老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

慢心だらけの総理、安倍晋三

2018-10-29 16:58:54 | 自民党政治
昔から「企業の目的は利潤追求」「企業の質は、トップの質」といわれます。その利潤追求が権力追求に変わると、企業経営は暴走を始めます。ヨイショ社員がヒラメ幹部になり、ワンマン社長を長生きさせる経営組織。上司に、経営陣にモノを言えない企業体質。ジャンボ機墜落事故を引き起こした日本航空しかり、フクシマをいまだに垂れ流す東京電力しかり、昨今の検査データごまかし企業しかり。地面師に63億円をダマシとられた積水ハウスの経営体質は、どうなのでしょうか。

それでも、顧客・消費者を相手にする企業は不祥事を起こすと製品が売れなくなり株価は下がり、存続の危機に瀕すると“質の悪い”トップは交代を余儀なくされます。

ところが、“日本”という国家組織は違います!神輿に乗るだけで役割も責任も果たさず記者会見で悪態をつき、見ている国民をナメきっている副総理・麻生太郎。県知事選で沖縄の民意を足蹴にする謀略をめぐらせ、返り討ちにあってなお開き直る官房長官・菅義偉。果ては国際社会の笑い者、差別主義者で厚顔無恥な国会議員・杉田水脈。そして、昨今の各省庁が起こした無責任・不祥事の数々。

厚労省は障碍者雇用について企業へ罰則を伴う厳しい指導を行うのに、8割以上の省庁で雇用水増しが行われていました。しかし、その悪質性を調べた第三者委員会が「故意ではなかった」と言い放つ始末。

文科省ではモリカケ問題の疑惑が解明されていないのに、他人事のように息子の裏口入学を画策し、贈収賄事件に発展させた文科省前局長。その文科省は来春、中学校でも道徳教育を義務化すると胸を張ります。

防衛省では「独立国家の戦備増強」とばかり、年次防衛計画など形骸化したように刹那的な防衛費を膨張させる一方で「日米安保がないと国防が危うい」などと涼しい顔で言います。年次分割購入OKの防衛予算で、高額な兵器も買いたい放題。だから、米国のいいなり価格で性能も定まらない「イージスアショア」なる武器は数千億円で導入契約後、一兆円以上に値上っても気にしません。その高性能アンテナが放つ強力な電磁波が周辺住民・生活に及ぼす悪影響には知らん顔です。

そして、沖縄で危険かつルール無視の常態化したオスプレイが首都圏・横田基地で夜間運用をスタート。「エンジンのオーバーヒート」という致命的な欠点をひた隠し、オスプレイが基地以外で不時着・墜落することを、政府は「考えられない」「想定外」と言い続けるのでしょう。だって、自衛隊もオスプレイを買っちゃったんだから。

こんな傲慢で無責任なことが続いても、当事者たちは心の中でつぶやきます。「だって、“トップ”の3バカ政治家が都合のいいことだけ言ってるし、責任とってないし、罰せられないし。オレたちも、やったモン勝ちだよ!」

第4次安倍内閣の所信表明で日本の首相たる安倍晋三は、こう言い放ちました。
 「長さゆえの慢心はないか。そうした国民の懸念にもしっかりと向き合ってまいります」
 「身を引き締めて政権運営に当たります」
反省なし、無責任、二枚舌、厚顔無恥、私利私欲、オトモダチ政治、有言不実行。それでも顧客も売上も心配ない、安倍政権は国民の意思を無視して税金を使い放題できるから。

こんな国家・日本は、あり得ません!トランプ氏の代わりに言ってやりましょう。

安倍晋三、You’re fired!!!(お前はクビだ!!!)

「護憲+コラム」より
猫家五六助
コメント (3)

自己責任論の正体

2018-10-28 09:42:38 | 民主主義・人権
小泉さんの時代から始まった「自己責任」という言葉の「大安売り」であるが、これはデジャブー(既視感)がある。

戦時中によく聞いた「非国民」という流行語だ。「贅沢は敵だ」というのもあった。

それで東条さんが東京の街角に出て、兵隊を引き連れて、一戸一戸の家のゴミ箱のふたを開けていた。

こういう「空気」は「世間」を通じて広がって行った。

民衆はささやかな抵抗もしていた。「贅沢は敵だ?」違うだろ。「贅沢は素敵だ」でしょ。

あの時代は「非国民」。今は「自己責任」というレッテル貼り替えが進んでいる。

「国民」とか「皇国の民}と持ち上げられて「赤紙」一つで戦場に行かされた。

今も昔も「国民」を守る政府はこの国のどこもなかったのだ。

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
コメント (1)

私見;自己責任論

2018-10-28 06:16:19 | 民主主義・人権
安田純平氏が三年有余の監禁状態から解放され、ようやく帰国できた。それに対し、ネット上では、未だに「自己責任論」を主張する輩が後を絶たない。

【本然の性】という言葉がある。人間の自然の情とでも言うべき性質を表す言葉である。

その【本然の性】に従えば、生死の境目の状況を三年以上耐えて生還した人間に対し、「助かって良かったな」と声をかけるのが普通の人間。その人間の生還に対し、罵声を浴びせかけるのは、人間としての本然の性に反する。

わたしは、安田純平氏の帰国に対し、「自己責任」だという大合唱を浴びせかける人々は、人間の【本然の性】に反すると考えている。【本然の性】に反する言動をすれば、いつか自分自身に跳ね返ってくる。仏教用語で言えば、「因果応報」という。

本来、人間は日常のほとんどの事を「自己責任」で行っている。車の運転をするのも自己責任。昼飯に何を食べるかを決定するのも自己責任。仕事終わりに一杯飲むのも自己責任。大人の行動の大半は【自己責任】である。

安田純平氏もそう生きている。シリアの内戦地帯に入る事は、命の危険にさらされる事は常識。まして、彼は戦場ジャーナリスト。そんな事は誰よりも良く知っている。

それでも彼はシリアに入った。自らの命を犠牲にしても伝えたい事があると彼は信じていたのだろう。以前、「シリア内線の悲惨さは、世界がそれを積極的に知ろうとしなかったことが大変大きい」と彼は語っていた。

彼が自らの命をかけて伝えたかったシリア内線の悲惨さ、戦禍に翻弄されるシリアの子供たちへの支援の訴え。そういうものは、抽象的には理解できても、現場に出かけなければ、本当の意味での説得力は生まれない。

たしかに、「なんでお前がしなければならないのだ」とか「そんな事は誰かにさせれば良い」とか「そんな事はお前の責任ではない。国家や国連の責任だ」という意見は成立する。

だがよく考えてほしい。「あんな女と付き合うな」とか「あの男は駄目だ」という意見をする人はたくさんいる。それを聞く人間もいるだろうが、「あの女性でなくては駄目だ」と意見を振り切る人間もいる。

安田俊平氏は、「あの女性でなくては駄目だ」というタイプ。こういう生き方をする人の行為の評価は二分する場合が多い。失敗すると、「だから言わんこっちゃない。馬鹿なんだから」となる。成功すると、「あの人は純情で一途なんだから。惚れられた女は幸せだ」となる。

安田氏のようなフリーランスのジャーナリストは、そういう生死を分ける塀の上をつま先で歩いているようなきわどい位置で仕事をしている。彼らは、大手メディアの社員ではない。会社の縛りがない。大手メディアの社員の場合、そのような危険の大きい場所の取材はほとんどできない。何故なら、万が一社員が危険な目にあった場合、命じた会社の責任は免れない。だから、会社は万が一を恐れ、取材許可を出さない場合が大半。

彼らはその点は自由。危険を承知で取材する。それが彼らのアイデンティティと言って良い。だから、彼らほど「自己責任」意識の強い人間はいないと言って良い。

それと日本政府の【邦人保護】義務とは全く話が違う。外務省の所掌事務を定めた法令の第四条 八、九を書いておく。

八 日本国民の海外における法律上又は経済上の利益その他の利益の保護及び増進に関すること。
九 海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること。
・・・・・・・

邦人の生命及び身体の保護は、政府の仕事なのである。そして、その邦人の思想信条の遺憾を問わず、日本国民であればだれでも生命及び身体の保護を受ける権利がある。

ついでに自己責任論について外務省見解を紹介しておく。

・・「外務省としては、「自己責任」を主張することによって邦人保護という責務を回避しようとしているわけではありません。邦人保護は、政府の重要な任務であると考えており、国民の皆様が海外で危険に遭遇された場合には、その時々の状況を踏まえ全力を尽くして支援する方針に今後とも何ら変わりはありません。実際、イラクにおいて人質事件が発生した際には、人質となられた方々が一刻も早く無事に解放されるよう職員を総動員し、あらゆる外交努力を重ねるなど全力を挙げて取り組んできました。
 
しかし、外国においては、治安の確保は現地政府の責任であり、日本政府の取り組みにも国によって様々な制約があります。例えばイラクにおいては、テロリストなどの活動により、治安は非常に厳しい状況にあります。大使館員も常にテロの脅威に晒されているため移動を含め行動に大きな制約があります。このような状況の中では、邦人保護業務も極めて大きな制約を受けます。したがって、自らの安全を確保する上では、そもそも可能な限り危険に遭遇しないよう、危険を十分認識し、慎重に行動することが何よりも重要です。そして、このような自らの行動についての判断は、国民一人一人が、自らの責任において行うものであると考えています。」・・・

これはイラクでの高遠さんらの事件が尾を引いている時に書かれたもの。さすが官僚の作文で、「このような自らの行動についての判断は、国民一人一人が、自らの責任において行うものであると考えています。」と【自らの行動の判断】は【自己責任】ですよ、と書いている。ここに書かれているのは、【行動の判断】は「自己責任」ですよ、といっているに過ぎない。【行動の結果】についての「自己責任」論はない。

当たり前で、「行動の結果」についてまで「自己責任論」を広げると、邦人保護の責務回避だと批判されても仕方がない。

たしかに外務省は「自らの安全を確保する上では、そもそも可能な限り危険に遭遇しないよう、危険を十分認識し、慎重に行動することが何よりも重要です。」とできればこのような戦争地帯に踏み入らないように危険情報も出している。

その外務省の立場と真実を伝えようとするジャーナリズムの立場は相反する。しかも、日本の場合、そういうジャーナリストはたいていの場合、フリーランス。つまり、組織の論理に逆らっても真実を伝えようとする個人だと考えられる。

現在喧伝されている「自己責任論」は、外務省のいう「行動の判断」の自己責任論ではない。「行動の結果」の自己責任論である。これは外務省(国)の邦人保護の責務の免除論に他ならない。

安田純平氏はきちんと税金を納めている日本国民であり、邦人保護を受ける権利がある。それを自己責任論で同じ国民が責め立てる。わたしには、同じ日本人とは思えない。

現在の安倍政権の政策を見たら、国の本音は、生活保護など出したくない、雇用保険も出したくない、健康保険もやめてしまいたい、年金など削れるだけ削る。すべて「自己責任」にしてしまいたい。それを国民の側から「自己責任」だと言ってくれる。こんな素晴らしい国民はいない。

誰かがうまいことを言っていた。こういう国民を【肉屋を支持する豚】と。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
コメント (2)

「自己責任論」の異常(安田純平さん救出)

2018-10-27 20:48:01 | 民主主義・人権
安田純平さんの救出は当然?日本政府の働きかけもあったかもしれませんが、3年4カ月は長すぎます。

多分安田さんは前の日本人処刑を思いつつ「日々」を過ごしていたはずであり、その月日は10年ぐらいの残酷な体験だったと思います。

カタール(やトルコ)の人道的(商売的な面もあるが)な身代金の出費で救出されたことは間違いなく、あれこれ詮索する必要もありません。

問題なのはネトウヨや「識者」と称する人たちの安田さんへの自己責任論からの非難の高まりです。

エリック・Cさんも指摘しているように「人質として捕まったことを自己責任と言って批判する日本人の異常さ」(フランスの週刊誌)は、「全く不思議な日本の人たち」という日本社会です。

あの有名なドンキ・ホーテの作者、セルバンテスも敵国の捕虜になり(海軍の将校だった)大金をはたいて救出されたとあります(自分の親族が出したらしい)。

マルコポーロの時代からジャーナリストや小説家は、蛮勇を奮って危ない地域に潜入したのです。(ノベルという言葉は新聞:ニュースと同じ語源であり、海外特派員や冒険家の物語が現在は記事ということになっています。)

こうした行為を非難する国と社会にジャーナリズムは存在できません。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
名無しの探偵
コメント (1)

早期にやれば救出できたのでは(安田氏救出)

2018-10-25 06:37:42 | 民主主義・人権
ジャーナリストの安田純平氏が解放されたらしい、とのニュースは、23日23時に菅内閣官房長官が官邸で特別に記者会見を開いて発表する姿を、ABCテレビの報道ステーションで見て知った。

そして今日(10/24)夕方のYAHOOニュースでは、カタールから日本円で一億一千三百万円相当が支払われたとの報がある。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181024-00000079-jij-pol

安田氏が拉致された頃、安倍内閣は拉致犯人側とは一切交渉しないと高飛車だったように思う。今のこの時期、カタールが日本人救出のためになぜ身の代金らしき資金を支出するのか、下笥はかんぐりたくなる。たとえば形をかえて日本政府がカタールへ何か援助をするのでは、と言う推察もできる。

また臨時国会スタートにあたり、森友加計問題で支持率下降気味の安倍内閣としては、何かで点数が稼ぎたいとの思惑で、カタールを通じて間接的に安田氏救出に舵を切ったのではあるまいか、と思われてもやむを得まい。

しかし舵を切ったとなれば、過去の「犯人とは一切交渉しない」との言質が問われ、臨時国会では「早くやれば良かったのでは」との紛糾は必至であろう。どのような臨時国会の論戦になるやら?

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔
コメント

日米安保条約に代わる日本の平和と安全保障への道(永世中立国)(2)

2018-10-23 11:41:19 | 安全・外交
前提「日米安保条約に代わる日本の平和と安全保障への道(永世中立国)」趣旨:

・集団的自衛権の行使が閣議決定され、日米安保条約と併せて、一見日本の平和と安全保障は増したように見えますが、現状はより米国の戦争に巻きこまれ易い状態になったと言えましょう。いざ米国と中国、ロシア、北朝鮮間で近代ミサイル戦争となれば、在日米軍の実質的抑止力は役立たず、いかなる防衛力をもってしても在日米軍基地と日本の主要都市、原発への攻撃は避けられず、日本の国民と国土は大きな犠牲を強いられることは疑う余地がありません。

そこで今、21世紀の日本の平和と安全保障を再考する良い機会と捉え、現状よりベターな日本の平和と安全が保障される選択肢として永世中立国を想定し、時節柄、思いつくままに「おでんの具」を鍋に盛り提示する次第です。まだ具も不足で味も染みていないと思いますが、たたき台として先ずは味見してもらい、中立国のイメージが膨らめば幸いです。

*永世中立国としての基本理念と基本体制

・永世中立国になれば、それ自体に世界の平和希求と不戦の誓いの意味があり、スイスの例が想定される。そして中立理念によって他国の侵攻を抑止し、また日常から世界各国との中立平和外交に努め、中立理念と平和外交を安全保障の楯とし、加えて現在の自衛隊は存続させ、専守防衛、災害救助活動に徹する。

・国連加盟も継続し、国連を通しても日本の永世中立国の理念と平和外交をアピールして、国際紛争の仲裁、国連非武装PKO活動にも積極的に参加し、唯一の被爆国として核廃絶を訴え、国連の国際原子力機関(IAEA)本部を日本へ誘致する。

・現憲法の平和主義、国民主権、基本的人権、象徴天皇制は踏襲する。

・一方で裁判官の人事権を行政(内閣)より司法へ完全移管し、公正な行政裁判を期す。

・以上の平和と安全保障確保と、公正な行政裁判のために憲法の一部改正は必要。

・経済的には研究・技術・工業・医療・安全な食品・農・畜産物の輸出立国を目指し、政・経分離で各国とwinwinの経済友好関係を築く。

・税制を抜本改革し既存予算枠を変え、国民生活と企業経営が両立できる予算編成をし、人口減少に歯止めをかけ、最低一億五千万人の人口を目指し、国、地方の赤字財政を改善し、社会保障費負担の人口逆ピラミッドを解消し、一方で円高メリットで国民経済と企業が成り立つよう方向転換する。

・原発は先ず北海道、四国、九州の原発を即時廃炉とし、原発のない安全な島にし、万一他国に攻撃された場合と天災による原発事故の放射能汚染から国民が逃れ、移住できる場所に位置づける。

・一方本州の原発は築40年を期限に廃炉とし、地球温暖化にも寄与していく最適な代替エネルギーで電力、ガスを供給して行けるようにする。そのためには現行電力会社9社を発送分離会社に再編し、ガス会社との相互乗り入れによる競争に限定する。

*日米安保条約のメリット、デメリットについて

・日米安保条約のメリットとしては、東西冷戦時代に共産主義国のドミノ現象阻止のための自由主義国の橋頭堡として、日米安保条約下の日本の役割があったことは事実であろう。しかし共産主義計画経済が自由主義経済に負け、ソビエトが崩壊し、中国も 鄧小平の経済改革解放以来、国家資本主義へ歩を進め、現在の経済大国に成長し、共産主義経済より資本主義経済の優位性を自ら実証する形になり、マルクス・レーニン主義による共産主義国家建設は瓦解し、日米安保条約もNATOも冷戦時代の目的は形骸化しつつある。

・そしていま浮上しているのは、米国の軍産複合体経済+トランプ流資本主義経済と、中国の共産党独裁による国家資本主義経済と、日本を含めたEU型の修正資本主義の競争である。そして米中とも核ミサイルを所有し、核戦争になれば国家国民に明日はないことも分かっており、第1次、第2次世界大戦のような資本主義国間の戦争が起こる可能性は少ない。代わりに今起きているのはトランプ大統領のアメリカファーストの名の下の保護貿易主義、即ち多国間貿易協定から二国間貿易交渉への強行であろう。最たるは中国との貿易戦争であり、次は日本への貿易圧力である。

・しかし皮肉にも米国の保護貿易主義には日中は歩調を合わせて反対し、日米安保条約とのねじれが生じている。このような米国の保護貿易主義と日本の多国間貿易主義が対立すれば、日本の貿易立国は成り立たず、日米安保条約の意義は失われる。即ち経済協力関係と軍事協力関係は一致しないと意味をなさない。NATOを形成するEU諸国と米国間も同じである。正にイデオロギー闘争による東西冷戦終了の最終的現象であり、NATOも日米安保も見直しの時期到来(下記、日米安保条約第十条参照)と言えよう。

日米安全保障条約第十条(条約の終了)

1、この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合州国政府が認めるときまで効力を有する。

2 、もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意志を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後一年で終了する。

・そのような中、時計の針を冷戦時代に巻き戻すような集団的自衛権行使の閣議決定により、米国は自衛隊の出撃要請をしやすくなり、日本はそれを断りにくい状態となり、米国の戦争に巻きこまれ易くなった。

・一方で米対露・中・北朝鮮間の戦争が勃発しない保障はなく、日本企業の進出が一番多い中米戦争に巻きこまれればどうなるか、かつての日中戦争での満州からの引き揚げ光景以上の悲惨な光景が連想される。これを想像しただけでも中国とは平和外交しかあるまい。そう考えると日米安保条約は米国の戦争に巻きこまれるための条約でしかなく、永世中立国となればその危険性は低くなり、そこに中立国としての意義と価値がある。

・しかしいざ米国と中国、ロシア、北朝鮮間で近代ミサイル戦争となれば、日中間の距離が近く在日米軍の実質的抑止力は役立たず、いかなる防衛力をもってしても在日米軍基地と日本の主要都市と原発へのは攻撃は防御できないだろう。そして 核ミサイル戦争に勝利国はなく 、双方とも大きな一次的人的犠牲を被り、次世代、次次世代へと身体的障害や癌は続き、日本の国民と国土は大きな犠牲を負い、国土は人間の住めない廃墟と化すことは福島原発事故からでも容易に類推できる。

・またこのことはこれまで米国がキューバーを攻撃できなかったことに通じる。即ちキューバーとの距離が近くてキューバのミサイル攻撃から米国の原発と東部主要都市を迎撃ミサイルで防御できないとのシュミレーションと読みである。余談ながら、それでも日本は米国から高額な迎撃ミサイルを購入しようとしている。

・今の安倍内閣は米国一辺倒であるが、一方で田中内閣の日中国交回復、大平内閣の日中友好政策以後の 鄧小平の経済改革で、今や中国へ進出している企業数は日本が最多であり、持ちつ持たれつの経済関係にある。このような両国関係を無視して中国と政治的に対峙するのであれば、かつての自民党政治とは明らかに矛盾している。そして集団的自衛権の行使を閣議決定して、昭和35年に自民党が改定した日米安保条約からも乖離しつつある。

・また安倍首相はことある毎に、憲法改正は自民党の党是と口癖のように言っている。「党是」ならば、集団的自衛権を閣議決定などせずに、堂々と憲法に規定された手続きを踏んで憲法9条を改正し明文化すべきで矛盾も甚だしい。海外出張では頻繁に法の支配を友好国には訴えているが、先ずは自民党内で法の支配を遵守して貰いたい。

・そして閣議決定された集団的自衛権は日米安保条約と不可分の関係にあり、それは沖縄県での米軍基地負担の増大、北朝鮮の脅威を吹聴しての米国から迎撃ミサイル装置(アショア)の輸入拡大による日米貿易不均衡の是正、軍備費の増大に伴う国債(国の借金)の増大と社会保障費の減少等に繋がり、もはや21世紀の日本の平和と安全を護るには中立国となり平和外交に徹する方がベターな選択といえよう。

・そして北朝鮮との過去の植民地補償と拉致問題を同時解決していけば、国交回復につながり、脅威はなくなり、日米安保条約は不要であることが分かるはずである。

・最終的に世界平和と世界経済の発展と人類の幸福は同一線上に位置し、決して軍事費増大と戦争からは生まれないことは第一次、二次世界大戦の教訓である。そのような世界観から、先ず日本が永世中立国を宣言し、日米安保条約第10条2項にもとずき条約を終了させ、米・中・露及び世界各国との等距離平和外交に立ち、軍拡より軍縮を働き掛けることが、遅まきながら第二次世界大戦の敗戦からの21世紀に向けての知恵ではなかろうか。

*その他

・日米安保条約を解消すれば今以上の防衛費を要するとの俗説があるが、それは永世中立国でない場合の試算であり比較参考にならない。永世中立平和外交に徹すれば、防衛予算は現状より大幅に縮小可能なはずである。

・また永世中立国となれば、日本はスイスのように隣国と陸続きではなく島国であり、陸上自衛隊は現状より大幅に縮小でき、スイスのような徴兵制は不要。

・中立国になれば、ロシアの北方四島返還拒否の最大の理由と思われる領土返還後の在日米軍基地建設の可能性はなくなり、またロシアが択捉島で軍事訓練をする必要もなく、今までより返還交渉が容易になるはずである。そして返還後はロシア現住民の50年間の居住を認めながらサハリン、ハバロスク方面への経済援助に注力し、そちらへ北方領土のロシア住民が移住し易い環境を造る。

*永世中立国へのムーブメント造り

・課題は永世中立国へ移行するための政治的社会的ムーブメント造りである。今般の沖縄知事選挙で野党が推す玉城デニー氏が勝利した要因は与野党のイデオロギー闘争ではなく、翁長前知事の、「もう沖縄に米軍基地はいらない」、「もう政府と米軍の言いなりには成りたくない」、「自分の県のことは自治したい」という、県民の切実なアイデンティティーを継承し、更に盛り上げた結果、台風接近の気象条件下、前回選挙で翁長知事が獲得した得票を3万票ほど上回り、8万票の大差で自民党、公明党候補に勝利し、一部公明党支持母体の創価学会票も玉城氏支持に回ったと報じられている。

さらに昨日(10月21日)の那覇市長選挙でも政府与党が推す候補は敗れて、沖縄県民のアイデンティティーブームは冷めていない、次は本土の有権者が引き継ぐべきではなかろうか。

・戦後73年間、日本全体も基本的には沖縄県と同じで、その間本土の米軍基地反対運動を回避するために、本土の米軍基地を沖縄に集約して、目先の風景を変えただけで日米関係の本質は変わっていない。

・今回の沖縄県知事選挙で玉城知事が翁長前知事から引き継いだ沖縄県民のアイデンティティーを日本全体に探し求めるとすれば、それは「永世中立国へ移行して日米安保条約の終了」というアイデンティティーではないだろうか。そうすれば辺野古基地建設反対も一挙解決である。

・永世中立イズムは過去の自民党と共産党、社会党間にあったような、与野党間の資本と労働のイデオロギー闘争ではなく、中立世界平和外交を掲げ、外国の圧力を受けることなく、日本のことは日本人が民主主義で決定するという、ごく当たり前のことであり、まさに国民のアイデンティティーの問題と言える。

・来年の参議院選挙の1人区で、各野党は統一候補を立てないと自民党、公明党候補に勝てないこと分かっているが、野党共闘できそうな旗がなく、溝が埋められず難航中である。この際先ず、[永世中立国を目指す」というアイデンティティーの旗の下に結集して、各党の政策をすりあわせ調整できないものか、このことについて野党は議論してみて欲しい。また「日本の永世中立国化」を唱えるるような政治家が一人でもよいから出て欲しいものである。現在期待したい政治家は自由党参議院議員山本太郎氏、社民党福島瑞穂氏、千葉民主連合参議院議員の小西洋之氏あたりである。

「護憲+BBS」「安全・外交政策を考える」より
厚顔

コメント (19)

複雑怪奇な世界情勢と右顧左眄する日本!

2018-10-21 21:40:22 | 政治
政治家としてだけでなく、人間として「完全な倫理喪失」状態の安倍総理率いる自民党が、「倫理喪失」に堕ちるのは、理の当然。それが、経済界に波及。もはや商道徳などという言葉は、「死語」ではないかと思わせる悲惨な状況になっている。日本人は、「魚は頭から腐る」の意味をもう一度深く考えなければ、未来はない。

日本が安倍デタラメ政権の「めくらまし政策」に翻弄されている間に、世界情勢は刻一刻変化し続けている。

一例を挙げよう。

サウジアラビア出身のジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏殺害事件が、世界中を震撼させている。生きたまま切断されたなどというおぞましいニュースが流され、サウジアラビアという国家の前近代性が改めて世界の目の前に示された。

昨日(10/20)、サウジ当局が犯人と見られる18人を拘束。王室顧問と情報機関高官ら計5人を解任。サウジ政府の責任を認め、問題を終息させようとしている。当然、裏でサウジとアメリカの取引があったのだろう。トランプ大統領もサウジ政府の対応を評価している。(ポンぺオ国務長官がサウジに飛んでいる。)
ヤフーニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181020-00000014-jij-m_est

ただ、この問題は、欧米メディアが報道するように、カショギ氏が報道の自由の旗手とかサウジ王家の前近代性を追求するジャーナリストという側面だけで見ると、事件の深層を見誤る可能性が高い。

この問題の背後には、現在世界的規模で行われている経済理念のパラダイム・シフトの相剋と世界覇権の多極化の進行による国際情勢の多極化が複雑に絡み合っており、その戦いの一つの局面が露わになったと考えなければならない。

報道されているよりはるかに奥が深く、世界情勢の複雑さが凝集されている。

この問題については、いずれ書こうと思っているが、サウジに対する米国の対応の歯切れの悪さの理由の一つだけ指摘しておく。

●ペトロダラーシステムの維持

1971年⇒アメリカ(ニクソン大統領)がドルと金の兌換を放棄。⇒不換紙幣(金との交換ができない=ありていに言えばただの紙切れ) ・・・・⇒ドルとリンクしていた他の貨幣も不換紙幣になる。不換紙幣は、金と交換しない。と言う事は、理論上、いくらでも貨幣を印刷することができる。⇒その結果、インフレーションが当たり前の社会になる。

●金との交換をしない不換紙幣をどのようにして世界の【基軸通貨】として維持するか。このシステムを【ペトロダラーシステム】という。

※ペトロダラーシステムの方法

世界の準備通貨としての【ドル】の利用と言う方法。⇒旧大蔵省や財務省発表として、【通貨準備高】というものがあった。準備高の増減が、重要な経済指標になっていた。

しかし、この方法は、きわめて高いリスクを持っていた。何故なら、金に交換できないのだから、ドルがいつ紙切れに代わるか分からない。このリスクを回避する方法が、金を【石油】に変えるやり方である。

ニクソン大統領は、ドルと金の交換をしない、という発表をするやキッシンジャー国務長官をサウジアラビアに派遣。以下のような条件を提示して、このやり方を構築した。

(アメリカからサウジアラビアに約束)
1、アメリカは、サウジアラビアを防衛する。(サウジの石油基幹基地)
2、サウジが欲しいならどんな武器でも売却する。
3、イスラエルだけでなく、他のアラブ諸国からの攻撃から守る。
4、未来永劫、サウド家(サウジアラビア王家)を保護する。

(サウジからアメリカへの約束)
1、サウジアラビアの石油販売は全てドルで行う。(ドル建て)
2、貿易黒字部分で米国財務省証券の購入する。

こうして、ニクソン大統領は、【世界基軸通貨】としての【ドル】の価値を守った。このシステムを【ペトロダラーシステム】と言うのである。

上のシステムをよく見てほしい。米国は紙幣を刷るだけで、金との交換をしないで済むのだから、リスクはほとんどない。他国は石油取引にはどうしても【ドル】が必要。石油は世界経済にとって最重要商品。それがドル建てなのだから、他の貿易決済にもドルが基軸通貨になる。

だから、他国の財務省は、【外貨準備】としてドルを持たざるを得ない。必然的に米国の鼻息を窺わざるを得ない。「覇権国家」に逆らう事は、必然的に世界の国々との貿易が困難になり、自国の経済を破滅させる危険性が高くなると言う事を意味した。

つまり、アメリカにとってサウジアラビアはそれほど重要な国だと言う事である。トランプ大統領が制裁をほのめかしているが、そんな厳しい制裁ができるはずがない。

もし、腹を立てたサウジが、石油の【ドル建て】決裁を止めたら、どうなるか。そうでなくても、中国・ロシアなどの国々は、貿易決済のドル建てを止め始めている。これにサウジが加わると、米覇権の根底を占める【ペトロダラー システム】の全面崩壊を招くかも知れない。アメリカの覇権はその瞬間終わる。

政治面だけが強調されてなかなか経済面の変化が見えにくいが、マルクスではないが、経済の変化がどうしようもないほど大きくなって初めて政治の変化が起きる、という法則をわすれてはいけない。

今回のおぞましい事件は、世界経済の底流での変化が堤防を決壊し始めていると読まなければ、世界の変化に遅れる。

恥知らず夫婦の外遊三昧でついていけるほど世界は甘くない。

「護憲+コラム」より
流水
コメント (3)

「サロン・ド・朔」10月25日例会のお知らせ

2018-10-18 16:13:23 | イベント情報
「サロン・ド・朔」10月25日例会を下記のとおり開催します。

今回は「フリースペース朔」オーナーの三角忠さんに講師をお願いし、「いつだって自衛の名で戦争推進ーー安倍9条改憲阻止のために」のテーマでお話ししていただきます。

『安倍9条改憲の狙いは2項の「戦力不保持」を解体し、現状の自衛隊を戦争する軍隊として憲法上位置づけようとしている、と思います。
当日レジメ資料を配布して皆さんと一緒に論議を深めたいと考えます。』(三角さん)

三角さんのお話を伺いながら、私たちにとっても最重要課題である安倍改憲の本質と改憲阻止のための方策について、改めて考え議論したいと思います。是非ご参加ください。

参加可能は方は、「護憲+」宛てメールでその旨お申し出ください。折り返し会場その他詳細をご連絡します。
rojinto_goken@mail.goo.ne.jp

■日時:10月25日(木)18:30~21:30
■会場:「フリースペース 朔」(JR水道橋駅から徒歩2分)
■会費:500円(飲み物、軽食付き)

====
☆「サロン・ド・朔」とは、「護憲+」メンバーを主軸に運営するフリーな集まり(@東京)で、原則毎月テーマを決めてそれに相応しい講師をお招きし、勉強会・親睦会を行っています。皆さんの参加を歓迎します。

2017年以降に取り上げたテーマは以下のとおりです。

(2017年)
 1月:「AIはトランプを選ぶのか~民主主義と憲法の未来像~」(他グループ主催シンポジウムに参加)
 2月:「パレスチナ・シリア情勢と子どもたち」
 4月:DVD「いのちの森 高江」視聴/「教育勅語と戦前・戦中教育」
 5月:「森友問題の幕引きを許さない」
 7月:「民進党は民意の受け皿になれるのか」
 9月:「9条問題の本質を「護憲」の立場で考える」
10月:「信念を貫いた人―劉暁波氏と1980年代以降の中国社会」
(2018年)
 1月:「一歩先んじた韓国の民主主義~宇都宮健児さんと行った韓国ソウル視察旅行」
 2月:映画「NO」DVD鑑賞会
 4月:「戦前戦中の女性の研究の目を通して、今の政治・社会を見て思うこと」
 5月:「沖縄の現状と今後」
 6月:「ギャンブル依存症を考える」
 8月:映画「憲法9条・国民投票」自主上映会参加
 9月:映画「コスタリカの奇跡」DVD鑑賞会
***

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
コメント

日本的集団主義への思想史的アプローチを読んで

2018-10-18 09:19:22 | 社会問題
「日本的集団主義」について、名無しの探偵さんが「13日のコラム」で見事なアプローチをされています。特に、【世間】の解釈についての阿部謹也氏の所論の紹介は大変参考になりました。

丸山真男、加藤周一、網野善彦三氏については、わたしも彼らの著作をある程度読んでいますが、阿部氏については読んだことがありません。探偵さんの説明を読みながら、大変鋭い指摘をされていると感心しました。

・・「主に近代日本の歴史的位相に注目して、日本の社会が西欧近代の思想を受け継いだものの、西欧近代の基底にある「市民社会」は受け継いでおらず、近代(つまり明治時代)以前から存在していた「世間」という伝統的な集団と意識を頑強に残存させていると明らかにする。

そして、近代以降の「日本」では、建前では西欧起源である権利意識や個人主義的な観念(戦後では「基本的人権」と呼ぶことになった)を表明するが、それは学校などの公的な場所に限られている。実際になにか人権問題が起きた場合には「建前」の権利意識ではなく、「本音」としての集団意識が全面に出てくると言うのだ。これが「世間」という伝統であり、現代でも間違いなく根強く存在していると言う。」・・

鋭い指摘です。わたしは同和教育に携わってきましたが、同和対策審議会の答申が出された後でも、世間の人々から【本音】としての【集団意識】が消える事はありませんでした。

例えば、こういう「集団意識」が理論的形態をとって現れたのが、「逆差別」論です。被差別部落の人々が行政の手厚い保護を受けたり、様々な優遇措置を受けているのに、そうでない人々はそんな優遇措置は受けられない。こういう行政のありようは、一般の人々に対する【逆差別だ】という議論です。

われわれ教師は、同和地区の公民館に週三回くらい(学校・地域によって違います)夜出かけ、勉強を教えました。塾と家庭教師の混合みたいなものです。地区の子供たちの学力を上昇させ、上級学校の進学率を上げる事により、地区生徒への蔑視や差別的感情をなくしていこうという取り組みです。同時に、社会へ進出するためには学力向上が必須である、という認識から行っていました。

しかし、この種の取り組みの意義を全ての保護者に理解してもらうのは、至難の業です。「なんで、地区の子供だけがそんな優遇措置を受けられるの。家の子供にも教えてほしいわ。」

バートランド・ラッセルが「幸福論」の中で「エンビイ=嫉妬」の感情が人間を不幸にする、と指摘していますが、そういう冷静な議論が通じる事は滅多にありません。

わたしたちが同和教育の研究授業や懇談会や研究会などに参加するたびに、この種の議論が絶えることはありませんでした。わたしが「日本的集団主義」と【世間】の問題に関心を持たざるを得ない最大の動機でした。

ではわたしが【世間】をどう理解していたかについて少し書いてみます。

教師生活を続けている間中、わたしは、上で触れた【嫉妬、妬み】の感情は、一体全体何に起因しているのか、と考えてきました。そしてそれが非常に悪い側面で発揮される場合と、非常に生産的側面で発揮される場合があると言う事に気づきました。

結論的にいいますと、【日本的集団主義】と並んで日本人の特徴である【横並び平等主義】がない混じった形で表現されるため、「功罪あい半ば」する状況が生まれるのではないか、と考えたのです。これに加えて、山本七平が主張する【空気】が支配する場合が多いため事態はさらに複雑になるのです。

差別問題のようなセンシティブな問題を話し合う場合は、問題は必ず自分自身に跳ね返ってきます。「自分ならどうするか」。この問いは重いものです。教師はその最前線に立たされます。保護者もそうです。自分の内心をのぞき込んで、内なる差別意識を克服する。言うは易く、行うは難し、の典型です。

だから、「日本的集団主義」とか【横並び平等主義】とか「空気」を読むとかいう日本人や日本社会の特性が際立って現れます。わたしが「日本的集団主義」の克服を課題にした最大の動機です。

【差別・偏見】という側面で捉えると以下のような五つの日本人の生活像が要因ではないかと考えられます。

①社会的地位を追い求める特性
②連帯性(感)欠落の特性
③恩と義理による自己満足の特性
④欺瞞、虚偽性を容認する特性
⑤外交的な性格構造   ・・・・・・・ 今野敏彦(偏見の文化)

例えば、①の社会的地位を追い求める特性を考えてみます。社会には、(1)全体社会と、(2)部分社会の二通りあると考えられます。

(1)の全体社会
人々が彼(彼女)に与えている社会的尊敬や威信に応じて全体社会のヒエラルヒーの中での占める位置である。
※(例えば、入学式・卒業式での挨拶順とか会合や宴席での席順などで示される序列に顕著に表れる)
   ↓
この中から、社会的地位を同じくする人々の社会階層(階級ではない)が形成されます。⇒(例) 士農工商(江戸)、上流・中流・下流(下流)
   ↓
段階的構造を持ちます

(2)部分社会
家族⇒夫、妻、親、子供(兄、弟、姉・妹) 親族 
職階⇒社長、専務、部長、課長、係長、平社員
職人などでの経験年数の序列など、様々あります。

日本社会のヒエラルヒーをどのように決めるかについては、二通りあると考えられます。

(A)出自に基づく地位(帰属的地位)⇒生まれながらにして決定される地位⇒性、年齢、容貌、人種、家柄,家格など⇒前近代ではこれが主流。
(B)獲得的地位⇒業績の結果としての地位⇒自己の才能、努力により築き上げられた地位⇒近代社会ではこれが主流

では、日本人の特性はどのように考えられるでしょうか。

今野氏は、【日本人ほど高い地位を求める事に汲々としている国民は他に類を見ない】と分析し、その理由を以下のような日本社会の特性にあるとしています。

★偉いもの、良いものは上にあるか高いところにあるのが常
●劣るもの、悪いものは下にあるのが常

この思想の表現が日本語や日本文化を規定していると考えられます。  

例えば、第一人称、第二人称の呼称の多様性(時と場所で使い分ける)・死者に対する位階(戒名の多様性)・上座、下座など上下、尊卑、高低の二者択一の環境、そこで醸成される思考形態。

このような特性がどのように形成されたかを考察しているのが、探偵さんが指摘されている丸山真男、加藤周一、網野善彦などの碩学です。阿部謹也氏の所論については、不勉強なので、明確な事は申し上げられませんが、探偵さんの解説を読む限り、大変納得できる論を展開されていると思います。

・・「ライトが保障されていない「集団」(阿部氏の言う「世間」)で、そこの個人に対して「責任」だけはお前にあると言われても、困惑するだけである。こうした集団主義が支配する社会でそのポジティブな側面が衰退して、ネガティブな側面だけになった場合に「全体主義」が顔を出すのである。

それを丸山氏が「無責任の体系」として分析されたのである。そして、阿部氏は『世間論』でこの丸山氏の論理を発展させて「世間」という伝統的な日本の集団主義の母体を論理的に展開されたのである。」・・・・

この議論は非常に鋭く日本人の思考の流れを分析していると思います。

わたしは同じような問題意識で、「日本的集団意識」と「横並び平等主義」の混在が最大の問題だと感じていました。

同和問題で触れたように、何百年にわたって差別され続けた被差別部落の人々の生活環境も生活それ自体も劣悪そのものでした。戦前には、小学校に通学できない子供が多数いました。今では当たり前のようになっている【学校給食】も、その始まりは戦後被差別部落の子供たちが弁当を持参できないのを助けるために始まったのです。

被差別部落の人たちを差別された厳しい環境や、生活から少しでも抜け出せるように行政が援助するというのが、同和対策審議会の答申でした。

原因・理由を考えずに、援助だけを取り上げれば、「あの人たちだけがなんで良い目を見るの」という理屈も分からないではありません。しかし、その背後にある積年の差別とその厳しさをきちんと学習すれば、そんな意見を発言するのが恥ずかしくなるはずなのです。

しかし、現実は、そんなに簡単なものではないのです。わたしの教師時代、同和教育に携わった多くの教師たちは、その現実に悩み続けたのです。

こういう意見の背景には、【横並び平等主義】という牢固とした考え方があります。戦後の【集団主義】の背景には、この【横並び集団主義】が貼りついていると思います。

「いじめ」の最大の要因の一つに、【同調圧力】があります。髪型、服装、肌の色、言葉使いなど他者と違うものを「いじめ」の対象にする背景にこの【横並び平等主義】があります。これを背景にして、【日本的集団主義】が加わります。

これに差別的で強権的体質の教師が加わると、阿部氏が指摘する【ファッショ】体制そのものが現出するのです。わたしは、そのようなクラスをいくつも見てきました。

【いじめ】問題の難しさは、日本の教育体制⇒各県の教育体制⇒各校の教育体制⇒各教師の理念や体質が問われなければ、本質的な解決ができないところにあります。

日本と言う国の特質ですが、こういう根本的で本質的な問いを如何にして回避して、手練手管で解決しようとしがちです。これが問題を長引かせるのです。

西欧流民主主義の根底に流れる【個人の尊重・個人の自立】がなければ、【平等思想】もただの【横並び平等主義】に陥ります。それでいて、今野氏が指摘するように、【連帯感】の薄さも日本人の特性として牢固として存在します。

今野氏が想定している連帯感というのは、個人の自立を前提にした連帯感なのです。日本人は集団で行動しがちのように思われていますが、本音で語らなければならないシビアな問題に対しては、意外とバラバラなのです。理由は簡単明瞭です。自分が傷つくのが厭なのです。傷つくことを怖れない「自立した個人」ではないのです。

ありていに言えば、戦後民主主義が強く意識した【個人の尊重・個人の自立】も、結局【個人の無視・個人の孤立】に陥る場合が多いのです。

私自身の教師生活は、この「日本的集団主義」と「横並び平等主義」との戦いだったといって過言ではないかもしれません。一番難しかったのは、生徒との戦いではなく、教育委員会や学校・教師との戦いでした。

名無しの探偵さんのように「日本的集団主義」そのものをきちんと理解できる人は、本当に少数です。おそらく、現在でも多くの場所で多くの人がその戦いを強いられていると思います。ひさかたぶりにこのような議論ができたことをうれしく思います。名無しの探偵さんに感謝いたします。

「コラムの感想」より
流水
コメント

「日本的集団主義」と「世間」

2018-10-16 11:46:33 | 社会問題
名無しの探偵さんのコラム「日本的集団主義の源流と今」について。

私も「日本的集団主義」と「世間」については以前から考えていました。

少し探偵さんの考察とは離れますが、「世間」についてはあの夏目漱石も「草枕」の中で「智に働けば角が立つ…(中略)とかくこの世は住みにくい」と書いています。「世間」とは何でしょうか。先進諸国には「世間」という言葉も無いし訳す事が出来ないそうです。コミニティとも違うし、規範とも違う。

探偵さんのさんがコラムのなかで紹介された阿部謹也氏の研究にあるように、日本の社会が西洋の「市民社会」を受け継ぐ事が出来なかったために、「基本的人権」さえも学校で習う「勉学」の世界に留められてしまったのではないでしょうか。

別の言い方をすれば「本音と建て前」だから、学校では授業の中では「基本的人権」という言葉は教えても生徒達の基本的人権などは蔑ろにして、虐めや教師の体罰などで不登校になったり自死する子どもがいても、組織を守るために隠蔽しようとするのです。市民社会が本当に人権を大事に思っているのならそんな学校の酷い体質を許すはずが有りません。

探偵さんが仰る「集団主義のプラス面は終焉しマイナス面が肥大化している」と言うのは本当にその通りだと思います。

マイナスな集団主義を肥大化させているのはマスコミの仕業もあるのではないでしょうか。マスコミが新しい「世間」を作りあげている。そんな気がします。私は身近な人達から「テレビで言っていた」「ニュースで言っていた」という言葉を何度も聞きました。大衆はそれほどバカではない、と思いたいのですが。

マイナスな集団主義を補填するように生きているのが「世間」。「KY」という言葉に象徴される同調圧力。

皆と同じ事が好きでない私は「KY」の極みだと思います。毎日の暮らしの中でプライベートはせめて「世間に棹をさして」生きていこうと思っています。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
パンドラ
コメント