老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「社員の発明特許、無条件で『会社のもの』政府方針転換」

2014-10-30 09:56:08 | 民主主義・人権
安倍内閣は上記の表題のように現行の特許法を改め、研究職社員の発明を会社のものとする制度に改正する方針を打ち出している。

http://www.asahi.com/articles/ASG924QNWG92ULFA00K.html

実は、現行制度で実際にも今まで発明特許の所有権が社員のものであったのかは疑問がある。なぜなら今度のノーベル物理学賞(化学)に輝いた中村修二さんの裁判があり、中村さんは会社のものとされた発明特許の権利を自分のものとする訴訟を提起していた、そして裁判で勝訴したのである。

安倍首相は中村裁判で明らかになった社員の権利を侵害するような特許法の改正を大企業の意向を受けて行う方針転換を画策しているわけであるが、そんな改正はできるのだろうか。

これは発明特許を行った社員の権利であり、法改正でそれを奪うことは憲法違反になるのではないだろうか。つまり、憲法の基本的人権である財産権の侵害になるという法律構成である。(憲法29条)

このように考えられるが安倍内閣はなんでも企業が有利になる法案ばかり作り出す不公平な政府であり、なぜ国民の多数が自民党に投票するのか、不可解である。また、企業が政治献金を自由勝手にできる仕組みも問題である。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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映画「イラク チグリスに浮かぶ平和」と、日本の行方

2014-10-29 13:01:01 | 戦争・平和
「イラク チグリスに浮かぶ平和 」を観た。

これは、203年、米軍空爆時に、バクダッドで取材をしていた、アジアプレスのジャーナリスト綿井健陽氏が、ある家族の10年を追ったドキュメンタリー。

最初に見える、チグリス河対岸の戦火は、まるで花火のよう。しかし、次の日、その下は瓦礫と血糊。カメラが病院に向かうと、手足をもぎ取られたり、破片で傷ついた血まみれの人が呻いていた。

綿井は、そこで瀕死の5歳の女の子に取りすがって泣く、血だらけのシャツの男性に出会い、そのアリ・サクバン家を訪ね、取材を始めた。彼は兄2人をイラン・イラク戦争で失い、自分は湾岸戦争に出征し、この空爆で、4人の子供の家、長女のゴフランを残して、幼い3人の子供を、一度に失った。

カメラは、フセインの像を引き倒す人々も写す。喜びの声を上げる人もいれば、じっと見つめる人もいる。銅像の台座をハンマーでたたいていた青年は、「自由を勝ち取った」と語っていたが、その後、武装組織に襲撃され死亡。

空爆で片足を失い、家族も失った青年は、「米軍は来るな」と病院で絶叫していたが、誰も面倒を見る人もなく、その傷が悪化して死亡したとか。日本でならあり得ない死だろう。 湾岸戦争時にクラスター爆弾を拾って片手を失った男性も、2011年に射殺される。

2007年に綿井がサクバン家を訪ねた時は、空爆の後に生まれた幼い娘が増えていた。しかし、アリが働いていた弟の八百屋、その弟は車から突然銃撃されて命を落としていた。

そして2013年に訪ねた時は、アリの姿はなかった。彼も殺されたと言うのだ。彼の死の4か月後に、男の子が生まれ、アリの妻は空爆に生き残った娘と、その後生まれた女の子と、 父親の顔を知らない、まだ赤ん坊の男の子を連れて、実家に帰っていた。

がらんとした広い部屋に写真が飾られ、老夫婦がポツンと暮らしていた。2人の弟、4人の息子、3人の孫を失ったアリの老いた父親は、今の願いは「息子たちのところに逝きたいことだ」と、涙をこぼす。

いったいこの人たちが何をしたと言うのだろう。米軍の空爆後、未だにテロは止まない。これがイラクの人々の暮らしの現実。 戦争・紛争の現実。

題は、「チグリス河に浮かぶ船の上にいる時は平和だ」と語る声から。 美しい川の流れと夕陽。この人たちの暮らしを破壊し、命を奪ったのは、いったい何のため?

バグダッド大学のテニスコートで、車椅子でプレーする若い女性は、2006年に民兵組織と米軍の抗争で、両足首から下を失って、義足だ。「米軍に協力して、自衛隊を出した日本にも罪がある」と語る言葉を、私たちはどう受け止めたらいいのか。

秘密保護法、集団的自衛権…私たちはどこへ行こうとしているのだろう。 政府が決めたからと、唯々諾々として従っていいわけがない。こうしたことまで、今の政権に委託したわけではないのだから。

私たちは、立憲主義のもと、もう一度、民主主義の在り方を、国民の意志と政府の乖離があった場合、どうすべきかを考えて、何らかの形で実行しなくてはならない。国民投票は、その1つの手段ではないかと思う。

「護憲+コラム」より
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ポーランド雑記

2014-10-27 10:08:55 | 民主主義・人権
笹井さんのポーランド見聞録は、大変興味深かったです。ポーランドは、わたしの最も訪れたい国の一つです。羨ましい限りです。

学生時代、映画青年だった私にとって、ポーランドと言えば、アンジェイ・ワイダ監督。彼の抵抗三部作【世代】【地下水道】【灰とダイヤモンド】は戦後映画史の中でも屈指の秀作でした。ワイダ監督、フランクルの「夜と霧」、【アンネの日記】など、わたしのポーランドの記憶は、全て第二次大戦と結びついています。

特に、【灰とダイヤモンド】は、ドイツ軍が降伏した1945・5・8のポーランドを舞台にした傑作です。戦後共産化したポーランドについていけなかった青年の一日を描いて「政治」と「人間」の悲劇を象徴的に描いたものです。党権委員会書記のシュチューカの暗殺を依頼されたロンドン亡命政府派の青年マチェクが誤って別人を殺害し、翌朝、軍によって射殺されるまでの一日を描いた作品です。マチエクが、ぼろ布のようにゴミ山の上で死ぬ場面が大変印象的だった事をよく記憶しています。ワイダ監督は、政治の激流に翻弄された人間の哀れさを描きたかったのでしょう。

ポーランドの歴史は悲劇と苦難に満ちています。何度も国がなくなっています。国家がなくなりもう一度国家を再建するなど、そうそう経験できる国民はいません。

【灰とダイヤモンド】は、誰が敵やら味方やらわけが分からなくなった混乱の時代の悲劇を描いているのです。ワイダ監督の人間に対するまなざしの優しさの奥には、政治とか戦争などに翻弄される国民に対する限りない愛惜の念があります。

だからこそ、ポーランドの甞めた経験は、貴重です。日本の学校ではほとんど教えられる事はないのですが、ポーランドが第二次大戦とその後に味わった経験は、世界の人々の貴重な財産です。

その中でワルシャワ・ゲットー蜂起とワルシャワ蜂起の教訓を考えて見ます。この2つの蜂起は、同じものだと誤解されがちですが、ワルシャワ・ゲットー蜂起とワルシャワ蜂起は全然違う事件です。

【ワルシャワ・ゲットー蜂起】
1943・4・19~5・16の間にワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人を隔離した場所)で起きた事件。
強制収容所送りが死を意味する事を悟ったユダヤ人がドイツ軍に対して起こした武装蜂起。
映画「戦場のピアニスト」は、ワルシャワゲットー蜂起とワルシャワ蜂起を背景に作られています。
http://www.geocities.jp/torikai007/bio/warsaw.html

【ワルシャワ蜂起】
1944年8月にナチス・ドイツ占領下のワルシャワでポーランド市民がドイツ軍に対して起こした武装蜂起。

ちょうどその頃、ソ連軍はワルシャワ近郊10kmのところまで迫っていました。当時、ポーランド亡命政府(ロンドンにあった)は、過去の様々な歴史的経緯からソ連によるポーランド解放を望んでいなかった。あくまでも、ポーランド国民自身の手による解放に固執したのです。実は、この亡命政府の意図は、カテインの森事件などのソ連に対する不信感が根底にありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

亡命政府は、ソ連軍がワルシャワ近郊に迫った時、他の連合軍などと連携して支援してくれる事を期待して、ワルシャワ地下軍組織に武装蜂起命令を出しました。もちろん、ソ連などと話はついていました。しかし、ソ連軍は、ワルシャワ市民の蜂起を支援しませんでした。ワルシャワ近郊のビスツーラ川対岸で高見の見物をしたのです。その為、ワルシャワ市民の3ケ月に及ぶ懸命な奮戦も空しく、地下組織はほぼ全滅しました。犠牲者は約20万人に及ぶと言われています。

何故、ソ連軍は、このような非情な態度をとったのでしょうか。様々な解釈が行われていますが、
・・・「戦後の東西対立を見据えて,ワルシャワ解放が,ポーランド国内軍によって達成されることを嫌い,親英米派の国内軍の弱体化を狙ったともいわれる。ソ連は,反共産主義の蜂起軍を自滅させるという政治的な思惑のために、ヴィスツーラ川目前で進軍を止めたとの評価もある。ドイツ軍によって,国内軍が壊滅的打撃を受ければ,ワルシャワ解放はソ連軍だけの功績であり,ポーランドの政権樹立に,ソ連の影響力を行使しやすいからである。」・・・ http://www.geocities.jp/torikai007/bio/warsaw.html
というのが、一般的な解釈でしょう。

ここに見えるのは、「国益」と言う名前の徹底的な非人間的思想です。このような政治の非情さに翻弄されたポーランドの人々の悲劇が、ワルシャワ蜂起だったと言えます。

ナチス・ドイツも非情さにおいては、ソ連にひけはとりません。麻生副総理が「ナチス・ドイツの手法を真似る」といって顰蹙を買いましたが、実は、日本会議などの右派連中の間では、この問題意識は共通なのです。

では、麻生たちはどのような所に目を付けているのでしょうか。

ワルシャワ・ゲットーでのナチス・ドイツのユダヤ人支配に一つの典型的手法を見る事ができます。彼らは、ゲットー内でユダヤ人に対して非道の限りを尽くし、最終的には、トレブリンカ絶滅収容所へ送りました。ガス室で約75万人が殺害されたと言われています。

ナチス・ドイツは、ユダヤ人社会内の差異に目をつけます。

①同化ユダヤ人(キリスト教に改信)⇒勝ち組を自認する層
②ユダヤ教徒でありながらもキリスト教社会に溶け込んでいた“同化ユダヤ人”(一応勝ち組を意識する無責任・無関心層)
③ワルシャワ近郊のシュテットル(ユダヤ人コミュニティ)出身の貧しいユダヤ教徒(明らかな負け組のB層)
④ワルシャワないし都市部の正統派のユダヤ教徒(明らかな負け組の生真面目なB層)

この4つの層の微妙な確執を利用し、ユダヤ人が自主的に絶滅収容所へ向かうように仕向けたのです。これは社会心理学を応用した巧妙な作戦でした。そして、最後はナチス・ドイツに協力したユダヤ人もなにもしなかったユダヤ人も抵抗したユダヤ人も全て強制絶滅収容所へ送られました。

実はこの方法、わたしたちは、小泉政権時代に経験しています。当時、A層とかB層と言う言葉が飛び交ったのを記憶されていると思いますが、広告会社が考えたと言われるこの方法の淵源は、ナチス・ドイツのユダヤ人支配の方法だったのです。

現在の安倍政権はさらに露骨に巧妙にこの手法をまねています。気が付いたら私たち国民全てが【強制絶滅収容所】送りになるかもしれません。

勝ち組と自認する層と「自分には関わりがない」と無関心を装う自称勝ち組の無責任層。社会的差別を受けている負け組層、「人生真面目に生きていれば、必ず良い事がある」と信じている真面目な負け組層。この層同士の間の考え方、行動、感性に微妙なずれが生じるのは当たり前です。この「ずれ」を刺激し、拡大し、ねたみ、そねみ、軽蔑、憎しみなどの敵対感情を増幅すれば、4つの層が団結して支配者に抵抗する事はなくなります。これが今も昔も変わらない【分裂して支配せよ】という支配の鉄則です。

人間心理を考えると、この種の統治方法は統治者(支配者)によほどの心理的歯止め(制御)がない限り、ナチス的蛮行まで行き着きます。イスラム国の殺害方法の残虐さに世界中が眉をひそめていますが、心理的歯止めがかからない統治者(独裁者)の残虐さは五十歩百歩です。民主主義を標榜する国家は、多少スマートな方法(法的手続き)で行っているのです。

彼らの心理的歯止めは、【法】と【選挙】です。イスラム国的むき出しの残虐さでは、【選挙】に勝利する事は難しい。選挙に勝利出来なければ、権力を掌握できません。だから、むき出しの残虐さを見せないのです。

実はナチス的心情は、人間にとっては身近なものだという事をわたしたちはよく知っておかねばならないと思います。懺悔の思いを込めて言うと、荒れた中学時代、わたしたち教師も、ナチス的衝動に駆られたものです。注意しても注意しても同じ事を繰り返す生徒に対して無茶苦茶にしてやりたい、と思った事は一度や二度ではありません。そんな自分を辛うじて支えていたのは、人間としての【プライド】だけでした。彼らと同じ土俵に乗ってどうする、というプライドだけでした。このように、ナチス的心情は、一人一人の人間の内面に潜んでいる可能性が高いものなのです。

では、社会的制度がどのような形を取り始めたらナチス的(ファッショ的)社会へ移行し始めるのか、を見て見ましょう。

(1)三大権力(立法・司法・行政)と(主要メディア批判力)の癒着と劣化
(2)支配形態を問わず不可避的に政治権力に潜む暴力の暴走(※権力は本質的に暴力性を持つ⇒警察・軍など)
(3)アカデミズムの暴走⇒御用学者の暴走⇒優秀であればあるほど危険。

上記の三条件を現在の日本の情況に当てはめると、ほとんど当てはまります。(1)は、今や誰にもはっきり見えます。(2)は小沢一郎事件を思い出してください。権力の暴走は、あのような形で、襲いかかります。(3)のアカデミズムの暴走は、竹中平蔵などを思い出せば、十分でしょう。今や日本社会は、ナチズム的なるものに満ち溢れているのです。

このような危険性を補完する国民の間に見られる現象

(1)際限なく膨張し、かつ持続する怨嗟の感情の高まり⇒(例)イラク戦争時の【自己責任論】。朝日新聞誤報問題を契機にして起こっているバッシングなど。
(2)忍耐力に欠け、結論をすぐ要求し、白か黒かの二項対立でしか物事を判断しない衆愚的短絡の感情の高まり
(3)ほとんど狂信レベルに接近した純潔民族主義(民族ナショナリズム)の暴走⇒ヘイトスピーチに見られる差別的・排外主義的思想と行動
(4)ニヒリズムがもたらす自己世界観の陶酔現象(狂気のナルシズム)の沸騰(ヒトラー型の道連れ自滅・自殺願望)⇒現在の安倍政権とその同調者(日本会議などの諸団体)たちの言動は、集団自殺する鼠を想起させる。

これもまた現在の日本の情況に瓜二つです。

笹井さんが訪問されたポーランドは、こういう政治状況の中で塗炭の苦しみを甞めてきたのです。戦後の歩みについては、笹井さんの記事に書かれています。これもまた苦難に満ちたものでした。

民族の独立を求める運動それ自体が生命をかけなくては出来ない事ですし、運動内の裏切りなど日常茶飯事でしょう。ポーランドの人々は、そういう苛酷な経験を経て、結局最後は、【人間の自由を奪う】あらゆる試みは、人々の【自由を求める粘り強い闘い】の前に失敗する、という強靭な楽観主義を持つ事ができたと思います。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
流水
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拉致問題解決のネックは何か

2014-10-27 09:47:03 | 北朝鮮問題
年当初は北朝鮮の出方から今年こそ拉致問題が解決するのではとの期待を持たせられたが、次第に雲行きが怪しくなり、直近の日本政府の訪朝団も成果が見通せない状況が報じられている。

いつも最初は期待させられ、最後は失望で終わるパターンである。なぜ同じパターンが繰り返されるのであろうか。この根本問題について日米政府は分かっているはずなのに、解決には消極的なように見える。一方北朝鮮は日米の対応が意に添わず、拉致問題を解決するように見せかけては、解決を引き延ばしているように見えてならない。

それでは日・米・北朝鮮間に横たわる、北朝鮮から見た根本問題とは何なのか、これまでの6者協議や個別会談を見れば自ずと明らかであろう。先ず米国との朝鮮戦争の休戦協定を講和条約に変更することである。次に、拉致解放と引き替えの日本の植民地政策に対する戦後賠償金の支払いではないかと思われる。この北朝鮮側の要望に対して、米国は核開発の中止を、日本は拉致被害者の解放を要求するのみで、日米と北朝鮮の要望が全く噛み合っていない。

それなら日本は独自に拉致被害者の解放と賠償金の支払いを北朝鮮と直接交渉すればよさそうであるが、賠償金の支払いは北朝鮮の核開発促進に繋がり米国が許さないのではないかと見て取れる。これが拉致問題が解決しない最大のネックではなだろうか。要は三国間の要求の内容がそれぞれ違い、さらに日米対北朝鮮間の不信感がその交渉を妨げている。

よって日本が北朝鮮に拉致被害者の解放をさせるには、急がば回れで、日朝の二国間交渉で拉致解放と戦後賠償金の支払いを米国に認めさせるか、それが認められないのであれば、先ず米国に対して北朝鮮の核兵器開発中止を条件として北朝鮮との講和条約締結を説得することではないかと思われる。核開発中止で米朝講和条約が成立すれば、日本から拉致解放を条件として賠償金が支払われても問題は無いはずである。(しかし米国の産軍共同体が講和条約締結を許すかの疑問はのこる。)

ここで思い起こされるのは、小泉元首相が突如北朝鮮を訪問しての金正日主席との会談である。どうしてあの会談が実現したのか想像するに、小泉元首相とブッシュ米大統領との親密な関係に北朝鮮は着目して、北朝鮮と米国との講和条約締結の打診を小泉首相に要請したのではないかと思われる。おそらく小泉・ブッシュ会談でも内々で語られたと思うが、しかし北朝鮮を『悪の枢軸』と演説でののしったブッシュ大統領にはとても受け入れられなかったと思われる。

いずれにしろ北朝鮮に拉致カードを切らせるには日本が賠償金を支払うことを米国に説得するか、米朝間の平和条約成立を働きかけそれを待つしか方法はないのではなかろうか。仮に今回の日朝会談で拉致解決が不調に終わったならば、拉致被害家族会は今後日本政府に拉致解放と引き替えに戦後賠償金を支払うことを米国に認めるよう要請することと、米朝間の講和条約の早期締結を米国に要請することに戦術変更した方が良さそうである。

米国へ上記の要請をできない政府にいくら拉致問題解決を訴えても百年河清を待つが如しで、回答はいつも「対話と圧力」と「安倍内閣で拉致は必ず解決します」とのお題目だけで、逆に北朝鮮の脅威を利用して日本の軍備増強を進める姿を観せられるだけではないか危惧する次第です。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
厚顔
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SASPLの渋谷デモに混ぜてもらった

2014-10-26 16:51:07 | 秘密保護法案
数週間前から10月25日の「特定秘密保護法に反対する学生デモFINAL@SHIBUYA 」告知CMがツイッター上に流れていました。その真剣さ、カッコよさに強く心惹かれ、「若くない人も参加して良いんですよ~」の言葉に励まされて、昨日は「護憲+」メンバーの1人と一緒に、元気な若者が主宰する渋谷の街中デモに参加してきました。

               

3時半、デモ出発地点の渋谷区役所前交差点付近には次々に人が集ってきます。私のようなおばさん、おじさんもチラホラと居ますが、圧倒的に学生と思しき若者が多数で、秋晴れの空の下、学園祭のような華やかさです。

               

出発前には、主催者の若者がラップ調の音楽をバックに今回の行動の主旨説明をしましたが、真面目で真摯な内容は、この間に秘密保護法案の問題を一生懸命考え、議論してきた様子が伺えました。

その後皆でコールの練習。

特定 秘密保護法 反対
I say 憲法 You say 守れ 憲法「守れ」 憲法「守れ」
言うこと 聞かせる番だ 俺たちが
民主主義ってなんだ?「なんだ?」
Get up Stand up Stand up for Your Right
Get up stand up Don't Give up the Fight
Tell me what democracy looks like
"This is what democracy looks like"

ラップ調のコールはちょっと難しい、特に英語の部分は(汗)。でもリズムが良くてとても楽しいし心が躍ります。イザ出発。前の方は主役の若者達がズラリ。

                

日頃デモを主導している学生でない人たちはドラム隊を含め、後方に下がって若者達を盛り上げる役に徹しています。リズミカルなコールをしながら街中を歩く若々しいデモに、普段は政治に無関心そうな若者達も興味を惹かれている様子。可愛らしい女の子が配るチラシを受け取る人も沢山いました。

日比谷などのデモと違って、警察の規制がゆるやかなため、スクランブル交差点にかかると、デモ隊と歩行者が微妙に交差するのですが、互いに阿吽の呼吸で譲り合って、流れはスムーズ。トラブルが起きることは有りませんでした。

               

ゴールデン街では、デモ隊が車道いっぱいに広がって、ラップ調のコールも最高潮。規制もなく、歩道を歩く買い物客との境界も殆ど無い、熱気に満ちた自由な空間となりました。外国人観光客も笑顔で写メをパチリ。

               

こうして元気な若者に引っ張られるように3キロの道のりを歩き、ゴールの代々木公園に到着した時には、とっぷりと日も暮れていました。喉が渇いた!疲れた!でもすご~く楽しかったし、元気が蘇った気がしました。本当に有難う、若い人たち!私達もまた頑張りますね。

今朝は朝日と毎日は一面で、東京新聞は社会面で報道。参加者は2000人とのこと。次回SASPLの行動は特定秘密保護法施行予定の12月10日とのことです。是非皆で参加しましょう。

今回のデモの映像は色々とあると思いますが、終盤の映像は以下で見られます。
http://twitcasting.tv/jack_furuchan/movie/111624290

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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「秩父事件130周年記念集会」

2014-10-26 10:46:11 | 民主主義・人権
日時 2014年11月9日(日)午9時30分~午後4時

会場 やまなみ会館(秩父市役所吉田総合支所裏)

交通 西武秩父駅よりバス45分位(9時出発しかない、開場時間までに)

内容 映画「草の乱」上映

記念講演 「秩父事件と私」菅原文太氏

参加費 1000円

主催 秩父事件研究顕彰協議会(0494-75-0284 篠田健一)
   吉田で「草の乱」をみる会(0494-77-0333)

(というわけで秩父事件にいれあげている探偵は今秋も秩父の山中へ参ります。)

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
名無しの探偵
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安倍政権が消去したい史実

2014-10-24 09:58:40 | 戦争・平和
流水さんの投稿「月光の夏」を読み、感想など。

保守反動政権の政治家にかかると、戦争体験やそれに基づく小説などは、戦争を始めた政府の正当化に利用されてしまう傾向があり、こうした傾向をなんとか阻止し、反戦へのメッセージにしたいと以前から感じていた。

たとえば東京裁判は、安倍首相にかかると、戦後レジームの象徴としていつでも消去したい戦後史ということになる。最近では朝日新聞の吉田調書をめぐる「虚偽」報道に託けて、従軍慰安婦の強制連行の歴史それ自体がなかったという歴史の偽造にまでなっている。東京裁判の実際の歴史もきちんと検証しなくてはならないのに、戦後史から消去したりする方向に行く危険性もある。東京裁判それ自体が消去されることはないが、勝者の裁判という一面だけが強調されたりする危険性である。

また、従軍慰安婦の問題でも、確かに職業として任意で従軍慰安婦になった人たちがいたことは否定できないが、日本人以外の外国人慰安婦は強制されたり騙されて慰安婦にされた人がほとんどであったことは、戦地にいた兵士や従軍記者の証言が残っていて、これをなかったという強弁が成り立つはずもない。

大分以前に読んだ最前線の戦闘を描いた歴史体験か歴史書には「最前線にも従軍慰安婦は派遣されていた」という記述があり、いつ死んでもおかしくない最前線まで任意でついて行く人など絶対にいないと思ったものである。

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
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嘗てと今のポーランドから見えた、今の日本

2014-10-22 16:39:11 | 民主主義・人権
縁あって、9月後半に一週間ほど、ポーランドのワルシャワ近郊に滞在した。

ポーランドといえば、第二次大戦時のドイツ・ナチスによる支配と破壊、大戦後のソ連邦の支配と傘下に置かれた政府による言論統制など、辛く苦しい試練が続いた国であり、そうした幾多の困難の中でも立ち上がり、闘い、議論し、権力の荒々しい暴力に抗い、やがて自由を選び取った人々の輝かしい史実が思い起こされる国でもある。

ワルシャワの町を見物して歩いている時、私は息苦しい共産主義社会の残滓や、それに抗った人たちの頑強な意志の面影を無意識のうちに求めていた。しかし、そんな思い込みを裏切るように、2014年のワルシャワの町は程よい活気と落ち着きに満ち、人々の表情は柔らかく親和的で、戦争の苦難を味わい尽くした後の日本の戦後社会にも似た、ある種懐かしい空気が流れていた。

こうした中で数日を過ごし、寛ぎや安らぎを普通のことと感じ始めると、毎日インターネットを通して伝わってくる昨今の日本社会の異常さ、とりわけ、豊かさを演出する虚構の空々しさや、排外主義の横行と、そうした団体との繋がりが取り沙汰される内閣の異様さ、そんな内閣が憲法を破壊しつつある不気味さが、対比的に浮き彫りにされ、さすがにこんな状態はそう長く続くはずがない、と思わずにはいられなかった。

こうしたギャップを消化しきれないまま、日本に帰って数週間。ここに来て、小渕経産相、松島法務相が同日辞任し、「女性が輝く社会」の演出として登用された安倍人事が儚くも崩れた。今は安倍総理と菅官房長官が必死の対応で幕引きを図ろうとしているようだが、野党の姿勢にもマスコミの論調にも変化が見られ、磐石と言われてきた安倍政権の崩壊の可能性が見えてきた。

今回の二人の大臣の辞任は当然とはいえ、この内閣が抱える本当のスキャンダルは、排外主義者との繋がりなど、もっと根深いところに広がっている。そして何より、虚言を重ね、立憲主義を踏みにじり、増税を国民に押し付けながら、巨額のばら撒きを世界に約束して回り、なおかつ自らの言動で世界から警戒の目を向けられている安倍総理の存在自体が、日本社会に影を落とす重大な不安要因だと言えるだろう。

日本人は大人しく、マスコミは政府の広報機関に成り下がっている、と言われて久しい。確かにそれはひとつの事実だ。しかし、一方で、2011年3月以来続いている「反原発」運動に始まり、「TPP」「米軍基地の辺野古移設」「特定秘密保護法」「集団的自衛権行使容認」など、国民の意志と乖離した政府の政策に対しては、デモ、集会、署名、街角対話、違憲訴訟、など、様々な抗議行動が絶え間無く起こり、継続されているという、厳然たる事実もある。また、安倍内閣に呼応するようなヘイトスピーチの横行に対しては、カウンター行動が排外主義者を圧倒するほど盛り上がり、政府も動かざるを得ないまでになっている。

夫々の運動は一見バラバラで、どれも決定打にならず、互いの運動をけなしあったり批判しあったりする中で、安倍内閣はこれまで安穏を装ってこられたが、それでも私たちの持続する志とダイナミックな行動は、実は政権基盤を揺さぶり続けている。こうした行動が実を結び、一旦幻想が破れ、砂上の楼閣の屋台骨が崩れれば、今の内閣が終焉を迎えるのもそう遠い先のことではないだろう。

1980年から83年、激動するポーランドに飛んだ今井一さんの著書「チェシチ!うねるポーランドへ」(朝日新聞社)には、ポーランドでも、「連帯」が勝利するまでの過程には、ソ連や軍政をしいたポーランド政府による、すさまじい切り崩しが行われ、人々は「はっきりと軍政に反対する態度をとり、抵抗している人」「反対の意志も抵抗する気もない人」「自分一人では抵抗する気はないが大勢でやるなら参加するという人」に分かれた、という活動家の証言が記されている。

また同じ著書の中で、「戦時体制」下、インタビューに答えた若い労働者は、「俺たちは武器をもってない捕虜なんだよ。・・・だけど、奴らの思い通りにはさせない。勝負はまだついていない。これからだ。・・・新聞やテレビの言っていることはウソばかり。カネをつかまされた「連帯」脱退者の「連帯」批判ばかりやってる」と、今の日本にも通じる話をしている。

権力が自らの存在維持のためにやることは、いつの時代も、どこの社会も同じだ。そして揺れ動く人々の弱さも、強さも、どこもそう変わりはない。

それを踏まえた上で、嘗てポーランドの人々の闘いの現場に飛び込んで、苦しみや喜びを共にした今井さんが、ポーランドの友人たちから教わったこととして、本の締めくくりに書いている言葉を、現在の日本の私たちへの言葉として、受け止めたいと思う。

『人間的に生きること、個性的に生きることを妨げるような権力・制度は、その国が資本主義国家であれ社会主義国家であれ、決して長生きすることはできない。いかなる国であれその死滅は時間の問題となっている。それを信じること。向かい合うものがどんなに強大に見えても、屈服せずに闘うこと。』

「護憲+コラム」より
笹井明子
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美しき悲劇の隠された事実(特攻の悲劇)映画:月光の夏

2014-10-21 17:02:19 | 戦争・平和
BSで【月光の夏】を見た。
「月光の夏」は1993年の作品。毛利恒之の小説。実話などを元に創作したドキュメンタリーノーベル。この作品をもとに帰還特攻隊員の収容施設【振武寮】の存在が明らかになった。・・ウイキペデイア・・

物語は、鳥栖小学校(元鳥栖国民学校)の元教師吉岡公子が、学校に残されていた古びたドイツ製ピアノが廃棄処分されると聞き、保存を嘆願するために鳥栖小学校を訪れる場面から始まる。彼女には、このグランドピアノをどうしても残しておきたい理由があった。

太平洋戦争末期、鳥栖国民学校に陸軍軍人二人が訪れた。彼らは、特攻隊員。彼らには、鹿児島知覧の特攻基地へ行く命令が下されていた。特攻出撃の命令が下っていた。隊員の一人海野光彦は音楽学校学生。今生の思い出にグランドピアノが弾きたいと願い、彼らが訓練していた基地(現在の吉野ケ里遺跡の近く)から、線路伝いに走って訪れたのである。海野は、学校のグランドピアノで、ベートーベンのピアノソナタ第14番【月光】を弾き去って行った。

当時、吉岡公子は、そのピアノを管理し、二人の最後の演奏をその場で聞いていた。彼女には、グランドピアノが廃棄処分されると言う事は、戦争の記憶そのものが失われる事のように思われ、耐えられなかったのである。彼女の頼みを聞いた校長は、彼女に当時の話を子供たちにしてくれるように依頼、彼女は子供たちに二人の思い出を語った。この話は、新聞に大々的に報道され、ピアノは多数の人々の援助を受けて、修復される事になった。

ところが、この話が報道された事によって思わぬ事態が巻き起こった。当時、彼女は、二人の特攻隊員の名前を聞いていなかった。彼女は、二人とも戦死したものとばかり思っていた。ところが、この話が大きくなるとともに、二人の特攻隊員が誰か、という捜索が始まり、一人は海野光彦で間違いないと確認された。(知覧の特攻記念館の写真)

ところが、もう一人の隊員だと目された風間森介は、生きていたのだが、頑なに自分が当事者であることを認めなかった。その為、吉岡公子の話は虚偽ではないか、という声さえ上がり始めた。

何故、風間は、特攻隊の生き残りであることを頑として認めなかったのか。ここには、世間一般の人が知らなかった苛酷な事実があった。

当時、特攻隊は、出撃はしたけれど、エンジンの不調などで、引き返したり不時着した機が数多くいた。当然と言えば当然で、特攻出撃といえば聞こえはいいが、当時の日本では物資は不足、ミッドウエイなどで歴戦の航空操縦士の多くは戦死。空中戦で米国に太刀打ちできなかった。完全に制空権を米国に握られていた。だから、特攻攻撃だった。250kg爆弾を戦闘機の胴体に付けて飛ぶのだから、当然空中戦は不可能。敵戦闘機に見つかれば、100%撃墜されるに決まっている無謀な作戦。それを精神論で強行したのが特攻攻撃。

大本営内部の意識では、特攻攻撃の戦果より、一身を賭して、お国のために戦う姿を喧伝し、戦意高揚を図るというプロパガンダの方が大きかったと想像される。

風間もエンジン不調のため、やむなく基地に引き返した生き残りの一人だった。彼は福岡の司令部に呼び出され、【振武寮】に入れられた。特攻隊員は【神】である。【神】というのは、死んでこそ意味がある。それがおめおめ生き残って帰ったら、【神】の存在が穢れる。だから、特攻帰還兵は一目に触れさせてはならない。【振武寮】はその為の施設で、体の好い軟禁施設だった。帰還兵の多くは、そこで終戦を迎えた。

彼らは、戦後精神的に荒れた生活を送った人も少なからずいた。【仲間を死なせ、自分だけは生き残った】という負い目が彼らを苦しめたであろうことは、想像に難くない。

わたしも中学時代、特攻生き残りの教師に教えられた。クラスの悪ども彼には一目も二目も置いていた。腕力が強いというのではなく、【俺の人生は余禄】という彼の凄みに圧倒されたと言ってよい。常識を超えた何かが彼の姿から匂っていた。

おそらく、特攻帰還兵の精神は、軍幹部への怒りと仲間への自責の念がない混じり、自暴自棄の精神状態を紙一重のところで辛うじて保っていたと思われる。

風間森介の頑なな拒否は、彼の心の奥に棲みついた精神の困難さを示していた。

吉岡公子は、風間森介へ手紙を送り、思わぬ騒ぎへ発展した経緯を説明し、風間への迷惑を謝罪した。風間はこの手紙を読み、頑なに拒否してきた自らの過去を清算する機会が来たと思ったのか、鳥栖小学校へ出かける決心をした。彼は鳥栖小学校で吉岡公子と会い、ピアノに向かった。実は、彼も小学校の音楽教師になるのが夢で、戦後ピアノを教えてきた。彼の妻は、ここで【月光】を弾いた海野光介の妹。彼の頑なな拒否には、個人的な事情をあったのである。

ピアノに向かった風間は、想い出の【月光】を弾き、脳裏に焼きついた親友海野を思い出しながら、静かに映画は終わる。

今や、特攻を賛美する作者が、NHKの経営委員になる時代。この映画は、特攻の持つ裏の側面と生き残ってもなお苦しみ続ける酷さを、柔らかなタッチで描き出した秀逸な作品だと思う。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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松島法相の「うちわ配布問題」で民主党が刑事告発

2014-10-17 21:03:33 | 安倍内閣
松島法相のうちわ配布問題で民主党が刑事告発したことが話題になっている。確かに公職選挙法の価値ある物品に該当しないと強くは言えないが、きわめて違法性が低く刑事告発する価値があるとも思えない。

民主党は自民党の不当な国政運営(集団的自衛権行使容認とか、従軍慰安婦問題などなど)に関してうちわ問題より重要な追及事項があるはずだ。

軽度の微罪にこだわって大物を逃がすような野党として情けない態度は止めた方がよい。政党として不甲斐ないと思う。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
名無しの探偵
コメント (1)
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