老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

フト思ったこと---対抗する軍事力強化は至極当然な市民の安全を保証するものだ、の考えに竿を指してみたいが、かなり手強そうだ

2022-11-24 21:59:11 | 安全・外交
NATOなみにGDP2%を目途に防衛力を強化するというアドバルーンが打ち上がっている。ウクライナ問題や北朝鮮の核ならびにミサイル騒動が日々話題になっている折り、市民の安全を確保するには至極当然な考えにも見えるが、市民の安全保障策として軍事のみに頼る論が先行する状況に敢えて異論を提示したい。

5つ程、異論のポイントがある。

1つ目は、お金のこと。5%UPは5兆円程に相当するという。政府の目論み通りGDPの2%へ防衛費が上がれば、いずれ消費税が2%をはるかに超える割合であがるだろう。

2つ目は、現在の5兆円が10兆円に上がることで、利権にたかる所謂白アリが喜ぶだけの構図が拡大することを、指をくわえて見るだけという閉塞感がまたまた募ることになろう。
また今日、官房長官がシェルター構想まで持ち出してきている。市民の恐怖につけ込んだ何時もの箱物行政の臭いがする。

3つ目は、軍事力競争というものは、そもそも経済力そして科学技術力に優るものが勝つに決まっている争いと言える。ある意味、産業革命・植民地獲得競争や革新技術開発競争等の場面において狡賢く立ち回り経済的に優位に立った組織程、勝ち残る世界を表している。そんな世界を拒否する考えがあっても良いのではとも思うのだが。
残念ながら品性に基づく議論は軍事力競争批判の際には、迫力が無いことは承知の上で敢えて触れておく。

4つ目は、今回防衛に関わる費用増額の議論の中に先制攻撃力を加えるという考えも混ぜられている。お互いが先軍思想に走り、盾と矛との武器開発調達合戦を互いに繰り広げる状況は、双方の疑心暗鬼のなか何かのきっかけで戻ることが不可能な最悪状況に陥る可能性が生まれる危険な議論との認識が大切と考える。
核まで普通に持ってしまっている現代の軍事情勢のもとでは、血気にはやった一時の熱気位で即断して欲しくない問題と考えたい。

5つ目は、帝政下のドイツに生まれたユダヤ人哲学者レオ・シュトラウス(シカゴ大に奉じネオコンの祖と目され、毀誉褒貶の激しい面もある学者として知られる)の論説を紹介する形になる。

彼の主張の一つは、近代社会に入った我々は“科学”と“哲学”とを分離し、しかもただ分離しただけでなく近代社会の我々は“科学”の側に軍配を挙げ“哲学”の方を追放しようとした、ということである。従って近代社会成立以降の革新的科学技術は“哲学的価値観”抜きの単なる”有用性”だけを利用して進んでいる社会といえる。この点が一つ。

もう一つの彼の主張は“思想の自由”に関することである。普通、“思想の自由”は至極当然で自明な基本的人権と思われている。しかしシュトラウスは“思想の自由”とは、大多数の市民にとっては、少数の弁論家や著述家たちが提示する幾つかの見解の中の一つを単に選択することにすぎないことだ、と主張する。

ここにおいてもしも公権力が大多数の市民に提示される見解の選択肢の幅を恣意的に規制し、狭めた場合、どのようなことが起こるだろうか?と問うている。かかる状況のもとでは、大多数の市民にとって異論は存在せず、公権力の誘導する選択肢だけが唯一の正当なものと、大多数の市民が判断するのは至極当然のこととなる。即ち、大多数の市民は自身が自由な立場から選択を行ったと思うかも知れないが、実態は誤誘導の罠に囚われているという事態が懸念されるわけである。

だがこれは第一の局面の懸念だとして、シュトラウスはそれだけでは留まらない次の懸念もあると続けている。

第二の局面の懸念は次のような状況を指す。即ち第一の局面で、大多数の市民が公権力の誘導する見解を正当なものと判断し受容したとしても、そのお仕着せの見解に従わない真に独立した思考を持つ少数の人の存在まで根絶することは出来ない状況が残るだろうとシュトラウスは想定する。

しかしその生き残った少数者の異論は、彼ら少数者の勇気や信念が如何に強靭であったとしても、また如何に人類の進歩による思想の自由の実現が期待されようとも、長く生き続けて行くことは困難だろうとしている。しかもその生き残った少数者の異論をつぶすのは公権力ではなく、公権力の誘導する見解を正当なものと判断し受容した大多数の市民が行うのだ、と論じている。

このシュトラウスの2つの局面に対する視点は、自民一党支配が長く続く日本の特異性を示唆する見解であろう。

“防衛力強化を検討する政府の有識者会議”の見解は、新聞・雑誌・TVとうのマスコミ媒体に踊る有識者や芸人らによる影響によって強化され、市民への浸透が加速されていくことだろう。これを食い止めることには、かなりの智恵を絞る必要があろうし、そうした上でも極めて困難なことと心得なければならないだろう。

一方、設立されたとされる、軍事力ではなく平和外交による安全保障を目指す「平和構想提言会議」には、一方に偏りがちな世論のバランスを取る為にも最大限の努力で取りくむことを期待したい。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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Jアラートと有識者会議の提言

2022-11-23 15:41:55 | 安全・外交
『防衛力強化を検討する政府の有識者会議(座長・佐々江賢一郎元駐米大使)は22日、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や安定財源確保のための増税などを求める報告書を岸田文雄首相に提出した。』
(東京新聞 Tokyo Web 11月22日 21時26分)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/215524

この提言に先立つ11月3日朝、北朝鮮により弾道ミサイルが発射され日本上空を通過する可能性があるとして、8時過ぎにJアラートが発令され、発令と同時に地上波、BS全てのテレビ局で番組が中断され、不快な警報音と共に、あやふやなミサイル発射情報と、宮城、山形、新潟の3県を対象にした避難の呼び掛けが、ほぼ一時間にわたって続けられた。

その間に「7時48分ごろ通過したとみられる」との情報が一旦流れたが、結局通過は確認されず、その後ミサイルはすでに日本海に落ちたか行方不明だったとの「訂正」が発表され、結果としてJアラートは当該3県を始め、全国を巻き込んだから騒ぎに終わった。

後日、テレ朝のモーニングショウは、この事例を「検証」する特集時間を設けたが、「弾道ミサイル情報」を「地震」や「大雨」、「洪水」などの自然災害情報と同等に位置付け、「例え不発だったとしても、命を最大限守るために警報は出すべき」との結論に導き、「不正格、遅すぎ、役に立たない情報」発令の是否ではなく、「警報に際し国民がどう行動すべきか不明確」なことのみを、問題点としてクローズアップしていた。

昨今の政治の動きを見ていると、国民の「不安」や一時的な「お得感」を煽って、政府の望む方向に国民世論や行動を誘導しようという意図がやたら目立つ。また、テレビを始めとするマスメディアも、その誘導に荷担する姿勢があからさまになっているように思える。

その帰結として導き出されたひとつが、今回の有識者会議の提言であり、報告書を受け取った岸田首相は、「(省庁の)縦割りを排した総合的な防衛体制の構築の検討を進めたい」と応じたという、政府の筋書き通りの展開になっている。

一方で、東京新聞は同じ紙面の中で、
『「政府の議論は極めて危うい」…研究者らが団体設立 平和外交による安保目指し提言へ』という記事も併せて報じている。

それによると、
『防衛力強化や防衛費増額を巡る政府・与党の議論を危ぶむ研究者らが「平和構想提言会議」を設立した。政府が12月末までに改定する「国家安全保障戦略」など3文書の対案として、軍事力ではなく平和外交による安全保障を目指す提言を来月中旬にもまとめ、公表する。
会議は、憲法学者の青井未帆学習院大教授や、非政府組織(NGO)ピースボートの川崎哲共同代表ら15人の有志が10月に発足させた。戦後の安保政策の転換につながる敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛費の増額、殺傷能力のある武器の輸出などの議論が、幅広い視点を欠いたまま進んでいるとして、憲法の平和主義に立脚した提言を政府や国会、国民に示したい考えだ。』とのことだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/215524

安全保障政策として日本が今まずやらなければならないのは、より正確な情報を、よりタイムリーに把握・提供することであって、不正確な情報を発して、国民の不安をあおり、その不安を背景に反撃能力を増強することではない。

「日本国憲法」の理念を大切に思う「護憲+」のメンバーとして、「平和構想提言会議」の設立を支持し、提言の行方を見守りたい。

それと同時に、生活者の一人として、コロナ感染の不安に加え、物価高騰と年金・福祉の縮小によって、ただでさえ生きづらくなっている私たちの暮らしに対して、脅しや誘導で更なる増税に導き、苦しみを与えて恥じない岸田政権には、政権内の内向きの論理を改めて国民生活に真っすぐに目を向け、本当の安全や豊かな生活を実現するために全力を尽くすことを、強く求めたいし、それができないのなら、早急に政権の座を明け渡してもらいたい。

そして、政権交代の必要性を踏まえ、立憲野党がより強く逞しくなるよう、私自身、これからも応援し続けたいし、一市民として、今後もできることを、微力ながら誠心誠意やっていきたいと思う。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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中央区の今が、ほっておくとこれから各地に起こるだろうこと、を懸念する

2022-11-23 09:34:35 | 社会問題
最近、事情があり区民の居住実態を見る機会があった。
不明をはじることになるが、今時点の中央区の住民の9割が、また世帯数の72%ほどがマンション等の集合住宅に住んでいるという。

1970年代頃までは、しもた屋が軒を連ねていた。往時は平屋や2階建の住まいの人が圧倒的多数派だった。当時隅田川の川開きの際には、花火の大輪の絵模様が2階の窓から眺めることが出来、ドンという音と共に楽しめたことを覚えている。
当然ながら地縁も色濃く存在していた。

平屋や2階建てがいつの間にか減少し、それに代わってマンション等の集合住宅が爆発的に増加したということは、都心においては市民が祖父祖母らから受け継いできた土地から切り離されていったということを意味する。

どうやらこの国は、人が生きて行く上で、そして子供・孫らに残していくことが望ましい大切なものを、一つの大きな力によって見失う方向に、人々が知らず知らずに流されて行っているのではないかと思う。

それを主体的に、能動的に進めている力の主は、それが人間の進歩・社会の進歩だというだろう。

だが、やはり何かがおかしいと思う。人々が先祖から受け継いできた土地から切り離されていくことと併せて、少子化の進展や非正規職の増加の問題が放置されていることにより家そのものの弱体化が進行し、社会のいびつさも増していると思う。

いびつさが増す原因としては、一つの大きなその力が一面的な価値観しか持っておらず、その一面からの景色のみを見ながら動くエンジンだということだと思う。他の景色は見えていないか、敢えて見ることを避けるエンジンと言えよう。

佐伯啓思氏は、”経済成長主義への訣別”のなかで、グローバル化した自由貿易体制の中、覇権を争うには新機軸と称する先端革新技術開発競争を制することこそが経済を成長させる唯一の良策と各国が信奉してきたことの問題点を指摘している。

一目散に効率的にその目標に達するためには邪魔となる、本来一体として内部に抱えていた哲学部分を科学から切り落とし捨て去ることで、実証可能な科学部分のみを独立させ、それから生まれる先端革新技術を推進力とする体制を選択して構築したことが、矛盾を産む結果を招いた要因の一つと指摘している。

言いかえれば“有用性”という羅針盤のみで進む方向を決めるということを選択し、本来切り捨てられた哲学部分から問われる“有意味性”や“有価値性”を、使用する羅針盤から取り除いてしまったことが現在の資本主義が行き詰まり、しかも多くの矛盾を生み出した原因の一つとしている。

そして、進むべき他のもう一つの方向として、我々が人として生きていく上でその拠り所となる我々に先験的に与えられている“生命”・“自然”・“世界”・“精神”を基本に考える、内に向かった行動の重要性を指摘し、勧めている。氏は失われつつある“世界”における“コモンズ”の復権を意図しているのかも知れない。

内に向かう行動とあえて称しているのは、グローバル化が推奨されて以降、資本・技術・人材の流動化が促され、比較優位論のもと、それらの適材適所への迅速な移動が追求され、外へ外へと遠心的に力が働いてきたことへの対比である。

人々が先祖から受け継いだ土地から切り離されていくことと併せて、少子化や非正規職の増加の問題が放置されていることで家の弱体化が進み、社会のいびつさが増していると前に述べた。その原因が、一つの大きな力が一面的な価値観からのみ働いている仕組みにあるとも述べた。

一つの大きな力が一面的な価値観からのみ働く現在の仕組みを全面的に否定するつもりは無い。
がしかし、それのみが世の中の全ての行く末に影響を与えている現状はやはり問題だと思う。

今までも、これからも特異な知識・技能をもった専門家らが、国が推進し支援する先端成長分野で活躍し、知識集約的に新機軸を競う経済成長を至上命題として目指す活動に取り込まれると共に、彼らは主体的能動的に関わってものごとが進められていくことだろう。

この状況において特に市民サイドからみて望まれるのは、もう一方の考え方の、言って見れば労働集約型の活動の活発化であろう。これは経済的にはせいぜい中立的な貢献しかしえない行動だろう。だが、それは佐伯氏のいう“生命”・“自然”・“世界”・“精神”を大切な物差しとして有用性だけではなく有意味性と有価値性をも満足させる行動になる考えと思われる。“コモンズ”の復権を目指す意味深い活動であろう。

具体例を挙げると、例えば老人の介護の問題があるだろう。老いた実の母と義理の母を見送った経験からすると、人生最後の終の暮らし方の選択肢が少なかったという印象がある。
そしてその受けたサービスが通り一遍であり、介護士らの忙しさからやむを得ない所ではあるが、充分に血が通ったものとは思えなかった印象が残っている。

例えば過疎化が懸念される地域において利用されていない民家でグループホーム的な受け入れ施設が出来ないものか?そうすれば意義ある職が少ない地域に新たな職が生まれ、過疎地もハッピーであり、入居老人も共同で暮らすほかの老人ともども、その地域の人の支援のもと寝たきり・座りきりの暮らしではない終の暮らしに相応しいハッピーな状況がうまれるのではないかと夢想する。

また、他の例としては前にも触れた街中でよく見かけるウ―バー等の人達の働き方に関することで、老人や障害のある人の外出支援やコンビニトイレの街中共有施設化の手伝い、更には街中の街路樹の手入れや街中清掃等々いろいろな仕事を付け加えることで、より多くの人に、より多くの仕事を提供出来るのではと、これまた夢想する。

これらの市民の活動を進めることには多くの障害が付いて廻ることが容易に予想される。
クロネコ事業を一から始めた際に小倉氏が当初に味わったことを思い浮かべれば良いだろう。現在、世の流れを作っている政権党ではなく、他の政党や政治勢力の出番であろう。
やって貰わなければ思うように動けない事業だと思う。期待したいところだ。

新自由主義の信奉のもとグローバリズムを追い求めることで、仮に新機軸が達成できたとしても、その利益を優先して享受するのは、得てして革新技術開発に参画した企業や資本家や、特異な知識を持った専門家になることが常であり、関与しないその他大勢の市民の立場からすると、副作用としてよく言われる格差の拡大という事実のみが身に降りかかって来ることになる。

市民が取り組むべきことに取り組んで行かないと、流されていく先はより良き“生”を送るのに大切なものを知らず知らずに見失って行き、その先には現在の中央区と同じ姿が各地域に現れてくるのでは、と懸念する次第です。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan
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国連勧告の実施「琉球先住民の権利保障を」

2022-11-15 16:30:08 | 沖縄
「琉球先住民の権利保障を」国連委員会が再び勧告、ヘイト対策も 琉球新報 11/6
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1611431.html
 ○【東京】国連の自由権規約委員会(B規約人権委員会)は3日、日本の人権状況に関する報告書を公表し、沖縄の人々を先住民族と位置付けて権利を保障するよう勧告した。ヘイトスピーチへの対策なども求めた。
 自由権規約委員会の報告書は「(政府は)琉球先住民族のコミュニティーやその権利を認めず、沖縄の人々が自由で十分な事前の情報に基づいて自身に影響を与える政策に参加できる状況をつくっていない」と懸念を示した。また「抗議やデモに対する過剰な制約や、沖縄で抗議行動をする人たちの不当逮捕があるという報告を受け、懸念している」とも記した。
 ヘイトスピーチについて「中国人、(被差別)部落民、琉球人、特に韓国人や在日コリアン」を対象とするオンライン、オフライン両方での広範な人種差別的言説が続いていることに懸念を示した。ヘイトスピーチを明確に犯罪とすることなどを求めている。
 自由権規約委員会は10月に会議を開き、日本の人権状況について話し合った。会議には、米兵による性暴力被害に遭ったオーストラリア人のキャサリン・ジェーン・フィッシャー氏も出席し、繰り返される米軍関連の事件について報告した。委員会の報告書は、性犯罪を含む女性への暴力を根絶する努力を日本政府に求めた。
 国連人種差別撤廃委員会は2018年、日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告していた。
(明真南斗)

沖縄への基地集中は「人種差別」 国連人種差別撤廃委員会の2018年の勧告

玉城・沖縄県知事「政府・国会は限界」 辺野古新基地阻止、国連提起へ

▼翁長前知事が国連で訴えたこととは
 ☆〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉51 第9部 知事 国連で「人権」訴える 2019年10月20日

世界のウチナーンチュ大会/Worldwide

☆弁護士の雑記帳: 憲法第95条(地方特別法の住民投票) - 東京中央法律事務所 2019/11/07
https://www.chuolaw.com/blog/2019/11/post-877/
>実はこの憲法95条、適用例は1949年(昭和24年)から1952年(昭和27年)に集中しており、その後は適用された例がなく、死文化しているではないかという批判の声もあります。
 しかし、数年前に憲法学者の木村草太教授が沖縄タイムスの連載コラムにて、辺野古への基地移転問題に関して憲法95条に基づき住民投票が必要だとの持論を展開したことで話題になりました。
 実際に、2019(平成31)年2月には、沖縄県の住民投票条例に則り辺野古への米軍基地移転の是非を問う県民投票が実施され、反対は有効投票中7割を超えました。
 この住民投票の結果について、国は憲法95条に基づく投票ではなく、法的拘束力を有しないという見解を示しています。
 しかし、名護市という特定の地方公共団体に基地移転という負担を押しつける施策であること、そしてそれに反対する住民の明確な民意が示されたことを踏まえれば、辺野古への基地移転を強行することは憲法95条の趣旨である地方公共団体の団体自治権の尊重に反するのではないかとも考えられるでしょう。

 ★今般の琉球についての国連勧告、2018年分も含めれば、『沖縄への基地集中は「人種差別」』『琉球民族は先住民族』益々、沖縄に特別の地方自治体上の地位を与えねばならぬのではないか。無論、沖縄県への人権侵害、その回復など図らねばならぬ。

 ◎その他
概説[第3章 GHQ草案と日本政府の対応] | 日本国憲法の誕生
マッカーサー草案 - Wikipedia

【社説】無通告で訓練準備 域外実施の即時禁止を 【琉球新報】2022.11.13
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1615174.html
 ○米空軍が10日に座間味村の久場島でボートを使ったレスキュー訓練を実施しようとした。米軍への提供区域の外である。
 提供区域外での訓練はことし頻発している。野放図に訓練区域を広げることは断じて許されない。政府は厳しく抗議する必要がある。区域外訓練の禁止を取り決めるべきだ。

「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
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フト思ったこと---機械対人間 パート2

2022-11-11 17:41:03 | 暮らし
園児をバスに置き去りにする事件が社会問題になっている。昨日の東京新聞にこの話題が載っていた。

政府は園児バスに安全装置を導入することで対応するとして、来年4月から対策費234億円を予算案に計上したという。バス一台あたり18万円で、対象バスは5万台程という。

前回にも指摘したように、人が何らかのサービスを受けたいときには、そのサービスをしてくれる相手は人間であって欲しい、と思う。

機械音痴とか情報弱者と言われる人は多いと思う。また年を重ねれば誰もがそうなってくると思えば、みんなにとっても切実な問題だろう。園児にとってもことは同じだろう。

今回のケースに対しては、果たして機械だけで安全性は担保されるのだろうか。相手は掴みどころのない幼児なのだから尚更懸念される。

どうして機械に頼り切らない対応策を考えようとしないのか、不思議でならない。

一方で、国民年金だけが頼りで生活に苦労が大きいという高齢者が多くいる。またウ―バー等の不安定な職に携わっている人も多い。

例えば、園児バスの確認作業に先生だけでは難しいのであれば、機械だけに頼るのではなく人の目も活用する方が良いのではとの思いから、そんな場面に役に立つ善き仕事を、必要とする人に提供するビジネスチャンスを何故発案しようとしないのか?

更に言えば、コンビニのトイレを一般に開放し、町のトイレ不足解消を狙った動きが以前にあった。

また障害者の横断歩道の安全向上策として、スマホにその場の情報を提供するシステムを構築する予算化を警察が検討している、という話が数年前にあった。

一方は人手不足が問題で進んでいない模様だし、もう一方は困っていて助けを求める人の相手が、相も変らぬ先ず機械、という問題を抱えている。

何を施策化し予算付けするにも、先ずメ―カ―の仕事作りを第一におもんばかっている、としか見えない現在のシステムを何とかできないものか?

血の通った温かみのある施策作りに汗をかく政党・政治家は何処にいるのだろうか?

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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「他人に厳しく、自分に甘く」は改めるべきではないか

2022-11-06 20:49:14 | 社会問題
他国の群衆雪崩事故の原因は徹底調査するのに、自国で起きた事件や公衆衛生対策の失敗に対する評価はどうして甘くなるのだろうか。

繁華街に人が集まって「密」になることは今般あるまじき行為だとして徹底的に非難し、対策が不十分だった、警備が足りない、犠牲者のなかに日本人がいる、と上から目線で問題点を指摘し、「安全性が担保されていない」と、まるで自分たちは安心安全な環境で生活しているとでも言わんばかりに、求められてもいない説教を垂れる一方だ。外から言われなくても、自分たちで事後検証は行うだろう。市民の側も実際に抗議を行っている。

徹底した観察眼と取材、鋭い洞察力、論理的に因果関係をまとめあげ再発防止を試みる姿勢を、自らが抱える問題に適用するべきではないか。

円安に物価高、実質放棄された感染症対策と、ただちに策を打たなければいけない課題が山積みであり、目の前に困っている人がいるにも関わらず、これ以上事態を悪化させないために動こうとしない。何もしなくても自然と解決すること望むばかりで、少なくとも積極的に現状を打破しようとはしていない。

白昼に首相経験者が銃撃され命を奪われたにもかかわらず、銃犯罪の再発防止、ならびに同様の犯罪が起きた際の安全確保策は、他国の災害や事件・事故に比べて話題になることが少ないようだ。ましてや、犯人が犯行に用いた凶器の作成方法や作成にあたり必要な部品の調達先などをそのまま流していて、模倣犯が現れてもおかしくない状況を作り出している。それこそ警備が不十分だったことは認めているようだが、担当者や責任者に相応の処分が下るまでには時間がかかってしまった。

何事に対しても、起きてしまったことに向き合わない姿勢、未然に防げることであっても防ごうとしない点こそが、外部からも身内からも不安視されていることに気づかないのか。

だからこそ円安は進み、規制を緩和しても思うよりは外国人観光客は訪れず、短い間隔で繰り返されるワクチン接種に不信感を持たれてしまうのである。ましてや、各国のトップ級の人物は日本に行けば自らの命を奪われかねないと思い、来日を控えるだろう。

 今日ですべてが終わるのならば、私たちの国のリーダーたちがすることにここまで厳しく言うこともないだろう。よく頑張っていると擁護するかもしれない。しかし、それはもう先がないということを意味する。チェックが入らない、指摘がない、今後の課題もないということは、これ以上に改善が見込めず言っても無駄であるということも意味する。

次があるからこそ、まだ終わりでないからこそ、自らに対しても客観的に顧みる姿勢が必要とされる。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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