老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

朝日新聞の「患者を生きる」の記事を読んで

2020-02-26 12:57:34 | マスコミ報道
朝日新聞は、特集「患者を生きる」の中で、2月24日の19面、25日の17面に「緩和ケア医のがん」という5回シリーズの記事を連載中です。

記事で紹介されている主人公の医者は、当初逆流性食道炎を発症し、胃酸を抑える薬(薬名は記載無し)を呑んでいてたことが綴られています。検査の結果食道がんで、リンパ節にも転移がありステージ3で鏡視下手術で無事切除できた様ですが、予後が良くなく2ヶ月入院されたようです。

現在切除不能の食道胃接合部がんである私も、当初人間ドックで逆流性食道炎と診断され、別な医院で胃酸分泌を抑える薬(ラニチジン)を長期処方され、服用し続けていたので、記事の主人公が服用されていた「胃酸を抑える薬」名は何だったのか、記事からは不明ですが、強い関心があります。

何故なら、胃酸抑制剤(逆流性食道炎等治療薬)ラニチジンに発がん物質が含まれていたとの朝日新聞の報道が、昨年の10月4日の夕刊に掲載されていたからです。

時系列から見れば、服用されていた「胃酸を抑える薬」が分かれば、記事の主人公のがん発症の因果関係に迫れる第2の事例に成るのではないかと想像する次第です。今日を含め残り3回の連載を見たいと思います。

因みに厚労省は昨年10月頃、後発製薬会社10社に、「ラニチジンに発がん物質含有」の疑いを指摘し、各社は一斉に自主回収に踏み切ったことが報道されています。

参照:朝日新聞の『増える「食道胃接合部がん」』の記事を読んで (厚顔:2019/12/15)
***
>2019年12月11日の朝日新聞朝刊「生活欄・医療」欄に表題の記事が掲載されたので、注意深く読ませて戴きました。なぜなら私は約3年半前に「食道胃接合部がん」と診断され、現在も闘病中の当事者だからです。


>ラニチジンを服用中に癌と診断された者として言わしてもらえば、逆流性食道炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍治療薬としてラニチジンを服用していた患者で、過去・現在で癌になった人は他にいないのか追跡調査が必要ではないかということです。
>何故なら、この薬の発がん性物質が明らかになったのは今年の9月であり、さらにこの薬に含有されている発がん物質(n-ニトロソジメチルアミン)は、以前から世界の化学・医薬業界で発がん物質と認定されている物質とのことなので、追跡調査をせずして、ラニチジンを製造販売している製薬会社が「現段階で重篤な症状や癌を発症した事例は無い」と言うのは、時期尚早ではないかと思われるからです。


>この薬品についての関連情報は「ラニチジン自主回収」でネット検索すれば、先・後発製薬会社の自主回収状況や厚労省、関係地方官庁、公共及び私立総合病院等の自主回収プレスリリース等が検索できますので割愛し、ここでは医薬業界専門ネット、ミクスONLINEのネット情報のみを下記URLで紹介します。
https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=68202
https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=68278
***

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔
コメント

同じ絵を見る!(ラグビー日本代表の集団と個)

2019-12-30 17:51:13 | マスコミ報道

12月29日のNHKスペシャル(熱狂ラグビー躍進日本死闘スコットランド戦)を見た。

一次リーグの最終戦。ベスト8を賭けたスコットランド戦。この試合、わたしは、最後まで固唾を呑んでTVを視た。
 
前半、日本が20点以上リードをした時、まだ一抹の不安が残った。ところが、後半の始め、福岡選手が相手のボールをジャッカル。そのままゴールに駆け込んだ。わたしは、これで勝った、と胸を撫でおろしたが、このNHKスペシャルを見て、わたしの見方が如何に甘かったかを思い知らされた。

この時、スコットランドチームのコーチは、これで日本チームに勝てるかもしれない、と感じたそうだ。理由は単純明快。福岡選手にジャッカルをされたが、この時、スコットランドチームの攻撃体制に日本チームの防御人数が足りてなかった。もし、ジャッカルをされなかったら、トライが取れたはずだ。

このまま攻撃姿勢を取り続けたら、必ずトライを取れる。日本チームに追いつくことは可能だ。そう感じたそうだ。

さすが世界の強豪チーム。その感覚は見事というしかない。現実にその後、スコットランドは、一気にトライを量産。ワントライ・ワンゴール7点差まで日本に追いついた。

残った時間は25分。逆転するには充分な時間が残っている。ここからの25分間の攻防戦。日本ラグビーの歴史に残る息詰まる戦いだった。

日本代表チームの長谷川スクラムコーチが、「過去の日本チームの最大の弱点は、ラスト25分。いつも、この25分でやられていた。今回も同じかなという不安がよぎった」と言っていた。【ラスト25分】これは日本のラグビー関係者すべてが語る日本の最大の弱点だった。

日本チームの作戦コーチ、ト二―・ブラウンは、「前半の攻撃は、作戦通り。しかし、ラグビーと言う競技は、攻撃を繰り返すことで、防御をするより体力を消耗する。前半、攻撃がうまく行き過ぎて、後半体力が持つかなと言う不安があった」と語っている。

日本チームを誰よりも良く知る二人のコーチの杞憂は現実のものになり、日本チームは逆転の瀬戸際に立たされた。残り25分。日本ラグビーの存亡を賭けた死闘が展開された。

この試合の感想を聞かれた日本チームの選手たちは、口々に【同じ絵を見る】という言葉を語っていた。

これが最も具現化されたシーンが前半の福岡選手のトライだ。この試合、日本チームはキック攻撃を封印し、パス攻撃に重点を置いていた。作戦コーチ、トニー・ブラウンの作戦は、相手が警戒しているキック攻撃を封印。日本チームの得意技である早いパス攻撃で攻め続けた。

この背景があるため、相手はパス攻撃を注意せざるを得なくなった。福岡選手のトライシーンでは、攻撃する日本チームが防御するスコットランドチームより多くなっていた。その為、通常は、キック攻撃に備えて後ろに残っていた選手が、防御のため前に出ざるを得なくなった。

これを見た日本チームのラファエロ選手は、パスではなく、グラバーキック(転がすキック)に攻撃を切り替えた。隣にいた福岡選手は、その攻撃にすぐ反応。前に飛び出し、ボールをキャッチ。トライに結び付けた。

このトライシーン。ラファエロ選手の判断に福岡選手の飛び出しが一瞬でも遅れたら、トライはなかった。全力で走り続けるラグビー競技。しかも楕円球。どちらに跳ねるか分からない。一瞬の判断の遅れが致命傷になる。ラファエロ選手の判断と同じ判断をしていた福岡選手は、何の躊躇もなく前に飛び出し、見事にボールをキャッチ。トライに結び付けた。

こういう風に同じ判断をする事を、選手たちは【同じ絵を見る】と表現する。

今回の日本チーム。31人中外国人が18人。文字通りの多国籍軍。生まれも違えば、言葉も違う。風習も違えば、性格も違う。日常生活も違えば、食生活も違う。そういう彼らが【同じ絵を見る】というのは、言うのは簡単だが、簡単にできる事ではない。肉体的努力だけでなく、お互いを分かり合い、疑問を話し合う、物凄い努力が必要になる。

日本チームのスローガン「ONE TEAM」が流行語になったが、そうなるためには、どれだけのぶつかり合いと、どれだけの話し合いがあったのか。想像するだけで気が遠くなる。それでも彼らは異口同音に【同じ絵を見る】と語る。

ところが、後半、スコットランドに追い上げられた時、彼らの【同じ絵を見る】に微妙な狂いが生じていた。SF田中選手とSO田村選手のゲーム観にそれが表れていた。

SF田中選手は、球出しを多少遅らせ気味に試合コントロールしていた。相手の勢いを削いで、日本チームの立ち直りを図るための時間を稼いだ。SO田村選手は、球出しを速くして、トライを取って試合を決めようと考えていた。こういう微妙な違いは、チームの調子を狂わせる。

ところが、それを一気に変えるビッグプレーが出た。相手の攻撃中、福岡選手が、イチかバチか相手のパスのインターセプトを試みた。これが不発に終わると、相手のトライは確実になり、同点に追いつかれていた。もし同点に追いつかれていたら、おそらく勢いはスコットランドに移り、日本は負けていた可能性が高かった。それでも、福岡選手は、挑戦した。

このプレーが、日本チームの追い詰められた空気を変えた。ラグビーのような集団競技では、チームを覆う【空気】は、勝敗を分ける大きな要素だ。日本チームを覆っていた【沈滞した空気】が薄れ、【攻めのディフェンス】に変化した。

相手の攻撃に押され、ただ守るだけのディフェンスから、相手の攻撃を読み、積極的に相手の攻撃を撃破する【攻めのディフェンス】に変わった。

これが残り25分、スコットランドの猛攻を耐えた最大の要因である。当然ながら、観客の声援も日本チームを後押しした。

スコットランドの中心選手レイドローは「わたしたちは、単純な勝ち負けを超えた素晴らしい試合を戦った。生涯忘れえない戦いだった」と振り返っている。

残り25分。日本選手もスコットランド選手もそれこそ死力を尽くして戦った。両チームの選手にとっては、この25分の戦いは、生涯の忘れえぬ宝物になるだろう。

体力と精神力の全てを消耗し尽くした両チームの戦いは、戦い終えた両チームの選手たちに、相手チームや選手に対する深いリスペクトの念を生じさせていた。単純な勝ち負けを超え、人間としてお互いを尊敬しあえるラグビーの【ノーサイド】精神をこれほど見事に具現化した戦いはなかった。

戦いを終えた両チームの選手に対する観客たちの惜しみない拍手は、ラグビーという競技に魅せられた人間たちの本当の戦いに心の底から感動した人々の表現だった。

今、立憲民主党と国民民主党、社民党との連携協議が行われている。形だけの【ONE TEAM】になる事はそんなに難しいことではない。しかし、ラグビーの日本チームのように【同じ絵を見る】事は難しい。その為には、それこそ殴り合いも辞さない徹底的な話し合いしかない。

それができるためには条件が必要である。日本チームの選手たちにはそれがあった。きわめてシンプル。【ラグビーが大好き】という心。【ラグビーを極めたい】という探求心。彼らにはこれがあった。

立憲民主や国民民主、社民の政治家どもに必要なのは、もう一度自分たちが政治家を目指した理由(人のために働く)を真摯に見つめなおす事である。「れいわ新選組」の山本太郎はそれができている。自分が損しても、国民のための政治を貫き通すという姿勢である。

そこさえ一致出来たら、克服できない政治課題などない。【同じ絵を見る】とはそういう事だろう。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント

「i―新聞記者ドキュメント」 雑感

2019-12-22 10:58:34 | マスコミ報道

11月15日の投稿で珠さんが紹介された「i―新聞記者ドキュメント」を見ようと思いましたが、残念ながらわたしの県では上映されていませんでした。映画を見る事は断念せざるを得なかったのですが、何となく気になる映画でした。

ところが、12月18日付の毎日新聞23面の「特集ワイド」で監督の森達也氏の独占インタビューが載っていました。非常に示唆に富んだインタビュー記事で、森達也監督の姿勢がよく分かるものでした。

順を追って森監督の思考過程を追っていくと、映画だけにとどまらず現在の日本の置かれている状況が鮮明に浮かび上がってくる発言でした。番号を打って、彼の思考過程を追ってみようと思います。

① 撮影開始(2018/12月)から10ヵ月続く。撮影中に【視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねない】として、官邸側から質問制限顕著になる。⇒森氏の意見 ⇒「一昔前なら権力側はもっと抑制的で、ある意味巧妙だったはずです。権力を振るうところを表に出さなかった。⇒「ここまで露骨に隠さなくなったのか」⇒これはメディアによる監視が弱くなったからだ、と感じた。

② 望月記者を巡るジャーナリズムの現状・・・・⇒会見で記者が政治家に質問する。納得できる回答が得られなければ、もう一度質問する。記者なら当たり前の仕事。彼女のしていることは普通です。でも彼女がこれほど目立ってしまうのは周りが普通ではないから。ジャーナリズム全般が地盤沈下しているから、彼女が浮き上がってしまうのです。

③ ②の問題は既視感がある。⇒映画「A」を撮影した時、「なぜ、お前だけが撮影できたか」などと質問された。答えは単純。「撮らせてください」と言ったら入れてくれただけ。・・・(中略)・・・僕が優秀であるとか、志が高いとか、そんな事とは全く違う。凡庸だからこそ撮れたんです。・・(中略)つまり、僕も望月さんもいわゆる【KY(空気が読めない)】なんです。

④ 記者の皆さんには「組織や周囲の状況ばかりを気にせず、ちょっとわがままに行動してもいいんじゃないかと感じてもらいたい」=【現場性】を大事にしてもらいたい。

⑤ 【現場性とは】⇒記者が現場に行って取材するとき、自分の目で見て、当事者の声を聴く。・・・(中略)・・それを書く、伝えるという作業の主語は決して【私たち】などという複数形や組織の名称ではなく【一人称単数】であるはずです。そこをもっと大事にしてほしいのですが、今のメディアは「一人称」の論理が組織の論理に押しつぶされていると感じます。

⑥ 市場原理の論理「この記事では部数が伸びない」「このネタなら視聴率が取れる」という論理。つまり、需要と供給。・・・(中略)・・部数や視聴率に貢献しなくても、需要が見込めなくても、供給しなければならない時がある。これが【ジャーナリズムの論理】。この二つの論理のせめぎ合いが組織メディアの大切な【ダイナミズム】。⇒ジャーナリズムの論理が市場原理の論理に吸収されている。⇒ジャーナリズムとは【個】。⇒個が弱くなっているという見方が成立する。

⑦ 社会の分断化の質問について⇒集団化は社会の分断化とともに起きる。なぜなら、集団化とは「同質なものでまとまりたい」という情動をコアにします。こうして同じ考えを持つ人が集まると、自分たちと主張を異なる人々と敵対する傾向が強くなる。

⑧ 集団化が進めば、主語が「我々」になっていく。そして、敵対する相手に対しても、個が消えて、「あいつら」になる。これが戦争のメカニズムだと主張したのが、米国の歴史学者ジョン・ダワー氏です。一人称の主語を取り戻せば、他者の一人称も見えてきます。だから、景色も変わる。僕はそう信じています。

森達也氏は、きわめて知的な映画監督であることが、このインタビューを通じてもよく分かります。特に【集団化】と【個】の問題についての思考は、傾聴に値します。この古くて新しい命題については、多くの哲学者、学者、評論家などが、解答を書いてきましたが、AIの席捲する世の中でも、依然として最大の難問として残り続けているのです。

わたしは、もう何十年も前から、【体感速度15KM】の教育を提唱しています。この掲示板でも書いてきました。自転車を漕ぐ速度と言って良い15KMの体感速度は、人間が(個として)産業的な論理(現代では新自由主義的論理)にからめとられない最低限の速度だと考えています。森氏の言葉を借りれば、「一人称」の「わたし」を確立できる速度だと言う事になります。

学校の中に流れる速度を15KM以上に上げると、過半数の子供たちは、なにがしかの精神的ストレスを感じはじめ、それが校内の多くの問題の要因になるのです。

【集団化】と【個】の問題は、「一人称」の「わたし」を確立できている人間でなければ、悩むことすらできません。スマートフォンのメールにすぐさま反応しなければ、仲間外れにされるなどという無言の圧力に抗する事ができない自分では、「一人称」の「わたし」など夢のまた夢でしょう。

「一人称」の「わたし」を確立するためには、悩み惑い苦しむ時間が必要。「ゆっくり流れる」時間こそが、人の成長のなによりの栄養素なのです。この時間を確保して初めて「一人称」の「わたし」が生まれます。「ゆとり教育」の真の理念は、この「一人称」の「わたし」の確立を最大の目的としていたのです。

「我々」と「あいつら」の二者択一の構造こそ、戦争の最大の要因だというジョン・ダワーの警告を超えるためには、このような教育や社会や企業全ての成り立ちをもう一度根底から問い直す必要があるのです。

何より、新自由主義的思想や人間観を根底から問い直さなければならないと考えます。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント

15人がムカデの足たれ!(ラグビーワールドカップに想う)

2019-10-01 17:05:11 | マスコミ報道
『15人がムカデの足たれ
「整然と動いているムカデの足について、脳と言う中枢が全ての足に指令を出しているのではなく、一本の足が全体のために動きを起こし、他の足がこれに連動している。」と考えた英国の学者がいた。
 この考え方は、チームスポーツのラグビーにも当てはまる。
監督・コーチという指導者が脳であり、選手は「足」だ。ムカデの足が多いチームほど、ボールを継続できるチームだと思う。
―中略―アドリブにこそ、指導者が口出しできないラグビーの面白さがある。
15人がムカデの足にならなければならない。』
・・・・・・1996年 毎日新聞の記事

この記事は、毎年、花園で行われる全国高校ラグビーの名勝負として語り継がれている名古屋の西稜商業対大阪の啓光学園の決勝戦の翌日に書かれた。
西陵商業×啓光学園 (前半) 1996年 花園決勝 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pSpHVn3J2r0

わたしは、これほど的確な表現をしたラグビー論はない、と考えている。

わたしは、この掲示板で何度かラグビー論を書いた。スポーツ好きの私だが、ことのほかラグビーが好きなのは、上記のようなラグビー競技の持つ奥深さに魅かれたからである。

今年の一月に書いた「ラグビー競技の精神と多様性を見習え」から、もう一度引用させてもらう。   
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/9908853da0cc2ddb8bc7bd3411f9ced8
・・・・
「多様性こそラグビー文化」。4年前のワールドカップで活躍した五郎丸選手の言葉。こういう先進性こそ、日本ラグビーが世界的強豪国に肩を並べられる国として進化した最大の要因である。

さらにラグビーという競技は、正統的保守主義(漸進的民主主義。安倍自民党のいう保守主義とは全く違う)思想を見事に体現している。

少し、ルールに即して説明する。

★ラグビーは、ボールを前に投げてはいけない。
この場合の選択肢⇒ ①自分で運ぶ②キックで前に運ぶ(キックの場合は前に蹴る事を許されている)③後ろの味方にパスする

① ②の場合は、敵にボールを奪われる危険性が高い。⇒ラグビーの防御は、タックルという強烈な方法が許されており、自分だけでボールを運ぼうとすると、奪われる危険性が非常に高い。キックする場合は、敵陣に蹴りこむことになるので、ほとんどのボールを敵に奪われる。⇒そのため、③の方法を選択する場合が多い。⇒後ろの味方にパスする。

※このルールの思想的意味⇒進歩(前に進む)とは、後ろ向きに進むことである。⇒前進するためには、いったん後退する必要がある。⇒過去の検証なくして、進歩はない。
⇒この考え方は、イギリス人の国や社会に対する考え方と一致する。

●「ドイツ人は、考えてから走り出す。フランス人は、走ってから考える。イギリス人は、歩きながら考える。」この比喩は、欧州を代表する国家である英独仏の考え方の相違を見事に言い当てている。

★ラグビーボールの特殊性⇒楕円形のボールでどう転ぶか分からない。不確定要素が多い球技⇒この不確定要素に対応する技術と瞬時の判断力と個人の創意工夫が求められる。
⇒個人のアドリブが重要になる

★ラグビーは15人の選手が必要
ラグビーのような激しい肉弾戦を伴う競技では、怪我は日常茶飯事。15人だけではチームは組めない。最低でも20人から25人の選手が必要。しかも、不確定要素が多く、個人の判断と創意工夫が必要な競技だからこそ、チームとしての理念、戦略、戦術が重要になる。それを実践する選手の理解度、それを具現化する技術の練度、90分間戦い続けるフィットネスが重要になる。だからこそ、それを司る指導者の頭脳が問われる。

ここで問われているのは、古くて新しい【組織と個人】の問題であり、二者択一ではなく、組織も個人も生きるにはどうしたら良いか、という組織論である。

(1) 指導者の明確な理念が必要(戦術・戦略の問題)
(2) 選手の理念(戦術・戦略)の理解度が鍵を握る
(3) 組織が前進するためには、前の実践の総括が重要⇒後ろ向きに進む
(4) 組織が前進するためには、前の実践の継続が必要⇒継続の精神
(5) 組織が活性化するためには、個人の創造性が不可欠⇒アドリブが重要
(6) 個人の創造性を生かすためには、他の選手のフォローが重要⇒継続の精神
(7) 組織の活性化には、選手それぞれの能力にふさわしいポジションが必要⇒選手は与えられたポジションの理解が必要。同時に他のポジションに対する理解が重要。⇒能力の評価、ポジションのトータルな理解、フォローの問題

こう見てくると、外国人選手や混血の選手たちをチームの一員として迎え入れ、チーム活性化やチーム強化に生かす、と言う事は、日常からの国際性が必要になる。これをやり遂げて初めて、チームが強くなり、選手も進化する。
・・・・・・

さらにラグビーと言う競技。実に痛い競技。引退したラグビー選手に聞くと異口同音に「よくあんな痛いことを我慢できたな」と言う。

特に、フォワードの選手。身を挺して、ボールをバックスに供給する。世界のフォワード連中の大半は、身長は180~190Cm前後。中には2mを超える選手も稀ではない。体重は優に100Kgを超える。こんな選手が全速力で走り、タックルし、ぶつかる。

一口にボールの争奪戦と言っても、とんでもない肉弾戦である。ぶつかる衝撃、襲い掛かる力、圧力は半端なものではない。フォワードの選手は生傷が絶えない。

それとフォーワードの第一列。フロント・ローと言うのだが、スクラムを組む最前列に位置する。彼らは最前列でスクラムを組むため、多くの選手は耳が変形している。それはそうだろう。スクラムは8人。世界のトップチームの平均体重は、110Kg前後。つまり、8人で880~900Kg。両チームで、1800Kg前後。この16人が全力で押し合う。

その全ての力が最前列に加わる。想像を絶する力が、フロント・ローの選手たちの肩や身体に加わっているのである。耳も変形するはずである。

大畑というウイングの有名選手がいた。彼が言うのに「フォワードの選手が組み合う瞬間凄い音がする。骨と骨がぶつかる乾いた音がする。タックルの時にもすごい音がする。そんな音を聞いていると、ああ、奴らは信用できるな!と思う」と語っていた。

そんな痛い思いをしながら、バックスの選手に良い球を供給する。チームの勝利のために黙々と痛くて、汚れる仕事をこなしていくのである。文字通りの「自己犠牲」の精神の発露である。

【ONE FOR ALL , ALL FOR ONE】
ラグビー精神を表す有名な言葉だが、文字通りいつ怪我をするかも分からない状況に自ら身を投じ、チームのために献身的に痛くて汚くてつらい仕事を黙々とこなすフォワードこそ、ラグビー精神の権化のような存在である。

ラグビーはイングラドで生まれた競技。ザ・ナインと呼ばれる名門パブリック・スクールで始まった、と言われている。

※ザ・ナイン
(*1)設立年度が古い順にウィンチェスター(1382年)、イートン(1440年)、セント・ポールズ(1509年)、シュルズベリー(1551年)、ウェストミンスター(1560年)、マーチャント・テイラーズ(1561年)、ラグビー(1567年)、ハロウ(1572年)、チャーターハウス(1611年)の9校

【パブリックスクールのミッション(使命)】
・・・
各校の校長が口を揃えて言うのは、学術的な能力や芸術、スポーツの才能を伸ばすことはもちろんだが、それ以上に「良識と品格を備えた市民」を生み出すことが重要なのだということです。ハロウ校の校長はこう言っています。「成績だけではなく、大学においてもその先の人生においても、より良い人間になることを私は彼らに望みます。ハロウに来る目的が単に試験で高得点を得ることであれば、スポーツ、音楽、課外活動を減らさなければなりません。しかしそれでは彼らはあまり魅力的な人間にはならないでしょう。高い理想ほど、長くかかるのです」と。人間にはひとりひとり、独自の才能があります。独自の才能の発見と育成という教育本来のミッションを貫いているのです。
・・・
※英国名門校パブリックスクール「ザ・ナイン」から日本が学ぶべきこと
https://resemom.jp/article/2018/08/31/46543.html

以前に紹介したことがあるが、イギリス流武士道精神である「Gentleman」になる精神を感得するための重要なツールとしてラグビー競技が重要視された。さまざまな立場の多様性を重視しながら主体性を持って行動するというイギリス型のリーダーシップを学ぶ場として、ラグビーは活用されていたのである。

換言すれば、イギリス流エリート育成法の中心にラグビーが位置していると言って過言ではない。日本でラグビーを最初に取り入れたのが、慶應義塾だったのも偶然ではない。

以前にも書いた事があるが、「戦場にかける橋」のアレック・ギネス扮する将校の体格の立派な事。兵隊の2、3人は平気でぶっ飛ばせるガタイをしている。シャーロック・ホームズもボクシングをしていた。

つまり、イギリス紳士は、腕力でも庶民に決して負けないというわけである。これが、イギリス流紳士(支配階級)のありようだと言うわけである。

現在行われているラグビー・ワールドカップの参加国に英連邦国家の多いことを見れば、如何に英国流思想を踏襲している国家が多いことが良く分かる。イギリス、アイルランド、ウエールズ、スコットランド、ニュージーランド、オーストリア、サモア、フィジーなどがそうである。

せっかく、ワールドカップが日本開催されたのである。TVの「にわかラグビー評論家」どものバカ騒ぎに惑わされず、ラグビー競技の持つ思想性や奥深さを学んで、現在の日本のエリート層連中の薄っぺらさを見つめなおすのも、一つの見方だと思う。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
コメント (1)

首相官邸で結婚会見?

2019-08-11 13:49:10 | マスコミ報道
小泉進次郎・滝川クリステルの結婚会見を首相官邸で「わざわざ」やるのは常軌を逸している。

天皇などは世襲制なので公の場で公表するのが筋であるが、一議員の小泉の結婚を官邸で祝うのは田舎芝居も度が過ぎる(流水さんのコメントが鋭いつっこみを入れているのでそちらに任せるが)。

要するに小泉が石破から離脱して安倍派に寝返ったわけだ。小泉ならぬ、小ずるいという名前が相応しい。

次期首相になりたいという意思表明であり、安倍と菅が適当なポストをあげるから「おいで、おいで」しているだけなのだ。

それをマスコミが一斉に報道している。田舎新聞もここに極まれり。日本のマスコミも幕なしの田舎ジャーナル。世界性はゼロ。

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
コメント (1)

朝日新聞の選挙に関する記事は不公平ではないか

2019-07-13 15:59:47 | マスコミ報道
7月10日朝日新聞大阪本社発行の3面に、『ルポ現在地、2019参議院選、時給「761円」鹿児島の嘆き』、というキャッチフレーズで特集記事が出ていた。

そして朝日デジタルでは『 時給761円と762円はしごする日々、年金も生活費に』というキャッチフレーズで同様のことが書かれている。
https://www.asahi.com/articles/ASM773F7WM77ULFA001.html

さてこの最低賃金問題はどこの誰が言い始めて、今各政党が参議院選挙の争点にしているのか、天下の朝日が知らぬはずはあるまい。

それは4月10日に山本太郎参議院議員が「れいわ新選組」という政治団体を立ち上げ、八つの政策のなかの一つに全国の最低賃金を一律1500円に引き上げるという政策が含まれていたことに始まる。

そして八つの政策を各地の街頭演説で訴え始めたところ、日を追う毎に聴衆が増えてきて、7月6日に参議院選挙が公示スタートするや、与野党含めて、「れいわ新選組」が訴える国民生活の底上げが争点化されたのだ。

10日の朝日新聞記事でも、自民党・公明党は時給の最低賃金を「2020年代早期に全国平均1000円に引き上げ」、立憲民主党は「5年以内に1300円」、国民民主党は「早期に全国どこでも1000円以上」、共産党は「直ちに全国一律1000円に引き上げ1500円を目指す」と報じている。

しかしこの特集記事のどこにも、最初に最低賃金を1500円にすると言い始めた「れいわ新選組」の政治団体名は全く記されていない。

れいわ新選組は参議院選挙公示前の4月10日に、6年前の東京選挙区で66万票を得て国会に送り込まれた山本太郎参議院議員が立ち上げた政治団体である。66万票を得た議員の意思、66万票の選挙民の意思は全く無視されていることでもある。

朝日は10日の新聞に、最低賃金時給について「761円、鹿児島の嘆き」という特集記事まで出しながら、そこには「れいわ」の「れ」の字も書かれていない。またこの前日の9日には山本太郎氏は鹿児島中央駅前の街頭演説(下記url)で「鹿児島の時給は761円で全国ワースト、これを一律1500円にしたい」と訴えている事実を朝日新聞が知らぬはずはあるまい。

https://www.youtube.com/watch?v=LtZHDyQiQ8o

朝日新聞は何を忖度しようとしているのか、広告企業を忖度しているのか。それより新聞購読者に事実を伝えることを忖度しろ、と言いたい。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
厚顔
コメント

朝日新聞の「ロスジェネ問題」の記事について

2019-05-28 09:20:43 | マスコミ報道
5月26日の朝日新聞のweb及び朝刊1面から2面、27日の朝刊2面に亘り、「ロスジェネ問題」が取り上げられている。

「ロスジェネ、置き去りの20年 いま再び注目される訳」
https://www.asahi.com/articles/ASM4V7G56M4VULZU01G.html

朝日新聞によれば、2007年1月に、「ロストジェネレーション25才~35才 」という特集記事を掲載していたらしいが、その後忘れられ、置き去りにされていた問題を今何故か再び取り上げている。

一方で、「れいわ新選組」を立ち上げた国会議員山本太郎が貧困問題のなかで、「ロスジェネ問題」を各地の街頭演説で訴えている。
https://www.reiwa-shinsengumi.com/index.html
https://www.reiwa-shinsengumi.com/determination/

朝日新聞は、「れいわ新選組」のことには全く触れていないが、山本太郎の各地での街頭演説には意外に反響があり、カンパによる政治資金も1億円を突破したとの報道もある。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw5362946

現在一国会議員が新たな政治団体を立ち上げ、ロスジェネ問題を各地で訴えている以上、朝日新聞の今回の記事は山本太郎が取り上げた反響にあやかった二番煎じと観られてもやむを得まい。

YouTubeで山本太郎の街頭演説を確認して貰いたい。「ロスジェネ、置き去りの20年 いま再び注目される訳」は、れいわ新選組に在りではないのか。
https://www.youtube.com/watch?v=E51ysj1dB4k
https://shiminmedia.com/video/52719

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
厚顔
コメント

時代はどう変わる 日本人の祈り!

2019-05-01 15:08:55 | マスコミ報道
昨日から今日にかけてのTV番組の狂騒ぶりには辟易してしまう。新しい時代が始まる、と横並びの惹句を並べ立て、大騒ぎをしている。

わたしのようなへそ曲がりは、夜が明けたら新しい時代になるなど、そんな能天気な歴史認識があるものか、と嘯いてチャンネルを切ってしまった。

誰だったか失念してしまったが、戦争が終わった翌日に全く新しい時代が来るのかと思ったら、昨日と全く変わらない朝だった、と書いていた人がいたが、時代の変化などそんなに簡単に線引きできるはずがない。

そう思いながら、今日、NHKBSで「英雄たちの選択」(追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー)の再放送を見た。

縄文から弥生への時代の転換の話が根本から覆されるきわめて斬新な説が展開されていた。

これまでの通説は、大陸から伝わった水田稲作と青銅器・鉄器を特徴とする弥生文化が、瞬く間に、縄文文化を席捲、弥生時代が到来したというものだった。

そして、稲作が始まるとともに、富(米)の蓄積ができるようになり、貧富の差ができはじめ、階層分化が始まった。そして、ムラからクニの始まりになった、と。

しかし、近年の研究で、大陸から伝えられた先進的弥生文化とそれを伝えた人々が縄文文化を瞬く間に席捲したというのは、どうやら間違いではないか、という事が明らかになりつつある。

例えば、九州で発掘された弥生遺跡から、漆塗りをされた土器の破片が見つかっている。この漆塗りの技法は青森の縄文遺跡から発掘されたものと同じだというのである。

何故そんな事が起きたのか。仮説として、青森の縄文の人々が九州に出かけ、その技法を伝えたというのである。

何故そんな事をしたのか。縄文の人々は新しい文化(弥生文化)に興味があり、それを学びに出かけたのだろうというのである。好奇心だというのである。

本当に、青森から九州まで行けたのか。まだその移動手段は完全には解明されていないが、古代人の移動の凄さは、黒曜石の石器の分布をみても分かる。

・・・黒曜石が古くから石器の材料として、広域に流通していたことは考古学の成果でわかる。例えば、伊豆諸島神津島産出の黒曜石が、後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で発見されているほか、伊万里腰岳産の黒曜石に至っては、対馬海峡の向こう朝鮮半島南部の櫛目文土器時代の遺跡でも出土しており、隠岐の黒曜石はウラジオストクまで運ばれている。また北海道では十勝地方も産地として非常に有名で、北海道では現在でも「十勝石」という呼び名が定着している。・・・
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3

さらに近年、縄文時代の流れをくむ土偶が、少なからず近畿地方から出土している。あわせて、縄文時代の祈りの道具・石棒も出土しているところから、縄文系弥生人の存在が浮かび上がってきた。

土偶というものは、縄文人の心の象徴のようなもので、縄文の人々の心を読み解くには欠かせない存在である。

例えば、この番組でも紹介されている合掌土偶である。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E6%98%9F%E5%B7%9D%E7%B8%84%E6%96%87%E9%A4%A8+%E5%90%88%E6%8E%8C%E5%9C%9F%E5%81%B6#mode%3Ddetail%26index%3D27%26st%3D1219

この土偶は女性。お腹に点々とついているものは、妊娠の象徴である正中線と言われている。何故なら、下に女性器まで作られている。つまり、この合掌土偶は、女性の出産情景を模したものだという。

いわゆる「座産」は、お産の古典的形態で、日本でもかなり最近まで行われていたと思われる。わたしの県にある吹屋の旧家には、お産部屋が残されている。木の壁に金具(わっか)が取り付けられ、それにひもを通して、そのひもを握ってお産をするのだそうだ。

合掌土偶に示されている縄文の人々の心のありようは、きわめて素朴で人間的で誰もがほっとするものだ。女性がお産をする行為は、子孫を残したい。生まれてくる新たな命を大切にするという人間の本能にきわめ忠実なありようである。そして、この新たな命を産み、育て、命を継続する行為の主人公は女性である、という意味で、土偶には女性が多いと考えられている。

さらに近畿地方の縄文遺跡や弥生遺跡で発見されている「石棒」もきわめて素朴な信仰のありようを象徴している。「石棒」とは男性器の象徴。つまり、子孫を作る行為こそもっとも人間的行為だという思想であり、それを信仰の対象にすると言う事は、人間を大切にする思想に通じる。

※石棒の画像
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E7%9F%B3%E6%A3%92%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%B7%A1

石棒は縄文遺跡の代表格の一つであるが、それが近畿では弥生集落の遺跡からも発掘されているという点が、従来の弥生文化が縄文文化を席捲したという定説を覆す大きな要因になっている。

この番組に出演した考古学者松木武彦、寺前直人氏らの説によると、縄文文化(約一万年)と弥生文化は約500年近く重層的に存在し、共存・共生していたのではないかということであった。

これはきわめて説得力のある話で、新しい文化(当時の弥生文化は、合理的・科学的な先進文化)が即座に旧文化(弥生文化)を駆逐してしまうのではなく、徐々に徐々に浸透していったという話になる。

同じ番組に出演していた心理学者中野信子説では、人間、合理的だけでは疲れ果てる。時々はほっとしたい。だから、縄文習俗である石棒信仰などを継承したのだろう、と言う事になる。

いずれにしても、時代の変化は、一夕一朝には起こらない。時間をかけ、柿が熟すようにじわじわと変化し、気が付いた時には、驚くべき変化になっている、というのが実態だろう。

これが、戦後社会の驚くべき変化に翻弄され続けた、わたしたち昭和世代の実感である。その意味で、縄文・弥生の時代変化を上記のような視点で見直しているというのは、ある意味で常識に立ち返った、という事だろう。

磯田氏や中野女史も言っていたが、合理性の追求は文化の進歩・発達には欠かせないが、それだけでは疲れてしまう、というのは、多くの人の実感に近い。そういう意味では、人間の心は、縄文弥生時代と現代とでもそんなに差はない。

当時の先進文化で合理性追求の弥生文化が浸透し始めた縄文晩期の人々の心が疲れるのは良く理解できる。だからこそ、弥生遺跡でも縄文文化の残滓(石棒信仰)が残ったのであろう。

平成時代は、科学的合理性の追求が信じられないほど進んだ時代である。一つの間違いでもしたら、コンピューターは動かない。便利さの追求は、時代に遅れた人間の価値を完全に毀損してしまう。わたしが平成時代を【陰鬱な時代】だと総括する理由である。

だからこそ、上記の縄文弥生の時代変化の学説の変化は、きわめて貴重な示唆を与えていると考える。

同時に、縄文人の祈りが弥生人に引き継がれていたのは、日本人は合理性追求一辺倒にもなじめず、異文化同士の共生が端的に示しているように、自分と違う文化の人々を戦いで排除するやり口も好きでない事を示している。

平成と令和の時代変化を一本の線で分かつようなメディアのバカ騒ぎは、彼らの知性の劣化以外の何物でもないと考える。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
コメント

NHKの政権への忖度が酷過ぎる

2019-03-26 16:47:48 | マスコミ報道
もう、NHKニュースを見るのは止めようと思う人が増えているのではないでしょうか?
ニュースが事件とスポーツ、タレントの話ばかりで時間を取って、まともな政治の話はちょっぴり、上滑りに伝えるだけ。

ウケを狙う民放がそうなのは仕方がないとしても、NHKはお金を取っている分、きちんと報道する義務があると思うのです。
なぜ、NHKはそうなったか…是非お読みください。

なぜNHKは政権による嘘と誤魔化しに加担するのか<永田浩三氏>
https://hbol.jp/188405

「護憲+BBS」「NHKの報道内容をウォチングしよう」より

コメント (2)

31年度NHK予算案の衆議院通過を期して

2019-03-20 11:02:51 | マスコミ報道
今日(3/19)午後7時のNHKニュースで、NHKの新年度予算案が衆議院を通過し、参議院に送られたと報じられていたが、一方で朝日新聞デジタルニュースでは、「森友問題」で下記のようなNHK内部のニュースが報じられている。

事実とすれば、一昨年最高裁が受信料制度と視聴料支払い義務を認める判決を下した際の判決要旨、「受信料制度が国家機関などから独立した表現の自由を支えている」がNHK幹部には全く理解されていないと言えよう。

「なぜ事実の迅速な放送ができないのか、いけないのか」、野党には次の参議院予算委員会のNHK国会中継のある日に是非追求して貰いたい。

これが視聴料を支払っている国民多数の要望だろう。

―以下は朝日新聞デジタルニュースより―

「露骨な圧力を見たの初めて」 森友報じた元NHK記者
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190317000625.html
(2019年3月19日13時50分より)

『森友学園問題を報じた元NHK記者で、現在は大阪日日新聞の論説委員を務める相沢冬樹さん(56)が16日、福井市大手2丁目の福井県教育センターで講演し、森友学園問題をめぐるNHKの報道や記者の仕事などについて語った。約90人が聴き入った。

森友学園問題が明らかになった当時、相沢さんは大阪報道部にいた。当初、NHKでは全国ニュースにならなかった。売却価格の決定過程に関する特ダネは約2カ月、放送されなかった。やっと放送されたその3時間後、「あなたの将来はないと思え」と当時の上司が電話で激怒されている姿を目の当たりにした。』

「護憲+BBS」「NHKの報道内容をウォチングしよう」より
厚顔
コメント (2)