老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

菅元首相の今後の進路相談

2012-03-31 17:47:46 | 原発
大衆政治家とか民衆政治家が大衆に約束したマニフェストを裏切り、政官業と癒着する自民党にすり寄り消費税増税を唱えれば、次の総選挙で大衆に見放されることは明かである。野田現首相にも同じことが言えるが、先ずは菅前首相が次期衆議院選で当選できるかどうか微妙である。例え当選したとしても元首相に国会議員として期待できる仕事は限定的であることは安倍、福田、麻生、鳩山、元各首相のその後を見ても明らかだ。

一方メディアは東京電力の勝俣現会長の後任に経済界からなり手が無いことを報じている。また日経新聞は、「枝野幸男経済産業相は30日の閣議後の記者会見で、3月中に予定していた東京電力と原子力損害賠償支援機構による総合特別事業計画の提出が会長人事の難航で4月に先送りされたことについて・・云々」とも報じている。

そこで菅氏についてだが、政府は29日に東電へ1兆円の資本注入を決定したようでもあり、併せて人事面でも、菅元首相に議員を辞職して貰い、三顧の礼で東京電力会長就任を要請したら適任と思うが、如何であろうか。菅氏は誰より脱原発にはご執心のようであるから、先ず社内のリストラ、脱原発、送電と発電の分離等へのロードマップづくりにイラ菅の大なたを振るって貰いたいものである。そうすれば東電の電力料金値上げに国民も納得するようになるであろう。またその方が菅氏の花道には相応しく、それに成功すれば将来の東京都知事への道も拓かれるのではあるまいか。

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E1E2E2E2828DE1E
2E2E1E0E2E3E09790E0E2E2E2;at=DGXZZO0195166008122009000000

経産相、東電会長人事「早く適切な対応」(日経新聞より)

「護憲+BBS」「脱原発の実現に向けて」より
厚顔の美少年
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陸山会より朝日新聞の方が悪質だ

2012-03-31 10:07:19 | マスコミ報道
30日の読売新聞は、「朝日新聞4800万円所得隠し、2億超申告漏れ」との見出しで、「朝日新聞社(東京都中央区)が2011年3月期までの5年間で、仮装・隠蔽行為があったとして、約4800万円の所得隠しを東京国税局から指摘されていたことがわかった。同時期の申告漏れも約2億300万円で、計約2億5100万円の法人所得を申告していなかったことになる。加算税は計約1100万円で、このうち重加算税は約400万円、残りは過少申告加算税となる見通し。追徴税額は計約8600万円とみられる。・・・」と報じている。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120330-OYT1T00374.htm

「2011年3月期までの5年間」という期間は、朝日新聞が陸山会を虚偽の政治資金報告書を提出して政治資金規正法に違反したと紙面で糾弾していた時期とも重なる。政治資金規正法違反より脱税の方が遙かに罪は重い。朝日新聞の論説委員、編集委員、経営幹部は恥ずかしくないのか。これでは正論を唱える資格はない、人心を刷新せよ。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔の美少年
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法相の不適切な死刑執行発言

2012-03-30 15:45:38 | 社会問題
昨日小川法務大臣は3人の死刑囚の死刑を執行したことを発表したが、その理由の一つとして、「国民の声を反映した裁判員裁判でも死刑が支持されていることを重大な要素と考えた」(29日朝日夕刊)と報じられている。

今回死刑執行された死刑囚の確定判決は3件とも裁判員裁判が施行される以前であり、また全ての裁判員が死刑を支持しているとは限らない。さらに死刑廃止の世界の動向にも反する。今回の法務大臣の発言は裁判員裁判を冒涜し、かつ法務大臣の発言としては非常識でもある。

小川法務大臣は裁判官、検事、弁護士の経歴を持つと言われているが 、それだけにこの発言には愕然とさせられた。少なくとも死刑執行に関する発言は自分の信念を述べるに限定すべきである。発言撤回は今からでも遅くはない。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「生活保護受給者過去最多」の提起する制度問題

2012-03-29 06:51:12 | 社会問題
「生活保護受給者209万人、7ヶ月連続で最多更新」との記事を読んで、様々な問題が想起された。毎日JPの記事は続いて「需給世帯も151万7千1世帯で過去最多を更新。不況と高齢化の影響による増加傾向が依然として続いている」と結論している。

この記事からまず想起されたのは、過去最高という結果があの戦争直後あたり(もちろん生活保護法は未だないだろう)の結果以上であるのかどうか。いずれにせよ、朝日訴訟事件が起きた昭和30年代前半の状況を超えているということであろう。そうだとすると、「不況と高齢化の影響による」増加傾向という記事の原因の記載は、多くの問題を提起するであろう。

不況の具体的内実と高齢化による雇い止めの問題は、大きな日本経済の不振と労働問題を明らかにしてしまう。不況だからと言って若者や高齢者(45歳以上65歳未満)を雇い止めするという最近の労働社会は、過去の不況時にはなかったと言える。正社員として採用せずに派遣社員などの立場でしか雇用しない(小泉改革の最悪の労働法改正によるもの)という労働基本権の空洞化政策は雇い止めの一種なのである。

また、65歳までは年金が完全には補填されないのであるから、45歳以上65歳未満の高齢者(厚生労働省の定義によるもの)を雇用しない多数の日本企業の下では、生活保護に依存せざるを得ないのであり、不況という経営不振の事実問題に還元できない事柄である。それは日本の企業社会が採用する経営方針でありすぐれて制度的な問題なのである。

上記のような新聞記事にありがちなのは、物事を事実問題に還元して捉え、制度問題として把握していないので「不況と高齢化の影響による増加傾向」という事実の記載になってしまうのである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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政府に都合のいい『政治判断』を許すな!

2012-03-28 16:14:39 | 東北地震
東京新聞をスクラップするたび、「あの大災害から1年も経つのに、震災処理も人災処理も遅々として進まないのは、何故?」との思いが積み重なり、すでにテーブルの下で10センチほどの厚みになりました。

日本全国、海外から寄せられた義援金は被災者の有効な支援策として具現化されているのだろうか。現地へ駆けつけた多数のボランティアの力と絆は、どのように実を結んだのだろうか・・・しかし、新聞報道から読み取れる現状は、政府や官僚の責任逃れや保身が優先され、被災者たちの要望が後回しにされているようです。
 
現地での活動の妨げになるので具体的に言及できませんが、私はあるボランティア団体に中古車を寄付しました。今日、やっと引き渡しを終えたのですが、その代表者から「被災者支援活動が現地警察・役人の論理やいやがらせで満足にできない」という話を聞きました。要約すると、

①避難所にクルマを配置し、被災者に共用してもらうプランに対し、「前例がない」「管理責任が不明確」「(土地所有者が不明だから)車庫証明が出せない」と理由をつけ、手続きを遅らせる。
②「自分達には権限がない、判断できない。もっと上(県、官庁、有力議員等)から話を通せ」と言われる。
③仰せの通り、知人の議員や中央官庁へ相談すると後日呼び出され、「なんで、そういう余計な(根回し)をするんだ」と怒られた。
④他団体の同様なプランを許諾しているのに、また震災特例があるのに、その事実を教えない。
 ・・・等々。

3月の震災直後から「避難所からの不自由な交通手段を支援したい」「被災者の生活基盤を作りたい」と活動を始めたのに、クルマの運用を現地の警察・役所から許認可されたのは半年後。そして、いまだに1台ずつ書類審査をされるとのこと。

私も亡父のクルマを相続する際、陸運局で警察発行の車庫証明書を要求されました。新しい所有者(私)の住所で新規登録しろ、駐車場所がなかったら契約してから来い、と。「クルマの置き場所は変わらないのに、なぜ?」と食い下がったら、やっと「アナタの家が実家から直線で2キロ以内ならば、今の場所で車庫証明を出せる」と教えてくれました。

「その2キロは、どうやって測るのですか?警察が調べてくれますか?」と聞いたら、「ああ、ほら、パソコンの地図ソフトか何かで調べて、プリントアウトして持ってきて」と。つまり、こちらの事情など関係なく、例外処理が面倒なのです。
 
しかし、あの津波で流された被災地ではどうするのでしょうか。前述のボアンティア団体は「公道や建物からの距離を測り、保管場所の地図を描いてこい」と言われたそうです。測ろうにも・・何も残っていない、道路と宅地の区分もわからない更地なのに。(苦笑)
 
いったい政府や役人は、誰のために仕事をしているのでしょう。ドジョウの野田さん、原発再稼働にご都合的な「政治判断」をするくらいなら、被災地へ行って全責任を政府が持つ「被災者のための超法規的な」政治判断をしてください!

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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永田偽メールとよく似た手口

2012-03-28 06:53:41 | 政治
大阪維新の会代表の橋下市長は、先の市長選で対立候補を支援していた市職員がいることを指摘し、市職員の政治活動は公務員の服務規程に反するとの理由で徹底的に糾弾することを記者会見で述べていた。後日それに呼応するかのように前市長を応援した職員リストが発見されたとして市議会で公表されたが、実はそれは捏造された職員リストであったと各メディアは報じている。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120327-OYT1T00537.htm

かつて前原氏が民主党代表時代に、永田議員が某メールの情報で小泉政権を国会で徹底追求したが、後でそれが偽メールであったことが発覚し、ついに前原代表と当時民主党の国会対策委員長であった野田現首相が責任をとって辞任したことがあった。そして偽メールを掴まされた永田議員は議員を辞職し、その後自殺に追い込まれている。偽情報で対立する相手を糾弾する手法という点で、この永田偽メールと今回の橋下市長の手口は瓜二つである。

しかし読売新聞によれば、橋下市長は『維新が捏造されたリストを市議会で公表したことについては、「捜査機関と同じだけの容疑を裏付けてからじゃないと質問もできないなら、役所の追及はできない。維新の指摘で市が調査し、組合のぬれぎぬを晴らした。何の問題もない」と述べ、擁護した。』と報じられ、開き直りと詭弁で批判の火の粉を振り払おうとしている。仮にこの問題が永田メール問題と時系列が逆であれば、永田議員も橋下市長の図太い神経と開き直りの手法を参考に、自殺に追い込まれるようなことはなかったのではないかと、東大ー大蔵官僚出身の若手エリートの死が惜しまれる。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔の美少年

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小沢裁判と民主党の漂流

2012-03-24 10:45:04 | 民主主義・人権
「明治32年1月2日」
【時勢の変わりというのは妙なもので、人物の値打ちがガラリと違ってくるよ。どうも、その事が分からなかったがね、今から三十二年前に、初めてわかったよ。ワシが抜擢されて、その頃の上の者と初めて会議などの出た処が、カラキシ、一つも知らない。それはそれはひどいものだ。どうしてこれで事が出来たものかと思って、不思議なほどであったが、その時、初めて、勢いの転じる具合が分かった。
一ツ、大本を守って、しっかりした所がありさえすれば、騒ぎのあるのは、返って善いのだというけれど、どうも分からないね。一つ、大本を守って、それから、変化して往くのだ。その変化ができにくいと見える。・・】
「岩波文庫 新訂 海舟座談 53p」

なかなかどうして、勝海舟という男、一筋縄ではいかない。人や人心の動静、時代の変化というものをよく見ている。時代の転形期を生き抜くには、【一つ、大本を守って、それから、変化して往く】ことが不可欠だと喝破している。要するに、時代の転形期を生き抜くためには、「大本を守る」覚悟がなくてはならないと言っている。「大本」とは、理念とか大義のようなものを指す。人は、権力の階梯を登るにつれて、余分なものを身につける。他者に対する配慮とか礼儀とか挨拶とかその他もろもろのものを身にまとう。ところが理念の強さは、余分なものを削ぎ落とさなければ生まれない。この削ぎ落としが十分でないと「ぬえ」のような人間しか生まれない。

現在の民主党政権の幹部たち、特に松下政権塾出身者たちの権力に酔いしれた無残な醜態ぶりをみると、勝の生きた時代となんら事情が変わっていないことがよくわかる。

以前から何度も指摘したが、日本における政権交代とは他国における革命に匹敵する。革命とは、既得権益層の没落を意味する。自らの没落を前にした既得権益層は必死の反撃を試みるのは誰にでも容易に想像がつく。それが、フランス革命でもロシア革命でも反革命として表出された。日本でそのような動きが起こらないのが不思議で、起こるのが普通。わたしは、民主党政権が誕生した時、民主党はいずれ【強権的手法】を取らざるを得なくなる。その場合は、【緊急避難的手法】だということを肝に銘じなければならない、と書いた。

ところが、鳩山政権は、この手法を取らなかった。鳩山由紀夫の人の良さ、優柔不断さが命取りになった。権力は「仏に会えば仏を斬る」という凄まじい意志がなければ維持できない。この凄まじい意志を振るうには、全てを削ぎ落とした【理念】の強さが問われる。勝の言う「大本」を握って離さない強さが問われる。これさえあれば、大胆な政治的妥協も可能になるのである。鳩山由紀夫の側近に権力のデーモンと添い寝したような人物(たとえば三木武夫のような)がいなかった事が悔やまれる。

菅政権、野田政権には、この種の議論することさえ無駄である。彼らの脳裏にあるのは、「権力欲」のみであり、「政権交代」の【大義】などかけらもない。彼らにとって、「マニュフェスト」など邪魔なもので、百害あって一利なしと考えているだろう。「仏に会えば仏を斬る」という凄まじい悪徳をなすためには、自らの権力を維持することが、国民のためになる、という自らの【大義=理念】に対する揺るがぬ自信がなければ耐えられない。民主党でいえば、政権交代の大義=マニュフェストに対する揺るがぬ自信がなければならない。【国民生活が第一】の理念を文字通り血肉に沁みこませた覚悟がなければならない。そうでなければ、人の支持など得られない。まして、相手は明治以来、権力の中枢に座り続け、権力の隅から隅まで知り尽くした官僚機構を頂点とした既得権益層。あのGHQですら、解体せず、そのまま温存した相手、生半可の覚悟で成功できるわけがない。

この事情を知りぬいた既得権益層のターゲットが小沢一郎だった。民主党の他の政治家など恐ろしくない。恐ろしいのは、権力のデーモンを知りぬき、権力を動かす壺を知りぬいた小沢一郎。彼さえ落とせば、民主党政権などどうにでもなるというのが、政権交代前から既得権益層の狙い。

この先兵にたったのが東京地検特捜部。そして、その為の地ならしをしたのが、大手メディア。カール・ウォルフレン氏のいう【世界に例を見ない一人の政治家に対する長期にわたる人格破壊】報道として表出した。これはもはや報道などという次元ではなく、明確な当為を持った悪質な政治プロパガンダとして見るべきだろう。今回の小沢裁判を契機として、刑事裁判の基本的理念をもう一度考え直す必要がある。

故小室直樹氏は「日本人のための憲法原論」の中でこう述べている。
“刑事裁判とは被告を裁くためのものではありません。ましてや「犯罪者を裁くためのもの」などとんでもない。
そもそも、刑事裁判においては、被告は有罪が確定するまでは無罪と看做されるというのが近代デモクラシーの鉄則です。
たとえ、どれだけ物的証拠があろうと、心証が真っ黒であろうとも、その人は無実であるとして扱わなくてはなりません。
では、いったい刑事裁判は誰を裁くためのものか。
それは検察官であり、行政権力を裁くためのもの。
裁判で裁かれるのは、被告ではありません。行政権力の代理人たる検察官なのです。
言うならば検察性悪説が近代刑事裁判の大前提。国家はひじょうに強大な権力を持っているのですから、その権力の横暴から被告を守らなければならないというわけです。
ですから、刑事裁判では検察側に1点でも落ち度があれば、ただちにアウトです。少しでも法に触れる捜査をしたり、手続上のミスが1つでもあったり、真実の証明が少しでも不完全ならば、検察は負け。鵜の目鷹の目で検察側の落ち度がないかを調べるのが、裁判官の本来の仕事です。”

今回の小沢裁判に当てはめると、証拠の改竄などが明らかになった時点で、この裁判は検察の負け。裁判自体が成立しない。ところが、陸山会事件などの石川、大久保などの場合、証拠改竄が明白になったにも関わらず、登石裁判長は、推認に推認を重ねて、彼らは有罪になった。推認と書くと如何にも重々しいが、簡単に言うと「俺はこう思った」ということ。裁判官が「俺はこう思った」で有罪にできるなら、警察も検察もいらない。登石判決は、司法の自殺に等しい。上の小室氏の論理なら、【証拠の改竄】をした検察こそ裁かれなければならない。強大な権力を持っている検察と裁判所がつるんでは、国民の権利など守れるはずがない。この延長線上に小沢裁判はある。

【日本最強の捜査機関】【巨悪は眠らせない】など数々の異名を持った東京地検特捜部はその出発点から、政治と密接な関係を持っていた。軍の隠匿物質の捜査をGHQから命令されたことが特捜部の始まりだが、彼らが捜査機関として世に知られたのは「造船疑獄」からである。

「日本の造船・海運業界が自由党幹事長佐藤栄作氏に贈賄していた事が分かり、特捜部は佐藤氏を逮捕しようとした。ところが犬養法務大臣の指揮権発動に阻まれて涙を飲んだ。それがこれまで語られてきた定説である。 実は、事情はまったく逆で、検察が政治家に頼んで指揮権発動を頼んだのである。」
・・「裁かれるのは日本の民主主義(田中良紹)」
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/835.html

今回の小沢裁判の政治性は、実は東京地検特捜部の体質であり、彼らの「正義の味方」然とした振る舞いも一皮むけば、その時々の政治権力と密着していた。その彼らを支えてきたのが、メディアである。時の権力者を一夜にして犯罪者に追い込む特捜部の活動は、国民にある種のカタルシスを与える。このカタルシスはメディアにとって大きな魅力。その為、検察のもたらすわずかな情報を得るためにメディアはやすやすと権力(検察)の走狗となった。今回の小沢事件の洪水のような小沢バッシング報道を見れば、日本の権力構造の何たるかがよく分かる。

今回の裁判で問われているのは、このような日本の体制そのものである。小沢が有罪になろうが無罪になろうが、問題ではない。このような体制そのものをどのように変革するのかが問われている。政権交代の革命的意義は、ここにある。勝海舟のいう「大本」である。

今回の裁判。被告人は小沢一郎だが、小沢一郎が裁かれているのではない。民主党に投票し、このような体制そのものをNONと答えた日本国民と民主主義が裁かれている。その意味からいえば、小沢一郎は本望だろう。自らの存在を賭けて、既得権益層=アンシャンレジームと対峙している。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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小林哲夫著「高校紛争 1969-1970」(中公新書)

2012-03-22 10:16:57 | 社会問題
この本とは、駅なのかショッピングセンターなのか分からない品川駅で電車を乗り換える折に立ち寄った通路の本屋で出会いました。そして自分の青春が蘇る思いで読みふけりました。

「高校紛争」我々の立場で言えば「高校闘争」は、ごく限られた世代が体験した、我が国では希な、高校生の全国的な「闘争」でした。といっても全国の高校生たちが集結して起こした「闘争」というわけではなく、それぞれの地域のそれぞれの高校での「闘争」が燎原の火の如く全国に広まったと言うべきものです。

この運動の基には大学生たちの「全共闘運動」や「ベ平連」の活動、そして何よりも1970年に改定される予定だった「日米安保条約」に反対する民衆の運動がありました。

わたしはいわゆる「活動家」ではなかったにせよ「シンパ」であり「ノンセクトラジカル」であったことは確かです。この時代に感じたこと、学んだことが現在の自分を形作っているのだろうと思います。ただ、多くの友人たちと異なったのは、わたしが「マルクス」に全く興味がなかったことでした。一時「紅衛兵」に共感し、「毛沢東語録」を持ち歩いたこともありましたが、(今でも中華書店から出た本物と同じ赤いビニールの表紙の日本語訳を大事に持っています。)高校1年の夏休みにアルベール・カミュ、フリードリッヒ・ニーチェそして大杉栄にのめり込み、いっぱしの実存主義アナーキストになって、マルキストたちと議論を闘わせました。自分たちがしっかりと運動すれば、世の中はきっと変えられると信じていましたし、「革命」も夢見ていました。「真の革命とは何か」をいつも真剣に考えていました。

わたしの高校では「バリケード封鎖」こそありませんでしたが、バカな校長が卒業式に「私服」を入れたので、みんなでつるし上げてしまいました。学校の周りには何台かのパトカーが止まって異様の雰囲気でした。そんな中、学校の向かいの新聞社の支局から記者が塀を乗り越えて入り込んだようで、卒業式の様子が翌日の新聞に載りました。

わたしが通っていた高校はいわゆる「進学校」でしたが、「大学」に絶望し、就職して組合活動に没頭していったもの、セクトに入り「職業革命家」となるべく地下に潜ったものなども何人か現れました。不思議なのは、わたしの妻もそうですが、高校によっては全くこういった「闘争」から無縁で、話が全く合わなかったり、同じ高校へ進学した妹の世代とも、それこそ「世代の違い」ばかりを感じさせられてしまうことです。

わたしは「実存主義」と「アナーキズム」を更に深め、このふたつを止揚すべく「哲学」への道を目指したのですが、入学した大学はかなり方向の違うもので、更に現在は大学で学んだ分野とはかけ離れた仕事をしています。でもこの本を読んだおかげで自分の「原点」をもう一度見直す良い機会になったと思います。娘にもプレゼントする予定です。(いやがられないと良いのですが・・・)

少し前に出た、伴野 準一 (著) 「全学連と全共闘」 (平凡社新書)がどちらかというとこうした活動に批判的な立場で書かれているのに対し、この本の著者は生徒たちにずっと寄り添っているように感じます。この本を読んでいると少し古いですが、張 承志 (著) 「紅衛兵の時代」 (岩波新書)を思い出しました。「紅衛兵運動は中国の全共闘運動だったんだ」と思わせた本です。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽」より
千葉の菊
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幻影の中の吹屋小学校

2012-03-21 11:45:45 | 暮らし
昨日の報道ステーションで岡山県高梁市の吹屋小学校の閉校が放映された。吹屋小学校は現存ずる全国の小中学校の中で、日本最古の木造校舎を持っていた。

吹屋は岡山県西北部に位置する吉備高原の町。江戸時代から銅山とベンガラで栄えた。ちなみに、吹屋という地名は、銅鉱石を銅に精錬する小屋の名称(吹屋)からきている。銅山は住友鉱山が経営し、後住友が愛媛県の別子銅山に経営の主力を移転させたことから、かってのにぎわいが薄れた。

わたしの実家から車で約40分。曲がりくねった緑に囲まれた山道を登っていくと、突如赤い色に染まった家並みが現れる。まるで夢でも見ているのではないかと思えるような光景。家並の赤は、全てベンガラの色。江戸時代にタイムスリップしたのではないかと思わせる。何度言っても見飽きない景色である。

わたしの思い出をもう一つ。18歳(大学浪人中)わたしは、吹屋小学校の近く(歩いて30分ほど)にある中野小学校(現在廃校になっている)に勤務したことがある。中野というのは、映画「八ツ墓村」の最後の場面で炎上する屋敷(広兼邸)がある所。当時、何度か子供たちを連れて吹屋小学校を訪問した記憶がある。その意味でも今回の廃校は、青春時代の記憶を呼び起こした。

吹屋小学校は、吹屋が最も栄えた時期に作られた。開校は明治6年。(1873)。「国に不学の戸なく」と謳いあげた学制発布が1872年。その一年後に開校している。当時、中央政府の方針が地方に浸透するには、10年程度のタイムラグがあるのが普通。それが学制発布の翌年に開校している事からも当時の吹屋の繁栄がしのばれる。

なぜなら、明治新政府の学制発布は、学校を作るぞ、という号令だけで、校舎の建設費用はすべて地元負担。要するに、口だけの学制発布。この方針は、戦後しばらくまで継続した。これを教育の専門用語でいえば、教育の内的事項(教育内容)は文部省が管轄。教育の外的事項(建物など)は地方が管轄、ということになる。吹屋小学校が明治6年に建設されたということは、それだけ地元に経済力があり、同時に勉強するという知的意欲が溢れた町だったという証左でもある。

現存する校舎は、1900年【明治33年】に建設されたもので、アーチ型の入り口を持つ、西欧建築風の木造校舎。講堂や3メートル幅の廊下など見事な作りである。先に書いたように、校舎建設は地元負担。当時の学校は、地元の経済力、学問に対する熱意、地元の名誉などが象徴されている。だからこそ「おらが町の学校」の学校には地元の誇りと愛情が満ち溢れている。

今現在、岡山県に残されたこのタイプの学校では、倉敷の倉敷西中学校がある。この学校は、全国でも珍しい都市部の木造校舎で、廊下の長さは百メートル以上。階段など、端が摩耗して丸くなっている。掃除は、ワックスで磨くので、ピカピカに光っている。冬は隙間風が吹き込み、窓ガラスは風のためガタガタ鳴る。生徒連中は、卒業するまでは、「こんな校舎立て直せ」と文句たらたらだが、卒業すると一年経たぬ前に「この校舎は残さなければならない」と言い出す。この校舎も倉敷レーヨンが最盛期に作られたもので、莫大な寄付がクラレから送られてできた。

現在全国の学校は、ほとんど金太郎飴状態。あまり個性はない。それも文科省の学校建築の規制が厳しく、しかも予算も地方予算の枠内。これでは、吹屋小学校のような個性あふれる建築はできない。

さらに言えば、いまや全国からこのような個性あふれる学校建築がほとんど姿を消した。理由は明確。戦後、文部行政は、教育の外的事項【校舎建設など】にも口を出し始めた。その為、細かな規制を一杯付け加えた。たとえば、校舎が古くなったので建て替えようとすると、前の校舎を壊さないと予算をつけないとか。このため、吹屋小学校のような個性あふれる全国の校舎が姿を消した。文部行政による歴史の抹消である。

学校の近代化とは、このような過去の遺産の破壊・抹消を伴っている事を忘れてはならない。これは何も学校に限った事ではない。戦後日本で推進された近代化とは、このような地方の文化・歴史・生活の破壊と抹消の側面を持っていた。

実は日本の近代化を支えた人材は、このような地方の特色ある教育から輩出された。中央で活躍した人間たちの心の中に、「おらが町の学校」への愛惜の念が溢れていた。戦後の政治や文部行政は、【近代化】の名の下に、金太郎飴のような鉄筋コンクリートの校舎を作り、このような校舎に象徴される【おらが町】への愛惜の念を切り捨てた。

吹屋小学校廃校のニュースは、3・11以降、「近代化」の旗の下に切り捨てられた【おらが町】のレーゾンデートルをもう一度考え直させた出来事だった。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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「サロン・ド・朔」3月23日例会のお知らせ

2012-03-20 14:39:28 | イベント情報
「サロン・ド・朔」3月23日(金)例会を下記の通り開催します。

今回は、東京新聞編集局次長の佐藤敦さんと特報部記者の小倉貞俊さんにお越しいただき、「3.11から1年 被災地の現状と正念場を迎える原発再稼働」のテーマでお話ししていただきます。どうぞ奮ってご参加ください。

興味のある方、参加ご希望の方は、「護憲+HP」上にあるメールにてご連絡ください。折り返し会場、ブログラム、参加費、その他詳細をご連絡します。

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☆「サロン・ド・朔」とは、「護憲+」メンバーを主軸に「SNSリアル版」のような形で運営するフリーな集まり(@東京)で、毎月テーマを決めてそれに相応しい講師をお招きし、勉強会・親睦会を行っています。

昨年以降取り上げたテーマは以下のとおりです。
(2011年)
2月: 「渡嘉敷・前島の意味」
3月: 「TPP=自由貿易を問う」
4月: 「(熟年)アマチュア劇団・かんじゅく座」
5月: 「脱・原発は、待ったなし。今後を担うエネルギーは何か?」
6月: 「原発事故汚染地域の住民になって」
7月: 「安心ひきこもりライフ」
8月: 「原発依存からの脱却を目指して~特報部が伝えたフクシマ事故」  
9月: 「フリートーク」
10月:「介護労働を生きる」
11月:「究極の新自由主義としてのTPP」
(2012年)
2月: 「地域で開く勉強会・映画会」
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「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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