老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

能力の高さと道徳性の乖離

2018-03-30 13:10:58 | 社会問題
・・・「立派だったよね。今まで見た佐川さんの中で一番立派だった。官僚的には考え抜かれた立派な答弁」「野党から見ると、佐川さんにこういうこと言ってほしいという内容はゼロだった。そういう意味で、佐川さんの答弁は100点ってことじゃないですか」
 呆れた発言の主は財務省の幹部や職員だ。27日、佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問への反応として、日本テレビが報じたものだ。・・・
(日刊ゲンダイ)

これが日本の最高頭脳の集まりと称される財務省の高級官僚たちの思考である。見事なばかりに【真実を語る】などと言うモラルが抜け落ちている。それどころか、「野党から見ると、佐川さんにこういうこと言ってほしいという内容はゼロだった。そういう意味で、佐川さんの答弁は100点ってことじゃないですか」と言う評価を下している。見事なばかりの日本の支配層(政治家・官僚など)の伝統的な思考法「民は寄らしむべき、知らしむべからず」の表現である。

この評価で分かるように、日本の最高の頭脳集団たちの思考法は、国民に真実を知らせず、如何にその本音を隠した答弁を行うか、という点に集約されている。論理明晰で意味不明という【東大文学】そのものである。

日本の官僚答弁の難解さは、国民に物事の本質を知らせず、それでいて何かよくわからないが、国民の支持(積極的支持ではなく、文句を言わない消極的支持)をいつのまにか取り付けているような雰囲気を醸成するための方法論であることに起因する。その為に、官僚たちは、【言質】を取られないように、断定を避け、どうにでも言い訳が利くように持って回った表現をする。財務省は、そのような答弁の達人が多い。

ただ、日本の最高の頭脳集団と呼ばれる彼らの能力をこのような目的のために使う、というのは、「才能の無駄遣い」。日本にとって大きな損失。本当にもったいないと言わざるを得ない。

文部科学省の前次官前川喜平氏は、そのような官僚の能力を無駄遣いする政治のありように異を唱え、政権と厳しく対峙した。前川氏は「教育に対する自らの信念」に忠実であろうとした。

日本と言う国や社会で、自らの信念を貫こうとすると、それこそありとあらゆる場所や場面で既存のシステムや権威とぶつかり、【角】を立てなければならない。そういう中で、前川氏は次官まで上り詰めたのだから、彼には能力の高さ、行動力と言動の慎重さと説得力と人望があったのだろう。そこが貴乃花などと決定的に違った。

前川氏は次官まで登り詰めるまでには、自らの信念を曲げるような妥協を何度も何度も繰り返してきたはずである。そうしなければ、次官まで出世できない。

そんな彼が役人生活の最後に時の政権と厳しく対峙した。何も言わずに黙って退職すれば、天下り先は保証され、億を超える退職金をもらえ、勲章ももらえ、悠々自適の老後が保証された。それにも関わらず、それらを全部投げ捨て、自らの信念に殉じて政権と対峙した。

「あった事を無かったとは言えない」という彼の倫理観は、多くの国民の心を打った。官僚の道徳観、倫理観とはこういうものか。エリートの責任感とはこういうものか。どれだけ多くの国民が、前川氏の言動に心を打たれ、喝采を贈ったか。彼ほど、日本の官僚の名誉を高めた人物はあまり見当たらない。

それに比べて佐川氏はどうだろうか。財務省の後輩たちの評価は、【見事な官僚答弁】だという事らしいが、国民たちの心をつかめたろうか。彼の答弁が国民の心にストンと落ちたであろうか。

答えはNOである。彼の答弁は、何一つ国民の心に響かなかった。ただ一つ、明快に理解できたのは、【刑事訴追】の恐れのある事に手を染めていたのであろう、という推測と、自己保身のための理屈ばかりだ、という事である。

彼の答弁を聞いていると、官僚としての苦悩、人間としての苦悩・悩み・苦しみが伝わってこない。彼の答弁は、「答弁マシン」ではないか、と思えるほど、一切の人間的要素が削り取られていた。

わたしは、証人喚問前、佐川氏に同情していた。安倍夫妻や安倍政権のために、自らの責任でもない事案の答弁を行い、答弁の整合性を取るため、決裁文書の改竄までやらされた。「すまじきものは宮仕え」を地でいったような人物だと思っていた。

証人喚問では、その「宮仕え」の苦悩が滲み出るのではないかと期待していたが、見事に裏切られた。彼は、最後の最後まで悪い意味での【骨の髄まで官僚】だったと言う事になる。

一体全体、彼の倫理観、道徳観はどうなっているのか。この点について、面白い記事が載っていたので紹介する。

佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見る
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55040
2018.03.29 原田 隆之 筑波大学教授 現代ビジネス・・

・アメリカの心理学者のコールバーグは、道徳性の発達について、6つの段階に分けて説明している。それは、以下のような6段階である。

(1)罰の回避と服従の段階
(2)相対主義的な利益を志向する段階
(3)同調し「よい子」を志向する段階
(4)既存の法と秩序そのものを尊重する段階
(5)合意や契約によって変更可能なものとして法や秩序を遵守する段階
(6)一人ひとりの人間の尊厳の尊重といった普遍的倫理原則を志向する段階

小さな子どもは誰しも、親や大人に叱られたり、罰を受けたりすることがないように行動する。それが、子どもの道徳性である(第1段階)。

しかし、成長に伴って、より打算的になる。「相手が自分にとってよいことをしてくれれば、自分もよいことをしてあげる」という相互主義的なルールに従って行動する。一見、公正であるように見えても、自己中心的な道徳性である(第2段階)。

その後、仲間集団など、自分が準拠する集団のルールに同調し、「よい子」「よいメンバー」として振る舞うことが道徳的だと思うようになる。これも一見、「よい子」には見えても、拡大された自己中心性にすぎず、より大きな社会のルールや規範を無視してしまうこともある(第3段階)。

もっと成長すれば、自分や自分の属する小さな集団の利益ばかりを追求することが「よいこと」なのではなく、社会の法や規範を守ることが道徳的なのだと言うことを理解し、そのように振る舞うことができるようになる(第4段階)。

さらに進んだ段階として、権威から押し付けられた法や社会規範が絶対なのではなく、社会にはさまざまな価値があり、それを守るために合意によってルールを変更すべきだという柔軟な道徳性を持つに至る。われわれがルールに仕えるのではなく、自分たちのためにルールはあるということを理解できる段階である(第5段階)。

そして、最もレベルの高い道徳性は、普遍的価値、倫理的原理に従った行為が正しい行為だととらえる段階であり、法を超えてでも「正しい行い」をすることができる。ときには、その社会や時代には理解されず、後世になってその偉業が称えられることもある(第6段階)。
・・・

前川氏の言説を聞いていると、彼が第6段階の普遍的価値、倫理的原理に従った行為が正しい行為だと捉える段階にあったと言える。

では、佐川氏はどの位置なのだろうか。どう贔屓目に見ても、第5段階や第6段階に達しているとは思えない。せいぜい、2か3の段階ではないかと思える。

日本の最高頭脳の集団である財務省での出世街道の頂点は、三つ。その一つである国税庁長官まで上り詰めた人物の道徳性が、せいぜい2、3段階だとは寂しい話である。

わたしは元教師。「荒れる中学」時代に現役だった。その頃、連日連夜学校内外で問題行動があり、毎日のように子供たちから事情を聴いたり、誰がやったのかを問い詰めたり、二度と問題行動を起こさないように説教したり、説得したり、席の温まる暇はなかった。

この当時の経験から言うと、頭が良くて目端が利き、口がうまく、道徳心の欠落した子供ほど困る子供はいなかった。

こういう子供は、クラスの中でも一目置かれていて、隠然たる勢力を持っている場合が多い。「いじめ」などの中心にこのタイプの子供がいると、その根絶には本当に苦労させられる。こういうタイプの子供は、教師のおためごかしの台詞など鼻であしらい、聞く気などさらさらない。しかし、頭がよく、要領がよいので、教師の前では叱られないように振る舞うすべを知っている。だから、教師もあまり叱れない。

ところが、クラスの他の子供は、その子の正体を知っているので、叱れない教師に対して不信感を抱く。これがクラスの乱れのもとになる。

わたしは佐川氏の答弁を聞いていて、このタイプの優等生を思い出した。佐川氏はあまり裕福でない家庭に育ち、兄弟たちが学資を出して東大を卒業したそうだ。佐川氏世代には、戦後前期のように大半が苦学生だった時代とは違い、苦学生の数はそれほど多くはなかったはずである。

しかも、東大生の親の年収が、きわめて高いと言われ始めた時代。想像するに、佐川氏の青春時代は、あまりバラ色ではなかったのではないかと思う。彼には、自らの能力以外頼むものがなかったはずである。

実家が裕福だった前川氏との決定的違いはそこらあたりの事情によるのではないかと想像できる。

カーリング女子と裁量労働制」で指摘した「公・公共・私」でいうと、佐川氏には【PUBLIC≒公共】の精神が欠落しており、私=公の世界で生きてきたため、普遍的価値や倫理的原理などという視点が決定的に欠落したのであろう。

日本の勉強秀才の一つの典型であり、そのような志向が【決裁文書改竄】という信じられない行為を犯したのであろう。彼らに前川氏のような【PUBLIC≒公共】という価値観があれば、このような無残な行為に歯止めがかけられたはずである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント (2)

佐川証人喚問と貴乃花処分

2018-03-29 16:05:31 | 社会問題
佐川前国税局長官に対する証人喚問が行われた。大方の人の予測通り、「刑事告発の恐れがあるため証言を拒否する」の台詞のオンパレード。佐川前長官にも一片の良心があるだろうと期待した国民や野党のわずかな望みも断ち切られた。

佐川氏自身は、証言通り、官邸や財務省幹部と接触はしていないだろうが、補佐役としてついていた熊川弁護士(元特捜検事)は、現政権ときわめて近しい関係にあるのは周知の事実。(甘利氏や小渕優子氏などについていた。)彼を通じて官邸や財務省側と綿密な打ち合わせができていた、と推測できる。

特に自民党の丸川氏の質問など聞くに堪えないもので、【出来レース】と言われても仕方がない。佐川氏も自らの意志で【とかげの尻尾】になると決めていたようだ。まあ、これからの人生について何らかの好条件が提示されたのかも知れない。

その後の幹部たちの発言を聞くと、全てを【財務省】に押し付け、一件落着としようという意図が透けて見える。しかし、こういう見え見えの小芝居が通用すると思っている現政権の幹部たちの神経が狂っている。

・・自民党幹部がそろって「これで疑いが晴れた」とコメント。凄まじい。大丈夫か。公文書改ざんと長期にわたる国会冒涜について、官僚だけ悪いのであって、自分達は無関係だと。今や国内どころか国際的にも日本の政府は信用されなくなっている。自らの醜悪さにまだ気付いていないとしたら「重症」である・・(小沢一郎事務所)

以前にも指摘したが、【権力】というものは、【何のために】、【誰のために】、【どう使うか】が問題。自らの権力維持のために権力を使うという事は、民主主義国家の権力者はやってはならない。自らの権力維持のためにだけ【権力】を使う姿は、醜悪以外の何物でもない。安倍政権は自らの政権の【醜悪な姿】に気が付いていない。こういう政権をファッショ政権と言うのである。

さて、証人喚問と機を一にして、貴乃花親方が白旗を掲げ相撲協会に全面降伏した。TVメディアも証人喚問一色の報道から、多少なりとも、国民の目をそらすことができるので、詳細に報道している。

まあ、【貴ノ乱】の主役はたしかに貴乃花だろうが、共犯はTVメディア。しかし、その反省の色などほとんど見られない。ただ、貴乃花を支援したコメンテーター連中は、その後始末コメントに苦労していた。

わたしは、【貴ノ乱】について三回書いた。この乱は、ファッショ体制下の報道姿勢がきわめて象徴的に示されていると考えたからである。

2月9日に書いた【貴ノ乱異聞;見るに耐えないメディアの劣化】の中で指摘した過去の貴乃花部屋のあった暴力的体質が今回顕在化し、貴乃花の全面降伏につながったのである。

・・・・
貴乃花部屋の引退力士・貴斗志が貴乃花親方に無理やり引退届を出されたとして、2015年3月、相撲協会を相手取り「地位確認等請求」「報酬の支払い」などを求めて東京地裁に提訴。この裁判の過程で、貴斗志は、なんと今回の日馬富士暴行事件の被害者・貴ノ岩から暴行を受けたと主張。さらに2人の元貴乃花部屋の元力士が証言台に立ち、貴ノ岩や同じく貴乃花部屋の現世話人である嵐望などから暴行を受けたと証言している。

さらに、資料を当たればすぐにわかることだが、2012年に「週刊新潮」(2012年5月3・10日号)は、貴乃花親方からくり返し暴行を受けたという18歳の元弟子の告発を掲載している。このときは、当時、協会の危機管理委員会副委員長を務めていた八角親方が「貴乃花親方に事情を聴いたが、暴行の事実は否定していた。いまの状況で協会が介入することはない」として幕引きをしている。
『衝撃!貴ノ岩にも暴行容疑 元貴乃花部屋力士の訴訟で発覚「逃げ回る力士にエアガン」』(2017年12月28日 zakzak by 夕刊フジ)」
・・・・

つまり、今回の暴力問題だけではなく、以前から、貴乃花部屋にもこのような暴力問題はあった。それを一切報道せず、「非暴力の権化」のように貴乃花を神格化し、相撲協会を責め立てたのがTVメディア。その嵐のような暴力的報道姿勢は、多くの国民の眉を顰めさせた。

貴の乱異聞;見るに耐えないメディアの劣化】でも指摘した事が、今回の佐川喚問と貴乃花全面降伏で証明されたと考えている。

・・・・
人間なんて奴は、真面目だけでは生きていけない。遊びだけでも生きていけない。要するに【ほどほどが良いのよ】という事である。

どちらかに振りきれた人間ほど御しがたい奴はいない。貴乃花の言動を見ていると、どうやら、その「振り切れた」人間だと言う事になる。ところが、相撲協会の親方連中は、「ほどほどがいいのよ」と言っている。だから、貴乃花は孤立した。この人心の機微が分かっていないと貴乃花の復活は難しい。

今の世の中、なぜ生き辛いかというと、「そこそこ」では駄目で、「振り切れ」なくては評価されないからである。これが「新自由主義」の社会。

よく観察してみるとよくわかる。安倍首相や自民党連中、経団連などの経営者連中、日本会議などの右派連中、TV朝日などのメディア連中なども「振り切れた」人間が大好きだと言う事だろう。「ほどほど」が良い庶民など必要がない。

ところが、全てに「振り切れる」ことなど人間には不可能。それを振り切れたように見せようとすると、「いんちき」「偽装」以外に方法はない。安倍首相や官僚の偽装、経済界の偽装。「ほどほどが良い」人間が多数派だった時代なら、このような問題は起きなかった。

「ほどほど」が良い人間だからこそ、極端な不正義は決して許さない、という逆説が理解できないのだろう。
・・・・

佐川前国税局長官は、「振り切れた人間」の犠牲になり、貴乃花騒動は、振り切れた人間の末路の象徴。どちらも、現在の世相を見事に映し出した事件だったと思う。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント (1)

予想どおりの佐川証人答弁

2018-03-28 09:58:19 | 国会
テレビにかじりついて国会での証人喚問を見ていたが、国民の目には大山鳴動しネズミ一匹にも値しない答弁内容であった。

安倍首相にとってはシナリオどおりに役を演じてくれたとの思いであろう。しかし納税している国民としては、8億円も国有財産を値引き売却された上に、今日のような答弁拒否では、これまでにも増して行政府に対して不満鬱積である。

一方野党は、告発訴追を理由に答弁拒否されることは予想できたはずであり、事前に告発者に告発を取り下げて貰う交渉をすべきではなかったかと言いたい。そうすれば、告発者が何者かも、証人の答弁拒否に手を貸した告発でないかどうかも分かり、展開は違ったはずである。野党の過去の経験を生かしてない学習不足と言いたい。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔
コメント (2)

未来は明るいと信じたいが…

2018-03-26 12:46:48 | 民主主義・人権
今月に入ってから、昨年来問題となっている森友学園に関する公文書が改竄されていたことが判明した。森友学園問題に関する新たな事実が報道されるなか、民主主義を根幹から揺るがすような不正を平然と行う安倍内閣に対して総辞職を要求する人々が、国会前や繁華街で連日抗議を行っている。

抗議を呼びかけ、中心となって活動しているのは主に20代の若者たちだ。「真っ当でまともな政治を実現してほしい」と必死に訴える声には切実さがあり、誰もが生きやすい世の中を作るため、決して人任せにはせず、おかしいと思ったときに自ら声を挙げる姿は頼もしいとしか言いようがない。

彼らの姿を見ていると、日本ももう少しまともな国になるのではないか、自分たちが日々考えていること、このような場で発信していることも決して無駄にはならないのではないか、できることはいくらでもしたいと思える。

しかし、同じ20代でも何らかの意見を述べるわけでもなく、日々行動している他人を罵倒しているだけの人もいる。大勢の人の前で必死に訴える同世代の人に対して、上から目線で評価をするだけの人物もいる。

3月18日に、奥田愛基さんが新宿駅の西口で演説をしていた時、近くにいた奥田さんと同世代と思われる若者たち数人が「馬鹿野郎」「いちいちうるせえんだよ」「お前は引っ込んでろ」と怒鳴っていた。

わざわざ他人を非難するためにこの場に来たのだろうか。非難する相手が違うのではないだろうか。それに、奥田さんや「未来のための公共」のメンバーたち、応援に駆けつけてくれた弁士の人たちに野次を飛ばしたところで、自分たちの暮らし向きが決して良くなるわけでもない。そんなことをしていても状況は変わらないはずだ。

また、街宣を行っている付近を歩いていた、おそらく20代の女性と見られる三人組は、「自分たちとそんなに年変わんないのに政治とか興味持ってて偉いよね」「すごい」と話していた。しかし、足を止めるわけでもなく、上から目線の感想を言いながらどこかへ行ってしまった。他人の行動を妨害するわけではないが、決して自分の意見は言わない。そして、自分たちが暮らす世界の未来を誰かに任せてしまっている。

同じ場所で同じ時間にあまりにも温度差のある行動や言動を目にして、この先がどうなるのかわからなくなった。一人でも多くの人が、国のトップが国民を愚弄するような現状に「おかしい」と言わなければいけないはずなのに。

「護憲+コラム」より
見習い期間


コメント

0325緊急新宿大街宣・参加報告

2018-03-25 23:07:46 | イベント情報
今日3時半から新宿伊勢丹前で行われた「内閣総辞職を求める緊急新宿大街宣」に参加してきました。伊勢丹前の車道が解放されていて、手に手に思いのたけを描いたプラカードを持った人たちが続々と集まってきます。



開始時間の3時半には車道はビッシリと埋まりました。私は早めの時間に着いたので前の方に陣取ったのですが、私の前をざっと数えて300人位は居ましたから、全体では2000人以上集ったのではないかと思います。(*追記あり)

        

主催した「未来のための公共」メンバーの若者たちの発言は、夫々に日々の暮らしに基づいた「おかしい」という感覚が素直に語られていて、その真っ直ぐな怒りの言葉は私の胸にもストレートに届きました。(みんな本気で怒っています!)



野党議員の発言では、共産党・志位委員長の「首相は『知らなかった』というが、公文書改ざんは国民主権、議会制民主主義を破壊する犯罪行為だ。知っていたらすぐにアウトだが、こんな大事なことを知らなかったら、それも行政の最高責任者としてアウトだ」の言葉が、追及すべき問題の本質だと感じました。



報道によれば、安倍首相は、今日の自民党大会で「行政に対する信頼を揺るがす事態であり、責任を痛感している。最終的な責任は私にあり、改めて、国民に深くおわび申し上げる」と言い、その同じ口で、憲法改正について、「いよいよ、結党以来の課題の憲法改正に取り組むときが来た」と語ったということです。

でも、国民は「おわび」は支持率が下がった時の常套句で責任を取る気がないことをもう充分に知っているし、憲法を守らない総理の手による改憲なんて、「バカ言ってんじゃないよ」というのが大方の受けとめだということを、今日の新宿の光景を見たら、自民党議員でさえも気付かされたのではないでしょうか。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子

===
3月26日追記:

今朝の東京新聞によれば、昨日の新宿伊勢丹前には約8000人(主催者発表)が集まったとのことです。

後ろを振り返っても人がギッシリ詰まっていて、どこまで続いているか見えなかったのですが、歩行者天国を埋め尽くしていたとのこと。すごかったんですね~。

好天気の中、同じ思いを持つ人たちが歩行者天国に集う解放感は、なかなかのものでした。(笹井)
コメント

自民党「憲法9条改憲条文案」

2018-03-25 11:47:14 | 憲法
『自民党は二十四日、憲法に自衛隊を明記する三つの九条改憲案を一本化し、地方組織の代表を集めた会合で初めて示した。二十五日の党大会を前に、検討を進めてきた改憲四項目の条文案が全て出そろった。安倍晋三首相は年内の改憲発議を視野に「成案を得るため、最終的な議論を積み重ねていかなければならない。結果を出していきたいと決意している」と強調した。』(3月25日東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201803/CK2018032502000116.html

改憲四項目とは、①自衛隊明記 ②緊急事態条項 ③教育充実 ④参院選「合区」解消と、それぞれに問題の多い内容となっていますが、昨日の投稿の続きで、まずは『自衛隊明記』の部分を見てみたいと思います。

***
《自民党がまとめた改憲条文案》

第9条 (現行どおり)
憲法9条の2 (追加)
①前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
②自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
***

東京新聞は上記記事の中で、『自衛隊は安全保障関連法で他国を武力で守る集団的自衛権を行使できる組織に変質している。憲法に自衛隊を明記することで、自衛隊の任務は正当化され、違憲性が指摘される安保法が追認される懸念がある。』と指摘しています。

それはその通りですが、それより何より、論理の一貫性を無視して、「難しくてよく分からないけど・・・」という国民の、漠然とした賛同を味方につけて、二項の空洞化を図ろうという意図が見え見えです。

こんな騙しの手口にのって、国の最高法規を選択させられるという、うっかり者の私たちではありたくないですね。憲法9条の持つ意味と自衛隊の位置づけについて、私たち自身、今一度真剣に捉え直す必要がありそうです。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子
コメント (1)

0325緊急新宿大街宣

2018-03-24 16:21:07 | イベント情報
『新宿伊勢丹前にて「内閣総辞職を求める緊急新宿大街宣」を行います。
3月25日(日)15時スタート。新宿伊勢丹前へ。』
呼び掛け:未来のための公共
https://twitter.com/public4f

お時間の取れる方は是非参加して、内閣総辞職を求める私たちの意志を示しましょう。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
コメント

9条改憲、「二項を残して空洞化・・・」「日本会議」関係者案

2018-03-24 15:53:41 | 憲法
***
9条改憲で、「日本会議」関係者 首相提案前に同様案

 自民党がまとめた自衛隊を明記する九条改憲案を巡っては、以前から改憲勢力の間でよく似た提案がなされてきた。安倍晋三首相が昨年五月、戦力不保持を定めた二項を維持して自衛隊を書き込む案を掲げる前にも、保守系団体「日本会議」の関係者らが同様の案を提唱。「二項を空洞化させる」「「普通の国家」になる」との狙いも掲げられている。
 
 日本会議の政策委員で、首相のブレーンとされる伊藤哲夫氏は2016年9月、自ら代表を務めるシンクタンク「日本政策研究センター」(東京都)の機関誌で「残念ながら世論の現状は『戦後レジームからの脱却』といった文脈での改憲を支持していない」と指摘。そのため当面九条二項を維持し、「国際法に基づく自衛のための実力を保持する」との三項を加えることを提案した。
 
 同年十一月の機関誌は、別のセンター幹部による寄稿を掲載。「速やかに二項を削除するか、自衛隊を明記した三項を加えて二項を空洞化させるべきだ」と主張している。
(略)
 伊藤氏らの案が首相提案につながったかどうか、同センターは明確な見解を示していない。
***
(3月24日東京新聞朝刊)

ははん、やっぱりね。安倍政権とそれを支える人たちって、自分たちの望む形に国を作り変えるためには、虚偽を交えること、一般国民を騙すことに何のためらいのない集団なんですね。

今起きているモリ・カケ問題しかり、自衛隊の日報問題しかり。国会の場で日々白昼堂々と騙しの手法を使い続けてはばからないのですから、全く私たち国民もなめられたものです。

最近ようやく「安倍総理の人柄が信頼できない」という理由で安倍内閣を支持しない人たちが増えてきましたが、改憲論議も「二項を残して抵抗感を軽減しつつ空洞化する」というふざけた意図を公言する人たちによるものだということを、私たちはしっかり認識しておく必要があるようです。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子
コメント

NHKにとって、今年は「言論・報道の自由」元年となるか

2018-03-23 21:05:17 | マスコミ報道
NHKは今日(3/22)のウエブニュースで、「NHKの平成30年度の予算が衆議院総務委員会で全会一致で承認されました。」と報じている。その中で注目すべきは国権の最高機関である国会で下記に抽出した付帯決議事項が全会一致で賛成議決されたことであり、中でも特筆すべきは当スレッドでもウオッチし続けている2項の、「去年12月の最高裁判決」に関する議決であろう。

(以下はNHKウエブニュースより転載)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180322/k10011374831000.html?utm_int=news-po
litics_contents_list-items_007

3月22日 17時46分

『この予算は22日の衆議院総務委員会で採決が行われ、全会一致で承認されました。また委員会では付帯決議も全会一致で決めました。
【付帯決議】
・平成25年に首都圏放送センターの記者が過労で亡くなられた事実を重く受け止め、長時間労働による被害を二度と起こさないよう全力で取り組むこと。
・去年12月の最高裁判決にも鑑み、公共放送の存在意義や受信料制度に対する国民・視聴者の理解促進や信頼感の醸成にNHK一体となって一層努めること。
・繰越金の現状や今後の事業収支の状況を踏まえ、国民・視聴者の理解を得られる受信料の在り方について受信料額の引き下げの可能性も含めて、業務やガバナンスの在り方と合わせて検討すること。
・インターネット常時同時配信など通信分野での業務で国民・視聴者のニーズや動向を的確に把握し、通信分野でのNHKの在り方についてできるだけ明確にその姿勢を示すよう努める、などとしています。』(以上ウエブニュースより)

但しこのニュースについて、NHKテレビは午後6時のニュースでは報じたが、午後7時、ニュースウオッチ9では報じられなかったようなので、知らない視聴者が多いのではないかと想像する。付帯決議事項はNHKには不都合な事項かも知れないが、視聴者には知らして欲しい国会決議事項である。これではニュースウオッチ9になってないし、ならない。

「護憲+BBS」「NHKの報道・二ュース内容をウォチングしよう」より
厚顔
コメント

国家主義者の発想(安倍流政治の毒)

2018-03-21 17:17:52 | 自民党政治
文科省の前次官、前川喜平氏が行った名古屋市立中学での講演内容や実態について、文科省が問題視、市教育委員会に何度もメールを送っていた。この背後に、自民党文科部会会長の赤池誠章参院議員(比例)と部会長代理の池田佳隆衆院議員(比例東海)の2人の露骨な関与があった。自民党文科部会のトップ2人が、教育現場に露骨な“政治介入”した事になる。

この2人には、戦後教育の出発点がどこにあったか、という知識もなければ、戦前教育の反省点がどこにあったかという歴史的な問題意識もないのだろう。だから、平気で教育現場に対する“政治介入”ができる。2人は典型的な安倍チルドレンで典型的な「国家主義的思想」の持主らしい。

カーリング女子と裁量労働制法案」でも触れたが、欧州(特にオランダ)の民主主義的思想は、公(国家)・公共(PUBLIC)・私 とをきちんと分けて考える。間違っても、私≒国家などという思考は取らない。ところが、日本の民主的思考は、公(国家)・私はあるが、「公共」という考え方が弱い。特に西欧流の「PUBLIC」という思考が希薄である。

戦後民主主義は、昭和20年代は「PUBLIC」思想を構築するために、公立学校で積極的に子供たちの「自治活動」が奨励された。わたしたちの年代では、「生徒自治会」が盛んにおこなわれ、積極的に子供たちが参加した。

ここでのキーワードは「自治」。子供たち自身が「話し合い」、自分たちの手で自分たちの学校生活の秩序やルールを作り上げていく過程で、「西欧流PUBLIC」≒「日本流公共」を学び、自分たちの血肉と化していくことで、戦前の戦争を主導した「国家主義的思考」を克服するという願いが込められていた。(※ オランダ流民主主義の原点である洪水の防ぎをどうするかという話し合いのやり方の追体験)

ところが、戦後復興が進み、日本が経済大国に成長するにつれ、国内では戦前の深刻な戦争体験が風化。政治的に、自民党一党支配が固定化するにつれ、教育現場では「自治会」という言葉が消えていった。代わって使われたのが、「生徒会」。教育現場から、「自治」という言葉がじょじょに消え失せていった。

この傾向はじょじょに地域共同体にも浸透し、「各部落の自治体」だったものが、「部落会」という名称に代わっていった。それにつれ、「地方自治体」の力が減殺され、国の力が大きくなった。中央政府から補助金をもらい、何とか地方の行政をやりくりするいわゆる「補助金行政」が当たり前になった。戦前型、否戦前より強力な「中央集権国家」の成立である。

安倍政治は、戦後強力になった「中央集権型民主国家」を、「中央集権型独裁国家」に変貌させるのが目的である。

冒頭に述べた自民党代議士の教育現場への介入は、この文脈で行われている事を忘れてはならない。

「愛国無罪」という言葉がある。例えば、誰が見ても非道で、反国民的で、自らの利益のためなら平気で国益を売り渡す売国的政治家を暗殺したとする。暗殺者の動機は、国を愛するがゆえに、このような政治家を許せないと思った点にある。

近代的法治国家なら、たとえ動機が正しくても、暗殺者の行為は「殺人」である。「殺人罪」で起訴され、裁かれる。これが常識。ところが、法的には殺人でも、動機が「愛国心」に満ち溢れているのだから、暗殺者の行為は罪を減ぜられるべきである、という議論がある。

実はこの思考は意外に感覚的賛同者が多い。右派的思考に絡めたとられた人間にもこの傾向が強いと思う。

今回、教育現場に“政治介入”した自民党議員2人も同じだと思える。彼らの動機が何かは、議論があるようだが、彼らは平気で戦後教育のタブーを破った。自分は愛国者で、前川前文科事務次官は、自分たちに逆らう反逆者。少々のことをしても問題ない、と考えたに相違ない。

この思考法を見れば、彼らの脳裏に「PUBLIC≒公共」という視点が全くないことが良くわかる。彼らの脳裏にあるのは、「国家=自民党=私」と「前原前次官=国家に対する反逆者」という図式しかない。だから、平然と教育現場への“政治介入”ができる。

もし、彼らの頭に「PUBLIC≒公共」(皆で考え、話し合い、みなで決めた事柄を尊重し、政治はそれを法制化するのが仕事)という思考があれば、国が教育現場を支配し、国の思い通りに国民を扇動したことがあれだけ悲惨な戦争を招いたのだから、決して国が“教育現場”へ介入し、教育を一元的に支配するようなことをしてはならない、という戦後教育の出発点の真の意味を分かったはずである。

財務省の公文書改竄事件(森友問題)も根は同じ。財務官僚たちが、「PUBLIC≒公共」の視点を忘れているからである。

たとえ、総理大臣の妻が背後にいたとしても、国有財産を適正な価格で売買するというのは、「PUBLIC≒公共」の利益である。官僚はこの「公共の利益」に従わなければならない。「官僚は国民全体の奉仕者」というのは、そういう意味である。

わたしたちは、今こそ「PUBLIC≒公共」の意味と重要性を考え見直さなければならない。「公=公共」では決してないことを、安倍政権の暴政が可視化された今だからこそ、国民一人一人が考え直す好機である。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
コメント (1)