中・露・北朝鮮から距離の近い日本の安全保障に果たしてなり得るのか、まして北朝鮮より優秀で強力な核ミサイルを持っている中・露を相手に在日米軍が日本の安全保障に役立つのか、中学生でも想像できるはずである。

また昨日(20日)夜9時のNHKスペシャル「自衛隊30年の変貌」を見たが、政府はPKOの名の下、自衛隊を危険と隣り合わせの地域に積極的に派遣し、また公海の航行自由の名の下、米国艦船と自衛隊艦船の海上共同訓練をしている。いつか来る集団的自衛権の行使を想定したものと疑われてもやむを得まい。

しからば日本の安全保障はどうするか、絶対に戦争をしないと言う誓いを、「第二の永世中立国」になって具体的に内外に示し、平和外交に徹することであろう。スイスは永世中立以来、国境は陸続きであるにも拘わらず他国から侵略されていない。これが中立国の安全保障の歴史的な証明である。専守防衛の軍隊をもちながらも、一方では多くの国連機関も誘致し、平和外交に徹しているからであろう。

なお、スイスには国民皆兵義務が在るらしいが、島国である日本は真似する必要は無い。中立国として日本なりの自衛隊で専守防衛への質的転換をはかれば大幅に防衛予算を削減でき、それを福祉政策に充当できるはずである。

日米安保条約を容認して他党に埋没するより、「れいわ新選組」にはこのことを提言して、日本の国土と国民の安全を護る旗を立てて貰いたい。

余談ながら、20日(土)夜9時のゴールデンタイムのNHKスペシャル「自衛隊30年の変貌」は、日米安保条約下での自衛隊の変貌について、国民に一つの警鐘を鳴らしてくれたと思う。このような放送時間でのドキュメンタリー番組こそ、最高裁が言う、「権力から報道の自由を護る為の視聴料の支払い義務」に値する内容であろう。今後も期待したい。

「護憲+BBS」「安全・外交政策を考える」より
厚顔
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明治以降の貧困へのアプローチ

2019-04-17 10:09:41 | 社会問題
パンドラさん、コラムへのコメントありがとうございます。

以前にも書いた記憶があるのですが、新自由主義的経済論は、資本主義の先祖返りです。

イギリスで言えば、資本主義の黎明期、無秩序な労働が放置され、子供の長時間労働(一日15時間など)などが問題になった時代です。資本階級が圧倒的に強く、労働者階級はほとんど無自覚なまま低賃金と長時間労働を強制されていた時代です。

日本では、いわゆる西欧型資本主義の洗礼を浴びるのは明治に入ってからです。

最近になって江戸研究が進み、江戸の経済成長は世界に冠たるもので、日本の資本主義は世界的に見ても相当なもので、そんなに馬鹿にしたものではなかったようです。一説によれば、当時の世界の中で最も高い経済成長率を誇っていた、と言います。

当たり前の話で、経済力がなければ、当時の世界の都市でNO1の人口(100万超)を誇った江戸の町が持つはずがないのです。

たしかに、明治時代は、新しい職種や新しい労働形態が生み出され、「散切り頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」ご一新の時代を迎えたようですが、その基礎は江戸時代の商人たちの活躍にあったのです。

日本人の悪いところで、明治維新になった時、世界は進んでいて、日本は遅れている、という固定観念にとらわれ、西欧流資本主義を金科玉条のごとく取り入れたのです。次の1万円札になる渋沢栄一などがその中心だったのです。

しかし、新しい時代になってから、新たな形の貧困が見えるようになりました。それは江戸時代にはあまり顕在化しなかった形での貧困です。

江戸時代の場合は身分制社会の中での貧困であり、資本主義社会の中での貧困とは違っていました。明治になってからの貧困は、資本主義社会(近代社会)での貧困であり、多少形態が異なっていたのです。

このような日本の貧困(下層階級)を考えるとき、今から100年以上前の1898 年(明治31年)に横山源之助が書いた「日本の下層社会」を避けては通れません。明治時代の作品にも関わらず、きわめて緻密な取材に基づいた貧困層に対する社会調査・ルポルタージュで、当時の貧困層の実態が浮かび上がります。

「日本の下層社会」は、岩波文庫で読むことができます。また、原本を読もうと思われるのでしたら、下のサイトで読むことができます。
国会図書館 デジタル 「日本の下層社会」 横山源之助
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798849

例えば、横山は、東京市(当時は市でした)を以下のように書きます。
『東京市15区 戸数29万8千 人口136万余 多数は、生活に如意ならざる下層の階級に属す』

このような筆致で、横山は、東京の貧民の生活状態を数字入りで、事細かに書いています。職人、手工業労働者、工場労働者、小作人など職種に応じ、事情に応じて調査をしています。さらに、失業者などについても言及しています。

それも現代の統計にも負けないくらい、事細かに調べています。
〇生活実態 〇職位別の労働実態 〇労働契約や自由時間の有無 〇労働者の教育水準

横山はその調査を自ら現場に出かけ、自ら聞き取り調査を行うという風に足で稼いで書いています。その為、きわめて説得力に富み、信頼性の高いものになっているのです。

わたしはこれを読みながら、現在の日本のBLACK企業と相似形ではないか、と思いました。時代は違えど結局人間の考える事はそんなに差がないのでしょう。

それともう一つ最近読み直している本に「日本残酷物語」があります。平凡社から出版された本で、監修に宮本常一とか山本周五郎や山代巴などが名を連ねています。
https://www.amazon.co.jp/日本残酷物語1-平凡社ライブラリー-宮本-常一/dp/4582760953

この本は、近代日本の最底辺で蠢いていた民衆の記録です。この本の内容紹介は以下のように書いています。

・・「これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である。自然の奇跡に見放され、体制の幸福にあずかることを知らない民衆の生活の記録であり、生きながら化石として抹殺されるほかない小さきものの歴史である。追い詰められた民衆のごく当たり前な日常的な生活こそもっとも反体制的であり、その生活断面に施したさまざまな陰刻から強烈な生の意味を汲み取ろうとする衝撃の書・・・

もし、政権当時の民主党の政治家連中が、民主党政権が掲げたスローガン【国民の生活が第一】の意味を、上記の「追い詰められた民衆のごく当たり前な日常的な生活こそもっとも反体制的である」という文脈で捉えていたら、あのような無残な政権瓦解をしなくて済んだはずです。

わたしは、当時、何度も日本での政権交代は、他国での【革命】に匹敵すると書いたり、言ったりしましたが、「国民の生活が第一」という理念の革命性から考えると、そうなるのです。その理念の理解度の低さ、政治的未熟さが民主党政権の失敗だったと考えています。

現在の日本は、いまだ高度成長期の成功体験から脱却できていません。しかし、「夢よ、もう一度」は通用しないのです。

「日本の下層社会」をあれほど緻密に考察してきた横山源之助ですら、日本の貧民の実態は、資本家に搾取されて生じた経済貧民 というより、教育不足や自立心の欠如による人生の不幸者であり、その問題を 改革すれば、貧困問題は解決できるという立場をとっていました。

貧困からの脱却を自分自身の頑張りと教育の力で可能であると書いています。当時盛んだった社会主義的イデオロギーをそのまま適用して、資本家の搾取による貧困という解釈をとっていません。

横山源之助の説は、実証的な実態調査に基づいていて、きわめて合理的な要素がありました。しかし、横山説の弱点は、空間的(包括的)な経済理論への無関心さがあります。資本主義という経済理論理解の弱さです。

それだけ、時代の希望があったのです。人口は増え、職業は多彩になり、生活形態も劇的に変化していたのです。“末は博士か、大臣か”という時代の実相があったのです。一言で言うと、時代が若かったのです。だから、彼は、貧困からの脱却が可能ではないか、という幻想を抱けたのです。

しかし、現代は違います。日本は、横山が抱いた幻想の行きつく先を見てしまったのです。「成熟社会」とはそういうものです。「見てしまったゆえのニヒル」「知ってしまったゆえの絶望」が日本の若者たちを蝕んでいるのです。

私などは、成熟とは程遠い出来損ないの人間なので、いまだ「希望」という言葉に執着心を持っていますが、どうやらそんな人間は時代遅れの骨とう品なのでしょう。しかし、彼らももう少し時間が経過したら、大きく後悔するに違いありません。

これから日本を襲う大暴風は、想像を絶するものになるに違いありません。「日本の下層社会」や「日本残酷物語」で書かれた本当の貧困が襲い掛かるはずです。その時になったら遅いのですが、やむ負えないと思います。

何度も言いますが、政治は、その国の国民の民度を超える事はできません。政治や政治家を馬鹿にすれば、政治家が国民を馬鹿にするのです。国民が政治を馬鹿にし、政治に関心を失った罪は重いのです。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
流水
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非正規的働き方の開放とひきこもり

2019-04-15 09:33:03 | 社会問題
コラム「日本社会存廃の危機!」で紹介された橋本謙二氏の「日本の階級社会」と「アンダークラス」、私も読みました。

流水さんが仰有るように、日本の社会は既に「格差」ではなく「階級社会」に姿を変えていて、その一番下にあるのが「アンダークラス」、そしてその階級社会から外れた存在がひきこもる人達なのでしょう。

政府はやっと「5080問題」等と騒ぎ始めましたが、既に2000年初頭に精神科医の斉藤環氏が「ひきこもりは現在の日本社会では百万人」と警告を発していました。

当時は「何をバカな事を」と一笑に付す意見もありましたが、あれから20年の時を経てやっと社会の認識が斉藤氏に追い付こうとしているのでしょうか。

長いひきこもりを経てやっと働き始めたらそこはブラック企業だったという話や、レールに乗って社会人になっても酷い職場で鬱病になりひきこもった
人達も沢山います。

思えばこんな階級社会アンダークラスの集団を作る引き金になったのが、2000年初頭小泉内閣が非正規的働き方を工場の労働者迄拡げた政策ではないでしょうか。あの後、日本の社会がどうなり竹中平蔵が今何をしているかを考えただけでも、彼等がした事は酷い所業だったと思います。

企業が国際社会で生き延びるためには仕方がなかった、という人が未だにいますが、凄まじいまでの内部保留金の額を考えると、言い訳にしか聞こえません。

斉藤環氏が警告したひきこもり元年が2000年、小泉内閣が社会に非正規的働き方を開放したのも2000年、何か私は因縁めいたものを感じます。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
パンドラ
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