老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

健康・教育・エネルギーについて、フト思ったこと

2023-09-30 14:02:36 | 暮らし
今朝のネット情報に英検が一つ新たな中段を設けて、小中高大生らやその親達から更に金を収奪するシステム作りを算段している様をみて、次のようなことをフト思った。

子供達が持っている能力を最大化する手助けをするのは、そもそも社会の組織が果たすべき最も大切なことであり、その教育の機会を全ての子らに如何に公平に平等に提供していくシステムを形作っていくかが、社会の組織に課せられた大切な仕事の一つであると思案している。しかも教育には原則無料を貫く思想が社会に求められると信じる。
そしてこの考えは、国境を越えて全ての国々の子供達にまで広げることも強く求められる。

何故この様に考えるか。それは全ての子らには無限の能力が潜在していると信じるからであり、その無限の能力を財力のあるなしで、制約・妨害していくことが愚かな所業だと思うからである。そして世界の子供達の開花した無限の能力が与えてくれる可能な未来を実現させたいからであり、その未来を見てみたいからである。

即ち、子供達の存在そのものがコモンズであり、人類の共有財産だと考えたい。そのコモンズが持つ能力を全ての方面へ発展・発揮させることを妨げる権利は、当然誰も持っていないのである。

その上で今朝の英検の話。財力のあるなしで(発想としては、教育を商品化して価格を付け一つのサービス提供として捉えている)、子供達の潜在能力とその後が左右されるシステムとなっていると思う。英検の無料化が出来ないのであれば、別のシステムを作り出したいものであり、必要があると考える。

ネット社会である。必要な情報がかなりの部分ほぼ無料で入手できる時代になっている。
控えめにお節介を焼くことが好きであり、主たる人生の目標部分を終え時間に余裕のある老人たちが、ネット環境を上手に使って世界の財産である子供達に教育で貢献できる仕組みが出来ない物かと、フト思ってしまう。錆び付きつつあるとは言え獲得してきた智恵を子供らへ還元することは、老人の大切な仕事の一つではないかと思う。

現在教育現場で糊口を凌ぐ人々が存在しているのは判る。が、現在財力の多寡で、そして教育の商品化という世の流れの中で、子供達の間で可能性の芽が意味無く摘まれている不合理さが存在しているのも現実である。世界へと目を見開いた上で、何とかしたいものである。

ことは子供達の教育の問題だけではない。
前提として求められるのは、子供達を含めて全ての人々が健康であること。
更に世界の全ての人が充足した生活を送る為のエネルギーへのアクセス性の公正さ・平等性・安価性も前提として社会の組織には求められる。

健康とエネルギーのことを考える時、私達が住まう国土を現在我々が最大限に上手に有効利用しているのかという点が、気になっている。

私達が住まう国土を最大限に有効利用する目的は我々の健康とエネルギー調達の為だけではない。目的は国土の最大限有効利用化を通じて現在進行中の気候温暖化を如何に食い止めるか、ということである。即ちGHG排出を低減する活動(例えば石炭火力発電の代わりにバイオマス発電。コンクリ-鉄筋型都市作りの代わりに木質建設材料の使用等)であり、単に放置するのではない、森林の持つGHG吸収力を絶えず最大限の活性状態に置く森林経営の確立である。
ここでそれぞれ新たな職が生まれるという参加型共生主義活動に寄与する面も強調されるべきである。

例えば健康の基である食糧を見ると、日本であれば先ずは米となるが、今年は世界Millets年であり、しかもこのMillets年に合わせたかのように現在世界では高温・乾燥・更に洪水や山火事そして土壌の流出や高塩濃度化等の劣化が進行している様が連日報道されている。
しかし乾燥に強い作物のMilletsの生産を進めようという声は先ずは聞こえてこない。
水稲や小麦よりはるかに少ない水の量・そして投入肥料量が少なくても充分栽培でき、そして食すれば健康にも良いというアワやヒエ・きびを持続可能な方策で、何故に栽培していこうという気分を発揚しようとしないのか?

ことは日本だけの問題ではない。世界では10億人程が飢えに苦しんでいる。与えられて住まう国土を最大限に利用して、国内の人の健康と共に余剰部分を世界で必要としている人々に提供するという発想の国作りが求められている。耕作放棄地や未利用地の存在などは誠にもったいない状況であり、世界全体からひんしゅくを買っているという思いを持ちたい所である。

エネルギーに関しては、先日ソルガム利用のバイオマス発電の話を目にした(ソルガム発電、9月25日、杉山大志氏記す)。かいつまんで触れると品種改良したソルガムは3カ月で6m程成長し、1ha当たり年間200トン以上の収穫が見込まれるまで研究は進んでおり、採取したソルガムはポーン(爆弾)せんべいを製造する様な装置を使って爆砕処置を行い乾燥させて、造粒化すると石炭にかなり近い発熱量(5200Kcal/kg、石炭は6200Kcal程)のバイオマスになるという。

因みに現在の石炭火力発電に消費している石炭(全量輸入でウクライナ戦争により戦前の1t100ドル程度が現在200ドル程に上がっているという)量は年間1億トン。これを全てソルガムに置き換えるとソルガム耕作面積は200万haが必要で、日本の陸地面積の5.4%分になるという。実はこのソルガムもMilletsの一つ(もし増産すれば食糧対策にもなる)。
国土の5.4%というと、極めて大きな面積を占めるイメージだが、放棄しており未利用の地域が多く存在している現状から見ると魅力ある、汚いと称される石炭を代替えする一つの素材ではあろう。

だが、やはり本筋は、植林はすれどもその利用をほぼ放棄している日本の森林経営である。
日本の森林が本来有する力を有効に利用してバイオマスを提供するという観点が、汚いと称される石炭を代替えする上での本筋であろう。
そして日本の森林が本来有する力を最大限に有効に利用してCLT(Cross-laminated Timber)等の木質建設材料を建設業界に提供していき、それによりコンクリ-鉄筋という現在必要以上に使用されているコンビを削減していく方向も今後の社会の本筋と思う。

全ての子らには無限の能力が潜在しており、その無限の能力の開花の先にある未来を是非実現させたいものである。

教育という観点で言えば世界の子供達の持つ潜在能力(これもコモンズだろう)を意味無く埋もれさせるシステムがあれば取り除くか、またはそれに代わるシステムの構築が求められる。

健康とエネルギーの観点では、耕作放棄地や未利用地そして森林林野という大地の持つ潜在能力(間違いなく大きなコモンズだ)を意味無く埋もれさせている現状があるのであれば、やはり最大限の有効利用化を目指す必要が求められる。

これは日本の国土に住まう人間として世界から要請されている重要な使命と考えたいものである。

進み方としては、新自由主義主体者側が商品化し提供するやり方ではない、市民側が主体的に参加する参加型共生主義思想が当然前提となる。

「護憲+BBS」「 新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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「コモンの「自治」論」(斎藤幸平+松本卓也=編)を読んで

2023-09-27 15:42:12 | 民主主義・人権
近年の西側諸国のイデオロギーであり、日本でも自民党政治が主導する「新自由主義」あるいは「行き過ぎた資本主義」は、人々が生きるために必要不可欠な水や電力、住宅、公共交通機関、食料、医療・教育・介護などの「基本資源<コモン>」を解体し、財力や権力を持った一部の者たちによって商品化・私有化することを許し、結果、社会全体に環境危機や経済格差を齎している。著書「人新生の「資本論」」の中で斎藤幸平氏が、こう警鐘を鳴らしたのは、2020年9月のことでした。

それから3年、コロナ禍、戦争、インフレ、異常気象など、危機的状況は複合化、深刻化し、テレビでは毎日のように「(コロナなので、猛暑なので、、)外出を控えるように」とか、「(線状降水帯発生のため、北朝鮮がミサイル発射したので、、)命を守る行動を」などの警告がアナウンスされ、私たちは、いつの間にか、「どうしたら、今日明日を無事生きていけるか」を、考え行動するようになっています。

また、物価・税金・社会保障費の値上げ、年金カットや低賃金、学校給食の供給会社や市内バス運営会社、訪問介護事業者の撤退、等々の社会インフラの消滅による生き辛さに加えて、ここに来て、GAFAと言われる巨大IT企業によるデータの収集、専有化が、圧倒的な勢いで私たちの内面に介在し、思考の自律性を奪い始めています。

私たちの命や暮らしを守るはずの政府は、事態の打開を図るのではなく、むしろ、危機に乗じて「緊急事態」対応と称する強権発動を画策し、あるいは、収集されたデータを権力保持や国民統合に利用するなど、トップダウン型政治に向かおうとしています。

こうした状況下、私たちに「希望」は残されているのでしょうか。

この問いに応えようと、今年8月に上梓されたのが、斎藤幸平氏+松本卓也氏編の「コモンの「自治」論」(集英社)です。

この本は、斎藤氏が説く<コモン>―社会的に人々に共有され、管理されるべき富―の議論の中で、<コモン>とは「自治」のことであるー(by松本卓也氏)と認識した学者や精神科医、岸本聡子杉並区長らが、「自治研究会」なる研究会の中で、問題点や重要なポイントについて議論を重ね、まとめ上げたものであり、その要旨は、斎藤氏の以下の言葉でまとめられています。

『資本主義は一握りの人々に富を集中させ、私たちを無力な消費者にすることで、「自治」の実現を妨げてきました。それに対抗しようとした、二十世紀型の社会主義も福祉国家も市民たちの「自治」を実現できなかった。・・・
 本章で提示しようとしたのは、垂直型の政治や運動に代わる新しい形の参加型「自治」に向けた、二十一世紀の理論と実践の可能性です。
 そのカギとなるのが、万人が<コモン>の再生に関与していく民主的なプロジェクトです。・・・
 そこには二十世紀型の前衛党はいりません。<コモン>が可能にする平等をもとにして、市民が積極的に参加しながら、社会を共につくっていけばいいのです。・・・
 リーダーフルな(リーダーは一人ではなくリーダー的存在が大勢いる)マルチチュード(グローバル資本主義の支配下にあるすべての人々、多種多様な人間の集合体)によるみんなの「自治」は、組織化や制度化を絶えず反省しつつ、新しい社会を生み出していきます。
・・・
 その動きは、最初は小さくてもかまいません。3.5%の人間がリーダーフルな存在になれば、今私たちが想像するよりもずっと大きく、この社会は変わるでしょう。その意味で、「<コモン>の自治」こそが「希望なき時代の希望」なのです。』

猛暑もようやく去った今、私も「どうやって無事生き延びるか」の内向きの思考からもう一度抜け出して、あちこちで生まれている<コモン>の再生、「自治」の実践という「希望」の一端を、どうやって共に担っていけるかを、仲間と共に考えてみたいと思います。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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継続は力「むらき数子情報ファイル」が900号

2023-09-26 09:32:14 | 民主主義・人権
むらき数子さんは、一度、護憲+の会でもお話をして下さった方なので、覚えていらっしゃる方もおいでかと思います。調布「憲法ひろば」世話人で、「銃後史ノート」編集同人、日本近現代史・女性史・民俗学研究者です。

そして、さまざまな市民の講演会や集会などの活動予定を紹介するHP http://murakifile.noor.jp/

メールマガジン「むらき数子情報ファイル」を発行しています。
そのメールマガジンが900号を迎えました。

私もこのメルマガを読んで、「こんな集会がある」「この講演会は面白そうだ」と参加したことが何度かあります。こうした行動を促すメルマガは、市民活動の大きな下支えとなります。関心を持たれた方、HPからメルマガを申し込んでくださいね。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
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沖縄知事、19日未明、国連で演説 基地集中「平和脅かす」と 政府にも司法にも負けず

2023-09-19 09:58:52 | 沖縄
沖縄 玉城知事 国連人権理事会で演説 “民意に反し移設強行” NHK WEB 9月19日 5時46分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230919/k10014199541000.html

基地集中「平和脅かす」 沖縄知事、国連で演説 秋田魁新報 2023年9月19日
https://www.sakigake.jp/news/article/20230919CO0001/
○【ジュネーブ共同】沖縄県の玉城デニー知事は18日(日本時間19日未明)、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれている人権理事会で演説し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設反対を訴えた。沖縄の実情について、過重な基地負担で「平和が脅かされている」と強調し「沖縄の状況を世界中から関心を持って見てください」と呼びかけた。

玉城デニー沖縄県知事、18日から国連人権理事会出席へ 日本政府批判に懸念の声も 産経新聞 2023/9/16
https://www.sankei.com/article/20230916-QUZESCXVOZLKBGRVK5ZWSTILJ4/

沖縄の不条理主張へ 玉城デニー知事、国連人権理事会で声明 17日、ジュネーブに出発 沖縄タイムス 2023年9月16日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1223518
○玉城デニー知事は17日、スイス・ジュネーブへ出発する。18日以降、国連人権理事会で声明を発表する。知事は名護市辺野古の新基地建設阻止を掲げるが、大浦湾の軟弱地盤工事を巡る訴訟では最高裁で県の敗訴が確定した。知事は民意が顧みられない不条理を国際社会に訴え、新基地建設問題の打開に向けた道筋を見いだしたい考えだ。最高裁判決を受け、国は近く、変更申請を承認するよう県に迫る見通しで、国連訪問中の知事の発言も焦点となる。知事の国連での声明発表は2015年に全国の都道府県知事として初めてスピーチした翁長雄志前知事以来8年ぶり。(政経部・大野亨恭)

 ☆山陰中央新報・論説 辺野古最高裁判決 司法も民意切り捨てか 9/5
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/445335
>2000年の地方分権一括法で、国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」に変わった。だが、今回の不承認を巡っては、一般国民の権利救済が主眼であるはずの行政不服審査法を使って防衛省が国交相に審査請求し、国交相が処分取り消しの裁決を出した。これでは地方の声は押しつぶされてしまう。

 ☆信濃毎日新聞〈社説〉沖縄辺野古訴訟 理不尽に目をつぶる司法 9/6
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023090600061
 ☆西日本新聞【社説】「辺野古」県敗訴 国策と民意の矛盾解決を 9/6
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1123949/
 ☆新潟日報・社説: 辺野古訴訟判決 国は沖縄と真摯な対話を 9/6
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/276215
 ☆琉球新報<社説>設計変更敗訴確定 沖縄の不条理を直視せよ 9/5
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1778556.html
 ☆沖縄タイムス[社説]辺野古 県敗訴確定 自治踏みにじる判決だ 9/5
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1216670
 ☆佐賀新聞・論説: 辺野古訴訟の最高裁判決 司法も民意切り捨てか 9/5
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1103034
 ☆高知新聞・社説: 【辺野古敗訴】対話の重要性は高まった 9/5
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/678273
 ☆中国新聞・社説: 辺野古最高裁判決 対話こそ唯一の解決策だ 9/5
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/355714
 ☆秋田魁新報・社説:辺野古で沖縄県敗訴 首相は県民と向き合え 9/5
https://www.sakigake.jp/news/article/20230905AK0019/
 ☆福井新聞・論説: 辺野古、最高裁判決 司法も民意を切り捨てか 9/5
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1863477

「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
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インボイスによる影響についての世論調査を東京新聞と城南信金が共同して行っている。これを見てフト思ったこと

2023-09-16 13:10:08 | 社会問題
9月15日付け東京新聞の一面に、10月から始まる予定のインボイス制度導入を控えて、その影響に関する世論調査を東京新聞が城南信用金庫の協力の下、城南の有する顧客企業に対して行った結果を載せている。

調査結果のポイントは、一つは現在及び今後の景況判断についての中小企業の見方であり、「現在の業況は良い」は前回7月とほぼ同じ26.1%だったが、「中長期の先行きの業況は良い」が前回から5.7%低下の27.2%と、現在の原材料高・エネルギー高そして人手不足感等の懸念が今後の業況に対する懸念を生み出している模様である。

そして二つ目のポイントの、インボイス制度の導入による影響への中小企業の意識であるが、懸念が指摘されている「個人事業主等の免税事業者がインボイスの導入により課税事業者から取引を敬遠されるのではないか」という懸念は、課税事業者の10.8%が「取引をやめるか、少なくとも取引継続に関して検討する予定」と回答しており、更にある識者の「10.8%に留まらず実際にはもっと多いのでは」との指摘もあり、インボイス制度の導入による懸念が実態として存在していることが伺われる調査結果となっているとしている。

今回フト思ったことは、インボイス制度とその影響についてのことが主眼ではない。「東京新聞が城南信用金庫と共同して世論調査を行った」という事実の確認により、フト頭に浮かんだ情景に関することになります。

常々、世論調査は我々市民の非常に大きな権利であり、その権利を実際に活用したいものだと考えております。

そしてもし現在の世論調査に欠陥があるのであれば尚更のこと、指摘される瑕疵を取り除くこと、そして原則上バイアスがほぼかかる恐れがないシステムを作りだし利用していくことが望まれると考えております。

その上で、市民の意識動向の定点観測値を得るシステムともいえる、市民による、市民が本来有する権利である市民の為の世論調査を実施して、公正で正確な市民の意識動向の結果を得、それを一つの判断材料として世の流れを構築できないものかと、常々思っております。

そんな普段考えていたことをふと思いだしたことから、世論調査の実態を含めて少し調べてみました。

2021年9月26日にJ CASTトレンドという媒体に「世論調査回答率低下で信頼性は かつては80%超が、今や40%台に落ち込みも」という記事があり、先ずはこの記事からポイントを拾って紹介すると

1) 近年、世論調査の回答率が落ちてきているという問題が起こっているという。
 日本の世論調査の歴史は長く、かつては80%を超す回答率で、信頼度も高かったと言われている。例えば内閣府の行う「国民生活に関する世論調査」の回答率は1984年までは80%以上。それが1995年には75%を割り、2004年には70%程度に、そして今では50%台という。
 同様に2021年8月29日公表の日経とテレビ東京の世論調査(内閣支持率やコロナ対策等)の回答率は46.6%(乱数方式採用の携帯含めての電話による調査)で50%を下回っている。
 菅首相の続投の是非を問うた朝日新聞の世論調査では固定電話の回答率が51%(1095世帯にかけて有効回答556人)、携帯の回答率は43%(1964人にかけて有効回答839人)。固定と携帯を合計すると回答率45.6%となる。

2) 世論調査の方法論の問題
 かつては、調査員による戸別訪問だったのが、個人情報の保護意識の高まりがあり、2006年の法改正により住民基本台帳の閲覧をもとにした調査が出来なくなり、代わりに登場したのが固定電話による調査、そして携帯やスマホといった時代に移り固定電話が縮小するという時代にあわせた世論調査へと変遷している背景がある。
 しかしこの時代に合わせたが為の結果、世論調査に課題が突きつけられている状況がある。
 一つは、世論調査の意義や重要性を調査対象者に伝えることが、かつての戸別訪問方式では出来ていたのに対して、携帯やスマホを含めての電話方式では意義や重要性を伝えることの困難さがそもそもあるという。
 踏み込んで言えば、世論調査電話がイタズラ電話や勧誘電話と区別できないという事実が一方にあり、そして通常人は未登録番号や知らない番号ましてや非通知の電話には「答えない」というケースが既に一定数存在しており、それが傾向として増加していく可能性があるというのである。
 現在の電話は、相手先が登録済の人からの電話か、あるいは見知らぬ非通知の電話か、が電話に出る前に判るまでになっており、敢えて非通知には対応しないのが常識化しているのが現在であろう。そしてオレオレ詐欺を筆頭に電話を手段にした詐欺師たちが手を変え品を変えて良からぬことに血道を挙げているという世の中の背景がある。
 従って、通知電話であろうが無かろうが見覚え聞き覚えの無い電話に対して、人は「見知らぬ電話には対応しない」が一般的になって来ている世相と思う。
 よって、見知らぬ電話に出る・出ないという事が調査結果に跳ね返ってしまう可能性を秘めた、現在主流の無作為抽出の電話世論調査には、とんでもない欠陥があると言える。そして、それが放置されたまま世の中でまかり通っているのが今の状況となります。
 またインターネット上で世論調査と類似の調査があるが、ここではネットの特定サイトを見ている人に偏った解答になりがちという欠点が存在している。

3) かかる状況のもとで、現在の世論調査を手掛けている専門家らがどう状況を捉えているかを見ると、
 日経リサーチの世論調査部長の佐藤寧さんは、回答率を高めるために、例えば1問だけでも良いとして、他の設問を無回答としてしまうと無回答が不自然に多い偏った調査になり、また回答が期待できる年齢層を狙っての調査を行うと回答率は上がるもののある特定の年齢層に偏った調査結果になるとして、「回答率が高いことはイコール品質が高い望ましい方向ではないという点に注意する必要がある」と指摘している。
 その上で、原則として「調査の趣旨を丁寧に説明して調査対象者の理解の上での世論調査活動」の重要性を指摘している。「この努力を怠ると、現状の方式の無作為抽出の電話方式では突然の電話にも対応するという人柄がよいというか警戒心の薄い人の集団からの世論調査結果を追い求め、拾い集めるという恐れがある」としている。佐藤さんは「自動音声応答通話(オートコール)方式の調査は世論調査ではない」とさえ言いきっている。

総括としてJ CASTは「回答率が低くとも、きちんと対象者が選定されていたら、精度の高い調査は可能ということなのかもしれない。デジタル時代になっても、世論調査は『人力』に頼る部分が大きいようだ。」と結論付けている。

ここで今回の東京新聞の世論調査の方法論を見ると、「調査は9月11~13日、城南信金が東京都と神奈川の本支店を通じて実施。取引先の企業892社から回答を得て東京新聞が分析した」となっている。電話での調査ではないと思われ、この点は評価できそうだが、もう一つの問題点の回答率の高さに関しては判断する情報がないのが気にかかる。

市民の権利としての世論調査の方法論は、やはりかつての対面方式が望ましいと思う。機械音声のオートコールは問題外だが、携帯や固定電話を使用する人力による現状の調査様式は指摘される根本的な欠点があるものだということが明らかになった今、重要な市民の権利である市民の意識の大勢を公正で正確に掴むことが出来ていない現状は放置していてはいけない課題を残しているといえる。

世論調査の形式・様式上の瑕疵の存在を指摘したが、別の課題の存在も指摘してみたい。それは物語(narrative)に絡む問題である。

何事も常に、人・もの・金を支配する権力者や彼ら所属の組織が、彼らにとって都合のよい物語(narrative)をこしらえることから世の流れは始まると言える。

そして、現代の人・もの・金を支配している人なり組織は、技術革新競争至上主義にいち早く気付いた主体者(権力者・強国)であり、彼らは概ね都市部に生息し、農・漁村地域や森林・山岳地域という周縁部を切り離して活動しているのが特徴といえる。

この構図により支配者vs.被支配者、グローバルノース(グローバルウェストという人もいる)vs.グローバルサウスという対立構造が国内的にも、また国際間にも生じている由縁である。

この構図で具合の悪いのは、都合のよい物語(narrative)をこしらえることが出来たのが、都市部に生息する権力者であり強国だけであったという歴史の存在であるといえる。

彼ら主体者らが作った都合のよい物語には、周縁部に追いやられ、そして無視されてきていた人々のことは先ずは語られることはなかった。この周縁部にはグローバルサウスの国々が入っており、そしてグローバルノースに含まれているものの、やはり周縁部の地域が無視され続けていることは限界集落のことを持ちだすまでもなく自明のことであろう。

しかし自明ではあったとしても、実態としては主体者らが作る都合のよい物語(narrative)には参加出来て来なかったのである。ここに構造的な課題・宿題が存在して現在に続いているのである。

しかし、この根本的問題の改革に最近ようやく世界的には目が向けられ始めたと思われる兆しが出てきている。

BRICSが打ち出した5カ国から来年には11カ国へと拡大であり、G20インド会議にアフリカ連合の参加をModi首相が主導したことであり、そしてケニアのRuto大統領が主導し先頃開催のナイロビでのアフリカ気候変動会合の結果である。

今まで声が届かなかった、いや先進諸国があえて聞こうとして来なかった、主にグローバルサウスの国々の声を聞こうとするBRICSの動き、Modi首相の試み、そしてアフリカからアフリカの総意としての声を発信しようとする試みであるRuto大統領の試みは、グローバルサウスが世界に向けて壮大な物語(narrative)を提示して世の中・世界の今後の行方に正当であり真っ当なインパクトを与えようとする大きな動きと見ることが出来る。

Modi首相の語る今後の物語。Ruto大統領が代表するアフリカからの物語。ナイロビでのこのアフリカの発する物語は11月末のDubaiCOP28に向けたアフリカの意見集約であると既に表明されている。COP28の動向への期待が膨らむところである。

この様な今まで権力と無縁であった人々や組織の声を聞く耳を権力者らが持つこと、そして権力と無縁の人々や組織が声を発することの権利を真っ当に主張して、正当な主張を世に提示していけるシステムを作ること、そのシステムを活用して権力と無縁の立場の人々が物語(narrative)を作って提示していくという世の中の流れを作っていくことが、権力者や権力者に忖度する識者らからのみの物語を基にした現在の世論調査の問題を、多方面からの物語の競い合いを基盤とする真っ当な世論調査にしていく上で必要な作業であり、今現在この宿題が残っていると考えております。

最後に東京新聞の世論調査活動に一つ期待を込めて注文するとすれば、全国にある各地方紙と共同して、かつての戸別訪問形式の世論調査制度の構築をお願いできないか、である。手足となって動いてくれることを期待したい組織は、例えば全国の大学の社会学関係の先生であり高校の先生も協力が期待できるのではと思っている。

敢えて物語(narrative)という言い回しをふんだんに使っていますが、これはnarrativeというキーワードを含んだ文を用いてネット検索すると結構面白い情報に辿りつけることを体験しているからです。キーワードという言葉にこだわることも調べる上で大切なことと最近考えております。ご参考までに。

「護憲+BBS」「 新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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コミュニケーションと倫理を欠く社会

2023-09-11 09:41:51 | 原発
現在の社会情勢を見渡すと、戦争や相次ぐ自然災害など長期的に向き合って地道に対処しないといけない現象事象にあふれている。

暦の上で秋になってから一ヶ月以上経っても続いている猛暑は、あたかも災害であるかのごとく論じられているようだ。しかし、実際にはこれまでの人類の生活によって地球温暖化が進んだ事実は、世界中で共通認識となっているだろう。

市民に常に忘却を迫るように連日あらゆる報道やコンテンツが生産され、消費するように仕向けられている。しかし、そんな中でも決して忘れることができないのが、このコラムでもしっかりと記憶にとどめようとしている汚染水海洋放出の問題である。

農水相が公の場で「汚染水」と言ったことは「失言」とみなされているが、筆者にはフロイトのいうところの「失錯行為」とも解釈できた。何かの拍子に普段は無意識の範疇に抑圧しているはずの事柄が意識の範疇で認知できるようになることを指し、夢や言い間違いなど日常的に経験する現象である。

今回の場合も、汚染水の放出を決めた人たちは、現時点では放射性物質が基準値を下回っている点などを拠りどころにして、あくまでも安全に処理された水を海に流して最終処分するのだと考え、世界全体に対しても理解を求めているのだろう。だが同時に、たとえ基準値を下回っているにしても30年間放出し続けることへの懸念や放射性物質以外にも害のあるものを放出するのではないか、放出している間に新たな災害の発生などで汚染水放出を中断することもありうる、などの不安や懸念を彼らは無意識の領域に押しやっていると考えて間違いない。

舵取りをする人物たちが、人間として生きることに直結した根源的で重大な疑問や課題を無意識に抑圧しているのだと、一般市民たちが生きる社会の側では気が付いているのではないか。

生命にかかわる問題や各人のQOLを脅かすような懸念を、ステークホルダーもそうでない一般市民たちもすべての人たちが認識している。だからこそ、専門知を持たない世論の側からの問題提起や疑問の表出と向き合わず、汚染水の海洋投棄を開始する数日前になってようやく漁業関係者に「理解を求める」のだろう。

欧米の後追いで形だけ真似しているかのように見えるが、近年では自然科学の研究とそれらの知見を活かした科学技術分野においてELSI(Ethical, Legal and Social Issues)やRRI(Responsible Research and Innovation)を考慮すべきであるとの声が聞こえてくる。

しかし、原発事故によって作り出された汚染された土も水も最終処分にいたるまでには世論を聞き入れることはなく、社会的な課題に十分に向き合い対話しようという意思は感じられない。

ましてや原発事故の汚染水を海へ廃棄することは過去に前例がなく、まさに新しい科学技術的な問題に該当する。それにもかかわらず、世界全体での公共財でもある海を汚染すること、ヒト以外の海洋生物の生命に何らかの影響を与える可能性があること、といった倫理的な課題とも向き合わない。さらには政策の意思決定に専門知の外側にいる市民が関与していない点も倫理を欠いた合意形成プロセスに思われる。合意というよりも一方的な同意を求めているようだ。

日本では学問を軽視している現実、特に人文科学と基礎科学をないがしろにしていることは明らかである。科学技術と関わる倫理、法、社会の問題の中でもとりわけ倫理的な側面から生じる問題にたいして様々な立場の人が関与して方向性を定めなければならない。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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東京新聞「関東大震災100年・時を超えて(下)」(「都新聞」の記事について)

2023-09-06 13:07:14 | マスコミ報道
9月3日の東京新聞の特集記事『関東大震災100年・時を超えて(下)』で、「東京新聞」の前身「都新聞」の「震災後の朝鮮人に関連した記事」を紹介していました。
曰く:
「爆弾や凶器を携へて暴威をふるった不逞朝鮮人」「ピストルを乱射し、女性を強姦」「抜刀で避難民を袈裟切りにす」(1923年10月21日社会面トップ)
「民衆を畏怖せしめ、激高せしめたるの罪、不逞朝鮮人にある。自警団の暴行は悪きも、その当時の事情を考慮する必要がある」(1923年10月22日コラム「一事一言」)

あの東京新聞の前身の新聞が?!と正直愕然としました。

コラムの「自警団も悪いが、当時の事情を考慮する必要が、、、」ということなかれ主義的で結局体制につく「どっちもどっち論」を、私たちは今も多くのメディアで目にします。

私たちは、贔屓のメディアに盲目的に従うのではなく、パンドラさんが「映画『福田村事件』紹介記事で言っているように、率直に話し合える仲間の存在を大切にしつつ、事実を見極める努力を怠らないことが必要だと、つくづく思いました。

なお、今回の記事を書いた東京新聞・原田諒記者は、記事の終わりに、「私の曽祖父は都新聞の記者だった。これら記事への関与は不明だが、虐殺を正当化する論調は許しがたい。・・・
何年かけてでも誤りは正していかないといけない。」
と結んでいます。

自社の前身の新聞社に対する率直な批判と、この記事を掲載した東京新聞の英断には、改めて信頼の念が湧きました。これからも頑張ってください!

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子
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戦争の“不都合”を隠してきた日本政府

2023-09-04 11:21:12 | 戦争・平和
落としどころの探れないロシア・ウクライナ紛争。当初からウクライナ全域が絶え間ない攻撃を受け、軍人はもとより多くの民間人が戦火に晒され犠牲になっている。一方のロシアもウクライナからのドローン等で国内を攻撃されることが増え、自国の正義と勝利を信じてきたロシア国民も返り血を浴び始めた。そこへ“国民的英雄”キーマンのプリゴジン氏が事故死(暗殺説あり)したことで厭戦気分が高まり、戦争終結に向かうことを期待した。

そんな折にネット記事で、2015年にノーベル文学賞を受賞した女性ジャーナリスト・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ氏の著書「戦争は女の顔をしていない」が漫画化されたことを知った。独ソ戦争へ従軍した500名以上の女性にインタビューを行い、戦場の真実を記した内容によってロシア国内での出版を断られ続けた“問題作”との事で、ロシアの国民性と戦争に対する本音をしりたくて1・2巻を購入した。(現在、第4巻まで刊行)

このコミックス「戦争は女の顔をしていない」(原作;スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、作画;小梅けいと、監修;速水螺旋人、出版;カドカワ)の第1巻には監修・速水氏のよる大祖国戦争(独ソ戦)の簡単な解説と図解が巻末にあり、現在のロシア・ウクライナ紛争は旧ソ連圏のロシア人同士が戦っていると気づかされる。さらに、男女同権を唱える社会主義国・ソ連は女性が率先して前線へ向かい、洗濯係・看護師・偵察兵・狙撃兵・砲兵・飛行士などに従事した。その過酷な戦場体験は、漫画化によって理解しやすくアレンジされている。作中には原作者が登場し、インタビュー時の様子も知ることができる。

その中で印象的なのは原作者の葛藤である。取材対象者の主観を真実とした一次原稿(インタビューまとめ)に対し、彼女達から戻った二次原稿(校正稿)には添削や変節が多かったという。校正稿は「そんな(悲惨な、恥ずかしい)話はしていない」「本意と違う」などのコメントで消し込んである。また、取材時に対象者以外の人間(夫、親類、元兵士の男性)が同席していると、恐怖・恥辱・理不尽・告発のような体験談が美談・武勇伝・栄誉で誇り高いものに置き変わったり変節したりする。書籍化が「ロシア国内で出版を断られ続けた」所以だろう。

原作者は女性兵士の悲惨で屈辱的な戦場体験を聞いた通りに克明に記述しただけだが、曲解された男女平等の思想や戦勝国のプライドがそれを否定してしまう。これでは、戦争の不条理や教訓を後世に活かすことができないだろう。現在ウクライナを武力侵略しているロシアの国民(特に独ソ戦世代)が勝利を信じ、プーチン政権を支持している理由が少し理解できた。

しかし、その類の感情は戦後日本にも根強く残り、右翼的な政治家・国粋主義者・ネトウヨに引き継がれているように思う。戦争加害国・敗戦国なのに、である。
・靖国神社を公式参拝する政治家
・愛国心を強要する政治家
・関東大震災での朝鮮人虐殺を反省しない都知事、国会議員
・A級戦犯の東条英機、不起訴となった岸信介を擁護する人たち
・「必要だった」「仕方がなかった」と無謀な戦争を肯定する人たち
・特攻作戦を感傷的な美談とし、批判を許さない人たち
戦後、日本政府は「戦争の過ち」について客観的事実を掘り起こし記録に残してきたとは到底思えない。むしろ、都合よく“水に流そう”としている、フクシマの汚染水のように。同じ敗戦国・ドイツとは対照的だ。

例えば、人間を操縦部品扱いした特攻兵器「桜花」。「1機で敵艦1隻を撃沈する。敵を恐怖に陥れ、戦局逆転を狙う」という思い付きが無責任な根回しで実機になった。軍上層部は非人道的な作戦と思い、搭乗員は「志願による募集」との建前にした。しかし、実態は各航空隊で「お国のため」「大和魂を見せろ」「志願ゼロでは格好がつかない」等の理由で打診を断れない雰囲気ができ、多くが特攻隊員を強制された。しかも初戦では味方の護衛機が揃わず、敵到達前に精密レーダー補足され、敵戦闘機により15機(一機当たり一式陸攻8名+桜花1名搭乗)が全滅し、一瞬にして135名が戦死した。以降、計10回出撃の戦果は微々たるもので、計715名の尊い命が失われた。その後も通常の戦闘機・爆撃機等での特攻が終戦当日まで繰り返されている。

その特攻作戦に「無謀な作戦」「犬死に(無駄死に)」等の批評をすると「お国のため、家族のために美しく散って逝った者を愚弄するのか!」と怒る人がいる。いやいや、特攻に「行かされた」人を責めたり批判したりしているわけじゃない。彼らは戦争の被害者、大本営や軍部の戦争継続派が加害者。アナタが怒る矛先は無謀な特攻作戦を立案・指揮・忖度したのに戦後たくましく逃げ回った人たち、政治家や自衛隊幹部になった輩達ではないのか?詳しくは新刊「カミカゼの幽霊~人間爆弾をつくった父~」(神立尚紀著、小学館、1,980円)を読んでいただきたい。太平洋戦争に従軍した人や軍部の中心にいた人の多くが他界する昨今、「戦後のドサクサ」まで丁寧に追跡取材・検証・考察した良書である。

ウクライナ紛争において人海戦術で消耗品のように戦死させられるロシア軍兵士、安全圏で戦争を指揮するプーチン以下軍参謀を目の当たりにすると、78年前の愚かな日本を思い起こす。私たちは「やってはいけない」戦争の理由と結末を数多く掘り起こし、記録し、語り継がねばならない。

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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映画「福田村事件」善意は暴走する

2023-09-04 01:32:55 | 社会問題
森達也監督の映画「福田村事件」を観た。

大正12年9月1日に首都圏を襲った関東大震災にに乗じて、千葉県の福田村(現 野田市)で香川から来た薬売り15人の内9人の人間(お腹の胎児を含めて10人という説もある)を集団で虐殺した事件である。

震災が起きる以前、村の人々は窮屈だけれど平和な生活を営んでいた。当時の日本の何処にでもあった風景。しかし少しづつ不穏な空気がただよい始める。

朝鮮から帰って来た日本人夫婦の妻の服装を見て「朝鮮人でなかっぺか?」と囁く女将さんたち。 香川から来た薬売り15人の一行にも、よそ者であるというだけで胡散臭げな眼を向ける農民達。

そして関東大震災が村を襲う。

大災害、倒壊した建物。 生き延びて良かったと思う間もなく、〈不逞朝鮮人〉という言葉が村の中を飛び交う。

軍服に身を包んだ元軍人や村の重鎮達が、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「あちこち火を付けまわり狼藉、暴動を働いている」と言う根拠のない話を拡大して、怪しい輩を取り締まると集まりはじめる。

更に根拠も確かでない情報を新聞はセンセーショナルに書きたて、人々の不安や恐怖を煽る。内務省の通達も「国民は自衛せよ」と、根拠のない噂を元にした酷いものであった。

村長はリベラルな意識を持つ人で何とか押し留めようと奔走するが、彼が苦しげに呻いた様に「こうなったら誰にも止められない」事態まで村人達の意識は紛糾していた。

そして薬売り15人を一箇所に集め村人達の尋問と狂気に満ちた大虐殺が始まる。

この映画の監督 森達也は、「善意は暴走する」とインタビューに答えている。

彼が取材を通してオウム真理教の施設に入り信者達と接した時、その優しさや暖かさに驚き、「何故こんな人達が恐ろしい犯罪を犯したのだろう?」と考えた。そしてその背景には、「集団の倫理」と「暴走した善意」があったのではないかと語っていた。

映画でも、「朝鮮の人達に対する恐怖や不安」「日本という国が行って来た彼等ヘの人権無視の行為からくる後ろめたさ」を押し殺し 、「村を守る。女子どもを守る。我等男衆が身体を張って〈不逞朝鮮人〉からこの村を守らなくて誰が守るのだ」と熱り立ち、〈不逞朝鮮人)はその時の彼等にとっては既に人間ですらなくなっていた。

関東大震災から100年の時を経た時代に私達は生きている。だが私とて今何かが起きたら根拠のないフェイク情報に惑わされ右往左往しないとも限らない。そんな時、「パンドラさん少し落ち着いて」とか、「〇〇さん落ち着いて考えてみようよ」とか、お互いに声を掛け合う友人や仲間達がいる事は大切だと思う。

その時少し立ち止まって考えてみよう。そんな情報から距離を置いたら見えて来るものがあるかも知れない。100年前も今も変わらない、 いや、ネット等で情報が瞬時に飛び交う今だからもっとたちが悪くなっているのかも知れない。

だからこそこの映画を一人でも多くの人達に観て欲しい。

そして行商人の親方(永山瑛太が演じていた)が言った最後の言葉「朝鮮人なら殺してもいいのか!」は、あの映画を観ていた私達に向かって言い放った言葉かも知れないと思っている。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
パンドラ
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