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偏愛と放浪の記録

福井晴敏を読んでます #2

2005-02-10 00:47:42 | 【書物】1点集中型
 昨日のエントリで書いた「終戦のローレライ」について補足。
 1巻の解説(藤田香織氏)を見ると、そもそもが「映画化を前提に」書かれた作品であるそうな。確かに映画のオフィシャルには「コラボレーション企画」という言葉も出てきていたなぁ。
 しかし、それにしたって2時間の映画なのに文庫4巻分って……とか思ったが、こういう企画って、原作(という言葉は、今回の場合語弊があるが。原案は監督と共同ってことみたいだし)を忠実に再現することを映画に求めちゃ本当はいかんのだろうなあと、今さらのように思ってはみた。が、「福井作品」に魅力を感じる私としては、どうしてもその「福井作品の魅力」を伝える映画であってほしいと思うわけで、そうなるとやっぱり「映画」という手法でどこまで「福井作品」にある「人間」を描き切れるのかという不安は依然として残るわけだ。

 まーこれを言うと「ローレライ」と「亡国のイージス」という2つの映画はスタート地点が全く違うということになるので、そもそも両方を同じ視点で見てしまっている私もいかんなーとも思うのではあるが。
 1つの物語を読みながら、魅力的なキャラクターを見つけてしまうと、思わずサイドストーリーを考えてしまったりパラレルワールドに飛んで行ってしまったりする癖がなきにしもあらずなのだが、小説と映画の関係というのも、そういう風に捉えてしまえばなんてことはないのかもしれない。
 なので、全く別物として捉えればいいのかなと思いつつ、しかしそれって「映画化」しました! って言う意味があるのか? とも思ってしまったり。なんだろうなぁ、たとえば漫画で原案と作画が分かれているとどーしても作画者の印象が強くなってしまって原案者を忘れそうになる、あの感覚に近くなるのが嫌なのかな。ましてそれが自分が好きな作品の映画化だとしたら、やっぱりより以上のものを作ってもらってこそ満足するもんだと思うし。

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