不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「枯れ葉」ささやかな幸福

2024-01-16 15:42:31 | 暮らし
フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の作品です。
https://kareha-movie.com/

ヘルシンキのスーパーマーケットで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は、消費期限切れで廃棄処分の食べ物を持ち帰ろうとしてクビに。

工事現場で働くホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)は、事故を起こした時にお酒を飲んでいるのがバレて、クビになってしまう。

たまたまカラオケで出会った2人は、再開して心を寄せ合い、アンサはホラッパを家に招く。

独り暮らしのアンサは、まず1枚のお皿と1人分のカラトリーを買い足して、精一杯のおもてなしの食事はサラダだけ。ホラッパのお土産も、その辺りで買った小さな花束。

テレビすらなく、ラジオをつけると、ロシアのウクライナ侵略戦争のニュースで現在と知る。隣国フィンランドだから、より一そう切実な事だろう。

つつましく、優しく、懸命に生きているのが、私たち庶民だよね…と思う。こうした人たちが、戦争に巻き込まれたら、ホラッパなんて真っ先に戦場に送り込まれる。

こういうささやかな幸せを、踏みにじってはならないとつくづく思う映画でした。心が温まります。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康・教育・エネルギーについて、フト思ったこと

2023-09-30 14:02:36 | 暮らし
今朝のネット情報に英検が一つ新たな中段を設けて、小中高大生らやその親達から更に金を収奪するシステム作りを算段している様をみて、次のようなことをフト思った。

子供達が持っている能力を最大化する手助けをするのは、そもそも社会の組織が果たすべき最も大切なことであり、その教育の機会を全ての子らに如何に公平に平等に提供していくシステムを形作っていくかが、社会の組織に課せられた大切な仕事の一つであると思案している。しかも教育には原則無料を貫く思想が社会に求められると信じる。
そしてこの考えは、国境を越えて全ての国々の子供達にまで広げることも強く求められる。

何故この様に考えるか。それは全ての子らには無限の能力が潜在していると信じるからであり、その無限の能力を財力のあるなしで、制約・妨害していくことが愚かな所業だと思うからである。そして世界の子供達の開花した無限の能力が与えてくれる可能な未来を実現させたいからであり、その未来を見てみたいからである。

即ち、子供達の存在そのものがコモンズであり、人類の共有財産だと考えたい。そのコモンズが持つ能力を全ての方面へ発展・発揮させることを妨げる権利は、当然誰も持っていないのである。

その上で今朝の英検の話。財力のあるなしで(発想としては、教育を商品化して価格を付け一つのサービス提供として捉えている)、子供達の潜在能力とその後が左右されるシステムとなっていると思う。英検の無料化が出来ないのであれば、別のシステムを作り出したいものであり、必要があると考える。

ネット社会である。必要な情報がかなりの部分ほぼ無料で入手できる時代になっている。
控えめにお節介を焼くことが好きであり、主たる人生の目標部分を終え時間に余裕のある老人たちが、ネット環境を上手に使って世界の財産である子供達に教育で貢献できる仕組みが出来ない物かと、フト思ってしまう。錆び付きつつあるとは言え獲得してきた智恵を子供らへ還元することは、老人の大切な仕事の一つではないかと思う。

現在教育現場で糊口を凌ぐ人々が存在しているのは判る。が、現在財力の多寡で、そして教育の商品化という世の流れの中で、子供達の間で可能性の芽が意味無く摘まれている不合理さが存在しているのも現実である。世界へと目を見開いた上で、何とかしたいものである。

ことは子供達の教育の問題だけではない。
前提として求められるのは、子供達を含めて全ての人々が健康であること。
更に世界の全ての人が充足した生活を送る為のエネルギーへのアクセス性の公正さ・平等性・安価性も前提として社会の組織には求められる。

健康とエネルギーのことを考える時、私達が住まう国土を現在我々が最大限に上手に有効利用しているのかという点が、気になっている。

私達が住まう国土を最大限に有効利用する目的は我々の健康とエネルギー調達の為だけではない。目的は国土の最大限有効利用化を通じて現在進行中の気候温暖化を如何に食い止めるか、ということである。即ちGHG排出を低減する活動(例えば石炭火力発電の代わりにバイオマス発電。コンクリ-鉄筋型都市作りの代わりに木質建設材料の使用等)であり、単に放置するのではない、森林の持つGHG吸収力を絶えず最大限の活性状態に置く森林経営の確立である。
ここでそれぞれ新たな職が生まれるという参加型共生主義活動に寄与する面も強調されるべきである。

例えば健康の基である食糧を見ると、日本であれば先ずは米となるが、今年は世界Millets年であり、しかもこのMillets年に合わせたかのように現在世界では高温・乾燥・更に洪水や山火事そして土壌の流出や高塩濃度化等の劣化が進行している様が連日報道されている。
しかし乾燥に強い作物のMilletsの生産を進めようという声は先ずは聞こえてこない。
水稲や小麦よりはるかに少ない水の量・そして投入肥料量が少なくても充分栽培でき、そして食すれば健康にも良いというアワやヒエ・きびを持続可能な方策で、何故に栽培していこうという気分を発揚しようとしないのか?

ことは日本だけの問題ではない。世界では10億人程が飢えに苦しんでいる。与えられて住まう国土を最大限に利用して、国内の人の健康と共に余剰部分を世界で必要としている人々に提供するという発想の国作りが求められている。耕作放棄地や未利用地の存在などは誠にもったいない状況であり、世界全体からひんしゅくを買っているという思いを持ちたい所である。

エネルギーに関しては、先日ソルガム利用のバイオマス発電の話を目にした(ソルガム発電、9月25日、杉山大志氏記す)。かいつまんで触れると品種改良したソルガムは3カ月で6m程成長し、1ha当たり年間200トン以上の収穫が見込まれるまで研究は進んでおり、採取したソルガムはポーン(爆弾)せんべいを製造する様な装置を使って爆砕処置を行い乾燥させて、造粒化すると石炭にかなり近い発熱量(5200Kcal/kg、石炭は6200Kcal程)のバイオマスになるという。

因みに現在の石炭火力発電に消費している石炭(全量輸入でウクライナ戦争により戦前の1t100ドル程度が現在200ドル程に上がっているという)量は年間1億トン。これを全てソルガムに置き換えるとソルガム耕作面積は200万haが必要で、日本の陸地面積の5.4%分になるという。実はこのソルガムもMilletsの一つ(もし増産すれば食糧対策にもなる)。
国土の5.4%というと、極めて大きな面積を占めるイメージだが、放棄しており未利用の地域が多く存在している現状から見ると魅力ある、汚いと称される石炭を代替えする一つの素材ではあろう。

だが、やはり本筋は、植林はすれどもその利用をほぼ放棄している日本の森林経営である。
日本の森林が本来有する力を有効に利用してバイオマスを提供するという観点が、汚いと称される石炭を代替えする上での本筋であろう。
そして日本の森林が本来有する力を最大限に有効に利用してCLT(Cross-laminated Timber)等の木質建設材料を建設業界に提供していき、それによりコンクリ-鉄筋という現在必要以上に使用されているコンビを削減していく方向も今後の社会の本筋と思う。

全ての子らには無限の能力が潜在しており、その無限の能力の開花の先にある未来を是非実現させたいものである。

教育という観点で言えば世界の子供達の持つ潜在能力(これもコモンズだろう)を意味無く埋もれさせるシステムがあれば取り除くか、またはそれに代わるシステムの構築が求められる。

健康とエネルギーの観点では、耕作放棄地や未利用地そして森林林野という大地の持つ潜在能力(間違いなく大きなコモンズだ)を意味無く埋もれさせている現状があるのであれば、やはり最大限の有効利用化を目指す必要が求められる。

これは日本の国土に住まう人間として世界から要請されている重要な使命と考えたいものである。

進み方としては、新自由主義主体者側が商品化し提供するやり方ではない、市民側が主体的に参加する参加型共生主義思想が当然前提となる。

「護憲+BBS」「 新聞記事などの紹介」より
yo-chan
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

養老孟司氏の想いの記事を読み、フト感じたこと

2023-05-02 11:03:51 | 暮らし
養老氏の想いがPresident Online記事(みんな、体の声が聞こえなくなっている)に紹介されている。普段から興味が有り調べながら取り上げている話題に繋がる部分や、参考になる部分も多々あり、氏の言葉を中心に、私見を交えた形で氏の想いを紹介します。

資本主義はマクロに見ると終わろうとしており、そのトップを切って、脱成長期に入っているのが我が国だ、と養老氏はいう。経済学者の水野和夫氏や佐伯啓思氏らも同じ認識を主張している。

その上で、次に望まれる社会として、例えば江戸時代の庶民のコミュニティに既に存在していた、小規模なコミュニティが無数にあり、それぞれが自立していくような社会を挙げている。そしてそれぞれの小規模なコミュニティが自立していくには、エネルギーの自給自足を追求することが大切な一つの手段だとし、岡山県真庭市のバイオマス発電に触れている。

また養老氏は、手入れがなされ生かされている里山の自然と、その中で自然と共生する社会の姿にもスポットライトをあてている。氏の考える手入れをして生かしていく里山の自然のなかには森も含まれ、それぞれの小規模なコミュニティが自立して行く上で、いくつかの方向性を提示している。

一つはエネルギーの自給自足策としてのバイオマス発電。
木の伐採の際、その約半分は森に残されることが多く、その後の製材場においても更に持ちこんだ50%分の半分の25%分は商品価値なしと見なされ、伐採木の合計75%は利用されていないのが現在の林業の実態である。
バイオマス発電は利用していない部分の活用という森林利用の拡大策の一つであり、そこで生まれる雇用機会をも考えると小規模なコミュニティの自立手段の一つになるだろう。
またエネルギーの自給自足策としては、太陽光もあり、また小水力や小規模な風力、さらに地域によっては地熱や潮力利用策もあるだろう。

【今すでに眼前にある日の光・風や川の流れ等のエネルギー資源を、小規模なコミュニティが自給自足策として利用していくには眼前のエネルギー資源を現地で実際に利用可能にする技術開発を手掛ける小規模事業体の存在が求められると予想する。市場サイズから大企業が参入し、取り組むには無理があろう。これらの小規模エネルギー資源の利用・活用分野も小規模なコミュニティが自立して行く上での望まれる活動の一つであり、森林内での伐採や製材場までの移送、および必要な路網作り等の林業活動にかかわる自動化・機械化・効率化のための技術開発も、小規模なコミュニティにかかわる小規模技術開発事業体の存在と活動が求められる、と考える。そして必然的に安定した職も発生するだろう】

二つ目は、事業としての林業の再認識。
戦後の一時期価格が高くなり(1960年代国産材は国際価格の3倍だったという)林業が上手くいくと思われたが、1970年にアメリカの圧力で関税が撤廃されて、3分の1の価格の外材が入って来るようになり、国産材の需要が激減。今は国産材を使った建築物に補助金が出る所もあるが、採算が取れる山林経営は大変なことになっている。

この認識のもと養老氏は、やはりビル建設等への木材利用を拡大していく方向性を確実にしていく努力が、小規模なコミュニティを自立に導いていく上での重要な要素とし、CLT (Cross Laminated Timber)のような合成材の紹介をしている。使い易い木は60~80年育ったものとされるが、ここの所CLT(Cross Laminated Timber)のような合成材技術が進み、40年程の木も使えるようになっている。
スウェーデンでは、この合成材で4階建てや5階建てのビルが建てられている。日本でも消防法が少しずつ変わり最近は木造のビルが建てられるようになってきている状況である。

森林を守り利活用していくには、森林の計画的・合理的な維持や管理が第一に大切。しかしそれだけでは充分でなく、木材を加工する技術の開発を進めるとともに、消防法を含む法律を木材の利用性拡大に繋がるように変えていく必要がある。そして最終的には国産材が選ばれ売れる環境作りまでを構想に入れている総合的なプロジェクトが求められる。

小規模なコミュニティが自立して行くには、コミュニティ内の智恵と努力とともに、大多数の都市の市民の理解と応援が大いに必要となるところです。

三つ目に、養老氏は現代人の都市観と自然観とを論じている。
現代人の都市観と、それに対峙するものとしての自然観を、養老氏は次のように表現している。「僕は都市化するということは、自然を排除することで、脳で考えたものを具体化したものが都市だと言ってきました。都市の反対側に位置するのが自然です。」

養老氏のこの考えを私流に言い換えると次のようになります。
「都市化を至上の目標とする人々が考える自然というものは、対峙すべきもの、排除すべきもの、支配し利用すべき対象であり、そして都市化を志向し、そこに邁進する人・組織の作りだす具体物としての都市というものは、彼らの脳が考えだしたものである」

養老氏は、人の脳が考えだし、作りだすものに対しては極めて懐疑的であり、否定的な姿勢をもっていることに特徴があるようで、上記の現代社会の都市観そしてそれに対する自然観には同意するところですが、例えば氏が記事の中で語る「終わってしまった資本主義の次の社会として、社会主義はうまくいかないであろう。それは脳が考えた社会体制であるから」、という部分には違和感があります。しかしこの部分だけを抜き出して氏の考えを評価するのは拙速とも思うので、この点は保留しておきます。

しかし養老氏がいう、「人が手を入れて生かしてきた里山の自然の中に、これからの社会のヒントがあるのではないか、そして子供も大人も、自然寄りに暮らしたほうがよい」としている主張には大いに首肯するものです。

小規模なコミュニティが無数にあり、それぞれが自立していくような社会をどのようにして形成していくか、そして応援していくかという考えと、そしてその中に、子供も大人も自然寄りに暮らすほうが良い、という思想をどう組み込んでいくかという過程が、望ましい社会の一つの形として養老氏は思い描いているのであろう。

その手段として、エネルギーの自給自足、木材利用の拡大に繋がる総合的なプロジェクトを主張しているのだろう。
そして子供も大人も自然寄りに暮らすことが可能な場所として、手入れが為され続ける里山や森林や田園に目を向けることの大切さを都市に暮らす人々に主張しているのだろう。
里山や森林や田園等の自然環境には大きな教育力や情緒に繋がる生命力があることは、養老氏だけでなく、おコメと農業にこだわりを持っていた井上ひさし氏も説くところである。

そのような里山や森林や田園等の自然を背景に持つ、無数の小規模なコミュニティを育てていく手段としては、エネルギーの自給自足と木材利用総合プロジェクトに加えて、食と住の分野は省けるとして、医療と教育の都市部との格差問題、そして里山や森林や田園地域での安定した職の創造と提供が、極めて重要な問題点となるであろうと考える。

私案になるが、安定した職の創造として2つ程あげてみたい。

一つは、バケーションの実態。特に欧州に見られる1-2週間をかけて家族皆で都会を離れて休暇を楽しむのに対し、我が国はせいぜい2-3日の家族旅行。かけている費用はそれほどの違いは無さそうな実態。里山や森林や田園等、優秀な教育力と治癒力をもつ自然を背景に持つ無数の小規模なコミュニティは、そのコミュニティの育成・活性化の手段として、この観点での受け皿作りを考えてもよいと思うのだが。

もう一つは終の住まい方に関連するもの。都市部の高齢者は終の住まい方において、その人数の多さの故に、そして都市部では特に3世代をまたぐような大家族制が困難になり、小家族が当たり前になって久しい。従って老老介護の問題や誰もが利用可能な受け入れ施設不足が問題となっている。
終の住まい方についての思いは人それぞれに違いはあるだろうが、選択肢の一つとして、終の住み家を、里山や森林や田園等優秀な教育力と治癒力をもつ自然を背景に持つ小規模なコミュニティ内に設ける運動というものも、非常に魅力あるものと思うのだが。

小規模なコミュニティが無数にあり、それぞれが自立していくような社会を育んで行く上で、都市部に住まいする人の考え方が非常に大きな重みをもっていると言えます。

前に紹介したハーバード大のセミナーの中で、Kuo氏は「全面ガラス高層ビル等の現代建築物が西洋の経済発展のイメージに直結したもの、進歩と力を象徴するものと捉えている世の風潮がある」と主張している。我が国においてもこの風潮があるのは事実であろう。

森林を守り利活用していくこと、それを通じて無数の小規模なコミュニティの自立化を図って行くこと、そして子供も大人も、自然寄りに暮らしていける場所を作って行くという総合的なプロジェクトの進展には、この風潮のみが大勢を占める状況は改善の余地のある世の中だと言える。Kuo氏は、従来とは異なる進歩と力を象徴する別の形式が創造される必要を問うている。

養老氏の想いは、その別の形式の価値観の創造に役立つものだと思う。

「護憲+BBS」「 新聞記事などの紹介」より
yo-chan
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フト思ったこと---機械対人間 パート2

2022-11-11 17:41:03 | 暮らし
園児をバスに置き去りにする事件が社会問題になっている。昨日の東京新聞にこの話題が載っていた。

政府は園児バスに安全装置を導入することで対応するとして、来年4月から対策費234億円を予算案に計上したという。バス一台あたり18万円で、対象バスは5万台程という。

前回にも指摘したように、人が何らかのサービスを受けたいときには、そのサービスをしてくれる相手は人間であって欲しい、と思う。

機械音痴とか情報弱者と言われる人は多いと思う。また年を重ねれば誰もがそうなってくると思えば、みんなにとっても切実な問題だろう。園児にとってもことは同じだろう。

今回のケースに対しては、果たして機械だけで安全性は担保されるのだろうか。相手は掴みどころのない幼児なのだから尚更懸念される。

どうして機械に頼り切らない対応策を考えようとしないのか、不思議でならない。

一方で、国民年金だけが頼りで生活に苦労が大きいという高齢者が多くいる。またウ―バー等の不安定な職に携わっている人も多い。

例えば、園児バスの確認作業に先生だけでは難しいのであれば、機械だけに頼るのではなく人の目も活用する方が良いのではとの思いから、そんな場面に役に立つ善き仕事を、必要とする人に提供するビジネスチャンスを何故発案しようとしないのか?

更に言えば、コンビニのトイレを一般に開放し、町のトイレ不足解消を狙った動きが以前にあった。

また障害者の横断歩道の安全向上策として、スマホにその場の情報を提供するシステムを構築する予算化を警察が検討している、という話が数年前にあった。

一方は人手不足が問題で進んでいない模様だし、もう一方は困っていて助けを求める人の相手が、相も変らぬ先ず機械、という問題を抱えている。

何を施策化し予算付けするにも、先ずメ―カ―の仕事作りを第一におもんばかっている、としか見えない現在のシステムを何とかできないものか?

血の通った温かみのある施策作りに汗をかく政党・政治家は何処にいるのだろうか?

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋祭りを見て感じた事

2022-10-17 20:58:22 | 暮らし

秋も深まり良い気候になってきた。

10/15.16日の両日、私の地元でも地元の神社の祭りが開催された。御神輿、神社に保管されていた四神像も神社を出て駅前を練り歩く予定だと聞いた。

この四神像とは、長年神社の奥深く仕舞われていた神像で、再び脚光を浴びて神幸祭として復活した。玄武、青龍、白虎、朱雀の四神が街を練り歩く神幸祭は、四年に一度開催されていたが、コロナ禍で祭りそのものが中止になり淋しい思いをしていたので、楽しみにしていた。

当日は曇り、雨は降らず天も細やかな庶民の楽しみに味方してくれたのか。賑やかなお囃子の音と掛け声が聞こえ、子ども達も粋に法被を羽織り、団扇で煽る御老人の姿も皆幸せそうだった。

ところが駅前の広場、階段やエスカレーターを上がった高くて広い広場に私が行った時、この祭りに水をさすようなことが起きた。

この広場の端は開けてあり、上から覗けるようになっていた。そしてそのフェンスには警備員が立っていて、「ここは近寄らないで!」と、何と無く威圧的に両手を広げていた。

男性が1人近寄ったら、「こら、入っちゃいかんと言っているだろ!」と言い合いになった。

話が聞こえ、男性は待ち合わせの人が来たかな?と上から見下ろしていたそう。警備員は「神様が通るのを上から見下ろすような失礼なことはさせない様にと、神社から頼まれている」とのことだった。

ああ、ここまで来たか、と私は暗澹たる気持ちになった。今まではこんな事なかったのに。

神様といえども人間が作った四体の像である。行き過ぎた偶像崇拝にまでいかなければ良いがと思った。

私の地元の神社は子どもの頃から慣れ親しまれ、お祭り、お正月の餅つき、節分の豆まきと、地元の庶民に愛されて来た。神様も庶民と神を隔てる事を良しとは思わないだろう。そして神様じゃなくて道路を見たい人もいるだろう。

最近神社に貼り付けられている「御参りの仕方」の紙も何だか感じが悪い。御参りなどその人の仕方で心があれば良いではないか。それをしないといけないなんておかしい。人の心まで踏み込まないで欲しい。

神社本庁恐るべし!私達の暮らしと心まで侵食されて行く様な気がする。

「護憲+コラム」より
パンドラ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「くらしのアナキズム」松村圭一郎著(ミシマ社)

2021-11-10 16:47:00 | 暮らし
「国は何のためにあるのか?ほんとうに必要なのか?」・・・

パンデミック、経済格差、「機能不全の民主主義」の渦中に置かれ、日々暮らし辛さを感じている中にあって、私たちの脳裏には、漠然とではあるが、こうした根源的な疑問が常に付きまとっている。

その疑問を前にして、文化人類学者である村松圭一郎氏が、著書「くらしのアナキズム」の中で、人類学的事例や歴史的・社会的史実を例示しながら、「公共」を作り直し、暮らしに根差した「政治」を再生していくためのヒントを、示してくれている。

例えば、災害などで政府が一時的にせよ機能しなくなる事態が起きた時、人々は自然発生的に互いに支えあおうとする。その底力を、鶴見俊介(「方法論としてのアナキズム」)の『人間の社会習慣の中になかばうもれている、人間がたがいに助けあって生きてゆこうとする、人間の伝統』という言葉や、花森安治の「内閣は、3日や1週間なくても、別にそのために国が亡びることもない。ところが、暮らしの方は、そうはゆかない。たとえ一日でも、暮らすのをやめるわけには、ゆかないのである」(『灯をともす言葉』)の言葉で、説明している。

また、コロナ・パンデミックに関しては、台湾の政治家オードリー・タン氏が「暴力や権力で威圧できる、既得権益などを独占している、ただそれだけの理由で他者を従わせてはならない」の言葉と共に、『だれもが安全だと感じる居場所作り』『「透明性」と「説明責任」の政治』の実現に尽力し、成果を上げてきたことを紹介。

一方、今回の衆院選もそうだが、選挙に勝ちさえすれば、反対意見に耳を傾けず、なにをやってもよい、という現在の政治状況により、ほとんどの有権者は自分の意見が「完全に無視された」状態におかれ、選挙自体が政治への無力感や絶望感を増幅させる仕組みになっている。

この問題を考える参考として紹介されているのが、エチオピア陶国境付近に暮らす牧畜民の『「胃のちがい」という論理をとおして最大限に受容しあう態度の共有と、ゆるやかなまとまりの保持』(佐川徹『暴力と歓待の民族誌』)、『皆がそれぞれの考えや知っている出来事を口にだす。機が熟すのを待って、受け身の黙諾を与える気になるように計らう』(宮本常一『忘れられた日本人』)、『なんのために人とかかわり、社会をつくってきたのか。それは共に楽しく生きるためだ』(きだみのる『にっぽん』)、『骨肉を争った町民同士の『けんか』をここらでやめんと、久保川の町がだめになる』(猪瀬浩平『むらと原発』)など、とことん話し合い納得しようとする社会の知恵である。

こうした豊富な事例を提示した後、松村氏は、国家などのシステムにたよらず、下からの民主的な「公共」の場をつくる、国家や市場のなかにアナキズム的なスキマをつくりだす鍵は、なにげない日常に埋もれている、と言う。

そして、「不完全さこそが実は正常な状態だと再認識すること」「人々が他者と環境とのあいだで自立的で創造的な交わりを持つこと」、「相互依存のうちに実現された個的自由」の重要性を指摘する。

最後に松村氏は、コロナ・パンデミックの中で、例えば「クラウドファンディング」や「応援消費」などの形として見えてきた、「宛先のある経済」の可能性について、以下のように語っている。

『自分の生活が、物をつくって運ぶだれかの働きによって支えられ、自分の支払うお金が多くの働き手の生活を支えている。「わたし」の消費が「だれか」の生活を支えている。』

『開かれた無数の市場(いちば)からはじまる「宛先のある経済」が、そこにかかわる人たちを固有の価値をもつ「人間」として結び付け、場や関係を耕すためのスキマをつくりだすはずだ。』

経済格差、機能不全の民主主義に追い打ちをかけたコロナ禍の渦中に置かれて、「この無力で無能な国家のもとで、」なす術を失い、呆然とし続けることから脱出し、「もう一度自分たちの手で生活を立て直す」ことを“出発点”として、前向きに進んでいこうという気持ちになれた、皆さんにも是非お勧めしたい「一冊」でした。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
笹井明子
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闇に潜み、地を這いずり、光を希求した漫画家白戸三平死す!

2021-10-28 13:19:12 | 暮らし
漫画家白戸三平が死んだ。

わたしが彼の名前を知ったのは、京都時代。河原町の古本屋で彼の漫画(雑誌ガロ)を手に取ったのが最初だった。漫画の題名は『カムイ伝』。

主人公のカムイは被差別出身の少年。彼と農村出身の少年、武家出身の少年三人が、それぞれの自由を求めて苦闘する話だった。その話と白色の毛を持って生まれ、兄弟狼から差別された孤独の白オオカミが大自然を生き抜く姿を組み合わせた物語。漫画には珍しい縦軸と横軸の物語が重層的に重なり合うふくらみのあるストーリーだった。

まず、わたしは『カムイ』と言う名前に魅かれた。「カムイ」はアイヌ語で、神を意味した。その反対に、「アイヌ」というのが人間を意味している。日本列島に古くから住みついていた先住民である「アイヌ」の人々の人間と神が共生している世界観を象徴しているのが、『カムイ』という言葉である。

・・・・アイヌの伝統的信仰では、あらゆるものに“魂”が宿っていると考える。中でも、植物や動物など人間に自然の恵みを与えてくれるもの、火や水、生活用具など人間が生きていく上に欠かせないもの、天候のように人間の力の及ばないものなどを『カムイ』として敬った。・・・・
https://www.akarenga-h.jp/hokkaido/ainu/a-03

白戸三平は、なぜ被差別民出身の少年に「カムイ」という名前をつけたのか。

彼の父親は、プロレタリア画家岡本唐貴。幼いころから、神戸や大阪の朝鮮人の近くを転々としている。(父親の活動=共産党のオルグ。)さらに白戸の弟真は、被差別出身の友達がおり、友達の家業の手伝いなどしていた。

こういう環境から、差別された民族アイヌと差別された被差別の人々が重なり、『カムイ』という名前が誕生したのではないか、と想像している。

差別された人々の想いや生き方だけでなく、白戸は、“孤独の白い狼”が大自然を生き抜く姿に、アイヌ民族の自然への崇敬の念(カムイを生み出す心)を描きたかったのではないか。

白戸は、“忍者武芸帳”や“忍者赤影”など忍者ものを書いている。彼の“忍者”ものへの執着の一つに立川文庫があると語っているのを聞いて、納得した。わたしも“立川文庫”の大ファンで、“猿飛佐助”や“霧隠才蔵”の活躍に胸を躍らせた1人。

白戸が少年向けの漫画に忍者を取り入れたのも自分の少年時代の興奮や胸の高まりを忘れる事が出来なかったからだと思う。※立川文庫とは - コトバンク (kotobank.jp)

ただ、彼が凡百の漫画家と違うのは、『カムイ伝』もそうだが、底辺に住む人間たちの生きざまに焦点をあて、差別される人間たちの苦悩や生きづらさを見事に描き切っている点にある。

彼の作品の背後には、強固な“マルクス主義”哲学があると評する人もいるが、わたしは彼の幼少期の生活や特高警察に弾圧された父親に代わり、家族の生活を支えた自身の経験が色濃く反映されていると思う。

その背景に加えて彼の家族の芸術的感性がある。父親は画家。妹は絵本作家。弟は、白戸と一緒に漫画を描いた。地を這いずり回るような苦闘の生活にありながら、芸術的才能を磨くことを忘れなかった心の豊かさが、白戸一家にはあった。

白戸の漫画が全共闘世代の愛読書になったのは、白戸の漫画の底辺に流れる“心の豊かさ”が光となって、既成の秩序や体制と苦闘する全共闘に集まった若者たちの心に刺さったのだと思う。

白戸三平 多くの人の心に刺さり続けた漫画家だった。 合掌!

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
流水
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電力会社から何処まで離れた生活が可能かを考える。それに繋がる情報を纏めてみる

2021-08-26 11:42:06 | 暮らし
以下の調査と纏めは電力業界にサヨナラを言いたいがための、自身の興味に基づくものです。

「5アンペア生活をやってみた」(斎藤健一郎著;2014年;岩波ジュニア新書)を今回はベースにして、出来るだけ纏めてみたいと思いスタートした次第です。みなさんの参考となり興味をひければ幸いです。

1. 現状は如何に?
平均的な家庭は月間290kWhの電力を、32立方メートルのガスを使うと言う。ガスを含めるのは電気炊飯の代わりにガス炊飯でガスの使用が増えるのであれば意味ないと意識しているからです。

2.どんな電気器具を使い、どれだけ電力を食っているか?
これから紹介する各種データは主に「5アンペア生活をやってみた」(斎藤健一郎著;2014年;岩波ジュニア新書)から取っております。

先ずは基本データの一般世帯の機種別電気使用状況データ
(2009年度総合資源エネルギー調査会省エネルギー基準部会に基づく)
     冷蔵庫     14.2%
     照明器具    13.4%
     テレビ      8.9%
     エアコン     7.4%
     電気温水器    5.4%
     エコキュート   3.8%
     電気便座   3.7%
      食器洗い乾燥機   3.7%
     電気ポット    3.2%
      電子計算機    2.5%
     ジャー炊飯器   2.3%
     洗濯機・乾燥機  2.1%
     電気カーペット   2.0%
     電子レンジ   1.8%
     その他     25.6%

省エネ技術の向上や、人それぞれの生き方や時代の流れで消滅するものがあれば反対に出現してくる器具もある等を考えれば、上の表は2009年当時の参考程度の代物でしょう。

3. 現在の契約アンペア数を意識して、変えることの意義を考えてみる。
普通電力会社とアンペア数を基本契約で決めています。多くの場合は30~40アンペアあたりでしょうか?5アンペア生活に挑戦していた斎藤さんが名古屋で借りた家の例では、50アンペア契約の家だったとの事です。先ずは現在の契約アンペアを認識する所から始めるのが妥当です。

また以前は1戸毎にブレーカー付き配電盤があったのが普通でしたが、最近ではスマートメーター化が推進されており、ブレーカー機能の無い家庭が増えているのではと思います。ブレーカー機能の無いスマートメーター世帯では契約オーバーし停電した際には大本の電力会社が復旧作業(極めて簡単だそうです)を行い、30分程度で自動的に使えるようにしてくれると説明を受けた記憶があります。当然その停電中に原因の機器をOFFにしておく必要はあります。

契約アンペア毎の毎月の基本料と上限ワット数(同時に使用できる器具の合計)を示すと
60A契約:1680円程で6000Wまで   50A契約:1400円程で5000Wまで  
40A契約:1120円程で4000Wまで   30A契約:840円程で3000Wまで
20A契約:560円程で2000Wまで    10A契約:280円で1000Wまで

ちなみに5アンペア生活を実践している斎藤さんの話では、5アンペアの基本料金はどうやらゼロ円。但し通常電力会社は5アンペア契約の存在を顧客に隠したがり説明しないので、かなり骨を折る必要があるようだが、例えば斎藤さんの事例を持ち出せば、希望する5アンペアの土俵に乗せることは出来るとの事(定款上は5アンペアもOKとの事です)。なお10アンペア以上は従量電灯Bでの契約になるが5アンペアでは従量電灯A区分になるとの事。

アンペア数の変更はスマートメーターになっていれば電話でOKとのことを以前聞いていますが、ひょっとすると繋がらないとかネットに誘導されるとかになるかもしれません。また下げるだけでなく、戻したりもっと上げたい希望も電話で簡単に出来、即変更した条件で利用可能と聞いています。

現状の電力使用状況がどうであるのかを知るためにも、又変えたいと希望を持つのであればなおさら現状を知った上で計画を立てることが大切でしょう。そんな際に有力な武器になる電気の見える化の話を次にします。

4. 電気器具はそれぞれどのくらいの電気を食っているのか?電気を見える化する。
ちなみに我が家は40アンペアの契約です。この機会に現状での我が家の電気使用状況を棚卸する意味も込めて、使用している電気器具とその必要ワット数(アンペア数)を調べてみました。

但し我が家には電気の見える化には必須の優れものの消費電力測定器(ワットチェッカー:1000円程で入手できるそうです。これがあれば器具の使用運転中のアンペア数と積算電力量ならびにCO2発生量・電気代まで液晶に表示するそうです。使用には器具と壁のコンセントとの間に測定器を入れるだけです)が無いので、各器具の使用説明書中の数値や器具に記載の数値(多分最大値)を利用しています。よってそれぞれの家の使用実態により変わる正確な数字を表していないということに注意が必要です。

エアコン:通常は10アンペア目安。説明書では冷房運転時は14アンペアで暖房運転時は21アンペア。但しこの数値は最強条件での最大値と思います。何しろ40A契約で2台のエアコンが設置されていますからこの仮定は妥当と思います。
 現在1台だけを微風29度設定にして使用中で4~6アンペア(400W~600W)あたりが実態か。1日12kWhを消費中と思います。夏の3か月は月に360kWh当たりか。ちなみに冬の暖房用には使用していない。
 再起動時毎に14アンペアがかかる瞬間を繰り返すとして考える必要はあります。
TV:消費電力は110Wで1アンペア。待機電力は0.1Wで0.001アンペア
 視聴時に1アンペア(100W)と考えればよいでしょう。
 結構見ていますから日に1kWh程ですか。月に30kWh。
電子レンジ:1430Wで14.6アンペア。 ヒーター加熱使用時は1220Wで12.2アンペア
 現状はヒーター加熱使用はなしで、レンジ使用が日に5~6分か。
 日に0.2kWh以下ですが使用時には最大15アンペア程度を消費するものです。
 月に6kWh以下。
炊飯器:100V、1240W。炊飯時に12.4アンペア(1240W)必要。炊飯にほぼ1時間ですから日に1.24kWhを使っていると思います。月には37kWh程か。
冷蔵庫:100V、120W。1アンペア程で24時間連続ですから日に2kWh程、月に60kWh。
 夜間は開け閉めないので実質は40kWh程か。
洗濯機:100V、440W。4アンペア程で30分間位。日に0.2kWh程か。月に6kWh。
掃除機:強使用時で10アンペア、弱使用時で5アンペア。日に5分程か・日に0.05kWh。月に2kWh程か。
トースター:100V、620W。使用時に2~3分。0.03kWh程か。月に0.1kWh程か。
照明:連続使用の天井照明が1つ。天井照明は100Wとして15時間点灯で日に1.5kWh。他に使用時のみに点灯の照明が6か所。LEDもあるので1か所当たり30W使用時間が日に6分として0.02kWh。合計して月に45kWh程。
アイロン:100V,770W。使用は10分程度で月6-7回として1kWh以内か。
ドライヤー:10アンペア。我が家は不使用。
扇風機:100V,40W。夏の間10時間程度弱で使用。日に0.2kWh、月に6kWh程か。
電気温熱器:100V,150W。日に一回6分ほど。0.02kWh。月に10回程の使用で0.2kWh。

以上我が家の電力消費状況を購入時の資料と使用状況を勘案して纏めると、エアコンを除いて月173kWh(6月の東京ガスからの請求書では155kWh:5月の使用分。まあまあ当たっています)で、夏の2カ月ほどはエアコンの分360kWhがプラスされると思います。

現在の我が家の電気利用の状況が大凡つかめたので、次に契約アンペア数を変えようと考えた場合に必要な事柄である現在の生活スタイルで起こりえる最大アンペア数を考えてみたい。

同時に使用する可能性が充分に有る家電をピックアップしてみよう。消費アンペアの小さいものはここでは無視して大きいアンペアを食う家電を挙げて見ると
エアコン(14A)電子レンジ(14.6A)炊飯器(12.4A)掃除機(5A)洗濯機(4A)トースター(6A)が挙げられる。

全部を同時に使えば計算上は56アンペアになる。それにバックグランド的に稼働している冷蔵庫・TV・照明の2アンペアを加えると契約の40アンペアをはるかに超える58アンぺアになってしまうが、10年間一度もブレーカーは落ちていない。

この理由の一つは、エアコンと電子レンジと炊飯器(この3つの同時使用で計算上は41A)は同時になることはありえるが、掃除機・洗濯機・トースターを更に一緒に運転する機会は無かったこと、つまり生活のスタイルから収まっていたという点と、特に電子レンジで特徴である最大アンペアが極く短時間(1分以内)で終了しまうこと、そしてもう一つの最もあり得る点は上記の( )内のアンペア数が最大アンペア数で、普通は実際にはそれ以下で運転されていたということではないかと想像しています。

いずれにしてもブレーカーが一度も落ちることなく生活出来ているが、40アンペアにほぼ張り付いている使用アンペア数を考えると、今の40アンペアの契約は我が家としては当面必要であると結論せざるを得ないと思っています。

大まかには我が家では残念ながら今の生活スタイルにこだわれば当面は契約アンペアの変更が当面出来ないことが判明した訳ですが、しかし例えば炊飯器は必ず起きるまでに炊飯終了の予約システムで対応すれば、30アンペア以内に収めることも見込め、30アンペアへのダウンもあながち不可能ではない状況とは思っています。目指す目標は当面30アンペア契約ですが、我が家が希望する目標は20アンペアです。

ここでもう一点注意すべき点があることに触れてみます。

例えば洗濯機の場合が特徴ですが電気器具は、その使用中に大きくアンペア数の変動が起こるものということです。

先ずは洗濯機。洗濯中に水流を起こす工程と反転の為一旦停止し次に逆流を起こし、また停止しを繰り返す訳で、その間0.8アンペアから2アンペアの間を行き来するとのことです。次いで脱水。この工程では0.8アンペア付近から始まって徐々に上昇していき最終的には4アンペア付近まで上昇するとの事です。従って先のカタログ記載の4アンペアだけを頼りに判断しての使用電力量の見積もりは過大試算だったということです。

掃除機も使い方次第でアンペア数は大きく変化するもので、強で使用すれば10アンペアだが弱使用で半分の5アンペアになります。

ワットチェッカーを使って各場面での電力消費の見える化を具体的に確認していけば、使用法・運用法の観点からの賢いアイデアが各家庭で発見でき、それで最大アンペア数を下げる事が出来る賢い方策が各家庭ごとに見つかるのではないかと思います。

我が家でも、もっと見える化を図りたい気になってきました。先ずはワットチェッカーの購入から始めて、もっと正確に我が家の電力使用状況を把握して今後に備えたいと思い始めています。賢いアンペアカット策が見つかり、実行も無理なくできることに結び付けば40から30アンペアへの契約の変更が可能となり月々280円の実益が出るのですから。

この項最後の情報として目標値としての斎藤さんの電気料金の変遷を見ておきます。

2011年7月頃   133kWh(福島普通生活時代:新聞記者という職種柄か、かなり少ない印象)
2012年7月     59kWh(5アンペア生活始めて1ヶ月目)1208円
2012年10月     40kWh(秋になり扇風機やTV使用が低下)854円
2012年11月 11kWh(冷蔵庫を卒業)         285円

新聞記者の斎藤さんが思いつきで始めたとはいえ、極限を目ざして見ようという記者ならではの意識があっての結果と思います。目安なり目標として参考にしたらと思います。

彼も言っていますが、我慢比べの競い合いの意識からでは無く、正確にワットチェッカーで実態を踏まえた上であくまでも無理のない楽しく無駄なく自分に合った計画を先ずは立てて、出来る所から実行していく心構えが大切と思います。

斎藤さんの苦労談当たりをスタートに他の話題も含めて、次回以降紹介していきたいと考えています。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東京ディストピア日記」桜庭一樹

2021-06-14 13:35:54 | 暮らし
「東京ディストピア日記」は、東京の東部下町エリア、スカイツリーが見える地域に住む著者が書いた2020年1月から2021年1月迄の記録である。

マスク不足による狂想曲、アベノマスクの醜態と、「お家でお踊ろう」の曲に合わせて首相が寛ぐ動画が招いた国民の怒り。

それらを書きながら、著者の生活も長年馴染みにしていた年老いた店主が経営する小さな喫茶店が休業し、長年執筆の場にしていた近所のホテルラウンジも居づらい雰囲気になっていく。まともな対策もしない為政者によって、東京はディストピア化され次第に街から人が消えていく。

この本の舞台になるのは、その殆どが徒歩か自転車で回れる下町。本を読んでいる私も橋のたもとに佇み、スカイツリーが見えその橋を往き来する人達を眺めているような気分になる。

著者は住居内のエレベーターで偶々咳き込む人と、二人でいる時身体の向きを変え眉をひそめる自分も、不寛容な世界の住人になりつつあるのではないかと心痛める。

この本は日々の身近な事だけでなく、世界で起きているコロナ禍についても書いてある。

オーストラリアがWHOに「コロナ発生状況の独自調査を始めたい」と表明し中国が猛反発して、トランプのアメリカが「武漢ウイルス」と表現して中国が猛反発。まるで中国もアメリカもジャイアンみたいだと。

ジャイアン同士が角突き合わせているうちに、感染は世界中に広がりつつある。

「ジャイアンにとっては国際政治で優位に立つ事、経済力を保つ事が最も優先すべきであり、それに比べれば人命なんて何万、何十万という数字に過ぎないのではないか。ジャイアン達が作るのが正史の正体とするならば、政治や戦争の時代は何時もそうだった」と述べながら、だからこそ著者は諦める事なく、たったひとつの命の絶対的価値のために芸術や哲学は必要とされているのではないかと私達に問うている。

それはコロナとディストピアに見舞われた東京という都市に生きている人間の記録であり、その時世界と日本という小さな国で何が起きて、人々はどう動いたかの記録となっている。

私達は未だディストピアの渦中にいる。心を強張らせ、他者への想像力を弱め、誰かのSOSにも余裕なく立ち去る生活を強いられている。

だからこそ著者は胸を張って、踏ん張り、強さ優しさ、たくさんの想像力を忘れず歩いて行こうと決意する。

本の終わり近くに、著者が佇む道の前を馴染みの喫茶店の老店主が「人出が戻って来たから又店を開けたよ」と自転車でサーッと駆け抜けて行く場面がある。今までは豆の販売だけをしていたのだ。

ディストピアの中でも人は生きている。

「護憲+コラム」より
パンドラ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌を演じきった歌手;ちあきなおみ

2020-09-06 17:21:51 | 暮らし
「艶歌」が歌謡曲の主流だった時代、売れる歌手を見つける一つの法則があった。

『不幸の味』・・・どんなに素晴らしい歌手であっても、売れるためには、どこかしら『不幸の味』がしなければならない。大衆はその「味」を敏感に嗅ぎ分ける。その歌手がどんなに歌がうまくても、どんなに美人であっても、それだけでは売れない。どこかに『不幸』の匂いがする歌手が売れる。・・・五木寛之の説である。

そう言えば、美空ひばりもそうだし、藤圭子もそうである。わたしはこの二人を戦後を代表する女性歌手だと考えているが、どちらにも常に『不幸の匂い』がつきまとっていた。

『不幸の味』は女性歌手に似合う。演歌が大衆の“生きる悔しさ”に対する応援歌だとすると、美空ひばりも常に家族の悩みを背負って生きてきた。美空ひばりは幸せな結婚生活を送れなかった。藤圭子もしがない旅の浪曲師だった家族の影を背負い続けていた。

二人にまとわりついて離れないこの「不幸の味」が大衆の心をつかみ、それが彼女たちを不世出の歌手にした。『生きるって辛いんだよね!』どんなに売れて、どんなにお金持ちになっても、大衆はこの二人の歌声から常にこの匂いを感じ取っていた。

美空ひばり、藤圭子。・・・この二人に、わたしは、「ちあきなおみ」を加えたい、と思う。

美空ひばりが作曲家、作詞家の思いや狙いを見事に表現し尽くす天才だとすれば、藤圭子は、その顔や表情と歌う声のギャップの凄さが大衆の心を掴んだ。

それに対して、ちあきなおみは、作曲家・作詞家の思いや狙いをはるかに超えた自らの情念を歌の世界に託して演じきった天才である。

【歌を演じる】・・・ちあきなおみの歌は、溢れんばかりの『情念』がほとばしり、鬼気迫る表情で歌を演じている。

彼女に匹敵する男性歌手は美輪明宏以外ないだろう。ただ、美輪明宏の歌は、何となく作られた匂いがするが、ちあきなおみにはそれがない。理由は単純。彼女が本物の女性だからだろう。

『歌を演じる』彼女の代表作が、【朝日のあたる家=The House Of Rising Sun】 。(あさひのあたる いえ、英: The House of the Rising Sun)は、アメリカ合衆国の伝統的なフォーク・ソング。

“Rising Sun Blues”とも呼称される。娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌で、暗い情念に満ちた旋律によって注目された。"The House of the Rising Sun" とは、19世紀に実在した娼館、または刑務所のことを指すという説があるが、確証はない。「朝日楼 / 朝日樓」とも表記する。 ‥ウィキペディア

この歌は、多くの歌手がカバーしている。その中でちあきなおみの歌がいかに凄いか。下にいくつか代表的な歌手のカバーを列挙しておくので、比較してみてほしい。

(米国などの歌手)
元々、米国の民謡をアニマルズが歌って、世界中にブレイクした。
https://www.youtube.com/watch?v=w4DgaTAUAbI
わたしたちには懐かしいジエーン・バエズも歌っている。
https://www.youtube.com/watch?v=rD80eZ6Gxz0
  年取ったバエズの演奏はこちら
  https://www.youtube.com/watch?v=XopwrdwkFaI
ボブ・デイランの歌はこちら
http://www.magictrain.biz/wp/blog/2010/07/21/%E3%80%8C%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%8B%E5%AE%B6%E3%80%8D%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%B3%EF%BC%9Ahouse-of-the-rising-sun-bob-dylan-1962/
Odettaの歌はこちら
 Odetta→日本ではオデッタ・ゴードンの名で知られている。フォーク歌手。人権活動家。
https://www.youtube.com/watch?v=Aaya8jYZBO8&list=RDAaya8jYZBO8&start_radio=1&t=31

(日本)
浅川マキ(彼女は“朝日のあたる家”を翻訳している。ちあきなおみも彼女の翻訳で歌っている)
https://www.youtube.com/watch?v=cqMjPghOKXQ
内田裕也
https://www.youtube.com/watch?v=kwOA2WQgaNM
モップス
https://www.youtube.com/watch?v=nOwNbWQQ3i0
山口百恵
https://www.youtube.com/watch?v=H5ALdlEoyJg

最後にちあきなおみの【朝日のあたる家】
https://www.youtube.com/watch?v=8wydnzOt2OU

わたしの母の田舎では、60年に一度「荒神神楽」という神楽の中でも特殊な神楽が舞われていた。(現在では人口減少で行われていない。わたしも一度だけ見たことがある。)その時、村人の中から霊感の強い人間が選ばれて、【神や神や】(ごうやごうや)と叫んで神が下ってくるのを待つ儀式がある。
※比婆荒神神楽 
https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/05_vol_103/feature03.html

学問的に言えば、比婆荒神神楽は中国山地に秘匿された神懸かり(託宣の古儀)を伝承する古風な神楽で民俗学的に価値の高いものとして評価されている。

その時に選ばれた人間は、本当に口から泡を吹いて、まるで憑き物が付いたような状態になる。いわゆる【憑依】というものである。

神楽は夜行われる。田舎の神社は大方が大きな木々に囲まれている。周りは漆黒の暗闇で、かがり火の中でこの【憑依】した人を見た時は、背筋がぞっとした。この時の経験は忘れられない。

ちあきなおみの【朝日のあたる家】を聞いた時、わたしはこの時の感覚を思い出した。ある人が「アングラの一人芝居」を観たような気分だ、と書いていたが、同感である。まるで一本の映画を見終わったようなぞくぞくっとした充足感に襲われる。

こんな歌手は後にも先にも「ちあきなおみ」以外いない。彼女が憑依したのではない。主人公の女性に憑依し、それを演じきったのである。

こんな歌手は疲れるだろう。おそらく、彼女の一曲歌うごとの疲労感は、他の歌手の何倍にもなったのではないか。

夫の死後、彼女が華やかな舞台から身を引いてもう30年以上たつ。一体、彼女に何が起こったのか。
・・・
彼女の夫、郷鍈治は、俳優宍戸錠の弟。わたしも彼の出演した映画は何本も見た。2人は1973年ごろに出会い、78年に結婚。郷は92年9月11日に55歳の若さで他界したが、約20年も「相思相愛の仲」だった。
二人の合言葉は、「好きな歌、好きな芝居、好きな仕事だけ」。郷鍈治は、ちあきなおみの生き方に強烈な影響を与えた。

※郷鍈治の画像
https://www.bing.com/images/search?q=%e9%83%b7%e9%8d%88%e6%b2%bb%e3%81%ae%e6%98%a0%e7%94%bb&qpvt=%e9%83%b7%e9%8d%88%e6%b2%bb%e3%81%ae%e6%98%a0%e7%94%bb&form=IGRE&first=1&scenario=ImageBasicHover

ちあきは「父親は死んだ」と聞かされて育ったが、父親は生きており、彼女が有名になるにつれ、しばしば金の無心に現れた。郷鍈治と結婚してからも、金の無心は止まらなかったが、そんな彼女を郷鍈治は最後まで守り通し、決して父親に会わせなかった。

ちあきなおみは本当に郷鍈治を愛していたのだろう。郷の遺言「もう無理して歌うことはないんだよ」を頑なに守り、歌を忘れたカナリアになった。

ちあきは母親が亡くなると都内に墓碑を建て、郷さんもそこに眠る。2000年には墓から近いマンションに移り、生涯、母と夫を供養する覚悟で生活しているそうだ。
・・・・
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190712/enn1907120001-n1.html
(上の記事をわたしなりにまとめたもの。)

今のちあきなおみの心情に近いと思われる歌を彼女は歌っている。

「冬隣」。吉田旺作詞、杉本真人作曲
https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%81%a1%e3%81%82%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%8a%e3%81%bf%e3%80%80%e5%86%ac%e9%9a%a3&&view=detail&mid=7CB1C2D63677C59332547CB1C2D63677C5933254&rvsmid=D8C2BB818D5476863AF8D8C2BB818D5476863AF8&FORM=VDRVRV

あなたの真似して お湯割りの
焼酎飲んでは むせてます       
つよくもないのに やめろよと
叱りにおいでよ 来れるなら        
地球の夜更けは さびしいよ         
そこからわたしが見えますか
この世にわたしを置いてった
あなたを怨んで飲んでます

写真のあなたは若いまま
きれいな笑顔が憎らしい
あれからわたしは冬隣 
微笑む事さえ忘れそう
地球の夜更けはせつないよ・・・
そこからわたしが見えますか
見えたら 今すぐ すぐにでも
わたしを迎えにきてほしい
     
地球の夜更けは さみしいよ
そこからわたしが見えますか
この世にわたしを置いてった
あなたを怨んで飲んでます

「不幸の味」を売り物にしなければならない宿命に疲れ果てた「ちあきなおみ」が、はじめて見つけた、夫郷鍈治との幸せな生活。彼女にとっては何物にも代えがたいものだったのだろう。

夫の死後から23年たった彼女の姿が、撮られている。
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1612324/

夫の墓前で祈る老いた彼女の姿は、時の流れの無情さを感じさせるが、彼女の心の時間は、夫との別れで止まっているのだろう。こんな風に愛された郷治はさぞかし幸せだろう、と思える。

夫との死別後、何十年も、心の中の夫との生活に生き続けられる女性などそんなにはいない。彼女は最後まで、心の底から憑依できる歌手であり続けているようだ。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
流水
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする