老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

福島県民の静かなる怒り

2012-01-31 19:29:47 | 原発
「(原発事故の)収束宣言を聞いた時は『はぁ?』って感じでしたよ、実際」
「オレら、(原発)事故当日に相当(放射性物質を)浴びてると思いますよ」
これは仕事で福島県福島市を訪れた際、30代の息子さんがさらりと発した言葉です。おそらく彼だけではなく、この地で生活している多くの人々が同様に思っていることでしょう。東日本大震災発生の翌日、断水の中で多くの福島市民が屋外で給水車の前に長い列を作っていました。その最中に福島第一原発は水素爆発を起こし、広範囲に放射性物質をまき散らしたからです。
 
福島県は山脈を隔てて大きく3つの地域に分かれます。今回事故を起こした福島第一原発がある太平洋側が「浜通り」、東北本線・新幹線が通る中央が「中通り」、磐梯山・猪苗代湖がある内陸側が「会津地方」です。

昨年3月の原発事故以来、福島県双葉郡を中心とした浜通りは生活・経済・政治のいずれも壊滅状態となっています。そこで普通に生活していた人々は強制的に避難させられた場所でコミュニティを分断され、見えない健康被害におびえ、将来設計もできず不安な日々を過ごしています。
 
中通りに本社がある某大手企業は浜通りの店舗兼工場を閉鎖し、生産設備を撤去しました。「生産活動ができない建物や敷地に賃貸料を払い続けることはできない」というのが直接的な理由ですが、将来的にお客様も来ないし従業員も確保できないという判断です。当然、そこに「人」が住んでいなければ農業・工業・商業は成り立ちません。

地震・津波の自然災害だけならば、時間はかかっても浜通りは復興できます。しかし、安全神話にあぐらをかいた原発事故という「人災」は、浜通りという国土を抹殺してしまいました。東京電力という厚顔無恥な一民間企業による未曾有の犯罪をごまかし、政府・原子力ムラの犯罪者を特定できなくするために原発事故の「収束宣言」は発せられたのでは・・・置き去りにされたフクシマの惨状と民意を目の当たりにして、そう邪推しました。
 
そして、中通り。福島市内は一見平穏に見えますが、多くの子供や女性が自主的に県外へ避難した影響で生活圏が徐々に崩壊し、経済が冷え込んでいます。かろうじて売上(宿泊、購買)に貢献しているのは、皮肉にも政府関係者・応援の警察官・マスコミ関係者だそうです。そして福島駅周辺には、行き場を失った強制避難者のホームレスが顕在化していると・・・何ということでしょうか。

東京電力が一次支援金をケチる、役所が失業手当の支給を打ち切る、仮設住宅に居住期限を設ける・・・これだけ想定外の震災・人災が起きたというのに、どうしてこうも杓子定規な政策のみ先行するのでしょうか。官僚・役人の論理は「前例がない。阪神淡路大震災の支援とのバランスがある」なのだと思います。そして、面倒な施策には消極的に、省益になる施策には拡大解釈を。加えて、相変わらずの縦割り行政による弊害・・・復興庁も怪しい雲行きとは!
 
こういった「前例がない」時こそ、不幸な国民を助ける政策を大胆に打ち出し、官僚を指揮するのが政治家の役割だと思うのですが、泥臭くない、泥にまみれるのが嫌いなエリート・ドジョウ内閣では無理なんでしょうね、きっと。

「護憲+コラム」より
猫家五六助


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民主党員たちよ、原点に返れ!

2012-01-30 11:43:02 | 民主党政権
旧聞も旧聞、遥か前のことのようにも思えるが、他党から「綱領も持たぬ政党」呼ばわりをされて、「綱領」はなくとも「基本理念がある」と胸を張って切り返していたと記憶する。
 
「政権交代」を現実のものとした衆院選挙を一度やったきりで、早くも三代目となった総理を生んだ衆院第一党のボロボロぶりに呆れ返って、その「基本理念」なるものを読み返してみた。

民主党員、なかんづく、永田町に屯する党員達よ。あなた達の多くは、この「基本理念」に始めから距離を置いていたとでも言うのだろうか。羊頭狗肉、これは世の常、青っぽいこと言うなよとでもしたり顔で説くのか。政権交代の負託を受けた時に掲げた「マニフエスト」同様、これも今では紙屑と化したのか。

もし、そうでないと言うならば、今繰り広げているガタガタが、いかに「基本理念」とかけ離れ、「負託」に背を向けたものとなっているかを確かめてみよ。

「消費税率の引き上げ」、これが目的と化している。立法・行政・司法の三権は、何のために必要とされ、存立しているのか。現代において「税」とは如何なるものなのか。

これらへの答えは、「基本理念」を熟読玩味すれば、自ずと浮かび上がってこよう。

原点に立ち返ることを願うのみである。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
百山
コメント (2)
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「放射線を浴びたX年後」今日深夜放送

2012-01-29 16:39:17 | 原発
きょう(1月29日)の深夜0時50分から日本テレビ系で放映されるドキュメンタリーを数日前の新聞で紹介していました。
「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして・・・」です。

ここから引用・・・・

日本の現代史を塗り替えるぐらいの衝撃的な事実を突き付ける番組だ。米国が1954年に太平洋のビキニ環礁で実施した水爆実験がもたらした被曝被害の実態と真相が歴史から消え去った背景を浮き彫りにする。

引用ここまで・・・・

被害の全容に迫ったのは高知県の高校教師。当時述べ千隻以上の漁船が南の海に向かったはずなのに、第五福竜丸が被曝した事件としか知られていないことに疑問を持ち、漁船乗組員を訪ね歩いたそうです。そして多くが若くしてガンで亡くなっていることを突き止めたそうです。

愛媛県・南海放送のディレクターがこの調査に光をあて、調査報道を開始。
なんと日米両政府は、水爆実験からわずか7カ月後に200万ドルの慰謝料で事件を封印したのだそうです。

「深夜帯だが、私たちは番組の訴えを知る義務があるとさえ思う。58年前と『今』は悲しいまでにつながっている」と紹介文は結ばれています。

その後、「原子力の平和利用」のキャッチフレーズで、日本に原発が導入されていったのですね。

「護憲+BBS」「脱原発の実現に向けて」より
コナシ
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僅かだが無駄な歳出だ

2012-01-29 16:38:15 | 東北地震
昨年末、政府(財務省)は東日本震災復旧・復興対策に当てる「個人向け復興国債」を一般募集したが、結果は直近の国債より応募が多かったと報じられていた。これも国民が被災地の復興を願っているからであろう。

ところが先日証券会社から、安住財務大臣名の礼状と後日財務大臣名の感謝状も送付されるとの案内文書が郵送されてきた。基本的には一般の個人向け国債とかわりはなく使用目的が規定されているだけである。

一般国債では財務大臣の感謝状など発行していないのに今回だけ特別に感謝状を発行する必要もあるまい。今時お国からの感謝状を額縁に入れて部屋に掲げる人は少数派であろう、しまい所に困るのが落ちである。

政府は財政厳しき折、紙代と印刷代と郵送代等無駄な経費等使わずに記者会見でお礼を済ませればよいのである。そして一方で増税されたら庶民はたまらない。財務官僚はこれらの費用も税金であることを忘れるな、もっと「もったいない精神」を養え。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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東大は学問の自由と自治を護れるか

2012-01-29 16:30:50 | 教育
26日の日経新聞は、「文部科学省が大学政策の実務の責任者である高等教育局長を東京大の理事に出向させる異例の人事を行った」と報じ、そのことについて、『浜田純一学長は26日の報道各社との懇談会で、「文科省からの出向が悪いとは思わない。基本は学長が理事を使いこなす力を持ち、言うことを聞かないなら辞めさせるというスタンスを取れるかが大事だ」と述べた。』と報じている。

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E0E4E2E7EA8DE0E4E
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このことについて憲法第23条、「学問の自由は、これを保障する。」を照らして見るならば、このような人事が将来にわたって国立大学に定着すれば果たして学問の自由と大学の自治が保障されるであろうか危惧せざるを得ない。浜田学長は、「言うことを聞かないなら辞めさせるというスタンスを取れるかが大事だ」と能天気なことを言っているが、将来ともそのような学長ばかりではないであろう。言うことを聞かずに辞めさせられ、辞めざるを得なくなるのは、時の政府や行政に異を唱える教授であり学説であることは歴史が証明している。

1933年の京大滝川事件や1935年の東大美濃部達吉天皇機関説事件等の、国会や行政府の思想弾圧の歴史を見れば明らかである。まして文科省がら出向してきた官僚理事がそのような場合にどちら側に立つか自明の理である。

またこのような極端な場合だけでなく、次のような弊害が日常発生することも予想される。
例えば政府や国会の意にそわない教授を無視したり、研究予算を削除したりする嫌がらせである。このこと自体がすでに憲法23条を無視する行為である。また狡猾な官僚理事であれば異を唱える教授の追放は簡単であろう。不明朗な研究費の使い方や業界からの寄付金の授受を調べ槍玉に挙げて来るのでる。

第二の弊害は東大が理事を受け入れれば、全国の国立大学が右え習いして、どこを切っても金太郎飴のようになり、大学の特長と自治は失われかねない。その挙げ句、国立大学は文科省の天下り先になり、文科省の意のままに操られ、また将来橋下大阪市長が文科大臣にでもなれば京大事件を引き起こした鳩山一郎文部大臣の二の舞を演じ、もっと恐ろしいことになりかねない。いわゆる百害あって一利無しと言っても過言ではあるまい。

新聞報道からは今回の出向がどのような理由で成されたのか定かでないが、仮に今回の東電の原発事故に関連して東大原子力工学科と経産省の原子力保安院や内閣府の原子力安全委員会との関連並びに東電との関係を文科省として実態調査するためであれば一理はありそうだが、そうでもなさそうである。例えそうでも憲法23条に照らして出向は期限限定とすべきである。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔の美少年
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私見:岡田嘉子-しなやかに美しくそして強かに-

2012-01-26 20:59:07 | 民主主義・人権
昨年、NHKプレミアムで「ソ連収容所大陸―岡田嘉子の失われた10年」を見た。1994年に放送されたものの再放送で、17年も前の番組だが、今見ても色あせることのない素晴らしい内容だった。

岡田嘉子、年輩の方の多くはご存じだろう。新劇女優で映画女優、トーキー時代の銀幕を飾った大スターだった。

それよりも何よりも岡田嘉子の名前を人々の記憶に刻み込んだのは、1938年(昭和13年)1月3日演出家杉本良吉とともに樺太国境の雪の荒野を超えソ連に亡命したことである。当時の新聞は、「国境を超える恋」だとか「雪の逃避行」だとか、センセーショナルな題名をつけ、大々的に報道した。

しかし、この二人を待ち受けていた苛酷な運命は、時代と政治に翻弄された人間の哀れさ、惨めさ、卑小さでは表現しきれないものだった。

共産党員だった杉本良吉は、当時日本を覆い尽くし始めた文化統制・言論統制の風潮の中で表現者としての限界を感じていた。彼は、当時ソ連の演劇界をリードしていた【メンエルホリド】に師事し、新たな可能性を見出そうとしていた。

岡田嘉子はその杉本に惚れぬいていた。彼の欲することは何でも聞いたのであろう。事実、この番組でも、後にNKVD(ソ連内務省内務監獄)で同室になったマリアーナ・ツインは、「恋のためソ連に来た」と岡田から聞いたと証言している。

もともと彼女は男に「惚れたら命がけ」のようなところがあり、事実彼女の男遍歴は、当時の女性としては凄かった。服部義治(男児をもうけている)、山田隆弥、竹内良一との駆け落ちなどは有名。・・ウイキペデイア・・
その意味では、スキャンダル女優、奔放な女性という世評もあながち的外れとは言えなかった。

しかし、わたしは、岡田嘉子のように自分の築き上げたキャリアを1人の男のために捨て去ることのできる凄さには敬服する。とてもかなわない、と思う。その強さは彼女のその後の人生にも生かされている。

以下、杉本と彼女の辿った運命を年表風にまとめてみる。・・武田清―「メイエルドルフの暗い環」より引用―
1938・1・7 NKVD議長エジョフ名で逮捕状(スパイ罪)
       アレクサンドロフスク(サハリン)移送
 →ハバロフスク移送→苛酷な拷問による取り調べ⇒嘘の自供
1938・2・21 囚人護送列車でモスクワへ移送
1938・3・13 モスクワのルビヤンカ(NKVDの未決監獄)
1939・6・29 ブドウイルスカヤ監獄 移送
1939・8・4 ソ連邦最高会議軍事委員会へ起訴
1939・9・27 二人に判決 岡田嘉子 禁錮10年
            杉本良吉 銃殺刑(10・20執行)
1939・12・26 モスクワ北東800KMのビヤートカ収容所に移送
1943・1・4 モスクワ移送⇒ルビヤンカ女性用監獄 マリアンナ・ツイン(後のロマン・キム夫人)と同室。
1947・12・4 釈放 ⇒プログレス【外国図書】に就職
           社長がロマン・キム
1948・4   モスクワ放送 外国局日本課就職

無味乾燥な数字の羅列に過ぎないが、よくよく読むと、いかに彼女たちの運命が、世界情勢や政治に翻弄されたかが凝縮して表現されている。

大状況から見てみよう。まず、1938年【昭和13年】という年である。前年の1937年には、盧溝橋事件があり、日本と中国との間で当時日支事変と呼ばれた戦争が始まっていた。

その前年の1936年には2・26事件が起き、日本は、国内的には軍部独裁、対外的には満州事変、リットン調査団報告、国際連盟脱退など国際的孤立化を深めた、いわゆる超国家主義的国家への道を転がり落ちていた時代だ。

ソ連は、スターリンによる独裁時代。1936年にはスターリン憲法制定。1936年~1938年にはスターリンによる大粛清が行われていた。対外的には、西では、ナチス・ドイツが虎視眈々とソ連邦侵略を狙っており、東では日本の大陸侵略が行われていた。スターリンは、このような世界大戦前夜の困難な状況をいわゆる共産党一党独裁体制の強化により何とか打開しようと試みていた。

このような情勢下で、岡田嘉子、杉本良吉二人は国境線を越えたのである。当然ながら、この二人の動向は、ソ連邦首脳たちの大きな関心を引いたであろうことは想像に難くない。本当に政治亡命なのか、それとも日本から送り込まれたスパイなのか。

年表を引用させてもらった武田清氏は「メイエルドルフの暗い環」の中で、興味深い視点を提示している。

スターリンの狙いは、杉本良吉が学びたいとしたソ連演劇界に多大な影響力を持っていたメイエルドルフの粛清だった。如何に世間知らずの若手演劇家だった杉本でも何の見通しもなく樺太国境線を越える決心をするはずがない。彼にはメイエルドルフの弟子になれる見通しがあったはずだ。

当時メイエルドルフの下に二人の日本人が勉強していた。一人は佐野碩、一人は土方与志。後に佐野は共産党からの転向宣言で有名になる。おそらく杉本の国境越えは、彼らの援助を期待してのものだったに違いない。しかし、彼らは、杉本の国境越え前に、メイエルドルフの下を去っていた。理由は、スパイの嫌疑をかけられたからだと推測されている。

杉本や岡田嘉子の「スパイ容疑」での逮捕は、この文脈で考えれば、理解できる。何としてもメイエルドルフ粛清を狙っていたスターリンの思惑に岡田嘉子、杉本良吉の二人はぴったりだった。この亡命劇を最大限に利用しようと考えても不思議はない。

これが、1938・1月の逮捕以降の苛烈な拷問による尋問に結実している。岡田嘉子は、連日連夜、ほとんど一睡もさせてもらえず、苛酷な取り調べを受けた。そしてついにスパイ容疑を認めた。彼女は、自白調書を取られた直後、杉本の取り調べ室から杉本の悲鳴のような声を聞いている。自分の自白が杉本にどのような影響を与えたかを、その耳で聞いている。彼女の悔恨は、ここから始まった。

彼女は、ビヤートカ収容所で三通もの上申書を書いている。自分は決してスパイではない。わたしの自白は拷問によるもので、真実ではない。「ソ連収容所大陸―岡田嘉子の失われた10年」で映された彼女の上申書の文字は、彼女の悔恨の深さを物語ってあまりある。

同じ番組で、ナビゲーター岸恵子が訪れたビヤートカ収容所の女子棟は、酷いあばら家だった。(収容所廃止の後民家として使用されたので、奇跡的に残っていた。)こんな場所で、零下40度を超える凍てつく寒さの中で彼女は生き抜いてきた。

同じ収容所にいた男性の証言によれば、眠る所は男女別だったが、仕事は一緒だった。女性の収容者に対する性暴力は日常的で誰もそれを不思議とは思わなかった。妊娠した女性は、病院に移され出産し、その子供は女性の親族が引き取るか、多くは孤児になった。

岡田嘉子は、そんな中、「はきだめに鶴」のような存在だったようである。彼女はここでの三年間、泣き暮らしていたそうだ。彼女に淡い思いを抱いていた同じ収容所にいた若い囚人(今は老人だが)は、岸の問いに答えて、遠いところを見るような眼で、「彼女を守らなければならないしね」と答えていた。

そのような環境の中で彼女は必死に上申書を書いた。彼女を突き動かした想いは、何だったのか。杉本に対する罪責の念か、それとも自らの運命に立ち向かおうという意志だったのか。私には、自らのレーゾンデートルの確認作業に見えた。正しさも過ちも含めて自らの人生の正当性の証明への執念に見えた。

1943年、NKVDへの移送については、対日本との戦争に備えて、彼女の日本語力を利用しようと考えたスターリンなどソビエト政府の意図が働いていたことは間違いないだろう。なぜなら、他の囚人たちは、収容所で命を落とすケースが大半なのに、彼女だけNKVDへ移送されるというのは他に説明が考えられないからである。

現にNKVDで彼女と一緒だったマリアーナ・ツインは、日本語課出身だった。彼女は、嘉子について、「ロシア語以外しゃべらなかった」と語っていた。同時に「嘉子は一度も泣かなかった。非常に冷静だった」とも証言している。ビヤートカ収容所では泣き暮らしていた嘉子がNKVDでは泣かない女に変貌していた。この変貌に収容所での苛酷な体験が投影されている。

戦争が終わって2年後岡田嘉子は釈放される。NKVDのことは何も話さない、という誓約書を書いて釈放された。嘉子の自伝の中に、その後カザフスタンとの国境の町チカロフ(現オレンブルグ)に住み、朝鮮系ロシア人ウラジミール・パクと結婚したと書いているが、「ソ連収容所大陸―岡田嘉子の失われた10年」の番組でチチロフの町を徹底的に探しても、嘉子を知っている人はいなかった。生き証人の証言という意味では、彼女の自伝のこの部分は、虚偽であることが判明した。

実は、この時、嘉子は、マリアーナ・ツインの夫が社長だったプログレスに就職していた。その後モスクワ放送外国局日本課に就職し、日本語での宣伝放送に携わっていたと思われる。その後彼女はモスクワ演劇大学に入学マヤコフスキー劇場の演出助手をしていた。その後1972年に一時帰国、「男はつらいよ」などに出演。再びソビエトに戻り日ソ友好大使として尽力する。

さて、一緒に逃避行した杉本良吉がどこで銃殺になり、遺体がどこに埋葬されているかわからなかった。1991年黒海沿岸の都市ソチに「鋼鉄は如何に鍛えられたか」の作者ニコライ・オストロフスキー記念博物館から一通の招待状が届く。彼の著書の日本語翻訳を杉本良吉がしていたためである。

岡田嘉子は高齢を押してソチに出向き、杉本良吉の名誉回復に一役買う。その翌年の1992年岡田嘉子は89歳の生涯を閉じた。

柔和で品の良い晩年の彼女の写真を見ると、彼女の苛酷な半生など想像もできない。人の顔には人生が刻まれるというが、岡田嘉子の写真を眺めているとそんな言葉が嘘ではないかとさえ思われる。

わたしの勝手な想像にしか過ぎないが、岡田嘉子という人は、ステンレスのような強靭な感性の持ち主だったのではないかと思う。どんなに泥をかぶり、どんなに汚れても、水で洗えば以前とおなじように光り輝く。そんな人のように思えてならない。彼女のソチ行きは、彼女の人生の最大の負い目である杉本良吉を裏切ったという行為を洗い拭い去る行為ではなかったかと思えてならない。

わたしは彼女を責めているのではない。彼女は、昔のことはすべて忘れたといっても構わなかった。そうしないで、ソチに出かけた。自分の人生最大の汚点を洗い流さなかったら、彼女の人生の意味がすべて失われると思えたのであろう。彼女の人生そのものが、革命と人間、政治と人間の相克の象徴のように思えてならない。

「護憲+コラム」より
流水
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予想通りの施政方針演説

2012-01-25 10:21:14 | 民主党政権
予想通り野田首相から民主党の「国民生活第一、09マニフェスト」実現についての力強い言葉は聞かれなかった。いつまで未練がましく野党自民党に片思いのストーカーをするつもりなのか。かつての演説を引用された麻生、福田元両首相はとっくに熱が冷めてインタビューに応えていたが、その迷惑顔が印象的であった。

一方民主党輿石幹事長も記者から野田首相の演説への感想を求められ、一応首相の顔を立てていたが、首相演説で露呈したのは、幹事長と野田首相の「国民生活第一、09マニフェストの実現」に対する思い入れの温度差である。また、官僚は22日の首相演説を聞いて、首相は特別会計の統廃合や独立行政法人の削減、いわゆる行政改革に対しては岡田副総理任せで熱無しと判断し、安堵したのではあるまいか。

何れにしろ09年の街頭演説と22日の首相施政方針演説でのマニフェスへの取り組み姿勢の違いは歴然としており、とても同じ人間の演説とは思われない。やはり信頼できないとの思いが再燃し始めたところである。

「語圏+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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ドキュメント「大飯原発ストレステストの意見聴取会」

2012-01-21 11:46:55 | 原発
私が入っているメーリングリストに以下の情報が送られました。

原子力発電所、運転再開判断の前提となる「ストレステスト」の結果を専門家が議論する原子力安全、保安委員意見聴取会が1月18日開かれました。以下はその内容をドキュメントしたものです。

以下転載します。

***

東京の杉原浩司(福島原発事故緊急会議/みどりの未来)です。

18日のストレステスト意見聴取会は本当に予期せぬ展開となりましたが、傍聴者が発言し、御用学者や官僚、電力会社の社員たちは野次を飛ばすこともなくおとなしく「傍聴」していました。完全に構図を逆転させ、市民側が圧倒したと思います。

なお、18日の密室での「無効」な意見聴取会に出席したのは岡本孝司(進行役)、佐竹健治、高田毅士、山口彰、渡邊憲夫、奈良林直の6委員でしたが、時間の都合で奈良林、山口両委員が途中退出、最後まで参加したのはわずか4人に過ぎなかったとのこと。ここには枝野経産相に加えて、普段は出てこない深野弘行保安院長も顔を出したようです。なんとか体裁を整えようとしたようです。

以下、お時間のある時にぜひご覧ください。[転送・転載歓迎/重複失礼]

………………………………………………………………………………

皆様

OurPlanetTVの白石です。
昨日の大飯原発のストレステストの意見聴取会。

福井の方々、関西の方々、原発立地の方々に全容を知って頂きたく、30分程度の映像ドキュメントにまとめました。

ぜひ拡散お願いいたします。

<転載転送歓迎>

================================

【ドキュメント】ストレステスト審査~市民を締め出して強行
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1300

原子力発電所の運転再開の判断の前提となる「ストレステスト」の結果を専門家が議論する原子力安全・保安院の意見聴取会。18日は、関西電力大飯原発3・4号機のストレステスト結果について審議する予定だったが、事務局側が、市民の傍聴を認めなかったことから、会議は混乱。4時間遅れの20時過ぎに、別室に会場を移して再開し、市民の傍聴を認めない形で、「ストレステスト(耐性検査)」の1次評価を「妥当」とする審査書案をまとめた。
 
この日、議事進行の混乱を恐れた保安院は、会場に傍聴者を入れず、会場からの中継画像を別室のモニターで視聴する方法を取ったが、傍聴を求める市民20人ほどが反発。開会予定時間の午後4時すぎ頃、意見聴取会が行われる経産省別館11階の会議室に入り込み、同じ会議室内で傍聴させるよう求めた。
 
また、同会議は、司会進行役をしている岡本孝司(東京大学工学研究科原子力専攻)教授をはじめ、阿部豊(筑波大学大学院システム情報工学研究科)教授、山口彰(大阪大学大学院工学研究科)教授が、それぞれ、三菱重工業から200万円、500万円、3,385万円の献金を受け取っているとされている。

このため、市民らは、会議の中立性が疑われるとして、3人をメンバーから外すよう求めたがこうした要求に対して、委員の沈黙が続き、3時間余り会議が開かれない異常な状態が続いた。
 
この間、警察が廊下に待機するような緊迫とした状態となり、事務局は、対応を協議するため、委員に対して別室に移動するよう呼びかけると原発に批判的な立場をとる井野博満東京大名誉教授や元プラントメーカー技術者の後藤政志さんらは「公開は絶対の原則」と主張。事務局の指示をボイコットする事態となった。

午後7時30分頃、保安院の職員は、再度、会議室に現れ、会議を再開すると宣言。市民の傍聴を許さず、別会場で開催すると伝えると、市民らは「枝野大臣を連れて来い」と訴えるなど、会場は騒然とした。

また、井野教授と後藤さんは「傍聴者を認めれば会議に出席したい」とし、公開されない会議は無効であると訴えたものの、保安員側は「傍聴を認めないのが省の方針」として譲らず、2人は会議の参加を拒否。結局、約3時間30分遅れで、意見聴取会は本館17階の別室で再開したものの、出席予定の8人の委員のうち、他の2人の委員も大幅な時間変更が理由で途中退席したため、最後まで残ったのは4人のみだった。
 
福島第一原子力発電所の事故後、原発の再稼働の前提として導入されたストレステスト。保安院は、国内14基の原発の評価結果を電力会社から受理しているが、再稼働に向けて審査結果をまとめたのは大飯原発が初となる。23日に来日するIAEAの審査に間に合わせるために、会議を急いだものと見られる。
 
傍聴を求めた市民らは、一部のマスメディアが、「反原発派が乱入」「委員を監禁状態」などと事実と異なる内容を報じていることについて、正しい報道をして欲しいと訴えた。

転載終わり

***

このような事が起きていたなんて、マスメディアは少しも伝えてないですね。私が気付かなかっただけなのか‥?

原発事故を過去の事として日々私達の記憶から風化させようとする動きがあるように思えてなりません。
3月11日以前の「原発に反対する人達なんて一部の変わった人達」などという空気を蔓延させないために、今何が起きているのかを自分達の問題としてしっかり考えて行きたいと思います。

「護憲+BBS」「脱原発の実現に向けて」より
パンドラ
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社民党への期待

2012-01-20 10:56:23 | 政治
報道に依れば社民党の党首選が20日に告示され、福島党首への対立候補が立候補すると言われているが、最終どうなるのであろうか。たかだか衆参合わせて10名ほどの小政党で今党首選をしている場合であろうか。

今社民党に期待されているのは新しい党首よりも新しいビジョンではないか。福島党首に新ビジョンがなく、そのための党首選であればやむをえないが、連立政権に参加すべきか否かの低次元の党内対立であれば、先般辻元議員が離党した理由と大同小異であり、国民の目に新鮮さは感じられない。

大阪維新の会の橋下大阪市長は、先の大阪都構想で府・市の二重行政の無駄の削減というビジョンで府知事・大阪市長のダブル選挙を制し、独裁的なハシズム旋風を一人で巻き起こし、今やその知名度は既存政党の党首以上である。社民党も現在は10名程の国会議員が居るのであり、国政レベルでは大阪維新の会より上である。党首選より社民党らしい新たなビジョンを今示し得ないとなれば、次の衆議院選で維新の会の後塵を拝すことに成り、国会はますます右傾化しそれでは困るのである。

例えば、永世中立国になることを掲げ、自衛隊の存続は国民投票で決するとか、ブータン国のようにGDPより幸福度で国富を図りそれを追求するための経済対策、或いは原発問題、食の安全と自給率アップ、雇用確保と国内産業立地促進のため税制とワークシェアリングを提示するなど、既存政党の政策転換や批判から脱皮し、橋下劇場のような社民党劇場とビジョンを提示して欲しい。そうしないことには、衰退する自民党、民主党の受け皿政党になり得ると国民は期待しないのではなかろうか。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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英哲よ出でよ

2012-01-20 10:23:05 | 民主主義・人権
かつてない大ごとに出合ったとき、「人」は、ただおろおろとうろたえ打ちひしがれて呆然とするか、かつ然とまなこを見開いてその大ごとを見据え、それを契機・天佑と捉えて歩み来た道を踏みしめつつも新たな道を切り開こうとするか、このどちらかに大別されるとしたものであろう。そして、少なくとも「国・社会を動かしている」と自認・自負する人たちは全て、後者であって欲しいと心から願う。
 
昨年、春浅き東日本の太平洋沿い一帯を襲った巨大地震・津波は、この「大ごと」の一つといえるであろう。これに呼応するかの様に各地に頻発する地震は、人々の不安を倍加させ、防災対策の見直しに伴い表出した遥か昔の津波の痕跡などなど、想定外に押しやってきた事柄の危うさを鮮明にしつつある。
 
特に看過できないのは、いったん制御不能に陥った原子力利用施設にかかる問題であり、某大臣の、時も置かぬ公私異なる見解の表明などは、まさに頭書の前者に属す者の証左、天を仰ぐのみである。この期、後者に属す方々の輩出は、望みようもないものなのだろうか。

だが、「俺が養成する」などの勘違いだけは願い下げにいたしたいものであり、「養成塾の何期生」だとか「塾の新設」などということは、後者には無縁の事柄であると理解できる者こそが、その範疇に入り得よう。社会における善き人生経験の凝縮こそが「政治」に反映され、結果するものであろうから。その意味では、選ばれるべき人の外形基準たる最低年齢の引き上げや、政治に寄生するが如き輩の寄宿先化している衆参両院の在り方の見直しなども、急ぎ行われるべきものであろう。

新しい日本に形を変えて七十年になんなんとする今もなお、この国・社会には「お上」なる言葉・意識が健在である。「主権在民」と言うのは、「言葉」だけのものとして国民の上っ面を吹き抜けてきたかのようである。

あり方をイメージすれば、国民・住民とその象徴たる天皇を最上部に、以下、私的法人、市町村、都道府県、最下部に国が位置し、国はその上層の全てを、都道府県はそれを分担し、市町村は国民・住民に密着して必要なサポートを という図になるべきである。だが、最上部に身を置くべき者達自体にその意識は備わっていない。否、備わることを妨げて推移せしめて来たと言うべきなのかも知れぬ。その証左として「独裁」を叫ぶ者すらを容易に支持する。それが、「お上」なるものへの無意識の反発とも知らぬ気に。

本家「公共放送」を自認する放送事業者よ、国民のために一肌もふた肌も脱いで、その電波を国民の意識向上のために用いよ。これは、何も有り難い「番組」を作れというのではない。録画機器利用の普遍化した今、深夜帯を政党・市民団体等に開放せよ。
 
繰り広げられる「無駄遣い」の数々は、目を覆うばかりとしか言いようもない。今週の「コラム」で書き始められた「居住権は生存権の(重要な)一部」も、党利党略任せの「一票の格差・政治コストの縮減」も、つまみ食いの「秋入学」も、国民の意識を変えることから始まらなければならないであろう。

あの大災害を「天命」と捉えた 時の総理。彼の「天命」とは何であったのか。

英哲よ出でよ。それは「統治者」としてではない。国民・社会を支える「礎石として身を捨てる覚悟の者」としてである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山
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