老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

画期的な城南信用金庫の取り組み

2011-04-29 08:38:33 | 東北地震
3月11日の福島原発事故を受けて「原発に頼らない安心できる社会へ」という「脱原発」を訴えている城南信用金庫であるが
http://www.jsbank.co.jp/topic/pdf/genpatu.pdf

朝日新聞のサイト、アサヒ・コム4月29日付けに、今度は「太陽光導入で年利1.0㌫ 城南信用金庫が『脱原発』優遇」という記事が掲載されていた。

>信用金庫2位の城南信用金庫(品川区)は28日、脱原発の融資を5月2日から、始めると発表した。
http://www.asahi.com/business/update/0429/TKY201104280740.html

日本で一企業が「脱原発」に向けてこのような取り組みをするのは珍しい事だと思う。

今回の福島原発事故では、福島に住む人達や企業だけでなく、様々な地域の人達や企業が被害を被った。これから城南信用金庫のような企業が日本各地にできて、その企業なりの脱原発の取り組みをしてくれたら、私も是非応援していきたいと思う。

とかく横並びになり勝ちな金融業界ではあるが、HPを見るとユニークな定期預金などもあり、面白い信用金庫であると思う。
http://www.jsbank.co.jp/service/azukeru/index.html

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
パンドラ
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産経新聞「首相にふさわしい人」を調査

2011-04-29 06:01:26 | 政治
世論調査で「首相にふさわしい人」は誰かとの設問をよく見かけるが、皆何を基準にして答えているのであろうか。メディアはこれまで「政治と金」を基準にする事を国民に刷り込んで来たようであるが、菅首相と前原前外相の現役閣僚が在日韓国人から献金を受けていたことが発覚し、政治資金規正法違反の疑惑に晒されてから、国民の見方も一皮剥けて変わってきたようである。

それが今回の産経新聞の世論調査(小沢一郎)の結果ではあるまいか。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110428/stt11042818240005-n1.htm

「首相にふさわしい人」に普遍的な答えは無いと思うが、今の日本に必要な首相の資質は、外交、内政に然るべきビジョンを持ち、財界、団体、官僚に操られず、官僚機構を動かしうる人物ということになるのではないだろうか。

自民党の過去の「政権たらい回し」は、不祥事が発覚したり支持率が落ちると、世論の動向を先取りして、派閥や議員が次の「首相にふさわしい人」を選んで、次は政策が変化し政治が良くなると国民を錯覚させ、政官業の癒着(予算配分と利権=政治と金)を温存してきたのである。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔の美少年
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大阪おばちゃん井戸端会議風反原発冊子

2011-04-29 05:58:37 | 原発
今話題の(?)「大阪おばちゃん井戸端会議風反原発冊子」というのをご存じでしょうか?知り合いに教えてもらって、印刷して読んでしまいました。すごく読みやすかったです。

「これをもっとかみくだいて、A4版裏表くらいのチラシにして、いろいろな人に配れないかしら」とか、「それぞれのお国ことばで翻訳(?)したのを作っても面白いんじゃない?」等と話し合っています。

世論調査では原発について現状維持という人が約半数と聞きます。その人たちの多くは、「原発の怖さ」や「代替エネルギーの現状」について知らないという面もあるのではないでしょうか。

もしも今、変われなければきっと将来に禍根を残すことになると思います。

http://genpatsumoumuri.seesaa.net/article/196972291.html

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
コナシ&コブシ
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いつまで居座れるか菅首相

2011-04-28 10:10:27 | 民主党政権
3月25日の参議院決算委員会で自民党、公明党は菅首相の福島原発への対応を見切って早期退陣を迫っていた。その背景には、統一地方選と同時に行われた愛知6区の衆議院補欠選挙で民主党は候補者を立てられずに不戦敗となり、一方自公は連携して自民党の候補者を当選させたことがあるように思える。

それに対して菅首相は震災、原発対策責任を自ら放棄して辞任することはないと答弁していたが、与党内や内閣政務官からも菅辞任コールが出始めており、一寸先は闇の状況になりつつある。

歴代の首相であれば、ネジレ国会解消のための連立工作に失敗し、その上に衆議院でも与党が三分の二を欠いていれば、今後の法案成立の見込みも立たないことを悟り、解散総選挙か総辞職を選択するのが常道であろう。しかし、菅首相には前者の選択肢は許されず、総辞職の意思もないようである。

即ち菅首相には震災対策で解散総選挙をする暇はなく、まだ被災地では行方不明者も多数おり、選挙人名簿も紛失した自治体もあれば、原発避難住民もおり、年内に解散総選挙を行える状態ではない。また仮に解散したとしても、都知事候補を擁立できなかった東京を地盤とする菅首相が当選できる保証もない。結局菅首相の辞書には解散総選挙も総辞職という文字もなく、「居座り」という字があるのみなのである。

更に一夜明けて自公は菅政権との対峙色を鮮明にしており、菅首相が「居座」ったとしても、第二次補正予算案の成立の見込みは全く立たず、通常国会の会期が迫るだけであろう。法案を成立させられない内閣は、幾ら首相がその座にしがみついても、無用な存在であることを知らされる時が来る。言ってみれば菅首相は、雪隠詰めされるまで負けが読めない縁台へぼ将棋を指しているようなものである。

歴代の首相はそのような惨めな事になる前に党の利益を優先して自分をむなしくして総辞職したが、菅首相は自己保身=党の利益と勘違いしているようである。諫言する側近が居ないのかそれとも聞く耳を持たない裸の王様なのか分からないが、いずれにしろ幾ら居座ってみても法案を成立させられなければ震災対策の手は打てない。逆に震災対策の足手まといになり、党そのものが国民の信頼を失い、次の総選挙では自分も落選し大敗北間違いなしである。

問題は菅首相がどうしても辞任しない場合、自民党・公明党と与党内の反菅グループが首相不信任案で歩調を揃えられるかということであるが、大連立は小選挙区制度と政策の隔たりも大きく難しいが、菅首相に辞めてもらい今後の震災対策と政局を次のステージに進めようとの戦略では共通認識が醸成されつつあるのではあるまいか。まさに第一次補正予算成立後の民主党反菅勢力と自公の駆け引きであろう。

自民党は最近の世論調査による政党支持率では民主党を5ポイント以上リードしており、加えて今回の統一地方選挙の結果で次の衆議院選挙では比較第一党にはなれると皮算用しているはずである。従って、今慌てて大連立はせず、次の内閣を解散総選挙に追い込む戦略であろうと思われる。自民党には日本に健全な二大政党を定着させるためにも巷間メディアが唱える大連立は避けて、解散総選挙を目指して欲しいもである。

一方民主党はポスト菅の次期代表に誰がなるか分からないが、菅政権への国民の失望は09マニフェストと「国民生活第一」の政治理念を切り捨て自民党にすり寄ったところにあることは明らかであり、震災対策のために09マニフェストを一部先送りせざるを得ないとしても、「国民生活第一」の政治の原点に戻り、自民党の政官業癒着政治と一線を画して次の総選挙にのぞむしか勝利への道はない。

その際「国民生活第一」への政治復帰を国民に明確に伝えるためには、先ず鳩山前首相が「09衆議院選で沖縄県民との選挙公約を反故にして普天間の辺野古移転を容認したことは間違いであった」と宣言することが欠かせない。

そして次期首相はそれを受けて昨年の沖縄の各種選挙で示された県民の意思(普天間の県外若しくは国外移転)を尊重することを表明して、普天間の辺野古沖への移転を白紙撤回することを米国に申し入れる。これが「国民生活第一」の政治を手っ取り早く強烈に国民に印象づける唯一の方法である。

これなくして菅政権の裏切りを払拭することはできず、口だけで「国民生活第一」の政治を幾ら訴えても民主党への風は起きず、次の衆議院選挙では過半数はおろか比較第一党を維持することも難しいであろう。

最後に万一菅政権が続くようであれば、反対派は政党助成金が党として申請できる年末に新党を立ち上げ、次期衆議院選を戦った方が得策であることを指摘しておきたい。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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スーちゃん、逝く

2011-04-26 20:36:46 | 暮らし
キャンディーズのスーチャンが逝った。まだ50半ば。若すぎる死である。彼女たちのデビューは1973年。怒れる若者たちの学園紛争もほぼ終息。若者たちのエネルギーの方向性が見えなくなっていた。一種の退嬰的空気に包まれていた若者たちの心をつかんだのがキャンディーズだった。

彼女たちの歌声は、本当に可愛かった。歌声もそうだが、何より彼女たちのかもし出す空気が凄かった。女学生のような清らかさ。若い女の子らしい清楚な色気。何より身体中から発散する溌剌とした若さ。全国の多くの若者たちが熱狂したのも頷ける。今では普通になったようだが、キャンディーズは男の子の追っかけのはしりになった。

さらに人気絶頂の時、「普通の女の子になりたい」という名台詞を残して、彼女たちは突然引退した。これが、キャンディーズを伝説にした。後に山口百恵などもキャンディーズの引退劇をなぞった。

子供を亡くした親にとって、その子は永遠に子供のまま。時が止まる。永遠にその子の「可愛らしさ」のみが記憶に残る。これは辛い。特に、母親にとって辛い。小林秀雄が、「歴史とは子供を亡くした母親の嘆き」だと喝破していたが、一人一人の人間にとっての歴史とは、そういうものだろうと思う。

キャンディーズの追っかけだったファンにとっての「ラン・スー・ミキ」の存在とはそういうものだったに違いない。告別式に40代、50代の壮年の男性が多かったのは、彼らにとってキャンディーズは引退の時で止まっていたのだろう。大の大人が、人目もはばからず涙を流し、スーちゃんと叫び、青のテープを投げていた。

今日の告別式。スーちゃんは、また伝説を残した。亡くなる20日ほど前にファンやお世話になった人々への感謝の言葉を肉声の「テープ」に残していたのである。その中で「東日本大震災」の被害者の人々へ、天国からでも支援したいと語り、ファンやランちゃん、ミキちゃんありがとうと語りかけていた。

これはなかなかできない。日に日に進行する病の苦しさと戦い、そう遠くない自らの死を予感しながら、東北地方の被害者の人々への想いを語る。これだけの強靭な精神力はなかなか持てない。彼女は、ライフワークとして多くのボラティア活動をしていたそうだが、上から目線の活動ではなく、自らの生き方そのものを賭けた本物の活動だった、という証左だろう。

わたしは、スーちゃんの遺言ともいえるテープの声を聞きながら、これこそ「自分によし、人によし、社会によし」よいう近江商人の精神そのままの人生を送った人だと思えて不覚にも涙があふれてきた。 

スーちゃんの告別式を見ながら、小林旭の「惚れた女が死んだ夜は」の最後の歌詞を思い出した。

・・いいやつばかりが先に逝く
  どうでもいいのが残される
  惚れた女が死んだ夜は
  涙流れるままでいい
 酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ
 酒よ 酒よ 俺を泣かすなよ・・・

           合掌

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
流水
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「反省しろよ、東京電力。」

2011-04-25 10:43:55 | 原発
なぜ、あれほどまでに東京電力の会長以下、幹部の人々は傲慢なんでしょうね。厚顔無恥、自信過剰、威圧的、官僚的、閉鎖的、利益優先、人命軽視・・・福島第一原発の制御不能に始まり爆発・放射能漏れに至る一連の事故報道を読みつなぐと、東電の無責任体質や日本の原子力行政のお粗末さがハッキリと見えてきます。
 
30年ほど前に読んだ原子力関連の専門書には、いまだに忘れられない比較表現がありました。いわく、「核分裂の連鎖反応をゆっくりと進めてエネルギーを取り出すのが、原子力発電。瞬間的に進めて莫大なエネルギーを取り出すのが、原子爆弾」と。その専門書には「ゆっくりと進める」ための高度な技術が解説してありましたが、私は「原子力発電と原子爆弾は紙一重なんだ」と驚きつつ、「瞬間的に進めない」ための安全装置が何重にも仕組まれていることに感心したことを覚えています。
 
つまり、原子力発電は「危険な仕組みを、いかに慎重に安全に運用するか」が重要なわけで、「安全な仕組みだから、経済的に運用しよう」と考えた時点で今回の原発事故への段取りができてしまったように思えてなりません。ハインリッヒの法則にならえば、重大事故はケアレスミスが見逃され、積み重なって発生します。福島第一原発の現状は、過去に起きた東海村・JCOの臨界事故をうやむやにしたツケ。安全神話の上にあぐらをかいてきた結果の人災です。原子力発電に限っては、軽々しく「想定外」などと言ってはいけないのです。
 
それなのに、あの東電幹部たちの強がった態度。最悪の事態に直面して役に立たない、原子力安全委員会や原子力保安院の面々の他人事で緊張感のない態度。こんなヤツらに何十年にもわたって高給を払い原子力発電を任せてきたなんて!唯一の被爆国、日本の恥です。
 
原子力発電関連のPRは、決まり文句のように「環境にやさしい、クリーンで安全なエネルギー」をキャッチフレーズにしています。しかし、真実を追究する一部の人々は原子力発電所を「トイレのない(高級)マンション」と比喩してきました。案の定、NUMOなるものがTVコマーシャルで「トイレを作る場所探し」をしていました。その、放射性廃棄物の地下処分を模索する天下り団体「原子力発電環境整備機構」は、新聞紙上でも高い広告費をかけて訴えていました。いわく、「みんな」が望んで使った電気のゴミをどうするんですか?と。
 
私は「ひどい、話のすり替えだ」と呆れつつ、ふと思いました。60年以上前にも、そうやって話をすり替えて国民をだまし破滅へ導いた輩がいたなぁ、と。

反省・・・するのか?東京電力、原子力村の面々。

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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原子力村を解体せよ!

2011-04-24 15:53:33 | 原発
原子力平和利用という美名の下で形成された原子力利権構造が、戦後日本の支配体制の象徴であると何度も指摘した。

未曾有の大災害からの復興、福島原発事故でもたらされた被害、どちらも巨額の費用が必要だ、と言う認識に反対を唱える人はいない。しかし、この費用の調達方法となると百家争鳴。一体、どれが正しいのか、判然としない。

このように、「総論」賛成、「各論」反対の場面は至る所で見られるが、今回の場合は、通常の場合とは話が違う。

何故なら、今回の復興、原発被害をどう回復するか、という問題は、戦後日本の総括と将来の日本をどのような形で構築するか、というグランドデザインなしに決定できない。場当たり的解決をすれば、本当に日本は沈没してしまう危険性が高い。復興の「理念」、日本のエネルギー政策(原発なし)の理念なしに「巨額な復興費、巨額な賠償費」を支出してしまえば、結局費用は拠出したが、ただの損失補填でしかなかった、と言う結果になる。

今回は、福島原発事故を社会的・思想的から考えてみる。

原子力発電(原子力の平和利用)はきわめて危険で、ひとたび事故が起きたら、取り返しのつかない被害を人体及び環境にもたらす存在である。

原子力発電そのものは、非常に高度で精密な最先端の科学的知見(論理)と科学経験的技術知に基づいて運用されている。純粋科学的論理だけからいうならば、「原子力は安全」というTVに出る原子力専門家なるものの言い分は、正しいのかもしれない。

しかし、これは原子力発電所自体が、物理的意味で安定した理想的環境に設置されているという仮説に基づいた言い分である。

現実の地球環境は、そのような理想的環境はあり得ない。現実の地球環境は、自然空間から過激で混沌とした影響を受ける事を宿命づけられている。当然のことながら、人間には予期しえぬ影響(地震、津波、台風、など)を地球環境から受けるし、テロという人的影響も受ける可能性がある。

この意味からすれば、「原発が安全である」などという事は、絶対に言えない。同時に、政府や官僚、学者たちが繰り返した「想定外」という言説は、自らが自然をコントロールできる存在であるという妄想を信じた人間の傲慢さの表現以外の何物でもない。つまり、純粋科学的論理のみに身をゆだねた人間の愚かさの表現以外の何物でもない。

さらに、今回の原発事故には、日本特有の事情もある。原子力平和利用の歴史についてはすでに述べたが、日本の原子力発電を支えてきたのは、産・官・学・政の癒着構造であり、今回の事故は、この構造からもたらされた「ヒューマン・エラー」の側面が大きい。

端的に言えば、4・21日付毎日新聞「記者の目」で取り上げられていた原子力村の存在である。毎日新聞の記事は、それでも遠慮勝ちだったが、原子力村の住人たちの傲慢さを今回の事故の遠因と指摘していた。

原子力村というのは、平たく言えば、原子力で飯を食っている人々の事をいう。電力会社・関連企業・官僚(原子力保安院など)・学者・評論家・メディア(重要な広告主)などの総合体。

この村はきわめて狭い範囲で構成されており、この村の住人たちのほとんどが顔見知り。例えば、大学や大学院で原子力を学んだ学生たちは、大学教授の紹介で、電力会社や大学、官僚・原子力関係の独立行政法人などに就職する。大学の研究などを支援する大口スポンサーは東電をはじめとする電力会社。この構造からすると当然原子力村の住人は、「原子力は安全」とする神話を標榜する人間たちの集団になる。「原子力の安全神話」に疑義を唱える人間は、「村八分」にあう。
 ※現在数少ない信頼できる研究者として活躍している小出裕章氏は、京大原子炉研究所(熊取にある)の反原発を標榜した7人の研究者(通称熊取七人衆)の一人。彼ら(現在2名)は60を超える現在も万年助手。原子力村の閉鎖性がこの一事で分かる。

オーム真理教の犯罪は、その組織の閉鎖性・排他性・外部に対する攻撃性などが、大きな心理的要因になった事は周知の事実だが、実は、原子力村の閉鎖性・排他性・外部の批判に対する攻撃性も似たようなものだ、と言える。

例えば、日本の原子力安全委員会と同じ役割を持つ米国の組織の名称は、原子力規制委員会。米国では、原子力は人間が扱うには、きわめて危険な物質という認識が基本にある。だから、この危険な悪魔を扱う機関には、厳重な規制を設け、慎重の上にも慎重な取り扱いを義務付けている。

ところが、日本では原子力平和利用決定以来「安全」という幻想を国民に信じさせることが運命づけられていた。この「安全神話」なるものが、日本の原子力村の住人たちを金縛りにしていた。この村の住人たちの存在意義は、「安全」という錦の御旗を国民に信じさせ、それを科学的に証明する事にあった。

当初は、住人たちは、危険な物質を「安全」と言い繕うのだから、それを証明するために、それなりの努力をしてきた。ところが、原子力発電所が、何年もあまり大きな事故がなく推移すると、「安全」であることが規定の事実になってしまう。そのうち、「安全」に疑義を差し挟むこと自体がタブーになる。この「タブー」に挑むものは、異端児として排除される。この村社会の論理が、今回の東電福島原発事故の大きな要因の一つだった事は論をまたない。ここに展開されている姿こそ、日本社会を永年蝕んできた「官僚無謬説」の象徴である。

だから、彼らの「安全」意識は、第一義的に緻密で合理的な科学的知見に向かった。この緻密で合理的な科学的知見の能力こそが、原子力村での地位を保障したのである。これも、官僚社会で細かな法律的知識を駆使して反対者を煙に巻く手法と同じだ。

しかし、彼らは苛烈な自然条件を考慮の外に置いた。だから、日本で第一級の頭脳の持ち主だと自他共に認めているエリート集団が、外部自然空間からの苛烈な攻撃を「想定外」と言わざるを得ない無様な有様に転落したのである。

だから、農業や漁業など自然条件を相手に生活している人々の「お天道様には勝てぬ」という自然に対する畏敬の念にも劣る言い訳しかできない。この無残な姿こそ、現在の日本の支配層の姿だと言う事を認識しなかったら、日本再建など夢のまた夢である。

東日本復興や原子力を含めた日本のエネルギー政策をどうするか。実は原子力発電問題は、日本のみならず世界的問題になっている。世界各国は福島原発事故の処理及びその後にくる日本の原発政策を固唾をのんで注視している。

この処理とその後のエネルギー政策は、世界各国のモデルになる事は間違いない。福島原発事故は過去の世界が経験したことのない未知の世界。ここで日本の叡智を集めた事故処理をすれば、日本の科学技術に対する信頼は大きく高まる。同時に、未来を見据えた新たなエネルギー政策を打ち出せば、それが21世紀世界のモデルになる。

福島原発事故という甚大な犠牲を払った日本である。せめて、この事故を将来の世界の指針になれるような新たな方向性を生み出す契機にしなければ、多大な犠牲を払った避難住民たちの思いは生かされない。わたしが復興計画には、理念が最も重要と主張するのも、ここに理由がある。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
流水
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公正な「沖縄ノート」1審・2審・最高裁判決

2011-04-22 23:06:31 | 戦争・平和
今日のアサヒコムによれば『太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が集団自決を命じたと記述したノーベル賞作家・大江健三郎さんの著作「沖縄ノート」(1970年)をめぐる名誉毀損(きそん)訴訟で、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は、原告の元戦隊長側の上告を退ける決定をした』と報じられている。

http://www.asahi.com/national/update/0422/TKY201104220321.html?ref=any

この訴訟をキッカケに高校の日本史教科書から軍の関与が削除されていただけに、今回の一連の裁判で全て、旧日本軍が「集団自決」に関与していたという生存者の証言が認定された意義は大きい。文科省は早速来年の教科書から削除された記述を復活させるべく教科書検定をやり直すべきである。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年

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「原発」の今後に世論温度差(4/20東京新聞)

2011-04-20 16:39:08 | 原発
東京新聞4月20日付け朝刊に「原発の世論調査に温度差」という記事が掲載された。これは、福島第一原発事故の後、新聞、テレビ局が「原発の今後について」行った世論調査の結果である。記事によると、「廃止、減らす」より「増設、現状維持」の方が多いという結果が出た。

共同通信は、「廃止、減らす 46.7」「増設、現状維持 46.5」と殆ど拮抗しているが、他のテレビ・新聞の世論調査では原発容認派が上回っている。

作家の高村薫氏は、「福島で起きていることを、真面目に真剣に受け止める事がつらいからではないか」と述べ、斉藤貴男氏は、「懲りないな、考え得る最悪の事故が起きたのに、原発立地県以外の住民は人ごとと考えているようだ、御用学者が原発は安全という。これを額面通りに受け止めているのではないか」と語った。

作家であり「老人党」の提唱者である、なだいなだ氏は、「事故の重大性がどれだけ伝わっているのか。逆にいえば、現状維持や増設 が多数を占めたのは、事故の重大性が良く周知されていないからではないか」と語っている。

私はなださんの意見に近い。勿論、高村氏や斉藤氏の意見にも賛同するが、テレビ、新聞等を通じて「直ちに健康に影響はない」「事態は少しづつ収束に向かっている」というような情報が大量に流された。

「福島の人達は気の毒だけれど、エネルギーの3割を占める原発を今すぐ止めるのは無理」という認識が多くの国民の間に、広く、思ったよりも深く浸透しているからではないか。

しかし、それはひとごとではない。多くの人達から「自分は既に充分生きてきたから、ガンになってもどうということはない。それに、高齢者にはそんなに影響ないそうじゃないか」という言葉を聞いた。しかし、これでは今、目の前に迫っているかも知れない危機に余りにも無防備だと思う。

世論調査の仕方も良くなかったかもしれないが、せめて「近い将来起きるだろうといわれている、東海地震の活断層の上に浜岡原発は建っています。あなたはこの原発を今まで通り稼働した方が良いと思いますか、止めた方が良いと思いますか」
http://www.stop-hamaoka.com/kaisetsu-2.html#2
という世論調査をしたらどんな結果が出るだろう。

そして関西より西や南に住む人達から「関東に住む人達は気の毒だけれど、今すぐ浜岡原発を止めたら日本のエネルギーはどうなるの」と言われたら、静岡から東に向けて住む人達はどうするのだろうか。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
パンドラ
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東日本大震災で思い出すことども

2011-04-19 20:22:29 | 東北地震
青春時代の3年間を仙台で過しましたので、東日本大震災は他人事ではありません。過ごしたのは大体中心部でしたので、今回津波の被害を受けた地域ではありませんが、地名には石巻、松島、塩釜など馴染みのものが多く、岩手から宮城の海岸べりの被害を、ただ呆然と、新聞や雑誌の写真を眺めています。

初めて行ったのは昭和22年、仙台の中心部はまだまだ空襲の焼け跡でした。そこの闇市で食料などを買ったのでしたが、何を買ったのだったか・・・とにかく、鉄兜で作ったお鍋で、大根入りのご飯を、なたで割った薪で炊いたのは覚えています。おかずはなんだったのか・・・

原発などなかった浜どおりを、夜行列車で行き来しました。上野から立ちどおしだったこともありました。野馬追いで有名な相馬から通っていた友人もいました。昨年、この惨状を見ることなく亡くなりましたが。
 
時々うかがった恩師は、ご子息が戦死され、市内のお宅は空襲で焼かれて、間借り生活でしたが、その後移られた一軒家は今の若林区、海岸べりで大勢の水死者を出した地域です。

復興途上の仙台での七夕祭りは楽しみのひとつで、軒ごとに手製の竹飾りがゆれました。ビニールなどなかった頃で、折り紙でくす玉や折鶴を作って飾りました。                  
あれから60年、今度の震災がなければほとんど思い出すこともなかったことどもです。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
松林 
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