老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

住民投票の理論と実践のご案内

2020-10-26 20:23:28 | 民主主義・人権
大阪都構想への大阪市民の住民投票が11月1日、残すところ1週間となった。議員選挙や基地建設に賛成か反対かの単純な投票と違って、今回の大阪都構想の住民投票は論点が多すぎて、何を判断して投票したら良いのか分かりにくそうである。

また、いつも政治で対立している自民党と共産党が反対で歩調を合わせ、前回反対した公明党が賛成に回って維新の会に同調し自民党と対峙していることも、解りにくくしているように見える。

こうなると、結局市民一人一人がそれなりの価値判断と基準を持って、大阪都に移行した場合のメリット・ディメリットを判断して投票することに尽きる。

そのための参考資料として、「護憲+」の内部紹介資料から、大阪市在住の有権者に以下をご案内しておきたい。投票前の判断資料になれば幸いである。

*住民投票の理論について

☆『住民投票の総て』参照:http://ref-info.com/cf0123/
・2020年10月5日に刊行。
・金額が5700円と高額なので、個人購入が難しそうなら図書館に購入依頼する方法もあるとのこと。

*住民投票の実践内容について

・れいわ新選組の山本太郎の街宣、「あかん!都構想」のyoutube映像。
・内容を分かりやすく映像を使って説明している。
https://www.youtube.com/watch?v=dwwoQ_fhkfo

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔
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橋下徹氏のフェイクニュースについて

2020-10-26 16:32:01 | 政治
「今週のコラム」に日本学術会議に関する橋下徹氏のフェイクニュース(ツイッター発言)を書きましたが、私が疑問に思うことを詳細に論評しているサイトがありますので追記いたします。

★橋下徹が日本学術会議デマの説明求める取材に「無償のインタビューに応じていない」 望月衣塑子記者にスリカエ攻撃も/リテラ
https://lite-ra.com/2020/10/post-5680.html

まぁ、私人と公人を使い分ける橋下さんは「ああいえば、上祐」と変わらない、ズルい人ですから。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
猫家五六助
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なぜ、野党の声は国民に届かないのだろう

2020-10-26 16:02:21 | 政治
「おいっ、スガ!アンタは日本学術会議が生まれた経緯を知らないのか。その生い立ちを知らないヤツが『前例踏襲でいいのか』だと?役人答弁のような任命権デンデン(云々)で他人の懐に手を突っ込むようなマネするなら、総理大臣なんか辞めちまえ!」

国会や記者会見で、こういう威勢のいい言葉を吐く野党国会議員の姿を久しく見ない。言い方は少々荒っぽいが、言っている内容は間違っていない。こうした発言を問題視する輩がいたら先ず、モノの本質を見ずにご飯論法でごまかし、フェイクニュースを垂れ流す与党議員やオトモダチ、小バカにしたり人格否定までするネトウヨを批判してほしい。

日曜日、共産党の宣伝カーが市街地を回っている。今は「日本学術会議の任命拒否についての暴挙」を、過日は桜を見る会・モリカケ問題について疑惑や問題点をスピーカーで声高に語っていた。また適時、「赤旗」新聞のポスティングを行っている。これらは「知る人ぞ知る」なのか、残念ながら多くの国民には届いていないように感じる。

モリカケ問題と公務員・赤城さんの自死は言うに及ばず、桜を見る会、くだらない閣議決定の数々、伊藤詩織さんのレイプ被害握りつぶし、安倍チルドレンの不祥事等々。安倍晋三があれほど「公私混同の繰り返し」「説明しない」「責任を取らない」にも関わらず、問題発覚後に延々と追及されても火が燃え広がらないのは何故だろうか。

やはり、第2次安倍政権から露骨になったメディア支配や電通に大金払って行っている印象操作(情報操作)が功を奏しているのだろうか。東京新聞・望月記者が菅官房長官(当時)の定例会見で果敢にツッコミを入れても同席の記者クラブ面々はせせら笑い、菅義偉は無視するか「問題ない」など堂々とウソをつく。それすら問題視されない。

安倍政権時代はNHK解説委員・岩田某が北朝鮮の女性アナウンサーのように安倍晋三に関するニュースを称賛しまくっていた。一昨日はフジテレビ情報番組のコメンテーターがNHKを「ああ、半分『国営』放送のような」とつぶやいたので笑ったが、同局の「上席」解説委員・平井文夫は10/5放送で日本学術会議についてフェイクニュースを流した。

それを各方面から批判されたからか急遽、翌朝の情報番組に出演して訂正・言い訳をしたが、恥の上塗りで「そんなに不満があるなら、税金(運営費10億円)をもらわずに独立採算で~」と本質をすり替えたマヌケ発言をした。解説委員というのはいつから、テレビ局のご意見番から政権の犬になったのだろうか。
★学術会議の「大誤報」を露呈したフジ平井文夫・上席解説委員、その知られざる素顔/現代ビジネス
https://news.yahoo.co.jp/articles/7118ee9ce7d208b102131d002524b527d54cc67c

同じ問題でフェイクニュースを流した橋下徹は東京新聞のインタビュー依頼に逆インタビューを提案。その返事がないから「酷い新聞だ」と騒ぎ、「有料インタビューならば受ける」と答えたそうな。この人が得意なのはディベートで、自分の非を棚上げして批判でかわすのが上手い。安倍前首相とサシで会談したのは衆知の通り、「おれ様」的発言が目立つ。
★「東京新聞からの取材は無視した方がいい」橋下徹氏、『東京新聞』記者に番組出演オファーも無回答で苦言/ライブドアニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/19053633/

世の中は「言ったもん勝ち」の様相を呈してきた。前政権を踏襲した菅義偉は堂々とウソをつき、田崎スシローに代表されるコメンテーターをカネで動かし、フェイクニュースを流し、下衆なネトウヨを操る。役人の人事掌握でかん口令を敷き、不利な情報を出さず、説明をしない。ひょっとすると安倍晋三は神輿に乗っていただけで、担ぎ手の音頭をとってきたのは菅義偉ではなかったのか。東京新聞・望月記者とのバトルを思い起こせば、納得できる。

しかし・・・日本の政治はますます「ムラ社会」になってきた。カネを持っている者、声のデカい者、言い訳の上手い者、裏で恫喝する者が日本を動かしている感じ。野党はもっとメディアの使い方(情報発信の方法)に上手くならないと、国民に「正しいことを伝え、間違ったことを正す」声が届かないように思う。

共産党は正論よりも政党助成金を受取り、結果的に正しいことに使ってはどうだろうか。休日に宣伝カーのスピーカーで語るのも・・・う~ん。(^^;)

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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福島放射能汚染水対策、他3題

2020-10-25 09:06:09 | 災害
癌対策で時間も余り割けないが、最近気になった4つの問題について所見を簡単にのべてみたい。

※福島原発のタンクの汚染水処理問題
・永年結論が出ずに貯まる一方で有ったが、最近極力浄化して海洋投棄しかないと言うことでコンセンサスができたと思いきや、漁民からの風評被害への強い懸念表明で、政府もまたふらつきだした。昨日の新聞情報では梶山通産大臣も海洋投棄を白紙に戻したようである。何を今更と思えば、1年以内にやってくる衆議院議員選挙にマイナス要因となるからである。それまではタンクに貯めておこうとの算段と思われる。

小生は民主党の菅政権当時から、日本の200海里水域の排他的水域の太平洋上にタンカーで都度投棄することを国際的に、或いは国連で宣言すべき事を提言している。諸外国がからクレームが付いたら、かつて常任理事国は全て核実験をして大気や海水を放射能で汚染してきて核保有国になった事を指摘し、不可抗力の自然災害で溜まった放射能汚染水を極力浄化して、排他的水域に投棄してどうして悪いのか、相対的に比較して、道理として訴え反論すべきである。そもそも陸上の水は海に流れるのである。

福島漁民を救うにはこれしか方法はあり得まい。またそうすれば大阪府知事が言う、大阪湾で汚染水を受け入れる等の愚論も生じないと思われる。

※菅首相のアジア外交
・先日首相就任後初めての外遊先にベトナムとインドネシアを訪問した。訪問に先立っての唱い文句は、「法と自由を共有できる国」だった様に思う。

ベトナムは果たしてその基準に該当するのであろうか、この国も中国と同じく共産党一党独裁ではないのか?。将来民衆から独裁政治への不満が勃発した場合、民主主義を踏襲できるのであろうか。なんとなく今は中国と仲が悪く親日的で、敵の敵は味方的なヒヨミリ的発想の様に見える。

それとなんと言っても、ベトナム戦争では共に反米で中国の協力を得ている国であり、中国とは陸続きであり、中国との利害関係は日本との比ではあるまい。それを思えば日米の南シナ海ヘの中国進出牽制には自ずと限界が見える。

※日本学術会議会長の甘さ
・菅首相の6名の任命拒否問題後、梶田会長と菅首相が会談したが、その時の会談で会長は強力に任命拒否問題を直訴せずに、今後の問題として未来志向で会合を持つことにした様な事を、記者会見で述べていた様に感じた。歴代の会長が猛反発していた雰囲気とはかなり温度差があったように思われた。第一、学術会議と内閣が運営面で未来志向で会合を持つ必要はなかろう。会合は何かの提言を内閣に行う場合に限るべきであろう。

※自民党石破議員の派閥会長辞任劇
・唐突な発表であるが、今回の総裁選での完敗はもう自民党総裁にはなれないことを予想させる敗北の仕方であった。一方国民民主党の玉木代表は野党統一戦線から離脱するとの報道も流れた。どうもこの両者の機を同じくしての発表はキナ臭い。国民民主党には石破氏と政治信条の合う前原前民進党党首も在籍しているだけに、今後の動向が要注目である。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
厚顔
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嘘・デマを拡散させないために

2020-10-20 22:06:36 | 社会問題
「米国や英国は学者団体に税金は投入されていない」という橋下徹氏の発言がネットで騒がれましたが、これは嘘です(その後本人も訂正しました)。

米国の「全米科学アカデミー」の運営費315億円のうち8割は公的資金。英国王立協会は65億円が公的資金として支出されているとのこと(10月20日東京新聞夕刊)。
それに対し日本学術会議には、10億円(比べてみるとケチな額)が支出されています。

フジテレビの解説員平井文夫氏が学術会議の学者が「6年働いたら学士院会員になれる」という発言も嘘。

学士院会員で、日本学術会議を経ない人は結構いますし(私も直に1人知っています)、6年いたからと言って学士院会員になれるわけでもありません、別組織です。

こうしたインチキな発言や、いい加減な根拠のない情報に惑わされ、デマを拡散しないためには、まずは自分で調べてみる必要もあるし、こうしたところでチェックするのも良いでしょう。

ファクトチェック・イニシアティブ https://fij.info/
国費の学者団体投入についての記事は、https://fij.info/archives/8121

ここ、上記の問題から、クッキーのサイズ、コロナ禍まで、いろんな嘘、デマを扱って検証しているので、面白くもあります。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
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官邸のヒムラ―;杉田和博官房副長官「公安を使った監視と圧力」!

2020-10-19 09:31:19 | 菅政権
🔶杉田和博という存在

今回の学術会議人事拒否問題は、公安、内調など警察・諜報関係に依拠した安倍・菅政権の統治体制の根幹をあぶりだしている。

杉田和博氏は、東大卒。警察庁出身(公安関係)。内閣情報局長などを歴任。
内閣官房副長官、内閣人事局長(幹部官僚人事を統括)
※杉田和博 ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%8D%9A

以前、安倍内閣の人事のポイントは、首相官邸に公安や内調などの諜報機関の出身者が4人いると書いた事があるが、杉田和博氏はその中心。文科次官だった前川氏の証言によれば、政府審議会のメンバー選定で政権に批判的な専門家を外せと言われたことがあるそうだ。

実はこの話、あまり表面には出てこないが、中央省庁だけでなく、地方官庁の人事などでもかなり日常的に行われている。例えば教職員の人事でも、20代にたった一度だけストに参加した事のある教師は、その経歴が教師を辞職するまでついて回る。そして,昇進人事や、異動人事ではたいてい不利益を被るようになっている。

人事担当者は、決してその人間の思想信条を裁いているのではなく、日ごろの実績で評価していると言う。それでいて、傍から見ている人間には、その人事がその人間の【思想信条】にある事が、理解できるようにしている。

こういう事例を見ている人間は、決して上司に逆らおうとはしない。首をすくめて、唯々諾々に上司に従う。これが、官庁の秩序というものである。

役所では人事が全て。人事を握ると言う事は、その人間の生殺与奪の権を握ると言う事を意味する。役人が忖度するのも無理はない。というより、【忖度】をするから、役人だと言っても良い。

それに加えて、杉田氏は、警察庁では一貫して【公安】畑を歩み、内閣情報局長などを歴任している。つまり、【情報収集】のプロ。

前川喜平氏の証言によれば、前川氏が出会い系バーに出かけた事(前川氏の調査研究対象)をメディアに出る半年前に杉田氏から言われたそうだ。

こういう情報を握って、人を支配するやり口は、公安の常套手段。これは、通常の人事担当者より、はるかに怖しい。一体全体どこまで私の事を知っているのだろうか、という恐怖心を抱かせる。

一説によれば、議会から三権のすべてと言論界、経済界にまでも、その内偵は行われている可能性が高い、というのである。個人情報など完全無視。羽鳥のモーニングショーで、羽鳥が玉川に「お互いにハニートラップに気をつけましょう」と語っていたが、TVに出ているMCやコメンテーターなどは間違いなくその対象だろう。

だから、役人たちにとって、杉田氏の存在は想像もできないほど怖しい存在だ、と考えてさほど間違いはない。逆に言えば、首相官邸にとって、これほど重宝な人材はいない。一つ間違えれば面倒な各省庁のエリート官僚を有無を言わさず従わせる力と存在感を持っている。

こんな人間はそんなにはいない。簡単には代わりが見つからない。杉田氏が79歳になってもいまだ現役である理由だろう。

もう一つ付け加えるなら、杉田氏は、日本においてヒトラーの手口を意図的に具体的に実践してきた第一人者ではないのか、という疑いを禁じえない。

※ヒムラ― ナチスの指導者
1929年ナチスの親衛隊長になって以来,ヒトラーの腹心となり,秘密警察部門を担当。1934年秘密国家警察(ゲシュタポ)長官となり,第二次世界大戦中はユダヤ人虐殺や反対派抑圧の責任者として恐れられた。戦争末期にイギリス軍に逮捕されて自殺。
旺文社世界史事典 三訂版の解説:
https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC-120846

🔶 江戸の杉田和博 水野為長と【よしの冊子】

歴史的に見れば、日本にも、杉田氏に酷似した人物がいた。

【寛政の改革】で有名な江戸幕府の老中松平定信の側近中の側近に水野為長という人物がいる。彼が定信を助けるために、役人たちの情報が記載された閻魔帳を作成した。これを【よしの冊子】という。
※よしの冊子を基にした本はこちらで見られる 
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%AE%E5%86%8A%E5%AD%90%E3%80%8F%E3%81%AB%E3%81%BF%E3%82%8B%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%BD%B9%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A9%95%E5%88%A4-%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E8%A9%95%E4%BE%A1-%E6%96%B0%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%8D%9A%E6%96%87/dp/4046010363

為長は、お庭番などの密偵を使って、幕府役人や学者、医者などの行状や評判を採集。それだけでなく、諸大名や外国関係の風聞、朝廷の情報なども収集。それを「よしの冊子」にまとめている。書かれている人数は1万人程度と言われている。

【よしの】というのは、「何々の由」の「よし(由)」から取っている。簡単に言えば、そういう噂(話)でございます、程度の意味である。

この冊子に掲載されている有名人をあげれば、「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵なども記載されている。
※現代語訳 よしの冊子 http://chuukyuu.info/who/edo/2009/08/post-e5f4.html

実は「よしの冊子」を紹介したのには理由がある。松平定信というと、【寛政の改革】がすぐ出てくるが、わたしがその中で注目しているのが、【寛政異学の禁】である。

※寛政異学の禁⇒寛政異学の禁とは、寛政の改革のなかで行われた学問統制のこと。幕府が運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることとした。その他の学派は「異学」と位置づけ、教えることを禁じた。

※朱子学⇒明の朱熹が始めた学問。壮大な理論体系を持つ。特に、【上下の身分をはっきり区別することが重要である】と主張しているため、日本では徳川幕府によって奨励された。

しかし、江戸中期以降、朱子学の人気が衰える。理由は単純明快で、あまり「理」を強調しすぎのため、平和の世の中で面倒くさがられた。⇒そのため、古学(伊藤仁斎)などの新たな儒学が学ばれ始めた。

ばりばりの朱子学者だった松平定信は、朱子学の復興を考え、公認儒学スクールである湯島の聖堂学問所(湯島聖堂)においては、朱子学以外の学問を教えることを禁じたのである。

◆よしの冊子と寛政異学の禁(思想統制)と、現在の思想統制の類似性

ここで注目しなければならないのは、【思想統制】と【役人・学者などの情報収集】は表裏一体のものだ、と言う事である。これには時代の差はない。

江戸時代に行われた「情報収集」に基づいた思想統制と、令和の世で行われている「学問の自由」に対する思想統制が、相似形であると言う点に、菅政権や杉田副官房長を始めとする現在の政権体質の古さを見る。

菅政権の連中は、江戸時代と現代の区別もつかないほど劣化しているのだろうか。

自由主義とか民主主義の思想的価値は、他者の『自由』を尊重するところにその神髄はある。他者の『自由』を尊重するから、多様な学問や研究、文化的活動の豊かさが生まれ、人間の創造力が解放され、多種多様な科学的発見や豊かな芸術文化が花開く。

その意味からすると、近代とは、【自由】そのものだと言って良い。他者の【自由】を尊重する事により、近代を近代たらしめる科学的発見や文化的芸術的発展がもたらされた。

「寛政の改革」も、朱子学以外は学問として認めないような硬直した学問観や思想が、時代の趨勢に合わず、見事に失敗する。定信の改革は、かなり急進的であり、同時に正義を標榜する政治家にありがちなかなり厳しい取り締まりを強行し、人心を離反させる傾向があった。

前の田沼時代は、重商主義的政策に重点を置いていた。実は、田沼の政策は、時代の流れから言えば、必然の政策だった。

しかし、好事魔多し。宝暦・明和期は、大旱魃や洪水など天災が多発。江戸では、明和の大火があった。死者1万4千700人。行方不明者4千人を超えた。元号を安永に変えたが、その後も天変地変は止まず、天災・疫病、三原山・桜島・浅間山の大噴火、そして天明の大飢饉が起こった。

当然、全国的に、一揆や打ちこわしが頻発。当然、田沼政権は厳罰で臨んだが、なかなかうまくいかなかった。

このように、田沼時代は、家康以来の幕府の重農主義政策に重点を置いた幕藩体制の矛盾が天災を契機に噴出しつつあった。田沼の苦闘は、幕藩体制が曲がり角に来ていた事を象徴している。

これまでの定説(田沼時代と寛政の改革は全く違う)とは異なり、「寛政の改革」も田沼時代の政策をそのまま継続している部分も多かった。重農主義から重商主義政策への転換は、時代の流れであり、如何に定信といえども、重商主義的政策を完全に否定する事は出来なかった。

同時に「寛政の改革」は、飢饉や洪水、火山の噴火、大火事などの天災・人災で苦しむ民衆の救済を狙ういわゆる「社会福祉的」政策も行われている。
※囲い米。棄捐令(借金棒引き)。佃島人足寄せ場。(長谷川平蔵が主体的にかかわる)
この政策は、秩序回復や農民や都市窮民の不満を鎮静化させるためには不可避の政策であり、評価されるべきだろう。

こう見てくると、松平定信の改革の失敗は、一つは、現実的には重農主義的政策から重商主義政策に転換せざるを得ないのに、理念的には重農主義に固執せざるを得ない矛盾を抱え込まざるを得ない点にあった。

もう一つは、「白河の清きに魚は住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」と落首に読まれたように、あまりの性急さと理念的潔癖さに人心が倦んだ点にあったと思われる。

翻って考えると、現在、政府や自民党、ネトウヨ丸出しの政権応援団連中の言説は、旧態依然とした「軍事優先」の言説であり、時代の趨勢からあまりにもかけ離れている。

学術会議の「軍事研究」をしないという姿勢に対する反発や、学術会議が中国の研究を助けているとかというフェイクニュースを、声高に主張している。日本の置かれている経済状況の深刻さや学術会議発足の歴史的経緯に無知で、単なるいちゃもんに過ぎない彼らの言説のレベルの低さは救いようがない。

フジTVの上級解説員の肩書を持つ平井某のように、学術会議に選ばれた学者は、学士院会員になり、年金250万円もらうなどというデマ(全く根拠なし)を垂れ流しておいて、謝罪もせず、TVから姿を隠して、人の噂も七十五日で忘れ去られるのを待つ卑怯な姿を見れば、彼らに何の理念もないことは明らかである。

たしかに水野為長は定信に「よしの冊子」を提示し、寛政の改革推進の手助けをした。しかし、それは排除の論理だけでなく、「寛政の改革」や「寛政異学の禁」を推進するための有能な人材発掘の側面もあった。敵対する人物や無能な人物、非道徳的人間などを排除するためにだけ使われたものではなかった。

その意味で、「よしの冊子」は、松平定信の【寛政の改革】推進の大きな助けになっていたのである。

しかし、菅政権の杉田和博氏の場合は、排除の側面が強すぎる。人事権が人に与える影響を知り抜いたうえで、支配の道具として人事権を利用しているとしか思えない。松平定信ほどの理念も学識もなく、ただ【人事権】を行使して、人に恐怖心を与え、他者を支配下に置く快感に酔っているとしか思えない愚挙である。

水野為長や松平定信が活躍したのが、18世紀末。200年以上後の権力者たちの振る舞いが、彼らより劣るというのは、歴史の皮肉と言うしかない。

「護憲+コラム」より
流水
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「鵺の鳴く世は恐ろしい」けれど…

2020-10-13 09:38:22 | 菅政権
「鵺」という名の妖怪をご存知だろうか。日本で伝承される妖怪だそうだ。

顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾は蛇という説もある。その鳴き声は不気味で、「ホーア ホーア ホーア」と鳴き渡り、その不気味な鳴き声が聞こえた土地は必ず災いに見舞われたという。

故にはっきりしない事柄、立ち回りは上手いがはっきりしない人物の事を「鵺のよう」と言うとか。

さて、令和の世に「菅(鵺)政権」が誕生した。安倍政権を継承するというが、これが鵺のようだ。

一つ分かった事は、総理の首をすげ替えても、「鵺」である政権は変わらないという事だ。菅政権になってから、正にその意思を明確にした。

自分の政策に異を唱えた官僚を左遷した。安倍政権の政策に反対したメンバーを任命拒否、拒否の理由も説明しない。

最近「学術会議の名簿は99人しか見ていない」(!)と言いだした。では誰が総理も知らない間に勝手に6人を削除したのだろう?真に奇怪な「鵺」のような話である。更にあろうことか学術会議の行革まで口にし始めた。

この様な権威を振りかざす問答無用なやり方は、あっという間に国民へと向けられるだろう。

一方では携帯電話の値下、判子を廃止してデジタル化を進める。目先の合理化、ちょっとしたお得感で国民の感心を得る。

以前現政権の閣僚の一人が、「ナチスの手口に学んだらどうか」と恐ろしい事を言ったが、それはもう、実行されて居るのかもしれない。

官僚の人事権を掌握し、マスコミを恫喝あるいは柔軟して、今度は学者を「逆らえば任命しない」と脅す。次は私達国民の番かもしれない。

恐れてばかりではいられない。これから選挙に向けてますますの恫喝と懐柔は進んでいくだろう。菅政権は銀行や役所の屋上で目を光らせる冷酷な管理局を想わせる。主である国民を蔑ろにして、自分に逆らった者は徹底的に潰す。

対抗するにはどうしたら良いか。

野党連合を更に進めるしかない。立憲、共産、社民、国民、れいわの各政党が纏まり自公政権を倒す。そのためには足の引っ張り合いはやめて欲しい。応援団の人たちも人格攻撃などツイッターで呟くのはやめて欲しい。100%良い政治家などいない。失望しても絶望しないで、投げ出さず、「政権交代」に向けて共に歩いて行こうではないか。

国民も、「鵺の鳴き声も可愛いわね」「パンケーキが好きな鵺なんて珍しいね」等と言っていたら、気付かぬ内に奴隷の路を歩む事になるだろう。

いつまでも鵺の鳴き声に怯えているわけにはいかない。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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菅戦前型ファッショ政権の正体!(国民には何も知らせる必要なし)

2020-10-11 10:41:18 | 菅政権
菅政権が、学術会議推薦人事を6人まで拒否した。安倍政権以降の言論弾圧がついにここまで来たのか、という驚きが広がっている。

戦前の日本の歴史を少しでも勉強した人間にとっては、今回の菅政権の学術会議推薦の人事拒否は、京大の滝川事件、美濃部達吉の天皇機関説を思い起こさせる重大事件である。

戦前の歴史をよく知る小沢一郎が「菅政権は怖ろしい」と語っているが、その通りだ。

10月8日のTV朝日の大下容子ワイドスクランブルで、コメンテーターの末延某が、「今回の学術会議推薦人事拒否問題は、この問題に反対の論陣を張るメディアと賛成のメディアの色分けを鮮明にするのが菅首相の狙い」だと語っていた。

末延某が語っているのは、【菅政権の意向に反するメディアは、排除する】というのが、官邸の意向だと言う事。【学術会議推薦人事の賛否】は、その踏み絵だと言っているに等しい。

この指摘が正しいならば、任命拒否は、菅の政治的立場の表明であり、任命拒否の相手は誰でも良い事になる。要は、問題を大きくして、反対者(メディア、学者、評論家)から、これ以降自分に敵対する連中や組織をあぶり出し、言論弾圧の対象にしようと言うわけだろう。

現に菅首相は、拒否された6人の名前を知らないと発言しているようだが、この問題について弁護士郷原氏も書いている。
・・・日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に・・郷原信郎
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20201010-00202356/

戦前の言論弾圧でもそうだったが、学問に対する弾圧が始まった時は、日本の言論状況は、ほとんど死に瀕していると考えなければならない。

映画監督の是枝氏などが、「言論の自由」が侵されているという事は、「表現の自由」が侵されていると同じだ、という危機感に溢れたコメントを発表していたが、その通りである。

その一つの証拠が、国境なき記者団が発表する【報道の自由度ランキング】の2020年度では、日本は66位。G7最下位。安倍晋三前首相が価値観を共有する外交などとほざいていたが、「報道の自由」などは民主主義国のイロハのイ。それが最下位なのだから、何の価値観を共有するのだと言う事だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/679e205708979174b0c8248f480d107be2fbe5a6

今回の問題でも、朝日・毎日・東京新聞などは、一面で扱い、問題の重大性に警鐘を鳴らしている。しかし、読売・産経・日経などは、扱いが小さく、あまり問題にしていない。

報道機関・学問などの言論に対する弾圧が強行されると言う事は、国民の言論状況はもはや死に瀕している、と考えなければならない。

例えば、小泉今日子さんに対するネット上での暴言などを見れば、戦前の隣組の監視体制とほとんど変わらない。コロナ騒ぎの時の「自粛警察の跋扈」は、その良い例である。今や社会が【物言えば唇寒し】の状況に陥っているという鋭い感性を持たなければ、この危機を感知する事はできない。

以前、丸山真男の話で紹介したことがあるが、ナチス・ドイツに抵抗できなかった理由について、マルティン・二―メラーは以下のように語る。(是枝氏らも声明の中で引用している)

・・ナチスがコミュニスト(共産主義者)を弾圧した時、私は不安に駆られたが、
自分はコミュニストではなかったので、何の行動も起こさなかった。
その次、ナチスはソーシャリスト(社会主義者、労働組合員)を弾圧した。
私はさらに不安を感じたが、自分はソーシャリストではないので、何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生、新聞人、ユダヤ人と、順次弾圧の輪を広げていき、
そのたびに私の不安は増大したが、それでも私は行動に出なかった。
ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。
そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がったが、その時は、すべてがあまりに遅過ぎた。・・・・
※マルティン・ニーメラーのことば   http://www.syuppan.net/kyoto/s2-kan-07.htm

「言論の自由」とはそういうものだ。

今回の学術会議任命拒否問題でも、日が経つにつれて、権力側が何年もかけ、如何に周到に準備し、計画的に進めているかが明らかになってきている。

安倍政権下で始まった言論弾圧の第一歩は、2013年8月の内閣府法制局長官人事。この人事で駐仏大使の小松一郎氏を任命。内閣法制局からの繰り上げ人事に風穴を開けた。小松氏は安全保障の考え方が安倍首相の考え方に近い、というだけの理由で、法制局長官に外務官僚がなるという前代未聞の人事を強行した。

小松氏が急逝したため、次の法制局長官には、横畠祐介氏。彼は法制局からの昇任人事だったが、彼の在任中の一番の仕事は【集団的自衛権の承認】だった。歴代の法制局長官が決して認めなかった【集団的自衛権の承認】をするというのが横畠氏の仕事だった。人事権を掌握して、戦後の憲法解釈を変更させたのである。

さらに日銀の人事に介入。黒田氏を登用。黒田バズーカと呼ばれる異次元の金融緩和やEPFによる株式購入、さらに国債を大量に購入。本来独立した機関であるべき日銀を政府方針で完全にコントロール。本来、株価が示す日本市場の羅針盤の役目を完全に放棄。今や、株式市場は、完全なマネーゲームの主戦場となった。

その他、NHK会長人事に介入。政権と関係の良い人物を会長に就任させる。NHK内部のリベラル派を一掃。NHKニュースの不偏不党は失われ、政権の広報誌化している。

また、TV朝日の報道ステーションから久米宏氏が降板。古舘伊知郎が登板。コメンテーター古賀正明氏の「I am not Abe」事件などがあり、古館氏が降板。というように、政府の圧力が顕在化。報道機関からリベラル派が放逐され続けており、報道機関の萎縮化が進み、今やほとんど「大政翼賛会」ではないかと思えるほどである。

霞が関官僚に対しては、官僚の人事権を掌握する事により、ヒラメ官僚・忖度官僚を大量輩出。骨のある有能な官僚がきわめて出にくい環境を作り出している。(※典型的な例が、財務官僚)

このように、「人事権」を梃子にメディアや官僚などを支配し続けたのが安倍政権。その中心人物が菅官房長官。彼は、人事権を人質にして支配する権力者の暗い満足感に酔いしれているのかもしれない。

菅首相が理解していないのは、「人事権は鋭い刃」だと言う意味。人事権で人を支配できるが、同時に多くの人を深く鋭く傷つける。人事権を振るい過ぎると、大量のヒラメ人間と闇に深く沈殿した多くの恨みを生み出す。

物言わぬ組織は生気を失い、ただただ上の命令だけを聞けば良いという澱んだ空気が支配する。一言で言えば、組織の人間の発言の『自由』が失われると、その組織の存在意義がなくなるのである。理非曲直をただすのでなくて、すべてが忖度で決定する。全ての人間と組織が腐臭を放ちだす。

何度も言うようだが、【権力は自制的に行使する】事は、権力者の理性と知性に依存する割合が大きい。知性も理性もない権力者を戴くと、際限のない【権力の行使】が行われる可能性が高い。こういう組織や国家は必ず滅亡する。安倍・菅政権が続くと、我が国は、歴史が教える組織や国が滅亡する道を確実に歩むだろう。

その一つの証拠が、今回の問題に対する外国の評価であろう。以下の記事を読めば、今回の問題に対する海外の評価が分かる。ネイチャー、サイエンス、ル・モンド、フィナシャルタイムズ、ロイターなどの記事はいずれも今回の問題を「政治の学問への介入であり学問の自由への脅威であると扱っており、その理由も自身が官房長官を務めていた安倍政権の政策への批判が原因と指摘」している。

※日本学術会議の任命拒否問題を世界最高の学術誌「サイエンス」「ネイチャー」が批判、海外の一流紙からも「非情な黒幕」「学問の自由への攻撃」など問題視する声
https://buzzap.jp/news/20201008-science-council-of-japan-overseas/

このまま強引に押し通せば、日本は学問の自由がない国と目されるだろう。

悪いことに、現在はノーベル賞ウィーク。学問に対する世界中の注目が集まっている時。菅政権が如何に井の中の蛙かと言う事が良く分かる話である。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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菅首相による「日本学術会議」の推薦者「任命拒否」問題に関して

2020-10-10 15:25:37 | 菅政権
1、任命拒否問題の経緯

最初に、私のこの問題に対する認識程度を示す必要を感じたので、そこから論述したい。

まず、この菅首相の「任命拒否」の問題に関しては、直ちに「不当」であることは理解できた。従来の首相で菅氏のような「任命拒否」を出した首相はいなかったという先例があるからである。

そして、法律(学術会議の法令)に基づいても、会員の任命は、日本学術会議の推薦により首相は形式的に「任命」することになっている、と解釈できるからである。つまり、首相には「拒否権」は存在しないということだ。この点は宇都宮弁護士が明確に述べているとおりである。

しかし、菅首相は当会議の推薦者105人のうち、安保法制などに反対表明をしていた6人の学者の任命を拒否した。そして、この任命拒否の菅首相の態度が「学問の自由」を侵害するとして、多くの大学人や団体が反対の声をあげている。こういう状況にあり、事態は紛糾している。

野党などが、「何故任命を拒否したのか」説明責任を果たせと批判しているが、菅首相と閣僚たちは説明する必要はないと突っ張ねている。また、日本学術会議も、任命拒否の説明を明らかにし、改めて6人を任命するように要望している。

こういう事態の経緯であるが、私自身の認識のレベルでは、この「任命拒否」の問題で最初から理解できていない問題点などがあり、そこから明らかにしたい。

まず、「日本学術会議」の立ち位置や、政府の特別機関であるとされるこの団体の法的な性格や設立の目的などが、全く周知の事柄ではなかったということである。

そして、何故に、任命拒否したことが直ちに「学問の自由」の侵害になると結論付けられるのかも、十分に認識できていたわけではない。

前者から疑問を解いていこう。日本学術会議は1949年に設立された政府への政策提言や科学者のネットワーク構築を目的とする政府機関である。日本学術会議はその設立以降、「学術研究を通じて平和を実現すること」を最大の使命として運営されてきた。それは戦前、軍事に使われることを前提に研究を進めたことへの反省があったからである。(以上の記述は立命館大学政策科学部教授の上久保正人氏の論文に依拠した。)

後者の問題であるが、菅首相が任命拒否権を行使したことが何故、直ちに「学問の自由」への侵害とされるのかである。日本学術会議が政府の機関である以上は、政府の任命拒否が直ちに任命拒否された学者の「学問の自由」を侵害することになるといえるのか、そういう疑問も当然に出てくるのではないか。そこが大きな問題点であると私には思える。その問題の納得できる説明は必要だろう。

大学のように、「政府の機関」ではなく、政府の予算を配分されているが全く「独立した」教育機関である場合には、政府は大学教員の採用に関して「介入」することはできない。なぜなら、学問の自由の内容として、大学の自治が保障され、その自治に介入することは憲法上禁止されているからである。(憲法23条の規定は大学の自治の歴史の中で形成された基本的人権である。)

しかし、大学(ここでは国立大学を指している)と異なり、日本学術会議にはそのような明確な法的な性格が付与されているとは、直ちに断言できないのでないだろうか。つまり、日本学術会議はどのような立ち位置であるか明らかで、また政府との関係において、その「独立機関」としてのアイデンティティーが憲法上も法律上も明確であり、そこの会員に当然に学術研究の自由は保障されていると言うのであれば、その法的な根拠と権利を国民に説明する責任があるのでなないだろうか。それが主権者である国民への義務ではないだろうか。

2、結論

マスメディアなどは菅首相の「任命拒否権」の行使がなんらの説明もなく、「学問の自由」の侵害であると結論付けているが、こうした報道や識者の説明がかなり大雑把な印象を免れていない。

日本学術会議という政府機関が存在していることは既知であったが、政府から「独立」している機関であり、会員には学問研究の「自由」が保障されていること、また、学術団体に「自治権」が保障され、推薦者名簿の通りに首相が任命することになっていること、そしてそれは義務であり、任命拒否権はないことなど、明確に説明することが必要ではないか。その説明を十分にした上で「学問の自由」の侵害になると言うべきなのである。

その手間暇を惜しんでいるうちは、「日本学術会議」の正体を知らない私たち普通の国民は、頭上で「論戦」が展開されていると呆気にとられているだけである。その説明責任を果たした後であるならば、菅首相の「任命拒否」が、安倍政権の政策を継承すると「豪語」する菅首相の「独断専行」だったのだと理解できるのである。

菅首相も任命拒否の説明義務(国民に対しての)を果たしていないが、日本学術会議の方も同じように「説明義務」を果たしていないような印象があり、この点も残念である。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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歴史と歌と(4)(民衆運動と歌-2)

2020-10-03 11:17:31 | 社会問題
🔶添田唖蝉坊

壮士節も、川上音二郎のオッペケケ節も、憲法が制定され、自由民権運動が下火になるにつれ、一時の勢いを失っていた。その後を継いだのが、添田唖蝉坊。自由民権運動の活動家が歌う壮士節やオッペケケ節に影響を受け、この世界に入った。

唖蝉坊は、演歌から政治的主張を排除した純粋な演歌の道を目指して、自分自身で演歌の歌詞を書き、演奏した。いわば、明治の「シンガーソングライター」。彼が日本の「シンガーソングライター」のはしりと言われる所以である。

彼は、1905年(明38年)に知り合いの演歌師から依頼され、「ラッパ節」を作った。これが大流行。一躍有名人になった。ここから唖蝉坊の変身がはじまる。思想的には、平民社の堺利彦と知り合ったことが大きかった。唖蝉坊の歌は堺から大きな影響を受けた。

※ラッパ節
https://www.youtube.com/watch?v=wDRuiCn19HY&list=RDwDRuiCn19HY&start_radio=1&t=49
※社会党ラッパ節
https://www.youtube.com/watch?v=UxNNYxo6Lok
※足尾銅山ラッパ節
https://www.youtube.com/watch?v=FsNEr92rBD4&list=RDwDRuiCn19HY&index=6
※富の鎖 平民社社会主義の歌
https://www.youtube.com/watch?v=BwGZPjoLdqU&list=RDwDRuiCn19HY&index=14
※嗚呼革命は近づけり・・・添田唖蝉坊が一高寮歌(嗚呼玉杯に花受けて)の節で歌い有名になる
https://www.youtube.com/watch?v=tpGGbqjWWRk
※幸徳秋水を弔う革命家⇒この歌は添田唖蝉坊に直接関係ないが、上の歌をなぞっている。
https://www.youtube.com/watch?v=5xPiNLXp0Mc&list=RDtpGGbqjWWRk&index=2
※大杉栄追悼歌⇒この歌も上の歌と同じ。唖蝉坊と関係ないが、強く影響を受けている。
https://www.youtube.com/watch?v=SrqINqKsULg


🔶唖蝉坊の書いた労働歌

※あきらめ節 1906年 明治39年
https://www.youtube.com/watch?v=q7GsHYOZB7w
※ああ踏切番
https://www.youtube.com/watch?v=wxrBvU9D-8s
※解放節
https://www.youtube.com/watch?v=jmOsY6PIeY4&list=RDwxrBvU9D-8s&index=9
※貧乏小唄(船頭小唄の節で)
https://www.youtube.com/watch?v=aBmJzbpmg60&list=RDwxrBvU9D-8s&index=12
※労働問題の歌 この歌に掲載されている写真が見もの。堺利彦、竹久夢二、中里介山などが写っている。
https://www.youtube.com/watch?v=yC8UHtH1YuU&list=RDwxrBvU9D-8s&index=21
※新トンヤレ節
https://www.youtube.com/watch?v=XLf6eAxAZw8&list=RDwxrBvU9D-8s&index=15
※浮草
https://www.youtube.com/watch?v=4WEWiAprRa8&list=RDwxrBvU9D-8s&index=28
※四季の歌
https://www.youtube.com/watch?v=dRr-jW80Xj0
※地震小唄(船頭小唄の替え歌)
https://www.youtube.com/watch?v=EYESAQNsxuM&list=RDwxrBvU9D-8s&index=30
※デカンショ節
https://www.youtube.com/watch?v=SwtX8baSvag&list=RDwxrBvU9D-8s&index=38
※新ノーエ節
https://www.youtube.com/watch?v=qc8khSe_gyo

彼の関係した歌の一部を紹介したが、ファッショ体制下の厳しい思想統制時代(特に労働運動、社会主義運動)をきわめて洒脱に、時には笑い飛ばし、時には真正面から、時には斜めから洒落のめし、批判しながら、生き抜いてきた。1930年に引退するまで、唖蝉坊は、183の曲を残したと言われている。

彼の後は、息子添田知道が継いだが、添田唖蝉坊の碑は、浅草、浅草寺の鐘楼下に添田知道筆塚と共にある。

わたしは巨大な権力との戦いには、がっぷり4つに組んでは駄目。土俵一杯走り回り、飛び回って、スキを見つけてはけたぐりをしたり、足を取ったり、引き技をしたりと相手の力を利用した戦いをしなければ生き残れないと思っている。

レーニンの言葉に、「一歩前進、二歩後退」というのがある。戦前の日本のような巨大なファッショ的国家体制に戦いを挑むには、はた目には“後退”と見えても、最優先課題は生き残る事、という柔軟な戦術がいる。

添田亜蝉坊の戦いは、文字通り、歌を武器に攻めたり、引いたりの頭脳的な戦いだった。彼の一生は、見事なまでの強権的権力との戦いの一生だった、と思う。歌を武器に最後まで一歩も引かずに戦い抜いた一生だった。

🔶歴史と歌の結語

以前にも指摘したが、“歌は世につれ 世は歌につれ”というものはない。“歌は世につれ”以外ない。しかし、フォークゲリラが全共闘運動に共鳴する若者を育てたように、世の中を主導する歌を生み出した反体制運動は強い。

幕末の“ええじゃないか運動”のように、大衆を狂奔させるエネルギーを生み出す場合もある。明治維新を成功させた薩長軍は、“宮さん、宮さん”の歌とともに、江戸へ進撃した。これもまた明治維新成立の大きな要因の一つになった。

ちなみに“宮さん、宮さん”は、長州藩の品川弥二郎が作詞、大村益次郎作曲とされている。
https://www.youtube.com/watch?v=DVc-UNU48g0
 ※品川弥二郎 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/100.html?c=0
 ※大村益次郎 https://sites.google.com/site/hagijinbutsu/list/6
 ※司馬遼太郎の「花神」は、大村益次郎を描いた小説である。
  ※花神 https://bookmeter.com/books/7110552


つまり、時代の“歌”を制すると言う事は、時代の気分を制する事につながる。“ええじゃないか、ええじゃないか”の気分が時代を制するのである。

一強他弱と呼ばれた安倍政権時代、野党は時代の“気分”を制する事ができなかった。しかし、政権側も時代の気分を制するような“歌”を生み出していない。

野党が菅政権に注意しなくてはならないのは、菅政権の中枢は電通だ、という事である。“電通”が中枢に位置すると言う事は、“時代の気分”を制される可能性が高い。“野党”は意図的に“時代の気分”を制する歌などを積極的に創造する事に力を傾注する必要がある。

民主党が政権を握った時には、“コンクリートから人へ”とか“国民の生活が第一”などという時代の気分を捉えた“キャッチコピー”があった。選挙もそうだし、大衆運動もそうだが、自分たちが主導権を握った“歌”や“キャッチコピー”をどう生み出すかが、成功するかどうかの大きな鍵を握っている。ただただ真面目にスローガンを掲げ、真面目に訴えれば良し、とする選挙や運動は成功しない。

時代を捉えた“理論”と“気分”の双方を持たなければ運動は成功しない。歴史と歌の関係を考察してきたわたしの結論である。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
流水
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