老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

もう安全神話は要らない

2011-06-26 17:32:35 | 原発
猫家五六助さんがコラムで書いておられたように「原発の安全神話」って何だったのだろうと私も思います。

それと、先日の「サロンド・朔」での猫家五六助さんの発言にあったように、今回の「原発事故」の全貌について、私達には理解できるだけの情報が入って来ないということにも怒りを感じます。情報が隠避されているからなのか?専門家といわれる人達にも把握できないほどの事があの原子炉の中で起こっているのか?

私には、目の見えない人達が大勢集まって、「象」という生きものをまさぐりながら
「象は大きな耳を持っている、耳だけの動物だ」
「いや、象は鼻がとてつもなく長い、鼻だけの動物だ」
「いや、象はざらざらした皮膚で出来ている、全身固い皮膚で覆われているのだ」
と、自分が触った感触だけを頼りに意見を言っているように思えてなりません。

しかし、事は私達の命とこれからの子ども達の未来がかかっているのです。「安全神話」正に「神話」だけを頼りに、象より大きくて凶暴な、「原発」という制御不能なものを
生み出してしまったために、計り知れないほど大きな代償を払い続けなければならないのです。

放射能汚染に関しても、「信頼できる情報」が入って来ません。「安全神話」を失った政府は「身体に直ちに影響を及ぼすことはありえない」と、また第二の神話を作ろうとしています。

おじさん、おばさんは大丈夫ってほんとなの?
ヨウ素、セシウム以外の放射能物質は出ていないの?
放射能が遺伝子を傷つけるとしたら修復出来なかった遺伝子はどうなるの?
癌の心配だけでいいの?
と分からない事ばかりです。

海江田経済産業相はこの今の時期に原発の安全宣言を表明し、「原発再稼働」発言をしました。しかしホットスポットといわれている私が住む街のNPO子育て団体が行政に問い合わせた時の答えは、「洗濯物は屋外に干さない方がよい、子どものためのプールや枝豆取りなどの行事は出来れば避けた方がよい。心配はないと思うが、万が一の事態を考えて」という事でした。

子ども達をプールに入れるのも躊躇する。屋外での長時間保育もためらう。そんな国での「原発安全宣言」っていったいどこが「安全」なのでしょう?もう、安全神話はいりません。汚染された環境の中で生き行くしかないのです。

作家の丸山健二さんがご自身のツイッター6月13日付けで、「誰にでも参加できる至高のボランティア活動とは、原発に異を唱えその全てを廃炉にもっていく姿勢を表明する事だ。原発が存在する限り、この国の未来の設計図は絶対に成り立たない。農業も林業も漁業もあったものではない。それでも推進させたがる連中の性根は自滅の欲で腐っている」とまで述べておられます。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
パンドラ
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神話で動いていた、日本の原発

2011-06-23 09:25:00 | 原発
その昔、国会で「記憶にございません」を連発した人達がいました。「まぁ、なんと都合の良いコトバでしょう!」(某リフォーム番組風) そんなに大切なことを忘れるくらいなら、その役職を降りろ!当時、テレビに向かって毒づいたことを、私はしっかり記憶しています。

ところが、最近は「想定外でした」「そのように思われてもしかたがないです」というコトバが流行っているようですね。素直に謝らない、非を認めない、責任をとりたくない。年俸1,000万円以上もらっている、日本の最高学府を卒業した、権威がありコトバに責任をもつはずの人達が発する言い訳コトバであります。

6月20日、日本の原発事故について経済産業相・海江田さんはIAEA(国際原子力機関)閣僚級会合で、「(事故が起きたのは)技術に対する過信があり、専門家も安全神話の中にいた」と発言しました。(東京新聞6/21付記事)

すごいですね!日本は国際社会に向けて、神話を信じて原子力発電所を監督し運用させていた・・・と公言したわけです。しかも、原子力政策は「誤り」ではなく「過信」だった、と。さらに海江田さんは続けて、今まで海外で発生した大地震や大津波の教訓に関し「安全基準に取り入れなかったのは残念」と話したそうです。自分たちの「落ち度」ではなく、客観視して「残念」と。

こんな無責任なコトバを聞かされた原発保有国が「脱原発」に舵を切るのは当然ではないでしょうか。今まで「先進国・日本は今まで高度な技術と管理能力で原子力発電所を緻密にコントロールしてきた」と思っていたのに、実は「現場丸投げと妙な精神論で無責任な管理を行っていた」ことを知ってしまったのですから。

しかし、この類の言い訳は日本の政界・経済界・専門機関でも使われていますから、海江田さんの発言は大臣のコトバではなく「原子力村の総意」として言わされているのでは・・・と邪推しています。安全圏にいる人間が自分の利益・保身優先で会議を踊らせている。

おそらく、3月12日に福島第一原発が水素爆発を起こして暴走を始めた時も、政治家・官僚・原子力安全委員会・原子力保安院・東電本社のエライ人達は火中の栗を拾わない無駄な会議を繰り返していたのではないでしょうか。

その時、地獄の釜のフタが徐々に開くのを見つめる、パンドラの箱が開きそうな状態の原子炉を眼前にした吉田所長は、煮え切らない東京に向かって叫びたかったに違いありません。「事故は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」(某邦画のワンシーン風)

上層部の決定に背いて海水注入を続けた吉田所長を、誰が責められるでしょうか?現場主義を信条に仕事をしている私も、きっと同じ行動をとったと思います。「生き証人」の彼が闇に葬り去られないよう、私たちは監視を続けなければなりません。葬り去るべきは、原子力ムラ社会の人達です。

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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国会延長はしたけれど

2011-06-22 20:33:29 | 国会
今日で通常国会は終わりであるが、その会期延長を巡って昨日は岡田幹事長・自民党石原幹事長・菅首相の三つ巴の綱引きの様子が報じられていた。結果として、昨夜の段階で菅首相と岡田幹事長が妥協して70日の延長案を自民党に提示し、きょう正式に与野党幹事長会談で通知したようである。

しかし昨日岡田氏は、50日延長して特例公債法案と第二次補正を成立させ、その段階で菅首相退陣にもっていくとの独自案を自民党へ提示していたと言われるだけに、それが菅・岡田会談で反故にされ、野党が求める菅首相の辞任表明を取り付けることができなかったことで、岡田幹事長の面子は丸つぶれである。一方自民・公明両党は4時からの衆議院本会議で延長反対の様子であるが、与党多数で延長は可決されることは自明であろう。

結局自民党の不信任案提出に端を発した今日までの一連の与野党の駆け引きは、政治空白そのものであり、骨折り損のくたびれ儲けというべきであろいう。この責任は全て菅首相と岡田幹事長の洞察力のなさと、党内結束を計れない統率力のなさにある。

本来会期延長は衆議院で多数を占める政府与党が意思決定して野党に示せばそれで済む問題であるが、ここまで政府与党が野党の顔色を見なければならないのは特例公債法案が成立させられないからである。それは政府与党の執行部に、参議院選に負けてネジレ国会を生じ、連立工作に失敗したことへの反省が全くないばかりか、政治力が無かったと言うことである。

結局菅政権は70日延長しても、特例公債法案の成立見通しは立たずじまいである。野党も延長国会で震災復興の第二次補正予算案には協力せざるを得ないとしても、特例公債法案の成立には簡単には応じないであろう。

結果、菅首相はこれまで先送りしてきた谷垣自民党総裁との会談を求め、首相辞任と子供手当修正との引き替えに、第二次補正予算案と特例公債法案成立の協力要請をせざるをえないのではあるまいか。そうであるなら最初から会期延長は30日で十分なはずである。菅首相はそれが厭なら民主党を道ずれに「無理心中解散」するしかあるまい。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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NHKアンケート「今後原発をどうすべきだと思いますか?」

2011-06-22 17:54:19 | 原発
あなたは、今後原子力発電所をどうすべきだと思いますか?
というアンケートをNHKでやっています。

http://www.nhk.or.jp/genpatsu/

意見を書き込む欄もあります。
7月9日(土)のNHKスペシャル「フクシマ後の世界」という番組のためのようです。
どのように使われるかわかりませんが、一応送ってみました。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
コナシ&コブシ
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復興会議は増税より事業仕分けの提言を

2011-06-21 17:16:43 | 災害
復興構想会議は一次提案で復興財源として臨時増税を提言するとメディアは報じている。

http://www.asahi.com/politics/update/0619/TKY201106180557.html

発足間もない頃、五百旗頭(いおきべ)議長は唐突に消費税増税に言及し、越権発言のひんしゅくを買ったことは記憶に新しい。それを承知の上での二度目の言及であるから政治色の臭いが極めて強い。即ち自衛隊の最高指揮官である首相の五百旗頭(いおきべ)防衛大学長への指示と渾然一体と見え、菅首相の要請を勘ぐらざるを得ない。何故なら菅首相にすれば復興会議から増税の答申があれば国会を延長する口実となり、結果として辞任を引き延ばすことにつながるからである。

五百旗頭(いおきべ)議長が最初に消費税増税に言及した際にも各界から疑問視され、与党民主党内からも政府税調や党政調の中で増税論は議論するのが妥当との声が多かった筈である。よって復興構想会議が復興財源に言及したいのであれば、先ずは過去2年間に亘り民主党が公開で実施した「事業仕分けのその後」のことであろう。あの時指摘された事業仕分けは各省庁で順調に進んでいるのか、机上の経費節減策で済まされていないかを検証させ、更に事業仕分けを深化させて、そこから先ず復興財源を捻出する必要があるとの提言が、国民目線に沿うものであろう。

それができないとすれば、五百旗頭議長(防衛大学校長)と御厨(みくりや)副議長(東大教授)は国立大学出身であることと、「大学の事業仕分け」にはノーベル賞受賞の国立大教授が反対していた経緯とを併せ見て、“さもありなん”ということである。仮にそうであれば菅首相の人選の失敗と言わねばなるまい。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「サロン・ド・朔」6月例会のお知らせ

2011-06-21 17:09:57 | イベント情報
6月24日(金)午後6時30分から「サロン・ド・朔」(*)6月例会を開催します。

今回は『超ウルトラ原発子ども』の著者である伊藤書佳(いとうふみか)さんに「原発事故汚染地域の住民になって」のテーマでお話していただきます。

『原発を止めたいと思ってきた自分が、原発事故汚染地域の住民になって、これからどう暮らし、何をしていけばよいのか? についてお話したいと思っています。』(伊藤書佳さん)

福島原発事故による放射能汚染は、福島県内に止まらず、広く関東全域にも及んでいます。この事故の被害当事者として、また多くの原発に囲まれて常に危険と隣りあわせで暮らす日本人の一人として、今後私たちはどう暮らしていったら良いか、ご一緒に考えたいと思います。どうぞ是非奮ってご参加ください。

興味のある方、参加ご希望の方は、「護憲+HP」上にあるメールにてご連絡ください。折り返し会場、ブログラム、参加費、その他詳細をご連絡します。

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☆「サロン・ド・朔」とは、「護憲+」メンバーを主軸に「SNSリアル版」のような形で運営するフリーな集まり(@東京)で、毎月テーマを決めてそれに相応しい講師をお招きし、勉強会・親睦会を行っています。

昨年以降に取り上げたテーマは以下のとおりです。

(2010年)
 1月: 「ベーシックインカムについて」
 2月: 「反軍少年の戦中・戦後」
 3月: 「重慶大爆撃」
 4月: 「普天間移設問題」
 5月: 「祝島の人々と上関原発反対運動」
 6月: 「参院選間近、何を基準にどのような選択をするか」
 7月: 「参院選と今後の行方」
 8月: 「沖縄・日米安保…民主党・菅政権はどこに向かっているか?」
 9月: 「重慶大爆撃の今日的意味」
10月: 「民主党政権、小沢問題、マスメディアの役割」
11月: 「グリーン資本主義は起死回生の切り札となるか」
(2011年)
 2月: 「渡嘉敷・前島の意味」
 3月: 「TPP=自由貿易を問う」
 4月: 「(熟年)アマチュア劇団・かんじゅく座」
 5月: 「「脱・原発は、待ったなし。今後を担うエネルギーは何か?」
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「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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こんな民主党に誰がした

2011-06-20 11:37:19 | 民主党政権
民主党は現在実施している看板政策の「こども手当」を自民・公明の要求で修正せざるを得ない状況に追い込まれている。その最大理由は本年度予算執行に必要な赤字国債を発行するための特例公債法案を、ねじれた参議院で可決できずに店晒しにさせられているからである。

http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110531/mca1105310503002-n1.htm

仮に修正されることになれば、上記報道の通り子供の養育費と家庭の可処分所得への悪影響は避けられないばかりか、民主党の「国民生活第一」の政治理念に基づく09マニフェストの修正ともなる。これから実施するマニフェストの修正であればまだしも、既に執行中の施策の修正となれば、09選挙で民主党を支持した有権者への裏切りであり、その責任は万死に値する。こんな民主党に誰がしたということである。

その責任は鳩山前首相でも小沢前幹事長でもあるまい。昨年の参議院選挙で唐突に独断で自民党の掲げる消費税10%に妥協して敗北を帰し、参議院で多数を失った菅首相の責任である。更に、参議院選敗北の修復で自民党以外の野党との連立工作に失敗した岡田幹事長の責任も重大である。その後もなりふり構わず菅内閣延命のために自民党との大連立に奔走して失敗した岡田・仙谷氏の醜態は見るに絶えない。その挙げ句が民主党の看板政策である「子供手当」を修正する野党との譲歩協議である。

万一特例公債法案成立と引き替えに子供手当が修正されるようなことがあれば、菅首相も岡田幹事長も辞任して、民主党は直ちに新執行部を選出して新内閣で再出発するのが政党政治の常道であり、衆議院で300議席も占める与党の責務である。そして野党が言うように新内閣が今後の野党対策を決定すればよい。その結果支持率を上げられなければ、次の衆議院選挙に備えて、来年の代表選でまた新代表を選び、「国民生活第一」の政治理念に立ち返り、09マニフェストを総括して新マニフェストを掲げればよい。

ところで民主党の次期代表選に関連して、昨日の朝日新聞は小沢グループが野田財務大臣を次期代表に「増税無し」の条件付きで担ぐと報道していた。仮にそうであれば、鹿野農水相や馬淵前国交相支持も下馬評に挙がっており鶴翼の陣形とする小沢氏の深謀遠慮であろう。

鳩山前首相が辞めた直後の代表選では菅氏が直ぐ代表選への出馬表明をしたが、それに即応して菅氏を支持したのは前原氏で、小沢氏は鳩山首相と自身の幹事長辞任の後始末で後手をとり、反りの合わない前原氏に出し抜かれた。その結果無名の樽床氏を担がざるを得ず、代表選に破れた苦い記憶を忘れてはいないはずである。

加えて菅首相は先の代議士会で一定の目処がついたら次の若い世代へ引き継ぎたいと述べており、鹿野農水相より一回り若い野田氏であれば菅首相の言質にも沿っており、菅氏が早期に辞任し易い環境が整うことになる。更に野田氏は「民主党は今の党内対立の怨念を越え一致団結せねばならない」と述べており、残すは野田氏の財務省増税路線を破棄させれば良いだけである。

この問題は野田氏より財務省を制すれば済む問題であり、官僚の体質を熟知し操縦術を心得ている小沢氏にすれば、簡単であろう。例えば財務省の天下りを押さえるか、逆にそうあって欲しくはないが、次期日銀総裁を財務省OBから出すといえばネコにマタタビか、馬面人参で財務省はいちころであろう。もし党是に反してこのような天下りを提示せねばならないとすれば、それは菅首相や野田財務大臣が民主党の反増税路線に背を向け、財務省主導の消費税増税路線に乗ったつけの後始末ということである。

何れにしろ菅首相は、首相を辞めて民主党の市民運動を活性化する役回りが一番似合っているようである。先日原発を廃止して自然エネルギー政策を支持する市民運動の会合に出席している姿がテレビに出ていたが、水を得た魚のようにピチピチして嬉しそうな様子であった。このような反原発の市民運動家が原発推進の自民党とどうして連携しようとするのか解せなかったが、その答えはやはり権力への執着と保身が人一倍強いということであろう。そのためのなりふり構わぬ言動のぶれとパフォマンスが、信用失墜の最大の原因になったようである。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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学級崩壊政局;無恥の人:菅直人(1)

2011-06-19 16:30:48 | 民主党政権
今や、政局記事専門のメディア・政治評論家たちも、一体菅直人がいつ辞めるのか、次の内閣総理大臣は誰になるのか、大連立はどうなるのか、全く先が読めなくてお手上げ状態。一寸先も読めないぐちゃぐちゃのカオス状況である。

菅直人は、日本の政治家たちに共通な感性(儒教的感性)と全くかけ離れている。【恥】の感覚がないのである。【恥】とは何か。字源は、以下のように書いている。
●会意。「心」+「耳」、恥ずかしくてその様子が耳に出る様。「耳」は音符、かつ、柔らかいことを象徴し、心がなよなよとすることを表わすとも(藤堂)。・・

私流に解釈すると、耳とは、人の言葉を聞く器官。他者との関係性を司る。この関係性から自らの心が決まってくる。「恥」という感覚は、この他者との関係性から生まれる。その心の動きが耳が赤くなるという形で見える、という事だろう。

つまり、恥の感覚がないと言う事は、他者との関係性をあまり重要視しないと言う事になる。日本における他者=社会との関係性は、「常識」との関係性という形で判断される場合が多い。

例えば、次の空手道場の教えなどが、日本における「恥」の感性の代表的なものだろう。

http://www.genseiryu.jp/media/magazine/karatedo2002_09/disgrace.html

ブログの筆者が書いている子育ての心得を見れば、かなり現代風にアレンジされているが、日本における「恥」の感覚がこのような育て方から作られてきたことがよく分かる。

世の父親にお願い
●先祖を語り、敬うことを教えよ。
●時間と約束は守るためにある。
●読書は教養の宝庫である。
●正義は力なり、ということを教えよ。そして、力無き正義は無力である。
●子供の前では絶対夫婦喧嘩をするな。
●親は職業に誇りを持て。
●子供に好かれようと思うな。寂しくても我慢せよ。決しておべっかをつかうな。
●子供にやってよいことと、悪いことを徹底的に教えよ。
●弱い者いじめは人間の屑であると教えよ。
●金は天から降ってこないことを教えよ。
●強い身体を創ることを教えよ。気力は体力あってこそである。

世の母親にお願い
●その時々の感情で叱らないこと。
●歩けるようになったら、できる限り歩かせること。
●原則として電車の中では立たせること。(足が丈夫になり、平衡感覚が身に付く)
●転んだら、自分で立ち上がるまで待て。
●どこか擦りむいて血が出たら、出るのが当然と教えよ。
●子供に父親の悪口を言うな。何故ならあなたが選んだ、只一人の人だから。
●父親の仕事や、社会的立場について語れ。
●叱った後はしっかりと抱きしめてやること。
●一回叱ったら三回褒めてやること。
●家の中では、年齢に応じた仕事を与えること。

これを見れば、菅直人という人物の個性が、如何に通常の常識からかけ離れているかが、よく分かる。例えば、「時間と約束は守るためにある。」などという教えは、菅直人には無縁な教えであろう。「その時々の感情で叱らないこと。」という教えと全く対極の行動をとっている。「弱い者いじめは人間の屑であると教えよ。」などという感性は皆無に近い。

さらに、彼は「正義は力なり、ということを教えよ。そして、力無き正義は無力である。」という教えを「力は正義なり」と読み替えている。彼の権力への並はずれた執着は、この詭弁的読み換えにある。

今回のぐちゃぐちゃ政局は、【無恥の人:菅直人】という視点で、読み解かねばならない。善きにつけ悪しきにつけ日本の政界は、「永田町の村民」という呼称のように、上記のような儒教的感性で培われた常識で運営されてきた。もう少し詳しく言えば、農村共同体の感性で運営されてきた。菅直人は、この常識の枠外にある。「永田町の村民」たちは、この常識はずれの人間をどのように扱ってよいか、みな戸惑っている。

実は、1970年代から始まった「荒れた中学」時代、私たち教師が一番困ったのは、この「学校での生徒の常識」の枠外に立った生徒の行動だった。「授業中は静かにする」という常識を平気で破る生徒。「先生には敬語を使う」という常識を平気で無視し、「先公!」などと口を荒らす生徒。「食事ははしやスプーンなどを使う」という常識を無視し、手づかみでほおばる生徒などなど。日常生活のあらゆる場面で、「学校での生活の常識」を平然と無視し、その事を恬として恥じない生徒の増加だった。

当時、メディアや社会からは、子供を抑えられない学校・教師の無力さを批判されたものである。しかし、この「荒れる学校」という現象は、農村共同体が上げ底になり、市民社会が未成熟な過渡的な時代の現象であり、不可避なものだという認識は希薄だった。

この時代の生徒達が社会に出た結果、社会の様々なところで、過去の「常識」では測れない問題が噴出してきた。それが、ついに政界に及び、そのトップの内閣総理大臣まで及んだのであろう。このように見ると、今回の政局劇は、戦後日本の基底部で起きている日本人の感性の深いところで起こった地滑り的変化が、表面化したものである。(続く)

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水

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学級崩壊政局;無恥の人:菅直人(2)

2011-06-19 16:30:29 | 民主党政権
では、一体どうしたら良いのか。

こういう「困った人間」を相手にする時は、まず、この困った人間の影響を最小限にとどめる必要がある。ありていに言えば、常識はずれの人間を孤立化させることである。その為には、教師で言えば、「何を教育するのか」「教育とは何か」という理念の練磨をしなければならない。政治で言えば、「政治とは何か」「自分は何のために政治家になったのか」という個人の理念と「誰のための政治か」「政治の役目は」「民主主義とは」という政治の社会的使命の理念の練磨を、一人一人がしなければならない。

次に重要なのは、現在の状況(学校で言えば、生徒の状況。政治で言えば、日本の状況)の解析をしなければならない。生徒・国民の「信頼」こそが全ての基本であることは、学校・教師も政治家も同様。「信頼」回復に最も大切なのは、現在の状況をどう打破し、信頼に足る状況をどのようにして構築するか、にかかっている。この作業を通じて自らの理念を練磨しなければならない。

私は、この作業を「賽ノ河原の石積み」と呼んでいた。今日はうまくいったが、明日には状況が変化している。終わりの見えない営みを続けなければならない。「現場力」とは、このような気の遠くなるような営みの果てに見えてくるものである。

この作業を行うために一番重要な事は、自らの欲を捨てること、あるいは、大欲を持つことである。「大欲」とは、社会的地位や身分を得ることではない。そうではなくて、自らの信じる理念・理想を決して捨てることなく、それを具現化する道筋を捜し続けることである。

人間が一番純粋になれ、一番情熱を傾ける事ができるのは、そういう一見抽象的で一見具体的な成果に欠けることである。これは、政治家にとって、一番苦手とする事であろう。彼らは、目に見える成果がなければ動きにくい習性を持っている。「政治家」と「政治屋」を分ける最大のポイントである。

戦後政治は、政治屋は大量輩出したが、「政治家」は数えるほどしか生み出せなかった。どれもこれも、目先の成果のみを追い求める【小欲】の政治屋ばかりで、自らの政治的信念・理念を現実政治の中で具現化する可能性をひたすら追い求める「賽ノ河原の石積み」を厭わない政治家は時代遅れとして排斥されてきた。阿久悠が作詞し河島英五が歌った「時代遅れ」がヒットしたのが80年代。私流に言えば、日本と日本人が「産業的な生き方」にからめとられ、何かおかしいと感じはじめた時代である。

特に新自由主義的考え方が社会の上層部を席巻し始めてからは、目先の利益を追い求める事が「善」とされる風潮が、日本社会を覆い始めた。このような社会状況の中で生み出された政治屋どもの代表が、「松下政権塾」出身者をはじめとする連中だ。

政治の世界で目に見える成果を手に入れようと思えば、「権力」を掌握する事である。だから、彼らは「権力」に執着する。今回の菅政局でいえば、前原・野田・枝野・安住などをはじめとする連中で、彼らを猿回しの猿のように使っていたのが仙石ということになる。

彼らに共通するのは、「大欲」がなく、目先の成果のみを追い求める「小欲」しかないと言う事で、そのため、菅直人の常軌を逸した粘り(権力に対する執着)に会い、打つ手なしの状況に追い詰められた。

さらに言えば、西岡参議院議長の筋論、「政権内部の連中は、菅直人と共犯である」に抗する事ができない。彼らが、次期政権構想を画策すればするほど、彼らの権力亡者(小欲の政治屋)ぶりが明らかになり、ますます政治離れを加速する。つまり、彼らは、現下の政治状況を全く解析できていないと言う事になる。

菅直人の粘りで一つだけ評価しなければならないのは、次期総理大臣を狙う政治屋どもの化けの皮を剥いだ点にある。仙石・前原・野田・枝野・岡田・安住・玄場などという連中の鼻もちならない「権力亡者」ぶりが、誰の目にも明らかになった。要するに菅直人と五十歩百歩、誰がなるにしても、所詮「政治屋」レベルということだ。特に仙石の暗躍ぶりが際立っていたが、黒子を演じるきるには、仙石は娑婆っ気がありすぎる。(続く)

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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学級崩壊政局;無恥の人:菅直人(3)

2011-06-19 16:30:09 | 民主党政権
かって、自民党に三木武吉という策士がいた。1955年保守合同を成し遂げた立役者だ。結果、55年体制が日本の政治の動向を規定した。このきわめて困難な合同を成し遂げた三木武吉は「懐にドスを呑んでいる」という噂が立つくらい、自らの策を実現するために命を賭けていた。当時の事を振り返って中曽根康弘は「三木武吉には風圧を感じた」と述懐している。逆に言えば、それだけの気迫がなければ、策は成功しない。策士と呼ばれても、三木武吉は政治家。自らの実現しようとした政治理念を信じていたのである。

仙石のように、黒子があれだけ目立っては、過去の自民党政権と何が違うという批判に抗しきれない。同時に、仙石が画策した大連立構想を仙石自身がどれだけ信じていたかも疑わしい。自らのグループの生き残りのための大連立なら、菅直人が必死に模索した大連立と何が違うのか。

いくら権力の椅子取りゲームが主役の永田町でも、こんな大連立には二の足を踏まざるを得ない。一文の値打ちがなくても、政治には「大義名分」が必要だ。それなくしての大連立など「野合」と言わざるを得ない。

仙石一派は現実主義を名乗っているが、彼らの言う現実など所詮「目先の成果」をどう獲得するか程度のレベル。現下の日本の政治状況の現実・日本の経済状況の現実・東日本大震災後の現実・国民生活の現状・民主党内の現実など複雑な現実を解析し、それをどう変えるのか、という理念・哲学はすっぽりと欠落している。

だから、「懐にドスを呑んでいる」と形容された三木武吉のような迫力はでない。本当の策士とは、「人間的信頼感」を持てる人である。この人になら、騙されても本望、という魅力がなければならない。仙石などにはそんな魅力はない。所詮、菅直人と「同じ穴の狢」に過ぎない。

今回の菅直人辞任騒動の狂騒曲を見せられている国民の心に去来するのは、権力者どもの醜い姿よりも、どうにもならない無力感と無常観だと思う。

平家物語の書き出し文、

「祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ」・・・

を噛みしめている人も多いだろう。

実は、「荒れた学校」時代の教師・生徒達も、このような無力感・無常観に襲われた。いじめ、授業崩壊、暴力、怨恨、自殺、虚偽、盗み、放火などありとあらゆる悪徳が吹き荒れた時代、まるでパンドラの箱を開けたような状況だった。

こういう状況が一気に良くなるはずがない。そのため、一時しのぎの対策的議論が増える。それこそ連日連夜衆知を集めて、多くの方法が生み出され、試された。うまく行くのもあれば、失敗するものもある。これを称して教育といえば言えるのだろうが、このようなやり方で学校が立ち直った例はない。一時的に良くなっても、結局元の黙阿弥に終わるケースが大半だった。(続く)

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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