老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

あらためて「憲法の歴史」を

2017-06-12 17:03:31 | 共謀罪
安倍政権の暴走が止まらないばかりか、暴走とともに拡大するのが「憲法秩序」と「全法体系」への攻撃と破壊である。

今回審議されている「共謀罪」は、実体を直視すれば分かるように、明治後期に制定された刑法典(決して自由主義的な刑法ではない)の全面的な改廃になる。

いみじくも刑法は市民革命以後に各国(欧米の)で制定されたものであり、市民革命の成果である絶対王政期の恣意的な刑罰を克服して、「罪刑法定主義」などの原則をドイツなど後進的(西欧の典型的な立憲国家と比べて)国家でも採用したのである。そのドイツ刑法を模範にした刑法典が、明治政府が制定した刑法典であった。

この刑法典の内容として、犯罪行為の実行があった場合に限り処罰する、という原則を採用したものである。

刑法典もその刑法思想とそれに影響を与えた近代憲法の原理を体言しているものなのである。それが先ほども述べた「罪刑法定主義」や刑法の謙抑性などの原則である。普通の国民が罪を犯した場合に、明確な犯罪の実行がある場合に限り処罰できるという法制度は、近代の法原理と立憲主義に則したものなのである。

こうした原則を今回、安倍政権は短兵急に破棄し、国連の委員の方の批判的意見も「うるさい」と言わんばかりの態度で拒絶しているわけである。

これはもう明治憲法とか現憲法がどうのこうのという次元を遥かに超えている。戦前の事例で言えばナチス党の政権奪取の事例と全く変わらない、正気を欠いた政権だということになる。

ナチス「第三帝国」は、彼らが何を行ったかは知らない人はいないほどの恐ろしい政権だったが、この同時代の日本帝国も明治憲法をさらに国家主義的に進めた「治安維持法」の制定や国家総動員法や国家秘密法の制定に、本質が現れている。

吉村昭氏は最初「戦史小説」を書いていたが、その中の描写で「軍艦を作っているときに国民の目から遠ざけるために軍艦を覆い隠す布状のもので囲った」という箇所があった。 昭和前期に入ると軍事政権の政府は国民すらも監視対象にして、軍艦が見えるような構図で写真撮影した者も処罰されたと書かれていた。

一方、安倍政権は今のところ軍事政権でもないのに昭和前期の政権と同じ法体制を目指している。前者と後者の政権で異なるところは、前者は森友学園事件や加計学園事件のように国家の私物化が極まっているが、後者は中国への進出と侵略などに忙しく、国家の私物化どころではなかったのである。

憲法を蔑ろにする政権に投票しないでくれ、と有権者に言いたいのであるが、ない物ねだりかもしれないという絶望感もある。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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死にいたる病(3)

2017-06-06 21:39:11 | 共謀罪
「6」戦後教育の功罪

以前、わたしは、「憲法改悪と国家神道」で戦前の日本教育の狙いを明らかにしました。

「西欧列強に追いつけ追い越せ」を国是とした明治日本では、富国強兵はどうしても行わなければならない政策でした。しかし、武士階級は没落しました。兵は国民から徴兵する以外になかったのです。しかし、生産力が低い当時の日本では、働き手を徴兵される事については、強い抵抗がありました。

維新政府には、そのような抵抗を減殺し、『お国のため』という意識を民衆に注入し、つまり、民衆の内心(最奥部)を一元的に強制管理する必要があったのです。抵抗なく徴兵でき、国民を総動員できるようにする社会的装置と意識変革が否応なく必要になったのです。

この為に必要なものは三つ。一つは宗教的な意識。一つは教育による『愛国心』の醸成。一つは、警察などによる国策反対者の逮捕排除。(密告などによる監視社会の形成)これを可能にする魔法の杖が、『国家神道』だというわけです。

戦後の教育は、このような戦前の教育を全否定する事から始まりました。戦後教育は、「教え子を二度と戦場に送るな」というスローガンとともに新しい教育を始めようとしていました。太平洋戦争へ否応なく協力した教師たちの深刻な自己批判のもとに、戦後教育は出発したのです。

その戦後教育の肝は、『分かる教育』の実現でした。子供たち一人一人が教材の内容を理解し、勉強を諦めないようにするための努力・工夫こそが、教師の力量を高めたのです。

子供たちが自分自身を諦めないように育てるために、子供たちとの人間関係を深め、子供たちが自分の未来に『希望』を抱けるように育てる事が、教師の力量だとされました。

戦後の教師たちは、九九が出来ない子供がいれば、授業後、教室へ残して、出来るまで教えました。戦後まだ貧しかった時代には、弁当が持ってこられない子供に弁当を毎日作って持ってきている教師もたくさんいました。それこそ、献身的に教育へ情熱を傾けていたのです。

このように、『分かる教育』『子供たちの希望を失わせない』教育理念に自分自身の全てを捧げた教師が全国津々浦々至る所に存在していました。

特に新人教師の多くは最初の赴任地で僻地に行きました。わたしも経験がありますが、僻地の子供たちの環境は厳しいものでした。子供たちにとって、外の社会との接点の大半は、毎年毎年赴任してくる教師たちが主体でした。それこそ、子供たちは全身で教師たちに接してくれるのです。教師の善意を何の疑いもなく信じて接してくれるのです。教師にとって、これは何物にも代えがたい喜びなのです。

教師たちは、それこそ寝食を忘れて子供たちと接触し、お金で買えない教師の喜びを身体で覚えたのです。「教師になって良かった」と心底思える日々だったのです。それこそイデオロギーとかそんな難しい話ではなく、日本の戦後教育は、こういう教師たちの献身的情熱に支えられてきたのです。

そして、戦後日本の高度成長を支えたのは、こういう教師たちの情熱に溢れた教育で支えられた子供たちが成長し、社会で活躍をした分厚い中間層の能力の高さだったのです。

しかし、戦後自民党右派の悲願は、戦後教育を戦前型教育へ変える事でした。彼らは、戦後教育への批判を『日教組批判』に集約したのです。文部大臣を輩出できるのは、政権を掌握している自民党だけ。自民党の文教族には、党内右派の重鎮たちが集結していました。たとえば、現在で言えば、森オリンピック組織委員会委員長などは、代表的な文教族だったのです。前の文部大臣下村氏も有名な文教族です。

彼らは、『日教組批判』に集中し、街宣右翼は、日教組の集会に集結。大音量で集会を妨害しました。日教組の会合に場所を貸したのは、大抵の場合、地方公共団体です。この場所で大騒ぎをすれば、迷惑を恐れて、徐々に場所の確保が難しくなるのです。

さらに、日教組がストライキを打った時、その参加者の名簿を地方の教育委員会は保管し、参加者の学校での地位(管理職に抜擢する時、転勤の時)などの査定に反映させ、日教組を抑え込もうとしました。人事権を握られた霞が関の官僚たちがそれこそ物言えぬ情況に置かれたのと同じです。

さらに、戦後の教育研究の中心は、日教組の研究会でした。『分かる教育』のための研究会が、教師たちの自主的な参加で盛んに行われたのです。ここでは、教師たちが自由闊達に議論し、子供たちのための教育理論、教育方法が次々と開発されていたのです。

ところが、時代が少しずつ保守的な流れに傾き始めたころから、文部省や地方の教育委員会が行ういわゆる『官制研究会』が、教育研究の主体になりました。そこで名前を売った教師は出世するのです。このような形で教育現場の形も雰囲気も管理の方法も変化し始めたのです。

そして、平成18年12月22日(2006)の教育基本法改悪により、戦後教育の精神は死に絶えたと言ってよいのです。

江崎玲於奈氏などのきわめて科学的合理的思考に基づく教育改革の狙いは、すでに、1970年前後から表れていました。

たとえば、1969年に財界が出した教育への提言は『分かる子から、出来る子の育成』というものでした。この提言は、日本の教育に深刻な影響を与えています。今でも、教育現場の悩みは、「子供たちにどう教えたら分かるのだろう」というものです。

これを「できる子だけで良い」と割り切ったら、教育現場は深刻な荒れに見舞われます。理論的にいうならば、戦後教育精神の全否定だと言ってよいのです。

1970~80年代の『荒れる中学』は、入試戦争の激化とともに、この『分かる子の育成か、できる子の育成か』の理念対立が生んだものです。

一般の人はあまり感じないかも知れませんが、時代や体制、政治の矛盾は、まず、一番弱い所に顕著に現れます。その事に敏感であるかどうかで、その社会の成熟度が問われるのです。女性、子供、老人、病人、障害者などの社会的弱者や公教育の場などは、その弱い環の典型です。こう言うところには、時代の矛盾が世の中に先行して顕在化します。

一例を挙げると、もう30年以上前になりますか、わたしが現役教師だった時代、少子化の問題はすでに学校現場に大きな影を落としていました。年々、生徒数が減少するのです。空き教室ができる。小さな田舎の学校は、次々に閉鎖されます。

田舎では、学校は『地域の中心』なのです。運動会などを中心に、地域の結束の中心に学校がありました。それが歯が抜けるように、ぽつりぽつりと無くなっていくのです。『限界集落』から『崩壊集落』への移行などが目の前で行われていました。こういう問題に本当に敏感な政治なら、とっくの昔に手を打っていたはずです。私から言わせると、今頃、少子化問題など『出し遅れた証文』なのです。

現在の貧困問題は、これらの問題が集約して表現されているのです。

「7」管理教育と共謀罪的治安維持の共通性

『共謀罪』が衆議院で委員会採決されました。実は、1980年代、学校現場では、この『共謀罪』の先取りのような体制が行われていたのです。

『荒れる中学』では、規則無視、授業妨害、破壊行為、喫煙、暴力、脅し、喝あげ、喧嘩、いじめなど、ありとあらゆる悪行が、連日、日常茶飯事に校内で行われていました。当然、仲間内の『共謀』など日常茶飯事でした。これをどう抑え、どう静かな日常を回復するかが、喫緊の課題でした。

警察と協力して、中心になる子供を施設に入れたり、保護者会を連日開いて、保護者の協力を仰いだり、それこそありとあらゆる努力を払ったのです。

個人的には、この措置は法律で言う一種の『緊急避難』だと考えていました。まず、校内の治安の確立が最優先で、静かな学校になった時から、はじめて子供たち一人一人の能力を発揮できる学校を実現しなければならない、と考えていました。

沈静化させた後、どれだけ子供たちの心が解放された空間を創出できるかを考え抜いた方法で、『荒れ』を沈静化するかが、私個人の教育論の最大の眼目でした。

その結果、ある程度『荒れ』が沈静化した時、わたしの意に反して、次に学校を支配したのが、徹底した『管理教育』でした。それこそ、髪の毛の長さ、スカートの丈の長さ、靴下、靴に至るまで、がんじがらめに管理したのです。その時、そういう教育の中心になったのが、体育教師を中心とした力による『生徒指導』です。

さらに言えば、この『管理教育』を徹底するために最も必要なものが、『情報』でした。子供たちありとあらゆる『情報』をどのようにして収集するかは、生徒指導担当の教師の力量評価の肝でした。

ここでよく知っておかねばならないのは、『管理社会』では、問題が起きないのが当たり前。問題が起きたら、『管理者』=『指導者』の能力が疑われるのです。ところが、強面の教師に自分から積極的に情報を提供する子供などいません。となると、情報収集をしようと思えば、『ちくり=密告』の奨励以外ありません。管理社会=現代風に言えば、『監視社会』が厳しくなればなるほど、『密告社会』になります。

さらに子供たちに喋らせるために、ある種の暴力が用いられる場合が増加します。暴力には、肉体的暴力もあれば、精神的暴力もあります。肉体的暴力は、発覚した場合、社会的制裁が厳しいので、必然的に精神的暴力が多くなります。

精神的暴力には様々あります。言葉による暴力もあれば、噂をばら撒くやり方もあります。人前で恥をかかせるやり方もあります。生徒指導担当の教師の中にこの種のいじめ体質の教師がいたら最悪です。今でも時折問題になりますが、教師が先頭にたっていじめをしているような情況が生まれるのです。

『管理者』=『指導者』がそういう姿勢を見せれば、子供たちのありようも同様な事が多くなります。管理教育時代、『いじめ』が増加したのも当然なのです。まさに、『魚は頭から腐る』のです。

子供たちは、常に教師の顔色をうかがい、表面的には従順なふりをして、陰では舌を出す。典型的な裏表のある人間にならざるを得ません。そして、子供たちの間では、「ちくり」と言われる密告が横行して、子供たちの人間関係が非常に陰湿なものになりました。

教師の間でも、子供たちの心を開き、子供たちを伸び伸び育てようとする優しい教師たちは、非常に辛い立場に追いやられたのです。何故なら、理屈ではなく、力が支配する現場では、『優しさ』だけでは子供を指導する事が困難になるのです。子供たちは直接的に自分に害をもたらす可能性が少ない教師の言う事を聞かない場合が多くなります。

さらに、こういう力とか権威が支配する空間では、教師の位置付けが子供たちに丸見えになります。あの先生の言う事を聞けば得。あの先生は大したことはないから、ほっとけ。こういう子供たちの視線や態度は、ある種の精神的『退廃』を学校現場にもたらします。

こういう学校から、自分に得にならず、直接役に立たない目に見えない『価値』を大切にする精神など育つはずもないのです。

安倍政権下、教師の階層性が極端に強化されました。教師のランク付けが極端に細分化されたのです。現在の学校では、偉い先生と偉くない先生との落差が非常に激しいのです。子供たちは、この評価に敏感に反応します。偉くないとされた教師は、それだけで子供たちの指導に大きなハンディを背負います。こういう学校現場で良質な教育など期待できるはずがないのです。

わたしは、『共謀罪』が実施されると、管理教育下の子供どころではない『監視社会』が訪れると考えています。さらに、怖いのは、『密告社会』です。厭な真実ですが、人間、自分さえよければ、他人はどうでも良いと考える人が多数います。自らが有利になるために、他人を陥れようと考える人間が必ず出てきます。自分の手を汚さずに、目障りな誰かを陥れるのです。戦前、それで泣いた人がどれだけいたか。『密告』の横行する厭な社会が来るのです。

現在の安倍政権の中枢部は、この事を率先して行っています。官僚の人事権掌握を梃子にして、官邸の意向に逆らえない『空気』を醸成するのです。もし、お上の意向に逆らった場合はどうなるのか。加計学園問題の前川氏、森友学園問題の籠池氏、彼らに対する個人的人格攻撃。見ていると気持ちが暗くなります。

たとえば、6月1日、森本康敬釜山総領事を退任させて、後任にドバイ総領事を充てる人事が発表されました。報道によれば、森本氏が知人との会食の席で、官邸の方針を批判したことが総領事交代の原因とされています。

「私的な会合での発言まで問題視するのは異常ですよ。誰が密告したのか知りませんが、審議中の共謀罪の懸念がすでに現実のものになっている。・・・」

このような個人情報を収集する諜報機関の存在があるのです。内閣調査室(通称内調)です。こういうやり口を見せられると、これから先の暗い社会が見えてくるようで暗澹とした気持になります。

前川氏の場合が典型ですが、安倍首相などは、自分たちがこれだけ『印象操作』をしておいて、自分が責められると、『印象操作』だとわめくのですから、あきれかえります。こういう理不尽さが罷り通るのが、『監視社会』なのです。

これがどんなに卑劣な事か。たとえば、いじめられた子供を持つ親が、学校批判をしたとしましょう。それに対して、学校・教師・教育委員会が、いじめられた子供や親の個人の人格攻撃を他の保護者の前でするのと同じです。こんな事が行われたら、PTAも新聞も世の中も黙っていないでしょう。こう言う事が常態になる世の中が来るのです。

自分自身が『管理教育』の末端に位置した経験があるので、よく分かるのですが、『管理』などというものは、必ずエスカレートするのです。これは断言しておきます。どんな法律ができても、取り締まるのは、現場の警察です。取り締まる側から言うと、規則は細かい方が良いのです。規則が細かければ細かいほど、取り締まりが容易なのです。(※取り締まる対象が明確になり、やりやすい)

もう一つ大切で切実な理由があります。取り締まる側の現場の職員は、嫌がる子供たちの心に直接対面します。規則が大雑把だと、嫌がる子供たちの姿勢に負けて、出来るだけ見逃します。ところが、上司は必ずきちんと取り締まれ、と命令します。この間で現場職員は、悩むのです。だから、規則を細分化してもらえば、その悩みの多くは解消します。「規則で決まった事だから」と言い訳すれば、多少なりとも忸怩たる思いから解放されるのです。

おそらく、この後、運用をやりやすくするために、この取り締まり側の要請が必ず出てきます。『共謀罪』の適用対象は、必ず拡大し、細分化します。これは、『管理』する側の必然なのだと考えておいて間違いありません。時代劇でよく出てくる天保の改革当時の『贅沢禁止令』の取り締まりが現実のものになると考えておいた方が良いのです。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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「暗い時代の人々」 森まゆみ著

2017-05-29 10:21:02 | 共謀罪
この本の「暗い時代の人々」というタイトルは、ハンナ・アレントの「暗い時代の人々」という著書から取られている。この本はヨーロッパでファシズムの嵐が吹き荒れる中、精神の自由を守るために闘った人々を描いた人間論である。

この「暗い時代の人々」(森まゆみ著)は、昭和の日本が15年戦争に突き進んで行ったあの時代に、戦争を遂行しようとしていた勢力に対し、「精神の自由」を曲げる事なく守り抜こうとした人々の人間論である。

斎籐隆夫、山川菊栄、山本宣治、竹下夢路、九津見房子、斎籐雷太郎、立野正一、古在由重、西村伊作の9人の人々を描いているが、今回はこの中の山本宣治について取り上げようと思う。

山本宣治は1889年に生まれた。両親は京都の宇治に「花やしき」という別荘を建て、病弱だった宣治は幼少期をそこで過ごした。大変心優しい少年で「花を植えて世の中を美しくしたい」という思いで園芸家の道を歩み始めるが、後にカナダへの渡航を切っ掛けに生物学者へと変転していく。

山本宣治という人の眼が、園芸から生物学、あらゆる生あるものに対する興味、やがて人間とそれを取り巻く「社会」へと拡がっていく変化の歴史でもあった。

山本宣治を写真で見ると、随分線の細い優しげな人である。しかし彼の生涯を見ると決して優しい事は弱い事ではない。生物学者から政治の世界に打って出た彼は、「山宣ひとり孤塁を守る…」という有名な演説を残し、治安維持法に反対し、1929年40才を待たずに暴漢に襲われ無念の死を迎える。これが当時戦争に反対した衆議院議員に対する国家の仕打ちだった。

この本に取り上げられている人々は、あの暗い時代に自らの意思で灯りを灯そうとした人々である。

そして今その「暗い時代」が満開の桜、ゴールデンウィークの後に、静かに立っているような気がしてならない。新しい戦争の気配を身にまといながら。

「知ろうとしない事は罪である。」と誰かの言葉にあったが、奇しくも今日は「共謀罪」が参議院で審議されようとしている。そんな日だからこそ、ひとりでも多くの人にこの「暗い時代の人々」を読んで欲しいと思っている。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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横浜事件の歴史的な検証は不可欠

2017-05-23 09:45:17 | 共謀罪
東京新聞でも最近になって、共謀罪の危険性を検証するために、横浜事件の発端となった新潟県の泊にある旅館を、共謀罪に反対する市民たちが訪れていることを報じていた(2017年4月12日夕刊)。こういう検証のツアーは大いに結構なことであるが、共謀罪の国会審議が始まっていることもあり、遅きに失した観は否めない。

さて、横浜事件の簡単なスケッチは必要なことなので触れておく。

横浜事件は、1942年、総合雑誌「改造」に掲載された細川嘉六の論文が、「共産主義的でソ連を賛美し、政府のアジア政策を批判するもの」などとして問題になり、「改造」は発売頒布禁止処分にされた。そして、9月14日に細川が新聞紙法違反の容疑で逮捕された。

捜査中に、細川と「改造」や「中央公論」の編集者などが同席した集合写真(事件捜査の発端となった写真である)が富山県泊町の旅館で見つかり、日本共産党再結成の謀議を行っていたとされた(「泊事件」)。実際は細川が、1942年7月5日、出版記念で宴会を開催した際の写真にすぎなかった。

1943年に改造社と中央公論社をはじめ、朝日新聞社、岩波書店、満鉄調査部などの関係者約60人が次々に治安維持法違反容疑で逮捕され、神奈川県警の特高は被疑者を革や竹刀で殴打し、失神するとバケツの水をかけるなど激しい拷問をおこない、4人が獄死している。

横浜事件とよばれるようになったのは警察の管轄からである。しかし、この名称は私は不適切と思う。なぜなら横浜という地域限定の事件ではなく、上記のような有名新聞や出版社(今でも大きい)を狙って、一網打尽の共謀をでっち上げて拷問し、事件に仕立て上げた事件だからである。「横浜事件」という名称は権力の思う壺の名称なのである。

このスケッチはウィキペディアを基にして書いているが、そこには「真相については現在でも不明な部分が多く、言論弾圧的な側面だけでなく、反東条の有力な政治家近衛文麿の失脚を期したもの」という推測も可能であるとしている。しかしこれも問題が多い。

かつて、事件の容疑者にされ拷問も受けた木村亨さんの講演を聞いたことがあるが、質疑応答の際に、私が「この事件では先ほど木村さんが敗戦後にGHQの追求を恐れて裁判所(東京地裁)の職員たちが裏庭で事件の証拠書類を焼却していたと言われておりましたが、それなら現在の再審裁判で裁判所が証拠も散逸しているので真相究明は困難だというのは不当な申し開きではないですか」と質問したところ、木村さんは「あなたの言うとおりです。自分たちで証拠を処分しておいて、真相究明ができないというのです」と答えておられた。

そのときのことは今でも忘れることはできない。木村さんは拷問を受けた(竹刀で殴られたりした)が、自分は柔道をやっていたので拷問に耐えることができたと言っておられた。

「横浜事件」の再審裁判では、無罪に近い(免訴という馬鹿げた判決)判決が下ったが、この事件を歴史的にきちんと問い続ける作業は不可欠である。私が歴史的に検証した名称ならば、「軍事政権下における最大の言論弾圧事件」となるだろう。

なお、私が随分以前に入手した「横浜事件資料集」には、容疑者にされた人の中に女性がおられ、この方の手記によれば「裸にされて紐でつるされるという拷問を受けた」と書かれていた。これはどの本にも書かれていない事実であるが、特高は何をするか分からない警察組織だったと言える。

「横浜事件」の教訓として、「正気を失った権力」は、政府にとって都合の悪いメディアや言論に対して、「単なる出版記念会の宴会」までもその宴会の写真を「共謀」があった証拠としてでっち上げ「事件化するのだ」ということを、肝に銘じる必要が大である、ということなのである。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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国会前で会いましょう! Part2

2017-05-16 22:50:03 | 共謀罪
昨日の夕方、フラッと衆議院議員会館前の集会に行ってみた。

雨も降らず暑くもなく、絶好の集会&デモ日和。最寄りの地下鉄の駅から議員会館前に向かう。夕方の涼しい風に乗って、女性達の良く通る声が聞こえて来る。

集まっている人達は500人位かしら。確かに2年前の「安保法制反対」の抗議行動に比べると参加人数は減少しているように見える。しかしここに集まった人々の熱い思いが私には伝わって来た。

議員会館前で知り合った女性の「共謀罪は治安維持法と同じ、人の心の中まで踏み込んで支配しようとする」という言葉が印象に残った。埼玉県からいらしたという。お父様が戦前「治安維持法」で逮捕されそうになり、その話を聞かされ、最近の政治や社会情勢がその頃に酷似して来ていると感じ、いても立ってもいられなくなったとおっしゃっていた。

その隣にいらした男性も(初めてお会いした方だったが)「自分の周辺にはそんな話が出来る人は一人もいない、何かやらなければ何も言えない世の中になる、と思い立って此処へ来た」とおっしゃっていた。

しかしこの方々との出会いも、一度「共謀罪」が通ってしまったら、もしかしたら内通者になるのではないか?とお互いに疑心暗鬼に陥ってしまうのではないか。

それでも私は「誰でも入れる市民のデモ」に参加する事を止めないだろう。小さな集会でも、大きなデモでも参加して行くだろう。

声を上げていくこと。それが私が人間として生きている証になるのだから。

それにしても最近マスコミ等で共謀罪について取り上げる機会が減っているような気がする。共謀罪という恐ろしい法律が出来てしまうかもしれなのに。

だが、私は自分の出来る場所で出来る事を行っていく。今までも、そしてこれからも。

ともに頑張りましょう。

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
パンドラ

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「共謀罪廃案へ!」連続行動日程

2017-05-13 14:31:26 | 共謀罪
以下は「共謀罪NO!実行委員会」からの呼び掛けと、来週の連続行動の日程です。

国会では、安倍首相や閣僚たちの不誠実・不見識な答弁、各委員会委員長の不公正な国会運営、官僚らの野党議員に対するあからさまな回答拒否など、数を嵩にきた安倍政権による立法府の乗っ取りとも言うべき状態が続き、理を説いて暴走を止めようとする野党議員の苦闘が続いています。

そんな中で世紀の悪法「共謀罪」が来週にも衆議院法務委員会で採決されるという報が流れています。今こそ私たちも「共謀罪NO!」の意志を行動で示し可視化すことによって、野党議員の頑張りを後押しし、「共謀罪」廃案を共に実現したいと思います。

皆さん、都合をつけられる時間を見つけて是非行動に参加を!

===
拙速審議・委員会強行採決を許すな!
共謀罪法案廃案へ!

安倍政権は、今国会でなんとしても共謀罪法案を制定しようとしています。
4 月衆議院通過の目論見が破綻し、連休明け後、衆議院法務委員会での採決を強行しようとしています。
共謀罪に反対する声は広がっています。共謀罪を廃案に追い込みましょう!

* 5 月15 日(月)
 昼(12 時~ 13 時)  議員会館前行動
 午後(13 時30 分~ 16 時)議員会館前座り込み
 夕方(18 時30 分~ 19 時30 分)議員会館前行動
* 5 月16 日(火) 審議日
 昼(12 時~ 13 時) 議員会館前行動
 午後(13 時30 分~ 16 時) 議員会館前座り込み
 夕方(18 時30 分~)日比谷野音集会・銀座デモ
* 5 月17 日(水) 審議日
 昼(12 時~ 13 時)  議員会館前行動
 午後(13 時30 分~ 16 時)議員会館前座り込み
 夕方(18 時30 分~ 19 時30 分)議員会館前行動
* 5 月18 日(木)
 昼(12 時~ 13 時)  議員会館前行動
 午後(13 時30 分~ 16 時)議員会館前座り込み
 夕方(18 時30 分~ 19 時30 分)議員会館前行動
* 5 月19 日(金) 審議日
 昼(12 時~ 13 時)  議員会館前行動
 午後(13 時30 分~ 16 時)議員会館前座り込み
 夕方(18 時30 分~)  国会正門前行動

共催: 共謀罪NO!実行委員会/戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
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https://www.kyobozaino.com/

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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「共謀罪」制定で何が変わるのか

2017-05-09 10:06:29 | 共謀罪
277の犯罪に共謀罪を設定すると、一体その制定後にこの国はどう変わるのか。その議論も余りされていないが、この問題は歴史的に俯瞰する必要がある。

安倍首相は以前、「立憲主義の意味は?」と国会で聞かれたときにこう答えた。「それは絶対王政の時代の考え方である」と。

他の国ならここで安倍首相は終焉を迎えたはずだ。憲法の原理も分かっていない人に国政の長を任せるわけにはいかない。憲法尊重擁護義務を遵守できるはずがないからである。

この安倍失言と密接に関係するのが「共謀罪」の意味である。

憲法は31条は、国民に法定手続きの保障を権利として認めている。この解釈で「法定」とは適正手続きの保障と解釈されるべきである(通説は反対意見)が、それはともかくとしてこの規定;人権保障から、刑法の「罪刑法定主義」などが帰結される。

しかしより重要な帰結(コロラリー)として、刑法の謙抑性、つまり刑罰を国民に課すのは必要最小限になされるべきであるという原則がある。

具体的に言うと、些細な犯罪行為などを刑法の「犯罪類型」にするべきではないということである。事例としては、間違って他人の傘などを家に持ち帰った例が考えられる。一見窃盗罪に見えるが窃盗の意志はないので窃盗罪に問われない。

これを逆に判断すると、安倍政権が制定しようとしている「共謀罪」のおかしさが分かるはずだ。

「共謀」の会話が二人の友人の間でなされた形跡(電話などで)があるとしよう。「俺の持っている鞄は大分くたびれてきた。金持ちの友人の鞄は新しい。明日その友人が鞄を持ってくるはずだ。そのとき、俺の古いのと交換しようと思う。手伝って。」

この会話のとき共謀罪で逮捕されたとしよう。明日になったらこの会話のとおりの鞄交換;窃盗がなされるか、まったく誰にも分からない。この段階で「犯罪」だというのは法定手続きの権利保障に反するのではないだろうか。

また、近代市民革命の重大な成果である「絶対王政の刑罰思想の克服」がある。絶対王政の時代には国王が恣意的に国民に刑罰を課していた。その時代の思想家にベッカリア(イタリアの法律家)がいる。彼は当時を振り返って、この時代の自分の著作は、絶対王政を意識して「奴隷の言葉」で執筆していたという。正直に書くと罰せられ投獄されるからである。

こうした事例に事欠くことはない。それほど「共謀罪」は恐ろしい刑法の悪魔的な展開になることは必定なのである。

安倍政権は随分以前から「正気」を失っている。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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サメ警察と、ヒラメ裁判所がやってくる

2017-04-17 09:35:15 | 共謀罪
数の力任せで納得できる説明やマジメな議論を省く、安倍政権。そして、肩書きだけで勉強しない各省庁の大臣。よくもこれだけ、無責任でいい加減な政治が続けられるものだと毎日呆れるばかりだ。

そして、極めつけの「共謀罪」。既存の法律でカバーできるのに「テロ防止」を御旗にゴリ押しする政府の思惑が丸見えなのが、沖縄平和運動センター・山城議長を恣意的に長期拘留した事件である。東京新聞の見出しには、
「長期拘留、不当な国策」
「取り調べで『共謀罪』の怖さ実感」
とある。

本文記事からは「政府にたてつくヤツは、どうにでもできるんだぞ!」という安倍政権の意図が明確にわかる。山城さんを逮捕拘留する一方、不明朗な経費で東京から警察官・機動隊員を長期派遣し、座り込む反対派をロープで縛り負傷させたのに「安全に配慮して適法」と言い放つ警察。海上で反対派のゴムボートに乗り込み、高齢女性に馬乗りになって押さえ込みながら「海中への転落防止」と涼しい顔の海上保安庁。

「警視庁の機動隊が派遣されると(反対派への)排除行動は、相手が女性や高齢者でも見境なく力任せになった。~リーダーと呼ばれる人間を屈服させ、同時にすべての関係者の連絡先を押さえる。沖縄の大衆運動そのものを取り締まっていく国策捜査だと思う」

これが釈放された山城議長のコメントである。こんな公権力の弾圧に、インターネット上のネトウヨによる沖縄ヘイトが拍車をかける。国民が言いたいことを公言できなければ、政府は「国民に反対はなく、納得している」と勝手な解釈で独善的な政策を進めることになる。そのための強力な武器が「共謀罪」である。

その昔、特高警察は軍国政権の犬となり、戦時体制に反対する人間を威圧し、デタラメに逮捕・拷問した。
・週刊女性「共謀罪で言論弾圧再び!? 治安維持法時代の凄惨な『横浜事件』を振り返る」
http://www.jprime.jp/articles/-/9478

この事件では神奈川県特高警察が言論弾圧で60名を逮捕し、拷問により死に至らしめている。近年の裁判により被告は名誉回復したが、検察・裁判所は非を認めていない。

そんなのは昔の話、現代では許されない。心配ない・・・それは間違いである。東京新聞4月5日付「こちら特報部」では「志布志事件にみる『共謀罪』の危うさ」として、2003年の鹿児島県議選で一般人が不当逮捕された「志布志事件」を取り上げていた。
・NAVERまとめ「冤罪を語る上で外すことができない『「志布志事件』」
https://matome.naver.jp/odai/2141912335869414601

証拠のでっち上げ、「踏絵」による自白の強要、任意なのに長時間の身柄拘束、丸裸の身体検査などの異常な取り調べが問題になり被告全員が無罪となったが、県警や裁判所は不当捜査・令状発行について謝罪していない。関係者は意図的に人事異動されたり退職したり。つまり、誰も恣意的運用の責任をとらないのだ。

このように、政権の意向で警察は恣意的に事件化し、裁判所は政権の意向を忖度して看過する。真っ当な民主主義に基づく政権運営をしないとサメ警察やヒラメ裁判所が暴走するから、安倍政権には「共謀罪」法案を成立させてはならない・・・いや、どの政権でも「共謀罪」の立法などいらない。

護憲+コラム」より
猫家五六助
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「共謀罪」と国民監視システム

2017-03-27 10:04:11 | 共謀罪
安倍政権(第二次)になって、それまでの自民党とは異なる矢継ぎ早の法案提出(ほとんどは国会で可決)と、国家を私物化する如きスキャンダルの嵐に、60年以上生きてきた高齢の私でもあっと驚く。

安倍首相のキャラもさることながら、これまでにもましてアメリカとの一体化の深化がある。

しかし、これまでの立法過程とは違って、憲法改正までに出来る限りの憲法破壊をしようという、その総仕上げに王手をかける法案の提出が、現在進行中である。

それは「共謀罪」の度重なる提出である。後に明らかになるが、「共謀罪」は名称を変えて「テロ等準備罪」という口当たりのいい表現になっている。これは実に曲者である。

スノーデン事件の問題でスノーデン自身にロングインタビューを決行した元朝日の記者小笠原みどり氏のコラムを読めば(「共謀罪の狙いはテロ対策ではない。スノーデンの警告に耳を傾けよ。」)明らかだが、共謀罪はスノーデンが2013年に暴露したアメリカの諜報機関NSAによるアメリカ国民の監視システム「プリズム」の日本版であり、「共謀罪」はスノーデンによれば「アメリカの機関が設計したもの」ということらしい。

小笠原氏はコラムで、「共謀罪」の危険な特徴を「共謀罪の核心は、人々のコミュニケーションが犯罪化される、という点にある。合意すること、相談すること、言葉に出すことで犯罪が成立するのだから、警察は私たちのコミュニケーションそのものを捜査対象にすることになる」と警告する。

本稿では小笠原氏の警告をこれ以上書き込めないが(興味ある方はネット上の氏のコラムを読んで欲しい)、法律学の研究を長年してきた私の観点から「共謀罪」を分析しておこう。

まず、「共謀罪」は単独の法制度として安倍政権が制定するものではないということである。それはこれまでの一連の法律とのセットにして法律化されるのである。

最初に「盗聴法」の制定があった。これでいつでも私たちのコミュニケーションを丸裸にできる。次に「特定秘密保護法」の制定があった。これで国家が犯罪にできる秘密の範囲が絞られた。

さらに安保法制の制定である。日本国が憲法9条の縛りを超えて海外に派兵できる。(従来は個別的な派兵だった。)そして、マイナンバー制度によって国民のプライバシーを丸裸にできる。

そして、仕上げは「共謀罪」である。「特定秘密保護法」などでは国民の監視は非常に狭い範囲でしかできないからである。それは主に新聞記者などに限定されるからだ。

「共謀罪」はアメリカのNSA(国家安全保障局)が開発した「プリズム」の設計を日本版として送りだすシステムの構築を前提にしており、「共謀罪」という犯罪類型は古典的な(刑法に古典的というものは存在しないはずだが)犯罪と全く異なり、「共謀」という客観化できない、つまり実行という犯罪をそのままでは警察に察知できない人々の「相談」とか「合意」を「犯罪」とみなす、「国家の盗聴」を前提にしている。

これは常識的にみて「犯罪」とは言えない代物である。なぜなら、人々のコミュニケーションだけでは何らの犯罪の痕跡も法益(刑法上の重要な要件)の侵害も起こっていないからである。

例えば窃盗罪を例に出せば「あいつの財布を奪ってやろうか」と思ったり、冗談で口にしたりすることはなんら窃盗行為に該当しないのである。もし共謀罪が制定されれば、私たちはネットなどで冗談も言うことは危険なこととなる。

スノーデンが言うように、「共謀罪」は「この監視システムは狂気じみている」ということなのだ。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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「共謀罪」の制定を急ぐ安倍政権

2017-03-21 16:34:34 | 共謀罪
以前にも指摘したように、オリンピックの開催時におけるテロの防止を徹底させるために「共謀罪」を制定しようと安倍政権は躍起になっているが、この「共謀罪」を犯罪類型として制定するとなると、現在の刑法が想定する犯罪行為の概念を根底から変えることになるのだ。

現刑法では、犯罪行為は実行されてはじめて処罰されるという仕組みになっている。それも実行行為が既遂になって処罰できるのが原則であり、未遂の場合には例外的にしか処罰されないのである。

この刑法は明治時代に制定されたものであり、自由主義的な刑法でもなかった。そういう古い刑法でも想定していない「共謀罪」を制定するということは、ほとんど軍事独裁政権と言っても過言ではない。

この国家類型に相当する国は、意外にもアメリカ合衆国かもしれない。スノーデン事件を引き合いに出すと、彼がアメリカ政府の一部機関が国民を監視するシステムを構築していることと、日本も監視対象(もちろん国民も)になっていることに危機感を深め暴露しただけで、愛国法などに違反するとして犯罪者扱いされ、ロシアに亡命していることは、映画などでも有名である。

こうした「共謀罪」の発想は、同盟国のアメリカ政府の機関から吹き込まれたのかもしれないのである。

安倍政権(自民党政権は以前から極右化しているが)は、民主主義と立憲主義を破壊することはなんでも行う危険な政権なので、「共謀罪」という治安維持法の復活を意味する法律の制定を急いでいるのである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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