老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

同じ過ちは繰り返さない

2019-06-24 17:13:30 | 民主主義・人権
自らが他者に危害を加え、命を脅かし、生きる権利を奪う経験は、なかったことにしたくなるものなのだろうか。これは一人の人間にも、国家などの組織にも当てはまりそうだ。

先日、映画『主戦場』を観に行った。公開からすでに一か月以上経過しているにもかかわらず、満員の観客が真剣に見入っていた。出演した一人ひとりの声を丁寧に掬い上げたこのドキュメンタリー映画は現在も上映中だが、出演者の中には上映差し止めを求める人もいる。

『主戦場』を上映し続けることを望まない出演者が不快に感じる点のひとつは、自分たちが「右翼」「歴史修正主義者」「ナショナリスト」「セクシスト」と映画内で言及されていることのようだ。しかし、作品中にはこのように言われても仕方がないような発言が複数存在する。

過去に個人の意思に反した侵略・略奪行為が行われたのであれば、それを繰り返さないようにすることが第一に考えることではないか。「自国」の先人たちが過去に犯したことなのかを問うのは二の次だろう。

実際に、問題は一つの原因だけで起きたものではなく、複数の要素が重なって被害にあった人たちを肉体的にも精神的にも追いやっているのだ。なにより、作品中でナレーションも務めるミキ・デザキ監督が言っていたように、「憎むべきは人ではなく罪」である。

また、慰安婦問題に対して「中立の立場ではない」という主張も上映中止を訴える人たちが口にしている。だが、中立とはどのような状態を指すのだろうか。単に「賛成派」と「反対派」が互いに意見を述べ、何も編集せず、ナレーションもせずにそのまま公開すれば中立といえるのだろうか。これは中立というよりは立場がないというべきだろう。立場のない主張はない。作品全体として伝えたいことを中心に据えることは、至極当たり前のことであるはずだ。

映画の最後では、語り手でもあるデザキ監督が、現代を生きる私たちが考えるべき問題を訴えている。過去に起きた心身の略奪行為を認め、再び同じ道を歩まないようにすることが、今、私たちがするべきことだという思いが、上映後に強く湧き上がってきた。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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強制不妊手術の憲法訴訟を問う

2019-05-30 17:12:03 | 民主主義・人権
旧優生保護法(昭和23年~平成8年)の下で「強制的に不妊手術」を施され、子供を産む権利(憲法上の基本的人権):リプロダクティブ・ライトを奪われた女性が(訴訟提起者は3名)憲法訴訟を提起したが、28日の仙台地裁は「不当にも」憲法違反は容認するも、除斥期間(時効の一種)が終了したなどとして損害賠償(国賠法)の請求を斥けた。

この判決は二つの問題で不当な裁判である。

まず、第1点として、旧優生保護法の下での強制不妊手術は「憲法違反」だとしておきながら、国の責任(優生保護法はナチスの断種法を継承した違法で残酷な法律であり、法の下における平等:憲法14条にも違反する)は否定するという矛盾した判決である。

そして、第2点として憲法上の基本的人権は時効にかかるような権利ではない(これは私の解釈であるが)。

このような理由から、仙台地裁の判決は憲法の解釈を誤った不当な裁判であり、なんのために判決前段で「強制不妊手術」が憲法に違反するという命題を掲げたのか理解に苦しむ。

法律学的に以上の論理とするが、今回の強制不妊手術の憲法訴訟の歴史的、社会的な問題点の方が実は重要ではないかと考え、コメントする。

旧優生保護法は昭和23年から平成8年まで法的効力が存在していたのであるが、この問題に対する法学者(特に憲法論)からの批判も聞いたことが少なかったように記憶する。批判的な意見は主に社会学からなどであった。恐らくフェミニズム論からの批判だと思う。(記憶に依存しているので間違いかもしれない。)

日本の憲法学はドイツなどの憲法論を継承してきたので、断種法を引き継いだ優生保護の法律に批判的まなざしを当てることができなかったのではないだろうか。私も若い時に「優生思想」の問題点は批判的な見解を読むことで理解していたが、法の実態である「強制不妊手術」の問題には理解が及ばなかった。

今回のコラムは優生保護法が成立した同じ時期に幕を閉じた「東京裁判」を予定していたが、それを変更したのは、その時の「反省」からである。(昭和23年であり、私はこの12月に生を受けた。現在70歳である。)

この訴訟を提起された女性たちの無念を思うと言葉を失う。(謝りたい気分である。)

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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性差別と憲法ー映画「ビリーブ」と「RBG」を見て

2019-05-15 10:11:43 | 民主主義・人権
医学部入試の女性差別が明らかになったが、日本の女性差別は国会・地方議会の議員数(ともに女性は約10%)、会社役員数(約4%)、給与(2016年で男性平均521万円、女性平均280万円)など枚挙にいとまがない。

世界経済フォーラム(WEF)が出した世界各国の男女平等の度合い「ジェンダー・ギャップ指数」では2018年110位。G7の中では日本は圧倒的な下位を占める。

数日前、大勢の医師達と治療ガイドラインの作成会議に同席したが、50名を超える医師の中で、女医は僅か2~3名だった。多数の論文を読んでエビデンスを求めなくてはならないが、日常の仕事に加えてのボランティア…となると、家庭を負っている女医は、まずは出来ないということなのか。

一方、患者家族は3人とも女性だった。家庭で患者を支える役目は女性なのだ。ここでも女性の置かれている立場を感じさせられた。

今、合衆国最高裁判事を務める女性弁護士ルース・ベイダー・ギンズバークの映画が2本、上映されている。若き日の彼女の実話をもとにしたドラマ仕立てが「ビリーブ 未来への大逆転」、原題は「On the Basis of Sex」。

本人、夫や子供、友人たちへのインタビューによるドキュメンタリーが「RBG 最強の85歳」。ちなみにアメリカでは、有名人の中でもJFK(John F. Kennedy)、FDR(Franklin D. Roosevelt)のように3文字で呼ばれる人がいるが、彼女もRBG(Ruth Bader Ginsburg)と呼ばれ、敬愛されているということ。

1958年、ハーバードの法学院に入学した500人の学生の中で女性はたった9人。女子学生たちは奇異の目で見られ、教授にさえ差別的な言葉を掛けられる。

夫の仕事でコロンビア大学に転校したルースは、優秀な成績で卒業したにもかかわらず、「女性だから」という理由で弁護士事務所に勤められない。
大学でジェンダーと法について学生たちに教えながら、子供を育て、研究を続ける。

そして皆が「100%負ける」という、性による差別を問う裁判で法廷に立つ。同じ職場の男性たちよりも給与が低かった女性、妻の出産時の死で、乳児を育てることに専念した男性に出なかった育児手当、男性のみのバージニア士官学校に入学を希望する女性…こういった性による差別を、RBGは憲法に基づいて指摘し、正していく。

「憲法」が尊重され、生かされる裁判。人権、職業選択の自由、そういった人間の基本的権利に憲法が現実的に機能していくことに心を動かされた。アメリカはそうして1960年代は人種差別、1970年代は性差別を、憲法にある平等のもとに正してきたのだ。いい加減な「拡大解釈」で、憲法を蔑ろにさせてはいけないとつくづく思う。

性差別は酷い、正さなくてはと思う人、不平等をそのままにしてはならないと思う人、そして「憲法」を私たちはどのように生かすのか知りたい人、この2本の映画をぜひ見てほしいと思う。

※「ビリーブ 未来への大逆転」
https://gaga.ne.jp/believe/
※「RBG 最強の85歳」
http://www.finefilms.co.jp/rbg/

「護憲+コラム」より
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目に余る司法機関の逮捕権の恣意的裁量

2019-05-03 17:09:55 | 民主主義・人権
4月19日、池袋で車が暴走。自転車で横断歩道を渡っていた松永真菜さんと、娘の莉子ちゃんがはねられ、死亡した。

報道によると、事故を起こした車は左側面をガードパイプに接触した後、速度を上げて約70メートル先の交差点に進入して自転車で横断中の70代男性をはねた。さらにその先の交差点で松永さん親子をはねた。

車は時速100キロを超すスピードで横断歩道に侵入したが、信号機はいずれも赤信号であったと見られている。

これが単なる交通事故か、それとも事件か。殺人か過失致死かは、これからの捜査に待たなければならない。加害者は飯塚幸三という87歳の男性である。87歳で交通量の多い都内を運転するというのは、どう考えても無茶だろうと思う。

さらに、問題は加害者の経歴である。東大卒。元通産官僚。(工業技術院院長)。退職後、クボタの副社長などを歴任。2015年瑞宝重光章受章。絵にかいたような成功者と言って良い。

当然だが、駆け付けた直後の警察官は、彼の華麗な経歴など知る由もない。と言う事は、事故の通常処理を行うと言う事になる。死者2名を出している大事故である。現行犯逮捕が通常の対応であろう。現に、翌日起きた神戸のバス事故では、運転手は逮捕されている。

ところが、飯塚幸三氏は逮捕されなかった。怪我をして緊急入院しているため、というのが、警察発表。

この何となく不明朗な扱いにネットが激怒。多くの書き込みがなされた。特に、飯塚幸三は「上級国民」だから逮捕されないのだ、とか、メディアが飯塚幸三さん、と、さん付けをしたとかで、多くの書き込みがなされた。いわゆる炎上である。

この書き込みが適当かどうかの問題はさておき、事故直後の飯塚幸三氏と息子の行動はかなり不可解と言わざるを得ない。

① 息子の飯塚智浩に指示電話 
② フェイスブックの削除 
③ 自宅電話の解約 
④ 弁護士への根回し 
⑤ Twitterの削除 
⑥ Wikipedia編集ページのロック 
⑦ ストリートビューで自宅にモザイク 
⑧ 経済産業相の勲章贈呈ページの削除

事故直後、飯塚幸三氏は携帯でこれだけの指示を息子に出した、と指摘されている。87歳の老人の振る舞いとは思えないほど、見事な事後処置だと言わざるを得ない。

まあ、87歳の老人が、フェイスブックやTwitterをあやつっていたことも驚きだが、ストリートビューで自宅にモザイクをかけろ、などと言う指示は、普通そこまで神経が回らない。配慮の行き届いた事後処置の指示を見ると、飯塚幸三氏が認知症の症状があるなどという言い訳は、通らないと思う。

と言うより、彼が逮捕をまぬかれたのは、息子を通じてどこかから警察に圧力をかけさせたのではないか、という疑いをもたれても仕方がない。これだけ神経が行き届いた指示を出す人間が、自分を警察がどう扱うかを考えないはずがない。当然、それに対する指示も出されていると考えるのが普通だろう。

実は同じような事案が、昨年2月東京都港区白金で起きている。この事件の車も今回と同様に、トヨタレクサス。高級車である。これが暴走し、歩道を歩いていた37歳の男性を轢き殺し、道路脇の金物店に突っ込み、柱やシャッターなどを壊した事件である。この事件でも加害男性は逮捕されていない。加害者の名前は、石川達紘(当時78歳)。元東京地検特捜部長。名古屋高検検事長。2009年瑞宝重光章受章。

わたしも高齢者に入るので、メディアの弱いものいじめを絵にかいたような高齢者バッシングには賛同できない。事件の本質を無視した飯塚幸三氏個人をバッシングして留飲を下げるやり方も感心しない。

しかし、この事件の背後に横たわる司法(警察・検察)のありようについては、きわめて疑問が多い。

今回の事件も昨年の事件も、それから一見関係のない事件に見える日産のゴーン事件も、問題の本質は同じところにある。それは、検察・警察に与えられた巨大な【裁量権】の問題である。

この問題を掘り下げて考えなければ、今回の事件も単なる高齢者バッシングの恰好な材料にしかならない。日産のゴーン事件もゴーン個人の悪行を裁く、という問題に矮小化されてしまう。

その裁量権とは、
1.犯罪が存在するのに無罪放免にする裁量権
2.犯罪が存在しないのに無実の人間を犯罪者に仕立て上げる裁量権

権力の怖さは、司法(検察・警察)の逮捕権がかなりの部分を占める。逮捕権の行使が、検察・警察の裁量に任されている点が大きい。【裁量】と言う事は、恣意的運用が可能だと言う事を意味する。

例えば、Aという人間を逮捕しようと思えば、Aという人間を四六時中監視し、軽犯罪法違反などの些細な罪であったとしても、それを理由に逮捕してしまう。逮捕したら、恐れ入りましたと言わない限り釈放せず、拘留延期を繰り返す。悪名高い【人質司法】である。これが2の裁量権の恐ろしさ。籠池氏やゴーン氏への長期拘留を見れば、日本の司法制度の改革点は明白である。

※付言しておくと、戦前のファッショ体制下の自由度と責任の重さをよく見ておけば、現在の司法制度の危険さがよく認識できる。こういう司法のありようがファッショ体制=無責任体制を招来する。

(1)人間の自由度は、天皇との距離の近さに比例する⇒天皇に近いほど、言論の自由や行動の自由が拡大する。⇒換言すると、社会的地位が高い人間ほど自由がある。
(2)人間の責任の重さは、天皇との距離の遠いほど重くなる。⇒身分や位階の高い人間ほど、責任をとらないで済む。⇒換言すると、社会的身分や位階の低い人間の責任は厳しく追及される。

(A)(1)を積極的に推進するためには、支配側の自由度を最大限に拡大し、支配される側の自由度を最小限に抑え込む必要がある。その為には、支配される側(国民)が真実を知らないように誘導しなければならない。⇒言論の自由を最小限に抑え込む必要がある。⇒真実を語る人間を徹底的に排除する

(B)このありようを積極的に推進するために、司法(警察・検察)を支配下に置くことが、一番の近道。⇒権力に対する反対者に恐怖心を与える⇒そのための法制度整備が重要。⇒治安維持法⇒この種の言論弾圧は、一番やりやすいところから始まる。⇒一般国民が猜疑心を抱かないように、例えばテロリストに対する非人間的処置などを合法的に行う ⇒そこから、適用範囲を徐々に拡大する

(C)戦前の言論弾圧の進行過程⇒①非合法の左翼勢力(共産党など)とその関連団体の弾圧②合法的左翼勢力と自由主義的知識人の弾圧③体制内の非主流派などの弾圧④一部宗教勢力(天理教や創価学会や大本教など)の弾圧

この弾圧政策を具体的に実施し、それに正統性を付与するのが司法権力。その意味で、司法権力は国家権力そのものである。こう考えると、司法権力は、本質的に国民と相対立する傾向が強い。

戦後のGHQ改革で、「治安維持法」が廃止され、警察の民主化が推進された。いわゆる「おいこら」警官からの脱却である。この戦後警察のありようが、安倍内閣以来、顕著に変化している。今回の事件だけでなく、安倍政権誕生以来の自民党や閣僚などの不祥事対応、森友・加計学園問題、安倍友の山口某の伊藤詩織さんへの準強姦事件に対する警察の対応等々。

さらに内閣に都合の悪い状況がくると、芸能人などの薬物逮捕が繰り返され、メディア対応がそこに集中する。それにより、内閣の危機が軽減される。

【魚は頭から腐る】
政権の腐敗は、必ず司法関係の腐敗を伴う。司法関係の腐敗は、国民の遵法精神を低下させ、法治国家の根幹を腐らせる。

遵法精神の低下は、多くの不正行為を助長する。現在の日本の官僚機構のモラルの低下、統計資料の改竄、公文書の改竄だけでなく、公文書を作成しない。企業(それも大企業)の不正。詐欺的商法の横行。おれおれ詐欺の横行。まさに腐敗というより腐食列島日本と言わざるを得ない。

池袋事件は、はしなくも日本の抱え込んだ病理をあぶりだしていると読まなくてはならない。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
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渋沢栄一について

2019-04-22 10:46:49 | 民主主義・人権
浅学のため「実業家としての渋沢栄一」についてはほとんど知らないのですが、私が知っているのは「養育院院長」を半世紀あまり生涯を通じて務めた渋沢栄一です。塩見鮮一郎『貧民の帝都』(文春新書)に詳しいです。

私は佐幕派で明治維新を全くといってよいほど評価していません。実際に社会のシステムとして、江戸時代の方が明治時代よりも優れていると思います。(それもあって教科書では意図的に江戸時代をおとしめて、いかに維新が偉大であったかを強調していますね。)

養育院も「渋沢栄一伝記資料」によると
「是ヨリ先、明治五年十月十四日、東京府庁ハロシア皇子ノ来朝ニ備ヘ、府下ノ乞丐ヲ駆集メ、ソノ処置ヲ東京営繕会議所ニ諮ル。蓋シ東京営繕会議所ハ旧幕時代ニ於ケル市民共有金ノ管理ニ当リ、旧町会所ノ担当セル市街ノ営繕ト市民ノ賑恤救済事業等ヲ継承セルニ由ル。仍ツテ東京営繕会議所ハ翌十五日、右窮民ヲ本郷加州邸内ニ仮収容シ、更ニ同月十九日浅草溜ニ移ス。ナホ東京営繕会議所ハ同月、東京会議所ト改称セシモ、引続キ此収容所ヲ主管シ、明治六年二月四日、浅草溜ヨリ上野護国院ニ収容者ヲ移シ、爾来養育院ト称ス。
是月栄一、東京会議所共有金取締ニ嘱託サレ、同時ニ当院事務ヲ掌理ス。」

つまり、当時の明治政府の考え方として「外国から要人が来日するのに極貧の浮浪者等が帝都でうろついているのはみっともないからこいつらを集めてどこかに押し込んでしまえ。」ということのようで、同じことが私が住んでいる千葉でも行われています。

下総台地は農地として適さなかったようで、江戸時代は軍馬の放牧地となり「牧(まき)」と呼ばれていました。明治になって、ここを開墾させようと東京の浮浪者を集めて送り込んだのです。発想は同じです。

そんな中、渋沢は「実業による私利は公益に資するべきであるとの一貫した主張」をもって養育院を護り続けたのです。そして、その「養育院」は最近石原某により潰されてしまいました。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
千葉の菊
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映画「金子文子と朴烈」金子文子という生き方

2019-04-08 13:11:24 | 民主主義・人権
3月末に韓国映画「金子文子と朴烈」を観た。東京新聞の夕刊に載っていた宣伝写真を見て興味を引かれ、予告編をYouTubeで見て、これは絶対観なければと思った。

金子文子が獄中で執筆した「なにがわたしをかうさせたか」という書籍が遺され、この映画がヒットした事で日本でも再び多くの人達が読んでいるという。

この映画は抗日映画と言うよりは、過酷な状況の中での若い二人の青春と愛を描いた映画である。映画の中で朴烈が判事に「誰と同棲している」と聞かれた時の「・・・金子文子」と答えた時の愛おしげな声と表情に民族を超えた愛を見た。

金子文子は大正の初めに朝鮮から17歳で単身上京した後、東京の通称「社会主義おでん」と呼ばれるおでん屋で働き、朴烈という若き朝鮮人アナーキストが書いた「犬ころ」いう詩の中に、彼の強靭な意志と孤独を感じ取る。

「この男だと思った」金子文子は、朴烈に同志として恋人として同棲しようと持ちかけ、最初は面食らった朴烈だったが、金子文子の真っ直ぐな心と育って来た環境を跳ね返そうとする姿に共感し、二人は東京の片隅で共に暮らすようになる。この時の金子文子のちょっと照れた様なキュートな表情が実に可愛い。

二人は朝鮮人や社会主義者達が集う「不逞社」を結成するが、大正3年関東を襲った時代の荒波に巻き込まれて行く。内務大臣が民衆の不満や怒りが政府に向く事を怖れ、「朝鮮人が井戸に毒を投げ町中に火を付け回っている」という誤った情報を流し多くの朝鮮人達を捉え、民衆も恐怖と流された情報に煽動され多くの朝鮮人達を虐殺していく。(この出来事に関しては『九月、東京の路上で1923年関東大震災ー』加藤直樹著に詳細に書かれている。)

そんな中、朴烈は拘束され金子文子も後を追うが、二人は朝鮮人の誇りのため、社会を変えるために獄中で闘う事を決意する。

しかし権力者達はこの二人に「爆弾を仕掛け天皇を暗殺しようとした」大逆罪をでっち上げる。それを逆手に取って法廷で朝鮮の礼服に身を包み法廷闘争を仕掛ける金子文子と朴烈。

裁判の様子は世界中に発信され、朝鮮でも民衆の暴動を誘発して政権を揺るがす事態になることを恐れ、裁判は非公開の中死刑判決が宣告される。

金子文子が判事に尋問された時「親に捨てられた」と答えるが、文子は日本人として生まれながら両親に捨てられ無国籍者とされ、厄介払いするように植民地であった朝鮮に追い立てられた。幼い文子は朝鮮でも女中の様に扱われ、過酷な労働を強いられ、食べる物もろくに与えられず近所の朝鮮の女将さんがご飯を分けてくれたという。

この時代に強靭な意志を持ち、過酷な環境に育ちながら社会を変えようと行動した金子文子。この映画の題名は韓国では「朴烈」だが邦題は「金子文子と朴烈」。この題名にして大正解だったと思う。

映画のポスターにも使われた不思議な写真。映画のなかでは若き予審判事が妙に二人に手厚い待遇を施る。何故彼が二人に裁判所の中でこの写真を撮る事を許可したのか。二人の思想心情に心を揺り動かされたのか。別の思惑があったのか。

映画の中で韓国の俳優さん達が話す日本語の上手さに驚いた。金子文子を演じたチェ.ヒソは一時日本にいた事があると知ったが、まるでネイティブのような日本語を話していた。敵役を一手に引き受けていた水野錬太郎内務大臣の役を演じたキム.エンソの日本語と演技が素晴らしい。あくまでも自らの立場を守るために流言をでっち上げフェイクを流す。まるで現在の日本の政治家を思わせる演技だった。

コミカルな部分と金子文子という一人の女性の生き方に惹かれ、時が経つのを忘れる映画だった。朴烈が朝鮮人の仲間に「我々が闘うのは日本の民衆ではなく日本の政府なのだ」と言った言葉にこの映画のメッセージを感じた。

若い頃の浅野温子と今の黒木華を思わせるキム.ヒソが演じた金子文子を私は忘れないだろう。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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お上に逆らう輩は許さない!(ゴーン氏4度目の逮捕)

2019-04-07 10:17:52 | 民主主義・人権
カルロス・ゴーン氏が逮捕された。これで四度目の逮捕である。

保釈中の逮捕劇は異例中の異例。しかも、これから始まる裁判の反訴資料(無罪資料)まで押収している。これは弁護士の反訴権に対する妨害と取られても致し方がない。(※この資料を読めば、相手がどこに重点を置いて弁護活動を行うかが一目瞭然。裁判が始まる前に知っておけば、裁判を有利に運べることは火を見るより明らか。)弁護士の弘中氏が、とても民主国家とは思えない、と憤っていたが、さもありなんと思う。

口の悪い日刊ゲンダイなどは、無罪資料の強奪がゴーン氏逮捕の狙いではないかと書く始末。郷原信郎氏(元東京地検特捜部で弁護士)は、まるで権力マフィアのやり口だと断じている。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/835.html

同じ元東京地検出身の弁護士が、容疑を否認し続けている被告を保釈決定したのが間違いだと言わんばかりのコメントをしていた。(羽鳥のモーニングショー)とても法治国家の弁護士とは思えないコメント。一言で言えば、裁判所の保釈決定が間違っていたから、東京地検がこんなに強引な手法を採ったと言わんばかりである。

一般の人間の司法理解は、裁判官と検察官と弁護士は、それぞれの役割に応じ対等な立場で裁判を行うものだと思っている。つまり、裁判官、検察官、弁護士は、正三角形の関係にあると思っている。ところがどうやらそれは間違っているらしい。

裁判所と検察の人事交流(いわゆる判検交流という)は、平成29年まで行われていた。
http://yamanaka-bengoshi.jp/saibankan/裁判官と検察官の人事交流%EF%BC%88平成%EF%BC%92%EF%BC%90年から平成/

・・刑事裁判の法廷で論争を繰り広げる検察官と弁護士。裁判官は両者を公平に扱うのが建前だが、裁判官と検察官は役人同士であり、密接な関係にあるのが実態だ。そのため、裁判官は弁護士よりも検察官を優遇しているとの見方がある。今回は裁判官による検察官の優遇をうかがわせる事例を紹介する・・・

・・・刑事裁判でも最後に判決公判が開かれ、裁判官が判決を言い渡します。しかし、必ずしもこの時点で判決文が出来上がっている必要はなく、裁判官は自身の手控えやメモで「判決の骨子」を言い渡すことがあります。被告人の弁護人や検察官は一定の期間を経てから判決謄本を取り寄せることができるようになります。

最近、ある裁判に現職の検事が出廷し、かつて担当した複数の裁判で、判決公判後に判決の原稿を裁判所から提供されたと証言しました。弁護人に同じタイミングで判決の原稿は提供されず、裁判所は不当に検察だけを優遇していたことになります。こうした慣例の存在は指摘されていましたが、当事者が正式に認めるのは初めてです。・・

裁判官と検察の密接な関係 しらかば法律事務所
http://www.potato.ne.jp/shirakaba/hkeizai/92.html

元東京地検出身弁護士の高飛車な物言いは、この「判検交流」が背景にあると考えられる。おそらく、裁判所よりも検察の力が強いのだろう。裁判所は、検察の言う事を聞いておけばよい、と言わんばかりの物言いだった。

この力関係は、戦前の裁判でも同様だった。それだけではない。世界の独裁国家を見ていると、検察・警察に検挙された人間(反体制運動家は特に)の大半は有罪になり、処刑されるか、収監される。このメカニズムは万国共通である。

そして、このメカニズムが目立ち始めると、その国家はファシズム的独裁国家への道を歩み始めた、と認定できる。

「判検交流」は、体制側にとってきわめて都合の良い制度だと言わざるを得ない。起訴する側と裁く側が一体感を持ち、癒着すれば、それは有罪率99%になるわけである。裁判官の独立性など絵に描いた餅になる。

大学時代、わたしの下宿は司法試験の受験生のたまり場だった。下宿生6人のうち、司法試験受験生が4人もおり、毎晩のように激しい司法論争が繰り広げられていた。下宿屋のおばさんの息子も裁判官で、司法関係者の内輪話をよく聞かされた。司法関係者(特に裁判官や検察官)の交友関係は狭く、ほとんど司法関係者に限定されていると聞いた。飲み屋さんも限定されており、食事場所も決まっているそうである。

当然と言えば当然で、司法関係者以外の人とあまり交流を深めると、彼らがいつ裁判の当事者になるか分からない。さらにどこで情報漏洩するか分からない。そうなると大変困る事になる。その為、どうしても交流範囲や出入りする場所が限定されるのである。

こういう条件がある上の「判検交流」である。裁判所と検察の一体感がさらに増すのも理解できる。

さらに付言すると、司法関係者のエリート意識である。最難関とされる司法試験を突破したエリート連中で、さらに検察官は、人を「逮捕」し、身柄を【拘留】する。裁判官は、罪障を【裁き】、刑罰を【決定する】(死刑も含む)権限を持っている。彼らは、【国家権力】そのものの存在である。エリート意識を持つなと言う方が無理で、彼らが自らを国民たちとは違う存在だと意識しても無理はない。とするならば、彼らにある種の仲間意識(連帯意識)が生じるのも無理はないと言える。

カルロス・ゴーンン被告の逮捕劇を見ていると、いったん国家権力に睨まれた人間は、とことん追い詰められるという恐怖心を覚える。彼は外国人。しかも、ルノーや日産の最高権力者。社会的地位は最高クラスだと言って良い。一般の日本人とは自ずと扱いが違う。ましてや、国連や外国から「人質司法」の批判を受けている日本である。ゴーン氏の扱いは慎重にならざるを得ない。

それでも、東京地検は、保釈中の逮捕と言うきわめて異例で、無慈悲で、冷酷な権力を行使した。ゴーン氏の心中を推し量れば、この逮捕が如何に冷酷なものかが想像できる。

長期間の拘留は、精神的にも肉体的にもきわめて苛酷(特に冬場)。ゴーン氏は、保釈された時には心底ほっとしたに違いない。保釈条件が窮屈とはいえ、拘置所に比べれば天国と地獄。さらに拘置所内では番号で呼ばれ、人間扱いをされていなかったはず。彼のような立場の人間にとって、これほど屈辱的なことはない。

この屈辱的な状況から脱出できただけでも、ゴーン氏にとっては娑婆は天国だったに違いない。この日常を断ち切られるのである。精神的に強い人でも、これはこたえる。ゴーン氏にとって今回の逮捕は、前回などとは比較にならないくらいショックだったろう。

これは高齢にならないと理解できないが、おそらく逮捕されて初めて、ゴーン氏は自らの年齢と向き合ったと思える。自らの肉体的衰えと初めて向き合ったのではないか、と想像している。自らの衰えた肉体に本当に腹が立つ。再逮捕、再拘留は、もう一度これを繰り返す事を意味する。肉体的苦痛以上の精神的苦痛をもう一度味合う事になるのである。これは辛い。

ゴーン氏でもこのような扱いを受ける。何もない、普通の日本国民に対する権力行使は、さらに無慈悲な扱いになるだろうと想像できる。

ゴーン逮捕の狙いは他にもある。それは被告人の「口封じ」である。

TVに出ている検察(東京地検特捜部)OBの弁護士たちは、そんな事は決してないと否定するが、そんな事はない。特捜部はこれまでも、不当逮捕を主張する容疑者や、自分たちの不正を告発しようとする人物を、恣意的に逮捕してきた。

その典型が2002年に起きた三井環事件だ。当時、大阪高検公安部長という要職にあった三井環氏を、大阪地検特捜部が詐欺などの容疑で逮捕した事件だが、検察が身内の検事、しかも高検幹部を逮捕したのには裏があった。実は、三井氏は、検察の裏金づくりという不正を実名告発する準備を進めていたのだ。・・・リテラ
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4645/

三井環事件については、ウィキぺディアでも書いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E7%92%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その他、検察の口封じをうかがわせる事例には、森友事件の籠池夫妻の長期拘留もある。リテラでも指摘されているが、検察の長期拘留は、基本的に「口封じ」だと考えられる。

長期間拘留の間、事件に対する情報は、全て検察がコントロールできる。逮捕拘留された人間の情報がメディアに出るときがある。それは全て検察(警察)のリーク情報だと考えて間違いない。こうした世論工作が成功し、逮捕拘留した人間の人格破壊が成功し、その社会的影響力が激減した後釈放すれば、逮捕拘留された人間の社会的地位もなくなり、その影響力もなくなる。しかも、この状況は裁判に大きく影響する。特に、裁判員裁判になったので、特に大きな影響を与える。

ゴーン氏を見れば良く分かるが、彼は、日産でもルノーでも居場所がなくなっている。反論したくても、長期拘留されたら、何一つ反論できない。東京地検に逮捕されたら最後、社会的地位も社会的信用も全て失う、という図式こそ、【検察の権威そのものの象徴】なのである。

こういう姿を見れば、普通の人は、検察、特に東京地検に逆らおうなどと言う気持ちは起きなくなる。すぐ「恐れ入りました」と言いたくなる。これが、今回の逮捕劇で「国民心理の萎縮効果」を狙う東京地検の目的だろう。

しかし、視点を変えれば、今回の再逮捕劇。東京地検特捜部の焦りの表れとも見える。

もし、ゴーン氏に対する嫌疑がきちんと立証できず、裁判で有罪を勝ち取れなかった場合、検察の権威は地に堕ちる。おそらく、二度と立ち直れないほどのダメージを受けるに違いない。

それはそうだろう。ゴーン氏の犯罪事実すらきわめて薄弱。しかも、会社組織が関与していたものを、ゴーン氏個人に責任を負わすことが正当化できるのか。保釈も認めずに100日余り拘留し、大金(10億円)を払わせてやっと保釈を認めたにも関わらず、またぞろ逮捕する。これぞ、人質司法の面目躍如。

それでいて、犯罪を明確に立証できなかったら、東京地検特捜部の連中は何をやっていたかと言う話になる。それこそ、「東京地検無能部」ではないか。これで地検特捜部が持つとは考えられない。

しかも、これまでの地検特捜部のレーゾンデートルだった政治がらみ案件はことごとく捜査に着手する事さえしなかった。これまでの特捜部のありようで、信頼も権威も地に堕ちているのである。これでゴーン氏の有罪を立証できなかったら、存在意義そのものが問われるのは当然である。

ゴーン逮捕に合わせるかのように、ピエール瀧被告が保釈された。「恐れ入りました」とお上に平伏すれば、情状酌量。お上に逆らえば、何度でも逮捕拘留。これほど分かりやすい国民教育はない。

おまけに、「安倍・麻生道路」疑惑に火を付けた塚田国交副大臣は辞任。一つ間違えれば、内閣のスキャンダルに火が付く案件のメディア報道を抑えた。

現在の日本の政治状況とメディア状況を考えれば、全ての司法案件は、政治案件であると考えたほうが良い。

外国メディアが報じた、【令和】=「Order & Peace」 という元号の意味通りの政治状況が醸成されつつある。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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生産的でない人間は見放すという発想

2019-02-25 09:48:09 | 民主主義・人権
「東京オリンピック金メダル候補」「スーパー女子高生」と過剰なまでに期待をかけられている競泳選手が、自らが長期の療養を要される病気に侵されていることを公表した。詳細な検査結果もまだ出ていない状況における大変勇気ある行動であり、選手本人の文章からは応援してくれる人々への感謝と生きることそれ自体への真摯さが感じられる。

しかし、突然病に襲われながらも強く生きようとする若者を、一年後に国内で開催されるオリンピックにおける目玉選手としか認識していない人もいるのだろう。五輪担当大臣の「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている」「1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」などの発言は、こうした見方が無意識のうちににじみ出ているものではないか。

五輪相による発言―特に「がっかり」「下火にならないか心配」という箇所―への批判は、Web上をはじめ紙の媒体での報道やテレビのニュースなどでも多く取り上げられていた。しかし、一人の人間を国にとって有益なのかという観点でしか見ないような発言が真っ先に出てくる雰囲気は、すでに用意されていたように思えるのだ。

子どもが産めない人、税金を納めてくれない人…というように組織にとって有益なことをしない、いわば役立たずで「無能」とみなした人間を捨て駒のごとく簡単に切り捨てる行動には既視感がある。LGBTをはじめとした性的少数者には「生産性がない」にもかかわらず、過剰に支援しすぎているという内容の国会議員による雑誌記事などは記憶に新しい。

さらに、先の発言で根本的に問題となる点は、一人の選手に期待をかけるのはあくまでも「日本」という国なのかということである。応援する者の目をまず惹きつけるのは、高みを目指して競技に取り組む選手の姿であって、各選手がどの国ならびに地域の代表であるかではないだろう。そして、懸命に挑み続けるアスリートたちの姿は国境も言葉も超えて観客の心に残るものである。

国にとって役に立つのかという発想だけで人間を評価するという思考を改めない限り、一年後に世界の様々な国と地域から集まってきた人たちにも閉塞感と冷たさしか感じられないはずだ。表面的な「おもてなし」をしていても、人よりも制度を優先する発想は早晩露呈するものである。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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象徴天皇へ歩み続けた明仁天皇(帝王学の成果か!)

2018-12-22 21:07:02 | 民主主義・人権
【1】明仁天皇の象徴天皇制へのこだわり

私自身は、日本の支配階層(政治・官僚・財界、メディアも含む)の中でもつとも日本国憲法の遵守義務を実践されているのは、明仁天皇であると考えている。

明仁天皇は、何故、ここまで憲法の精神(※特に象徴天皇制)を遵守しようとされているのか。

・・・2016年8月8日、明仁天皇は、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」をテレビやラジオ、インターネットを通じて人々に伝えた(本書二六三頁)。この「お気持ち」は自身の意思を強くにじませながら、しかも自身の考える象徴天皇のあり方や天皇制という制度の問題についても言及していた。

明仁天皇はこのなかで、「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」と述べ、「象徴」としての天皇像を自身がこれまで模索してきたことを強調している。その模索とは、憲法に規定された国事行為だけではなく、「象徴」としての立場からなされる「公的行為」の拡大と言える。

全国各地を訪問し人々と触れ合うことや被災者の見舞いを行うことなど、明仁天皇が重要視する活動は「公的行為」とよばれるものであり、憲法や法律にはそれに関する規定はない。それは、天皇が「象徴」としてのあり方を模索してきた結果生み出されたものであった。

「お気持ち」では、そうした公的行為を含めた「公務」すべてが「象徴」としてのあり方だと主張されている。自らが模索し形成してきた「象徴」としての天皇像への強い自負とも言えるだろう。そして「お気持ち」では最後に、「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結び、自らが模索してきた「象徴」像を人々に問うた ・・・
河西秀哉の「象徴天皇制とは何か ★――★制度と個人のはざまで」
https://www.amazon.co.jp/平成の天皇制とは何か――制度と個人のはざまで-吉田-裕/dp/4000247239

この会見で、明仁天皇自らが語っているように、天皇自身が象徴天皇としてのあり方を模索し続けてこられたことが正直に語られている。

河西氏が指摘しているように、天皇としての【国事行為】だけでなく、象徴としてなされる【公的行為】の拡大により、象徴天皇としてのあり方を模索し続けてこられたことが良く分かる。

このような明仁天皇の象徴へのこだわりは、どのように生まれてきたのか。これまでわたしには今一つ腑に落ちなかった。

しかし、12月15日NHKTVで「歴史秘話 小泉信三 波乱の人生」の再放送を見て、明仁天皇が身をもって実践されている【象徴天皇制】への強いこだわりと自らを律する強い信念は、どのようにして育てられたのかが理解できた。
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★日本国憲法第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
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上記の規定がどのような過程とどのような議論に基づいて書かれたのか。憲法9条問題はかなり詳細に議論されているが、「象徴天皇制」についての議論は意外と少ない。逆に言えば、現在の象徴天皇制のありようがそれだけ国民に認知されている、という証左かもしれない。

同時に、この議論の少なさにも関わらず、明仁天皇が自らの人生を賭けて普遍化しようとした【象徴天皇制】について、国民はもう少しきちんとした議論をする必要があると思う。

【2】教育係としての小泉信三

上記の問題を考えるとき、明仁天皇の教育係としての小泉信三の役割を外して考えるわけにはいかない。

小泉信三は、慶應義塾大学塾長をつとめた学究。父信吉は、福沢諭吉の初期の門下生。その縁で慶應義塾大学に入学。経済学を学ぶ。晩年の福沢諭吉にかわいがられた。英・仏・独の大学で学び、帰国後慶應義塾の教授・塾長になる。

長男は戦死。自身も昭和20年3月の東京大空襲で被災。顔面などに火傷を負う。
昭和22年に慶應義塾大学塾長を辞任。昭和24年に東宮御教育常時参与に就任
皇太子 明仁親王(平成天皇)の教育係になり、「ジョージ五世伝」 「帝室論」 を説く。

小泉信三の略歴をざっと述べたが、彼自身の思想傾向は基本的に自由主義者だと考えてよい。彼は共産主義に対する強固な反対論者だったが、その反面唯物史観に対する一定の評価もしていた。特にマルクスの「資本論」は高く評価していた。その意味では、バランスの取れた知性の持ち主であったと考えられる。

彼は明仁親王の教育係としての信念を以下のように述べている。

・・「皇室がうまくいかないと言う事は、日本の不幸でもある。この厳しい言葉を伝えるのが自分の役割。
「新憲法によって天皇は国政に関与しない事になっていますが。しかし、何ら発言なさらずとも、君主の人格、識見は良くも悪くもおのずから国の政治に影響するものであり、殿下のご勉強と修養とは日本の国運を左右するものとお心得ください」

そうしないと天皇制は生き残れない、と小泉信三は考えていた。同時に、彼の皇室に対する敬愛の念は、戦前型知識人の一つの典型だった。

「世の君主、皇太子たるものの第一の義務が人の疾苦を思う事である。」・・疾苦とは、人々の悩み苦しみを指す。

小泉の天皇制存続に対する厳しい見方は、彼がGHQや日本国内での天皇に対する厳しい意見を知っていたからである。(例えば、戦後皇居前で行われたメーデーのプラカードに掲げられた文言。“朕はたらふく食っているぞ。汝臣民、飢えて死ね”)

彼の明仁親王に対する帝王学進講は、「天皇制存続」のための存亡を賭けた講義でもあった。

小泉は親王教育に積極的にテニスを取り入れた。小泉は、欧州留学の最後にウィンブルドンの大会を見学するくらい、テニス好き。英国貴族などのテニス好きを肌で知っていたのだろう。英国ではテニスは紳士のスポーツとされていた。その為、親王教育にテニスを積極的に採用した。

当初、明仁親王は、練習中、ボールを自分で拾いに行かなかった。彼には自分でボールを拾うという感覚がなかった。何事もおつきのものがしてしまうので、自分自身が何かをしなければならないという感覚が育っていなかったのである。

「貴族のお姫様は、恥ずかしさという感覚がなかった。だから平気で人前で裸になった。それが恥ずかしいことだと言う感覚が育っていなかった」という話がある。これと同じ事が明仁親王の感覚にもあった。小泉信三は、この感覚を直す事から始めた。彼は、我慢強く明仁親王がボールを自分で拾うまで待った。この当たり前の感覚を養うところから、明仁親王の帝王学は始まった。
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【何ら発言なさらずとも、君主の人格,識見は良くも悪くもおのずから国の政治に影響するものであり、殿下のご勉強と修養とは日本の国運を左右するものとお心得ください】 
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これぞ、帝王学。儒学の教えだが、良くも悪くも日本の支配階級は、こういう姿勢で統治にあたっていた。君主の道とは、自らを厳しく律する道だと言う事である。

この番組では触れられていないが、英国貴族に【Gentleman Ideal】という考え方がある。日本の武士道と同様な「紳士の道」とでも言うべき考え方である。この中で特徴的なのは、エリートたるものは、頭脳はもちろん、自分の部下に腕力・体力でも負けてはならないという考え方がある。日本流に言うならば、【文武両道】である。同時に、自分の行為に対する「責任意識」も強かった。小説で言えば、シャーロック・ホームズのイメージ。彼はボクシングも強かった。

戦争中、英国人捕虜の中で将校を見つけ出すのは簡単だったと言われる。彼らは一般の兵より、身体が図抜けて大きかった、と言われている。映画「戦場にかける橋」でアレック・ギネスが演じた将校の姿が英軍人の将校の姿に近いと言われている。

このような紳士像は、英国の厳しい階級社会で生まれた。支配階級は一つ間違えば、革命でその地位を追われてしまう。文字通り、自らの生命がかかる問題。そういう中で自らの支配を継続する。生半可な姿勢ではできない。その緊張感がこのような教えを生み出した。

小泉は英国留学をしている。同時に父親は武士。当然、武士道の教えの中で育っている。これらが相まって、明仁親王に理想的な天皇像を構築してほしいという願いを託したのであろう。

安倍晋三や麻生太郎たちに聞かせてやりたい言葉である。

【3】福沢諭吉の「帝室論」とは

小泉の進講した福沢諭吉の【帝室論】は、1882年の4月26日から5月11日まで12回にわたって無署名社説として連載され、同年5月に単行本が刊行された。

福沢諭吉 帝室論 現代語訳
https://www.amazon.co.jp/帝室論-福沢諭吉-著-現代語訳-三島堂-福沢諭吉-ebook/dp/B014KG19C2

福沢の帝室論の肝は、政治上の争いに「帝室の尊厳とその神聖」を利用してはならないと言うところにある。その為に、帝室は「今後政治社会の外に立ちて、高尚なる学問の中心となり、かねてまた諸芸術を保存してその衰頽を救わせたまう」と述べている。福沢は、1887年に書いた「尊王論」でも同様の趣旨を主張している。

家永三郎は、福沢の政治的狙いについて、以下のように述べている。

・・・自由民権運動の展開に伴う官民の抗争の中で、政府与党が民権派を天皇制に敵対するかのように非難し、民権派の中にも事実共和主義の傾向を帯びた動きを生ずるおそれもなしとしなかったのを深く憂い、天皇を政治から隔離する事により、天皇を政治上の闘争が天皇制の安否に波及するのを防止し、その安全を図ろうと考えたところから出ている。

それは帝室の存続を図るための提案であるという点では、天皇制護持論の形をとっているけれど、そのためには天皇を政治上の実権から遠ざけねばならぬとする点では、天皇の大権強化を主張する政府とその他一般のいわゆる「尊王論」とは、名は同じでも、実際は著しく違ったものだと言わなければならない」・・・・・
家永三郎 筑摩書房 現代日本思想体系 福沢諭吉 解説 35p

家永は、このような福沢の考え方を彼の乾いたプラグマティックな発想にあると考えている。

・・・「第一。福沢が天皇制を護持しようとするのは、彼が心から天皇制を尊貴なものと仰ぐのではなくて、彼自らが露骨に言っているとおり、「経世上に尊王の要用」を認めたからに外ならず、言いかえれば、天皇制に利用価値があるというだけの話なのである」・・・・
(同上書)

小泉信三は経済学者。晩年の福沢の知己を得ている。福沢の人となりを知らないはずがない。もちろん、帝室論の中の福沢の乾いた認識を知らないはずがない。

同時に、彼は、新憲法制定の経緯についてもある程度知っていたはずである。天皇制存続についてのアメリカ国内の論議、諸外国の論議、GHQ内の論議もある程度知っていたと考えられる。(委細後述)

その彼が、あえて、明仁親王に「帝室論」を講義したのはなぜか。わたしの想像では、三つあると考えられる。

一つには、皇室存続の危機感がある。戦勝国の間にも、昭和天皇の戦争責任を問う声が少なくなかった。皇室存続の危機は、間違いなく現実の危機だった。

新憲法で、象徴天皇制として皇室が存続したのは、ある意味僥倖といってもよいくらいのものだった。だからこそ、次の天皇を担う皇太子(明仁親王)には、次の時代にふさわしい【天皇像】を創出する課題(皇室にとっては、責務と言って良い)があった。

二つ目は、戦前の歩みへの反省があった。福沢が、「天皇を超越的存在に祭り上げ、政治の領域外の存在」として位置づけた最大の理由は、「天皇の政治利用」が進むと国を誤る、と考えたからに相違ない。その福沢の杞憂が杞憂でなくなったのが、戦争までの日本の歩みである。この反省が小泉に無かったとは考えにくい。

三つ目は、新憲法の【象徴天皇制】の規定である。天皇制をどうするかについては、戦争が終わる前から、アメリカ国内でも議論されていた。戦争が終わり、いよいよ新憲法が制定されるという時、天皇制存続か否かの議論は、アメリカにとって最大の課題だった。

この問題について最も影響力を持ったのが、「極東における政治・軍事問題-日本統治制度の改革」(PR32)という国務省の指針である。詳細な事実の羅列は、煩雑になるので省略するが、PR32では、【日本がポツダム宣言を受諾した事を踏まえれば、天皇制を廃止してアメリカ型共和制に移行させるよりイギリス型立憲君主制にとどめることを勧告したのである。

・・・新憲法制定と象徴天皇制の起源- マッカーサー草案の成立過程- 小倉裕児
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110000413796.pdf?id=ART0000543098

ここから読み取れるように、象徴天皇制の制度は、イギリスの立憲君主制(王は君臨すれども 統治せず)をイメージして設計されたことは確かである。

小泉信三は、皇太子(明仁親王)に上記の問題を総合的に考え、皇室としてのあり方を模索させるために、福沢諭吉の「帝室論」と英国王室の「ジョ-ジ五世伝」を講義したと考えられる。

【4】 象徴天皇制の役割

戦後政治史における象徴天皇の政治的役割の研究では、一橋大学教授渡辺治のものは避けては通れない。
『戦後政治史の中の天皇制』(青木書店、1990年)

渡辺氏は戦後天皇制を以下のように断定する。
・・常に「保守政治の従属変数、利用の対象」 であったと定義。内奏などによる天皇の政治介入の余地は残ったものの、総攬者としての権力が外形的にも存在しないために、実際の政治的な影響力は少なかった。・・・(同上書)

「保守政治の従属変数」とは手厳しい評価だが、現実の天皇制の評価としては、そんなものだろうと思う。

問題は、一般の人にはなじみが薄い【内奏】という言葉である。
◎内奏(ないそう)は天皇に対して国務大臣などが国政の報告を行うことである。

芦田内閣では行われなかった内奏が、第二次吉田内閣で復活した。現在においても首相をはじめとした閣僚による内奏は不定期ながら行われている。

政府は、内奏について「天皇の教養を高めるために閣僚が所管事項の説明を行う」「国情を知っていただき、理解を深めていただくということのためにご参考までに申し上げる」としている。・・・ウィキペディア ・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%A5%8F

この「内奏」問題をクリアするために、小泉が選んだのが、「ジョージ五世伝」。おそらく、この伝記の中で引用されているウォルター・バジョットの君主論における三原則を重要視したのだろうと推測されている。(ケネス・ルオフ)

●バジョットの三原則(王は諮問に対し以下の権利を持つ)
①忠告し ②奨励し ③警告する

内奏行為を正当化する

※ケネス・ルオフ (Kenneth James Ruoff, 1966年 - ])はアメリカ合衆国の歴史学者、日本研究者。ポートランド州立大学教授。 Center for Japanese Studies(日本センター)所長]。著書『国民の天皇』で2004年大佛次郎論壇賞受賞。
‥ウィキペディア・・

※ウォルター・バジョット
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88


このように、象徴天皇制議論を詳細に詰めていくと、きわめて難しい要素が多く存在する。

ただ、このウォルター・バジョットの考え方は、マキャベリの「君主論」を発展させたもので、きわめてリアリスティクで福沢諭吉の乾いたプラグマティズムと認識を共有するものがあると考えられる。小泉が、「帝室論」と「ジョージ五世伝」を進講の材料に選んだ理由もその辺りにあるかもしれない。

【5】小泉信三の考える象徴天皇制

小泉が、「帝室論」について触れたのが、1948年。彼の解釈は以下の通り。

・・「皇室は政治社外に仰ぐべきものであり、またかくてこそ始めて尊厳は永遠に保たれる。 苟も日本において政治を談じ、政治の事に関するものは、その主義においてかりそめにも 皇室の尊厳と神聖を濫用してはなら」ない。皇室の任務というのは「日本民心融和の中心」 となることである。政治は人の「形体」は支配できるが、「人の深奥の心情」を動かすこ とはできない。であるから、「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する一事に至って は終にこれを皇室に仰がなければなら」ない。「爾来六十年を経て回顧すれば、先生の尊 皇の志とその先見洞察とは、新憲法の制定せられた今日において特に人の心に感ぜしむる ところが多いと思う。」 ・・・・

小泉の帝室論の解釈は、福沢の皇室の活用法と言う意味できわめてプラグマティック。彼は、皇室の任務というのは「日本民心融和の中心」 となることである、と断じている。

・・政治は人の「形体」は支配できるが、「人の深奥の心情」を動かすことはできない。であるから、「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する一事に至って は終にこれを皇室に仰がなければならない・・・

これは、ある意味、日本独特の考え方と言って良い。「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する」のが、象徴天皇制の最大の役割でこれは皇室にしかできない、と言っている。

ここが立憲君主制のイギリス王室との大きな違いになる。イギリス王室の住人は、お世辞にも【徳義の風俗】を維持する中心とは言い難い。逆に言えば、彼らは、君主であっても人間で、人間としての喜び、悲しみ、苦悩、煩悩を体現している。

小泉の言う【徳義の風俗維持】というのは、戦前の神格化された天皇制の残滓を引きずっていると言わざるを得ない。この辺りが、戦前の良質な知識人であった小泉の限界だったかもしれない。

このように読んでみると、小泉は、福沢の「帝室論」に象徴天皇制のモデルを見ている。事実、彼は、「爾来六十年を経て回顧すれば、先生の尊皇の志とその先見洞察とは、新憲法の制定せられた今日において特に人の心に感ぜしむる ところが多いと思う。」と書いている。

このように見てくると、小泉信三が何を思い、何を考えて、「帝室論」を明仁親王の進講の教材に使ったかは明らかであろう。

同時に、彼は象徴天皇制の歴史とか意義とか思想的意味とか、そのような形而上的問題については、あまり語っていない。そんな事を語っても、「生まれながら天皇として生きる事を定められた宿命」のもとに生まれた明仁親王に何の意味もない。

彼はあくまでも、定められた宿命をどのように生きるか、を具体的に語った。「人情の世界を支配し、徳義の風俗を維持する」には、どうしたら良いか。おそらく、小泉は、皇太子への進講のすべての目的をこれ一本に絞った。テニスボールを自ら拾う、などという何でもない行為一つ一つに、「人情の世界」の具体性を教え、【徳義の風俗を維持する】具体的行為を教えたのであろう。

【6】 明仁天皇の考える象徴天皇制

昭和天皇が最初に担った戦後の「象徴天皇制」の歴史的役割については、渡辺治氏の「保守政治の従属変数、利用の対象」であって、実際の政治的力はほとんどなかった、という評価は、肯定しなければならない。

その後を継いだ明仁天皇は、父親である昭和天皇のやり方をほとんど踏襲しているが、天皇の国事行為をきちんとこなした後、象徴としての【公的行為】に力を注いだ。実質的には、【公的行為】の拡大と言って良い。何故なら、【公的行為】には法的規定はなく、天皇の意志によるところが大きい。

では、明仁天皇は、象徴天皇としての【公的行為】を拡大したのだろうか。

★制度としての天皇制

わたしは、明仁天皇は、【制度としての天皇制】を徹底的に生きる覚悟を固めたのだろうと推測している。では制度としての天皇制とは何か。

評論家で詩人の吉本隆明に源実朝を書いた評論がある。その評論の骨子が、【制度としての実朝】論である。この論は、歌にそって説明が必要である。

大海の/磯もとどろに/よする波/われてくだけて/さけて散るかも

・・・【かういう分析的な表現が、何が壮快な歌であらうか。大海に向つて心開けた人に、この様な発想の到底不可能な事を思ふなら、青年の殆ど生理的とも言ひたい様な憂悶を感じないであらうか。(中略)いかにも独創の姿だが、独創は彼の工夫のうちにあつたといふより寧ろ彼の孤独が独創的だつたと言つた方がいい様に思ふ。(中略)これが、ある日悶々として波に見入つてゐた時の彼の心の嵐の形でないならば、ただの洒落に過ぎまい。】(小林秀雄『無常といふ事』所収「実朝より)・・・

吉本の解釈も小林の解釈と変わらない。ただ、吉本は、実朝の孤独の解釈に【制度としての将軍】を生きるという意味を付与した。

よく知られているように、源実朝は、鎌倉幕府の三代将軍。初代頼朝は、流人。平家との戦争に敗れた源氏の御曹司。本来なら命のないところを命だけは助けられ、伊豆に流された。当然、彼の行動は平家によって監視されていた。

しかし、地方豪族にとって、源氏の御曹司はいわゆる【貴種】。存在そのものに意味があった。それが彼を鎌倉幕府初代将軍にしたものだった。頼朝は、自分を将軍にしてくれた地方豪族(北条氏など)を大切にしたし、それなりの配慮もした。頼朝は、将軍ではあったが、自分の置かれた位置をよく知っていた。それが、彼が将軍としてそれなりの権威と権力を保持できた要因だった。

ところが、二代目頼家は、そういう配慮があまりできないし、自らの立ち位置をあまりよく理解できていなかった。それが彼が修善寺で非業の最後を遂げる原因となった。

その後を継いだのが実朝。西行と実朝と言われるくらいの歌詠みだったが、現実世界での彼は非常に孤独だった。将軍と言う名前はあっても、実質的権力はない。文字通り名前だけの存在だった。同時に彼は、兄頼家の非業の最後の原因を知っていたはずである。将軍として、自らの意志を押し通せば、待ち受けているものは死。だから、彼はただ【制度としての将軍】を生きた。彼は、自らが「本当の事を言えば、世界が凍る」情況を生きなければならなかった。

●大海の/磯もとどろに/よする波/われてくだけて/さけて散るかも

この歌が、これほど辛い精神状況で読まれた歌だとしたら、小林の言う通り、実朝の孤独の精神のありようが独創的だった、と言う事になる。吉本は、この孤独のありようを【制度としての実朝】という視点で論じたのである。

明仁天皇の象徴天皇としての【公的行為】拡大の決意は、実朝の歌詠みに賭けた決意と重なるように見える。彼以外には、天皇の孤独は理解できない。彼以外には、天皇の覚悟は分からない。日本でただ一人の存在であるがゆえに、日本でただ一人の孤独を覚悟しなければならない。彼の悩みや苦しみは、そのほとんどが【抽象的悩み】であったはずだが、その【抽象性】に生きなければならないのが、天皇だった。わたしは、これを【制度としての天皇制】だと考えている。

★慰霊と鎮魂の旅

太平洋戦争で死亡した人々への【慰霊と鎮魂の旅】を天皇在位中に精力的に行い、その足跡はパラオ諸島まで及んでいる。もちろん、沖縄にも出かけ、平和の礎の前で鎮魂の祈りをささげた。

天皇の慰霊の旅にかける思いの解釈は様々あるだろうが、以下の文章が一番近いと考えられる。
http://news.livedoor.com/article/detail/10346601/


さらに毎年全国各地で頻発する自然災害の被害者の慰問とお見舞いを欠かしたことはない。齢を重ねるとよく分かるが、被害者の前で正座をして、被害者と同じ目線で話を聞く。この姿勢はなかなかできない。正座から立ち上がるのが大変難しい。明仁天皇も美智子皇后もそんな事はおくびにも出さず、平然とその姿勢を続けてこられた。

林家辰三郎だったか誰だったか、京都史学と呼ばれた歴史学者が、天皇ほど便利なものはない、と言っていた。その心は、「転変地変だろうが政治的災悪だろうが、みんなわたしが悪いのよ、といって責任をかぶってくれる存在ほど、ありがたいものはない」と言っていたが、明仁天皇と美智子妃殿下の象徴としての【公的行為】は、まさにこの評価そのものであると言える。

明仁天皇にとって、【公的行為】とは、天皇と言う存在の抽象性を具体性に変える重要な行為だった、と言えるのではないか。天皇制がこれだけ存続してこられたのも、こういう天皇家のありようが大きな要因だったことは間違いない。

私自身は、明仁天皇の象徴天皇制についての考え方の中核に、この世の様々起きる災悪に【全部わたしが悪いのよ】と全ての責任を負うのが天皇の宿命という考え方があると考えている。そして、その宿命を具体的行為に変えて、国民の前に差し出す。これが国民統合の要(象徴)になると考えておられるのではないかと想像する。これが小泉信三の言う【国民の疾苦に寄り添う】思想だと思う。

だから、明仁天皇になってから、天皇制についての疑問を呈する論者が少なくなった。昭和天皇の時代、あまりにも「保守政治の従属変数」的要素が目立った。理由は明白。昭和天皇の心の中に、戦争責任についての忸怩たる思いが終生付きまとったのではないかと想像する。

この点が明仁天皇と違う。さらに、小泉信三は、きわめてプラグマティクな考え方で天皇制を考えていた。つまり、天皇制はかくあるべき、という理論から天皇制を考えるのではなく、【むしろ、現状の象徴天皇制をどのように理論化し、正当化するかを目指した】。

これは福沢の立場に近い。新憲法下での天皇制を丸ごと認めたところから出発し、時代の進歩や変化に応じた【象徴天皇制】のあり方を模索し、理論化し、正当化する、というのが、小泉信三の姿勢だった。

明仁天皇が在任中ずっと【象徴天皇のありよう】について熟考し続けてこられたのも、小泉の思想や思考のありようの影響が大きかったと言わざるを得ない。

同時に明仁天皇は、戦後の民主主義志向にも柔軟に対応された。園遊会の席上で将棋の米長氏が、「学校で国旗を掲げる運動を一生懸命やっている」と言う趣旨の話をしたとき、天皇は「強制はいけません」とぴしゃりと言い放った。この断固たる姿勢は、明仁天皇の民主主義的思想の強靭さを感じさせた。

天皇制の存続については、多様な意見がある。それぞれにそれなりの論拠がある。天皇制と言うシステム自体が、民主主義システムとは本来相容れない。それが分かっていながら、【象徴】というきわめて微妙な立ち位置で存在している天皇制の頂点に位置する天皇が、最も日本国憲法の遵守義務を果たしている。

本来なら、政府与党や国会議員、官僚たちこそ、最も憲法の遵守義務がある。その彼らが、憲法遵守義務をないがしろにする。これが、平成と言う時代の思想状況の悲惨さである。

明仁天皇の退位を巡って様々な問題が顕在化している。秋篠宮の「宮内庁長官」に対する批判も、この間の天皇家と政治の確執を感じさせるに十分である。

家永三郎が、福沢諭吉の帝室論や尊王論の真の狙いを「天皇制護持論の形をとっているけれど、そのためには天皇を政治上の実権から遠ざけねばならぬとする点では、天皇の大権強化を主張する政府とその他一般のいわゆる「尊王論」とは、名は同じでも、実際は著しく違ったものだと言わなければならない」と書いたのと同じ状況が現在の日本で起き始めていると感得しなければならない。


「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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外国人労働者と人権―入国管理法改正と、技能実習生の失踪問題を考える―

2018-11-20 17:00:02 | 民主主義・人権
日本の生産年齢人口は、少子化に伴い減少が続いている。2015年は7592万人に対し、2050年には5000万人と予測されている。現在の外国人労働者は128万人。留学生と技能実習生がその大部分を占めるという事になっている。

安倍政権は、成長戦略のためには労働者が足りないと、外国人労働者の受入れ拡大のための入国管理法改正を言い出した。「入管法の改正は移民政策ではない」というのだが、その理由は、「その業種が人手不足を解消したら、その分野で働く外国人は帰国させる」というものだそうだ。

ここには、外国人には安価な単純労働をさせればよい、不要になったら返せばよいという安直な受け入れ姿勢がうかがえる。

また、外国人労働者を最長5年間の在留期間の「技能実習」と、「特定技能(仮称)」のカテゴリに分けるそうだ。前者は家族を呼ぶことや優遇措置はない。後者は、【技能実習生が資格を得た場合】、さらに5年間の在留期間が認められる。そして【高度専門職】と認められれば家族を呼ぶことや優遇措置も認められ、在留期間の期限もなくなるという。

分野としては「建設業」「造船・舶用工業」「介護」「農業」「宿泊業」の5分野だったが、「ビルクリーニング」「素形材産業」「産業機械製造」「電気・電子機器関連産業」「自動車整備業」「航空業」「漁業」「飲食料品製造業」「外食業」などの業種も人手不足を訴えて受入れを希望している。

このことで浮かび上がってきたのが、今の外国人技能実習制度の有様だ。今回ようやく国会で、7000人を超える実習生の失踪と、その理由が明らかになってきた。

外国人を安価な労働力として、日本人の嫌がる「きつい」「汚い」「危険」な3K労働をさせる。技能実習にもならない単純作業の繰り返しで、賃金は技能実習を名目に最低賃金以下だったり、残業代はもっと安く夜中まで働かせたり…実習生が逃げ出すのも無理はない労働環境の受入れ先が多くあったのが実情だった。

技能実習生制度というなら、受入れ先が何の技能を実習させるのか、その成果はどうだったかを、行政が外部監察すべきではないだろうか。

しかも今回も【技能実習の資格】【高度専門職】の仕分けは、すべて曖昧なまま。今までの【技能実習生】と同じように、実体のない名称が伴う入管法改正だけが取り沙汰されている。

そこには、外国人労働者の生活や立場への配慮は見られない。外国人労働者を利用するだけのシステムは、ヨーロッパが直面している移民問題と同じ轍を踏むのではないか。

外国人労働者を入れるなら、彼らに日本語を教え、社会ルールを教育し、生活が成り立つように、彼らの権利を守る方向で考える必要があると思う。そうでないと社会不安を招き、結果的に軋轢を生んでしまう。

外国人労働者は「数」ではない。1人1人が親を持ち、妻子がいて、その国の文化や宗教、そして希望や夢を持っている。

そこをしっかり考えず、労働者の増加を目的に、入管法を曖昧なまま通したら、早晩、問題が出るのではないか。

そして外国人労働者に対する各々の人権感覚(ことに政治家の人権感覚)は、日本人に対しての人権感覚とまったく同様であることを、私たちは自覚したいと思う。

「護憲+コラム」より
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