Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

それは、なぜ難しい?

2007-11-10 | 
パロディーとか、ユーモアとかが理解し難い場合は多い。そうしたものの中に、プロテスタントの音楽を凝縮したような大バッハの作曲を加えて見ると良い。なぜ、それが難しいかを考えてみるが良い。

待降節に纏わるカンタータを幾つか聞いて来た。一番と呼ばれる最後のコラールカンタータで二度目のライプチッヒでのトーマスカントライのための受胎告知のもので始まり、サミュエル・シャイトの八声の「いざ来たれ、異教徒の救い主を」に続いてバッハの同じカンタータ61番を演奏して、休憩後にはカンタータ36番「喜びて、舞い上がれ」に続き再びハインリッヒ・シュッツのモテットとバッハのカンタータ62番の「いざ来たれ、異教徒の救い主を」と大変凝ったプログラムであった。

既にこの演奏団体は良く知っていて、ゲントの古楽演奏者に期待するものは全くなかったが、それゆえか五割にも至らない集客率で、寒かった雨交じりの水曜日で定期会員が多いとはいえ、常連客の評価も同じようなものなのだろう。

現代においてバッハのカンタータなどがエンターティメントになるのか、音楽体験になるのか、芸術鑑賞になるのか、文化活動なのかはたまた宗教的活動なのか、多くの疑問が浮かび上がる。シュトッツガルトのプロテスタント教会での指揮者リリングらの音楽礼拝などはその意味から参加することが肝心でもあり現在においてもある意味を持っているが、演奏会場や教会においてなんらかの宗教的な意味を持ったり、「ファウストュス博士」のクレッチマーが言うような「神の居ない時代に音楽は宗教に代わる形而上の活動となる」かと言えばどうにも疑わしい。

そうした意味合いを、ソリストを含めて12人に刈り込まれた合唱団コレギウム・ヴォカーレを指揮したヘレヴェッヘの演奏実践は強調していた。つまり、それは大バッハが生きた時代の日常のお勤めや音楽活動を今日最も反映しているバッハ演奏であるように思わせた。

その理由が、些かルーズな演奏にだけあるのではなく、その演奏解釈にあるのは言うまでもない。また声楽のソロや合唱の秀逸さを競うならば他の演奏団体に分があるのだが、ある種の好い加減さが大変素晴らしい時代を思わせてくれる。例えば、カンタータ62番の旋廻する音形やあっちこっちへと貼り付けたり流用したりしているその「創作活動」の結果と、お仕事としてこなしている大作曲家の手腕を、ユーモアを持たせて提示すると、殆ど後年のハイドンなどとも変わらない音楽の妙味を現代の我々に示すことになる。

同様な例は、カンタータ61番冒頭の合唱とフランス組曲の組み合わせに、本来ならば王がロージュへと進み出るところを、イエスの待降に置き換えるパロディーと読み取らせる。また、その歌詞こそが、作曲の1741年にここフランクフルトで音楽監督ゲオルク・フィリップ・テレマンのもとノイマイスターの手によって、黙示録などからのルターのドイツ語が編纂されて礼拝用に出版されたものである。

つまり、大バッハの子カール・フィリップ・エマニュエルの洗礼名親でもあるテレマンと大バッハはこのごろ親しく、当時の大作曲家テレマンがヴァイマールへと最新の文化情報を伝えたと予想される。先取りの気風を持った啓蒙主義思想に影響された都会から颯爽とやってくるこの作曲家と、その前の中央ドイツと言う地方に立つ大バッハの姿を想像すると面白い。

そして、バッハもケーテンなどでの仕事を得て再びライプチッヒで活躍して多くのカンタータを作曲するが、自己の世俗カンターターを改変した教会カンタータ36番などは何度も手を入れなくてはならなかった事情がある。そうしたところにも、現場の上演状況などを思わせる仕事の痕跡を見つけるにつけ、またその職人的にも秀逸したその腕前を振るう大作曲家の実像やユーモアがあることを思い浮かべれば良いのではないか。

歌手陣の中ではソプラノのドロテー・ミールト嬢がその美声で目立っていたが、その好感の持てる生真面目な歌いぷっりの子供っぽさは、きっと12月に共演する鈴木との相性の方が、今回の「困難を紐解く」随分と大人のバッハ実践よりも間違いなく合っていることだろう。

シュッツも悪くはないがシャイトのモテットはより以上印象に残ったことを備忘録としておく。



参照:
ABENDPROGRAMM
地域性・新教・通俗性 [ 音 ] / 2006-12-18
大バッハを凌駕して踏襲 [ 音 ] / 2006-02-22
滑稽な独善と白けの感性 [ 歴史・時事 ] / 2005-03-10

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2 コメント

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Pfaelzerweinさん (オレゴンローズ)
2007-11-23 03:57:52
Thanksgivingが終われば、こちらでは早くも商魂たくましいクリスマスの時期に突入していく事になるのですが、クリスマスのイルミネーシオンで町全体が明るくなります。又クリスマス前には、一年を振り返り、自分の内面を厳しく見つめ新しい年を迎える心の準備を整える事もすべく。。毎年クワイヤでメドソプラノ部門のヘンデルのメサイヤを歌っていますが、町のあらゆる教会ではカンタータヤクリスマスの音楽演奏が盛んになり心の引き締まる時期です。


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共同体 (pfaelzerwein)
2007-11-23 06:32:20
関連コメント:

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/5a9281d6fabb2dcaf116e059779dea08
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