Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

怠け者は旨い汁を吸わない

2009-08-29 | マスメディア批評
中華人民共和国の臓器売買が再び問題となっている。例え法的に制御が加えられても「全てが金」の拝金主義が蔓延るあのような社会では、そうした法的な枠組みが役人にとって旨い汁を吸う源となっているのである。所詮共産党とはそのような組織なのである。

その大源である死刑囚の臓器は本人の一筆があるかどうかは知らないが、また遺族に僅かばかりの慰労金が支払われるのかどうかは判らないが、こうした基本的人権を尊重しない政体には、まともな社会が築かれないのは確かであろう。それは丁度蛸が己の身体を食っていくように朽ちて行くのである。

継続性のある経済的社会的繁栄に向けてのドイツ連邦共和国内務大臣ショイブレ博士の論文がFAZ紙の文化欄に掲載されている。ざっと斜め読みすると主な論旨は、「所有の制限でナチスを育んだ結果」第二次世界大戦で荒廃した経済が現在の繁栄にあるのは自由主義経済の恩恵であり、今後も公平で垣根のない交易が貿易大国ドイツ連邦共和国の今の生活水準を保障してする事から、経済金融のそれを堅持して行くにはどうしたらよいかという内容である。

その自由主義経済というものを堅持するのは、全く民主主義社会を堅持するのと同じように困難を伴うと言明して、市場経済が社会経済とのバランスを取りながら成長する可能性を言及する。マッケンジーのアドヴァイザーであるローウェル・ブライアンの「市場からの解放」などを引用しながら、「障害や規制の全廃」が主張される。

それと同時に、所謂社会のエリート層の自制を強く促している。ここまで読めばその主旨は理解出来るが、その袖を正すという事は、言葉を変えると職業としてのモラルとなるそうな。それでは政治家にそれはないのか?良く考えてみればこのポスト・ヘルムート・コールの政治家は、本来ならば車椅子で世界のリーダーとして走り回っていた筈である。そして国境を越えた武器商人からの政治資金の貯蔵に関わった保守政治の金庫番であったから失脚して、コールの息が強く掛かっていても政治色のない東独のメルケル女史に足元をすくわれたのである。なるほど言は正しいが実が伴わないから問題なのである。

こうした構造的な問題に比べれば、メルケル首相が優秀な銀行の頭取を主賓として首相府でパーティーを開こうがどうでも良いのだ。FAZ新聞にその会に参加した記者の自己申告記事が掲載されていたが、ジャーナリストをはじめメッツェル銀行やオェトカー社のオーナーやコンチネンタル買収で今や借金まみれのシェフラー婦人、BASFの社長など錚々たるエリートが招待されていたようで、指揮者サイモン・ラトルの隣の席は欠席になっていたという。こうした「オフィシャルな会」であったので酔っ払いも一人居らず踊りもなかったと報告して、記者自身は「責任は感じないが、もう少し襟を正すべきだった」と述懐している。

逆にこうしたブルーヴァードジャーナリズムが煽るようなことはいとも簡単に外信となって、日本などにもそれを伝えようとする馬鹿なジャーナリズムが存在する。一体、国際会議で泥酔した日本の大臣を想い出させたいと考えているのか?招待されない殆どの一般大衆のある種の僻み根性を刺激したいのか?指摘はご尤もだが、所詮議論にはならない。その証拠にこうしたジャーナリズムは、決して外交辞令で為される経費や宮中に贈られるものを納税者に払い下げしろなどとは絶対言わない。

さてメルケル首相の思惑とは異なりドイツェバンクはベルリン政府の思い通りとはならない。それにも拘らず、こうした催し物自体が選挙に向けての支持層固めである事も間違いない。そしてこの小さな記事から映し出されるのはこの東独出身の女性首相の力では思うようにならない保守党の政治基盤でもある。そして、同じようなパーティーは大統領主催でもあったと述懐する。

日本の人気閣僚の「怠け者には一円も払えない」とかの発言を見かけたが、これも上の安物ジャーナリズム程度の見識から湧き出す発言であろう。そもそも、政治資金法とかで金権政治から解放されたといっても行政財会の利権に纏わる繋がりの方が遥かに旨い訳で、ああした保守党は、日本共産党の主張のように「財界本位の政治結社」であることにはかわりない。その視点からすると、黒い金に手を染め旨い汁を吸えない輩は全て怠け者となる。



参照:
民主党への追い風が強すぎて (tak-shonai’s Today’s Crack)
いらぬお世話 (☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」)
4年後消費税が15%だそうです・・・・  (ラジカル コミュニケーション)
自民崩壊の必然=医療保険改革で“弱者”を凝視するオバマ (toxandoria の日記、アートと社会)

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