(1)統計不正問題と戦前の類似
以前、「日本支配層の底無しの腐敗」でも論じたが、安倍政権下の閣僚、官僚たちの腐敗は底無しだ。現在の厚労省の統計不正問題は、この国の官僚組織が骨の髄まで腐りきっている状況を如実に示している。
〇「不景気も 統計一つで 好景気」
〇「合わぬなら 作ってしまえ 偽統計」
〇「成長率 どれだけ盛れるか 腕次第」 (日刊ゲンダイ)
ゲンダイによると、これは立憲民主党の小川淳也議員が読み上げた総務省のツイッターの書き込みだそうだ。言いえて妙。見事な川柳である。如何に国民があきれ返っているかを如実に示している。
実は、この状況は、太平洋戦争に突入した戦前に酷似している。
典型的なのは、「日本支配層の底無しの腐敗」でも論じた、陸軍が起こした「ノモンハン事件」のでたらめな戦争計画だ。こんな計画で戦争に駆り出される兵士はたまったものではない。これぞ無責任のきわみ。司馬遼太郎が憤怒のあまりかけなかったのもムベなるかなである。
参加した兵士2万人近くが戦死。精神主義と根拠なき(データなき)楽観主義に支配された関東軍幹部の無能力ぶり、その敗戦の責任を現場の将校などに押し付け、自決を迫る。その失敗の反省もなく(責任を下に押し付けるため)、最後は、事件そのものをないものにする発想になる。太平洋戦争でも同様な過ちを繰り返した。(※現在の歴史修正主義者たちのやり口そっくり)
・・・・NHKスペシヤル「ノモンハン事件 責任なき戦い」
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180815
2月11日の朝日新聞3面のMONDAY解説で統計不正問題を取り上げていた。その中で、戦後、吉田茂は、GHQのマッカーサー元帥に「戦前に我が国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争をやらなかった」と述べた、と書いている。(吉田茂;回顧10年より)
吉田の言葉が本気だったことは、「1946年に経済学者大内兵衛を委員長に据え、強い権限を持つ統計委員会(のちに統計審議会)を設置。1947年には、政治的中立を意識して、「統計の真実性確保」をうたった統計法をつくった」(2/11朝日新聞3面)と書いていることからも推測できる。ちなみに委員長の大内兵衛は、人も知るマルクス経済学者。現在なら考えられない人選である。
(2)官僚たちの愚民意識と歪んだエリート意識
2月16日の毎日新聞「昭和史のかたち」の中で、保坂正康が「統計不正問題と官僚」という題名でこの問題の本質を、官僚の持つ愚民意識にあると論じていた。
彼は太平洋戦争の指導者東条英機を持ち出して以下のように論じている。
・・戦時の指導者東条英機は、軍官僚出身だが、愚民意識丸出しで戦争指導をおこなった。情報隠蔽、恫喝政治、責任転嫁、人命軽視での戦争指導だった。官僚の持つ愚民意識は、「愚かな国民に選ばれる政治家も愚かだ。だから、彼らの言う事など聞く必要はない」とある元官僚は断言していた。
08年にこの稿(保坂が農水省の不祥事などを書いた論考)を書く時に最も納得した元官僚の言は「国民にとって官僚は本質的に暴力的な存在」との指摘だった。あれをせよ、これに従えと命じ、言う事を聞かなければ具体的に暴力を駆使する。(警察権力など)確かにそのとおりである。・・・・・
愚民意識とエリート意識はメダルの裏表。保坂の語る愚民意識は、裏から見れば、日本支配層の歪んだエリート意識(選民意識)を物語っている。
愚民意識が強固であればあるほど【官僚の持つ暴力的本質】が際立つ。戦前で言えば、特高警察の暴力性は際立っていた。現在で言えば、森友学園問題での籠池被告に対する検察の不条理な暴力性は、「官僚の持つ暴力性」の本質が変わっていない事を示している。権力を保持した人間の歪んだエリート意識が、愚民意識を増幅させる具体例の一つである。
(3)エリート意識の歴史的淵源
以前に、何度かイギリス貴族の武士道精神ともいえる Gentleman Idealについて論じた。この考え方の根底には、フランスのノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という考え方がある。直訳すると、「高貴さは義務を強制する」となる。一般的には財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴う事を指す。・・・(ウィキペディア)
ローマ史の記述で有名な塩野七生女史の説では、この考え方の淵源には、ローマ帝国の歴史があると言う。彼女の説では、知性でギリシャより劣り、体力ではケルト人やゲルマン人より劣り、経済力ではカルタゴ人より劣っていたローマ人があの巨大帝国を維持できたのは、「社会指導層」の役割が大きかったと言う。
原始時代まで遡上り、豪族、貴族、支配者、階級の発生まで考察すれば、この塩野説がよく理解できる。
たとえ原始時代でも社会形成をした人間社会では、様々な役割(職掌と言ってもよい)が存在した。霊媒師のように神様の声を聞く係。稗田阿礼のように、お話や音楽、美術などみんなを楽しませたり部族の記憶にかかわったりする係。食べ物の調達係。料理係。どの集団にもいる横着者で、グータラしててみんなのお荷物になる係。
特に重要になるのが、これらの雑多な係を束ねるリーダーシップ役である。他の部族が攻めてきたり、大きな自然災害に見舞われた時など、リーダーシップ役の連中は、命がけで部族を守る責任が生じる。
それを見ている部族の他の連中は、いざと言う時に命を懸けてくれるんだから、尊敬もするし、リーダー役が日常多少の贅沢をしても許す。部族内のこの構図が、王様や貴族や階級を生み出す。
塩野説では、上記の構図を都市国家の塀の上で戦う存在と説明している。西欧の都市国家は、その多くが塀で囲まれている。敵が攻めてきたら、社会の指導層は塀の上で先頭に立って戦う。だから、彼らは、指導層なのだ、と言うわけである。
社会の指導層が生み出された原点から抽出した考え方(思想)がノーブレス・オブリージュであり、騎士道であり、Gentleman Ideal である。日本では、武士道というわけである。
(4)エリート意識の変遷
このような歴史的経緯を経て生み出されたエリート意識と現在の日本のエリート連中の意識とは、真逆である。この落差こそが、平成の終焉時の日本の風景である。
軍官僚としてその頭脳の切れ味から、「カミソリ東条」と異名をとった東条英機も、その実像は、戦争指導者としてはあまりぱっとしない人物だったと言われている。
・・戦後、佐藤賢了は東條の性格を次のように評している36。
東條さんは決して独裁者でなく、その素質も備えてはいない。小心よくよくの性格である。意地っ張りでもあり、頑張り屋でもあった。自分の意見は押し通す迫力と実行力とに富み、それぞれの責任者以外からの意見は聞かない。眼界は割合狭い。だから、ちょっとみると独裁的に見える。それに当時の大きな権限を持っていたから、なお更 そう見え、世間では独裁者にしてしまった。
しかしその反面に弱い心があった。特に責任観念が強過ぎたので、常に自己の責任におびえているような面があった。ほんとうの強い独裁者でも、自己の責任におびえることは確かにあり、そこで神仏に頼ろうとする例は少なくない。東條さんはその頼り を天皇陛下に求めた。・・・・戦争指導者としての東條英機 (戸部良一 )
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_5.pdf
佐藤賢了の東条評は、かなり実像に近い、と思う。
以前にも書いた記憶があるが、スターリンにせよヒトラーにせよ、独裁的権力を振るう人間に共通した性格は、【小心よくよく】としていて、【嫉妬心が強く】【執念深く】【ねちねちした執拗な】ところがある。
東条英機の性格にも似たところがあるが、彼を完全で冷血な独裁者にする事を阻害したのは、天皇の存在だった。天皇という絶対的な存在が存在している日本では、政治的な指導者の存在は相対化される運命にあった。
もう一つは、彼が軍官僚だった点に求められる。東条が常に自らの責任に怯えていたのはその通りだと思う。彼は、官僚の持つ小心さ、臆病さを克服できなかったのだろう。
権力者は常に孤独。この孤独をどう耐えるかが、最大の課題だ。東条は、神仏に頼るのをやめて、天皇に救いを求めたのであろう。如何にも戦前のマニュアル化した軍隊教育を受けたエリート軍人の生き様に思える。
吉田茂が指摘したように、戦争期のエリート連中(政治家、軍部、官僚など)の統計軽視、統計改竄の傾向は、度し難いレベルだった。大本営発表とは、虚偽発表の代名詞だった。嘘を嘘とも思わず、嘘で国民を騙す事に痛みを感じなくなった精神のありようが、戦時エリート連中だと言っても過言ではない。
何故、こうなったのか。
支配エリート連中も明治時代はこんなお粗末な連中は少なかった。
第一期⇒明治維新の志士連中。西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文など。彼らは人数も少なかったが、当時日本はそれほどの規模の国家でなかったので十分だった。
低い身分とは言え、彼らは武士階級出身。藩財政や藩の運営の経験があった。テクノクラートと言えるような専門性はなかったが、人材が乏しかった時代なので、何でもこなさなければならなかった。もちろん、機械化も進んでいない時代なので、多くの人間を動員しなければ、道路一つ直せなかった。
そんな中で能力を発揮し、声望を高め、多くの人間を統率できる人材は限られていた。明治維新の志士連中の多くは、いわゆる【郷党】の親玉だった。その代表格が、西郷隆盛だった。彼らは、後世の世代と比較して、専門知には欠けていたが、きわめて【総合知】に優れた人材だった。
第二期⇒維新の志士たちの後に生まれた世代。慶応から明治初めに生まれた世代。代表的人物; 秋山好古、秋山真之、正岡子規、夏目漱石などの【坂の上の雲】世代。彼らの特徴は、高度な【専門知】がある世代。
〇明治の国家目標 ⇒ 富国強兵 殖産興業 ⇒ 大量の実務家、テクノクラート、スペシャリストが必要 ⇒ 明治新政府は徹底した能力主義を採用⇒大量のエリートたちが、英仏独に留学。外国語を学び、大量の原書を読み、それを翻訳して日本に持ち帰らなければならなかった。この困難な経験が、彼らを飛躍的に向上させた。
⇒同時に、この困難な経験が、この時代のエリートたちに強烈な愛国心を涵養した。
⇒秋山真之の言葉が代表 (自分が一日遅れれば、日本が一日遅れる)
⇒第二期エリート連中の多くは、地方の名望家や地主(庄屋)階級の出身者。土地管理や小作人などの管理などを通じて、ゼネラリストとしての【総合知】の持ち主でもあった。これが彼らの強烈な責任感や愛国心に結びついていた。
この第一期エリートと第二期エリートのコラボが一番成功したのが、日露戦争である。どう見ても勝ち目のない戦を勝利に持ち込み、日本を歴史の表面に浮かび上がらせた戦いは、明治の第一期エリートと第二期エリート連中のおかげだと言っても過言ではない。
では第三期のエリート連中はどうだったか。彼らも第二期エリート連中と同様な手順で育成されたのだが、明らかに劣化していた。それは何故か。
① 第二期エリート連中の海外技術の習得や海外情勢に対する鋭敏な感性は、明治日本の死活的事情に基づいていた。彼らの命題は、ひとえに日本が国際社会の中でどう生きるか、どのような日本を作り上げたら生きられるか、にあった。その運命を担うのが自分たちであるという強烈な自負心と責任感が彼らを支えていた。
② ところが第三期エリート層は、日本の国際的地位もある程度安定し、明治時代のような切迫感も薄れていた。彼らの主要関心が、自らの立身出世などに傾斜し始め、海外情勢に対する鋭敏さも希薄になり始めた。特に官僚的立身出世競争が始まると、重箱の隅をつつくような細かな法的論議が幅を利かせ、ゼネラリスト的総合知が疎んじられ始める。
③ この欠点が現れたのが、1930年のロンドン軍縮会議である。「条約締結」を通じて国際協調を図り、日本の安全を確保しようとする国際派と、米国に負けない海軍力増強を図ろうとする「艦隊派」の対立である。国際情勢を鋭敏に感じ取り、国際協調を通じて日本の生存の道を模索しようとする【総合知】の持ち主は、明らかに「条約締結派」である。彼らが「艦隊派」に敗れていった時、日本の運命は決まっていた、と言っても過言ではない。
(5)結語
よく考えてみれば、明治維新は1868年。ロンドン会議は1930年。太平洋戦争は1941年~1945年。約70年である。吉田茂が統計の重要性を考え、統計法を作ったのが、1947年。統計偽装が発覚したのが、2019年。およそ70年。
歴史は繰り返す。わたしは、以前から安倍内閣の大半を占める歴史修正主義者たちの国際性の欠如を指摘してきた。現在、ニュースで報道されている韓国との確執だが、わたしたちは、韓国の悪口を言えば問題が解決できるのか、という点を考えなければならない。
1910年の日韓併合条約以降、朝鮮半島を日本が植民地化してきたのは事実。創氏改名のような朝鮮の文化的歴史を無視した政策を押し付けてきたのも事実。日韓両国が戦後処理で協力してきたのも事実。
それに対して、戦後、様々な政治家たちが、朝鮮半島の植民地化政策について、問題発言を繰り返してきたのも事実だ。
例えば、創氏改名についての麻生発言
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-03/03_01.html
祖父である吉田茂が草葉の陰で泣いている。
上で指摘した【総合知】の持ち主なら、まず、21世紀の日本の生きる道について考える。米国の一国覇権が終焉を迎えようとしている現在、まともな政治家ならば、日本はこれから、どのような形で生き延びれば良いのか、を真剣に考える。そうなれば、最後には、日本はアジアの中で生きる以外に方法はない、という結論に達するはず。
と言う事は、隣国である韓国、北朝鮮、中国、ロシアとどのようなスタンスでどのような理念で、どのような距離感で付き合えば良いのかを真剣に模索しなければならない。ならば、現在の韓国との確執は、できるだけ早く、できるだけ穏便に解決を模索するのが、為政者の役目である。
それを総理大臣が先頭に立って韓国との関係を悪化させるような発言を繰り返す。一体全体、安倍総理は日韓関係や東アジアでの日本の立ち位置をどう考え、どうするつもりなのか、全く見えない。彼のその場しのぎの外交方針でこの難しい時代は生き抜けることは難しい。
おまけに安倍晋三は、東条英機とは決定的に異なる点がある。東条には、辛うじて自己の責任を思い悩む人間性が存在した。ところが、安倍晋三の辞書には、【責任感】という文字はない。彼の判断基準は、「自分が、気持ちが良いかどうか」のみだと考えなければならない。
安倍晋三を総理として選ぶと言う事は、そういう事である。
わたしたちは、また滅びの道を歩み始めたと考えなければならない。明治の第二期エリート連中の頭には、数値を偽装するとか数値を改ざんするとか嘘をつくとかという姑息な考え方はみじんもなかった。あるのは、どうしたら日本が国際社会で生き抜けるか、という使命感のみと言って良い。これを果たすには、自らの立ち位置に対する正確な認知が必要だ。こんなものを偽装して、国際社会を生き抜けるはずがない。偽装とか改竄とか誤魔化すとか騙すなどという発想をすること自体、自らの権力を守るための私利私欲以外の何物でもない。
秋山真之のように、「自分が一日遅れる事は、国が一日遅れる事だ」という想いに立つならば、真実のために自らの身を投げ出す覚悟が生まれる。エリートとはそのようなものである。その覚悟の無い奴は、所詮似非エリート。まして、国民を騙したり、誤魔化すために自らの能力を使う連中は、その存在自体唾棄すべきものであり、否定されるべきだろう。
まずこの原点から始めなければ、日本の滅亡は必至である。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水