8月28日に「サロン・ド・朔」で上映した「シェーナウの想い」は、チェルノブイリ原発事故を切っ掛けに、シェーナウ市の住民たちが「原発のない未来のための親の会」を立ち上げ、ついに自分たちで再生可能エネルギーの電力会社(EWS)を設立した経緯を紹介するドキュメンタリーですが、起きた事実も勿論素晴らしいですが、とりわけ、この実現に尽力した住民グループの人たちの希望と熱意に溢れ、真剣だけれどいつも明るく楽しげな表情がとても印象的な映画でした。
二度の住民投票の結果、市が電力供給の認可契約をEWSと結ぶ決定がでた瞬間に、住民グループの人々が喜びを爆発させる姿は感動的で、その後ビールやワインを酌み交わしながら寛いで談笑する姿には、自然を大切にしながら、心豊かに楽しく暮すために頑張ったこと、住民たちとの対話の中でそれが理解され、受け入れられたことへの自負と安堵が見て取れました。
http://www.geocities.jp/naturalenergysociety/
今回の上映会に参加してくださったジャーナリストの大芝健太郎さんは、昨年のシェーナウ訪問レポートの中で、この活動の中心的役割を担ってきた女性、ウルズラ・スラーデックさんが、インタビューで語った言葉を紹介しています。
『住民投票をすることによって、シェーナウの市民が賛成・反対、両方の意見を出し合って、家族内でも学校でもたくさん話しをすることになりました。違う意見の人どうしが激しく議論することもありました。政治家だけではなく、みなが議論をすることで、自分の意見を構築していく。その過程を経て、最終的に市民がEWS(シェーナウ電力会社)を選び取った。(略)これこそが、生き生きと活気に満ちた民主主義なのです。』
http://kokumintohyo.com/archives/8789
福島原発事故を経験し、日本での原発稼動はありえない選択と気付いたのに、今もなお脱原発を具体的な形にすることができずに苦慮する日本の私たちにとって、シェーナウの人たちの試みとその成功は、とても眩しい夢物語りのようにも見えます。
私たちにもできることはあるのだろうか、選挙システムや政治形態の違いはそれとして、怒り、嘆き、無力感に苛まれるばかりの私たちと、暮らしの環境を変えることを主体的に選択することに成功したドイツ・シェーナウの人々との間に、何か決定的な違いがあるのだろうか。こんな疑問に対し、大芝さんは「そもそもドイツの人は議論を娯楽のように楽しむ習慣がある」と答え、身近な人たちとの政治的な議論を避けようとする私たちとの違いを話してくれました。
大芝さんはシェーナウ訪問レポートを以下の言葉で結んでいます。
『見方を変えれば、正しさも変わる。答えは人それぞれにあるだろう。(略)もし間違っているとわかったら、正せばいい。「活気に満ちた民主主義」があれば、市民が間違いを見つけ、議論し、選択することができるのだ。』
『私は見たい。日本がシェーナウ市民のように「政治家お任せ民主主義」から脱却するときを。住民投票や国民投票を通じて、市民が考え決定する「活気に満ちた民主主義」を実現する姿を。』
思えば、シェーナウの人たちの成功も、10年に亘るたゆまぬ努力のたま物でした。「活気に満ちた民主主義」が、一朝一夕に実現するような簡単なものではないことは、洋の東西を問わない現実です。
私たちも、本当に望む暮らし方があるのなら、そうでない状態を批判するだけでなく(今の局面で、それもとても必要だと思っていますが)、自分たちで実現する方法を考えよう。そういう前向きな提案と、積極的な議論・対話を積み重ねる努力の先に、望ましい暮し方と本当の民主主義を手にする日が必ず来ることを信じよう。そう思わせてくれた、今回の「シェーナウ」上映と大芝健太郎さんのお話でした。
☆大芝さんは、9月に行われるスコットランドの独立をかけた住民投票の取材に間もなくでかけますが、渡航費調達に「クラウド・ファンディング」というプロジェクトを提案し、見事に希望の資金額を獲得しました。これもまた、「やりたいことがある」「賛同してくれる人はファンドで活動に参加して欲しい」という新たな建設的試みで、とても興味を惹かれました。スコットランド取材報告が楽しみです。
https://readyfor.jp/projects/Scotland-Referendum
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
二度の住民投票の結果、市が電力供給の認可契約をEWSと結ぶ決定がでた瞬間に、住民グループの人々が喜びを爆発させる姿は感動的で、その後ビールやワインを酌み交わしながら寛いで談笑する姿には、自然を大切にしながら、心豊かに楽しく暮すために頑張ったこと、住民たちとの対話の中でそれが理解され、受け入れられたことへの自負と安堵が見て取れました。
http://www.geocities.jp/naturalenergysociety/
今回の上映会に参加してくださったジャーナリストの大芝健太郎さんは、昨年のシェーナウ訪問レポートの中で、この活動の中心的役割を担ってきた女性、ウルズラ・スラーデックさんが、インタビューで語った言葉を紹介しています。
『住民投票をすることによって、シェーナウの市民が賛成・反対、両方の意見を出し合って、家族内でも学校でもたくさん話しをすることになりました。違う意見の人どうしが激しく議論することもありました。政治家だけではなく、みなが議論をすることで、自分の意見を構築していく。その過程を経て、最終的に市民がEWS(シェーナウ電力会社)を選び取った。(略)これこそが、生き生きと活気に満ちた民主主義なのです。』
http://kokumintohyo.com/archives/8789
福島原発事故を経験し、日本での原発稼動はありえない選択と気付いたのに、今もなお脱原発を具体的な形にすることができずに苦慮する日本の私たちにとって、シェーナウの人たちの試みとその成功は、とても眩しい夢物語りのようにも見えます。
私たちにもできることはあるのだろうか、選挙システムや政治形態の違いはそれとして、怒り、嘆き、無力感に苛まれるばかりの私たちと、暮らしの環境を変えることを主体的に選択することに成功したドイツ・シェーナウの人々との間に、何か決定的な違いがあるのだろうか。こんな疑問に対し、大芝さんは「そもそもドイツの人は議論を娯楽のように楽しむ習慣がある」と答え、身近な人たちとの政治的な議論を避けようとする私たちとの違いを話してくれました。
大芝さんはシェーナウ訪問レポートを以下の言葉で結んでいます。
『見方を変えれば、正しさも変わる。答えは人それぞれにあるだろう。(略)もし間違っているとわかったら、正せばいい。「活気に満ちた民主主義」があれば、市民が間違いを見つけ、議論し、選択することができるのだ。』
『私は見たい。日本がシェーナウ市民のように「政治家お任せ民主主義」から脱却するときを。住民投票や国民投票を通じて、市民が考え決定する「活気に満ちた民主主義」を実現する姿を。』
思えば、シェーナウの人たちの成功も、10年に亘るたゆまぬ努力のたま物でした。「活気に満ちた民主主義」が、一朝一夕に実現するような簡単なものではないことは、洋の東西を問わない現実です。
私たちも、本当に望む暮らし方があるのなら、そうでない状態を批判するだけでなく(今の局面で、それもとても必要だと思っていますが)、自分たちで実現する方法を考えよう。そういう前向きな提案と、積極的な議論・対話を積み重ねる努力の先に、望ましい暮し方と本当の民主主義を手にする日が必ず来ることを信じよう。そう思わせてくれた、今回の「シェーナウ」上映と大芝健太郎さんのお話でした。
☆大芝さんは、9月に行われるスコットランドの独立をかけた住民投票の取材に間もなくでかけますが、渡航費調達に「クラウド・ファンディング」というプロジェクトを提案し、見事に希望の資金額を獲得しました。これもまた、「やりたいことがある」「賛同してくれる人はファンドで活動に参加して欲しい」という新たな建設的試みで、とても興味を惹かれました。スコットランド取材報告が楽しみです。
https://readyfor.jp/projects/Scotland-Referendum
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子