老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

絶望の同盟

2015-04-30 17:01:43 | 安全・外交
安倍首相は日米同盟を【希望の同盟】と名付けたが、今回の改定は、日本にとってどう考えても【絶望の同盟】としか言いようがないものである。

【絶望】を【希望】と言い換える、どう考えても【戦争法案】としか言いようがないものを【平和支援法案】と言い募る。「魚は頭から腐る」でも指摘したが、この言いかえ、詭弁、誤魔化しこそが、安倍ファッショ政権の本質である。

今回の安倍訪米、米国の歓待。この姿を見ただけで、日本崩壊がカウントダウンに入った事を感じる事が出来ない人間は、ジャーナリストや政治学者、経済学者を名乗る事を辞めた方が良い。

安倍政権が、ちぎれんばかりに尻尾を振り、ユダヤロビーに依頼、イスラム国の日本人テロの引き金にもなったネタニエフ首相とのツーショットなど、阿諛追従の限りを尽くしようやく許された両院合同会での演説。事前に米国から内容に至るまで注文をつけられ、演説ライター(谷口智彦内閣官房参与)などはそれこそ寝る間も惜しんで考え尽くしているようだ。脳漿を人を騙すために絞りつくす仕事はさぞかし疲れるだろう。

バンドン会議での演説も米国議会での演説の予行演習。それでなくて、バンドン会議の精神である侵略などの文言を引用する知恵など浮かぶはずもない。安倍首相の高揚したどや顔を見ていると、燃え尽きる前のローソクの炎を思い出すのは私だけではないだろう。

何故日本崩壊なのか。詳細に見て見よう。

★日米ガイドラインの改定⇒「切れ目のない日米共同対応」と言う理屈で、「周辺事態」の項目が削除されている。これは、世界中で日米が共同で軍事行動を行うことを意味している。明確な憲法違反であり、許されるものではない。

日本弁護士連合会は会長名(村越進)で厳しい批判声明を発表している。「・・・・すなわち、新ガイドラインは、米国又は第三国に対する武力攻撃に対処するため、日米両国が当該武力攻撃への対処行動をとっている他国とも協力することを取り決め、集団的自衛権に関しては、自衛隊が、機雷掃海、艦船防護のための護衛作戦、敵に支援を行う船舶活動の阻止及び後方支援を行うこと等を具体的に定めている。また、これまでの「周辺事態」にとどまらず「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」への対応、及びアジア・太平洋地域を越えたグローバルな地域の平和及び安全のための対応として、自衛隊と米軍が、実行可能な限り最大限協力するとし、後方支援を行うこと等を定めている。

しかし、国の安全保障・防衛政策は、日本国憲法の前文と第9条が掲げる徹底した恒久平和主義の下になければならない。集団的自衛権の行使はもちろん、世界中に自衛隊を派遣して米軍等の戦争を後方支援し、戦争時においても機雷除去等の処理をして、自衛隊員を戦闘行為の危険に晒し、武力の行使への道を開くことは、日米安全保障条約の範囲すらも超えて、明らかに恒久平和主義に違反するものである。また、そのような武力の行使等について、憲法改正手続を潜脱して、政府間で合意することは、立憲主義の根本理念を踏みにじるものである。・・・」

前のガイドラインの時も米国の厳しい要求を受けながら、辛うじて【周辺事態】という概念で、平和憲法との整合性を図っていたのだが、今回の新ガイドラインは米国の軍事行動に地球の果てまで付き合う、という内容になっている。まだ、国会に提出されていない新安保法制は、この事をにらんで作られている。

安倍政権の危険さと姑息さは、まず日米間でガイドラインについて合意し、その既成事実のもとに日本の法律を変えようとしている点にある。アメリカからの圧力を言い訳に使い、既成事実を積み重ね、自分たちが思う方向に進める手法。これは、戦前の軍部(陸軍)の独走と同じだ。既成事実を積み重ね、やってしまったものは仕方がないで日中戦争・太平洋戦争まで突っ走り、日本を敗戦に追い込んだ。

藤原直哉氏は、「噛ませ犬をやらせてくださいと言ってカネと命の危険を渡して安倍は米国の戦争屋にすり寄った」と評している。
http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/143.html

★アベノミクスという経済政策
「出口はまだ考える段階ではないというより、考えること自体が悪夢だ」-。内海孚元財務官は日本銀行の異次元金融緩和からの出口戦略についてこう指摘する。巨額の国債購入で膨らんだ日本銀行のバランスシートを民間部門が円滑に吸収する可能性は低いとみている。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NN6GQJ6JTSEG01.html

経済学者浜矩子氏は、以下のように黒田日銀の政策を切って捨てる。
「日銀が「チーム・アベ」の一員としてやってきたのは、国債の買い支えと株価の押し上げ、それと円安誘導ですね。突き詰めれば、この3つのために、大量の資金を市場に流し込んできたわけです。・・・このような政策は金融政策の名に値しない
・・
チーム・アベは日本経済をうまく回るようにしたいなんて考えていませんよ。目指しているのは富国強兵路線です。アホノミクスによって、強いものをより強く、大きいものをより大きくする。大手企業の収益が改善し、勝ち組の勝利度がさらに高まればいいのです。それが富国の部分であり、あとは憲法改正で強兵を確実なものにして、大日本帝国を取り戻すという筋書き。大企業の収益が改善すれば、コップにいっぱいになった水が滴り落ちるように中小企業にも恩恵が行き渡り……とか言ってトリクルダウン理論を持ち出しているのは、オマケというかアリバイ。そんなふうになると思ってもいないし、目指してもいないくせに、あたかも好循環が生まれ、みんなが幸せになるかのような幻想を振りまいているのです。 」・・日刊現代

評論家田中宇氏は「出口なきQEで金融破綻に向かう日米 」で以下のように書く。

・・「3月以来の翁(元日銀)、岡本(日本生命)、内海(元財務省)、小林(財界トップ)といった4人の専門家の、QEに対する危険の指摘、出口戦略の不在、金利高騰の懸念は、いずれもブルームバーグとロイターが報じたものだ。日本のマスコミは、この手のQEをめぐる危険性をほとんど報じない。
朝日新聞たたきやNHKへの介入など、安倍政権のマスコミへの脅し策は大きな成果を上げている。日銀は、QEを縮小する予定がなく、逆に拡大の選択肢を保持している。専門家の警告は無視されている。
日本では、安倍政権を批判する者を「売国奴」扱いする風潮が席巻しているが、こうした風潮こそが日本を経済破綻に近づけている。国民のほとんどが何も知らされないまま、日銀のQEは、国債金利高騰、政府財政の破綻へと向かっている。」
※QE⇒金融緩和政策

★さらに大手メデイアはあまり報じないが、人口問題研究所(PRB)が行った調査で「急速な勢いで人口が減少し、絶滅の危機に瀕している5つの民族が挙げられ、その筆頭に日本が入った。」というニュースがある。
http://jp.sputniknews.com/life/20150426/249777.html

その他の国は、ウクライナ、ボスニア・ヘルチエゴビナ、ブルガリア、グルジアだそうだが、日本はその筆頭になると報じられている。世界では、21世紀、日本は内部崩壊し絶滅する民族世界第一位と認定されている。ワシントン条約風にいうならば、日本人は、【絶滅危惧種】というわけである。

★さらに、前の投稿でも触れたが、TPP交渉では、大企業に国権が屈服する可能性が高い。(ISDS条項) 中国の覇権拡大に対抗し、自由主義圏の貿易権確立を図ろうという狙いがあるようだが、韓国を見れば一目瞭然だが、それこそ禿鷹のような貪欲な大企業の横暴に国内産業に食い散らかされるのが目に見えている。農業・医療その他国内産業は苦境に立たされる事は必至だ。いったん衰退した産業はほとんど再生不可能だという事を国民はもう一度考えた方が良い。

世界の大状況から言えば、米国の覇権に陰りが見え、その緩やかな衰退がはっきりしている。AIIB参加騒動を見ればはっきりしているが、世界は、中国など覇権の多極化の時代に突入している。

アメリカは、それこそ世界のどこにも行くところが無くなったので、アジア回帰しただけだ。英国も、ユーロ圏も、中国、ロシアも一筋縄ではいかない。南米も手を付けられない。インドもアフリカも中東も、思った通りに行かない。だから、仕方がないから帰ったのがアジア。要するに「リバランス政策」なんていうのは、アメリカのご都合主義。力がなくなった証拠だ。

そんな時代に日本は米国追随政策を明らかにした。「どこまでもついて行きます。下駄の雪」というわけである。そりゃ、アメリカは大喜びだろう。お世辞の一つ二つ言っても損はない。

安倍首相の口癖は、【戦後レジームからの脱却】であるが、この時代に入ってもなお米国追随という戦後レジームを後生大事に守り続けると宣言したのである。政権延命の為には、自国の国民の生活・財産・もろもろの富を売り渡しても構わないという姿勢だろう。文字通りの売国政権である。

田中宇氏も指摘しているが、財務省の日銀支配は、とにかく自国の富(円の価値)を売り渡しても、米国に従属するというためのものだ。その為には、自国の経済が破綻しても仕方がない、と考えているように見える。

今回の安倍訪米は、財務省支配の米国隷属政策の総仕上げに等しいものである。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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安倍内閣は総辞職に値す!

2015-04-30 10:04:33 | 安倍内閣
NHKの報道によれば、訪米中の安倍総理大臣は「今回は戦後70年の節目の年の訪米であり、歴史的な意義を有する。自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値の上に立つ日米同盟が、アジア太平洋や世界の平和と繁栄に指導的な役割を果たしているとの力強いメッセージを内外に向けて発したい」と述べたとのことである。

安倍首相が国内で文字どおり、「自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値の上に立」っているのであれば、上記のメッセージに異論はないが、決してそうではない。

先ず憲法9条に関わる集団的自衛権の行使を閣議決定したことは、憲法の改正手続きを規定した憲法96条違反である。その上、今回の訪米で日米安保条約を逸脱する日米同盟事項(いつでもどこでも自衛隊を派遣可能とする)を日本の国会で審議もせず、日本国民に説明することもなく、米国と先に協定した。これでは国民主権ではなく、安倍内閣主権である。「自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値の上に立つ」の安倍メッセージとは真逆で、国民をないがしろにしたも同然といえる。

帰国したら即刻内閣総辞職して欲しい。野党も、例え否決されることが明らかでも安倍内閣不信任案を提出し、自衛隊員が戦死した場合の証としておくべきであろう。

それにしても、アメリカ政府も日本国会で審議されていないことは十分承知のはずであるにも拘らず、それを肯定し、間髪を入れずに上院議会で承認し、日本を手かせ足かせにして逃げられないようにするとは、オバマ政権の民主主義もご都合主義のダブルスタンダードで、地に落ちたものである。いっぺんに沖縄同様本土でもアメリカ嫌いが増えそうだ。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔
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「日米防衛指針改定で合意」の報に接して

2015-04-29 18:05:09 | 安倍内閣
「憲法」の基本理念を変えるというのに、国民の意志を問うことなく「集団的自衛権行使容認」を「閣議決定」した安倍政権は、今度は、国会の議論を待たずしてアメリカを訪問し、「日米防衛指針」で「切れ目ない日米体制の構築」を合意、「地球規模に協力拡大」することを約束した。

「改憲」ではなく「閣議決定」だから、しかるべき手続きは必要ない、「条約」ではなく「指針(ガイドライン)」だから国会の承認は必要ない。こうして抜け道、裏技を駆使して、憲法9条とは全く相容れない政策転換に、確たる一歩を踏み出すとは、なんとも大胆不敵な政権ではある。

こうして安倍政権は、立憲主義を平然と無視し、憲法の平和主義だけでなく、国民主権、民主主義そのものを露骨に否定し、彼らの目指す、国家権力の独裁を許す「新憲法」の姿を実質先取りした政権運営を謳歌しているように見える。

法治国家であるはずの日本で、なぜこんなことがまかり通っているのだろうか。第一の要因は、何度も繰り返されていることだが、選挙によって自民党に圧倒的な議席を与えている国民の姿勢にあると思う。

バブル循環を待望する経済界の無責任な自己中心性もさることながら、やはり最大の問題は50%を割り込む低投票率だ。投票しないことで、主権者としての責任を放棄し、結果独裁政治を生んでいることを、棄権する人たちはもっと深刻に考えるべきだろう。

次の問題は、野党第一党である民主党の腰の据わらなさだ。一度は政権をとりながら、なぜ国民から見放され、未だに信頼を回復できていないか、自らが抱える問題の本質を、逃げずにしっかり見つめ、リベラルな人たちの「擁護者」として再生する努力を、是非積み重ねて欲しい。

もうひとつの大きな問題は、言うまでも無くマスメディアの堕落だ。安倍首相のお友達に乗っ取られたNHKは言うに及ばす、自民党の圧力に容易に屈してしまったテレビ朝日の対応は目を覆いたくなる情けなさだ。これらテレビ局だけでなく、新聞社、雑誌社も含め、問題があることに気付いているメディア組織内部の人たちは、安倍自民党に懐柔されてしまった経営陣に抗ってでも、本来の報道の使命を守る気概を持って欲しい。

こうして今の社会状況を眺めると、面倒なことを避ける無気力、現状追認に逃げ込む思考停止、組織防衛のための詭弁・ごまかし、権力に迎合するさもしい心根、状況眺めで右往左往する軸のなさ、など、人間の持つちょっとしたずるさ、弱さに、権力が付け入っていることがよく分かる。

そういう中にあっても、毅然とした姿勢で振る舞い続ける人たちがいる。翁長さんや沖縄の人たちの揺るがない決意は多くの日本の人々を動かし、「辺野古基金」は既に一億円を突破したという。「戦争法案」発言の修正要求を断固として拒否した福島瑞穂さんは、他党をも動かして、自民党の要求を取り下げさせた。今こそ私たちも、こうした勇気ある人たちの後に続きたいと思う。

現政権の無法性、危険性にしっかりと眼を向け、毅然と胸を張って、権力の暴走に抗う意志を示し続けよう。一人ひとりは小さい存在だけれど、私達一人ひとりが社会を作り、一人ひとりの本気があって始めて民主主義が担保されるのだということを、しっかり自覚しよう。自由で健全な社会を取り戻すために。穏やかで平和な未来を手放さないために。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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魚は頭から腐る

2015-04-27 17:16:46 | 安倍内閣
現在の日本の最大の問題点は、全ての出来事を皮相な解釈で語り、誰も物事の本質を語らなくなった点に求められます。それどころか、物事の本質を突いた発言や発言者を忌避たり、追い詰める。まさに、【無理が通れば、道理引っ込む】言論状況にあります。

日本は、OECD加盟国の言論の自由度ランキングで、61位です。
http://ecodb.net/ranking/pfi.html
国際的評価では、韓国より下。安倍首相の言う価値観外交(民主主義とか人権とか自由の価値観を共有する)とまるで相反する日本の言論状況です。

ところが、日本の大手報道機関では、この状況を恥じる気概すら失せているのではないか、と思われる事象が続出しています。

古賀茂明氏は報道ステーション降板の理由を「菅官房長官をはじめ官邸から、ものすごいバッシングを受けてきた」と語りました。私から言わせれば、やはりな、という程度の発言で、これぐらいの反撃が許されないようなら、言論の自由などないに等しいのです。ところが、自民党は、この問題についてTV朝日から事情聴取しました。当然、放送の許認可権をちらつかせて。

そもそも憲法が保障する【言論の自由】は、国民が権力を批判しても危害が加えられないために与えられているのです。憲法が権力を縛るための法典というのはそういう意味なのです。

放送の許認可権を振りかざした政権側の圧力は、そもそも憲法の趣旨や放送法の理念と相反します。古賀氏に対する圧力を否定しながら、恥ずかしげもなくこのような圧力をかける、これは古賀氏に対する圧力を肯定しているのと同じで、自民党政権はこの程度の理性すら失っていると思われても仕方がないのです。

これに対して報道機関は、その総力を挙げて戦わなければならないはずです。全ての新聞、全てのTV局は、言論の自由を掲げてこのような政府自民党の圧力に抗議し、抵抗しなければならないはずです。しかし、現在の日本のメディアにはその程度の気概も残っていないようで、結局やったもの勝ちの状況です。
 
社民党の福島瑞穂氏が国会で「戦争法案」と発言した問題も同様です。安倍自民党が議事録の修正を求めているのは論外。政権側の意に沿わない国会発言の修正を迫るのは、議会制民主主義を根底から揺さぶる暴挙だと言う認識がなさすぎるのです。民主党の長妻議員が、戦前の反軍演説を引き合いに出していたが、その通り。

・・・いわゆる反軍演説とは、昭和15(1940)年2月2日の衆議院本会議で代表質問に立った民政党の斎藤隆夫は、日中戦争(日華事変)の処理につき米内光政首相を追及した。斎藤は、昭和13年末に当時の近衛文麿首相が表明した処理方針の持つ欺まん性を厳しく批判し、政府が樹立工作を進める汪兆銘政権の統治能力に疑義を呈しながら、「唯徒に聖戦の美名に隠れ国民的犠牲を閑却し」、国際正義・道義外交・共存共栄など雲を掴むような文字を列べ立てて国家百年の大計を誤ってはならない、と演説したのである。

これに陸軍などが憤慨したため、小山松寿衆議院議長が職権で議事速記録から斎藤演説の後半部分を削除した。懲罰委員会に付された斎藤は、周囲からの議員辞職勧告に対して、「憲法の保障する言論自由の議会」での演説に対する速記録削除や自らの論旨を曲解した非難がもとで辞めるのは、「国民に対して忠なる所以ではない」と拒否した。しかし3月7日の本会議で斎藤の除名処分が議決された。・・・
http://www.ndl.go.jp/modern/cha4/description10.html

これ以降、日本の政党政治は終わり、大政翼賛会となり、太平洋戦争への道を転げ落ちます。斉藤演説は、政党政治の最後の輝きだったと言えます。

福島瑞穂議員発言に対する修正要求は、安倍政権や自民党議員が、民主主義のイロハも知らない集団である事を如実に示しているのです。

戦後すぐのバンドン会議では、植民地主義の克服と民族自決の原則が高らかに謳われたのです。ところが安倍首相は、この会議の本当の精神を抜きにして、言葉だけを盗むきわめて狡猾な演説を行いました。バンドン会議については以下を参照してください。

・・・・アジア・アフリカ会議(アジア・アフリカかいぎ、Asian-African Conference、AA会議またはバンドン会議)は、第二次世界大戦後に独立したインドのネルー首相、インドネシア大統領スカルノ、中華人民共和国首相周恩来、エジプト大統領ナセルが中心となって開催を目指した会議の総称。1955年にインドネシアのバンドンで第1回が開催されたが、第2回は開催されなかった。本項目では2005年と2015年に行われた50周年会議と60周年会議も記述する。

バンドン会議における意義[編集]
1.反帝国主義、反植民主義、民族自決の精神。
2.アメリカ(西側諸国)、ソビエト連邦(東側諸国)のいずれにも属さない第3の立場を貫こうとする基本的指向。これによりいわゆる第三世界の存在を確立。
3.アメリカ、ソ連の対立を緩和する立場(バランシング・ブロック)を作る契機となった。
4.会議において「世界平和と協力の推進に関する宣言」を採択した。

平和十原則[編集]
正式名称は世界平和と協力の推進に関する宣言。バンドン十原則(ダサ・シラ・バントン)とも呼ばれる。
1.基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重
2.全ての国の主権と領土保全を尊重
3.全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する
4.他国の内政に干渉しない
5.国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重
6.集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また他国に圧力を加えない。
7.侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない。
8.国際紛争は平和的手段によって解決
9.相互の利益と協力を促進する
10.正義と国際義務を尊重

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BC%9A%E8%AD%B0

安倍政権が強行している【集団的自衛権】と如何に似て非なるものかがお分かりだと思います。平和10原則など、ネール、スカルノ、ナセルなど戦後の第三世界の指導者たちのゆるぎない理念が結実した見事な宣言だと思いますが、安倍首相の演説は、この言葉だけをかすめ取り、精神を置き去りにした虚しい演説だと言わざるを得ません。

事ほどさように、安倍首相の言葉は、自らの国権的野望と独裁主義的精神傾向を国際的常識や平和を愛する日本人の国民性を考慮に入れて、何とか誤魔化そうとするあまり、それこそ理論的にも理念的にも何一つ一貫性の無いものにならざるを得ないのです。「衣の下の鎧」といいますが、バンドンでの演説と福島瑞穂議員の発言取り消しを求める思想的一貫性などどこにもないのです。

一国のリーダーの発言がこれほど矛盾と誤魔化しに満ちていると、国民のモラルは低下します。下村文科大臣が強調する道徳教育など、彼の金銭問題での発言とどのような整合性があるのか、その頭の中をのぞいてみたいものです。

安倍内閣の表向きの発言と彼らの理念や行為のあまりの乖離は、日本国民の精神状況を腐らせます。この乖離の意味など国民に本当の事を悟らせまいとすればするほど、本当の事や都合の悪い真実を暴露するメディアを弾圧する方向に傾斜せざるを得ません。そして、この誤魔化しが糊塗出来なくなった時、本当の意味での暴力的ファシズムが始まります。現在の状況は、その瀬戸際だと思います。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
流水
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テレビ界が抱えるいくつかの問題、テレビCMの堕落、NHKの受信料

2015-04-27 17:05:13 | 集団的自衛権
「NHK辺野古報道の不公平と不作為」に関するBPOへの要望が、放送界のみならずマスコミ界全体が不正常な方向へと雪崩をうつかの現下の流れを押しとどめ、特定の意図のもとに行われる意識誘導を断ち切る「のろし」となってくれることに期待するものです。

話は逸れるのかもしれませんが、テレビ放送という枠外にありBPOの関与外ということになるのかどうかもわからないことながら、テレビコマーシャルというのは勝手気ままでいいのが現状なのでしょうか。

もう、60年近く前になりますが「一億総白痴化」と警鐘を鳴らされた時期がありましたが、現在の広告の知性レベルは、それをはるかに超えていると感じざるを得ません。意味もないお笑い興行へ丸投げしたようなしぐさ・仕掛けが席巻して、とどめ(であればよろしいのですが)は、最近放映され始めた「人のため?、そんなのあるはずないさ(意約?)」でしょうか。自浄作用なんて期待しようもないような、この世界の堕落ぶりですよね。

ついで(?)にもう一つ。「放送法」に寄りかかってのNHKのありように一石投ずるものはいないのでしょうか。

これだけの電磁化の浸透。受信機があれば「契約したもの」なんて、お笑いですよね。受信時間に応じた視聴料の徴収なんて、簡単も簡単なことになぜ手を付けないんでしょう。NHKの放送は装置を付加しなければ視聴できないようにすればいい。受信機があればなんて「オレオレ詐欺」ですよ。というのも、放送を通して見る無駄と思われる受信料の使い方です。

「政治の立場」で圧力めいたことをするよりは、こちらの方がよほど急ぎます。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
百山
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NHK辺野古報道の不公平と不作為の審議を求め、BPOに要望書を提出

2015-04-25 17:01:46 | マスコミ報道
4月20日、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」醍醐聰さんらの呼び掛けに賛同した市民97名の連名で、BPOに「辺野古の米軍基地建設に関するNHKの報道の不公平と不作為を正すための審議を求める要望書」が提出されました。私も提出者の一人に加えていただいています。

要望書の要旨は、

(1)基地建設に反対する沖縄の民意を伝えない瑕疵
(2)海上保安庁、沖縄防衛局の「過剰警備」の実態を伝えない不作為
(3)翁長知事と政府との対話をめぐる事実経過をゆがめた不公平な報道
(4)「発表報道」への偏向、その裏返しとしての課題設定の役割の放棄

の四点で、辺野古基地建設に纏わるこれまでの事実関係や他の報道との比較、報道の使命を示すなど、具体的、論理的に問題点を指摘しています。

※「審議要望書」全文
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/bpo_henokohodo_yobosho.pdf

詳細は「醍醐聰のブログ」に掲載されていますので、是非ご一読ください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/bponhk-e7ad.html

先日の「報道や表現を自粛しない人たちのオフ会」で、NHKチーフプロデューサー飯田能生さんが、「今のNHKでも、理屈が通っていれば、きちんとした番組を作れる」と言っていました。確かに、今も「特番」などで骨のある作品を時々見かけ、頑張っている人たちの存在を感じますが、現在のNHKの最大の問題は、日々のニュース・報道番組の中での、何気なさに隠された不公平・不作為=政権擁護であり、その繰り返しが結果的に世論誘導に繋がっていることだと思います。

今回のBPOへ要請が、NHKが報道姿勢を正し、報道機関としての本来の役割を果たす切っ掛けになることを期待し、BPOの審議結果を見守りたいと思います。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
笹井明子
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「戦後70年・空爆の真実~禁じられた避難」(NHK特報首都圏)

2015-04-25 10:23:28 | マスコミ報道
4月24日NHKテレビ19時30分放送の特報首都圏「戦後70年・空爆の真実~禁じられた避難」を紹介します。

1945年3月10日の東京大空襲を始めとして、当時の日本列島は次第に空襲の嵐にのみ込まれていった。生き残った人々の証言により、空襲の最中に、避難する事を禁じられ死んで行った多くの人々の姿が浮かび上がる。

それには「防空法」という法律が大きく関わっていた。「防空法」は1937年に公布され同年10月1日より施行された。1941年に改定され、人々に避難を禁じ、もし逃げた場合は「非国民」と罵られ配給も止められた。時の政府は「空襲は恐くない」というプロパカンダをマスコミを通じて流し、国民は非国民視される事を恐れて、逃げる事なく消化活動にあたり、焼き殺されていった。

国が国民を守るのではなく、国民が国を守る事を強制されたのである。

この番組の中で熊本県の子どもが大人に発した「何故、戦争になるのを大人達は止められなかったの?」という言葉が出てくる。大人は「いつの間にか、気付いた時にはそうなっていた」と言っていた。

法律はできたら終わりではない。怪しい法律がいつか本当に恐ろしい法律に姿を変えないように、私たちは監視していなければならない。「いつの間にか、本当に気付いた時には、そうなっている」かもしれない。戦争を止める事が出来るのも私達なのである。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
パンドラ
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「指から漏れる白砂のように」(朝日・恵村順一郎氏)

2015-04-24 11:39:03 | マスコミ報道
4月24日朝日新聞朝刊「社説余滴」で、朝日新聞政治社説担当の恵村順一郎氏が、昨今の自民党による言論介入の危うさについて、加藤周一の言葉を引用して、警鐘を鳴らしています。

『目に映る話は大きくないかもしれない。けれど、その底流にこそ目を凝らしたい。
自民党がテレビ朝日とNHKの幹部を呼び出したこと。
福島瑞穂議員の「戦争法案」との国会発言に、自民党が修正を求めたこと。
7年前、89歳で亡くなった評論家、加藤周一の言葉を思い出す。

2.26事件以後真珠湾までの東京。・・・
「その背景の見えないところで、どういう圧力や取引や『自己規制』が言論機関に作用していたかは、当時の私には知る由もなかった。しかし報道言論の表面にあらわれた変化、一見おだやかな、なしくずしの変化に、特定の方向があることだけは、私にも見誤りようがなかった」

もちろん戦前と今は違う。
・・・言論の自由は今、日本国憲法によって保障されている。・・・「放送法の自律」を保障した放送法もある。
ただ、私たちの言論の自由は、私たち自身が勝ち得たとばかりはいえない。・・・

私たちの言論に自由に命を与えるには、報道機関も、政治権力も、細心の注意とたゆまぬ努力が欠かせない。
報道機関に求められるのは圧力に屈せず、事実に厳密な姿勢を貫くことだ。権力に求められるのは「放送の自律」を踏み越えない自制であり、福島氏の発言について言えば異なる意見を尊重する態度だ。
・・・
j「真珠湾まで」を振り返る加藤の言葉に返りたい。
「言論の自由は、そしてあらゆる批判精神は、指の間から漏れる白砂のように、静かに、音もなく、しかし確実に、失われつつあったのである。その結果がどこへ行き着いたかは、いうまでもない」』

今回自民党が「テレビ朝日」を問題視したのは、古賀氏の「報道ステーション」での発言ですが、その発言で古賀氏が指摘した「報ステ」の変容のひとつは、コメンテーターから恵村氏を外したことでした。その意味でも、このコラムで当事者の恵村氏が、「報ステ」での姿勢同様、静かに、理をもって、警告の発言をしていることの重さを、思わずにはいられません。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子
コメント (4)
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萩原流行さん、事故死

2015-04-24 11:29:11 | 社会問題
俳優の萩原流行さんが事故死した。誘因は護送車の運転ミスによるもののようで、ニュースの記事も歯切れが悪い。その理由は、護送車運転手である警官の過失を警察が隠している(探偵の推測では)からではないだろうか。

記事によると、護送車の車線変更で、後続していた萩原さんは「なんらかの原因で転倒したが投げ出され、後続の車にはねられて死亡」と言うが、護送車の運転ミスで萩原さんのバイクが護送車に接触したと見る方が自然だ。

警察は仲間のミス(過失)をかばって、事故の原因を隠しているのであろうか。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
名無しの探偵
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いいね!4・21 朝日新聞の言論、表現に関する二つの社説

2015-04-22 09:49:19 | 民主主義・人権
ジャーナリズムとして当然の批評と思いますが、今の安倍内閣の暴走にストレスを感じておられる方にはいくらか溜飲がさがるのではないかと思い、転載します。

『・言論の府で―異論への異常な圧力

言論をめぐる、昨今の自民党の行状が目にあまる。

1日の参院予算委員会での社民党・福島瑞穂氏の発言について、自民党は「不適切と認められるような言辞があった」として修正を求めている。

福島氏は質問の中で「安倍内閣が、14本から18本以上の戦争法案を出すと言われている。集団的自衛権の行使や後方支援という名のもとに、戦場の隣で武器弾薬を提供することを認めようとしている」と述べた。安倍首相はその場で「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化していくことは断じて甘受できない」と反論した。

その後、自民党の堀井巌・予算委理事が福島氏に会い、「戦争法案」との表現を修正するように要求。福島氏は拒否し、「国会議員の質問権をこういう形で抑え込もうというのは極めておかしい。表現の自由に関わる」と反発している。

国会議員の国会内での発言は、国会の外で責任は問われないと憲法は定めている。すべての国民を代表する議員が自由に議論するためだ。それほど尊重されるべきものだ。これまでも議員発言が議事録から削除・修正されたことはあるが、国会の権威や人権を傷つけたような場合が通例だ。

福島氏の発言は、集団的自衛権についての強引な解釈改憲に基づく法整備への、国民の根強い懸念を代弁している。多数意見であろうとなかろうと、国会で尊重されるべき主張である。政権側に異論があるなら、議場で反論し、やりとりをそのまま記録に残せばいい。その是非を判断するのは、現在と後世の国民だ。多数派の意に沿わない発言だからといって、「一方的だ」という理由で修正させようというのは、数の力を背景にした言論の封殺である。

権力と憲法の関係について、改めて考えたい。

憲法によって権力の暴走を防ぐ「立憲主義」について、首相はかつて国会で「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方だ」と語った。まるで権力を縛るなど時代錯誤だと言わんばかりだった。

しかし、最近の安倍首相ら政権側の言動はどうだろうか。沖縄県知事らの意向などお構いなしの普天間飛行場移設の強硬姿勢。個別の報道番組への口出し。そして今回の議員発言への修正要求である。

自らと異なる立場に対する敬意や尊重などかけらもない。「絶対権力」の振る舞いと見まごうばかりである。』

『・放送法―権力者の道具ではない

今の政権党は「放送の自律」という原則を理解していない。そう考えざるを得ない。

テレビ朝日「報道ステーション」とNHK「クローズアップ現代」で事実ではないことが放送されたとして、自民党情報通信戦略調査会が、両局の幹部を呼んで事情聴取をした。

番組内容に問題があったことは、両放送局とも認め、視聴者におわびしている。だからといって、その問題を理由に政権党が個別の番組に踏み込むのは、行き過ぎた政治介入というほかない。

自民党は「放送法に照らしてやっている」と説明している。確かに放送法第4条は「報道は事実をまげないですること」と定めている。テレビ局が誤った報道をしたり、伝え方に問題があったりした場合、自らの責任で訂正するのは当然だ。ただし、そうした営みは、あくまで放送局の自律した判断に委ねられるべきである。

放送法第1条は、「放送が国民に効用をもたらすことを保障し、表現の自由を確保し、健全な民主主義の発達に資する」との目的をうたっている。そのうえで第3条は、番組編集の自由を保障している。

放送法は、民主主義社会の基盤である国民の知る権利や表現の自由に、放送を役立てることを主眼としている。政治権力が放送局を縛る道具としてあるのではない。

自民党は、さらに干渉を強めかねない。NHKと民放各社でつくる第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」についても、批判的に言及した。

BPOは、番組への苦情や指摘を受けて、有識者が審議する仕組みだ。再発防止計画を出させ、検証番組の放送を求めることもある。議論の過程や決定、放送局の対応を公表しており、放送界の自律的な審査機関として機能している。ところが、BPOの運営資金が放送界で賄われていることから、自民党からは「お手盛り」などという批判とともに、政府が関与するかたちに変えようとの発言も出ている。それは、あまりに乱暴な考えだ。

放送法もBPOも、テレビを、国民の自律的な言論や表現の場とするための仕組みなのである。そこに政権政党の意向を働かせることは、多様で自由な表現を保障する民主主義の本質的な価値を損ねかねない。

放送局が公正に番組をつくる責任を自覚すべきなのは当然だが、今の自民党の「圧力」は明らかに行き過ぎだ。権力の乱用を厳に慎まねばならない。』

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔
コメント (3)
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