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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

5.3市民意見広告「武力で平和はつくれない!」

2025-05-03 10:11:11 | 憲法


憲法記念日の今日、恒例の「5月3日、市民意見広告」が、朝日新聞全国版、大分合同新聞、沖縄タイムス、毎日新聞全国版、八重山毎日新聞、琉球新報の計6紙に掲載されました。

今年のメインタイトルは「武力で平和はつくれない!」、サブタイトルは「80」です。
今年の主張は「敗戦80年と憲法」「武力は戦争の抑止になりません」「私たちにできること」の章分けで語られています。

「市民意見広告とは(歴史・あらまし)」、今回の「意見広告の詳細」は以下をご覧ください。
https://www.ikenkoukoku.jp/about/
https://www.ikenkoukoku.jp/archives/944/



「老人党・護憲+」も長年にわたり参加しており、今年も賛同者に名を連ねました。画像の文字「80」の下の丸(ブルー部分)の右上方に名前があるのですが、分かりますか?

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子

***
☆「gooブログ」が11月18日をもってサービスを終了するとのアナウンスがあり、「護憲+」ブログも「Hatenaブログ」に引っ越すことになりました。
引っ越し先は以下になります。(あと数回こちらにも投稿する積りですが。)
★「老人党リアルグループ「護憲+」ブログ」★
https://rojinto-goken.hatenablog.com/
これまでの長きにわたるご訪問有難うございました。
新しいサイトにも是非引き続きお越しください。お待ちしています。

見えない全体主義に向かう日本(マイナンバーカードの違法で、気づく)

2025-02-22 14:39:08 | 憲法
1,はじめに(問題提起として)

戦後史の検証をしてきたが、この国では「肝心なこと」は隠蔽されているようだ。憲法判例(憲法だけではないが)を見直して見るとよく分かるのだが、今回のコラムとは関係ないので、詳細は省く。

さて、テーマ(副題の「マイナンバーカード問題」)に沿って、憲法論(「持論」の構想が主です)の視点から批判的に検討する。

マイナンバーカードは当初からずっと「任意」とされてきた。つまり、このカードは「個人」の任意に任されていて、紙の保険証でも何ら差支えない、という法的な意味である。これが原則だということだ。
しかるに、その「任意」の原則論がいつの間にか、保険証との「紐づけ強制」となっている。法令も改正されていて、保険証は無効であり、マイナンバーカード一本に統合した、期限は限定された、となっている。

医療機関の一部の方が、これに反対して違憲訴訟を提起したが、東京地裁は、毎度おなじみの「合憲判決」で応じたようである。(判例などは読んでいないので、最近に知った。)

2,何が法的に問題なのか

憲法学や法曹は「弁護士会の反対」を除き、マイナンバーカードの違憲と違法性(任意なものは強制できない)に目をつぶっているようだ。黙認しているということである。

戦前のファシズムの経験とそこからの教訓をもう一度謙虚に想起するなら、今回の政府の「横暴」;任意のマイナンバーカードを「紐づけ強制」して、法改正まで行っていること:は黙認して済む問題なのだろうか。それは到底、できない相談である。

その理由であるが、ナチスドイツはワイマール体制の要である憲法秩序を全権委任法で、クーデターを秘密裏に起こし、緊急事態条項などで「国民の人権などを停止させた」のである。これは暴力的にではなく、議会で多数を占めたナチ党(国家社会主義政党の略語)の「合法的」な民主主義の手続きに基づく。ヒトラー(とその集団)は冷静であり、巧妙である。(ヒトラーの狂気はユダヤ人の「絶滅計画」の方にあったのだ。他は冷静な判断が多い。)

この「方法論」は、現在の自民党と官僚のトップ集団にも継承された。(麻生副総裁、曰く「ナチスの手法に学べ」。)
これを狡猾、巧妙にやってのけたのが、安倍晋三元首相である。歴代(自民党)政権が拒絶してきた「集団的自衛権の行使容認」を、あろうことか、国会審議もネグレクトして、「閣議決定」という裏技で決めたのである。これは憲法9条を中心とする憲法秩序の破壊であり、クーデターであると解釈できる。

この問題の「延長線上」に、今回の「マイナンバーカード」システムが「存在」すると言っても過言ではないだろう。

3,マイナンバーカードの違憲性とは何か

こうして、「任意」とされていた、マイナンバーカードの法的な強制がいつの間にか進行していて、「紙の保険証」は無効となり、有効期限は迫っている。そして、国民多数はマイナンバーカードに不信感を抱き、これを支持していないし、紙の保険証という健全なものに依存しているのである。
つまり、事故が多発する、デジタル庁、御用達のマイナンバーカードに大きな不信感を表明している。
これが、現在の実体なのである。

結論を最後に言及する。
デジタル技術である、マイナンバーカードの強制は、国民の「任意」という自己決定である「思想・信条の自由」を侵犯ずる、「基本的人権」の国家による侵犯なのである。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

「国民の人権規定」の内実の論争がない日本の憲法学(第二弾)

2024-09-07 17:05:54 | 憲法
1,前回の続きから

前回投稿では、国民概念(憲法10条)の外延の問題点を批判的に検証して来たが、この国の学問も劣化が甚だしい。そして、それは国民の人権規定(総論としての13条以下)の「内実」にも明確に現れている。

研究者としては、学会の怠慢を見過ごすことはできないので、本稿で指摘して、読者の反響を聞きたい(一人でも可だ)。

結論を先取りするが、人権の享有主体である、国民個人にとって、例えば生存権(社会権の根幹規定だ)の行使を行えば、必ず親族(主に両親と兄弟)の援助が可能であるかを確認してから、生存権の請求(生活保護の申請)をしてくれ、と通知がくるだろう。

つまり、憲法の13条及び25条の規定は、生活保護規定と関連法規である民法877条;扶養の義務:が優先されることになっている。

この人権規定の内実から、憲法規定は行政実務と法令規定によって拘束されていることが分かるのである。

2,「憲法、人権規定の実現法制とその実態はどうなっているのか」

これが本稿のライトモチーフとしての論点である。

つまり、行政の法令規定と実務では、生存権などの人権規定は憲法13条の定める次の規定の基本的部分は依拠されていないことが観取できる。
「すべて国民は個人として尊重される。(中略)国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。

この総論規定から分かることは、憲法が国民に保障する人権規定は、どこまでも「個人の尊重」原理に立っているということだ。これに例外は「公共の福祉に反しない限り」という原理のみである。
民法規定の「扶養義務」の政府の要求がこの「例外」に属するとは思えないのである。(この論証は次回に譲る)。

つまり、最高法規である憲法では、個人の尊重がすべてであり、民法原則である、家族主義;民法の親族法の原理である「親族」規定の725条等に基づくものとは言えないのである。

私は憲法規定が生存権及び実現法制の生活保護法の基準となる個人主義に依拠するべきと考えている。

それに対して、政府の解釈は全く違う「原理」に依拠している。つまり、憲法ではなく、旧民法(法改正は戦後一部のみに止まった)と現行の家族法の「家族主義」に依拠しているのである。

これは、「個人の尊重」を原理とする憲法原則である個人主義ではなく、家族主義を戦前から継承してきたと判断できる。
実際に憲法の戦後史(憲法判例など)を俯瞰するなら明らかだ。

代表的な事案として、『朝日訴訟』を一部のみ引用するなら、朝日茂さんが療養所(サナトリウム)から、憲法裁判を提起した後に、行政官は朝日茂さんの兄を探し出して(行方不明であったとされている)、兄に扶養義務の履行を命じて、かなりの金額を生活給付の一部にしている。それにもかかわらず、最高裁は、原告敗訴の判決を出したのである。

今回投稿では論点が十分に論証できておらず、「続き」は次回に譲る。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

憲法の「国民」規定は学者が言うように自明なのだろうか

2024-07-27 10:08:11 | 憲法
1,はじめに

およそ50年前に大学生になって法学部に所属した若き日の自分であるが、その時分は憲法の「国民」規定(第10条)にあまり疑問を抱くことはなかった。

憲法では、「日本国民である要件は、法律でこれを定める」となっている。
憲法は国民主権を大原則としていて、その次の規定では「基本的人権の享有」の主体は国民であると宣言する。こうして、憲法の三大原則が、国民を「主体」として、憲法原理が構成されているのである。
そして、憲法第10条の委任により、議会で「国籍法」が制定されることになった。

アメリカ憲法などとは異なり、日本人(?)の国籍の取得は、血統主義と言われる規定となっている。つまり、父母のどちらかが日本人となっている場合に、国民は日本国籍を取得するとされているのである。(最近の改正以前は、父性主義と言われる規定であった。)

だが、「国民」という括り、概念規定はそんなに憲法学者が言うほどに「自明」なことなのだろうか。
最初の疑問は、憲法の起草をしたGHQの英文では「国民」とはなっていない。その英文では、ピープルとネイションの二つになっている。なので、日本語でも、「国民」と言うのが適切でない場合は、「何人も」と主語を使い分けているのである。
学者のいう「自明性」は論理的にも矛盾を来しているし、憲法典でも「国民」という概念だけでは、人権などの規定も事態にそぐわない事案は多いのである。

ここまでは、争いのない憲法の議論であるだろう。しかし、憲法制定以前の歴史や現在でも、「日本国民」という概念には大きな問題がある。何故か。

日本の近代の歴史では、現在のような「日本国民」は「日本人」に限定されておらず、朝鮮半島を属国にしていた韓国併合の歴史もあり、また台湾も日本国が支配下においていたのであり、当時は在日朝鮮人や在日中国人(台湾の人たち)も日本人と処遇されていたのである。そして、敗戦後に朝鮮や台湾が日本の支配下から離脱するとこれらの「在日外国人」は日本国民ではないという法令になったという経緯があった。

2,以上の問題点が今回コラムの執筆動機;ライトモチーフであるが、問題とする「論点」は大きくは二つある。

①一つは、いくら日本の敗戦によって、日本の統治を受けていた国々が支配から解放されたとはいえ、日本に定住している「在日外国人」は故国に帰れ、または、「日本国民」ではないと言われても、全部の人が帰国するというわけにはいかないのである。帰国できる人は少数であろう。

②もう一つは、歴史的に近代以降に日本の領土とされた「民族」の「国民化」の問題である。
こうした「民族」は少なくはなく、大きくは二つの民族が存在し、一つは「アイヌ民族」であり、もう一つは「沖縄民族」(琉球民族)である。南西諸島の奄美大島なども歴史的には他民族であったと言える。
現在では、アイヌ民族は、先住民族として、政府によっても認められている。だが、沖縄人は、先住人族の認定を受けていない。

①と②をそれぞれ、その「問題点」を確定していこう。
(①の問題の参考になった著書は、田中宏著「在日外国人」岩波新書である。)

「在日外国人」の国民概念からの離脱は、当事者にとって、大きなリスクを伴うことになっている。
それは、今まで日本国民とされていたが、故国が日本の統治から離脱すると、定住しているにも拘わらず「国民」ではない、在日外国人となって、憲法が保障する「基本的人権」の享有の大部分は否定されることになったのである(生き死に与奪権など以外は)。
日本国籍が否定されると大きな権利保障はなく、暮らしも大変だと思う。
実際に、小学生の時の友人は日本の公教育で育っていたが、ニワトリ小屋のような家に住んでいた。

こうした「在日外国人」の日本国籍の否定による苦難などは、次回コラムで、田中宏教授の著書を参考に詳しく検討をする予定である。

3,アイヌ民族と沖縄人(先住民の認定はない)の日本国民への近代の包摂

近代以降に日本国の領土とされた、「先住民族」の問題も実は大きな「社会問題」として、本土人の私たちに問いかけているということである。

沖縄諸島の問題から見ると、現在では米軍基地の多くが沖縄県に存在しており、米軍:アメリカ政府は、今の基地から辺野古移設を計画して、実際に大規模な移設工事は始まっている。そして、日本政府は、沖縄諸島の軍事要塞化を推進していて、「台湾有事」を騒ぎ立て、沖縄諸島などを自衛隊の基地も米軍基地と並行して建設している状況になっている。
この沖縄への軍事要塞の推進問題も沖縄人の「先住民族」の認定問題と関連させて議論を再構築するべきだろう、次回コラムに詳細に論じる。

そして、先住民族のアイヌ民族であるが、以前に書いたように、アイヌ人が本土人からの差別を受けることなく、先住民として、誇りをもって生活圏を確保できているのかも、次回コラムで、点検したいと思う。

今回コラムでは、問題提起に止まったが、次回で、具体的に検証をするつもりである。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

「護憲でいいじゃないか」の意味

2024-05-19 15:37:50 | 憲法
猫家五六助さんのコラム「護憲で、いいじゃないか。」拝読しました。

安倍晋三の罪状は数え上げればきりがありませんが、数々の重要な法案も国会を無視して閣議決定だけで通してしまった事、岸田政権もそれを踏襲しています。
だからこそ「護憲でいいじゃないか」という言葉に我が意を得ました。

憲法九条が護られば良い、というわけではありません。
「基本的人権」、「平和主義」、「主権在民」が護られてこそ、そして生活や政治に活かされてこそ、真の民主国家と言えるのではないでしょうか。

そのために私も微力ながら声をあげて行きたいと思わされた猫家さんのコラムでした。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
パンドラ

護憲で、いいじゃないか。

2024-05-14 09:39:33 | 憲法
国民の誰もが、その無神経で無礼な振舞いに呆れたことだろう。長年水俣病で苦しむ被害者の意見を「政府が伺う立場」の懇談会で、発言中の患者のマイクを環境省職員が切った事件である。
この騒動について元毎日新聞の尾中さんが考察し、批判を行っている。

◆水俣病被害者マイク音オフ問題で露呈した、岸田自民「謙虚さ」も「聞く力」も喪失した深刻な現状/MAG2ニュース、2024.05.13付、尾中 香尚里さん(ジャーナリスト)
https://www.mag2.com/p/news/598570

この記事を拝読して同意したが、そもそも自民党が極端に劣化したのは、鬼籍に入った安倍晋三が政権運営を始めた頃からだ。官房長官時代にNHKへ政治的圧力をかけたことは前哨戦であり、その後のモリカケ問題や街頭演説で「あんな人たち」と言い放ち、北海道で気に入らない聴衆を警察に排除させた。この男は「謙虚さ」も「聞く力」も皆無の“私物化総理”だった。

本グループ「今週のコラム」5/6付、パンドラさんの言葉を引用したい。
「内閣は国の行政機関です。立法機関である国会を無視して経済や防衛等の重要な法案を閣議決定で決め、国会がそれを追認するだけに成り下がったら、国会は必要なくなります。日本は民主国家ではない独裁国家に成り果ててしまうのです」

政治的テロではない、宗教的な恨みを買って殺された安倍晋三は、まさに閣議決定をフルに悪用しまくった政治家だった。集団的自衛権の解釈改悪、黒川検事総長のゴリ押し、最悪なのは首相主催「桜を見る会」出席者の推薦枠を首相夫人・安倍昭恵が行使したのに「首相夫人は公人ではなく私人」という下劣で無恥な閣議決定だが、ついには死して自身の葬式まで閣議決定で国葬にしてしまった。

また、先のジャーナリスト・尾中さんの他記事も拝読した。
◆失言どころじゃない差別発言を「石原節」ともてはやしたメディアの大罪/MAG2ニュース、2022.02.08付、尾中 香尚里さん(ジャーナリスト)
https://www.mag2.com/p/news/527895

約2年前の記事だが、水俣病被害者を含む弱者を軽蔑する自民党系差別主義者グループの源流を指摘し、迎合するマスメディアの大罪を批判している。あの傲慢ワンマン男・石原慎太郎の名前と振舞いも久しぶりに思い出した。尾中さんは悪い政治家の死は、日本を悪い方向へ回す歯車が逆回転する転機だと分析し、あきらめ気分の国民を叱咤しているように感じた。

老人党リアルグループ・護憲+は、憲法記念日に主要新聞紙面で「平和憲法を護る」主張を行う「5/3市民意見広告運動」に協賛している。右傾化している政治家やネトウヨは護憲派を「闘わない腰抜け」「理想論のお花畑」とあざ笑って非難するが、彼らには戦争状態の想像力が欠如し、戦争を起こさないために交渉努力する思考力が欠落している。今リアルに報道されているウクライナやガザの惨状を見てもなお、「だから、日本も核武装」「さらなる防衛力増強」などと考える始末だ。

最近、NHKで受信料に値するシリーズが始まった。
◆時をかけるテレビ〜今こそ見たい!この1本〜膨大なアーカイブから未来へのメッセージ
https://www.nhk.jp/p/tokikaketv/ts/WQGK99QWJZ/

その中で、まさしく5月3日に放送された「ドキュメント エルサレム」が秀逸だった。池上彰さんがパーソナリティーを務め、コメンテーターはイラン・イラク戦争で孤児として育った経験をもつサヘル・ローズさん(女優)。
https://excelling.co.jp/talent/sahel/

この番組内でコメントを求められたサヘルさんの言葉が、あらためて印象に残った。
・お互いが主張する「正義」がぶつかり、戦争になる。
・戦争に勝ち負けはない、両方が敗者。
(破壊つくされた焼け跡と多くの死傷者が残されるだけ)
・憎しみは何も生まない、報復の繰り返しが延々と続く。
・過去を断ち切り、赦せることを学ぶべき。
(過去を反省し、憎しみの連鎖を断ち切る)

つまり、日本は武装を誇示して「かかって来い!やってやるぜ!」ではなく、外交努力(情報収集とコミュニケーション)で「拳を収めてくれ、話し合おうよ」を優先すべきである。
それが平和国家であり、平和憲法を護る意味だと思う。

「護憲+コラム」より
猫家五六助

5.3市民意見広告「殺すな!殺させるな!」

2024-05-03 10:18:26 | 憲法


憲法記念日の今日、東京新聞朝刊、毎日新聞(全国版)朝刊、八重山毎日新聞朝刊、読売新聞(全国版)朝刊、琉球新報朝刊の5紙に、恒例の「5月3日、市民意見広告」が掲載されました。

今年のメインタイトルは「殺すな!殺させるな!」、サブタイトルはずばり「命」です。

今年の主張は「再び戦争できる国にさせない」「武力で平和はつくれない」「憲法9条を護り、非戦の未来を!」の章分けで語られています。

「市民意見広告とは(歴史・あらまし)」、今回の「意見広告の詳細」は以下をご覧ください。
https://www.ikenkoukoku.jp/about/
https://www.ikenkoukoku.jp/archives/851/

「老人党・護憲+」も長年にわたり参加しており、今年も賛同者に名を連ねました。画像の文字「命」の7画・8画が交わる辺りに名前があるのですが、分かりますか?



「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子

「日本国憲法」のミステリーを追いかけて(ある著書に出会う)

2024-03-23 09:40:10 | 憲法
1.はじめに

最近、憲法の本を書き出しており、なぜ締め切りのあるコラムなのか、コラム投稿の任が少し負担になっている。
それはともかく、表題が上記のようなタイトルになった。
日本国憲法のミステリーは学生時代から不可思議なものだった。連合軍の占領下で成立した憲法である。学者は間違いを糾すこともないまま、アメリカの占領と発言している。(最近の岩波新書でも、そうなのである。)

確かに、GHQの最高司令官は米軍のトップ、マッカーサー元帥であり、憲法の起草も元帥の名前で呼ばれている。だが、憲法の最大の謎は、制定時はともかく、日本の為政者はGHQの批判を受けて占領軍の草案を少し訂正して、国会の審議を経て、現在の憲法典となっている。

だが、50年代に朝鮮戦争が勃発すると、占領軍はアメリカ主導で日本の再軍備を決行した。そして、あろうことか、戦時中の東条内閣の閣僚であった岸信介を首相に就けて、第二次安保条約を締結したのである。

この急転直下の「憲法」の事実上の「改正」は謎と言わなくして、なんと呼べばよいのか。

2.そういう憲法制定後の世界情勢の激震を受けての、アメリカ主導による、憲法9条の事実上の改正である「自衛隊法の制定」があった。そして、今回の重要な争点となる、米軍の日本在留である「米軍基地の創設」があった。

これが「謎」ではないという憲法学者の日本アカデミーであるが、彼らの憲法テキストには「米軍基地」のきの字もない。(これはジョークだと思うが。)

そうこうして私が悪戦苦闘しているときに、1冊の本が飛び込んできた。矢部宏治(以下矢部氏と言う)著『日本はなぜ、「戦争が出来る国」になったのか』(集英社インターナショナル)という著書である。

3.この矢部氏の本で、私の前述したミステリー;「謎」(疑問)は一気に氷塊した。
矢部氏の言わんとする要点は次のことである。(以下この本の見出しと著者の執筆動機と主張を、冒頭だけ引用します。まだ読み始めたばかりで、コラム投稿には間に合いませんでした。)

『「日本の超エリートも知らない「日米密約」の謎』
「たしかに日米間の軍事上の取り決めには、オモテに出ない闇の部分もあるのだろう、でも、外務省など国家の中枢にはそういう問題も全部わかっている本当のエリートたちがいて、国家の方針を間違わないようアメリカとギリギリの交渉をしてくれているのだろうと。
ところが、全くそうではなかったのです。
現在の日本のエスタブリッシュメントたちは、戦後アメリカとの間に結んできた様々な軍事上の密約を、歴史的に正しく検証することが全くできなくなっている。というのも、過去半世紀にわたって外務省は、そうした密約に関しては体系的に保管・分析・継承することもせず、特定のポストにいるごく少数の人間の個人的なチェックに、その対応を任せてきてしまったからです。
そのため、特に2001年以降の外務省は、「日米密約」というこの国家的な大問題について、ただ資料を破棄して、隠蔽するしかないという、まさに末期的な症状になっているのです。」

(次の見出しがこの本の真髄の、)
『「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約がある』
「この「日米密約」の世界に一歩でも足を踏み入れてしまうと、世の中の出来事を見る目が、すっかり変わってしまうことになるのです。
例えば、2015年に大きな社会問題となった、安保関連法についてです。(投稿者注記;中略 あの安倍政権で「閣議決定」された集団的自衛権の行使容認問題の案件です。)
けれども、すでにアメリカの公文書で確認されている一つの密約の存在を知れば、あの時起きていた出来事の本質は、あっけないほど簡単に理解できるのです。
その密約は、簡単に言うと、「戦争になったら日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約のことです。
1952年7月と、1954年2月に当時の吉田首相が口頭で結んだこの密約が、その後の自衛隊の創設から今回の安保関連法の成立にまでつながる日米の軍事的一体化の法的根拠となっているのです。
けれども、これまでそれは、あくまで日本とその周辺だけの話だった。
ところが、今後はそこから地理的なしばりを外して、戦争が必要と米軍司令官が判断したら自衛隊は世界中どこでも米軍の指揮下に入って戦えるようにする。
そのために必要な「国内法の整備」が、昨年;1916年:ついに行われて」しまった。それがあの安保関連法の本質だったということです。

『日本の戦後史に隠された「最後の秘密」とは?』
「私は今回、この戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約の行方を追いかけるうちに、これが日本戦後史の「最後の秘密」だろうと思われる、軍事面での「大きな構造」にたどり着くことができました。」
「なぜならそこでは日本の現状が「占領体制の継続」ではなく、それよりもさらに悪いものだということが公文書によって完全に明らかに証明されてしまうからです。」

引用を終わります。

矢部氏は上記の結論を冒頭で述べています。確かに、「本文」を読めば、安保条約が、日米政府のトップではなく、日米合同委員会という、いわば、日本の官僚と在留している米軍のトップ同士の「取り決め」で決定されている素気ないものにすぎません。しかし、これが「日米密約」として、日本の法令と政府も拘束する法制度になっているのです。

次回も、矢部氏の超撃の著書を、ポイントを絞り解読していきます。矢部氏は、真相を知って、悲観的にならないように読者に訴えています。米軍とアメリカ政府の言いなりになっている自民党政権というマスコミ論調ですが、そうではないと矢部氏は主張しています。米軍の日本再占領を強く働き掛けてきたのは政府であると。

トランプ政権時にトランプさんは、米軍基地はそれほど要らないだろうと発言していたこともありました。状況は変わるのだと矢部氏は力説しています。

(次回も続きから、次回は占領下の真実に迫ります。)

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

「軍産複合体」と憲法(その1)

2024-02-10 10:17:31 | 憲法
1,はじめに(今回のコラムについて)

憲法規定、特に憲法第9条(以後、9条という)の予定する「戦争の放棄」と「陸海軍その他の戦力は、これを保持しない」との規定では予定されていない、「軍産複合体」の問題性が、現代では厳しく問われて来ていると言ってよいだろう。

なぜなら、AIなどの開発が現代科学の課題としてクローズアップされており、また軍需産業と大学などの軍事研究としての参加も政府などから要請される奇妙な時代になってきたからである。(ここで「奇妙な」とは憲法の規定から見て、奇妙だと言うことだ。)

この「軍産複合体」と憲法規定の問題をめぐっては、池内了氏が「科学者と戦争」(岩波新書、2015年)で、詳細に論じられているので、今回と次回で、池内了氏の論稿をもとに、私の憲法解釈を述べたいと思っている。

2,池内氏は、この本では、「軍産複合体」の問題に関して、次のように述べている。

「軍産複合体への道」(第2章、94ページ以下)
「アメリカのアイゼンハワー大統領が、1960年に退任する際に、軍産複合体の存在を嘆いたことはことはよく知られている。(中略)しかしながら、この批判は功を奏することなく、今やアメリカの国防予算は60兆円に拡大し、軍産複合体は「軍産学複合体」と呼ばれることになった。(中略)」

「一方、日本は、5兆円(2015年の段階で、)の軍事予算の内訳は、人件費が44パーセント、武器の調達・維持費等が40パーセント、基地対策、思いやり予算、研究開発経費が16パーセントとされている。」

「まだ、アメリカのような状況ではない。といっても、武器調達費用に1兆円以上は三菱重工や三菱電機や川崎重工など軍需産業に発注されており、戦前に肥大した「軍需費用」に近づいているのは確かである。」

このように指摘する池内氏であるが、今回コラムでは、池内論文の概略をざっと目を通したにすぎず、まだ全体を理解できていない。今回は私の問題提起に止まることを予め断っておく。

3,中間報告のまとめ

憲法学では、憲法9条などの「戦争の放棄」と「戦力の不保持」に関しては、軍隊という武力組織の禁止規定に止まるような書き方がほとんどであり、「軍需産業」と自衛隊の結合である「軍産複合体」に関する記述は憲法テキストには見られない、と思っている。

だが、アイゼンハワー大統領の危惧しているように、軍需産業の「発展」は否めない現実であり、特に日本政府とアメリカ産の武器の必要以上の爆買いは、マスコミでも大きな話題になってきた。

この問題点に関して、軍産複合体の憲法上での疑問が取りざたされるべきだと私は考える。日本の軍需産業とアメリカの軍需産業と自衛隊の「結びつき」を、新しい憲法上の視点として再考しないことには、憲法に基づく政治は次第に困難になってくると思うのである。

次回は、池内名誉教授の論文をもとに、憲法論の新しい課題に焦点を当てたい。とりわけ、科学者の軍事参加の是非論が重要になるだろう。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

「憲法改正」問題の危うさ

2023-12-29 16:02:37 | 憲法
1.憲法改正問題とは何か

日本の憲法学では法改正論において、大きく二つの見解に分かれる。

① 一つは憲法改正には「限界」があり、現憲法を基本原則(いわゆる、三大原則と言われるものであり、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の三点である)を改訂して、この基本原則を改廃する憲法改正案はできないという「制限説」である。
② もう一つは憲法改正には限界などはなく、どのような改正案でも可能である、という「無制限説」である。

現在時点では、自民党などの改正案は後者の②の無制限説に依拠していることは否定できない。(具体的な自民党の改正案は省略します。)

2.以上のような憲法学の議論であり、大きくは上記の二つの見解が対立する憲法学会となっている。
欧米諸国の憲法学で日本のような議論があるか、私には分からないが、学者でもない私から言えば、憲法改正の議論において、②の無制限説は「憲法改正」という言葉の意味を逸脱しており、もし自民党の「改正案」が国会の議決と国民投票の「承認」を受けて「憲法典」として制定されるなら、それは「憲法改正」ではなく、「憲法典」の廃棄と新憲法の制定と解釈できると言わねばならない。

その理由として、戦前のドイツの歴史に焦点を当て、現在の自民党の「改憲論」に沿って、私の持論を述べる。

3.日本のアカデミー(憲法学と政治学など)が不適切なのは、戦前のナチスドイツはワイマール体制を「暴力で打倒」したのではなく、国民の信任を受けて成立したナチス党政権:ヒトラー政権であったことをきちんと「教訓」にできていないということである。これは真の学問とは言えない。

以下にその理由を述べる。

自民党政府は、麻生太郎副首相が言ったように、「ナチスのやり方に学べ」であり、ナチスドイツは日本国憲法と類似する内容のワイマール憲法を崩壊させる方法で、ワイマール体制を倒して成立した政権であり、その時に緊急事態宣言を出して、国民の基本的人権を停止させたのである。そのやり方は「全権委任法」という法律に基づいていた。

ナチス党は暴力でワイマール体制を打倒したのではない。民主主義的な議会をナチス党が掌握したのである。これを理解しないと自民党の改憲論の手法も認識できないのである。

「独裁政権」は暴力ではなく、国民の選挙による信任(日本国憲法では「承認」)に拠ったのであり、日本も同じ状況になってきた。これがポイントなのである。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵