この数週間、日常的に40年近く前の地方紙を数年単位で連続して眺めている。自分が知りたいトピックやニュースの記事だけをピックアップして読む場合や特定の日付の新聞だけを閲覧するときとは異なり、時系列でどのようなことが話題になっているのかが把握でき、そのテーマや問題のいわば事の発端まで確認することもできる。
1980年代後半の地方紙では日に日に海外旅行や車の広告が増え、さらにはカタログ通販の特集なども組まれるようになった。現代にも続く消費社会が形作られていく様子が垣間見えるようだ。
また、その新聞が発行されている地域内に商業施設だけではなく公共施設までもが続々と建設されるニュースが連日のように続いていた。今では考えられないと同時に、あの当時大量に建てられた建物をどのように維持管理するのか、あるいは必要がなくなった場合にどのように対処するのかが現在に続く課題となっているようにも感じた。
新聞紙面からその時代に特有の雰囲気や空気のようなものを知ることができる反面、現代でも大々的に報じられている問題がこの当時からすでに問題となっていることも事実である。
当時は「セクハラ」という言葉も存在しなかったが、女性がいわゆる社会進出をする際の障壁や、男性が中心となる職業の世界で女性がいかにして立場を獲得していくのかは、盛んに論じられていた。今以上に女性が社会参加しづらかった時代にもかかわらず、男性に負けず活躍する女性のロールモデルなども特集されていた。
こうした問題が40年近く経過しても完全に解決されておらず、男性と同じ水準かそれ以上に活躍することが今でも求められているあたりにどこか虚しさと悔しさを感じてしまう。
また、政党内の派閥が現在でも問題視されているが、40年前にも連日のように報道されていた。現代の報道だけを見ていると目新しい問題のようにも思えるが、以前からずっと派閥の存在について疑問を持つ声があった。これも現在に至るまで解決していない問題であり、「前からずっと問題になっている」というだけで済ませてはいけないと感じている。
これまでに挙げたほかにも、政治家への献金や裏金の問題なども大きく報じられていた。新聞は現在形で起こっていることを知るために参照することが多く、即時性を求められるメディアではあるが、過去のアーカイブを参照することで様々な時事問題について、より掘り下げて考察できるのではないだろうか。そう考えると、過去に発行された資料を保存することがなおさら重要になる。
「護憲+コラム」より
見習い期間
1980年代後半の地方紙では日に日に海外旅行や車の広告が増え、さらにはカタログ通販の特集なども組まれるようになった。現代にも続く消費社会が形作られていく様子が垣間見えるようだ。
また、その新聞が発行されている地域内に商業施設だけではなく公共施設までもが続々と建設されるニュースが連日のように続いていた。今では考えられないと同時に、あの当時大量に建てられた建物をどのように維持管理するのか、あるいは必要がなくなった場合にどのように対処するのかが現在に続く課題となっているようにも感じた。
新聞紙面からその時代に特有の雰囲気や空気のようなものを知ることができる反面、現代でも大々的に報じられている問題がこの当時からすでに問題となっていることも事実である。
当時は「セクハラ」という言葉も存在しなかったが、女性がいわゆる社会進出をする際の障壁や、男性が中心となる職業の世界で女性がいかにして立場を獲得していくのかは、盛んに論じられていた。今以上に女性が社会参加しづらかった時代にもかかわらず、男性に負けず活躍する女性のロールモデルなども特集されていた。
こうした問題が40年近く経過しても完全に解決されておらず、男性と同じ水準かそれ以上に活躍することが今でも求められているあたりにどこか虚しさと悔しさを感じてしまう。
また、政党内の派閥が現在でも問題視されているが、40年前にも連日のように報道されていた。現代の報道だけを見ていると目新しい問題のようにも思えるが、以前からずっと派閥の存在について疑問を持つ声があった。これも現在に至るまで解決していない問題であり、「前からずっと問題になっている」というだけで済ませてはいけないと感じている。
これまでに挙げたほかにも、政治家への献金や裏金の問題なども大きく報じられていた。新聞は現在形で起こっていることを知るために参照することが多く、即時性を求められるメディアではあるが、過去のアーカイブを参照することで様々な時事問題について、より掘り下げて考察できるのではないだろうか。そう考えると、過去に発行された資料を保存することがなおさら重要になる。
「護憲+コラム」より
見習い期間
