老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

NHKドキュメンタリー「兵士たちの戦争」の再放送

2008-07-29 21:54:18 | 戦争・平和
今年も8月15日の終戦記念日を控えいろいろなTV番組が予定されているようです。NHKは以前放送された「シリーズ証言記録・兵士たちの戦争」を8月1よりBSハイビジョンで再放送するようです。以前にその一部を見て「これぞ生き証人による戦争体験証言」だと思いました。
http://www.nhk.or.jp/bs/heishi/#housouyotei

かつて大日本帝国が仕掛けた日中・東南アジア・太平洋戦争は海外での出来事であったため、未だに実態が分からない部分もあれば、逆に国民に知らされていない部分もあり、それを知る上でも貴重なドキュメンタリー番組ではないかと思います。

戦争の最前線では次第に日米の国力の差による軍備の優劣が歴然となり、日本軍は制空権、制海権を握られ、補給路は断たれ、陸上でもジャングルの中に次第に追いつめられ、飢えと病に倒れ、死屍累々の最中にも、大本営は「日本軍は敵を殲滅せり」との偽報で国民を欺き、終戦後未だに何万人もの遺骨が収集されていないと言われます。

このドキュメンタリーシリーズはまさにこれらの悲惨な戦場でかろうじて生き残った兵士たちの生の証言と言えましょう。そして自分の年齢から推して、後世にその事実を伝え「二度と同じ過ちは繰り返すな」と訴えるには最後のチャンスと思われての勇気ある証言ではないでしょうか。

先の日中・東南アジア・太平洋戦争は、当時の日本国民の経済的な活路を見出すためとはいえ、なぜ他国を侵略してまでこのような無謀な戦争に踏み出したのか、当時国際的に米英等に孤立させられ、外交努力も拒否されたので戦争に突っ走ったとの理由では済まされないでしょう。その判断の過ちは他国にも多大な被害を与え、双方の死傷者数やその後の本土爆撃・広島・長崎への原爆投下での犠牲者を観れば明らかです。そしてその後遺症は未だに完全に癒されておりません。

その過ちの根本は明治憲法下での天皇主権と、天皇による軍の統帥権と国家神道が結びついた国家体制にあることは疑う余地がありません。そして昭和になって軍部が完全に政府を支配した時から全体主義体制が強まり、その流れに異議を唱える者は治安維持法で検挙弾圧されました。その弾圧に抗すべきメディアまでもが次第に迎合し、ファシズムの片棒を担ぎ、泥沼にはまり込むように国家総動員態勢が着々と築かれ、他国を侵略してでも国民経済の打開を計るという誤った侵略戦争が次第に正当化されました。そして結果は完膚無きまでに叩かれた敗戦であり、戦争開始前より悲惨な結果を国民に招いたばかりか、他国にも甚大な被害与え犠牲者を生じさせたというべきでしょう。

当時大多数の国民が何の疑問も抱かず戦争を礼賛し、無謀な戦争に駆り立てられ、これらの兵士を赤紙一枚で平気で戦地に送り出した背景は何だったのか。そのことを再度直視し、二度と同じ過ちを繰り返さないように戦争放棄・国民主権・基本的人権が盛られた新憲法が制定された意義を問うことこそが、兵士たちの証言に報い、全ての戦争犠牲者への慰霊となるのではないでしょうか。

話題の映画「靖国」を見て見逃せないと思ったのは、一方では憲法9条を改正し集団的自衛権という耳障りの良い文言でカムフラージュして、他国との交戦権をもつことがA・B・C戦犯への慰霊であるかのような発想で、8月15日に靖国神社参拝する政治家がいることです。

何れにしろ今回のNHKの「シリーズ証言記録・兵士たちの戦争」の再放送はBSハイビジョンで視聴者が限定されているのが残念ですが、タイミングを得た企画だと思います。

「護憲+BBS」「戦争体験者の証言」より
厚顔の美少年
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秋山専務理事の逮捕と民主党前原議員の言動

2008-07-27 21:09:25 | 政治
防衛関係の政・管・業(日米)のフィクサーと言われていた日米平和・文化交流協会の秋山専務理事が、ついに逮捕された。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080724/crm0807242201045-n1.htm

かつて当協会の理事には福田首相はじめ自民党の防衛族議員が名を連ねていたと言われる。そして前防衛事務次官への贈収賄事件で逮捕された山田洋行の宮崎専務等から、日米平和・文化交流協会の名前が洩れ聞こえてきた辺りから、理事に名を連ねていた議員が逃げるように脱会し理事も降りたようである。

その協会に民主党前代表の前原誠司氏(現副代表)も理事として名を連ねていたことは既に報道されていたとおりである。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-11/2007121102_04_0.html

さらに上記赤旗は、『前原氏は、二〇〇三年に開かれた「日米安全保障戦略会議」のパネルディスカッションで、「憲法を改正し、九条に集団的自衛権を明記し、集団的自衛権の問題をブレークスルー(突破)しなければいけない」と発言するなどタカ派的言動を繰り返してきました。今年五月の同会議でも、武器禁輸原則の見直しを求めています。』と報じ、『前原事務所は本紙の問い合わせに対し、「担当者がいないので答えられない」としています。』と述べている。

上記報道が事実であれば、前原議員の発言は自民党の防衛族議員顔負けの発言であり、特に「武器禁輸原則の見直しを求めている」とは軍需産業界の肩を持つような発言で驚きである。何故日本の産業界がアメリカの軍需産業の後追いをして武器を輸出し、他国の戦争に手を貸し、死の商人にならねばならないのか。まさに日米平和・文化交流協会での産業界の意を受けての発言と疑われても止むなしである。

このように自民党議員と見間違うような言行の持ち主がかつて民主党代表に選出されていたことは、民主党シンパにもかなりのショックであり、違和感を持つ人も相当いるはずである。何故ならこれは前原氏一人の立場ではなく、その考えに同調する民主党議員が相当数居るとの証だからである。

これから民主党では9月に代表選挙が予定され、遅かれ早かれ衆議院選挙も控えている。日米平和・文化交流協会の秋山専務理事が逮捕されたこの機会に、前原議員は党員やシンパに対して、上記の発言内容と日米平和・文化交流協会との関係について、今でも変わりないのか、明らかにすべきである。

また先に文芸春秋の紙上では党内事情も色々と語られたのであるから、赤旗の問い合わせにも回答された方が党員、シンパから見ても公平ではないかと思う次第である。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔の美少年
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犯罪被害者団体、朝日新聞に3度目の質問状への疑問

2008-07-25 10:02:37 | マスコミ報道
7月23日の日経NETによれば、先般朝日新聞の夕刊コラム(素粒子)で、オートメーション的に死刑を執行する鳩山法務大臣のことを「死に神」と評したことについて、犯罪被害者団体(代表幹事岡村勲弁護士)が「犯罪被害者を傷つけた」との理由で朝日新聞に3度目の質問状を送りつけたとのことである。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080723AT1G2302B23072008.html

直接「死に神」と評された鳩山法務大臣が質問状を提出するのであれば理解できるが、コラムが犯罪被害者団体や被害者に対して言った言葉ではないことは客観的に見て明らかである。また後日朝日新聞は、犯罪被害者団体から抗議され、期せずして第三者の心情を害したことについては、遺憾の意の回答をしているはずである。

その上更に第三者が回答を不満として3回も質問し、回答を要求しているのであれば、少々やり過ぎではないかとの思いが湧く。まして説明責任や謝罪まで言及するのは第三者の域を超えていると思う。そこまで要求するのであれば、鳩山法務大臣から質問の代理権を得てそれに基づき質問した方が分かりやすいが、法務大臣も癒着と誤解されるような安易なことはしないだろう。

ところで国連は昨年(2007年12月)の総会で死刑執行の停止を求める決議案を賛成多数で採択しており、それを受けて今年5月にジュネーブで開かれた国連人権理事会は、日本に対して死刑制度の廃止や執行停止を求める意見を出している。
http://www.news-pj.net/npj/tuushin/news-200805.html

これらに対して鳩山法務大臣は内政問題だと言い、また4月の国会答弁では「死刑制度への自論に欧州連合は理解を示している」というような国会答弁をして、駐日欧州委員会から「われわれが鳩山法相に伝えたことを国会答弁は反映していない」(5・17朝日)との抗議文を受けているようである。また日弁連も死刑制度廃止を唱え、最近の死刑執行の急増について法務省に抗議しているのである。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/080617.html

このように世界の大勢と動向は死刑廃止、執行停止の方向であり、これらの動向に照らせば鳩山法務大臣の言行が逆行していることは明らかである。そのような背景の中での頻繁な死刑執行を朝日新聞のコラムは評そうとしたのではないか、というのが私自身の理解である。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
厚顔の美少年
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「イラク、戦場からの告発」:子供たちの受け止めと学校教育

2008-07-24 22:23:07 | 戦争・平和
コラム「夏が来て」を拝読いたしました。折りしも、秋葉原の惨劇が八王子でも再現され、「今の20~30代の若者は殺人・死というものに、一体どんな認識を持っているのか」と考え込まざるをえません。個人的には殺人・戦争・戦闘カテゴリーのテレビゲームが10代だった頃の彼らの脳ミソに悪影響を与えているように思います。

実は一昨日、件の(「サロン・ド・朔」5月例会『イラク訴訟・名古屋高裁判決を受けて(弁護団の話を聞く)』で上映された)「イラク、戦場からの告発」DVDを息子(小6)と娘(小2)に見せました。映像には

①劣化ウラン弾の影響で生まれた奇形児
②ガンになって首が腫れ上がった子供
③クラスター爆弾の不発弾で手・脚・目を失った子供たち
④毒ガスで殺されたクルド人の子供の遺体
⑤イラク占領後、米兵に狙撃された少年・少女

以上が含まれているので、ちょっと刺激が強いかとも思いましたが、上記の被害者は息子や娘と同じ年代の子供たち。自分たちに置き換えて戦争・平和を直観してほしいと思い、見せました。以下、本人たちの感想と様子です。
<息子>
・アメリカって、ひどいなぁ!ブッシュなんて、死ねばいいんだ。 ※おいおい!
・(米兵に狙撃された子供達を見て)どうして撃たれたの?
・(狙撃された娘と一緒にいた娘2名が即死と聞いて)うわぁ~・・・と顔を歪める。
・なんで、劣化ウランを使うの?タングステンとか、高いの?
・なんで、戦うの?(そりゃあ、もっともな質問)
・(米国がイラクに飴とムチ、2枚舌を使った経緯を知って)ブッシュって、悪者じゃん!
・(その米国の基地が日本にもある。身近には横田基地がある、と説明すると)えっ、そうなの?ヤバイじゃん! ※言葉遣いの汚さ、お許しを・・・
<娘>
 画面を見ては立ち去り、また来て・・・を繰り返した後、母親のところで泣いていました。理由を聞くと、
「イラクのサッカー場にいる避難民がゴハンもなく、一日1時間しか電気が使えず、3日に一回しか水が配給されない。それが可哀そうだから」
 との事でした。

私はぜひ、同年代の子供たちに「学校で」見てほしいのですが、おそらく
①そんな刺激の強い映像は見せられない
②政治的意図がある
 など、学校(教育委員会)や親から反対されるのでしょうね。このDVDを夏休みの絵日記や作文にさせたら、学校に理解されるのか、色眼鏡で見られるのか。

私が学校公開日に見学したり家庭訪問で接する限り、8割以上の個々の先生は良い人です。しかし、カリキュラムと家庭ですべき躾に追われ、子供達一人ひとりと向き合う時間が圧倒的に足りないと感じます。それを改善しようと努力している先生は、ひどく疲れているようです。

さて、意図的に「日本の戦争加害事例」「戦争の悲惨さ」を子供たちから遠ざけているように思える文部科学省・教育委員会には、どうしたものやら。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
猫家五六助
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夏が来て

2008-07-23 09:22:08 | 戦争・平和
夏が来ました。子どもたちも夏休みに入りました。東京で育った私にとって、夏休みの思い出のひとつに8月15日の登校日があります。(その日が先生方の給料日であることを後で知りました。)たいていは暑い日差しの中登校し、久しぶりに級友の顔を見て、どうということもなく午前中に帰宅しました。

その日は「終戦記念日」でもありましたので、戦争の話もよく聞きました。私は戦争を知らない世代ですが、私が子どもの頃おとなはみんな戦争を経験していて、戦争中の苦労話をよく聞かされました。

その話はいつも「被害者」として大変な思いをしたことばかりで、自分たちが大陸や南方でそこに暮らす人々へ大変な思いをさせた「加害者」としての思い出を聞くことは(少なくとも私は)ありませんでした。やはり、足を踏まれた方はその痛みを忘れないけれど、踏んだ方は踏んだことさえ気がつかないということもあるでしょう。

それでも、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」に対する、「自虐史観」というコトバを使う人たちの、その事実がなかったか、あるいは小規模だったことにしようとする反応から、軍隊ではなく市民へのひどい行為は「いけないこと」あるいは「誇れないこと」であるという自覚を、この人たちでさえ持っていることがわかります。

東京大空襲や広島、長崎に原爆を落としたB29の搭乗員は、下界で起こった阿鼻叫喚をどれほど意識したでしょうか。「湾岸戦争」以来映像で紹介されているように、TVゲームのような感覚で「命」など存在しない「軍事目標」を単に「攻撃」しただけと思ったのかもしれません。人の体が肉片となって飛び散り、血だるまになり、焼けこげてしまう姿を目の当たりに見せられたら、彼らといえども思い切って「攻撃」できるものではないでしょう。結局、殺されていくものたち以外直接惨劇を見ることなく、これらの行為は繰り返されてきたようです。

それは私たちにとっても同様で、「テロとの戦い」のために軍艦への給油をしたり、わが国もクラスター爆弾で子どもたちを傷つけることに荷担している現実を忘れてはなりません。

「戦争を語り継ぐ」ということは「戦争の悲惨さ」を伝えるだけでなく「戦争の残酷さ」、そして戦争は災害のように自然に起きるものではなく何者かが起こすわけですから、何者が何のために起こしているのか冷静に分析し、それを伝えることも忘れてはならないと思います。

「護憲+コラム」より
千葉の菊

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「サロン・ド・朔(フリースペースでフリートークを)」(主催:「護憲+」有志+α)7月例会(7月25日)のメインテーマは、「広島、長崎、沖縄、ビキニをつなぐもの」です。戦争と平和、核の問題について、ご一緒に考えたいと思います。参加ご希望の方は、「護憲+HP」上に記載の「メール」にご連絡ください。
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納税者を裏切った最高裁判決(旧長銀の粉飾決算事件)

2008-07-21 23:30:47 | 社会問題
7月18日に最高裁第二小法廷(中川裁判長)で、旧長銀の頭取・経営陣(計3名)の粉飾決算と違法配当疑惑に対する裁判があり、一審・二審での有罪判決が逆転無罪となった。長銀には公的資金(税金)も投入されていただけに、納税者(債権者)の目から見てとても納得できる判決ではない。

19日の朝日の朝刊は、旧長銀の経営陣は破綻前の98年3月期の決算で次のような粉飾決算と違法配当をしたことを報じている。

・関連ノンバンクなどへの不良債権を処理せず、損失を約3130億円も少なく記載した有価証券報告書を提出した。
・株主に配当できる利益がないのに約72億円癘@に配当した、として東京地検特捜部に逮捕・起訴された。

更に朝日は概略次のように報じている。

『1・2審東京地裁・高裁は上記の決算処理は、旧大蔵省の97年3月(破綻1年前)の通達に従い、関連ノンバンクなどへの融資を厳しく査定していないと認定して有罪にしたが、最高裁は大蔵省通達を「大枠の指針」にととまり、ノンバンクなどへの融資の査定に適用するには明確でなかったと指摘し、また同じ時期に大手18行中14行も長銀同様の会計処理をしていることを挙げ「従来の会計基準で査定しても違法とはいえない」と結論付けた。』

ところでこの裁判は、銀行の破綻原因の追求ではなく、98年3月期決算での有価証券の虚偽報告(粉飾決算)と違法配当の事実について、誰に責任があったのかが問われているのであり、仮に上記3人が無罪であれば、3人以外の取締役の中に犯人が絶対居なければならないはずである。

確かに商法(会社法)は、取締役に絶大な権限を授与しながら有限責任の軽い責任しか負わしていない。しかし一方、株主や債権者を欺く虚偽の有価証券報告や違法配当は、完全な違法行為であり弁明の余地がない。このように見れば今回の長銀の取締役の責任は、1・2審及び最高裁までが判旨する大蔵省の97年3月の通達が有ろうが無かろうが、全くそれに左右される問題ではないはずである。

確かに回収不能な不良債権であるか否かの判断は、監査法人や取締役間でも見解が分かれるところであろう。しかし日本のバブル経済の場合、株価は89年12月がピークで、土地の路線価は92年をピークに下落し始め、バブル崩壊は明らかであり、98年3月決算時点では不動産の実売価格も大幅に下がり、少なくとも評価損は明らかだったはずである。

それを98年3月決算で投資回収可能(不良債権ではない)と判断したところに、経営者として甘さがあったと非難されてもやむを得まい。このように客観的には不良債権の発生がありながら、それを有価証券報告書で報告しなかったことの経営責任は免れないであろう。しかも公的資金(税金)の投入も98年3月であり、評価損も含め不良債権の事実を隠蔽して公的資金の投入を受けていた行為は、納税者(債権者)を騙したも同然であり、国民の納得を得られるものではない。

また最高裁は「同じ時期に大手18行中14行も長銀同様の会計処理をしている」ことを理由に「長銀の処理も違法とは言えない」と判旨し、他行との相対的な比較を理由に被告人をかばっているが、公的資金が投入されている以上、不良債権処理に際して大蔵相の通達の有無とか他行の会計処理との相対的比較の物差しで適不適を判断することは、納税者の視点から見ておかしい。あくまで商法に規定された取締役の責任や善管注意義務の絶対的基準に照らして判断すべきであり、今回の最高裁の無罪判決は国民を愚弄している。またまた次の衆議院選挙時に「×印」をつけるべき裁判官が増えた感じである。

そもそも、当時メガバンクは土地神話に取り憑かれ、己の利益のためにノンバンクに融資して、更に不動産業を経由して地上げと土地ころがしに奔走し、庶民の不動産まで買いあさり、その挙げ句に庶民は固定資産税の急増に泣かされ、高騰した不動産の相続税も納められずに住み慣れた先祖代々の土地を手放さざるを得なくなった人々が都会地では続出したことは記憶に新しい。

当時このような社会的な問題まで引き起こし、その挙げ句に自分たちが引き起こした土地バブルがはじけ、投機資金は回収不能となり、政府は銀行倒産の不安にかられ、その預金者を人質に莫大な公的資金(税金)まで投入したのである。そのような杜撰な銀行経営の責任を追求する刑事裁判において、今回の最高裁の逆転無罪の判決は、納税者の納得が得られないばかりか、公的資金の投入には功罪が言われるだけに、日本ではこれからの金融機関への公的資金投入を難しくしたと言うべきであろう。今後の日本政府の金融行政の在り方が厳しく問われる問題でもある。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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市民憲法講座「憲法から考える介護保険制度の現状」

2008-07-20 16:40:43 | 社会問題
昨日は、パンドラさんご紹介の「もやい&こもれび荘」訪問の後、私は文京区民センターで開かれた「憲法から考える介護保険制度の現状」という市民講座(「許すな!憲法改悪・市民連絡会」主催)にも参加してきました。

講師は、介護保険市民オンブズマン・文京の鹿倉泰祐さんという方で、『2006年の社会保障制度の見直しによって、自己負担拡大、認定変更、サービスの制限が起きており、憲法25条の理念とは相容れない「新介護地獄」の状況が生まれている』という事実を、様々なデータと事例を示しながら話されました。

講師の話の後のQ&Aでは、ケアマネージャ、ホームヘルパー、介護事業所の責任者からの悲痛な発言が相次ぎました。

「利用者を車椅子で図書館に連れて行くことは、娯楽にあたり認められないと区担当者から言われた」
「暑い中車椅子で病院に連れて行って、ヘルパー、利用者共々熱中症にかかった。その後福祉タクシーを利用したら、タクシーに同乗している時間は勤務外とされ、仕方なく再び車椅子を押して病院通いに付き添っている」
「50代の息子さんが80代の母親の介護をしていて、『困ったらいつでも相談してください』『大丈夫です』といった言葉を交わしていたが、新聞にも載ったが、息子は介護のために仕事を辞め生活に困窮して、母親を殺してしまった。自分のできることの限界を感じさせられた」
「職場の40代の人は皆生活ができないからと退職している。自分は71歳だが事業所の窮状を見るに見かねて、ヘルパーを続けている」
「自分達の提供しているサービスがいつ行政から規定違反だと言われるか、利用者と行政の狭間で苦しみ、夜も寝られない状態が続いている」

介護保険制度は、財源として国と都道府県、地方自治体の三本柱で支えられていて、東京を例にしても、区(担当窓口)によってその対応は微妙に違っているようですが、大元の国の「骨太の改革」がここでも介護現場を苦しめているのは間違いありません。

昼の部の「貧困問題」同様、「介護問題」も、当事者(利用者とサービス提供者)が自己責任として抱え込まず、行政窓口にしっかり物申すことと、有権者として国に政策転換を求めることの2本柱が、ここでも必要だと感じたセミナーでした。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
笹井明子
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「もやい&サロン・ド・カフェこもれび」訪問記

2008-07-20 11:35:12 | 社会問題
昨日、「貧困セミナー」参加のために、「護憲+&有志」のメンバーで飯田橋の「もやい&サロン・ド・カフェこもれび」に行って参りました。最寄りの駅から徒歩15分の道のりは、げんなりするほど暑いのかなー、と覚悟して歩きましたが日影を歩くとそれほどでもなく、涼しい風も吹いていました。

「貧困セミナー」の稲葉剛代表理事の話は明快で分かりやすく、目から鱗の内容でした。

「野宿者やホームレスという属性の人がいるのではなく、今その状態にある、という人がいる」という視点。「ホームレス」も「野宿者」もただ「その時の状態」を表す言葉なのに、何故その人の生き方、人間性まで否定されるような展開になるのか?一昨日も襲撃された野宿者の方が分かっているだけでも二人いらっしゃるようで、最近では新聞の片隅にも載っておりませんね。

「生まれたときから野宿者」だった人は今の日本では少ない筈で、これは「ニート、ひきこもり」状態の人達にも言える事だと思うのです。そして「自己責任」という言葉に象徴される社会の冷たい視線の強さも。それを当事者が内在化して自己の価値観とし自己排除して行く姿も。

「もやい」の活動の中でいいなーと思ったのは、「もやい」が主張する自立とは、必ずしも「経済的自立」のみを目的としていない所。自立とは自己が選び決定する生き方ができると言うこと。

その為には当事者も支援する人も「一人で抱えこまない」「突きはなさない」「何時でもSOSを出せる」関係作り(当事者にも、外部にも)。「問題を『社会に返す』ためのネットワーク」と「当事者が本来持っている力を発揮できる場をつくる」ことが大切。「なるほどそうなのか」と今までもやもやしていたものが、私の中で整理された日でした。

「貧困」は追いかけて何時も意識していないと、今の日本の社会では「ありえない事」にされてしまいます。「ホームレス中学生」という著書や「芸能人の貧乏物語」が受け入れられるのは「大変だったけれど当事者が頑張ったらこんな明るい未来が待っていた」という涙あり、笑いありのサクセスストーリーだからなのでしょう。でも、現実はちよっと足を滑らせたら落っこちてしまいかねないか細くて、不安定な滑り台の上に私達の生活は成り立っているのだと痛感させられました。

「もやい」が運営する「こもれび」はランチ&飲み物も350円と低料金で美味しく、「貧困セミナー」が終わった後私達が店先でコーヒーを飲んでいたら、常連さんらしいおじさんが話かけてきて、おしゃべりに花がさきました。何だか昔の路地を思わせる展開にホッといたしました。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
パンドラ
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防衛省改革会議の報告書について

2008-07-18 10:52:51 | 安全・外交
アサヒコムによれば、政府の防衛省改革会議(座長・南直哉東京電力顧問)は15日、福田首相に報告書を提出したとのことである。
http://www.asahi.com/politics/update/0715/TKY200807150168.html

記事冒頭部分には、「信頼回復には時代に合った文民統制が不可欠として、防衛省・自衛隊の現行組織の大枠は維持しつつ、大臣中心の態勢を整えるため、背広組と制服組の人事交流による一体化促進を提言。内閣官房や防衛省で今後、関係法令改正を視野に具体的検討に入る」と書かれている。

それ以下の具体的な内容はさておいて、先ず上記冒頭部分について問題を指摘しておきたい。

まず、文中「信頼回復」と書かれているが、贈収賄汚職、イージス艦衝突事故、米軍への給油量改ざん、イージス艦秘密漏洩等の信頼回復は当然のことであるが、何も防衛省改革までしなくても信頼回復は可能なはずである。現時点での防衛省改革は、自民党の憲法改正案に唱われている「自衛軍」への先取り便乗改革に繋がりかねない。

次に、「時代に合った文民統制」とは何ぞや、ということである。勿論自衛隊の最高指揮官である総理大臣・防衛大臣は文民出身であることは当然であるが、しかし現状総理大臣・防衛大臣をはじめ自民党の防衛族は皆憲法9条改正を唱え、党是では現行の自衛隊を自衛軍に変え、集団的自衛権を付与し外国との交戦権を持たそうとしているはずである。この点について安倍前首相はより明確であったが、現在の福田内閣の閣僚は全て安倍内閣の閣僚である。このように現内閣の文民政治家は自衛隊の制服組より、憲法9条を改正し交戦権を持つことに熱心ではないかということである。

日本での文民統制とはそもそも、戦前大日本帝国・陸・海・空軍の暴走を政党が制御できなかった反省の上に立って、戦後その重要性が言われてきた。そして軍部が独走して起こした戦争の反省の上に立って、現行憲法が制定され戦争放棄が唱われている。従って、与野党を問わず文民政治家は率先して憲法に則して自衛隊を文民統制するのが筋であろう。

ところが現在の自民党の文民政治家には憲法遵守の理念がなく、文民統制を逆手に取り自衛隊を自衛軍へ改変し、集団的自衛権という外国との交戦権を持たそうとしている。これでは憲法9条の「文民統制」ではなく、憲法9条改正の「文民強制」に成りかねない。「時代に合った」とは、いかにも合理的なようであるが詭弁であり、「憲法に合った」文民統制でなければならない。

集団的自衛権や自衛隊の海外派兵を望んでいる文民政治家が防衛省改革を行いたいのであれば、先ず国民投票で憲法9条改正の手続きを踏んで、改憲後に好きなように防衛省改革をすべきが手順である。失墜した「信頼回復」は現状の組織のままで意識改革をもってなされるべきで、憲法9条改正前の防衛省改革は不要であり、便乗改革には絶対反対である。

「護憲+BBS」「行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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急がれる公会計の制度設計見直し

2008-07-15 20:52:28 | 社会問題
「今週のコラム」を拝見しつつ 脳裏を掠めたことをつづります。

タレント性を根っこに、世の人目を十二分に引きつつの橋下府政のスタート。だが、夕張どころか、おおもとの国の財政も目を覆わんばかり。そして、困ったことにその赤字の実態は、主人公(納税者たる国民)にはさっぱり分からぬ。それは、ひとえに丼勘定(単式簿記)信仰にどっぷり漬かりきった事務方と、それにすっかり慣らされた主人公そのものの、罪であるかも知れぬ。

途方もない額の借金を前に、仰天しての手当たり次第の大鉈。だが、受けを狙うかの抜刀よりも、その借金の中身は整理されているのか。そんなことは当の昔に、なら案ずるに足らぬこと。それこそ粛々と赤字征伐を進めて行けばよい。

そもそも、公財政は本質的に赤字体質のものである。箱物・道路、どれをとっても単年度の税収で造れるものではない。いや、造ってはならないものである。どのような考えで設計するかは置いて、償却期間全期にそれは割り振らなければならない。よく、したり顔が「孫子の代まで残すなどとは」なんて言うが、これは経常経費の赤字とはっきり認識してのもの言いであって欲しい。

「霞ヶ関には埋蔵金が」などと言って、「特別会計」の中にそれが忍び込まされているかのことを言う。この辺に、この国の公財政の丼ぶりが表れている。単年度収支と多年度収支は、截然とされているか。費用の多年度振り分けを必須とするものに係る勘定は、維持管理費を含め細大を問わず特別会計として経理する。これらの会計は、全て赤字である。「埋蔵金」などというものが存在しうるはずもない。
 
公会計の収入は本来的に単年度であり、それによって特別会計の赤字(償却・借入金の償還額)補填も含めて均衡させなければならぬ。この単年度収支を均衡させ得ず借り入れに頼る。これが本当の意味での「赤字」である。この赤字公債に手を染めることは、絶対のタブーとして切り盛りされて今日にきたったのか。

この辺が、公財政の赤字論議の中で いまひとつ詳らかでないところである。特別会計へ繰り入れれば、経常収支の赤字必須と見込んでもなお、特別会計を広げようとするなどは、正気の沙汰ではないはず、主人公が許すはずもないことであろう。

公会計の制度設計の見直しは、焦眉の急としか言いようがない。さらに付言すれば、郵貯・簡保の民営化は、わが生涯で目にする最大の愚挙である。公財政が、多年に亘る償却を必須とする需要を充たさねばならぬ宿命を負う以上、その調達費(利子負担分)は、可能な限り主人公に還元される道をとるべきであり、労働保険や年金保険料などとともに 公財政の借り入れ需要は、これらによって第一義的にまかなわれる、これが本旨ではなかったのか。小生は、これをもって「国民大無尽」と理解していたのだが、失われたうん年の狂宴に、うたかたと消えた。
 
「過ちを正すにはばかることなかれ」の語が空しい。悪乗り一派が、取りあえず国民からの預かり金から10兆円出せ、ファンドごっこをさせろと言い出している。世も末としか言いようもない。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
百山
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