老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

勇気ある判決: 公務員の政党機関誌配りに逆転判決(東京高裁)

2010-03-30 08:51:52 | 民主主義・人権
憲法第76条 3項
『すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束(こうそく)される。』

3月29日のNHKニュースや各紙は、『旧社会保険庁の職員が政党の機関紙を配り、公務員に禁じられている政治的行為をした罪に問われた裁判で、東京高等裁判所は「刑事責任を問うことは政治活動の自由に対する必要やむをえない制約の限度を超え、憲法違反だ」と判断し、1審の有罪判決を取り消して無罪を言い渡しました。』と報じている。

併せて『中山裁判長は判決の中で「日本での国家公務員に対する政治的行為の禁止は諸外国に比べて範囲が広すぎて憲法上、問題がある。世界標準という視点からも再検討する時代が来ている」という異例の意見を付け加えました。』と報じられているが、特筆されるべきコメントであろう。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013491281000.html

やはり裁判官には憲法76条3項を護る良心と勇気が欠かせない。一審では有罪だっただけに、今回「憲法違反」と判断し、逆転無罪を言い渡した判決は画期的でる。

そもそも当該事件の発生は自民党政権時代の7年前の衆議院議員選挙前とのことであるが、これが共産党の機関誌でなく、仮に自民党の機関誌の配布であったとしたならば、同じように一審判決で有罪となっていただろうかと想像すると、確信が持てない人も多いはずである。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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新聞協会の真の狙いは何か

2010-03-29 16:10:40 | マスコミ報道
3月28日の日経新聞は、日本新聞協会加盟の78紙が29日一斉に「日本を元気にする」キャンペーンと称して、政府のエコ住宅建設と住宅建設のための贈与税の非課税枠の拡大施策をPRする広告を自主掲載すると報じていた。

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E0E4E2E6978DE0EAE2E1E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2

そして、3月29日の朝日新聞朝刊6面全段に「日本新聞協会特別企画(加盟78紙一斉掲載)」の名で『日本の元気、はじまる』との大きな見出しで、政府の政策広告が出されていた。

住宅政策のPRゆえか前原国交大臣が写真入りでコメントを寄せている。前原大臣が新聞協会を巻き込んだのか、その逆か分からないが、厚労省が子供手当を予算化したことの方が今後の総予算額も大きいのだから、「子供の未来が開ける」との見出しで厚労省の広報した方が、日本の元気の元になるはずである。なぜ今国交省のPRなのか全く不可解である。

新聞協会としては、各紙がこれまでに政府民主党をさんざん叩いて自民党の援護射撃をして来たが、それでも一向に自民党の支持率が回復せず愛想を尽かし、民主党政権の中では、アメリカ追随で小泉政権に改革競争を挑んだ小泉亜流政治の流れを汲むと見られる前原一派に、何かを期待したいのであろうか。

それにしても、今どうして日本新聞協会が自公政権時代にもしなかったようなことをするのであろうか。これまで大手全国紙は民主党と連立政権をことごとく批判してきただけに、このような「日本を元気にする」との大義名分を掲げられると、逆に疑問を抱かざるを得ない。

このような政府広報はかつて安倍政権時代の参議員選挙前だったと思うが、安倍首相と夫人が省エネ促進で省エネランプの広告塔となって新聞全段の広告に登場したと記憶している。あの時の政府広告は省エネ促進の政府広報というより、政府予算を使っての自民党の参議員選挙対策の臭いが強かったように思う。

今回は政府与党の広報ではなく、参議院選挙を控えての新聞協会による政府の政策PR広告である。政府が要請するはずもないが、新聞協会の真意が分からぬ。政府与党の新聞再販価格制度見直しの不作為を期待しているのではないかと勘ぐりたくはないが、その前に自ら李下に冠を正すようなことはすべきではなかろう。政府与党が広報すべきことである。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
厚顔の美少年
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夢、そして今

2010-03-29 07:51:47 | 民主党政権
かつて、家族同然に枕を並べて過ごしたペットたちの寝ざまを見つつ思ったのは、人並み?に犬・猫も、夢を見るのではないのかということであった。微かなうなり声や、手足などの微動。それは単なる、昼の疲れの生体反応に過ぎないのかも知れぬ。
 
では、人はどうか。その所以はともかくとして、これはもう紛れもなく夢を見る動物である。目覚めて後、その脈絡のなさやリアルさに戸惑っての少時は、頻度に差はあろうとも、大方の経験するところでありましょう。

さて、人は、覚醒しつつも「夢」を見る。その夢には、文字通りのものもあれば、現実のものとしうるものもある。
 
この国で起きた最近の後者は、世に言う「政権交代」であろうか。「老人党宣言」なる書物を著し、世にそれをと訴えて6年近く、戦後のほとんどの期間を意の如くにしてきた政党の手から、政権は滑り落ちた。
 
それは正に、「与党(当時)の候補者を当選させないためには、多少気に入らない候補者であっても最も当選しそうな他の候補者に投票する」という芯のない漠とした呼びかけ、言えば「夢」が「現実」となった出来事でもあった。

だが、である。

「与党の候補者を当選させない」というのは、「政権交代」のための絶対的手段ではあるが、交代後の担い手の、「よりましな施政」を保証するなにものでもない。まだ、前政権までの積弊に絡めとられて身動きもままならぬが実情ではあろうが、自由を得た後の何をなすかが見えてこない。

近視眼的な視点が前面に出ての<急落>ではあろう。しかし、支持率の消長は措くとしても、組閣から半年、閣僚の何ほどが「政治主導」という革命的転換期の任に堪えうるのか。「永田町でよく見た顔」が、即、「人材」では安直に過ぎはしないか。
 
つい先だっての総理記者会見でも、党・内閣とも今の陣容で突き進むと言うが、政権交代の夢成って示された現実はこの程度かという「落胆」も、大いに<急落>に作用したのではなかろうか。

「与党の候補者を当選させない」という判断基準のもとに描く「夢」の次なる幕は、もう四ヶ月も経たずに開く。さあ、あなたならどうする?

「護憲+コラム」より
百山
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対話: 裁判員制度は憲法違反か?

2010-03-26 13:10:50 | 社会問題
先日日経ニュースで、千葉の覚せい剤事件の被告側の弁護人が『「裁判員裁判は違憲」とする控訴趣意書を東京高裁に提出していたことが16日、分かった。裁判員裁判を違憲として控訴したケースは全国初とみられる』と報じていた。

記事によれば、弁護人は控訴趣意書で、『「下級裁判所の裁判官は、最高裁の指名した者の名簿によって内閣が任命する」とする憲法80条と、くじで市民が選ばれる裁判員制度が矛盾すると指摘。「裁判員制度を認める条文はどこにも存在しない」と主張している』とのことである。

これを読むと、弁護人の主張は至極ごもっともなことのように思える。これまで裁判員制度導入にあたっては賛否両論があり、いろいろ議論されてきたが、法律の専門家や行政側は憲法80条との整合性をどのように議論して、クリアしてきたのであろうか。国民には知らされていないように思う。

裁判員制度導入の経緯をウイキペディアで見ると『制度設計にあたっては、1999年7月27日から2001年7月26日までの間、内閣に設置された司法制度改革審議会によってその骨子[1]、次いで意見書[2]がまとめられた。』と説明されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6

審議会のメンバーには複数の法律学者も弁護士も含まれているからなおさら不可解である。しかしメンバー(ウイキペディア参照)には裁判官は三権分立の立場からか含まれていないようである。仮に裁判官がメンバーに含まれていれば、このような事は事前にそれなりの解釈がなされ、憲法との整合性は計られ、提訴は起こり得なかったのではないかと推察できる。

しかし訴訟が提起された今、素人が憲法80条を広義に解釈すれば、弁護人の主張が正当に思える。しかし狭義に文理解釈すれば、裁判官と裁判員は違い、憲法80条には抵触しないとの解釈も可能であろう。また裁判官も裁判員も実質裁判に携わる以上、同じであるとの広義の立場にたてば、裁判員は最高裁が「指名した者」ではなく、「くじで選ばれた者」であり、憲法に抵触すると解釈ができる。

既に裁判員制度もスタートして10ヶ月である。何れにしろ東京高裁、最高裁には裁判員制度のスタートに関係なく、正当な憲法判断を期待したい。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
====

厚顔の美少年さん紹介の下記コメントですが、被告側弁護人の主張はおかしいと思います。裁判員は裁判官ではありません。憲法80条と抵触しません。こういう訴えをする弁護士の法解釈は詭弁です。裁判員という名づけがおかしいので、簡単な法解釈もできないのです。

裁判官は官憲(憲法の)であり、国家の代理人として80条の適用を受けますが、裁判員は陪審同様に三権の埒外にあり、憲法の認める司法の民主化に貢献するものであり、憲法が委任する法制度だと解します。

>控訴趣意書で弁護側は、「下級裁判所の裁判官は、最高裁の指名した者の名簿によって内閣が任命する」とする憲法80条と、「くじで市民が選ばれる裁判員制度が矛盾すると指摘。「裁判員制度を認める条文はどこにも存在しない」と主張している。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
名無しの探偵



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東京都「青少年保護条例」の問題点(続)

2010-03-25 10:18:14 | 民主主義・人権
掲示板コラムにも書いてきたが、東京都の青少年保護条例の疑問点が更に増大した。これまで、「この条例案や児童ポルノ犯罪の改正案は、特定の個人や団体(政党を含む)の恣意的な倫理観を法令として成立させるものである」と言ってきたが、参考文献の憲法教科書(長谷部恭雄著)によれば、更に、この倫理の強制は多数による少数への圧迫となり憲法違反の疑いがあるという。

法律の制定も多数意見により出来上がるが、倫理となるとその是非は異なる。宗教倫理であったり迷信に近い倫理であることもありうる。この多数意見の押し付けという問題は重要である。

もうひとつの問題点として、東京都条例は青少年の性教育という問題をどう考えているのであろうか、ということがある。18歳未満と想定されるという漠然とした規定は憲法違反であるが、それ以上に性教育で扱われる教育内容もそのままでは条例が適用される「性表現」に該当する。しかしこれでは教育自体が成立しない。

森山元大臣のように大日本帝国の教育を受けた人間ならいざ知らず、マスメディアが発達しネットでも性表現が出回っている今日、性教育も事実上否定して古代人のように未成年者の目を覆えるとでも考えているのか。それこそ「表現の自由」が要請する「知る権利」(子供らの)を奪うことになり、憲法違反の法令ではないのか。

こうして、さまざまな疑問がつぎつぎと出てくる奇妙な条例である。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
名無しの探偵
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生方幸夫議員と小沢幹事長

2010-03-24 12:52:57 | 民主党政権
23日午後の大手新聞のインターネットニュースは小沢幹事長が生方議員と個別に面談したと報じている。その中で産経ニュースは、『民主党の小沢一郎幹事長は23日午後、国会内で副幹事長解任が決まっていた生方幸夫衆院議員と会談し、「続けてくれないか。もう一度補佐してほしい」と述べ、続投を求めた。生方氏はこれに応じた』と報道している。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100323/stt1003231347003-n1.htm

300人以上もいる民主党の衆議院議員の中から生方議員を副幹事長の一人に抜擢したのは、小沢幹事長自身なのであるから、先に副幹事長会議で生方氏の副幹事長解任が決まったとは言え、最後に副幹事長会の一任を取り付け、直接小沢氏が本人に面談したのは適切な対応であったと思う。さすがに修羅場をくぐってきた百戦錬磨の幹事長である。離党者がバラバラ出たり、副幹事長の辞任を慰留できない自民党の幹事長とは器も格も違う。

各社の報道では、小沢幹事長が続投を求めたと報じているが、しかし頭を下げて懇願した訳ではなく、生方議員の顔を立てながら、面と向かってメデイアで批判した様な発言がなされるかも試したのであろう。

一方生方議員は小沢幹事長を前にして、先にメディアで述べた様なことを言えたのであろうか。「副幹事長の続投を求められ、これに応じた」と報道されているところを観れば、面と向かって小沢氏を批判したようには思われない。せっかくの機会だったのに、どうして直言しなかったのか、小沢幹事長の存在感に口がすくんだのだろうか。

直言出来ないのであれば後ろ指は指さない方がよい。結局次期衆議員選挙で「公認を外されたくない」との自己保身と損得勘定が働いたのであろうか。これでは所詮自民党の与謝野、舛添議員同様、土壇場で逃げたと思われてもやむを得まい。

余談ながら今日の産経ニュースには生方議員の最新の姿が出ているが、ウイキペディアに掲載された若き頃の眼相との違いが分かる。しかし、今日の小沢幹事長との面談で建設的に小異を捨て大同につき、反党的利敵行為が無くなれば、「謀反人の相」とも言われる今の「三白眼」も自然に消えるはずである。斉藤道三や明智光秀も結局潰されたように、三白眼にはならない方がよい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%96%B9%E5%B9%B8%E5%A4%AB
http://ninso.aalip.jp/basyo/02_me.htm

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「サロン・ド・朔」2010年3月例会のお知らせ

2010-03-23 21:29:21 | イベント情報
3月26日(金)午後6時30分から「サロン・ド・朔」(*)2010年3月例会を開催します。

今回のテーマは「重慶大爆撃」です。

「重慶爆撃(じゅうけいばくげき)とは、日中戦争(支那事変)中の1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃を指す。中国側の資料では死者は計11,800人、家屋の損壊は17,600棟となっている。」(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%85%B6%E7%88%86%E6%92%83

2006年には被害者・遺族が原告になって日本政府に「謝罪と保障」を求める裁判を起こし、来月4月12日には第13回の裁判があるとのことです。歴史の事実を学ぶ貴重な機会です。どうぞ奮ってご参加ください。

興味のある方、参加ご希望の方は、「護憲+HP」上にあるメールにてご連絡ください。折り返し会場、ブログラム、参加費、その他詳細をご連絡します。

====
*「サロン・ド・朔」とは、「護憲+」メンバーを主軸に「SNSリアル版」のような形で運営するフリーな集まり(@東京)で、毎月テーマを決めてそれに相応しい講師をお招きし、勉強会・親睦会を行っています。

昨年以降に取り上げたテーマは以下のとおりです。
2009年
 2月: 「政局分析」
 3月: 「高齢者住宅の現状と課題」
 4月: 「食と農を自分自身のこととして考える」
 5月: 「ウィンター・ソルジャー(冬の兵士・良心の告発)」上映会
 6月: 「裁判員制度はいらない!これからが本番だ!」
 7月: 「ドイツから見た日本のKAMIKAZE特攻隊」
 8月: 「日本はアジアの友人になれるか」
 9月: 「政権交代の意味」
10月: 「元軍国少年、こんな国に住みたかった」
11月: 「鳩山民主党政権の成果と課題」
2010年
 1月: 「ベーシックインカムについて」
 2月: 「反軍少年の戦中・戦後」
====

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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表現の自由をめぐって

2010-03-23 21:06:54 | 民主主義・人権
憲法上の権利が現実に問題になる時、日本においては、不幸なことかもしれないがその権利に危機が迫っている時であると思えるのは、なぜだろうか。

憲法9条と前文の平和的生存権の問題がそうであったし、正当な理由なくして逮捕されたり身柄を拘束されない権利(人身の自由)などがずっと過度に裁判所や捜査権力から軽視されあるいは剥奪されて、被疑者、被告人の冤罪の温床となってきた戦後の歴史を想定してもらえば十分であろう。

そして一般論としても、あるいは近代の権利獲得の成果の歴史の地平からも、最も基底的な権利であるとされる「表現の自由」の問題においてもしかりである。

表現の自由、具体的には言論・出版などの自由の歴史は、概略的には市民革命の歴史を経過する中で最初に始まったと言えるが、その後の長い歴史の中で紆余曲折を経て今日に至っている。そしてそれは、19世紀から20世紀の激動の中で全く踏みにじられた苦い歴史でもある。ナチズムを典型とする全体主義の歴史を想起されたい。日本の近代史において、表現の自由は戦時中の言論統制によって窒息していたことも思い起こす必要がある。

戦後の新憲法の起草者であるGHQの戦後改革にしても、日本の言論や表現に対する厳しい言論統制が存在した。今日では映画製作は検閲を受けるということはなくなったが、戦後すぐは「ちゃんばら」などが制作禁止になっている。

歴史を振り返ればきりがないが、表現の自由は失われそうになった時に憲法上の問題になってきたようで、今回も政治権力によるあからさまな表現規制が出てきて初めてあわてているような印象が強い。

すなわち、東京都の条例改正で18歳未満と想定されるキャラクターの性的な表現を規制しようという動きである。この条例改正案は政府の「児童ポルノ規制法案」と期を同じくするものと推定される。

こちらの法案の草案に影響力を持つ森山まゆみ元法務大臣は文芸春秋で「世界に恥ずべき日本のポルノ文化-倫理なくして何が表現の自由か」と述べている。そして森山氏は買売春と児童ポルノを強引に結びつけたり、アジアなどに輸出されているポルノの8割は日本製だとして「児童ポルノ規制法」(改正案の方)をすぐにでも国会で制定せよと叫んでいる。

確かに表現の自由の標準的内容は、歴史的にも、民主主義の根幹を支える政治的な主張だったり思想の表現だったりしたことは間違いない。従っていわゆる「猥褻表現」や経済的な表現(商業広告)は、ダブルスタンダード(二種の基準の法理)によってある程度の規制を甘受するべきものとされてきた。

しかし、猥褻表現などの規制は、マスメディアの発達や国民の倫理観念の変化によって規制内容も変化してきた。そして憲法論においても表現の内容を規制する場合には(違憲審査における)厳格な審査に服すると解釈されている。こうした社会の倫理観念は、権力者の倫理観とは別であり、森山まゆみ氏が言う「倫理」観念とはほとんど重ならないであろう。(氏が10代の時は戦前なのである。)

こうした法の立案者の倫理観で規制立法が出来上がるとすると、明確に憲法上の権利と衝突する。つまり、上記の厳格な審査に服するということから、表現の自由の規制根拠に個人や特定団体の主観的な倫理観を据えることが禁止されるのである。

表現の自由を規制する正当な理由としては、名誉毀損行為とか明白なプライバシーの侵害行為とかが基準として妥当な理由になりうる。しかし、漠然と猥褻表現であるとか下品な表現であるとかの理由は、正当な規制根拠になるとは解釈できない。

問題なのは成人を対象にした猥褻文書や絵画ではなく、青少年向けや青少年を被写体にした文書の問題である。東京都の条例などは、青少年の健全な育成を錦の御旗にして、猥褻文書ではなくても性表現なら規制できるとしているが、疑問である。猥褻文書ではないのであれば性表現でも表現の自由として認められるのであり、こうした青少年の保護という表向きの倫理観から表現の内容に規制を加えることは、憲法違反となるのである。

なぜなら、たとえ思想の表現ではない文芸的な表現であっても、権力者の倫理観念による規制は表現の自由を踏みにじるものであると解するからである。この判断の根拠となる法思想として、法と倫理は明確に区別するべきであるというものがあり、私もこの考え方を妥当だと思う。

倫理というものは個人個人微妙に食い違っているし、特に政治権力の考える倫理観を法の立法目的に据えることは、歴史的にも疑問が大きい。日本の戦前にあった天皇制国家の倫理観(忠孝倫理など)を考えれば納得できるだろう。そして、実際に政府は教育基本法を塗り替えて、国家への愛(忠誠)を要求しだしたのである。

立法は憲法の基本的人権などの価値を具体的に尊重し、国家的な道義という倫理から立法するべきではない。その意味では、刑法の猥褻物頒布の罪も、裁判官の倫理観や検察の倫理観を違法判断の根拠にするならば、憲法違反の法令解釈となり違憲である。

まして、今回の児童ポルノ法案における「単純所持」や非実在青少年という18歳未満のキャラクターの性表現の規制条例は、単なる政治権力の倫理観念を法令に盛り込んだ恣意的な規制であり、憲法31条にも違反する。つまり、表現の自由に反するばかりか憲法の保障する「適正手続き」をも逸脱する立法なのである。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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普天間基地「移設」ではなく「基地縮小、廃止」を

2010-03-21 11:17:19 | 安全・外交
素朴な疑問です。
社民党はどうして「普天間基地移設」というのでしょう?
「基地縮小そして廃止」が目標ですと言って欲しい。
与党にいるので「現実的」に考えるとそうは言えないということでしょうか?
街中でのシール投票の結果では圧倒的に基地は「どこにもいらない」という声が多かったそうです。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
コナシ&コブシ
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クロマグロ禁輸否決

2010-03-20 19:59:29 | 社会問題
下馬評では、クロマグロ禁輸は賛成多数で日本等は不利と報じられていたが、一夜明けて19日の朝刊を見ると大差で否決されていたので驚かされた。近年メディアの国際会議の議決予想がこれほど見事に外れた例はないであろう。NHKのニュースでは、中国が日本案の賛成にまわり、アフリカ等の発展途上国を引き込み、日本案に同調させたと報じられていた。

最近中国は資源外交でアフリカ等の発展途上国にいろいろな援助をして急接近していることは周知の通りである。その力をまざまざと見せつられたと言うことであろう。結果的に日本の消費者や漁業関係者や日本政府は、中国の日本案への賛成で救われたと言っても良い。

勿論日本の農水省の外交努力もあったであろうが、中国の同調なくしてこれだけの大差でモナコ案とEU修正案が否決されるはずがない。それは現地の日本政府関係者が悲観的な予測をして、それが日本で直前まで報道されていたことでも窺える。

それでは何故中国が日本案の賛成にまわり、アフリカ諸国を説得したのであろうか。小泉首相時代の険悪な日中関係ではあり得ないことである。やはり民主党政権になり、小沢訪中団が友好関係を深めていたことも無視できない。特に今回の国際会議はこれまでことごとく歩調を合わせてきた欧米と日本が対峙して勝利したところに、これまでの国際会議との大きな違いがあり、新たなエポックになりそうである。

「護憲+BBS」「各国の動きに注目する」より
厚顔の美少年
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