小池百合子の現在の心境に近い俳句だと思う。
この句は、豊臣政権の五奉行の一人だった片桐且元が、淀君の不興を買い、解任された時、歌った句と言われている。
桐とは豊臣家の紋所を指す。多少解説すると、秀吉が死んだ後、天下の趨勢は徳川氏に傾いていた。各地の大名たちは、江戸に出かけ、徳川氏のご機嫌を取り結んでいた。彼らも必死。天下取りの相手を間違えれば、それは即自らの滅亡を意味した。希望の党から出馬した議員と同様どころか、それ以上の変身と裏切りの協奏曲と言ってよい有様だった。
大阪城の淀君はこのあり様に切歯扼腕したが、いかんとも出来なかった。片桐且元は、豊臣家の存続だけを願って活動していた。片桐且元は政治家。天下の帰趨の行方は見えていた。淀君はそれが裏切りに見えた。豊臣家こそ天下人。この気位が淀君の精神的支柱。片桐のように徳川の天下を認めるなどできるはずがなかった。
片桐の解任は当然の帰結だったのかもしれない。しかし、片桐且元は幼少より豊臣秀吉に仕え、自分の人生を豊臣家に捧げた。この解任は、且元にとっては、自らの人生に終焉を意味していたのである。
“桐一葉 落ちて 天下の秋を知る” 自らの人生を桐の紋所にかけた片桐且元の絶望の深さが伝わってくる句である。
この句は、明治時代坪内逍遥が戯曲【桐一葉】を書いて人口に膾炙した。わたしも中学校時代、改造社版の文学全集で読んだ記憶がある。余談だが、わたしの姉の夫が英文学者で、よく坪内逍遥の話を聞かされていたので、読む気になったと思う。
わたしは、小池百合子に訪れる運命について、選挙前、「小池にはまってさあ大変」で予測しておいた。選挙は大惨敗。希望の党で生き残るのは、旧民進党の議員が大半。小池の影響力はがた落ちになる。小池は、希望の党党首を辞め、都民ファーストは凋落の一途を辿るところまでは、予測の通りだった。その要因は、小池百合子の「勘違い」と「引き算戦略」にあるとも書いた。
その意味で、彼女の凋落は予測通りだったし、きわめて当然である。しかし、いまだ、権力に対する執念を失っていない彼女には、「桐一葉」の絶望の深さと枯れた境地は、多少的外れかもしれない。それよりも、“花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに”(小野小町)の方が、彼女にはふさわしいかもしれない。
絶世の美女とうたわれた小野小町だったが、齢を重ねるたびに、多くの殿方を惑わせた美しさも、色香も失せ、昔を懐かしむようになる。いたずらに“わが身”を“よにふった”ばかりに寂しい老年を迎えなければならない、という意だろう。絶世の美女とは言い難いが、小池百合子の直面する現実と重なり合うかもしれない。
わたしは、小池百合子の運命を見ているうちに、ある無頼の囲碁棋士を思い出した。“藤沢秀行” 彼の名前である。
彼は囲碁の天才といってもよい不世出の囲碁打ちだった。棋聖をはじめ多くのタイトルをとったが、彼の私生活はハチャメチャだった。結婚をしていたが、ほとんど家に金を入れなかった。奥さんは、生け花を教えて糧を得ていた。
秀行は、外に女を何人もつくり、子供も何人ももうけた。不思議なことに、奥さんはその子供たちと仲良く交流をし、子供たちの相談にも乗っていた。藤沢秀行という男、“破滅型”の人生を歩んだ文字通りの“火宅の人”だった。彼と人生を共にした奥さんにとって、社会通念上の幸せなど、全くなかったと言ってよい。
しかし、奥さんは、悠揚迫らず、時折帰宅する藤沢の面倒を見、彼の私生児たちの面倒を見た。「坂の上のお母さん」、奥さんは私生児たちにそう呼ばれていたそうである。この懐の深さと胆力。昔の女性の見事な見本である。藤沢秀行という男、どうにもこうにも言いようのない酷い男だったが、奥さんに恵まれて、本当に幸せな男だったと思う。
ところが、この藤沢秀行という男。囲碁の世界では、稀有な人だった。自分自身も強かったが、それよりなにより藤沢秀行を伝説の人にしたのは、囲碁の普及活動と教育だった。中国の囲碁界を現在のような世界一二を争う強さにしたのは、藤沢だった。毎年のように中国に出かけ、惜しみなく囲碁の要諦を教えた。
日本では、毎年、囲碁合宿を開催。どこの誰であろうと、どこの門下生であろうと、囲碁に熱心であれば、誰でも受け入れ、惜しみなく自らの技を教えた。
この合宿参加者の顔ぶれを見れば、現在の囲碁界の実力者(高尾前名人、結城NHK杯保持者、村川等々)が綺羅星のごとく並んでいる。(井山七冠も薫陶を受けている。)彼らにとって、藤沢秀行は、生活破綻者でもなく、飲んだくれの老いぼれでもなく、尊敬する「碁打ち」だった。
NHKキュメンタリーで描かれた藤沢の囲碁合宿の一場面。痩せさらばえた藤沢は、立っているのもやっとの状況。それでも、参加者の碁に対する批評は舌鋒鋭く、碁に対する情熱がいささかも衰えていない事を物語っていた。
検討が終わり、各自部屋に戻る時、藤沢が這うように彼らの手を借りて、「小便に行く。物は食べれないけど、小便だけはでやがる」とうめくように呟いていた。
無頼の遺言 棋士藤沢秀行と妻モト
http://archive.nihonkiin.or.jp/news/2008/06/627_23152445_nhk_bshi.html
生きるとはそういう事である。齢を重ねると言う事は、人間がただの“生き物”であることを確認する事である。若いときは、“食べる”ことで生きている実感を得るが、年を取るにつれ、“排泄”する事でしか生きている実感を得られなくなる。哀しいかな、人間とはそういう生き物である。
それでも、“藤沢秀行”は輝いていた。彼の人生を賭けた囲碁の世界では、“藤沢秀行”を超える人材はたやすくは現れない。彼の薫陶を受けた教え子たちは、現在の囲碁界をリードしている。彼らの脳裏から、藤沢秀行の名前が消えることはない。
小池百合子は胸に手を当てて、沈思黙考しなければならない。小池百合子が人生を賭して求めたものは、藤沢秀行が人生を賭して求めたものと比較できるのだろうか。“桐一葉”落ちても、輝きを失わない何かを求め続けたのだろうか。
小池百合子、60の齢をとっくに過ぎているのだろうが、もう一度自らに生き方を問い直すべき時が来ているようだ。
「護憲+コラム」より
流水