老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

オーバースペックという無駄金を指摘し、世の中に投資する資金は意義ある使い方にしたいものだ、という想いをはせる12月28日としたい

2022-12-29 17:07:47 | 社会問題
昨日28日に、衝撃的な事が起こってしまった。若い母親が6才と8才の二人のこどもと列車に飛び込んでしまった。事情は問う必要はないだろう。事実だけを私達は受け入れれば良いと思う。冥福を祈るとともに、ただただ手を差し出すことが出来なかった不明を自身に問いかけ続ける姿勢を大切にしたいと思う。

一方、市民の多くが反対し、後々の不要な資産となる恐れを懸念した新陸上競技場の維持に毎年10億円掛かるとか、いや30億円は掛かるだろうという話が出ている。

防衛費を今後数年にわたり5兆円規模増額することを既成事実化してしまう閣議決定がなされてしまった。

古くは議員宿舎の建設費と家賃との関係の法外さ、が話題になったことがある。また付近の街並みを見下ろすが如き立派な市役所や県庁舎があちこちに建っている。そして省庁の外郭団体施設(木場にある特許庁の外郭団体施設が最近気になっている。10階建て程で1フロア500坪程ではないか?こんな大きさが本当に必要なのか? どこの政党だろうが調査権を行使したらと思う)の立派さ。

また江東区内の小名木川・仙台堀川・大横川等々に掛かる橋および川の改修を区は行っているが、最近橋のたもとにポンプを用意した水景設備が併設されているのを見かけた。探してみると他の場所にもかなり水景設備が一般化していることがわかる。例えば清澄公園にも、中央区の浜町公園にも、また浜町と人形町の境の緑道にもある。そしてそれら皆すべて、水が流れていない・使われていないのである。それぞれ立派なポンプを用意しているにも拘らずに。

因みにこのような水景設備を作り・数10年に亘り維持し、ポンプの定期検査作業やポンプ交換作業の費用を見積もると一基当たり小さいものでも最低2000万円以上、大きなものなら億に近い数千万を要する代物だろう。

オーバースペックという言葉がある。箱物を新たに計画する際に、必要を上回る不要な機能やスペース(大きさ)や部屋数や設備を計画に放り込むことだ。

パトリオットや新陸上競技場のように、そもそも前提となる必要性から問題にすべきものもあるが、その問題は置くとして、市民は本気でこのオーバースペックに文句を言う権利を行使する必要が今あると思う。そして無駄金をあぶり出す手段としよう。

片や、親がどれ程の資産を持っているかで、出発時点から、そもそもこどもの世代には格差が生じている現在がある。また学生時代の奨学金を、借金の形に背負わして若者を社会に送り出すシステムの現在がある。

この現在の姿が望ましい健全な世の中なのか?

考え方として、人生に踏み出す若者一人一人に対し、社会としてある金額の船出資金(資産)を、時期を設定し、祝い金として提供するシステムが世界的には構想されている。またベーシックインカムという方式も考えられている。

いずれも機会均等・機会平等という考え・思想を若い世代に提供して、若い世代が皆同じ教育環境のもと、能力をそれぞれ開花させ、若い世代の活力が世の中に100%真っ当に発揮されるシステムを作りたいという希望のもとの考え方である。

今のシステムが機会均等・機会平等という考え・思想が子供たちや若者らに届く社会に至っていない状況だという認識を市民が持ち、そのシステムの不備を埋める努力を進めると共に、いつも言う安定した職の提供作りをも進める努力が求められる必要がある。

弱者の切り捨ては必要悪と安易に看過し、競争社会を活力源とする世の中の側面だけを推進するのでなく、格差を減らす方向の動きや、社会人としてある金額の船出資金を提供するシステムも世の中に担保する方向が存在していれば、2人の子供には違った世の中が広がっていたことだろう。

冒頭の衝撃的な事が繰り返されることのない世の中作りを真摯に模索する努力が、3人から突き付けられたと思っている。

そのためにもオーバースペックに代表される無駄を見つけていく作業が非常に大切な作業としてあると思っている。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan
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今年(2022年)希望を感じたことは?

2022-12-28 11:45:27 | 社会問題
今年もあとわずかとなりました。
今年は今までにも増して、この国の行く末に暗澹たる気持ちになることが多かったです。
その中でも何か希望を感じられることありましたか?

私は「杉並区長選挙」かな。
候補者もいい感じだし、区民の手づくり感いっぱいの選挙活動にもパワーをもらえた気がしました。
議会運営には苦労すると思いますが、区民が見守ることにより、少しずつ変わっている兆しも?
区長が変わるとこれだけ違う、という報告もツイッター等で見かけました。
明石市の泉市長も今期限りで引退を表明しているものの、その実績には目を見張るものがあり、地方選挙がどれだけ大切か、ということを再認識させられました。

微力でも「関心を待っている」「見ている」という姿勢を示すだけでも意味があると思いたい。
来年、自分の市や県でどれだけ活かせるか、道は遠いと思いますが、組織票やカルト宗教に応援される候補ではなく、庶民のための候補が1人でも多く当選しますように。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
コナシ&コブシ
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歴史から学ぶ、歴史で学ぶ

2022-12-26 10:32:29 | 民主主義・人権
公共図書館は、現在では誰でも無償で利用できて当たり前だと思われている。しかし、利用者を選別しない図書館が成立したのは、図書館の歴史の中ではつい最近の出来事である。

私は司書過程を履修していた際に、図書と図書館の歴史を学ぶ機会があった。図書館が自由を獲得するまでに長い時間をかけて幾多の困難を乗り越えてきたことを知り、あたかも空気のように享受している権利は先人たちによって作られた貴重なものだと、ありがたく思うと同時にこれからも継続させないといけないと強く感じた。

日本では、1899(明治32)年に図書館について規定した法律である「図書館令」が公布される。ただし、この法令の大きな問題点として、公立図書館において閲覧料を徴収することを認めていた点が挙げられる。閲覧料徴収の撤廃は戦後の「図書館法」の成立を待たなければいけなかった。

江戸時代の貸本屋や幕末から明治期にかけて日本各地に存在した新聞縦覧所などのように、いわゆる庶民のための開かれた読書機関としての役割を果たした施設は存在するが、大半が有料である。

また、江戸時代以前に作られた図書館に類似する施設は、各時代の有力者や貴族などによるものが多かった。個人が所有する文庫などを開放していても、利用するのは文庫所有者の門弟か好学の者、聖職者などのように範囲は限られていたようだ。

世界全体に目を転じても、近代以前は王族や貴族が作った図書館や修道院図書館というように、一般への利用提供というよりは資料を収集し保存することに力を入れていた。古代ローマの帝政期にみられるような公開型の図書館もあるが、一般公開されているものがスタンダードであるとは言い難かった。

私たちの知る権利を保障する機関である図書館は、生きるうえでかけがえのないものである。自分で物事を判断し行動するにあたっては、資料や情報を収集することが必要になり、その際に図書館が誰にでも開かれていなければならない。

選挙で当選したはずの議員による不祥事が相次ぎ、大臣の辞任も目立つ。投票の際に候補者や政党の情報を集めることは当然のことであるが、当選して私たちの代表者として国政に携わる人たちが日々何をしているのかについても、調べる必要があるのではないか。

そして、日々の活動と実績を記録として残し、発信する際にも発信する側にとって都合のいい情報ばかりを流さないようにする必要がある。

全ての人に開かれた図書館のような場所の必要性を再認し、間違ってもその貴重な自由が奪われないようにしないといけない。そして、情報を発信する側も選ぶ側も、知る権利を保障できるように努めなければいけない。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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フト思ったこと---犯罪も戦争も不安や恐怖心を和らげるシステムが普段から有効に働いていることが大切。抑止システムだけを競い合うのは、逆に不安と恐怖心を高めるだけ。

2022-12-21 13:17:29 | 民主主義・人権
得てして世の流れというものは、各国の「指導者層の都合」からの意見が飛び交う中の雰囲気を土台に作られていくもののように感じられる。ことに軍事や防衛構想等の話の場合、特に感じられる。

市民はただ単に指をくわえて、これを眺めているだけしかできないのだろうか?

そんなこんなで今、日本では敵基地先制攻撃さえも容認する閣議決定がなされた。

また、こんな日本の動向に深い懸念を表明し続けている中国が存在している。そして北朝鮮の脅迫的反応も出始めている。更にロシアとウクライナ、そしてNATO・米国等の動き、台湾、中印等々、いやな世の中の雰囲気が満ちているとも見える報道が続いている。

第三の道(アンソニー・ギデンス著、149-150ページ、1998年)という本にこんな記載がある。

『「犯罪」が増加する要因に「日々の礼儀の乱れ」がある。それを最近の犯罪学は証明している。
 犯罪の増加は困ったこと、市民は対策を取りたくなり、2つの観点から行動をする事になる。
 一つは事前のそなえで犯罪を抑止できるように、例えば、鍵を余分に付けたり、窓に柵を付けたり、防犯カメラを設置したりするだろう。
 もう一つは、犯罪に巻き込まれることの恐怖心を如何に克服するかの対策であり、警察に駆け込んだり、国によっては、市民は銃刀を用意するかもしれない。』

しかし、「第三の道」がとりあげた学説【「犯罪」が増加する要因に「日々の礼儀の乱れ」がある。それを最近の犯罪学は証明している】は、犯罪の防止に有効な対策は普通見逃しがちな「地域の市民の日々の挨拶から始まる市民間の関わり合いであり意思の疎通」が大切だと言っている。

ここで「日々の挨拶」即ち「礼節」を期待するには、「衣食」あるいは「衣食だけでなく住の心配のない安定した職」が市民に足りていることも大切な条件になるだろう。

従って地域の「犯罪」を減らし、不安や恐怖におののく心配のない世の中作りは、「安定した職」の提供システムと「日々の礼儀」の励行システム作りに如何に汗をかくか、ということが最も大切な行動目標となるだろう。家の鍵の心配や自衛手段に頼るだけでは決して充分ではないことに、留意する必要がある。

では、この学説の「犯罪」を「戦争」に置き換えてみたらどうなるか?

この学説の趣旨から言うと、「戦争」を未然に抑止するにも、不必要な恐怖心にかられることから逃れるためにも、取り組むべき大切な行動は、「当該地域の国家間の、並びに各国の市民の間の、日々の挨拶から始まる国家間・各国市民間の関わり合いであり意思の疎通」のための努力、ということになるだろう。

そこで日本並びに近隣地域の現況を再度見れば、日本では敵基地先制攻撃さえも容認する閣議決定がなされ、こんな日本の動向に深い懸念を表明し続けている中国が存在し、そして北朝鮮の脅迫的反応も出始めている。このようなキナ臭い話のみが我々の周りを駆け巡っているのである。

従って、これも繰り返しだが、得てして世の流れというものは、各国の「指導者層の都合」からの意見が飛び交う中の雰囲気を土台に作られていくもののように市民には感じられ、ことに軍事や防衛構想等の話の場合、特に市民にはそう感じられる。故に、市民はただ単に指をくわえて、これを眺めているだけしかできないのだろうか?と言う閉塞感に襲われるのである。

この閉塞感が引き起こされる大きな要因は、【大切な行動目標である「当該地域の国家間の、並びに各国の市民の間の日々の挨拶から始まる国家間・各国市民間の関わり合いと意思の疎通」の努力において、現在【国家間】の挨拶から始まる日々の関わりと意思の疎通が不足しているからだろう。

我が国に当てはめれば、現政権は、市民が求める大切な行動を不充分にしかしていない、そしてバランスのとれた充分な行動をする意思も能力も無いと判断せざるを得ない。

だとすれば、我々市民が、「紛争」の懸念を低減するには各国市民の間での礼儀が大切な行動目標である、との認識と意思を少なくとも明らかにし、そのシステム作りに智恵を働かせる必要があると思う。

幸いに世界中の市民の間の距離の壁はネット社会の現在なくなっている。「戦争」という恐怖の根本に巣くう「疑心暗鬼」という妖怪は、封じ込もうという意思さえあれば世界中の市民から消し去ることも可能な環境は整ってきている。世界市民が強い意思と智恵さえ発揮すれば。

そして「安定した職」の提供システムの重要性。

競争社会中心主義、革新技術推進中心主義という新自由主義のみが前面に押し出され、格差や不平等の発生が放置され、職業の不安定さも放置されている。

これらの問題にも現政権が、市民が求める大切な行動を不充分にしか出来ない、そしてその意思も能力も無いのであれば、職業の不安定さの改善に、我々市民が少なくともその意思を明らかにし、システム作りに智恵を働かせる必要があるだろう。無論そのような意思も能力も無い政権には降りてもらい、ともに行動する政党・政治家を見いだす行動も大切でしょう。

そしてこれらの過程から生まれる話題や市民の動きを、世界中の市民が共有することこそが、「犯罪」や「戦争」の恐れから遠ざかる本筋と思う。

市民が「人間の都合」からの意見を自由に述べ合う「場」の存在が、今後必要なシステムと思っている。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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「閣議決定」使うな、岸田!

2022-12-19 09:48:11 | 自民党政治
【内閣法、第4条】
・内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。
・閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。
・この場合において、内閣総理大臣は、『内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件』を発議することができる。
・各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。
(『』は筆者注記)

内閣は行政の最高決定機関であり、閣議決定は「内閣の重要政策」について「閣議で全閣僚の意思決定・意思統一された結果」です。その後は形式的とはいえ、閣僚が署名した閣議書は天皇陛下より決済を受けます。

「嘘つき晋ちゃん」安倍晋三はこの閣議決定をデタラメに乱発し、その権威を失墜させました。
①安倍内閣総理大臣は、ポツダム宣言については、当然、読んでいる
※日本共産党・志位氏からの質問に「(ポツダム宣言の)まだその部分をつまびらかに読んでおりません」と答弁したことをかばうため。
②(自衛隊は)国際法上、一般的には軍隊と取り扱われる
※安倍晋三が国会で自衛隊を「わが軍」と発言したことを取り繕うため。
③首相夫人は公人ではなく私人である
※森友学園問題に関係している首相夫人・昭恵が安倍晋三の政治家進退に関わることを避けるため。石原慎太郎が「くだらないことを聞くな!」と恫喝したのも愚劣でしたが。
④自衛隊の活動区域は「戦闘行為」が行われることがないと認められる地域に該当
※自衛隊がイラクで「非戦闘地域」とされた派遣地域で「戦闘」「銃撃戦」などがあったことを言い逃れるため、「一般的な戦闘行為と自衛隊法での戦闘行為は違う」と強弁。
⑤(反社会的勢力について)その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであり、限定的・統一的な定義は困難
※「桜を見る会」に反社会的勢力が招待されていた問題を言い逃れるため、「困難」を決定?

なんだかな~。天皇陛下は、どのような気持ちでこれらの閣議決定を「内閣の重要政策」として決裁したのでしょう・・・情けないやら、呆れるやら。

憲法学者で早稲田大学法学学術院教授の水島朝穂は「安倍政権は国会での議論を嫌う傾向が強く、国会の議決がいらない閣議決定だけで(自衛隊を中東に)派遣した。議会制民主主義を完全に否定するやり方」と述べています。
NEWSポストセブン
「安倍首相が乱発する閣議決定、無知の突破力がもたらす異常事態」
https://www.news-postseven.com/archives/20200201_1534054.html/2

一方、岸田文雄の閣議決定は杜撰で危険がいっぱい!国葬の強行を手始めに、この度は国家安全保障戦略(外交や防衛などの指針)、国家防衛戦略(現・防衛計画の大綱。防衛の目標や達成する方法)、防衛力整備計画(現・中期防衛力整備計画。自衛隊の体制や5年間の経費の総額など)の安保3文書を、国会で大した議論もせずに閣議決定しました。

その中で先制攻撃もあり得る敵基地攻撃能力を「反撃能力」とゴマかし、まさしく「自衛」隊を「軍」隊にしてしまったのです。専守防衛は?どこが平和国家?先に外交努力は?シビリアンコントロールどころか、政治家が先に立って戦争を仕掛けようと前のめりになっているとは!

ウクライナ紛争で日本国民の不安を煽り、どさくさ紛れに閣議決定で済まそうとする政治家に、敬称はいりません!前回のコラムで「岸田の視野が狭すぎる」と書いたけど、あまりにも酷い。国民の生活を見て、国民の声を聞くはずの総理大臣・岸田は「国会の中」しか見えていない。いったい、誰の意をくんで政治をやっているんだ?ド近眼のマリオネット(操り人形)・岸田!

p.s. そういえば、元共同通信社・論説委員でガースーの首相補佐官になった柿崎明二さん・・・今、どうしているのでしょうか。(^^;)

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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21世紀、世界はどこへ(海の民の覇権から陸の民の連携へ)(1)

2022-12-12 13:10:14 | 政治
●2022年は世界の大転換の始まり。

2022年も終わろうとしているが、誰にも世界の行く末は見えていない。

米国を始めとする先進各国を襲っている【金融バブルの崩壊】は、経済の自律的メカニズムとは言い難い。かなり意図的なバブル崩壊が行われている様相が強い。

日本の黒田日銀は、金利引き上げを頑なに拒み、世界の金融当局と真逆とも受け取られる金融政策を変更しようとはしていないが、FRBに代表されるように、各国当局は、徹底的な金利引き上げによるインフレ抑制策を行い、何が何でも【金融バブル】を潰そうとしている。
※日銀は、黒田総裁の辞任後に世界と同じように金利引き上げに踏み切る可能性が高い。

リーマンショック以降、欧米の金融機関は利下げに走りジャブジャブに市場にお金を供給した。以前にも書いたが、実体経済が稼ぎ出す数倍以上のお金が市場に供給され、物の値段が高騰した。いわゆる【金融バブル】である。

このバブルも、賃金がモノの値段の高騰(インフレ)に見合って上昇しているうちは何とか持つが、賃金上昇がモノの値段の高騰についていけなくなるとインフレは国民生活を直撃する。このように、「金融」は経済や国民生活に深くかかわっている。

最近よく語られるようになった【ディープステート】とは、この【金融】を乗っ取ることにより世界を支配しているとされる連中を指す。

【ディープステート】を分かりやすく具体的なもので言うと、【ダボス会議】に出席する機関や人々を想像してもらえれば、当たらずといえども遠からずと思う。この【ダボス会議】で決定された種々の政策が世界各国で喧伝され、事実上のグローバルスタンダードになっている。

【金融支配】は国境を持たない。というより、国家の主権や国境線など邪魔な存在に過ぎない。できうる限り、世界の国々を同一の基準や法によって支配することが、最大の利潤を生むことができる。グローバルスタンダードとか世界基準とか、統一政府などと言う理屈は、「金融支配」にとっては、それがこの上ない利益をもたらす都合の良い理屈だからである。

バイデン大統領など米国の大統領たちが時に触れて口にする「NEW WORLD ORDER」とは、一つの基準に基づいて世界を支配する「金融支配」の理想を意味している。

ところが、この「金融支配」が大きな綻びを見せ始めているのが、現在である。

金融の本来の姿は、庶民にとっては、【無尽講】や江戸時代の【両替商】のようなものだった。
※「無尽講」とは、相互に金銭を融通しあう目的で組織された講。世話人の募集に応じて、講の成員となった者が、一定の掛け金を持ち寄って定期的に集会を催し、抽選 (ちゅうせん)や入札などの方法で、順番に各回の掛金の給付を受ける庶民金融の組織。(コトバンク)

両替とは、様々な通貨を「両替」するのが仕事。現在でいえば、仮想通貨を本来の通貨に両替するような仕事を指す。

実は、江戸時代にも【札差】という金融機関もあった。【札差】は大名貸しが本業。大名に多額の金子を貸し、金利を稼ぎ、借金のかたを取り、それを売却して利を稼いだ。庶民にとってはかなり遠い存在だった。ところがこの【札差】も、大名と言う実体経済が崩壊するとともにその力が衰え始めた。現在の【金融支配】も【札差】と同様な運命を辿っている。

英国が主体となっている「金融支配」は、基本的に法支配を原則とする。【法支配】は例外を許さない。各国の内部事情など考慮に入れない。

この【法支配】を最も得意技としているのが、英国・米国を中心とした欧米海洋国家(海の民)。

海の民は、基本的に国家や国境に支配されない。海がある限りどこにでも出かける。当然そこに住んでいる民族や国家などとの軋轢は避けられない。七つの海を支配する帝国と言われた英国などはこの軋轢にさらされ続けた。その意味では、他国を支配する悪知恵にかけては、英国の右に出る国はない。

本来よそ者なのだから、その地に住んでいる住民(国民)に大歓迎されるはずがない。結果、基本的には、武力で支配する。しかし、力での支配を続ければ、いずれその国の民衆などの反乱を招く。

その為には、自分たちの支配にその国の国民(民衆)がある程度納得できるルールや配慮が必要になる。支配をするにも相手が納得できる理屈がいる。これが【法支配】というわけである。イギリスのCOMON LAWの本音であろう。

他の一つは、支配している国の中から優秀な人材を育て、支配している国の統治を任せる方法が必要になる。いわゆる【間接統治】である。

明治維新の時、欧州へ多くの優秀な若者たちが留学した。その中で有名なのが、長州五傑と呼ばれる若者たち。
※長州五傑(ちょうしゅうごけつ)は、江戸時代末期(幕末)の1863年に長州藩から清国経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名の長州藩士を指す。

彼らや渋沢栄一、福沢諭吉などが、明治の西欧化(西欧のシステム=当時のグローバルスタンダード)の先頭を切った。このようなやり方が、いわゆる「間接統治」の方法である。

明治維新後の日本は、中国のような露骨な植民地支配は免れたが、西欧各国のグローバルスタンダードを積極的に導入。日本を近代国家に変身させることにより、国際社会への仲間入りを図ったのである。

IMFや世界銀行などが行ってきた各国の抱える個別の問題、債権者の抱える個別の問題などを無視した「金融支配」の崩壊は、広範な世界の産業崩壊を招く。産業崩壊は、各国の生活者の生活崩壊を招来する。これが【恐慌】である。現在の欧州の惨状は、世界恐慌一歩手前を予感させる。

俯瞰的に眺めると、現在の欧米各国の窮状は、近代世界を支配してきた欧米海洋国家支配(海の民支配)終焉の序曲であり、ロシア・中国などを中心としたBRICSなどの大陸国家(陸の民)の連携の始まりだと読まなければならない。

ウクライナ戦争の本質は、近代を支配してきた欧米海洋国家に対する大陸国家の反逆であり、ドル一極支配の崩壊や国連の機能不全は、海の民支配の源泉である【法の支配】=グローバルスタンダードに対する根本的な挑戦だと読まなければならない。

この視点で現在の日本の政治を眺めると、ほとんどの政党や政治家は、欧米海洋国家(海の民)の支配論理から脱却できていない。ほとんどのメディア、進歩的とされる知識人や平和組織も脱却できていない。

日本の現在のカオス(混沌)な政治状況・言論状況を脱却できて初めて21世紀日本の羅針盤を手に入れることができるはずである。

「護憲+コラム」より
流水
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ニッポン チャチャチャ! と今の日本で起きている事

2022-12-05 20:37:47 | 社会問題
サッカーの試合で勝った日本チームの選手も、サポーター達も、誰一人マスクをしていなかった。ニッポンチャチャチャ!の声援でコロナは何処かに飛んで行ってしまったようだ。

私の友人が「あの人達も日本に帰国した途端マスクするのかしら?」と呟いていた。

海外のコロナ情報がTV等でちっとも入って来ない。唯一入ってきているのは、中国のゼロコロナ政策に怒った沢山の人達がデモンストレーションや集会に集まったという事だけだ。

オミクロン株は肺にダメージを与えず咽頭やのどに留まっているから、凶悪なウイルスではない、というニュースが流れている。でも、オミクロン株から変型したケペロウイルス何ちゃらは抗体をすり抜ける傾向があるという。しかし、インフルエンザとコロナの同時流行が考えられるのでワクチンを打つ事を推奨する、と政府の見解が発表された。

相変わらずの 手洗い、マスク、換気をしましょう、と対策は国民頼み。医療従事者の確保や医療体制の拡充はどうなっているのだろう。

日本は不思議な国で、感染者数は諸外国に比べて多くないのに、何故医療が逼迫、というより崩壊に近い状態になってしまうのだろうか。

そんな情報もサッカーのニッポンチャチャチャ!に流されてしまった。

日本が勝ち進んで行く事に国民が夢中になるのは結構な事だと思うし、興味も関心もない人がいるのもまた、当然。しかしマスコミ、特にTVはニッポンチャチャチャ!だけでなく足下のニュースも報道して欲しい。

世界の中で日本だけがマスクを奨励しているというのは変だなぁ~。物だけでなく公共料金も上がり生活が苦しくなっている今、もう少し地に足を付けたニュースをお願いしたい。

サッカーのニュースをマスコミが流している間に、敵基地攻撃条項が閣議決定されてしまった。5年後10年後にスッテンコロリと堕ちていった先に、戦争が青ざめた顔を見せて立っているかも知れない。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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怖くない? 老朽化原発

2022-12-04 14:50:49 | 原発
政府はこの10月、原発運転期間を原則40年と定めた原子炉等規制法の規定を削除することを容認すると言い出し、経済産業省資源エネルギーの審議会では、11月8日に原発運転期間の上限を撤廃する案、運転期間から休止期間を除外する案を示しました。

福島原発事故では、放射能汚染で立ち入り禁止区域となった肥沃な美しい土地は337㎢に及び、そこに住む人々の生活を根こそぎ失わせました。避難者は当時16万人を超えています。

こうした危険性をはらむことを知りながら、老朽化した原発を動かそうとしているのです。

反対署名は12月一杯。もうなさった方もいらっしゃると思いますが、まだの方で、ご賛同なさる方は是非どうぞ。
https://foejapan.org/issue/20221010/9607/

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より

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「アイヌ語が国会に響く」を読む(その1)

2022-12-03 09:53:28 | 社会問題
1. 問題の所在
故萱野茂参議院議員(2006年没)を中心とした共著「アイヌ語が国会に響く」を読み、アイヌ民族の苦闘の歴史を初めて知ることになるが、私たち、日本本土の人間は「アイヌ民族」を辺境の民として、軽視してきた(蔑視とも言える)ことはまぎれもない事実である。最近まで(明治政府の制定した)「旧土人法」が存在していたことは、端的にそれを物語る。この、旧土人法の存在が、アイヌ民族の差別的な立ち位置を規定していたのである。

共著者の一人である尾本恵市東大名誉教授は、著書の中で次のように述べている。
「1996年に始まった『世界の先住民の国際10年』の間に我が国でも、1997年5月、明治32年施行の『北海道旧土人保護法』がついに廃止され、『アイヌ新法』が制定され、遅まきながら文化・民族の多様性を認める社会への一歩が踏み出された」と。

また、尾本教授は、萱野議員の思い出として、尊敬の念を込めて、次のように語っておられる。
「狩猟採集民の特徴と思われるが、論理を直線的に語るのではなく、『たとえ話』が多く、それは心に残るものだった。萱野語録の例を2、3あげておく。
 『北海道で、われわれアイヌは長い間、自然の利子で食べさせてもらっていた。ところが、ある時和人がやってきて、元本を食い尽くしてしまった。』
 これは、現代文明化の環境問題を見事に言い当てている。1998年、彼は国会議員任期満了に伴い惜しまれて政界を引退したが、その時残した言葉は『狩猟民は、足元が暗くなる前に家に帰る』である。真っ暗になっても、なお権力にしがみつく輩に聞かせたい言葉である」と。

尾本教授の著書の引用が長くなったが、改めて、アイヌ民族の「苦闘の歴史」を見直してみたい。

2. 萱野茂議員の活動で、「アイヌ新法」が成立したとはいえ、本書では、この新法ができるまでの、アイヌ民族の和人:本土人との関係は順風漫帆とは言えず、その呼称からして問題の多いものであった。江戸時代には、松前藩の支配を受け、「蝦夷地」と言われたが、当のアイヌ人は蝦夷(蔑称である)と言われることが嫌いだったという。(東北にも文化圏のあったアイヌ人は、津軽地方や南部地方にも居住しており、それぞれ津軽藩と南部藩の支配に甘んじていた。)

ところが、明治新政府の時代になると、政府は、蝦夷地を開拓する大規模な計画を立て、蝦夷地を「北海道」と呼称して、北海道開拓使を設立して、アイヌ民族をその文化圏から追い立てて、居住区も特定の地域に居住するように移住させてしまうのであった。また、アイヌ民族の狩猟も制限したり、禁止したりしている。これが旧土人法の制定の背景となったのである。それは、アイヌ民族の「先住権」の剥奪であり、民族としての文化の剥奪となっていく。一言で言えば、日本人への「同化政策」である。

こうした、近代以降における明治政府の「政策」が、アイヌ民族の民族自決権と文化の否定となり、重要なアイデンティティである「アイヌ語」の衰退となったことは顕著である。

萱野茂議員は、1926年生まれであるが、完全なアイヌ語を話すことができ、アイヌ語の辞典も制作している。

次回は、本書の共著者の方々の記述を中心に述べる。今回コラムは、アイヌ民族の理解が初心者にすぎず、適切なコラム投稿になっていない。反省を込めて、次回へつなぎたい。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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