Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

硬いカードに柔らかいゴム

2009-12-18 | 
冬タイヤに替えて一安心である。ゴムが柔らくなっただけ乗り心地が良く、そのために買い換えた高級感溢れる走行感は夏タイヤよりも素晴らしい。しかしこれも暖かくなってくると頼りなくなって、夏タイヤの走行感が懐かしくなるのだろう。道路上も幹線道路を外れると凍結している場所もあり、夏タイヤならば冷や汗を掻くとわいと思いながら走らせるのがまた嬉しい。後輪を買えるときにブレーキパッドの磨り減りが発覚して、余分な金が掛かったのは仕方ない。

部屋着が破れて一年振りにジーンズを購入する予定があったのだが、予感通りその店は潰れていてがっかりした。昨年の秋に久しぶりに見た店のオーナーのおばさんが老けたなと感じたことに関係しているだろう。

昨年もネットでの購入も対抗馬として考えたが、これで仕方なくネットでサーチすることになった。どうも2008年の暮れからレーヴァイスの501シリーズは再び細身になったとWIKIに書いてあり、現在と同じ大きめのそれも安売り中のワンウォッシュの色を注文した。衣服をネットで購入するのははじめてでありどうなるかと思うが、サイズに関してはもう一回り小さいものしかないので、恐らく問題ないだろう。

そして昨日は、百貨店で下着を漁った。残念ながら特別な安売りはなかったが、使えるものは買えただろう。そしてなによりも、財布を八年振りほどで買い換えた。クレジットカード挿しが緩々になって紛失を恐れたからである。

その一つ前に使っていた12枚ほど入るブランドのものやら色々と比較したのだが、結局現在の形のカード挿しの多い同じブランドのものを選んでしまった。カードを挿してから、予想以上に膨らむことに気がついた。なるほど他の横に並べる方法なら最大六枚の重なりしか出来ないが、現在の形なら八枚にの重なりが出来る。

あれやこれや試しながら結局至った考えは、常時携帯するカードと車の中に放置するそれとを区分けする事にした。先日までのカードの枚数よりは減るが、一つ一つのカード八枚に絶えず眼が届いて、紛失する恐れはこれで無くなる。その中で実際に頻繁に使うのは精々四枚であり、カード携行と小銭に少々の札ならばこれで十分だろう。証明書類もこれで十分だ。以前のものよりも早く壊れるかどうかはその使い方によるだろう。ジーンズのポケットがもっとも居心地の悪い場所に違いない。購入価格もその素材の割には納得出来た。膨らんでいる分、胸を刺されても撃たれても生存の可能性は高まった。心臓保護である。



参照:
ロールスロイスで雪道を思う 2009-12-15 | ワイン
準備なく冷え出しそうな日々 2009-12-12 | 暦
中華料理でも作ろうか 2009-10-14 | ワイン
褌を締め直して車を走らせる 2009-04-09 | 雑感
柔らかいゴムの心地よさ 2008-11-08 | 暦
ど真ん中にいる公平な私 2007-12-04 | 女
再び安全なゴム使用の話 2006-11-26 | 雑感
季節間の溝の深さ 2006-10-31 | 暦
完全自動走行への道 2005-12-02 | テクニック
バイエルンの雪景色 2005-11-22 | アウトドーア・環境
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大きな舵きりの象徴的ご真影

2009-12-17 | マスメディア批評
FAZ紙に習近平と明仁天皇の大きな写真が載っている。そこでは小沢の要請による緊急会見とあるが、その事実関係は分からない。小沢の背後に誰がいてどのような利権が働いているのかは兎も角、この写真の意味するものは大変大きいだろう。

それを間接的に説明するかのように、合衆国との食い違いが明白になってきたとして、既に同紙で感触として伝えていて、火曜日の鳩山首相の会見で明白となった普天間基地問題の参院選までの先送りを報じている。

ソフィア大学教授のザーラー氏は、鳩山のアジア構想として今回の相互交歓を、両国にとって重要な関係改善として捉える。

要するに日本新政府は新しい外交へと大きく舵を切ったのだろう。小沢一行の示威行為もさることながら、やはり上の写真は象徴的に思えるがどうだろう。つまり北京にとっても日本が孤立するようなことがあれば中国としての面目や影響力を損なえることになり、鳩山アジアン共同体構想における中国の指導的立場への東京の配慮を受け入れたものだと観測している。

同時に、野党が批判するようにその自民党の中で「その関係」を育んだ小沢によってごり押しされたとする尋常ならざる面談に、2020年には倍増するとされている両国の経済関係や2015年前に三十億ユーロと五倍に増進する売り上げを目指すセヴンアイグループの進出も、「交易ならず単一市場の需要」と強調する直嶋正行が率いる経済産業省の影も垣間見えているのだろうか?これが、EUや他の諸国に与える影響は計り知れない。

その証拠に北京で「古い友人」として歓待された小沢は一切中共の「人権問題」に触れていないと、こうした全体像を暗示しているのは、ヴィーナー新聞特派員フリッツ・マルティンである。



参照:
Chinas Vizepraesident bei Kaiser Akihito,
Okinawa-Entscheidung verschoben, Petra Kolonko, FAZ vom 8.12.09
Tauwetter zwischen China und Japan, Die Wiener Zeitung vom 8.12.09
Japan und China Audienz beim Tenno, Martin Fritz, F.Rundschau
天皇制廃止も目前の敗北感 2009-12-16 | 歴史・時事
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天皇制廃止も目前の敗北感

2009-12-16 | 歴史・時事
FAZに「落陽の日本」のことが書かれている。上手に纏められているが、それだけに内容が悪く政局の見通しが利かない。要するに合衆国と中共の間で戦略的な態度を採り出した日本の立場を説明している。

合衆国での景気回復がそのまま日本の経済に油を注ぐこともなくなり、今後は経済的にも中共に遅れをとることは確実であるが、既にその分お零れを貰える体勢は出来ていると言うのである。

まさに、そうした国際社会的な状況を顕著に表わしたのが、国民に人気の無いバリバリの共産党の支配階級出身である習副主席を次期主席へと東京から後押しするためにと、明仁天皇との会見の特例のセッティングであり、小沢天皇御一行の胡主席参拝のデモンストレーションだったようだ。

その後の小沢幹事長の会見に、大多数の日本国民が怒るのは尤もである。なによりも大変微妙な象徴天皇制の脆弱な姿を曝け出し、さらに大国の元首の前では如何にも飾り物にもならない日本の象徴の貧弱さ見せつけたからに他ならない。

我々共和制の立場を取る者にとっても、小沢のような国民とまともな言葉でコミュニケーションをとることが出来ない政治家の権力者しか生まれないような社会文化程度では、韓国のそれとそれほど変わらないとしか思われないのである。共和制への移行は、出所や信仰や人種況してや経済的な貧富がその社会的立場に影響を与えない社会の構築が基本である。そうした社会創りが外国人の参政権問題よりも一般的で高位な問題であることは自明の理である。

さらに中共への貢物や賄賂によって国内での権力を強化した方法は、田中角栄ファミリーの金権体質そのものであり、また朝鮮との関係から歴史解釈や移民法などの堅実な手順を踏まず参政権をごり押ししようとする姿は、まるで同じように権力コンプレックスの塊であったヒトラー総統のポーランド懐柔政策にも似通っている。そうした政治家が民主主義を説教するのを聞くと片腹が痛い。

その実、日本国民が殆ど歴史的な屈辱感を得たのには、宮内庁などの訳の分からぬ官僚組織の存在に光を当て、御簾の奥深くまでにスポットライトを当て、その足元が照らされて有難味が消えて去った喪失感ゆえに違いない。象徴天皇制を支えているのは、小沢幹事長が嫌う一神教のそれとはまた別の多神教の世界観でしかないからである。

唯物主義的シュピーゲル誌のネット配信の小記事には、件の小沢発言がコメント無しに扱われているが、ユダヤ教を敢えて除いたイスラム教と寛容のキリスト教に批判の矛先が向っている事に奇異な感じが表徴される。

中共との親密さを誇示することで戦略的に合衆国に対して有利な立場を築こうとするのが鳩山政権の基本外交政策であろうが、実際に裏面で行われていることは日中友好条約締結時の朝日新聞などが率先として諮った友好ムード外交とそれほどかわらない様にしか見えないのだがどうだろう。お座なりの人権批判にしても、海底ガス田開発問題にしても一向に具体的な政府間の交渉は進まずに、背後では金や権力が積み重ねられていることは間違いない。共産党とはそうしたものであるのは言うまでもないだろう。

明仁天皇の健康状態を考慮すれば天皇の退位なども法制化すれば良い訳で、其処まで来れば天皇制廃止ももう一息である。今回の特例面談は日本史に残る大事件となるのであろうか?

新聞に再び目を遣ると「革命家」の古川元久や防衛大臣、合衆国なども微々たる基地問題は参議院選挙でさらに民主党の政権基盤が強化されれば自ずと解決すると楽観しているようだが、万が一噂のように鳩山内閣が崩壊して、小沢幹事長に更に権力が集中した時に誰がその首に鈴を付けられるのだろう?

今日からすれば安倍元総理などが試みた政治姿勢が如何にこうした「現実」を国民の目から隠して、「有難味」の中で自らの利権を肥そうとした政治であるかがより一層明らかにされることになった。だから古川元久は、「国民は従来の政治にへきへきしているんですよ」と余裕を見せられるのである。



参照:
Mit den Revoltionaeren gegen die Abstiegangst, Klaus-Dieter Frankenberger, FAZ vom 15.12.09
醜悪を隠す被り物を取れ 2009-11-14 | 歴史・時事
条件付の理念などとは? 2009-10-30 | マスメディア批評
政権交代の究極の目的は 2009-08-16 | マスメディア批評
民主主義:GHQインジェクション (恵比寿法律新聞)
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ロールスロイスで雪道を思う

2009-12-15 | ワイン
雪見酒としゃれ込んだ。寒いので昨晩食後に開けた赤ワインのロールスロイスと呼ばれるポメロールを昼から引っ掛けた。そのように書くと如何にも幸せそうなアトフェント第三祝日となるが、そうではない。

先ずは飲むワインも切れて手ごろなものがなかったのと、食事もなく、週明けに生き延びるのが思いやられたからである。先ず冬タイヤがないと路面が乾いているか温度が上がらなければ出かけられない。

仕方なく既に期限切れの1993年産のそれを開けたのである。ポメロールで最も大手のシャトーであるため最初から特別に感心もしなかったが、軽い土壌のためかタンニンも弱く最初から楽しめたのである。そしていま開けると、これほどの年月に限らず殆ど味は変わらない。流石にロールスロイスはオールドタイマーになってもロールスロイスである。

しかし、サンテミリオンのワインはある程度のものならばどれも長持ちして、何時までもフルーティーな良さがあるので、態々「場末のポメロール」を選ぶ必要がないと確信している。

週が開けて天気予報通り、雪も降らず、気温だけが零下六度ほどになったが、道路は乾いてきた。しかし明日以降は若干の放射冷却も手伝って、零下七度まで下がりそうである。そうなると夏タイヤで走る事は極力避けたい。

なんとか八百屋にいって生鮮食料品を仕入れて帰ってくると、ニンジンの入っている筈の袋の中身がごっそっと抜けていた。改めて往復十キロ以上を車を走らせて回収して来た。通常ならば電話を掛けて後日清算させるところだったが、今日はそうはいかなかった。

幸運にも水曜日の午後には冬タイヤに替える約束が出来た。午前中には走りたくなく、水曜日の午後にはマンハイム周辺で用事を一挙に済ませられると嬉しいのだが、さてどうなるだろう。
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聖なるかな、待降節の調べ

2009-12-14 | 
「冴えない演奏」のCDの感想を書こう。五枚組みの廉価CDの一通りを回した。その中でもお目当てのロ短調ミサを先ずは集中して愉しんだ。

この曲の実演は数年前に現代の管弦楽団で聞いたものが最後であるが、もしかしたら90年代の初めにヘルヴェッヘ指揮のゲントのアンサンブルでも聞いているかも知れない。いやもしかすると、あまり関心がなくて聞きそびれている可能性も強い。

大バッハの最後の作品の一つであり、パロディーミサのように嘗ての作曲を当て嵌めたりしているのでその作曲過程も定かでない。最新の成果としては、2007年ベルファーストでの学会でバッハ博物館の所員が発表したドイツ帝国ボヘミア王の影響が挙げられている。チェコの文庫から最近明らかになった書面がそれを裏づけしているようだ。

いずれにしても晩年の「ゴールトベルク変奏曲」や「フーガの技法」なども特定の機会音楽の枠組みから越えている面があり、特にこの曲の場合は死後の発表のために息子のエマニュエルバッハの影響なども疑われるほど、当時の最新の音楽芸術文化に近づいている面がある。要するに近代音楽の音楽会場での演奏に適した編成や内容をもっていて、恐らく憧れを抱いていたであろう同時代作曲家のヘンデルやテレマンの都会的な文化への近親感も感じられる。実際に、当時の都会であったライプチッヒのカントールの立場にも嫌気がさしていた背景には、「輝いた世界」に住んでいるとはいえなかった自らの立場を顧みる気持ちもなかっただろうか?

それにも拘らず、出来上がった作品は、他の受難曲のように死後百年間は忘れ去られた歴史もあるようだが ― 当然ながら当時の売れっ子作曲家のエンターティメント精神に満ち溢れた作品とは競合しようがない ― 、ロマンティックな感興を以って二十世紀には音楽会場でベートーヴェンの「ミサソレムニス」同様に演奏される曲となったことは、その曲の性格からして当然であろう。

さて、このCDで聞かれる演奏実践は、歴史的楽器と呼ばれる復元された楽器で演奏される実践のそれもグスタフ・レオンハールトの切り拓いたそれの流れを汲んでいて、オランダやベルギーの楽人に共通するものも強いが、それ以上に現在この指揮者の手兵のアンサンブルがフランクフルトの聴衆に受け入れられている基本がそこ明白に聞き取れる。

たとえばクレドにおけるツービート張りの乗りも見事で、オランダの白けたそれやルネ・ヤコブスとも異なり、現在の欧州の各地の共同体で歌われるポップな音楽に馴染んだ人々の乗りそのものが其処にある。まさにそれが音楽文化なのである。だから必ずしもドイツ的なリズム運びで無くとも受け入れられる要素となるのである。そして文化とは金を積んで娯楽に買うものでも無いのである。自らが育んでいる文化などに金を積む馬鹿は居らぬ。

もう一度大バッハに戻ると、この曲の成立の細部は別にして、こうした曲を作曲するという行為は、丁度京の手の込んだ錦糸を織ることに一生を捧げた職人が、晩年になって大芸術作品の製作に手を出したような按配ではあるまいか。

待降節におそらくボヘミアで演奏されたというサンクトュス二部の「主の栄光は大地にみつ」と歌う三拍子 ― もしくはグローリア終曲で聖霊と共に謳われるとき ― のスイング感覚もタップリと愉しめる素晴らしいCD である。合唱の対位法的な扱いにも現在からすると若さがみられる反面、シンコーペーションの扱いなどは今日と変わらず上手に処理しているには違いない。こうした演奏を聞くと、同じようにミサ曲を作曲しているベートヴェンのそれよりもレナード・バーンスタインのそれを思い起こさせるから面白い。

なるほど、ネットで聞き比べをすると、新録音の方は ― 実演でのこの五年ほどのこの合唱団の進展を物語るかのように ― 遥かに精緻さが増して完璧な演奏であるが、管弦楽団はその新録音の様には実演では巧くいっていない。寧ろ、この客演している啓蒙時代管弦楽団の演奏の方が、恐らく録音プロデューサーの意図も働いてか、思い切った指示が与えられている分だけ面白い演奏になっているかも知れない。


聞き比べ試聴:
鈴木盤、なにも六拍子でなくても間が持たなくせかせかしている。欧州からの歌手も早く帰りの飛行機に乗るのでせわしい感じ。なによりも根を詰めたつくりが鬱陶しい。こんな精神文化なら直ぐにでも逃げ出したくなる。但し音感とか音色に神道的な白木の清楚さが感じられる。

上で愉しんだヘルヴェッヘが指揮した「冴えない」廉価盤

ミンコスキー盤、この誤まってキリエに張られたリンクは実はクレド。綺麗であるがここまで骨無しにしてしまうとフランクフルトでは受け入れられないのではないか?更にコルボ盤などにも似て拒絶される要素も多い。

コルボ盤、特にこうした宗教音楽ではスイスの特にフランス語圏となると全く文化圏が甚だ異なると思い知らされる。バッハ音楽実践としては旧世代でしかない。

ブリュッヘン盤、 器楽奏者だからか鈴木のように生真面目な演奏。やはりここまでやるとどうも居心地が悪い。古楽演奏としては折衷的であり、やはり古臭い印象は免れない。

アーノンクール盤、流石に大変立派であるが、そこまで力まないでもと思わせる。そうしたところが子供っぽく見えるのが戴けない。

ヘルヴェッヘ新盤、既に触れたが最新の状況がここに良く捉えられている。

クリストファーズ盤、英語圏の演奏実践が表れているのだろうが、やはりどうしてもこうした解釈は音楽が荒くなる。

ヤコブス盤、些かオペラ的な趣となっている。これならばアーノンクールの方が良いかも知れない。

ヘンゲルブロック盤、流石に良く現状を押さえているが、演奏実践の慣れや対位法的な扱いにはもう少し見解を示せても良いのではないか?アーノンクールを意識してか、もしくは鈴木と争そって其処まで力む必要はないだろう。

ガーディナー盤、いつものバッハ節であるが、、、、

レオンハールト盤、ここに一つの流れの源がある事は間違いないだろう。

リヒター、ミュンヒンガー、リリング盤についてはもう触れないが、どれもクレンペラー盤などについてと同じようにこうしたロココな音楽作品では歴史化がより早く進んでしまった。ある程度年配のそれも古い録音などを愛好している者は知らぬうちに百年近くの時の流れの中においておかれて仕舞って、自分か生きていた時代が其処にないことに気がついて愕然とするかも知れない。たとえそれが受身の芸術需要だとしてもまるで己が生きていなかったのと同じなのである。そうしたあり方は、歪な文化需要であり、古い期限切れのワインを飲んで悦に入る「たわけ者」となんらかわらない。

楽譜:Mass in B Minor, BWV 232 (Bach, Johann Sebastian)



参照:
知的エリートの啓蒙芸術 2008-03-17 | 音
それは、なぜ難しい? 2007-11-10 | 音
中継されるミスティック 2006-12-26 | 暦
正統的古楽器演奏風景 2005-11-13 | 音
バロックな感性の反照 2008-03-23 | 音
大バッハを凌駕して踏襲 2006-02-22 | 音
偉大な統治者と大衆 2005-10-14 | 文化一般
賢明で理知的なもの?! 2005-02-25 | 歴史・時事
社会性の高い放送文化とは 2009-12-10 | マスメディア批評
安売り音楽の品定め 2009-12-04 | マスメディア批評
グッスリ二度寝をして気付く 2009-12-05 | 雑感
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必要悪の民主的行動の正統性

2009-12-13 | アウトドーア・環境
平和賞受賞時のオバマ大統領演説が話題になっているようだが、あまり関心は無くそれを聞いていない。そもそも大統領は平和運動家でもなんでもないので演説主旨は最初から分かっている。しかし、選考委員の中には失望したものもいるようで、その賞の如何わしさすらが強調される。

そもそもイラク戦争にしてもその見切り発車の手続きが拙かったのであって、フセイン政権への圧力や武力の行使自体には全く問題がなかった。あまりにも子ブッシュ政権が幼稚で稚拙な政策しか執れなかったのが悪かったのであって、フセイン王政やタリバンは、大統領が主張するように武力を用いても取り去る必要があるだけの悪質なものである事は間違いない。「ヒットラー政権を見逃したために無駄に人命を奪った」ことからすれば、自らを顧みず起こるべき危険を取り除く行為は必要であるに違いない。

そして更に言及しているように、敵がどのような手段を使おうが、拷問などの人道に反する行為はしてはならず、ジュネーヴ協定を尊重するとする立場は正しい。その一貫として、通常兵器を越える非人道的な武器の使用を根絶して行くことが肝要である。但し現実には敵がいる限り本当に実施できるかは不明である。その証拠に中共の核武装ですら排除できるかどうか疑わしい。

非人道的な軍事行為は、たとえ望まなく発生することは、アフガニスタンでのドイツ国防軍の誤射で証明された。それも秘密精鋭部隊がその行動に関わっていたことが判明して、その行動自体がかなり「危ない軍事行動」であったことが明らかになった。効果的な軍事行動とは、そうした非人道的な行動を自ずから含むことを認識すべきであろう。

要は活発な民主的な議論がなされることで正統性が確保出来るのだが、その意味からオバマ大統領の基本姿勢は、内政における必要悪の死刑を認めているのと全く同じように、世界秩序においても同じ必要悪を示しているに過ぎない。

EADS社の大型軍需輸送機A400が処女飛行に成功した。戦車やヘリコプターなどの大型物資や落下傘部隊などを大量に遠くに輸送出来るようだ。プロペラが付いていて、砂漠の小さな780Mの滑走路でも着陸できるため、世界の治安維持に大いに貢献しそうである。



参照:
トンカツで流感感染に備える 2009-11-21 | 生活
条件付の理念などとは? 2009-10-30 | マスメディア批評
怠け者は旨い汁を吸わない 2009-08-29 | マスメディア批評
とても攻撃的な話題 2008-12-19 | 雑感
WIR SIND OBAMA 2008-07-27 | 歴史・時事
誤りの自覚と認識 2008-06-29 | マスメディア批評
人命より尊いものは? 2007-12-06 | 生活
死んだ方が良い法秩序 2007-11-21 | 歴史・時事
秩序破壊的実力行使 2007-06-21 | 生活
テヘランからの恋文 2006-09-15 | 文学・思想
失敗がつきものの判断 2005-12-13 | 歴史・時事
ポストモダンの貸借対照表 2005-09-02 | 歴史・時事
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準備なく冷え出しそうな日々

2009-12-12 | 
今晩辺りから本格的に冷えるらしい。知っていれば冬タイヤをつけているところだったが遅かった。来週一杯も摂氏マイナス十度近くになるようだ。

こうなれば乾いているか暖かいうちに出来る事は済ましておかなければいけない。先ずは明日あたり野菜などを買い足しておこう。明日のフランクフルト行きは安全性を考慮して断念した。

来週も夏タイヤでの朝晩の走行は避けたいものである。月曜日に交換のアポイントメントを取ってから出かける計画をたてなければいけない。

午前中は雨が降って冬らしくないと思ったのに、ここ数日間は小雪がちらつくかもしれない。それでもこの辺りでは、地面も冷えていないので当分は積もることはないだろうが、放射冷却現象が起こるであろう来週以降は危ない。
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タイマー仕掛けの冷蔵庫

2009-12-11 | 生活
冷凍庫に入れていた葱の刻みがべとついているに気が付いた。それでもサーモストタットが故障したあとに使っている電源タイマーの不具合か、外気温に対応できない出来の悪い冷蔵庫のためか判らなかった。

夕食の仕度にワインを入れておくと汗を掻いていて冷えていない。どうも地下の方が温度か低かったようだ。タイマーの電池が切れていた。それでも冷凍室の氷は融けていない。厨房には暖房が入っていないので氷室には丁度良い温度なのか。

早速電池を取り替えて夏時間から冬時間に戻して、タイマーを調整した。一日に二時半から六時までと、九時から十時まで、十三時半から十五時まで、二十一時から翌日の一時までと、都合十時間近く電源が切れる様にしておいた。

これで霜の発達も無く冷える過ぎることなく、生温くなることも無ければ良いのだが、また都合が悪ければタイマーを調整する。

電気代は掛かり、温度変動も大きくなるのでサーモスタットを直す必要がある。一度ネットで部品を見つけたが、必ずしも安くなく結線もしないといけないので未だに直していない。しかし、上のような使い方をしていてもコンプレッサーもガス漏れもしていないようなのでまだ使えそうである。やはり部品を調達するべきかと考慮している。
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社会性の高い放送文化とは

2009-12-10 | マスメディア批評
経済欄に視聴料のことが触れられている。州知事達は、「TV受信機があろうが無かろうが、視聴料を満額払わせるべきか」議論すると。

要するに現行の規定では、ラジオかインターネット一台に付き約三分の一の5.76ユーロ徴収していたのだが、この「割引」を廃棄すると言うことになる。自身一時はTV無しで支払っていたことがあるのだが、自動車のラジオなど「隠せない」ものを入れると直ぐに三台ぐらいの料金を払わなければいけなくて、TV無しの意味が無くなっていた。さらに小父さんが不意に訪ねて来たり絶えず圧力が掛かっていたのである。

その後TVをみようがみまいが一般的な料金を払うと、「大衆」の中に隠れてしまってなんら触手を伸ばされることが無くなった。しかし、新しいTV受信機を買って以降殆ど観る事は無くなってしまった。

もし、一律に満額を支払わせるようになると余計にTV離れに拍車を掛けるような気がする。そこで、従来の延長上に徴収システムを措き、TV受信機がないことの証明を聴取者負担でさせるようになるだろうとされている。

公共放送局とは利害関係もあり、今後とも忠実に受信料を支払って行くだろうが、TV受信機の前に習慣的に座るような生活は二度と戻って来ないとTV世代の人間は確信している。

それは、青少年時分に一生分の時間の視聴をしたということもあるかも知れないが、当時視聴正当化の弁明として掲げていたTV情報と社会性というテーゼが否定されたことが最も大きいだろう。



参照:
聴視料徴収に検察権力発動 2009-03-19 | マスメディア批評
役目終えたTV放送の私物化 2009-03-01 | マスメディア批評
黒い怨念と恍惚の絶頂感 2009-03-26 | マスメディア批評
伝統文化と将来展望 2004-11-13 | 文化一般
ああ、私の愛しいお父さま 2007-01-27 | 雑感
上げよ、怒りの雄叫びを! 2009-03-29 | 歴史・時事
綾織の言葉の響き 2005-04-12 | 音
山形交響楽団を応援します~事業仕分けでオーケストラの危機! (電網郊外散歩道)
征爾さんと一郎さんのやりとり サティ作曲、ジムノペディ第1番、第3番(ドビュッシー編) (yurikamomeの妄想的音楽鑑賞)
翻って日本の市民オーケストラは…… (考える葦笛)
事業仕分けで日本のオケの危機について。 (クラシック音楽 快楽派宣言!)
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殆ど予想通りの昨日の今日

2009-12-09 | 生活
本日は試飲をする予定でいたが、キャンセルとなった。出かけるために急いで片付けものをした。また、昨日配達されなかったCDを受け取った。

最も予定が狂ったのは昼食であって、外食で肉気を食する予定であったのだ。そのために週末から調整をした。仕方ないので夕食は、ザウワークラウトに肝臓挽肉団子とした。

もう一つ困ったのは今晩のワインであろう。何回も飲もうとして冷やしたりしていてエチケットが剥がれているホッホハイムのキルヘンシュトックのアウスレーゼの92年ものにした。特に甘いものを欲していた訳ではないが、他の在庫が尽きて来ている。

CDの方は仕事をしながら流していると、予想通り、同じ団体の現在の演奏実践と全く変わらない。此方がその遣り方に慣れただけなのである。ソリスツなども重なっている東京の専門団体との芸術的な差異を、その想像する姿をどうしても考えてしまうのだが、その間隙に音楽芸術文化が存在すると信じている。エンターティメントならば社会がそれを援助する必要など皆目無いのである。

リースリングの方は、辛口よりも甘口に向いているのかも知れないその重い土壌を反映していて、糖が落ちるでなく薄っすらとトロミもあって清涼感は殆どない。アルコール8%でもそれほど飲めない。これから長く置いておいても結局バランスがよくなることはないと、これもまた予想通りだった。態々こうしたものを古酒にして飲むのを愉しみにしている人もいるがどのような味覚をしているのか訝しく思う。そのように愉しめるワインなどは十年に一度の一品であって普通の人はなかなか巡り合えない。
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本日天気晴朗なれど午後霧深し

2009-12-08 | 雑感
朝から忙しかった。午前中は室内に暑いほどの強い光りが射し、午後、暫らく散歩することが出来た。今年はとても暖かい。その強い陽射しも、帰る頃には霧が出てそれに包まれてしまった。

駐留英国軍のライン地方からの撤退の圧力が、英国議会保守党を中心に強くなっているようだ。縮小に縮小を重ねて現在はそれほど大きな部隊ではない様だが、それでも基地の存在は地域経済に大きな影響を与えている。自治体ととても良い関係が駐留軍家族などとも築かれているようだ。

英国軍がどうしても駐留する必要は、戦車部隊が本国では訓練できる場所がないと言う切実な問題があったようで、そのような地形を持つライン河の駐屯地は重要と言われる。

冷戦終結後はNATO軍としての役割分担が任務であり、出来る限り有効な軍事的投資をしたいという思いから撤退に拍車をかけていると言われている。その役割を今後担うのは東欧のNATOの軍隊であるとされている。

兎に角、ここ二十年ほどで米国軍の撤収などが相継ぐ前のこと、当時出来るだけ軍属の住んでいる自治体には住みたくないとヘイデルベルク方面から転進して現在の住居も探した。なにもテロ騒動が無くともやはり軍属や基地の周辺は住環境が悪くなる。

ここ十年ほどで最も酷い事件は、テロ騒動でもなく、ダルムシュタットで起きたハイデルベルクのヘンリー基地の軍属の子供がやらかした殺人事件だろうか。七歳と八歳の三人の子供達が、高速道路の横断陸橋からスイカ大の大きな道路の踏石を高級車のフロントグラス目掛けて、爆弾ごっこをして計り投げ落としたと言うものである。その結果、二十歳のBMWを運転した女性とメルセデスの女性などが死亡し、同乗者にも重症を負わせた事件である。判決は、被害者の無意識を狙った未必の故意の殺人として裁かれて、少年らは本国へと強制送還となった。

合衆国の遠縁の海兵隊の夫婦が沖縄にも駐屯していたこともあり軍属に対しての偏見はないのだが、上のような子供の行動はやはりそうした特殊な家庭環境や教育によるところが多いと思った。
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歳月を重ねて熟成するとは

2009-12-07 | ワイン
フォン・シューベルト醸造所の古い葡萄の木から造ってある遅摘みクラスのリースリングを開ける。2008年産の特徴の分厚い酸が天然酵母の甘みで丸くなっていて、アルコール化する段階で十分に残した甘みや、苦味を放つ青スレートのミネラル風味と三つ巴の味のバランスとなっている。アルコール度も谷のワインとしては11パーセントと適当なのであるが、その醸造の方向から細い肢体をコルセットやパッドで補っているようなアンバランスがある。現時点では残糖感もあり、ブックリと短身で下膨れでどうみても見栄えが悪い。天然酵母であるから酵母臭も強いが、緑色の瓶やエチケットの風情そのものに、痩躯で小粒なりに味や旨味を放っている。

客観的に採点すれば、同じ地所から出来たアプツベルク2007年キャビネットの秀逸さに比べて、水太りしているような印象は却って隠されている苦みを不愉快なものとするだけでなく、クラシックな端正な佇まいもなく、高級ワインには不似合いな田舎臭さを醸し出している。モーゼルを代表する醸造所である甘口のプリュムと比べるとその酵母臭は変わらないが、硫黄香が少ないのは偏に辛口醸造の利点であろう。またそれ故に香りを求められる辛口リースリングの醸造の難しさを物語っている。その差は天然酵母の味質として現われていて、2008年産のあまりにも大雑把でもたもたしたリースリングの印象は、醸造上の弱点が顕著に出た感じである。やはりこの醸造所のリースリングは、甘口よりも辛口であり、良い年度はシュペートレーゼよりもカビネットに本領を発揮するに違いない。

そして酸化による味の変化は極端であり、高級ワインに求められる堅牢さに欠けるようで、恐らく歴史的な還元醸造法の弊害が其処に出ているのだろう。しかし、アプツベルクの地所自体の潜在能力は大変高いことは伺われ、かえすがえすも残念である。同時に、如何にモーゼル流域で辛口リースリングを清潔に綺麗に醸造することが難しいかが知れる。飲み頃までに思いを馳せると、二三年経って落ち着きが出る頃に、丁度残糖感も消えて、酵母の丸みに旨味が備わってくるだろうか?

逆に、天然酵母を使った醸造では最初から清潔さに欠ける為、最初に酸が立っている事で清涼感を得られても、それが消える夏以降はどうしても鈍い印象の新酒となる。おそらく千リットルのフーダー木樽のブレンドによって最終的な味付けをしている様にみられるが、天然酵母の管理の難しさから樽による差がかなりあるように思われ、それがキュヴェーとして混ぜ合わされるので上のようなバランスの悪さとして現れているのかもしれない。そのように早飲みに適さない醸造法であるとともに、最初からそうした繊細な味覚が欠けているものだから経年変化もあまり感じられないのも事実だろう。その意味から、現在の高級ワインに求められているものが欠如しているのは否めない。一本13ユーロの価値は専門家が設定した適正価格である。

その適正価格に大きな疑問符が付くのが最高級醸造所とも呼ばれたロベールト・ヴァイルである。2004年産グレーフェンベルクのシュペートレーゼ辛口を開けた。先月開けた十五年物の半甘口の程度が分かったので、これも残して置く価値はないと判断した。要するに物知り顔の面々が言うような熟成を期待出来るようなリースリングではないことが判明したからだ。現在のグランクリュは収穫量を落として木樽で熟成させてあるので改善された筈だが、価値が価格について行っているだろうか?なるほど熟成感が出難いのは流石であり、ルーヴァーのそれとは違って体格も良く、雑食砂岩のそれにあるような脆さの微塵も無い。しかし、ワインは長持ちするから偉大なのでは決してない。要するに熟成の変化を長い期間愉しませてくれる事が重要なのである。こちらは、天然酵母ならず培養酵母をもう少し選択出来るのではないだろうか。だから、加糖して酸を効かしたナーへやモーゼルの辛口のリースリングには何の価値もない。それを宇宙船に積み込んで土星旅行にでも出かけるならば話は別であるが。

偉大なリースリングとは、甘口であれ辛口であれ熟成と言われる大変緩やかな酸化によって、年輪を重ねる潜在能力があることであって、その変化が愉しめないのでは意味がない。何時までも皺がないコラーゲンを注入した整形美人のようなものである。



参照:
連休もグリュンハウス
長旅直後もなんのその!グリュンハウスのアルテ・レーベン 2008 (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
さしものアルテ・レーベンも
カランドリエにて (新・緑家のリースリング日記)
ドイツ旅行記2009年9月(9/24:第5日目その3) (DTDな日々)
熟成したリースリングって、美味(^^) フリッツ・ハーク (ワインベーストビュー)
真直ぐに焼け焦げた軌道 2009-09-29 | 試飲百景
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裸の付き合いの友愛社会

2009-12-06 | 
オペラの音楽的構造に触れたが、それは同時に劇的構造であって、実は大変に興味深い構造論議だと思っている。現在パリでは、ウンベルト・エコー企画の音楽会や映画や芝居などの展示会が開かれているというが、そこでは「世界構造の未開拓域を切り開く、限りない加算による目眩やその目録の現象」が扱われているというのである。

それに劣らず未開拓な印象を得たのは先日明け方にみた夢である。ある女性と仲間の男達と山から降りて来て、水浸しで泥だらけになりながら立ちすくむ暇もなく先ずは身体を洗おうということになった。胸毛を出した殆ど裸の男どもが、汚く汚れた野外の風呂桶を洗ったりしているが、こちらは雨の中頭までびしょびしょで気持ち悪く、「どうせ完璧に綺麗にするのは難しいから適当にして早くお湯を張って入ろう」と急がせる。そして湯がなみなみと張られたところで、殆ど各々がドラム缶のような風呂に一斉に皆で飛ぶ込む。ふとずっと傍にいた彼女を見ると、既に何ひとつ身につけていない。これはと一瞥するのだが、自分だけが汚れたブリーフを履いてお湯に浸かろうとしているのに気がついた。これは拙いと思ったが、今更ここで脱ぐのも具合が悪いと、そのままお湯に身体を沈める。そこで隣り合わせのドラム缶から裸の肩を此方に向けて彼女は親しげに小声でそれも日本語で語り出すのである。「私、あなたの引越しのお蔭で仕事を止めなくちゃいけなくなったのよ。」と、此方が彼女を追い出すようにしてその住居に移り住み込むことを責めるでもなしに物語るのである。続いて、いろいろと大変落ち着いた喋り方で「迫られる」だが、要するに求婚を求められたのである。

この妙に現実的であり、エロティズムから懸け離れた写実的で且つ言語的な夢は一体何処から来たのか?どうも一つは、ジャン・アントワーヌ・ウードン展を開いているフランクフルトのリービークハウスでの批評を読んだからのようである。其処では「震える少女」と呼ばれる冬を暗喩した彫刻が、モンペリエの美術館からやってきて展示されている。その写真をみれば分かるように典型的なアカデミーもしくはアクトクンストと呼ばれるもので、ローティーンのあどけない表情の素っ裸の少女が頭から頬かむりして両手で胸をしっかりと下腹部まで下がる生地で包みこんでいるのである。要するにこのモデルの少女が自然に其処で取った姿勢がこうして永遠の芸術化されているのだが、新聞ではそれをして同じアクトを描いて年老いた好色なルイ15世に思春期の少女の裸像を提供したフランソワ・ブシェーの卑猥さはそこには無いと断言する。その差異こそが興味深いもので、現在であればペドフィリー論争に繋がる議論に扱われるものであろう。

さらに先日展示会で鑑賞したボッティチェッリの裸体像の特徴へと思いを馳せれば、そこで特徴となっていたロフェルネスの首を掻き切るユーディットなどの肉体の描き方に容易に古代を模倣したのではないそれをみる。ユーディット自体はその行為をして父性権力を掻き切るとされているが、なにも男色のオスカー・ワイルドやビアズリーを待つまでもなく「サロメ」となると大分事情は変わってくる。ボッティチェッリのそれは、美男子像にしてもそこには権力の枠組みが社会一般に渡って張り巡らされている構造に深く関係していると理解出来る。

当然のことながら上のブリーフはそのもの社会の拘束を示しており、それはなにも難しい学問を修得しないでも直観的に分かるであろう。同時に、ウードンの作品には、社会が「自由、平等、兄弟愛」が裏返されて彫塑されているのだろう。新聞批評は、この恥じらいにナチの親衛隊がユダヤ人女性を裸にして並べて銃殺にした風景を想い浮かべて、啓蒙としている。


今日の音楽:アルバン・ベルク作曲オペラ「ルル」全曲未完成版



参照:
多義的ではない多様性の焦燥 2009-11-22 | 女
改革に釣合う平板な色気 2008-01-18 | マスメディア批評
用心深い行為に隠されたもの 2009-11-08 | 文化一般
出もの腫れもの処嫌わず 2009-06-13 | 文学・思想
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感
サウナに入って飲みたい 2009-01-13 | アウトドーア・環境
知的エリートの啓蒙芸術 2008-03-17 | 音
エロスがめらめらと燃える 2007-11-02 | 暦
固いものと柔らかいもの 2005-07-27 | 文学・思想
蛇が逃れる所-モーゼとアロン(2) 2005-05-03 | 音
立ち入り放題のユートピア 2005-04-22 | アウトドーア・環境
素裸が雄弁に語らないもの 2005-04-21 | 文化一般
人情味溢れる冷たい秩序 2009-06-23 | 雑感
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グッスリ二度寝をして気付く

2009-12-05 | 雑感
就寝前に風呂に浸かってぐっすりと眠った。朝眼が覚めて、買物にでも行こうかと思ったが、外は真っ暗で寒く先日の発病のこともありこれは危ないとの思いで、二度寝した。三時間ほどであるがこれまたぐっすりと眠った。どうも一週間の疲れがどっと出たらしい。公判ということでは半年以上の疲れである。

メールを開くと注文したCDが既に発送されたとある。全ての6CDsが手に入るようだ。リンクから自分の注文した商品のここ一年の一覧表を見た。前回注文したのは五月六日であるから事件の前である。なるほどそれ以降機会はあったのだが結局注文をしていない。

それどころか最後に注文したCDのなかにブリューメルのミサ曲をドミニク・ヴィスーが演奏したものがある。殆ど聞いた覚えがないので棚を探すがあり得るべき師匠ジョスカン・デュプレの曲の並びにもない。そこで、もしやと思ってプレーヤーの横を見ると、同時に注文した「モーゼとアロン」に後ろに隠れていた。二三度は皿に乗せたと思うのだが未だに腰を落ち着けて聞いていないことを思い出した。なるほどこの期間心理的に余裕がなかったものと思われる。しかし、シェーンベルクの方はCDの簡便さを活かして、十分に音出しをしていて大分見通しが効くようになっている。その差は面白い。

八百屋に行くとヴァンデルング仲間の夫婦に冬以来再会した。この期間の上のような話をしてまた新年に遭いましょうと別れた。自らはあまり気がつかない深層心理が様々な所に記録として表れているのはなかなか興味深いことである。

車のラジオが、ヤコブス指揮のオペラ「イドメネオ」の録音が素晴らしい出来だと紹介していたが、オペラの音楽的構造が見通せるようになると、カウンターがどうかだとかなんとかの話しには興味があまり湧かない。モーツァルトの終曲等の筆運びやアルバン・ベルクの作曲などを見通してその作曲家の審美眼に触れるとき、昨晩就寝前にショスタコーヴィッチの「マクベス夫人」などを聞くとどうしてもその創作者や社会の「美意識」の差異というものに関心を持たざるを得ない。
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安売り音楽の品定め

2009-12-04 | マスメディア批評
本日期限の割引券があったので使った。CDなどが5ユーロ安くなる、そして現在は送料無料キャンペーン中である。実は先日見つけたリュリのオペラの安売りが ― 注文する時間も体力も気力もなかった時に ― 直ぐに売り切れて仕舞って一寸悔しい思いをした。

だから落ち込んでいたのだが、同じ演奏家ヘルヴェッヘ指揮の面白そうなのを見つけた。五枚組みで16,99ユーロだからお得感では問題ない。その内容は、なぜかCDを持っていないバッハのロ短調ミサを中心に殆どのミサ曲とエマニュエルバッハの「クリストの昇天」が入っている。

90年代頃の録音であるから彼らの演奏活動があまり注目されていなかった頃のもので、試聴してもあまり冴えないのだが、基本的には現在の実践と変わらないとみた。

さて割引を使うと11,99ユーロとなるヴァージンレコードの五枚組みであるが、前回もこの演奏家のカンタータを注文して入手出来なかった残念な配給状態がある。だからその場合も考えて、少なくとも割り引き券を使い切るために追加注文をしなければいけない。

サイトにチェックしてあるCDは沢山あるのだが、選ぶとなると限られる。それもその購入動機から比較的安定供給されているものでなければいけない。ECMのヒリヤードアンサンブルのCDから一枚選んだ。結局、21ユーロをCD六枚に支払うことになった。それでも一枚辺り4ユーロ以下である。

昨日ハイデルベルクへの途上聞いたラジオで、コンサート情報を流していた。バーデンバーデンでドレスデンの世界最古の管弦楽団がブルックナーを演奏する。HPをみると45ユーロが最も安い一般席でまだ空いている雰囲気がある。それでも思い留まった。第四交響曲は、当地でのベルリナーフィルハーモニカーでの演奏の印象があまりにも良かったからだ。他の交響曲ならば行っていたかも知れない。バーデンバーデンの聴衆ではこの程度のプログラムしか提供されない。祝祭劇場の第二次の倒産騒動も遠くはないだろうか?
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