老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

引き受けて考え、踏み出す社会に

2012-02-28 08:54:26 | 民主主義・人権
22月のサロン・ド・朔は、護憲+メンバーのひとり、ペンションをご夫婦で営むコナシさんのお話「地域で開く上映会・勉強会」だった。

コナシさんは新聞で「いのちの作法」という映画の上映会があることを知る。そして山梨県から上京して、その映画を観る。

映画は、豪雪・貧困・多病多死の村と言われた岩手県沢内村(西和賀町)のドキュメンタリー。昭和30年代「こんなにいのちの格差があっていいのか」と、深澤晟雄村長は保健師を増やして病気予防に力を入れ、全国に先駆けて老人医療費の無償化と乳児死亡率ゼロを達成した。

その村長の志を今も受け継ぎ、いのちを大切にする村の人々の姿を描いていた。
http://inochi-film.main.jp/
http://www.youtube.com/watch?v=9P3X3zxVID0

コナシさんは、自分のすむ北杜市の人たちにも観てもらいたいと強く願った。そしてパンフレットの「あなたも自主上映をしてみませんか」の言葉に、映画会社に電話を入れる。

まずご夫婦に声をかけて4人、そして周りの人に声をかけて10数人の仲間ができる。会場を決め、ポスターを作り、とうとう800人もの人に観てもらえたという。

余剰金が出て、「いのちの作法」に出ていた児童養護施設のドキュメンタリー「葦牙-あしかび-」の上映会もできたそうだ。
http://www.kazesoyo.com/
それ以降も、いろんな人たちが上映会をし、居心地のよいお店で語り合っては、様々な試みがなされているという。福島第一原発事故の後、福島の子供たちを地域で受け入れ、この市始まって以来の脱原発のデモも行われているそうだ。

「原発都民投票」では、私も同様の広がりを体験した。
http://kokumintohyo.com/

都へ請求する法定数の署名集めの受任者となったものの12月から始まっても最初は家族の署名のみ。〆切近くなっても3分の1と聞き、板の上に署名簿を載せ、ボールペンと印鑑用の朱肉等をもって恐る恐る寒空に立った。

2時間で5人…と、都民投票の掲示板に書いたら、「コツを教えましょう」「一緒にしましょう」と声がかかり、わずか数日、2~3人で400人くらいの署名を集めることが出来たのには驚いた。また、友人や知人が受任者であることを知り、互いに励まし合えた。

誰かに任せて自分は黙っているのではなく、声に出してみる。呼びかけ、仲間を募る。1人でも踏み出せば、協力してくれる人がいる…と、つくづく思った。

原発都民投票の請求代表人でもある宮台真司氏は、下記のように言う。
「日本はいまだに民主主義の社会ではない。 民主主義を獲得するには政治文化の以下のような改革が必要だ。

〈任せて文句たれる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ
〈空気に縛られる社会〉 から 〈知識を尊重する社会〉へ」
http://www.miyadai.com/

引き受けて考え、責任を持ち、成り立たせるために一歩を踏み出す。それが市民社会の成熟につながるような気がしている。

「護憲+コラム」より
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検察行政が歪んでいては公正な裁判にならぬ

2012-02-27 10:28:48 | 民主主義・人権
2月26日の朝日新聞朝刊に『小沢氏捜査虚偽報告「副部長も引用」東京地検』との見出しで、「民主党元代表・小沢一郎元代表の元秘書を取り調べた東京地検特捜部の検事が実際にはないやりとりを捜査報告書に記載した問題で、当時の上司だった特捜部の副部長が作成した別の捜査報告書にも、問題のやりとりが引用されていたことが分かった。この副部長の捜査報告書も部下の報告書と同様に、小沢氏の強制起訴を決めた検察審査会に提出されていた。」と報じられている。そして「検察当局はその二人とその上司からも聴取を行い事実の解明を急ぐ方針」と報じている。

同様の内容が産経ニュースにも、『石川議員供述「虚偽報告書」問題検事を任意聴取、危機感強める検察幹部』との見出しで、検察庁を統括する法務省関係者は「供述調書があるのに別に報告書を作った理由など不明な部分もあり、調べるべきことは多い」とさらに詳しく報じている。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120224/trl12022423000009-n1.htm

一方、昨年12月16日の小沢被告の第10回公判に証人として出廷した前田元大阪地検特捜部検事が、「強制起訴を決めた検察審査会や指定弁護士に対し、検察が不利な証拠を隠している」と証言したことを昨年12月17日の朝日新聞は報じているが 、どのような検察に不利な証拠が隠されているのかも、この機会に検察庁と法務省は内部調査をして公表すべきである。そうでないと公正な裁判は成り立たないばかりか、それ以前に検察審査会の強制起訴の手続きは検察の「虚偽報告書」に騙されたもので「適正な手続き」を欠くことになり、憲法第31条に抵触しているのではないだろうか。

憲法第31条 [法定の手続の保障] 
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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不可解な最高裁第一小法廷の判決

2012-02-26 15:15:23 | 民主主義・人権
先日光母子殺害裁判であらん限りの死刑肯定の言葉を尽くして被告側の上告を棄却して死刑を確定させた最高裁第一小法廷だが、今度は保険金目当てと疑われている「広島の母娘殺害事件」で、一審二審の無罪判決を支持して検察の上告を棄却したと、25日の朝日新聞は報じている。

http://www.asahi.com/national/update/0224/TKY201202240403.html
>「広島の母娘殺害、被告の無罪確定へ、死刑求刑事件で異例」

判決要旨が掲載されてないので詳細は分からないが、物的証拠が不十分なことと自白の信憑性が疑われたようである。被告人の弁護人や識者(大学教授)は取材に対して、刑事裁判の原則「疑わしきは罰せず」に沿った判決とのコメントを寄せている。

光母子殺害事件と今回の広島の母娘殺害事件を混同してはならないが、こちらは被告人は大人で、親を殺害してから娘二人を放火で殺害して保険金を得たという容疑であり、その罪は光母子殺害事件より重いように思う。奇しくも最終判決を下したのは同じ最高裁第一小法廷であり、光母子判決から一週間も経っておらず裁判官も同じと見れば、今回の判決は光母子判決に比べあまりにも淡泊な印象を受け、違和感を感じざるを得ない。

母親と娘に掛けられていた保険金を狙った殺人犯行との疑いがあるのであれば、もう少し真実を追究させるため高裁に差し戻し再審理させるべきではなかろうか。しかしこの事件は親子間の殺人事件でかつ放火による第三者への類焼も無く、精神的被害は被告人の親戚内で留まったようである上に、朝日新聞は被告人の母方の叔父が、「無罪になったのなら喜んであげないといけない」と淡々と話したと報じているように、殺害された母方の親戚からも被告人の妹からも被告人への強い非難や真相追求の訴えも無かったのではないかと想像される。

最高裁がこのような背景を斟酌して検察の上告を棄却し差し戻さなかったのかどうか定かでないが、この決定に対して広島高検の次席検事は「主張が認められなかったのは遺憾だが、最高裁の判断なので真摯に受け止めたい」と述べたと朝日新聞は報じている。この談話からは検察の真実追究の執念が全く感じられないどころか、まるで自白させた内容に信憑性が無いことを認めた様なコメントである。

最近法律が改正され、被害者側にも真実追究の権利が認められ遺族などが裁判の前面に出はじめたのは、光母子殺害事件の遺族の訴えがキッカケと言われるが、今回の広島の母娘殺害事件は被害者側からの真実追究の声がメディアでも殆ど報じられていなかったように思う。光母子殺害事件とは雲泥の差である。この事件の場合、被害が身内で収まっているために非難や真実追究の声が出なかったのかも分からないが、仮にこのような状況によって最高裁第一小法廷が高裁に差し戻さず検察の上告を棄却したとすれば、光母子殺害裁判の判決と比較して公正公平を欠くような気がしてならない。光母子裁判も高裁に差し戻すべきだったように思う次第である。

今回の場合、保険金目的で子が親と子を殺めたことが容疑だとすれば、明らかに社会正義に反する。昭和48年までは刑法に尊属殺(刑法200条)という規定があり廃止されたが、その内容は子が親などを殺害した場合は一般の殺人罪より特に刑が重く、無期懲役か死刑と定められていたことは周知の通りである。そのような意味からも、もう少し真実を追究させるために高裁に差し戻すべきではなかっただろうか。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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武藤類子さん講演会(2/26)@経堂

2012-02-25 15:41:54 | イベント情報
直前のお知らせで申し訳ないのですが、先日、経産省前で美しい「かんしょ踊り」を披露してくださった武藤類子さんの、講演会のお知らせです。

***これより転載***

☆☆おんなたちはつながる~~原発をめぐる福島の状況…福島・ハイロアクション・武藤類子さん講演会☆☆

●2012年2月26日(日)午後13:30~16:30

●世田谷区経堂地区会館2階集会室(小田急線経堂駅徒歩7分くらい)

http://mobile.enjoytokyo.jp/
電話~03-3428-9237
東京都世田谷区経堂3-37-13

※バリアフリーの会場を取る努力をしましたが、倍率が高く取れませんでした。車椅子などサポートが必要な場合は連絡先まで御一報下さい。

●参加費…1000円
※シングルマザーなどのビンボーウーマン3人による企画のため、みなさまからの参加費だけが頼りの講演会です。経済的に困難な方は受付時にご申告下さい。減額致します。
また、カンパもよろしくお願い致しますm(_ _)m

●主催:小田急線ベーシックインカムシスターズ&ベーシックインカムを考える会
●協賛:安全な労働と所得保障を求める女性介護労働者の会他
●連絡先~astrumanimus(★)yahoo.co.jp(白崎)
(★→@に変えてご連絡下さい。)
●電話…09026728435(伊藤)

昨年の9・19脱原発集会での武藤類子さんのスピーチは、たくさんの人々の魂を揺さぶりました。そんな武藤さんをお招きし、もうすぐ原発事故から一年になる福島の現状や、今の想いを語っていただき、これから私たちに何ができるのか、つながりゆくための模索のヒントをいただけたらと思っています。

●当日会場で、武藤さんのご著書『福島からあなたへ』(大月書店・1200円)も販売致します。

***転載終わり***

おんなたちはつながる~と書いてありますが、もちろん男性の方もふるってご参加ください。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
パンドラ
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少年への死刑判決で大人の殺人罪に無期懲役が下せるか

2012-02-24 11:20:47 | 民主主義・人権
2月20日に最高裁第一小法廷は「光母子殺害裁判」で被告側の上告を棄却して、広島高裁での差し戻し裁判による死刑判決が確定した。21日の朝日新聞で5人の裁判官の意見を読むと、死刑賛成が3名、死刑止む無しが1名、死刑反対が1名だったようで、全員一致ではなく多数決で決定されたのは残念である。

http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY201202200258.html?ref=any

最高裁は死刑の多数意見の他に、2006年に広島高裁の無期懲役を差し戻し、08年に高裁に死刑判決を出させてから4年と経過時間も短く、再度高裁に差し戻すことは最高裁の権威と面子からできなかった面もあったのではないかと想像させられる。

朝日新聞には判決理由要旨として死刑判決に賛同した3裁判官の意見が掲載されていたが、法律家であれば理由は尤もらしく後付でいくらでも書ける。その文面は何が何でも死刑を肯定しようとあらん限りの文言を網羅して、理由付けした文体で、最高裁の法律家官僚の力みが感じられる文体で、自然とは言えない。

子供はこの世に生まれて親と家庭環境は選べない、また人の子は動物の中で精神的にも肉体的にも成長するのに一番時間がかかる。少年法は大人に成長する最大公約年数を18年に設定していると考えられるが、18年は平均でそれより遅い少年もあろう。人の誕生は妊娠から十月十日、肉体も自然に機械的に18年で立派に成長するが、健全な精神と性格は時間だけでは形成されない。家庭環境、生活環境、教育環境等に親や人の愛情、友達関係などが複雑に絡みながら健全な大人に成長するのであり、当然育った環境で個人差が生じる。

先日のNHKニュース9では、この少年は父親から頻繁に暴力を振るわれ、母親は自宅の駐車場で首吊り自殺して失っていたと、その家庭環境を紹介していたように、明らかに性格形成に大きなハンディを負っていたと考えられる。

最高裁の多数意見には、「主婦を殺害して姦淫し」とその残虐性が指摘されているが、一般的に我々大人には18歳の少年は本来純真でピュアという潜在イメージがあり、この潜在意識が少年にはあるまじき行為との意識を裁判官にもたらしたとも考えられる。仮にこの事件が30歳、40歳代の男性の殺人姦淫行為なら、一般人が受けるショックや驚きも少年の場合より小さく、その結果メディアも大々的に取り上げることもなく、判決も無期懲役で確定していたことも考えられる。

そのような意味で2006年に最高裁が広島高裁に差し戻した時の、「少年であったことは死刑を回避すべき決定的事情とは言えない」との判示は、メディアに煽動された「厳罰化」の世論に抗しきれなかった最高裁の性ではないかと思われてならない。

最高裁の多数意見で指摘された「異常な行為」は、何の影響によるものであろうか。既述のとおり人間の肉体は年と共に自然に大人になっていくが精神や性格はそうではない。肉体に遅れて精神は育ってくる思春期の特徴があり、ここに精神と肉体のアンバランスが生じる。思春期はブレーキの効きの悪い車を運転しているようなものであると言えよう。

一方で街のビデオレンタル店に行けば、18歳以上はアダルトビデオコーナーに入室でき、そこには強姦、サド、マゾなど異常セックスを描写したビデオが処狭しと展示されている。また親の居ない家庭にパソコンがあれば無料のアダルトビデオにアクセスも自由であろう。裁判官はこのようなセックスビジネスが氾濫していることをご存じなのであろうか。

セックスへの好奇心は思春期の男性が皆経験する衝動であり、精神と肉体のバランスがとれていない少年がそのようなビデオを見て何らかの誘惑に駆られることは十分予想されることである。思春期の肉体の衝動に対するブレーキ(精神)機能が育つには、健全な家庭環境や良い友達関係が不可欠で、この少年の場合、崩壊した家庭環境が精神面の成長機会を奪い、肉体と精神のバランスを欠いて、肉体の衝動を制御できない状態ではなかったかと想像される。

このように最高裁が18歳の少年の置かれた家庭環境や精神と肉体のアンバランスを考慮せずに死刑判決を下すのであれば、逆説的であるが、今後大人の殺人罪には無期懲役の判決は下せないのではあるまいか。無期懲役では今回の少年の死刑判決に示しがつかないであろう。また大人の殺人罪に無期懲役の判決を下すには、今回の少年への死刑判決との違いついて都度説明して貰わなければ、国民には疑問が生じ、納得できないであろう。まして裁判員裁判で大人の殺人罪裁判の担当になった場合、少年への死刑判決とどのように向き合って、無期懲役にすべきか、死刑とすべきかを判断するのか。何れも論理で割り切れない心理的な不整合・不合理が残り、複雑で悩ましい問題が惹起されたと言えよう。

一方宮川裁判官は『「少年司法運営に関する国連最低基準規則(北京ルールズ)は少年保護の基本理念に基づいて「死刑は、少年が行ったどのような犯罪に対しても、科してはならない」としている。我が国は指導理念として尊重し、実現に向けて努力すべきだ。』等(21日朝日新聞より)の理由で唯一死刑反対意見を述べ、最後に「被告の人格形成や精神の発達に何がどのように影響を与えたのかや、犯行時の精神的成熟度のレベルについて、審理を尽くし、再度、量刑判断をするべきだ。二審判決は破棄しなければ著しく正義に反する」と述べている。

まさにその通りで、また世界的に死刑廃止の潮流に沿った論理である。この複雑な社会においては、いくら少年を厳罰に処しても精神と肉体のバランスがとれる環境が整わない限り、少年の凶悪犯罪は無くならないと思う次第である。そして自殺と凶悪犯罪の増加は社会の問題であろう。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「サロン・ド・朔」2月24日例会のお知らせ

2012-02-22 15:52:16 | イベント情報
「サロン・ド・朔」2月24日(金)例会を下記の通り開催します。

今回は「護憲+」メンバーのコナシさんに「地域で開く勉強会・映画会」のテーマでお話ししていただきます。

コナシさんは地元山梨県でお仕事の傍ら、地域の皆さんと共に「勉強会・映画会」など様々な活動に取り組んでいます。政治に期待が持てず閉塞感に満ちた社会状況にあって、他人任せにせずに自分で動く地域・暮らしに根付いた活動は、「未来への希望」を切り開くひとつの鍵ではないでしょうか。

興味のある方、参加ご希望の方は、「護憲+HP」上にあるメールにてご連絡ください。折り返し会場、ブログラム、参加費、その他詳細をご連絡します。

====
☆「サロン・ド・朔」とは、「護憲+」メンバーを主軸に「SNSリアル版」のような形で運営するフリーな集まり(@東京)で、毎月テーマを決めてそれに相応しい講師をお招きし、勉強会・親睦会を行っています。

昨年取り上げたテーマは以下のとおりです。

2月: 「渡嘉敷・前島の意味」
3月: 「TPP=自由貿易を問う」
4月: 「(熟年)アマチュア劇団・かんじゅく座」
5月: 「脱・原発は、待ったなし。今後を担うエネルギーは何か?」
6月: 「原発事故汚染地域の住民になって」
7月: 「安心ひきこもりライフ」
8月: 「原発依存からの脱却を目指して~特報部が伝えたフクシマ事故」  
9月: 「フリートーク」
10月:「介護労働を生きる」
11月:「究極の新自由主義としてのTPP」
====

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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ブックレット「未来に語り継ぐ戦争」が伝えるもの

2012-02-21 17:17:10 | 社会問題
最近、岩波書店から「未来に語り継ぐ戦争」というブックレットが発刊されました。これは「東京新聞が、2006年から毎年、8月15日の終戦記念日に掲載している対談記事などを、そのまま収録した」(「はじめに」-東京新聞編集局長・菅沼堅吾さん)ものです。

東京新聞は2006年以前から「戦争を風化させてはいけない」との信念を持って、戦争を語り継ぐ企画を続けており、その姿勢に対し私たちは、「戦争があって、今の憲法がある」との認識に立つ「護憲+」の基軸に通じるものがあると、常々共感してきました。

しかし、昨年3月11日の大震災・津波・原発事故以来、私自身はその圧倒的な現実を前にして、「戦争を語ること」や「憲法を護ること」に積極的な意味を見出せなくなり、深い虚無の穴に落ち込んでいました。そんなわけで、今回発刊されたブックレットを手にしたものの、正直それほど大きな期待はしていませんでした。

ところが、2006年からの6年間、計7編の対談を読み進むうちに、戦争体験者が夫々に語る言葉の底流に、今の状況に通じる普遍的なメッセージが存在することに気付かされたのです。

「実体のない言葉がはやるときは危ない」(半藤一利さん・2007.5)の言葉は、昨年3月11日以降毎日のようにメディアで使われてきた「絆」という言葉を連想させます。「『どっちでもいい』を突き詰めれば、民主主義そのものが疑わしくなる」(品川正治さん・2007.8)、「想像力を働かせないように規制し、偏見を植え付けるのが戦争の技術」(野上照代さん・2008.8)などの言葉は、新たな国難ともいうべき今の状況に於いてなお続く、政治や原発に対する私たちの無関心やあいまいな態度への強い警鐘となっています。
 
一方で、「同じ時代を生きていても、体験は同じではない」(村井志摩子さん・2010.8)、「一人一人が自分を大事にすること」(むのたけじさん・2006.8)の言葉は、今の困難を打開しようともがく私たちに、一歩を踏み出す起点を示してくれます。

そして最後の章、震災後の2011年8月に行われた大城立裕・開沼両氏の対談では、「日本は、どこかを犠牲にして成長を追い求めるのではなく、思いやりのある国になってほしい。」「中央のためにどこかを犠牲にすることだけは、もう繰り返してはならない」という言葉が語られていて、それは、戦時を生きてきた先輩たちが、今苦しんでいる全国の人々に贈る、集大成としてのメッセージだと、私は受け止めました。
 
温故知新。今と未来の希望構築のために「かつての歴史とは何だったのかを、それがどんなにむごいことでも、理性的に見据えていく」、そして「どんなに状況が絶望的でも、未来のために希望を紡ぐ」(飯田進さん・2009.8)ことが、いかに大事かということを、この対談集は強く訴えかけています。
 
この時期にブックレット発刊を決めた「東京新聞」に拍手を贈ると共に、出口のない混乱の中にあえぐ多くの人達に、是非いまこれを読んでもらいたいと願っています。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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2.19脱原発杉並デモ

2012-02-19 10:54:48 | 原発
19日は杉並で脱原発デモがありますね。
このデモにはちょっと注目しています。というか本当は参加したい!
(以前の職場と住まいのすぐ近くを通るんです。)
「有象無象のデモ」で、「原発ゼロ」という一点さえ合えばだれでもOKだそうです。
デモに行けない人は外から見えるところに黄色のもの(ハンカチとか)を出しておく、というアイデアもいいです。

※12時30分:集合 13時:集会開始 13時30分:デモスタート
※@蚕糸の森公園(丸の内線東高円寺)

http://uzomuzo.com/

「護憲+BBS」「脱原発の実現に向けて」より
コナシ&コブシ
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強制起訴への不正工作(不適正手続き)

2012-02-19 10:05:31 | 東北地震
新聞各紙は17日の小沢裁判の公判で検察官調書がことごとく証拠として不採用になったことを、「小沢有罪の有力な証拠が消えた」と報じている。さらに産経ニュースは、この裁判の争点を『(1)検審の起訴議決に基づく起訴の適法性(2)虚偽記載の有無(3)元秘書との共謀の有無-の3点。』と報じている。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120217/trl12021711410005-n1.htm

今回の小沢裁判について、検察が不起訴にした案件を某市民団体が検察審査会に不当と申し立て、審査会が「検察の不起訴は不当」と二度議決したことにより、指定弁護士が強制起訴した経緯は周知のとうりである。しかし多くの新聞やNHKの論調は、「小沢有罪の有力な証拠が消えた」と、上記争点の(2)(3)に対してのみの内容であり、肝腎要の(1)に対する言及がない。これまでの公判で(1)の争点がどのように審理されたのか定かでないが、各メディアはまるで「検審の起訴議決に基づく起訴の適法性」に何も問題は無いかのように無関心な様子である。

(1)の争点が重要なのは、憲法第31条が、人の生命や自由を奪い、また刑罰を科すには、「適正な手続き」が必要なことを保障しているからである。

第31条 [法定の手続の保障] 
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

その上に立って小沢裁判の公判を見てみると、石川被告を取り調べた検事の調査報告書には一部虚偽の内容が記載され、それが検察審査会に提出され、審査員の強制起訴の動機付けになった可能性が報じられているのである。

事実2月18日の朝日新聞には、検察審査会で法的アドバイスをする審査補助員を努めた吉田茂美弁護士が、「市民は検察が出してきた資料に基づいて審査するしかない。検事の取り調べまで検証しようがない」と語ったことが掲載されている。この談話は弁護士でも検察官に騙されたとの証左であり、何よりも法律に疎い審査員(市民)を強制起訴に誘導するために検察官が調査報告書に不正な工作をしたと見なされてもやむを得ないであろう。さらに当検察審査会では強制起訴には2回の議決が必要とされているにも拘わらず、ある事項については1回の議決しかされていないことも報じられている。

さらに今公判で証人として出廷した前田元検事(FD改ざんで服役中)は、今回の小沢事件は検察と小沢の闘いであると東京地検特捜部内で聞かされたと証言しており、何が何でもゼネコンから陸山会への裏金を立件して小沢を潰そうとする、異様で無理な動きががあったことを臭わしている。

これらを総合すれば、今回の小沢氏の強制起訴は、‘公権力を手続き的に拘束し、逆に人権を手続き的に保障している’憲法第31条の「適正手続き」「罪刑法定主義」の理念に叶うとは、とても思えない。小沢氏の弁護団も「控訴棄却」を求めているが、今回の強制起訴の手法を憲法31条に照らせば明らかに手続きに瑕疵があると認定してのことであろう。まさに今回の裁判の第一の争点なはずである。

客観的に見て(2)と(3)の争点は小沢裁判固有の事項であるが、(1)の問題は小沢裁判を通して広く国民の人権に懸わる問題であり、また適正な検察審査会の在り方に関する問題でもある。ところがメディアの論調は(1)の問題を避けて(2)と(3)の争点にのみにスポットライトを当て、小沢氏の「虚偽報告への共謀」の有無のみに国民の目を集中させ、(2)と(3)の争点に裁判を誘導しているように思えてならない。そんな中、唯一2月26日号のサンデー毎日は「仕組まれた小沢有罪の疑惑」という特集で検察審査会の実態を報じている。
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/

小生も一昨年11月の記事「一国民目線で検察審査会の在り方を問う(1)」「同(2)」で指摘したとおりである。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス」

2012-02-16 11:26:06 | 原発
皆さんは菅谷(すげのや)昭松本市長をご存知ですか?1943年長野県に生まれ、信州大学で外科医として勤務した後、96年から2001年までベラルーシ国立甲状腺がんセンターなどで、主に小児甲状腺がん患者の治療に従事。その後、02年長野県衛生部長を経て、04年から現職の松本市長になった方です。

その菅谷さんのベラルーシでの活動を紹介した「プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス」(2003年5月放映)が以下で見られます。 誠実で温かい人柄が、ベラルーシの子供たちの身体と心を救い、現地の医療従事者の範となって、優れた外科医を育てていった様子が描かれていて感動的です。是非ご覧になってみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=cJu-rU4-Xyk&feature=youtu.be

菅谷さんは、今回の福島原発事故の際には、ベラルーシでの経験に基づき、いち早く「日本は汚染地になった事実を受け入れた上で対策を立てるべき」と提言。内部被爆の危険を指摘し、子供たちを放射性物質から守るための対策を提案してきました。

最近は菅谷市長の講演会に対し妨害する動きもあるようで、「本当のことを伝える」ことの困難な社会に私たちは住んでいることを考えさせられます。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽」より
笹井明子
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