森鴎外の短編歴史小説に「阿部一族」がある。江戸時代、肥後細川藩の重臣阿部一族が上意討ちにより一族全滅した話を小説にした。
藩により、武士の面目を傷つけられ阿部一族が、家の名誉を賭けて藩に逆らい、一族全滅の憂き目にあう悲惨な物語である。森鴎外の静かで抑制の利いた文体が、逆に阿部一族の覚悟の見事さと凄さを浮き彫りにした。
阿部一族が上意討ちを知った後、一族全員討ち死にの覚悟を決めた描写は以下の通り。
・・阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず邸内を隈(くま)なく掃除し、見苦しい物はことごとく焼きすてた。それから老若(ろうにゃく)打ち寄って酒宴をした。それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸(しがい)を埋めた。あとに残ったのは究竟(くっきょう)の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖(ふすま)を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓(かねたいこ)を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や妻子を弔(とむら)うためだとは言ったが、実は下人(げにん)どもに臆病(おくびょう)の念を起させぬ用心であった。・・・・・
※阿部一族
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/673_23255.html
浅野家断絶の後、幕府軍が赤穂城受け取りに乗り込んだ時、家老(城代)大石内蔵助は、城内を隅々まで清掃し、城内の武器・物品一つ一つに至るまで詳細に書類にし、見事な引き渡しを行ったとされている。
この後始末は、幕府に対してだけでなく、百姓・町人に対しても行われた。藩札をきちんと両替したと言われている。(当時、取り潰しになった藩で、藩札をきちんと両替した藩はなかった。藩札を所有していた百姓・町人は泣き寝入りが普通だった。)
現在に至るまで、赤穂の人たちが大石内蔵助などを大事にしているのは、こういう後始末の見事さもその一因である。
阿部一族にしろ、大石内蔵助にしろ、滅亡にあたって、見事な終わり方を見せた。このような【散り際の美学】こそ、武士道と言われるものの神髄だろう。
日本人が桜が大好きなのは、「散り際の美しさ」に限りない哀惜の念を抱くからだ。忠臣蔵が未だに人々に愛されるのも、彼らの「散り際の美しさ」が人々の心をつかんで離さないからである。【いさぎよさ】こそ、日本人が愛してやまない美徳。
この阿部一族や大石内蔵助などの【潔さ】【覚悟の見事さ】に比べ、同音異字の「安倍一族」というより「安倍一派」の醜さは何なのだろう。彼らの言動を見ていると、胸に滓のようなものが溜まるのは私だけではないだろう。
息をするように嘘をつく。自らの延命だけに汲々とする。「国会がお決めになったら国会でお答えをする」と大見えを切っておいて、自民党の国対委員長には、予算委員会を開かせず、国会での質疑はしない。
自分は自民党総裁でもあるのだから、自分が予算委員会に出て説明するから、予算委員会を開けと言えば済む話。それを国会での話し合いを尊重するなどともっともらしい理屈をつけて逃げ回る。こんな姑息で卑怯で汚い言動を見ていると、反吐が出る。
見苦しい言い訳を繰り返し、出席者などの資料は改竄、破棄。権力総ぐるみの隠蔽工作はする。虚偽答弁を繰り返す。ただただ、「人の噂も七十五日」。嵐の通り過ぎるのを待つ。
ただこの問題。詳細が分かるにつれて、あまりの税金の私物化に開いた口がふさがらない。
菅官房長官の発表による約1万5千人の招待客の内訳。
●各省庁推薦の功労者や各国大使、国会議員、勲章受章者などは合計約6千人程度
●安倍首相推薦 約1千人
●麻生太郎副総理や菅官房長官、官房副長官の推薦が1千人
●自民党関係者の推薦が6千人
▼安倍昭恵推薦もあった
この内訳をみると、本来の「桜を見る会」の趣旨に即した招待客は6千人程度。その他の9千人は、自民党関係者ばかりと言う事になる。これでは、公金(税金)を使った自民党関係者の選挙活動(後援会活動)と言われても仕方がない。
だから、自民党内から厳しい批判が出てこないはずである。二階幹事長にいたっては、「何が問題なのか」と開き直る。安倍晋三の元秘書で現下関市長は、「総理大臣にその程度の権限があって何が悪い」と擁護する。
こういう汚い連中が【花見の会】を開催する。【散り際の美しさ】などとは、最も縁遠い連中の花見である。彼らが大好きな【日本人の美学】とはかけ離れたよこしまな野心と欲望と汚濁にまみれた【悪党たちの花見】である。
こういう連中ほど「天皇陛下万歳」を強要し、国民には遵法精神を強調し、人は正直でなければならないと「道徳」を強制する。世も末である。
「護憲+コラム」より
流水
藩により、武士の面目を傷つけられ阿部一族が、家の名誉を賭けて藩に逆らい、一族全滅の憂き目にあう悲惨な物語である。森鴎外の静かで抑制の利いた文体が、逆に阿部一族の覚悟の見事さと凄さを浮き彫りにした。
阿部一族が上意討ちを知った後、一族全員討ち死にの覚悟を決めた描写は以下の通り。
・・阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず邸内を隈(くま)なく掃除し、見苦しい物はことごとく焼きすてた。それから老若(ろうにゃく)打ち寄って酒宴をした。それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸(しがい)を埋めた。あとに残ったのは究竟(くっきょう)の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖(ふすま)を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓(かねたいこ)を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明けるのを待った。これは老人や妻子を弔(とむら)うためだとは言ったが、実は下人(げにん)どもに臆病(おくびょう)の念を起させぬ用心であった。・・・・・
※阿部一族
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/673_23255.html
浅野家断絶の後、幕府軍が赤穂城受け取りに乗り込んだ時、家老(城代)大石内蔵助は、城内を隅々まで清掃し、城内の武器・物品一つ一つに至るまで詳細に書類にし、見事な引き渡しを行ったとされている。
この後始末は、幕府に対してだけでなく、百姓・町人に対しても行われた。藩札をきちんと両替したと言われている。(当時、取り潰しになった藩で、藩札をきちんと両替した藩はなかった。藩札を所有していた百姓・町人は泣き寝入りが普通だった。)
現在に至るまで、赤穂の人たちが大石内蔵助などを大事にしているのは、こういう後始末の見事さもその一因である。
阿部一族にしろ、大石内蔵助にしろ、滅亡にあたって、見事な終わり方を見せた。このような【散り際の美学】こそ、武士道と言われるものの神髄だろう。
日本人が桜が大好きなのは、「散り際の美しさ」に限りない哀惜の念を抱くからだ。忠臣蔵が未だに人々に愛されるのも、彼らの「散り際の美しさ」が人々の心をつかんで離さないからである。【いさぎよさ】こそ、日本人が愛してやまない美徳。
この阿部一族や大石内蔵助などの【潔さ】【覚悟の見事さ】に比べ、同音異字の「安倍一族」というより「安倍一派」の醜さは何なのだろう。彼らの言動を見ていると、胸に滓のようなものが溜まるのは私だけではないだろう。
息をするように嘘をつく。自らの延命だけに汲々とする。「国会がお決めになったら国会でお答えをする」と大見えを切っておいて、自民党の国対委員長には、予算委員会を開かせず、国会での質疑はしない。
自分は自民党総裁でもあるのだから、自分が予算委員会に出て説明するから、予算委員会を開けと言えば済む話。それを国会での話し合いを尊重するなどともっともらしい理屈をつけて逃げ回る。こんな姑息で卑怯で汚い言動を見ていると、反吐が出る。
見苦しい言い訳を繰り返し、出席者などの資料は改竄、破棄。権力総ぐるみの隠蔽工作はする。虚偽答弁を繰り返す。ただただ、「人の噂も七十五日」。嵐の通り過ぎるのを待つ。
ただこの問題。詳細が分かるにつれて、あまりの税金の私物化に開いた口がふさがらない。
菅官房長官の発表による約1万5千人の招待客の内訳。
●各省庁推薦の功労者や各国大使、国会議員、勲章受章者などは合計約6千人程度
●安倍首相推薦 約1千人
●麻生太郎副総理や菅官房長官、官房副長官の推薦が1千人
●自民党関係者の推薦が6千人
▼安倍昭恵推薦もあった
この内訳をみると、本来の「桜を見る会」の趣旨に即した招待客は6千人程度。その他の9千人は、自民党関係者ばかりと言う事になる。これでは、公金(税金)を使った自民党関係者の選挙活動(後援会活動)と言われても仕方がない。
だから、自民党内から厳しい批判が出てこないはずである。二階幹事長にいたっては、「何が問題なのか」と開き直る。安倍晋三の元秘書で現下関市長は、「総理大臣にその程度の権限があって何が悪い」と擁護する。
こういう汚い連中が【花見の会】を開催する。【散り際の美しさ】などとは、最も縁遠い連中の花見である。彼らが大好きな【日本人の美学】とはかけ離れたよこしまな野心と欲望と汚濁にまみれた【悪党たちの花見】である。
こういう連中ほど「天皇陛下万歳」を強要し、国民には遵法精神を強調し、人は正直でなければならないと「道徳」を強制する。世も末である。
「護憲+コラム」より
流水