老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

メディアの説明責任を問う

2010-01-29 22:03:05 | マスコミ報道
1月26日のasahi.comは、鈴木宗男議員が「検察の情報漏洩は有りや無しや」との質問趣意書を内閣に提出し、それに対して内閣は「(検察当局が)捜査情報や捜査方針を外部に漏らすことはない」とする答弁書を閣議決定した、と報じている。

http://www.asahi.com/politics/update/0126/TKY201001260373.html

そして1月27日、28日の朝日新聞には、小沢・鳩山の政治資金規正法に関するゴミ報道が全くなく、台風一過のような秋空が続いている感がある。これも26日の「内閣の答弁書」の閣議決定が大きく影響しているのではあるまいか。1月25日までのネガティブ報道はどうなった、と問いたい位だ。

メディアは小沢幹事長の政治資金問題について昨年秘書が逮捕されて以来、東京地検特捜部の名を冠にしたり、検察当局しか知りえないと思われる捜査情報を、「関係者によれば・・」との常套句を用いて記事や電波で報道して来た。ところが今回の閣議決定で、メディアの情報源としてきた根拠に少なからず辻褄の合わない矛盾が生じている。

個人的には朝日新聞とNHKの報道しか見聞していないが、両社はこの情報源の矛盾について読者と視聴者に説明すべきである。そして検察から情報を入手して報道したことが事実であれば、内閣の閣議決定内容は「虚偽」である旨抗議すべきである。

もし虚偽が明らかにされれば、法務大臣は検察の漏洩者を守秘義務違反で処分すべきであり、逆に閣議決定内容が事実であれば、両社は購読者と視聴者だけでなく広く国民に謝罪し、その責任者を処分すべきであろう。これだけ社会を騒がし、場合によっては被害者が発生することから、どちらか虚偽を犯した方に処分者が出て然るべきであろう。

その場合、実際の被害者は小沢幹事長側と民主党であろう。両被害者はメディア側に対して不法行為(名誉毀損)による損害賠償(慰謝料)訴訟を起こしてもおかしくないくらいである。

折りしも1月27日のasahi.comは、『小泉純一郎元首相の政界引退をめぐる誤った記事で名誉を傷つけられたとして、首相秘書官だった飯島勲氏が毎日新聞社に1千万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁(松並重雄裁判長)は27日、100万円の支払いを同社に命じる判決を言い渡した。』と報じている。

http://www.asahi.com/national/update/0127/TKY201001270410.html

そして判決文は、『「新聞報道に携わる者としてあるまじき重大な過失によって誤った記事を作成した」と述べ、「記事は飯島氏の名誉を傷つけたと結論づけた。」 』と断罪している。

これに比べても、昨年3月から今年1月25日までの小沢氏側と民主党に対する誹謗中傷と思しき記事とニュース報道は、国民の知る権利を逸脱したものであり、その回数と文字量において毎日新聞の飯島勲氏へのものを遙かに上回っているはずである。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
紅顔の美少年
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普天間問題の決着方法

2010-01-29 08:42:35 | 民主党政権
これまで外務・防衛大臣からいろいろな発言が相次いだが、先日の名護市長選の結果を無視したような平野官房長官の発言が、更に内閣の迷走ぶりをイメージ付けたようである。

これら一連の発言は迷いに迷って米国側に立ったもののように見える。しかし、党の公約は昨年の衆議員選時の県外・国外移転である。また党の幹部である小沢幹事長は在日米軍は第七艦隊で十分との持論で、鳩山首相は元々米軍の駐留無き日米安保論者のはずである。

他の民主党議員(例:前原国交大臣、長島防衛副大臣、岡田外相)に自民党政府と米国政府で合意した辺野古案を支持する議員が居たとしても、自民党政府が今日までそれを強行できなかったことや、今回の名護市長選の結果を踏まえれば、彼らが辺野古案を強行に主張することも、もはや無理であろう。

仮に辺野古案を民主党政府案として強行すれば、辺野古案実行を逡巡していた自民党より沖縄県民無視であり、これでは国民生活第一ではなく、米軍第一の政治といわざるを得ない。民主党の公約違反であり、今夏の参議院選挙での過半数獲得に赤信号が点く。

最後は鳩山持論と小沢持論、そして民主党の選挙公約と名護市長選の民意の連立方程式を、党幹部と内閣幹部4名で堂々と解くべきである。そしてその答えは、海兵隊はグアムにお引き取り願うことである。これからは日米深化でなく進化でなくてはならないはずである。

「護憲+BBS」「新政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「秋葉原事件」弁護団は「責任能力」論に逃げ込むな

2010-01-28 21:58:50 | 社会問題
秋葉原事件の公判が始まった。こうした事件でいつも弁護側が一番に争点にするのが「責任能力」の問題である。心神耗弱と心身喪失の二つがあるが、前者は責任能力の限定であり通常の場合より罪が軽減される。後者では責任がないとされ犯罪に問われない。秋葉原事件の場合、弁護団は前者を主張して極刑を免れようとするだろう。

しかしながら、私はこうした事件で「責任能力の問題」に焦点を絞って犯罪を軽くしようとしたり犯罪自体の責任を否定する弁護はおかしいと考える。

確かに責任能力を否定する19世紀から始まった犯罪論は、狂気による犯行には責任を問えないという人間観あるいは哲学に基づいている。ところが、20世紀後半に至ってこの思想に対して大きな疑問が出てきたように思われる。

この問題に疑問をいだき法制度改革を行った国がある、英国である。こうした実践を背後から支える思想は何であろうか。おそらく人間観の転換であろう。19世紀の人間観のモデルは理性ということであるが、世界大戦を二度も経験した現在、人間理性を絶対化する哲学はこの歴史的な経験により相対化され、理性というものの擬制的な構造を明確にしたのではないだろうか。

こうした一般論を踏まえ、また秋葉原事件のような大量殺人はそもそも何らかの狂気によって引き起こされたという事実(戦後から現在に至る歴史過程における)を直視するならば、責任能力論に弁護団は逃げ込まず、この大量殺人を引き起こした犯罪者の動機形成を正面から受け止め、そこを中心として審理を行うように弁護活動を行うべきであると考える。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
名無しの探偵
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「ベーシック・インカムについて考える」(「サロン・ド・朔」1月例会報告)

2010-01-28 09:46:32 | 社会問題
1月22日開催の「サロン・ド・朔」北村るみ子さん講演の「ベーシックインカムについて考える」の報告をいたします。

ベーシックインカム(basic income, 以下BIと表記します)の概要については、

すべての人々に無条件に一定の所得が与えられる制度である。

世帯ではなく個人に交付される。
無条件に交付される。
ほかの所得の有無を問われない。
資力を問われない。
職歴を問われない。
能力を問われない。
就労条件を課されない。

生活するのに十分な給付水準であれば完全BI、それだけでは生活できず、稼得や他の給付などで補われる必要があるものは部分BIと呼ばれる。

という事だそうです。

BIのメリットは、

審査に伴う費用、人員、時間、エネルギーの不要。
生活保護とかと違い皆が受給するので、スティグマ感がない。
“働かざる者にも食ってもらう”ことで消費が拡大する。
生活の為に不本意な労働に従事する必要がない。

などが北村さんの話。

それに対して批判・疑問点が、質疑応答の中でありました。

Q.モラルザハードの面からも良い制度とは言えない。今でも何十万人も存在すると言われるニート、ひきこもりの人達が余計働かなくなるのではないか?何もやりたいことが無いという人に唯金を与えて好きなようにしろ、というのでは福祉とは言えないと思う。(複数の意見)

A. ニートひきこもりは今でも存在している。何もやりたいことが無いように見えるかも知れないが、彼らは彼らなりに模索しているのではないか。生存の不安を感じて危機感から働く、動き出すという事も考えられられるが、ひきこもりについて言えば多種多様であり、先ず生活の為の最低保障がなければ、落ち着いて仕事を探す事も動き出すこともできない。(後日、北村さん談)

Q.北村さんは今の社会は物が溢れていてこれ以上作る必要がないと言われたが、逆に石油などは数十年で枯渇すると言われている。国民に金を給付する事より皆で働いて限りある資源を有効に使う事の方が大事なのではないか?

A.BIの発想には、今の物が行き渡り人手も必要としない社会で、無理に仕事を作り出すより、使える給付金を渡そうという考え方がある。それがこれからの資源、エネルギーの問題とどうリンクしていくかは想定外だったので、これからも考える課題のひとつとなると思う。

次いで、北村さんから、財源について『所得税案』『消費税案』『流通通貨案』の話があった後、財源に関するQ&A、

Q.所得税案については、年収1千万以上の層から反対や海外に移住するという話も出てくるのではいか?ちよっと現実的ではない。消費税案についても、消費税は上がっても価格は変わらない(商品の内の消費税が上がるだけなので)というが日本は輸入大国であり、原材料を輸入に頼っている我が国では、商品の値上げに繋がるのではないか?

A.おっしゃるように、所得税案、消費税案についてはまだまだ問題点が多く今後の課題としたい。私は財源としては、古山明男さんの公共通貨案(*)について評価できる部分があると思う。

(*)公共通貨案というのは、関ひろのさん、古山明男さんが提唱するもので、

関さんの公共通貨論は、『日銀を民主的な国立銀行とする。その国立銀行から発行した公共通貨(今の日銀債ではない)を発行しそれを財源とする。』

古山明男さん案は、『新しい電子マネー型の公共通貨を作り配る(国債と同じ)。納税に使えるし、日銀マネーと交換できる(手数料有り)。この新しいお金は使った時に1%自動回収される。使わずに持っていると一ヶ月ごとに1%自動回収される。回収したお金は、つぎのベーシックインカムの財源になる。先に出して、後から回収して循環させる方法。』

だそうです。

これに対しては、「超インフレを招くのではないか?」「他国との国際競争力が落ちるのではないか?」「BI目当ての難民が増えるのではないか?」と様々な疑問点が指摘されました。

北村さんの話からは、聞いている人のひとつひとつの疑問点、批判点などを取り上げ、そこからベーシックインカムのあり方について考えてみようという姿勢を感じました。BIに関してはまだまだ疑問点、未知の部分も多く、国の労働、経済、通貨、企業の、人の生き方にも関わって来ることでもあり、時間をかけて考えて行くことが必要だと、私は思いました。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
パンドラ
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「ゼロベース」に出来ないものがある

2010-01-26 16:01:16 | 民主党政権
24日の名護市長選の「辺野古移転反対」派勝利の結果を受けて、鳩山首相や岡田外相は先日平野官房長官が沖縄を視察訪問した際に使った「ゼロベース」と言う言葉を25日の記者会見で相次いで使っている。

ここで指摘しておきたいのは、民主党を支持した国民のゼロベースの意味の取り方は、自民党政権と米国政府間で取り決めた辺野古移転はゼロベースとの意味であり、民主党が昨年の衆議員選挙で沖縄県民に公約した「県外若しくは国外移転」までもゼロベースにするようなことではないだろうなと言うことである。

仮に公約をゼロベースにするようなことがあれば、今夏の参議員選挙では沖縄県民には「裏切り者」の烙印を押され、更にメディアには「選挙公約違反」と煽られることを覚悟すべきである。

「護憲+BBS」「新政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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正月の終わりに

2010-01-25 10:41:55 | 民主党政権
新しい年が明けた。だからと言って、「この一年を~」などと格別改まるほどの齢でもなし、平素からストレスとかプレッシャーなどと言う高尚?なものとはお付き合いのない暮らし向きの、言うなれば能天気そのもの。
 
だが、今年はいささか違う。この気分を称するに「閉塞感」なる言葉を用いるのであろうか。どうにもすっきりしない。暖冬とのご託宣に反しての豪雪・寒冷に、過ごし易い冬への期待感が消し飛んだのとは、ものが違うとしか言いようのない虚しさの中に居る。

このグループが生まれる契機になった「老人党宣言」。そこに掲げられたのは「取り敢えずは政権交代」であった。因ってきたった多くは「敵失」であったとしても、それが長い不毛の時を越えて現実のものとなったのである。そこには差し込む朝陽のような清々しさが漂っていてしかるべきものであろうが、現実はどうか。期待していたものとは大いにと言っていいくらい違うの思いを、拭いきれない。

いつ政権交代が起きても慌てふためかない準備・受け皿として、「影の内閣」なるものも組み、人材をそれぞれに配して態勢を整えて来たのではなかったのか。思いもかけない大勝であったとか、年度途中の交代であるとかの理由は要らぬ。前内閣が組んだ補正予算の執行を、一部だが凍結するという見識を示した勢いは何処へと問い直したいような年明けである。

いかなる進歩発展があろうとも、全てのそもそもは「人」である。民主党そのものの人間模様も、右から左まで振幅は大きい。ましてやそれを更に広げたような連立政権。舵取りの難しさは始まる前から分かっていること、それに重ねて「夏の参院選で絶対多数を得ても連立は継続」の言。見ようによっては、国民戦線的政権とも言える陣立て。「排除の論理」などと言う代物は「友愛」とも相容れぬ。
 
まさかこの言葉をも含めて「時間の経緯によって考えは変わる」との予防線を張っている訳ではないと思いたい。連立の継続、これは正に「信」そのものであるからだ。この予防線とも取れる「変わる」の発言は、自民党的立脚からする憲法改正論者である鳩山総理のその信念を、過去のものにするために用意された言葉でもあると信じたい。
 
幸か不幸かなどと言う枕詞は無用として、既に閣僚の交代劇は演じられたのだ。自分のメガネにかなったスタッフかどうかの見極めをつける期間を今国会期間とするぐらいの度胸で、政府に入った人たちの力量の評価に取り組まなければならぬ。テレビで目立っていた人が、即、「人材」と言うわけではない。あの顔ぶれで出尽くしだとすれば、寂し過ぎる。当選回数という物差し重用の自縄自縛は、賢者の選ぶ道ではない。

「政治と金」。この最も大衆受けする課題に対する対処の仕方を自分の言葉で明確に語り、その効果の担保策を提示すること。「三党連立政権としての内政・外交方針および政治主導下での党と政府の在り様」を明示すること。これらには、当然のこととして「国と地方のあり方」や、国・地方を問わず蔓延っている「天下りの根絶」、「税制のあり方と公財政の巨視的赤字対策」、「米軍基地の縮小と平行しての防衛経費の縮減」などなど、戦後政治からの革命的転換宣言に相応しい内容を三党連立の成果として示して欲しいものである。

遅れて見た初夢と笑われるのがオチではあろうが、それでもなお正夢をと願う寓居老人である。

「護憲+コラム」より
百山
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「世界最悪の人権侵害国家」はどこか

2010-01-24 10:15:23 | アメリカ
数日前、アメリカ国務省の北朝鮮などの担当らしきキングという人が、北朝鮮は世界最悪の人権侵害国家だから、現状では外交交渉の相手にしないと言明していました。

私は、人権侵害の極限はその対象の人間を殺すことだと考えます。

そう考えると、言いがかりをつけた側すらそんなものはなかったと認めざるを得なかった大量破壊兵器、核兵器があることにして他国イラクを侵略して大勢の人々を殺害し、その侵略の結果自爆テロを生み出し、さらに、9.11テロとは確かな証拠もないのにその元凶だとしてアフガンに侵入してアフガンの多数の人々を殺し、現在もそれを続けているアメリカの人権侵害は、北朝鮮の比ではありません。

われわれはアメリカの人権侵害というとき、アメリカの国内だけを考えるのは大変な間違いだと思います。キングさんは威張って他国を非難する前に、自国がやっていることを猛省してほしいと思います。世界最悪の人権侵害国家は、現在ではアメリカそのものです。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
鈴木建三
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政府民主党の国会戦術や良し

2010-01-23 16:04:19 | 民主党政権
18日に始まった国会での衆議院予算委員会に於ける与野党間の攻防をテレビとラジオで見聞したが、政治資金問題については政府(主に首相)は防戦一方であった。これはやむをえない。今後も防御を固めて言質をとられないように、答弁は必要最小限にして喋り過ぎないことである。政府与党は、既得権を守ろうとする旧政官業+メディア挙げての民主党連立政権潰しであることを心得て、今後とも論戦すべきである。

一方本来の第二次補正予算案論争では、民主党議員の質問と菅財部大臣の答弁が相乗効果を発揮し、野党の口撃を論破していた。それは民主党議員が自公政権時代の政策の失敗を国民に分かりやすく浮き彫りにした上で政府に質問していたため、それが政府答弁を引き立て、補正予算案の意義を分かりやすくしていたように思う。

中でも与野党論戦の圧巻は、自民党の論客茂木議員と菅財部大臣の攻防であったが、茂木氏の質問に対し、菅大臣の自公政権の政策失敗を指摘する得意のブーメラ戦術には茂木議員も反論の余地無く、自民党議員席もシュンと静まり返っているしかないようであった。その上で政府予算案の意義を説明する方法は分かりやすく説得力があったと思う。

民主党は昨年末の国会では代表質問も予算委員会での質問も政権与党は必要無いとしていたが、これを改めて質問に立ち、今後も政府案の意義をフォローアップし、一方で小泉政権以後の自公政権の政策失敗、政官業癒着の利権政治の弊害を広く国民に訴え、「国民生活第一」と「コンクリートから人へ」の政策をアッピールして、参議員選挙につなげて行くべきである。既に参議員選挙の前哨戦は始まっているのである。

「護憲+BBS」「国会ウォッチング」より
厚顔の美少年
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話し合いができる「サロン・ド・朔」

2010-01-23 15:55:54 | イベント情報
「サロン・ド・朔」1月例会は私用で残念ながら欠席でしたが、今まで参加してきた者として、少しだけこの会について思うところを述べます。

この会は、「講演会だけではない」ということです。メインスピーカーには、1時間ほどお話いただきますが、本当はそのあと、ゲストを交えての質疑応答、そして食事をしながらの話し合いにこそ、このささやかな会の良さがあるのだと思います。

つまり、ゲストのお話を伺うだけでなく、そのお話と社会の接点、自分との接点、自分自身が伺ったお話や問題にどう関われるかを、皆さんで話し合えることこそ、この「サロン・ド・朔」の長所だと私は思っています。

今回は「ベーシック・インカム」についてでした。そして、お話を伺う前に、「ベーシック・インカムは、税制等の改革など経済的な裏づけがない限り、夢想のようなもので、聞くだけの価値がない」(私の理解ですが)といった意見が寄せられました。

私はゲスト・スピーカーが、その答えを全て持っているとは、意見を寄せられた方同様に、最初からあまり期待はしていませんでした。しかし、むしろそれだからこそ、「ベーシック・インカムを強く希求する気持ち」の中に、人間社会の平等や、社会的弱者も生き易く、といった理想があるのではないか、と思いました。

そしてゲストの「ベーシック・インカムを希求する理由」を伺ってみたい。その理由に納得がいけば、すぐにベーシック・インカムが制度化されることが難しくても、その考え方を現実に反映させるためには、どういった問題点と、どういった制度があり得るか、それを出席者で話し合うことが出来ると思ったのです。

「サロン・ド・朔」が面白い集まりであるのは、出席者がより良い社会を願う人々である以外、年代も立場も性別も興味もそれぞれで、そういった人々が、互いの信頼のもとで、遠慮なく質問しあい、討議しあえるところにあるのではないでしょうか。

先ほどの意見を申された方が、「それだから出席しない」ではなくて、「ベーシック・インカムの問題点」を指摘しながらも、「それならどういう方法があるのか」を、ご一緒に考える場を持ってくださったら良かったのにと残念に思いました。

つまりゲストから学ぶ勉強会だけでなく、出席者が、ゲストが話した問題をより練り上げて考えていく場であり、そこでその問題をより深めることが出来る、自分自身の考えも鍛え直せる。こういったことが、講演会だけでない「サロン・ド・朔」のよさだと考えています。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
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「貧民の帝都」(塩見鮮一郎著・文春新書)

2010-01-23 10:24:17 | 民主主義・人権
名無しの探偵さんがコラムで紹介された「東京の下層社会」に関連して、明治以後の東京の「貧民」については塩見鮮一郎の「貧民の帝都」(文春新書)が入手しやすく、しかも詳しく述べられています。

著者は「浅草弾左衛門」の研究で知られた人です。序章で「わたしは十代のころから困窮者が気になって仕方ない。」と述べていますが、実はわたしもそうで、子どものころチョコレート色の電車の中を箱を首からぶら下げて歩いていた「傷痍軍人」と呼ばれる人々、わたしの家の近所にあった「バタヤ部落」(中心に廃品回収業者の作業場があり、その周りにあったバラックの集落に住んでいる人たち)が気になっていました。(おとなになってから「もしかしたらあれがいわゆる被差別部落だったのかもしれないな」と考えました。)

それで盲人等障害者や「エタ」と呼ばれた非人たちの歴史に興味を持ったので、この著者のことを知っているのです。

この本でも「帝都の最底辺」として松原岩五郎の「最暗黒の東京」や横山源之助の「日本の下層階級」が取り上げられ、四大スラムが紹介されています。中でも現在の信濃町駅に近い「鮫ヶ橋」は大きなスラムで、現在も「二葉南元保育園」として残っている「二葉貧民幼稚園」は日本の保育園の元祖と言ってよいものです。

すっかりまとまりがつかなくなってしまいましたが、この本は「明治維新」というもの、「日本の近代化」というものを権力側とはまったく違う視点から述べたものだと思います。

政府や自治体の仕事として任せるのではなく、わたしたちの社会の一員として、わたしたち自身が対応できる力(つまり、困窮者を地域で受け入れるゆとりのある力)をこの社会が取り戻せるようにしなければならないと思います。

「護憲+BBS」「 コラムの感想」より
千葉の菊
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